1/31/2012

大学改革(3)無駄に外国人に門戸を開くな!

大学の門戸を外国人に開くということに対して、長点と欠点がある。長点としては、外国から優秀な人材が集まってきて、日本の競争力向上に寄与してくれるかもしれないというものだ。ただ後述するが、日本の大学に優秀な人材が来るかどうかはかなり怪しい。第二に、色々な地域から学校に来る留学生と日本人学生が交流し、文化的な多様性を学ぶ場が出来る可能性がある。しかし日本の大学では留学生をお客さん扱いし、日本人学生との交流などが充分計られていない。学部の授業でのグループプロジェクトのようなものも少なく、留学生に限らず、研究室やサークルの外で学生同士の交流は限定されているのが大学生活の実情である。留学生が自分の国の言語を教える代わりに奨学金を受け取れるなどのWinWin政策も考えられようが、教官の仕事を駆逐するような政策は普通は上がって来ない。ミクロの問題については個々の大学の経営判断によるところが多く、筆を省く。

米国の大学で最近取り沙汰されているのは、大学経営にとっての短期的なキャッシュフローの追求と、大学の質を保つという意味での長期的な経営戦略が矛盾してしまうという問題だ。私は現在大学の授業を担当しているのだが、数年前から学部の中国人留学生の質が極端に落ちたと感じる。海のものとも山のものとも解らない中国人留学生を金づるとして大量に入学させ、結果的に全体的な授業の質を落としてしまっている。

数年前まで、当地の大学の学部において、質が悪い留学生といえば、韓国人留学生と相場が決まっていた。確かに韓国人留学生の中には、英語も碌に理解できないような連中が紛れている事が多々あった。その癖、自己主張が強く、採点方法などに文句を言いに来るのだ。そういった面倒臭い生徒が多い為か、教授(特に白人の教授)の中には韓国人留学生を毛嫌いする人達もいた。性格に関しては国民性というものもあろうが、何故韓国人留学生の質が低かったかの理由は簡単だ。不正に入学している韓国人留学生が極めて多かった為である。韓国で高校まで卒業し、留学業者にお金を払う。そうすれば出願書類を揃えてくれたり、推薦書なども書いてくれる。酷い場合には、内申書を改竄したり、toeflの試験で不正行為をしてくれたりもするようである。そういう業者が存在し、学歴というものを過度に意識する親たちがお金を払うというみっともない構造が出来上がっているのだ。韓国人の名誉のために言っておくが、必死で勉強をする優秀な韓国人も沢山いる。しかし、インチキをして入学してくる出来の悪い韓国人学生が、英語も出来ずに自分の国から来た連中とだけつるみ、髪の毛を脱色し、休み時間のたびに建物の外でタバコを吸うので、どうしても目立ってしまうのだ。

ほんの少し前まで、アメリカにいる中国人留学生といえば、自国の大学を主席で卒業したような学生のみが国費で留学してきた。人口の多い中国のシステムの頂点に君臨するような生徒なのだから、中国人留学生はほぼ間違いなく優秀な学生であった。しかし、中国社会は豊かになりすぎた。小金持ちが子息を米国に留学させる事がステータスとなっているし、アメリカに移住することを目的とする中国人が星の数ほどいる。ここ数年、アメリカの大学には大陸系の中国人学部生が目立つようになってきた。巻き舌の発音を聞けばすぐに大陸系の中国人かどうかわかるのだが、ぱっと見でも台湾人や香港人とは明らかに雰囲気が違うので、直ぐに解ると思う。豊かになれば何が起こるのか?そう、韓国社会で起こっていたことがそのまま中国にも伝わったのだ。インチキ留学斡旋業者が、富裕層の子息の海外留学を斡旋する。英語もおぼつかない生徒たちが、推薦書やtoeflの結果を誤魔化して貰い、堂々とアメリカの大学に入学してくる。結果として、中国人留学生の質が雪崩れる様に落ちてきているのだ。私のクラスにも、授業にもろくに出ず、ハナからカンニングしようとしてテストだけを受けに来る中国人の留学生グループが毎クオーター混じっており、対処に困っている。

一部の韓国人や多くの中国人がインチキをしている事は周知の事実だ。とすれば、そういった生徒を受け入れるアメリカの大学はアホなのか?多分アホである。州立大学などの場合、州外の授業料を払ってくれる富裕層の留学生は、大学経営にとっては残念ながら無くてはならない存在なのだ(州内の生徒は授業料が安い)。州立大学の多くは、特にリーマン以降、こういったケースを、見て見ぬ振りをしている。というか、州の財政が悪化して以降、明らかに節操もなく生徒数を増やし、生徒の質が相関して落ちてきた。本当なら大学にいけないような連中までが大学生になっている。

大学の質を守りたいのであれば、門戸を開きすぎることは芳しくない。米国人であろうが、インド人であろうが、中国人であろうが、日本人であろうが、韓国人であろうが、優秀な人の割合はそう多くない。一握りの優秀な人達を掬ってしまうと、残りは平凡な人材になってしまう。残念ながら、教育で人材の優秀さは補いきれない。優秀な人材に教育を施すのがエリート高等教育である。門戸を広げる事は、平凡な人材にまで手を伸ばすということに他ならない。

大学教育を犠牲にして大学院のみを充実させる、という経営戦略もあり得る。米国の州立大学はそういった戦略の下、学部は金づるだと割り切り教育の質を無視し、大学院の充実のみを諮っているところが多々ある。

翻って日本の大学に話を戻すが、まともな大学はあまり無駄に門戸を開かない方が良いと思う。何をしたところで優秀な人材はアメリカやイギリスの大学に行くに決まっているのだから、どうせ碌な外国人は日本に来ない。優秀ではない留学生に助成金を渡すような行為は、税金の無駄以外の何物でもない。どうせ優秀な人材など確保できないのだから、逆に大学の学費は高く設定するべきだ。そうすれば、少なくとも金を持っている外国人が日本に来る。金がある家の子供は、コネなどを使い社会的に大切な職に就く可能性が高く、長い目で見て大学の評判作りにも有利である。

留学生にバイトをさせるのは論外だ。図書館、食堂、或いは語学学校など、大学内に雇用を作り、基本はその中でのみ就労を許可するべきだ。バイトをしながら学問を追及できるほど、世の中は甘くない。寧ろ、外国人はバイトするために日本に遊学しに来ている。ただし優秀な学生は必ずいるので、そういった学生達にはきちんと奨学金を与えるべきであるが、文部科学省主導の書類だけの審査ではなく、大学内で成績を見ながら留学生に緊張感を与えたうえで奨学金を分配するべきだ。そうすれば普通の人なら学業に専念するし、それは同じ大学の日本人学生にも良い影響を与えるだろう。バイトをせずに、学費もきちんと払える外国人だけを大学に受け入れることが日本の国益に繋がると考えている。

質を問わずに外国人に門戸を開けることは、グローバル化ではない。

教育編(1)へ
教育編(2)へ

1/29/2012

大学改革(2)MLBに人材が流出したプロ野球の轍を踏む東大の秋入学

東京大学の秋入学の話題が喧しくニュースを賑わせている。私はこのニュースに違和感を感じる。結論から先に言うと、入学時期を選ぶのは個々の大学の経営戦略の問題であり、政府が口出しするような話ではないからである。秋入学も春入学も、秋卒業も春卒業も全て認めれば良いだけの話なのではないだろうか?

ただ東京大学が提案した事象に対しての政府の対応は早い。「秋入学への移行に向け、政府は、大学当局をはじめ、学生や企業などを全面支援する方針だ。グローバル人材の育成という観点から大変評価できる制度であり、官民あげて議論をしていきたい、としている。」私は、議論が先にあり、それから支援するべきかどうかを決めるべきだと思う。「全面支援」などという言葉が官僚や政府から出てくるのも気持ち悪い。邪魔をしなければいいだけの話で、全面支援するような類の問題ではないと思うからだ。東大が官僚育成大学としての側面を有しているから、このような素早い対応になるのだろうというのが大勢の見方である。

そもそも、個人的見解として「日本の大学での四年間」と「浪人期間」は人生にとっての完全なる時間の無駄以外の何物でもないと考えている。何故なら、浪人は「大学入試」のための準備期間であり、それ以上の意味を持たない。大学はというと、学者畑を歩んだ「優秀」な研究者がクラスを教えるので、狭い領域に特化した研究者を養成する教育に傾倒してしまう。(特に理系においては)潰しが利かない教育のため、教室にいる99%の生徒のその後の人生には全く関係のないことに時間が浪費される。18歳から20代前半の貴重な青春時代に無駄な事に時間を使われるのだから、学生にとってはたまった物ではない。ただし長らくの間、良い大学を卒業することはその後の人生の「黄金切符」を手に入れることと同意義であったため、殆どの人は必死に我慢して、集中力を削がれないよう、大学入試と大学生活を人生の修行期間と位置づけているのであった。しかし、その前提が崩れかけている過渡期の現在において、旧来の大学の存在意義は完全に揺らいでいる。

私自身は、日本で大学を3月に終え、米国で語学学校に通いながら一年半の準備期間を経て米国の大学院に入学した。3月に卒業したことが、米国の大学院進学に不利になったとは思えない。もし準備期間の1年半を省略して米国の大学院に入っていれば、語学は勿論のこと、文化の違いに戸惑ったりして、恐らく大学院のクラスには十分ついていけなかったと思う。大学卒業の時期が近づいたある日、私は担当教官にアメリカに行きたい旨を告げた。担当教官は賛同してくれたものの「本来であれば日本で研究の実績を作ってからアメリカの教育機関に呼ばれるべきだ。そして、履歴書に穴を作ると損をする」と私に忠告してくれた。今から考えると、かなり的外れな忠告だったと思うが、そのような考えを大学の教官たちが共有していたという事である。

ただし、秋入学というような政策の変化が間接的に、人々の心理的なものに影響を与えることはあると思う。学生の進路の一つとして海外の大学院というものが選択肢の一つとして市民権を得ると思う。そういう意味でこの政策は、「MLBに人材を送り込む政策」として卓越したものになる可能性がある。

アメリカの博士課程に在籍する日本人は他のアジア各国に比べると意外と少ない。それが今後多くなるのはいい事だと個人的には思う。しかし日本のプロ野球と同じく、オールスター級の人材が大量にアメリカに流れる可能性はないだろうか?その結果、日本の大学院に残るのは三戦級の人材ばかりになりはしないだろうか(一線級と二線級は欧米の大学院か学部卒で就職)?そうなると、大学の競争力はますます落ちてしまう結果となる。

一方で海外の人材は日本に好んで来るのか?日本に来たいかどうかは入学時期の問題ではない。語学や生活環境など、もっと他の問題があるからだ。私はアメリカ人などで、日本の大学院に留学した経験がある友人が大勢いる。それらの人達の結論を総ずると「日本社会で生活した経験は良かったが、日本の大学院は糞以下」という物が大半だ。研究領域の狭さ、授業の質の低さ、研究室の体質、大学の資源の乏しさ、指導教官の世間知らずさなどに文句を持つようである。

もっと書きたいことがあるが、長すぎるので一旦この辺りで切ることにする。

教育編(1)へ
教育編(3)へ

1/25/2012

大学改革(1)府大+市大=ランキングトップ10を狙える大阪公立大学

日本の大学システムの不備についてよく考えを巡らせる。結論から言うと、日本の大学はあまりにもお客様を馬鹿にした経営を行っていると結論付けざるを得ないのだ。学費を払っている生徒を無視する日本の大学問題を検証したい。

橋下徹が主張する大阪市立大学と大阪府立大学の合併の話だが、二重行政の煽りを受けているのは当の学生である。市大と府大の「偏差値」はドングリの背比べのような状態で、しかも大学ランキングにおいてもそんなに変わらない立ち位置になっている。府大には農学部・工学部・看護学部・経済学部と、その他の総合分野学部が存在する。一方、市大は商学部、法学部、理学部、医学部、文学部、経済学部と工学部が存在する。微妙にずらしているのが解るだろうか?両方にあるのは経済学部と工学部だが、専門分野や得意領域はずれている。(学校の成り立ちと歴史問題を主張する人がいるが、結局競争を避けた結果、今の形になっているのだ。)

キャンパスも、市大は御堂筋線の「我孫子」、府大は御堂筋線の「中百舌鳥」と3駅しか離れていない。(しかも、両駅とも「あびこ」「なかもず」と何故か平仮名表記されています)

この二つの大学を統合させて、大阪公立大学とした場合(私は府と市を統合するべきだと思うが、大阪都という名称に違和感を憶える)、教育部以外の考えうる学科を全て網羅した総合大学が出来上がり、シナジー効果が非常に高く、大学のランキングが大幅に上がることが予想される。そうなれば、注目度もあがり、学生の就職活動が有利になるだけでなく、有名教授の招聘、留学生招聘や研究資金調達など、どれをとってもプラスになる。

では、何故今までそうしていないのか?答えは、役所があほだから、という他ない。市と府で縄張り争いをし、結局学生を蔑ろにしていた訳だ。というよりも、そもそも学費を払って学校に通う学生の利便性や将来など全く考えず、今までどおりの縦割りをしていたに過ぎない。対抗させないために、態々学部を微妙にずらしているところなど、悪意すら感じる。橋下が現れるまで、百利あって一害無しの合併を誰も公に口にすらしなかったことに、違和感を憶える。それこそが、大阪市と大阪府、そして中央集権の日本国が抱える病巣だといっても差し支えないと考えている。


教育編(2)へ
教育編(3)へ

1/23/2012

ニューイングランドとジャイアンツの再戦?マジで?

雪が積もって3日間、完全に家から出れなかった。溜まっていた仕事が出来てちょうど良かった。

大本命のパッカースとセインツがあっさりとプレイオフで敗れて、NFCのチャンピオンシップは49ersとジャイアンツになった。大物食いで大勝負に強いジャイアンツが守りを固め、QBのイーライ・マニングからWRのクルースへの度重なるすばらしいパスで、延長戦を物にした。サンフランシスコの延長の絶対にやってはいけないファンブルは余りにもお粗末過ぎたが。

これでスーパーボウルはニューイングランド・ペイトリオッツ対ニューヨーク・ジャイアンツの再試合。全勝負け無しでやって来たブレディー率いる王者ニューイングランドを、若いイーライが大番狂わせを見せたのは4年前のこと。ニューヨークファン以外は楽しめなかったチャンピオンシップだったと思う。

イーライは二度目のスーパーボウル出場で、兄ペイトン・マニングと並んだ(今年は怪我で出場できず、コルツは悲惨な結果に終わりました)。しかも、今回のスーパーボウルは兄の本拠地、インディアナ。注目の一戦かどうかはしらないが、余り面白くなさそうなマッチアップである。

ところで、今朝、久々にオフィスに行くと、アメリカ人の同僚がオーストラリアオープンで8強入りを果たした錦織の話題をしてきた。私はテニスに興味がないので良くわからないが、思っている以上に注目されているようである。私は「にしきおり」だと信じていたので、同僚が「Nishikori」と発音したとき、誰のことか解らなかった。2010年のウィンブルドンでは台湾人の盧彦勳がベスト8入りを果たしているので、錦織にはもう少し上を目指して欲しい。

1/15/2012

ブロンコスに神の御加護があらん事を!


折角のマーティンルーサーキングJRデイの週末で、スキーに行こうと思っていたのに、朝起きて外を見ると一面が津軽海峡冬景色。家に閉じ込められることになった。サテライトテレビも天気が悪いため受信できず、フットボールも見れない。やる事がないため、人生で一番の無駄な時間の使い方として、誰が読んでいる知らないブログでも更新することにする。

アメフットであるが、いよいよプレイオフの佳境を迎えている。先週はワイルドカード4試合が行われたが、観るに値するゲームはピッツバーグ・スティーラーズとデンバー・ブロンコスの試合だけであった。ピッツバーグはご存知の通り、ビッグベン事、ベン・ロスリスバーガーをQBに据え、ワイドレシーバーに韓国人と黒人の相の子のハインズ・ワードなどが並ぶ。そして何よりも鉄のカーテンとも表現されるディフェンス陣は、米領サモア出身のセーフティーのトロイ・ポラマールーなどを中心にガッチリと構成されている。2005年には我がシーホークスを、2008年にはアリゾナ・カージナルスを負かしてチャンピオンになっている。

一方のデンバー・ブロンコスは若いクオーターバックのティム・ティーボーの大活躍でプレイオフ出場に漕ぎ着けた。現在、ティーボーは恐らくマスコミで一番名前を挙げられるスポーツ選手になっている。ティーボーは神を信じており、常にブロンコスの勝利をロダンの考える人の如くの姿勢で祈るのだ。この姿勢は、ティーボーイングなどといじられており、その辺で子供が真似している。メディアで中絶廃止の発言を行ったり、フィールドの内外で話題に絶えない。従って、大量のファンと大量のアンチを抱えるセレブになっているのだ。
さて、両チームがワイルドカードで激突したわけだが、ロスリスバーガーの怪我はやはり深刻だったのだろう。パスが冴えないし、サックを何度もされた。デンバーのディフェンスも褒めるべきなのかも知れない。一方のティーボーは、鉄のカーテンのディフェンスにも関わらず、荒削りながらも確実にボールを前に進める。前半終了時には20対6とホームチームのデンバーがリードした。デンバーの標高が災いしたのかもしれない。

しかし、後半になってスティーラーズが息を吹き返す。マイクウォレスガ走りこみ、第四クオーターにはきっちりとキックを決めて、16-23で残り5分。なんとスティーラーズが4分前に、ロスリスバーガーのパスで31ヤードのタッチダウンを決め、ゲームを同点に戻したのだ。その後のティーボーの攻撃はちぐはぐで、オーバータイムにもつれ込む。

今年からルールが変更されたオーバータイムだが、開始直後の一投目、ティーボのパスをトーマスが受け、80ヤードを走りこみ、タッチダウン。新生ブロンコスが手負いのスティーラーズを破ったのだ。神の御加護があったとしか思えない勝利であった。

今週、トム・ブレーディー率いるニューイングランド・ペイトリオッツとデンバーは対戦。ティーボはあっさりと負けました。ざまあみやがれ!(はい。私はアンチ・ティーボです。)

1/02/2012

2012年は選挙の年:第二弾、共和党大統領候補者選(米国)

2011年が選挙の年と言われる一番の理由が、アメリカの大統領選挙が控えているからである。何もしないオバマと不景気に怒る民衆達。そういった構図の元、共和党の大統領候補戦は、ある意味で他国の総統を決める選挙よりも大事な政治イベントであると言い切っても過言ではないだろう。共和党は保守であるが、保守は経済右派(リバタリアン)と社会的保守派(ポピュリスト右派)の大きく異なる主張(と頭)を持つ二つの層があり、どのように共和党支持層の人気を獲得するかで大統領候補への道が開けてくる。ポピュリストが跋扈すると、ジョージWブッシュのようなジョーカーでさえも大統領候補になってしまうわけである。

大統領選を11月に控え、共和党の大統領候補選びがいよいよ熱くなってきた。化かし合い、ネガティブキャンペーン、人情味を見せてみたり、宗教色を濃くしてみたり、不倫問題がばれたり、発言をめぐる言葉狩りなど、まさに劇場型の争いとなっている。

明日の1月3日、アイオワ州の党員集会が開かれ、共和党大統領候補戦が始まる。ナショナルニュースでは共和党候補選びが毎日のトップニュースであるのだが、世論調査の結果が短期間に激動するので訳が解らない。

3ヶ月ほど前までは、本命候補は間違いなくロムニー前マサチューセッツ州知事(64)であった。ロムニーはマサチューセッツで知事をしたことからも解るように、穏健派である。マサチューセッツ州では保険制度を確立したり、同性愛結婚や中絶などに対しても、比較的リベラルな立場である。そのことで「社会主義である」だの、「アメリカの家族の形を無視する」だの、神を信じる共和党右派から叩かれまくっている。ミット・ロムニーのネックはそのバックグラウンドである。ロムニーはモルモン教である。ワイシャツを着て自転車に乗ったりして大学のキャンパスなどで二人一組で勧誘している、あの宗教だ。ロムニー自身もフランスでモルモンの布教活動をしていた話を公にしている。プロテスタント以外で大統領になったのは、カトリックのケネディーだけであり、多重婚を認める「カルト」とも看做されるモルモン教出身のロムニーが米国の大統領になる事に違和感を覚える人も大勢いる。キリスト教原理主義者が共和党の右派と組んでいる貧乏な州では、ロムニーは苦戦を強いられるだろう。因みに、ロムニーはハーバードのMBAとJDのダブルメジャーである。

黒人のハーマン・ケインはピザフランチャイズの社長をして、共和党の大統領候補に名乗りを上げた。ケインも穏健派である。一時期はモルモンを嫌う層を中心に一番人気に推される勢いだったが、セクハラ問題がメディアに流れ出し、セクハラを受けた女性が数人出てきて、大統領候補を降りてしまった。

その流れに乗じて一番人気になったのは、ニュート・ギングリッチである。ギングリッチは下院議長も努めた大物であるが、政界引退をして、近年は「外の傍観者」として政治に参加していた。消去法でギングリッチという選択なのか、ぱっとしない小太りの男が先週くらいまではロムニーを抑えて一番人気に推されていた。しかし、ロビイストやファニーメイなどから大量の政治献金を受けていることなどが発覚し、人気が凋落している。

その他では、キリスト教右派の支持を急に集めてきたペンシルバニア州上院議員のリック・サントラムが急激に人気を伸ばしている。信仰深さや家族の価値を前面に出し、朴訥とした真摯な雰囲気が、単純な社会右派の人達に受けているのだろう。

忘れてはいけないのがテキサス州下院議員で医学博士のロン・ポールだ。ぶれない発言の一貫性には惚れ惚れとする。徹底的に小さな政府を目指すと言い、商務省、エネルギー省、教育省、内務省、国土安全保証省は意味がないので即刻廃止。軍隊も国外から引き上げて削減を徹底的に減らす、と言い切っている。不干渉主義で、海外援助にすら非積極的である。オーストリア学派を信望しており、小さな政府を目指すその姿勢は、マーケットからは圧倒的な支持を受けているが、仲間内の汚い政治屋には頗る評判が悪い。完全なリバタリアンの経済右派である。

泡沫候補では、ティーパーティーの女性候補ミシェル・バックマンや神と対話するペリー・テキサス州知事などがいるが、この辺りは色物である。

結局のところ、大本命であるがモルモン教徒であり、マサチューセッツから来た中道派が、キリスト教右派渦巻く共和党の候補争いで勝てるかどうかが全ての焦点だ。ロムニーが共和党の大統領候補になれば、11月の大統領本選は面白くなる。ロムニー以外、たとえばギングリッチが勝てば、オバマは楽に再選する。長い戦いになろうが、戦いの火蓋は、明日のデモインから始まる。

(私はロンポールが一番好きです。次はロムニーです。その他は嫌い。)

犯人は死んでいた

昨日の書き込みのパークレンジャー射殺犯はレーニア国立公園の中でうつ伏せに死んでいることが確認された。イラク帰りの24歳の退役軍人で、帰米後は適応できずにPTSDに悩まされていたという。前日にはパーティーでの4人の殺傷にも関連しているという。

パークレンジャーのアンダーソンさんは、チェーンをしていなかった車を止めたところ、急に発砲されたという。犯人は狂っていたわけだ。

LAハリウッドの小太り嫌米ドイツ人放火魔と共に、年明けから頭のおかしい人達が犯罪を犯して鬱陶しい。

マウントレーニア国立公園でパークレンジャーが射殺される

正月からローカルニュースが騒がしい。マウントレーニア国立公園で、不審な車を止めたパークレンジャーの女性が、運転していた男に射殺されるという痛ましい事件が起きた。アメリカの国立公園ではパークレンジャーが車の罰則切符などを切るのだ。運転手はその後逃走し、未だに行方が掴めていないという。国立公園内にいた観光客は、犯人が捕まるまでは建物の中に籠もるように言われており、正月早々可哀想である。

「キチガイに銃器」というのがアメリカ社会における悲劇のパターンであり、このような事件が起こるたびにアメリカ社会の病巣を色々考えさせられる。ただ、銃が大量に出回っている社会なので、単純に銃を規制すれば良い、などといった生易しい話で問題が解決しないであろう事も現実として受け止めなければならない。射殺された34歳のマーガレット・アンダーソンさんは2児の母であり、非常に痛ましい。

逃げている殺人犯は24歳の男で、サバイバルスキルもあるという。広いマウントレーニアナショナルパークのこと、逃げようと思えばいくらでも逃げれる。頭のおかしな殺人犯が早く逮捕されることを祈る。