12/24/2006

アメリカステーキが美味い理由

(注:この記事はミディアムレア以上に焼いたステーキの話であって、生肉の話ではありません。ステーキのレアが好きな人の多くは、単に生肉が好きな場合があります。私も生肉が大好きですが、このページでは牛タタキ風ステーキの話はしていませんので悪しからず。生肉が好きならばわざわざレストランに行かず、家庭でステーキを食べることをお勧めします。スーパーでニューヨーク・ストリップやリブアイなどと書かれている少し脂の乗った肉を購入して、表面だけを少しだけ焦がして中は生で食べてください。安物のサーロインなどの生焼け肉もポン酢や照り焼き風ソースとも相性がいいですし、ご飯にも合います。この項のステーキの話にそれらの生肉ステーキは含まれていません。ここで扱っているステーキと「ブルーレア」牛たたき風ステーキは根本的に違う食べ物と考えています。牛たたきが美味しいのか、ミディアムに焼いたアメリカのステーキが美味しいのかという話は、軸の違う問題であるため、「りんご」と「みかん」を比べるような不毛な議論です。前置きが長くなりました。)



私は日本の高い和牛ステーキがあまり好きではない。一口目は美味しくて感動するのだが、それは肉ではない。脂の塊を食べており、どちらかと言えばトロなどに近い。日本で年寄りなどに誘われて和牛ステーキを食べさせられることもあるが、肉を食べるという目的の際は、出来ることならご遠慮願いたい。

一方で私はアメリカでステーキを食べることが好きだ。アメリカのステーキは、日本のステーキとはアイディアそのものが異なり、しっかりと赤身を食べさせてくれる。勿論店にもよるのだが(殆どの店は不味い。アウトバ●クやレ●ドロブスターなどのチェーン店でサーロインを注文するとかなりがっかりする事になる。)、かなり美味しいステーキにありつくこともできる。私の友人など、ニューヨークなどに行く度にステーキ屋に脚を運んでいる。最近では、東京などでアメリカンスタイルのステーキを出す店も出てきたようだが、基本的に日本のステーキ屋では美味しい赤身をしっかりと食べさせてはくれなかった。しかしながら、殆どの人は経験上、アメリカ牛のステーキはあまり美味しくないと考えるかもしれない。確かにアメリカでもスーパーで普通に肉を買ってきてミディアムレアに焼くだけではそこまで美味しいステーキは作れない(実はサーロインやニューヨークストリップやリブアイの牛肉を買ってきていつもステーキを家で作っています。ただし極レアで食べます。)。あくまで、アメリカの美味しいステーキ屋で食べるミディアムレアのステーキが格段に美味しいのだ。

何故、ある種のアメリカのステーキ屋はそんなに美味しい赤身を提供できるのか?勿論、牛のグレードは言うまでもないが、一番大切なことは、熟成方法だ。新鮮な肉を焼いても美味しくない。牛肉はきっちりと熟成させることで旨味が増すのだ。特に、ドライエイジド(Dry Aged)と呼ばれる、冷暗所でじっくりと一ヶ月近くかけて肉を寝かせる方法を取ると、赤身の味が格段に美味しくなる。残念ながらドライエイジドの肉はその辺に出回っているわけではない。アメリカにおいて、効率を追い求めた現在の流通では、肉は直ぐに真空パッキングされ、真空パッケージ内で熟成されることになる。これは、ドライエイジドに対して、ウェットエイジド(Wet Aged)と呼ばれる。この方法でも確かに赤身の旨味は多少増すが、ドライエイジドほどの濃厚な味を求めることは出来ない。

アメリカの高級レストランでは、レストラン独自にドライエイジド法で牛肉を寝かせている。だから値は張るのだが、確かに美味しいステーキを出してくれる。しかも大きさが良い。1パウンド、つまり450gのステーキがスタンダードとなる。脂が多い和牛はレアで食べる方が美味しいが、ドライエイジドの1パウンドもあるステーキなら、ミディアムあたりで中身がうっすらと半生くらいの焼き方が一番合う。(アメリカ人がオーバークックするのか、日本人が生を好みすぎるのか解りませんが、アメリカのレストランでミディアムレアを頼むと、9割以上の確率で、日本ならミディアム以上に焼いた物が出てくると覚悟してください。)

普通、ドライエイジドのステーキ肉など、アメリカのスーパーでは売られていない。しかし、クリスマスを前にして、ホールフーズ(Whole Foods)と呼ばれる高級スーパーチェーンでドライエイジドのリブアイステーキが売られていた。1パウンドで20ドル近くしたが、店で食べることを思えば安い。フライパンで強火で表面をしっかりと焼き、オーブンの中に数分入れる。肉汁と赤ワインとマッシュルームでソースを作った。アメリカの牛肉ステーキは本当に美味しい。結局、ステーキの味など肉次第なのだ。

バーベキューにはどういう肉を選ぶべきかについて


12/15/2006

FRB議長の役目

世界で一番パワーを持っているのは誰か?アメリカ大統領と答える人が多いだろうが、私には即座に一人の人物が脳裏によぎる。それは連邦準備制度理事会(FRB)議長である。要は、アメリカの「日銀総裁」にあたる。現在はドクター・ベン・バーナンキが務めており、バーナンキ以上に力を持っている人は恐らく世界にいない。

FRB議長の仕事は利率の上げ下げだ。利率の上げ下げによって景気をコントロールする。バーナンキの手腕一つでマーケットは大きく動く。そういう意味でバーナンキの責任は大きいし、パワーは計り知れないのだ。FRB議長は政府から独立している。政府からしっかりしろと言われることはあれども、利率の上げ下げに対して圧力がかかることはない。邦銀のゴールは、利率の上げ下げにより適当な好景気と不景気を循環させ、経済が危機的状況に陥る事を防ぐ。

本来なら日本でも、日銀総裁とはそのような役目を負っているはずなのだが、残念ながら日銀は政府や官僚の操り人形である。バブル期前後の政策失敗、特にリキデーショントラップに貶めた大罪のせいもあり、日銀は全く信用されていないのが現状だ。政府が国債の支払いを減らしたから利率を下げろ、などと言っているし、消費が滞っているから利率を上げるな、などと解らないくせに言っている。利上げを望んでいる人など殆どいないので、圧力団体は利下げを要求する。そのような意見は無視して、中長期の経済を鑑み、日銀総裁には利率をコントロールして欲しいのだが。

話を元に戻す。約20年FRBのトップとして君臨していたマエストロ・グリーンスパンが今年の頭に辞任し、バーナンキがFRB議長になった。前任のグリーンスパンが絶対的な信用を集めていた。「経済を考えれば、時期総裁はブッシュが良いか、ケリーが良いか?大丈夫、どっちにしても俺たちにはグリーンスパンがいる!」などといったジョークさえ聞かれた。グリーンスパンの後釜には、学者上がりのバーナンキが採用されたことを、マーケットは当初懐疑的に見ていたと思う。そして、5月の調整が起こった。

2005年ごろからインド、南アフリカ、韓国、ラテンアメリカを中心にエマージェンシーマーケット(新興市場)の株が上がり続けていた。そして、一番の問題は、石油や金などのコモディティ(商品)価格が上がり続けたのだ。そして、アメリカの産業はコスト高に苦しんでいた。アメリカ経済の見通しが怪しい時の、コスト高だった。コスト高はインフレの懸念材料になる。経済を齧っている人なら解ると思うが、インフレそのものは経済にとって悪影響は無くとも、サービスや賃金や物によって価格の柔軟性が違うので、インフレは価格のひずみを引き起こして中長期的に経済を悪化させる。新興市場がアメリカの購買意欲によって経済が買い支えられていたことが明白だったので、アメリカ経済の失墜は、一歩間違えれば世界大不況にまで発展する可能性があった。これに反応して、ベンバーナンキは利上げを行ったのだ。インフレにだけ照準を合わせた利上げだった。この利上げは、FRBがあくまでもインフレと戦うという姿勢を示したものだった。かつてからアメリカでは住宅バブルの様相を呈していたので、利上げによって人々が住宅ローンを組むことを嫌がり、消費が一気に醒めるのではないかという見方もあった。バーナンキの利上げを疑問視したマーケットは5月に大きく株価を落とすことになる。新興市場は急落した。そして商品市場も冷め、住宅価格も下降に転じた。

しかし、これでよかったのだ。商品市場の冷め、特に原油価格の落ち着きと、住宅価格の安定で、インフレ懸念がある程度払拭されたのだ。となれば、ハードランディングは無く、ソフトランディング路線を辿ることになり、世界同時恐慌という最悪のシナリオは避けられることになったのだ。その結果、夏以降、ニューヨークの株価格は上昇に転じている。結果的にバーナンキの政策は完璧だったのだ。

これで天晴れ、となるのは話が早い。根本的な問題は何も解決していない。何故商品価格が急上昇したのか?経済紙など機関投資家が市場に流れ込んできたためだと結論付けている。しかし、機関投資家が理由無しに市場の値段を吊り上げることは出来ない。マーケットでは値段が吊上がるだけの理由が存在する。それはドル安である。ドルが他の通貨に比べてどんどん安くなったからだ。何故か?それは、中国の責任だ。中国が人民元を人為的に低くするために、必死に米ドルの準備高を積み増しているからだ。この不安定な政策が、ドル高を招いていたのだ。

さらに、何故新興市場が元気だったのかも付け加えたい。これはアメリカのせいである。アメリカの個人消費が旺盛であるため、世界中がアメリカに商品を売ることで経済を拡大させた。日本の利率はほぼゼロだった。そこに目をつけ、日本で金を借りて、経済が拡大する他の国で回せば、いくらでも儲けることが出来るのだ。そして、それらの国で資源供給が盛んになる。マイナーな原因ではあるが、これらの要因も商品高にある程度関連している。

では、何故アメリカの個人消費がそこまで旺盛なのか?それも中国のせいである。中国から安い商品がいくらでもやって来るのだ。全てを単純化させると、アメリカ人は安い中国製品を買うことで、お金に余裕が生まれ経済が拡大していたのだ。

バーナンキが今週北京を訪問した際、人民元が人為的に低く抑えられており、それがある意味、中国の輸出業者の助成金となっているという旨のスピーチを行った。私は非常にそのスピーチに感服した。それは紛れもない事実だからだ。中国政府は、雇用を創造し、海外の直接投資を受け入れるために人民元を人為的に低く抑えている。このことにより、中国中が大安売り状態となっており、外国人が鞘取り機会を狙ってどんどん中国に進出するのだ。そして、それらの金が中国人民を潤わすことはない。人民元が低く抑えている以上、中国人民はインフレ圧力に苦しみ、低賃金を甘んじて受け入れ続けなければいけないのだ。そのくせ、街やインフラなどだけは整備されていくといった歪んだ発達が持続されることになる。残念ながら、総GDPがいくら大きくなろうとも、それは何にもならないのだ。丁度、体重が重いことが人間にとって何も誇れないのと同様に。

人民元が低く抑えられている状態は、世界の消費者、特にアメリカの消費者には素晴らしいことなのだ。中国相手に輸出をしている人を除けば、本心では人民元が上がることを誰も歓迎していない。それでも、人民元を上昇させたい理由は、世界の不均衡を無くすためである。人為的な人民元の安さが、世界中のマクロ経済に大なり小なりの影響を与えている。軋みを無視し続けると、私たちが将来払わなければいけないツケが増えるだけの話であるのだ。現在の説明のつかないユーロ高などが例に挙げられる。そして人民元上昇は誰のためでもなく、中国の為なのである事を、残念ながら中国は全く理解していない。将来的に人民元がマーケットの意思で動くようになるまで、世界のゆがみはますます酷くなるであろうし、世界中の人々が鞘取りの機会を狙い中国に進出するのだ。最終的にそれらの付けを払って血を流すのは中国なのだ。そして、その歪みを一時的に誤魔化す重い役目を一身に背負っているのが、バーナンキ議長なのである。

人民元の固定制度は、まるで指輪物語「The Lord of the Ring」の壊すべきリングのような物だ。しかし、とても魅力的で、皆が保有したいという欲を持つ。中国政府はまるで指輪に固執するゴブリンのようなものだ。バーナンキが陣頭指揮をとり、悪の指輪を炎の中に投げ入れ、変動相場制に遷ることを願いたい。その時、初めて我々は問題が解決したと高らかに謡えるのだ。

サウスビーチに行きたい!

この時期になると、クリスマス休暇の話で持ちきりになる。私は休みどころではないのだが、周りの人は色々と予定を立てている。一般的なのは、近隣へのスキー旅行、実家に帰る、そしてビーチリゾートであろう。雨が降り続く冬のシアトルにいると、やはり暖かいビーチリゾートに行きたくなるものだ。地政学的な制限が付きまとい、シアトルの人はよくハワイ諸島に出かける。しかし、私としては、やはりフロリダに行きたい。

私はハワイがとても嫌いだ。何故なら、妙に老人臭いからだ。ハワイは良い波があるし、海の中も綺麗だ。ビーチの砂も最高だ。しかし、泳ぐ以外に何もない。残念ながらフラダンスやサンセットクルーズを楽しめる程の年齢にはまだ達していないし、ドールのプランテーションや真珠湾に行っても仕方ない。さらに、個人的に日常に出来る買い物をリゾート地ですることは好まない。ハワイの夕暮れはハワイアンブルーの名に相応しく憂鬱だ。やる事を探すのに四苦八苦してしまう。どこのバーに行っても退屈なアロハオエの音楽が響いているし、年上の連中しかいない。日本人がいると思っても、殆どサラリーマン風の中年だ。学生達がパーティーで集うような雰囲気はハワイには皆無である。文字通り、ハワイは若さの無い老人保養地に成り下がっている。

翻して、フロリダを考えたい。遊ぶのならオランドーもいいが、ビーチリゾートといえば、クラシックにマイアミだ。どこまでも続く海岸線。白い砂浜。そして、殆どの人がスペイン語で話している異国の雰囲気。輝く太陽、藍い大西洋、そしてビーチに寝そべるスタイルのいいおねえちゃん達。

マイアミにも老人は大勢いる。アメリカでリタイアした老人達はマイアミに住む。ウェストパーム、ハリウッドからフォートローダデールあたりのビーチ沿い高層マンションは、ジューイッシュの老人で溢れているとも聞いている。しかし、サウスビーチは列記とした学生のためのパーティープレイスだ。昼間は最高のビーチに若者が集う。MTVの収録なども頻繁に行われている。夜になると、スタイルのいい小麦肌のスパニッシュ語を操るお姉ちゃんたちが、薄い服を着て、音楽に合わせて踊っている。そこにシカゴやボストンからやって来た学生たちが混じって、まさにパラダイスである。棲み分けが出来ているというのは、非常に心地よい。サウスビーチは学生。そして北に行けば富裕層。さらには老人用のビーチと家族用のビーチ。ビーチ毎にきっちりと年齢層が分かれている。若者が老人やサラリーマンに混じってがっかりする事はまずない。

東海岸に住んでいた頃、休みごとにマイアミに行った。ニューヨークから南フロリダまでは往復で200ドル程だった。飛行機も2時間半ほど。サウスビーチで泳ぎ、パブに繰り出し、そしてレンタカーでエヴァーグレーズ国立公園に行ったり、キーに繰り出し、ダイビングをする。

残念ながら、現在私はシアトルにいる。フロリダに行こうと思えば、乗り換えの時間も含めて10時間くらい掛かってしまう。しかも飛行機代もかなり値が張る。日本に帰るのとそう大差ないのだ。結局残念ながら、消去法でハワイがバケーションの候補地となってしまうのだ。フロリダにはハワイのようなブルーな音楽はない。常に間の抜けたラテン音楽が響き、そこは遊ぶために作られた場所である。若者たちが集い、若さが漲るバケーション地。手軽な場所にないものか。

12/10/2006

海外の日本レストラン認証制度という馬鹿げた案

農林水産省が今回実施するという世界の和食レストランの認証制度は非常に面白い。誰がこのような馬鹿げた考えを思いついたのか知れないが、このような事に税金が使われるのであれば、断じて反対するべきである。日本にはやたらと認証制度が多いが、政府の雇用を約束するために認証やライセンスを次々と交付している。特に、役人は天下り先を増やす事に躍起であり、そのような裏の背景は絶対に見逃してはならない。一般的に認証やライセンスは、市民生活やビジネスの機会を大きく退かすものであり、社会コストを上げ競争を阻害する以外に何の役にも立たない。日本では、政府や政府系の組織が遂行する認証や資格に基づく試験や手続きなどで、一体いくらのお金を無駄にしているだろうか?一体どれだけの時間を人々から奪っているのだろうか?

海外では和食と呼べないものを出す日本料理店がたくさんあり、農林水産省はそれを憂いているという。確かに、アジア系の人が経営する店には酷いものもある。だから、なんだと言うのか?おかしな料理を出そうとも、美味しければそれで良いし、不味い料理を出していれば店は潰れる。それだけの話だ。政府がでしゃばる隙間は全くない。

日本でも、インチキなイタリア料理、フランス料理、そして中華料理が横行している。本場のものからはかけ離れていると言う意味でインチキではあるが、中にはびっくりするほど良い味の店もあろう。美味しいところはインチキでも残っているし、ブームに便乗した不味いところは潰れていく。そして、料理とは、インチキなものから、次の新しいものが生まれるべきものだ。イタリア政府がわざわざイタリアの税金を使って日本に来て、それらの料理店をチェックするだろうか?馬鹿げている。フランスのミッシュランの例があるが、ミッシュランはプライベートカンパニーで政府ではない。

そもそも、日本料理が何なのかという議論がそもそも抜け落ちている。カリフォルニアロールは日本料理なのか?餃子は日本料理なのか?神戸牛は日本料理なのか?テリヤキは日本料理なのか?全く馬鹿げた議論だ。私に言わせてもらえれば、日本の和食ですら本来のものからは大きく変わっている。例えば、ポルトガル語に起源を持つ南蛮由来の「天婦羅」が日本料理なのか?で、それがどうしたと言うのだ?与太話としては面白いが、根本的には全くどうでもいい話であると同時に、政府が口出しするべき問題ではない。

確かに多くの「本格的」高級日本料理店は、日本から大量に食材や酒を輸入しているようだ。松岡大臣にとっては、日本の農業振興の絶好の機会だと考えるのかもしれない。そういった店に認証を与えることは、日本の誇りだ。たとえ税金が大量に投入されたとしても。松岡利勝は、地元の葱やイグサを護るために、セーフガードを発動したいわく付の人物だ。役人は先ほども述べたが、無駄な組織を一杯作って天下り先を確保したいわけだ。全く持って馬鹿げている。

今回の海外日本食レストラン認証有識者会議メンバーには、「ぐるなび」やJTBの社長も名前を連ねている。本当に面白いプロジェクトであると思うのであれば、政府がやらずに、JTBや「ぐるなび」が自分たちでやればいいのだ。ミッシュランのように。こんなことは、民間或いはNPOがやる事である。このような趣旨に対するスポンサーを募ってするプロジェクトではないか。政府主導でやるという馬鹿げた考え自体がまるで時代遅れであり、時代遅れの権化のような松岡大臣を指名した阿倍首相の人を遣う手腕には正直落胆している。

12/09/2006

イラク戦争の怪

政治的な話は控えようとも思っていたが、昨今のブッシュ政権の路線転換は非常に気になるので、敢えてこの場で言わせてもらう。2007年のセネター(上院議員)から民主党が事実上の議会多数を占めることが決まってからは(49対49だが、無党派のヴァーモント州のサンダースは社会主義にも近い左派、コネチカット州のリバーマンは元民主党)、次の大統領選を意識してか、ブッシュは弱腰外交をスタートさせた。これも政治戦略上の策略であるとは信じたいが、非常に無責任な決断だと思う。

ラムズフェルドが更迭され、元CIA長官のゲーツが新たな国防長官に指名された。民主党は鬼の首でも獲ったかのように、イラク戦争を否定し始める。イラク研究グループは12月6日に奇怪な内容のレポートを提出した。その中で、ジミー・カーターは、ブッシュ政権のイラク政策を否定し、テロリスト国家であるシリアやイランとの対話を薦めている。さらに、イラクの民間兵に後を託して、アメリカはイラクを去るべきであるという意見すら書いている。これはある意味、イラク政策を間違っていたと認めたうえで、白旗を揚げろと言っているような物だ。さらに議会の支持を受けられなかった国連大使のジョン・ボルトンも国連大使の座を去ることは規定路線となっている。無能国連のアナン議長は、これみよがしとイラクは内戦状態であるとマスメディアに話し、世界の世論を反イラク戦争に持っていこうとする。

私は別に共和党を擁護したいわけではない。ただひとつ気になるのは、アメリカの政治の無責任さである。民主党は反ブッシュを叫び、イラク戦争を批判する。しかし、イラク戦争は共和党とブッシュが独自にやっているわけではなく、「アメリカ」がやっているのだという認識が全くない。共和党に全ての濡れ衣を着せて自分たちは責任がないとばかりの態度には、呆れるを通り越して、憤りすら感じる。

イラクに侵攻したことが是か非かを論じることはしたくない。ただ、アメリカを中心とする軍隊は実際にイラクに侵攻し、フセイン政権を転覆させた。侵攻した際の建前上の理由は、イラクが大量破壊兵器を放棄することと、テロリスト勢力を一掃し世界平和を勝ち取ることであった。しかし、イラクに大量破壊兵器は見つけられなかった。そしてフセインを倒したアメリカ軍は、テロリストを根絶させることも出来ず、未だに問題は何も解決していない。それどころか、皮肉なことに、テロリストは以前にも増して増えているし、シリアとイランの二つの近隣するテロリスト国家が、独裁者の元でかつてない纏まりを見せ、力をつけてきた。

世界が思っているように、アメリカのせいでイラクが内戦状態に陥っているのか?違う。テロリストが問題を拗らせているのだ。中東は遅かれ早かれ民主化の道を辿り、世界の一員にならなければならない。しかし、孤立主義に固執するテロリストが実際に人殺しをする。それを軍隊や多国籍軍が鎮圧するのだが、その鎮圧を妨害しようとして、さらにテロが起こる。無知でまともな教育を受けていない人達は、それを全て外国や異教徒のせいにする。外国がやって来たから平和が無くなったのだと。まともなイラクの人間の意見は全くどこにも届かない。イスラエルやアメリカに反対する扇動者や無知な人たちの声だけがニュースに響く。

イラクをまともにしようと思えば、時間がかかるだろう。人々を一から教育しなおさなければならない。イスラムの教義を曲解した人々が、多くの人を殺し、世界から孤立しようとする。たとえば、イスラエルがガザで作った学校では、パレスチナ人たちはパレスチナの子供達がイスラエルの教育を受けることを拒否している。中東では、教育そのものが悪いと信じている人達が未だに多いのだ。アメリカやイスラエルがまともな考えを説こうとしても、中東にいる人々は聞く耳を持たないだろう。まともな議論が理解できるのはまともなレベルに達した人だけなのだ。中東の現状は黒船が来た時の頃の日本と似ているのかもしれない。尊皇攘夷を叫ぶものたちの影に隠れて、私腹を肥やそうとするものや、ただの不定浪士が町を荒らす。しかも、攘夷理論にかぶれた者達がさらに事態をややこしくする。イラクでも荒そうなものを集めて、新撰組でも作ってテロリストを一掃させたらいいのだ。

どちらにしても、ボトムラインは、民主党であれ、共和党であれ、尻拭いだけはきちんとするべきだ。対話が通用しないことが解ってるくせに、中東で対話を持ちかけている国連の議長やジミー・カーターの無能な発言には耳を傾けてはならない。残念ながら、解決方法は、おかしな狭義を伝播する原理主義者を文字通り一掃し、まともな教育の普及をしなければならないだろう。国連が主導するべきだが、多くの国連のメンバーはテロリスト国家であり、機能していない。アメリカがきっちりと警察の役目を引き受けるべきなのだが、問題は他国が血も流さず、金も使わず、傍観を決め込んでいることにある。テロリストを一掃すること無しに平和は訪れないと解っていながらも、フリーランチを求めていることにあるのだ。

12/01/2006

西に美味いピッツアは在らず

シアトルには美味しい珈琲屋が沢山ある。しかしどこを探しても美味しいピッツアを出す店は見当たらない。カリフォルニアも含め、残念ながらアメリカの西海岸では美味しいピザ屋は存在しないようだ。

ピッツアは下衆い食べ物である。故に下衆く食べるべきなのだ。ピッツアの歴史はそう古くない。丁度、今日食べている殆どの料理がそうである様に。ピッツアはナポリの貧民が生み出した料理である。当時は観賞用であり、食べられることがなかった新大陸からやって来たポモドーロ(トマト)をパン生地の上に乗せて、余った食材と共に焼いたものが始まりと伝えられている。ピッツアはまさに庶民食として誕生したのだ。

イタリア移民と共に、ピッツアはアメリカにも伝えられた。新大陸から来たトマトソースが再びアメリカに再輸出されるのは皮肉なことだ。ニューヨークではナポリ風の薄い生地の上にトマトソースやチーズを乗せるニューヨーク・ピッツアが発展していく。一方シカゴでは、厚いパン生地を使ったシカゴ・ピッツアが主流となる。やがて、ピッツアは全米中に普及し、アメリカ人の最も一般的な食べ物となったのだ。私は個人的に、ニューヨークスタイルを好んでいる。

ピッツアは皆で楽しく囲んで、出来立てのアツアツを食べるべきものだ。数人でピッツア屋に行き、直径50-60センチほどのピッツアを注文する。ピッツアが焼きあがるまでは、ビールを飲みながら楽しくやる。やがて、石釜から出来立てのボリュームのあるピッツアが運ばれてくる。とろけるチーズを皆で切り分け、ビールやコーラと共に流し込む。それこそがピッツアであり、そのような雰囲気がある前提で、さらに味の事を吟味するべきだ。舌の上で美味いだけのピッツアはピッツアではない。東京の表参道界隈や、南カリフォルニアのレストランなどでは、イタリア風の小さめの皮が薄いパリッとしたパンチェッタやゴルゴンゾーラなどを乗せた“高級”なピッツアが流行っているが、あれはいくら美味しくとも紛い物である。庶民の食べ物と言うピッツアのコンセプトからはかけ離れた、違う世界の食べ物だ。ピッツアは、友人たちや家族と共に食べるべきである。決して恋人とデートで食べるものではない。

ニューヨークからメトロノースで終点まで行く。裕福なことで知れらているコネティカット州だが、そのニューヘイブンと呼ばれる小さな街は荒れ果てている。中心には大学があり、その付近だけは妙に綺麗だ。裕福さと貧困さが同居しており、アメリカ社会の歪んだ縮図のような嫌な街だ。冬場は気温は氷点下10度くらいまで下がる日もあるし、雪もすぐに積もる。娯楽は殆どなく、楽しみはと言えば、仲間とピッツア屋やマイクロブリュワリー付のバーに繰り出す事だ。街には有名なピッツア屋が数店ある。人気のあるピッツア屋は常に混んでいる。雪積もる寒空の下、半時間は待つ覚悟が必要だ。ボストンビールのサミュエルアダムスを注文する。クラムのホワイトソースピッツアなる物があるが、これはお勧めできない。クラシックに、イタリアンボンバーを頼む。トマトソースベースのピッツアで、カナダベーコン、イタリアンソーセージ、数種類の野菜が乗っている。勿論、上にはとろけるチーズがたっぷり。石の釜から取り出されたアツアツのピッツア。皆で揃って楽しく食べるには最適だ。

ビール、ピッツア、そして友人たち。東海岸に置いて来た物を、暮らしやすいシアトルの地で思い出す。地獄のような街だったが、時間が経つとそれもまた懐かしくなる。シアトルには雪が積もり、雪を見ているとニューイングランドで過ごした日々を思い出した。妙に美味いピッツアが食べたくなった。しかしこの街では美味いピッツアがないのだ。

Modern Apizza
874 State Street
New Haven, CT

雪に埋もれた街とデイアフタートゥモロー

シアトルは西岸海洋性気候に属する。つまりアイディアは、一年を通して常に西から吹いてくる偏西風に気候が影響を受けているということだ。西には海があり、一年を通じて温度の変化が小さい。シアトルには四季が無く、大きく分けて、晴れ渡った夏と、雨が降り続く冬があるのだ。

夏には太陽熱で陸の温度が上がり、温度が低い北の海では上昇気流が発生しにくい。風は晴れた海の方から流れてくるので、雲も無く晴れ渡った晴天が毎日続くことになる。逆に冬場は、凍てつく陸に比べて海の温度の方が高くなり、上昇気流が発生しやすくなり、雲が発生する。その雲が偏西風に乗りシアトルに吹き付けてくるので、シアトルは常に雨が降る訳だ。ただし、シアトルの東部にはオリンピック山脈が聳え、ある程度の雨はオリンピックの東側(太平洋側)で落ちてしまう。その後、空気が山を越えてピュージェット湾の方向に進む際にフェーン現象が起きるため、シアトルでは冬場でも緯度の割には比較的温暖(4~10℃)で、霧雨のように細かい雨が降り続くことになるのだ。シアトルの冬は、毎日曇っており、霧雨が降る。

昔ヨーロッパの小説を読んでいる時に、良く解らない文面に直面した。ロンドンやドイツの街が舞台の小説では、秋になってくると天気が悪くなり、主人公が憂鬱になって来る事がよくある。大阪で育った私には全く意味が解らなかった。何故なら日本の太平洋側では、秋と言えば気温も涼しくなり絶好の行楽日和であるからだ。日本で秋になって気分が滅入る人は、プロザックでも飲まなければいけないほど深刻な人だけだろう。では、何故北ヨーロッパでは皆秋になると鬱になるのか?

その答えはシアトルで出た。シアトルも北ヨーロッパの多くの町と同じ西岸海洋性気候だ。夏が過ぎると、寒い雨季がやってくる。シアトルでは文字通り冬場に太陽は出ない。永遠に小雨が降り続く。夏が終わると人々は鬱になり、エスプレッソ・コーヒーを愛で、インターネットの世界に逃げるようになるのは当然の帰結であろう。シアトルを含むワシントン州が全米一の自殺率を誇るのも、このあたりの話で説明されている。

感謝祭明けの月曜日、大変なことが起こった。昼過ぎから雪が降り始めた。当初は地面に落ちた途端に溶けていたのだが、夕方になり急激に気温が下がり路面が凍結し、さらに激しく雪が降ってきた。直ぐに街はすっかりと雪に埋もれてしまった。私はシーホークスのマンデーフットボールを見ようと楽しみに帰路についたのだが、雪の中を待てど暮らせどバスが来ない。暫くすると、ある人が「この路線は坂道があるので動いてない。他のバス路線なら動いているはずだ。」と言うので、雪が降り積もった中を1キロほど移動する。そこでもバスが中々来ない。結局二時間ほど待ち、漸くバスが来る。いつもなら二十分で着く道を1時間かけて帰る。途中、3件の事故を目撃した。完全にひっくり返っていた車さえあった。夜半前、漸く家に辿り着く。寒かったとは言うものの、厚めの手袋とスキーウェアを着用していたのは不幸中の幸いであった。

I-5(西海岸の主要高速道路。バンクーバーの南からサンディエゴまでを結ぶ)は雪でタイヤを取られた車の駐車場と化していたし、多くのフットボールの観客たちは家まで辿り着くことが出来なかったようだ。シアトルは基本的に雪が降らないため、雪に対しては無防備だ。以前、東海岸の町に住んでいたときは、雪が始まる前には除雪車がスタンバイしており、住民が歩道に凍結防止剤を撒いていた。シアトルにはそのような準備は全く無い。マイナス8度ほどまで気温が下がった。シアトルでは計測を始めて以来の最低気温のレコードだという。

雪の中で長時間待ち、バス停で他の人達と空を愚痴り、ひっくり返った車を見ていると、脳裏に陳作映画、デイアフタートゥモローが浮かび上がってきた。昨今、異常気象がメディアに取り上げられ続ける。ランダムに異常があるのはまさに正常であるのだが、自分が酷い目にあってみると、地球温暖化の影響なども責めたくなってしまうものだ。

11/25/2006

四川料理を楽しむ


感謝祭に七面鳥を作った話をしたが、三日経った現在、いまだ半分も終わっていない。部屋中に七面鳥の脂の臭いが漂い、吐き気すらする。仕方なく七面鳥の焼汁と肉を使って、シチューとカレーの二品を拵え冷凍した。気分が悪くて仕方ないので、美食の話に移りたい。

一般的に多くの中国系の人に最も人気がある料理は、四川料理であろう。川菜と呼ばれており、八大菜系の一つである。説明するまでもなく、四川料理は「辛さ」を売りにしており、麻婆豆腐などが代表料理として挙げられよう。辛いだけと思われがちだが、上品さも兼ね備えている。酢などを駆使して、甘酸っぱさを出したりもするのだ。代表料理と言えば、宮保鶏丁(鶏とカシューナッツのぴり辛炒め?)、青椒肉絲(チンジャオロースー)、回鍋肉(ホイコーロー)などであろう。

広東料理と比べると、四川料理はかなり高級感があり、値段も張るというイメージがある。最近では、地域色を前面に出した中国料理のレストランは少なくなったと言うものの、看板に四川料理を掲げている店はやはり高級店が多いように思う。私は四川省には未だ足を運んだことがあらず、一度本場の味を食べてみたいと思っている。次の中国への旅では、何とか理由を見つけて成都か重慶(現在は四川省からは独立して直轄市である)に行ってみたい。

北京でかなりレベルの高い四川料理に巡り合った。それはやはり比較的高級店であった。建国門路と東三環にある北京中国大飯店(チャイナワールドホテル)には国貿商城という高級ショッピングモールが隣接する。ルイヴィトン、ジバンシー、カルティエ、ラルフローレン、プラダ、ヒューゴボス、フェンディ、ケンゾー等いかにもなブランドの店が目白押しだ。ちなみに、実際にブランド品を買っている客の殆どは外国人であった。外国マネーと失業率を低く抑えるために人為的に操作されえいる中国経済の話はまた何時の機会かにおいておいて、とりあえず、その二階にある四川料理のレストランに入る。

料理よりも値の張る龍井茶を注文し、やがて料理が運ばれてくる。熱い胡麻油が運ばれてきて、その中に服務員が牛肉や野菜を放り込む。サラダも、服務員がその場で棒棒鶏ドレッシングをカクテルして提供する。非常に面白い。コールドディッシュも歯ごたえを残したクラゲにピリ辛ソースがなんとも言えず繊細だった。何よりも驚いたのが宮保鶏丁。この料理は世界どこでも食べられるのだが、こんなに繊細な宮保鶏丁を食べたのは初めてだった。きっちりとした甘酢にでしゃばり過ぎない辛さを絡めた秀作だった。

食後は豆花。服務員が豆乳を持ってきて、焼け石を中に入れ豆乳を暖かくし、直ぐに取り出す。蓋をして数分経てば、豆乳が固まっている。そこに、ピーナッツ、蜂蜜、韮ソースなどの中からお好みのものをトッピングとして載せる。豆の味がはっきりと出ており、非常に美味しかった。

余談だが、横浜にある四川料理を売りとするどこぞの店もそうだが、日本では四川料理にケチャップがふんだんに使用されている。私がこのレストランを評価する理由の一つが、ケチャップや化学調味料に頼らずに繊細な味を保っているという事実であると言うことは、特筆に価しよう。

俏江南四川餐庁 (サウスビューティーレストラン)
建国門外大街一号 国貿商場2階 L220
中華人民共和国 北京市

11/23/2006

感謝祭のターキーとクランベリーソース


11月の第4木曜日はアメリカの感謝祭である。感謝祭はサンクスギビング・デイと呼ばれており、アメリカではクリスマスに匹敵する大きな祭日だ。多くの人々は実家に帰り、家族と共に神に感謝をして夕食を食べる。語弊があるかもしれないが、日本で言うところのお盆のような雰囲気であると言えばいいだろうか?感謝祭が終わると直ぐにクリスマスが来るので、アメリカでは文字通り「盆」と「正月」が一遍に来るのだ。因みに、アメリカの小売店の売り上げの半分はこの一ヶ月の間に集中するという。

一般的なサンクスギビングの日のスケジュールを紹介しよう。水曜日の朝の飛行機で実家に向かう。渋滞した高速道路を家路に急ぎ、その日は床に着く。概して北部の天気は悪い。雪や雨が降り続くのだ。翌朝10時、七面鳥にバターを塗り、お腹の中に細かく千切ったパン、セロリ、玉葱、人参を混ぜて詰め(スタッフィングと呼ばれる)、オーブンの中に入れる。ソファーに寝転び、借りてきたDVDを見ながら退屈に過ごす。そのうちアメフットが始まる。暇をもてあまして、家族でダラス・カウボーイズの試合とデンバー・ブロンコスの試合を、プリッツエルを齧りながら見なければならない。オーブンに入れている七面鳥からはジュースが一杯あふれ出しているので、時折その汁を刷毛で満遍なく七面鳥全体に塗る作業は決して怠ってはならない。午後4時ごろ、七面鳥が焼きあがる。感謝祭の日のディナーは早いのだ。

感謝祭には七面鳥の丸焼きが必ず出される。通常、ターキーには、二種類のソースが用意される。一つはグレービーソースであり、もう一つはクランベリーソースだ。グレービーソースは、七面鳥の焼き汁をパンに移し、首の肉、レバーと砂嚢のミンチを入れて煮込み、仕上げにとろみを付けた物である。日本でも良く食べられる味だ。クランベリーソースは、日本ではツルコケモモと呼ばれているクランベリーに砂糖を加えて煮込んだジャムのような物である。クランベリーソースとターキーの組み合わせは絶妙だ。日本人では好き嫌いが解れてしまうかも知れないが、肉と甘いジャムの組み合わせは以外にも良く合う。西洋料理には、果物を使ったソースが良く登場する。フランス料理の鴨ロースとオレンジソースなどが有名だが、やはり日本料理でこの手の組み合わせは滅多にお目にかからない。

個人的に砂糖が日本料理を殺したと信じている。砂糖は南蛮のものであり手に入れるのは難しかったため、昔の日本人たちは甘さを他のものに求めていた。それは味醂であったり、白味噌であったのだ。やがて、甘さを抑えることに美徳を見出し、それが食の文化となった。そのような背景があるせいか、砂糖が氾濫している現在においても、甘さに対して過敏に拒否反応を示す日本人は多い。私もその一人だった。しかし、アメリカに長くいると、やがて甘いものに慣れ親しんでしまったし、素材の味を壊さなければ、多少の甘さは逆に歓迎している。

今年の感謝祭は、残念ながら人の家に行く事が叶わず、自分で七面鳥を作る羽目になってしまった。先ほどスーパーで買って来たのだが、約20ポンド(9キロ)ある。オーブンに入れて6時間ほどは軽くかかりそうだ。一体何時になったら食べ切れるのか?衝動的な行動に、反省の念にかられている。クランベリーソースも鍋に一杯用意したのだが、果たして終わるのだろうか?来週は毎日、クランベリージャム入りのターキーサンドイッチを弁当として持参することになりそうだ。

現在、七面鳥をオーブンに入れてから約5時間が経ち、いい色に仕上がってきた。人気が消えた街はゴーストタウン化しており、歩いているのは身寄りが無さそうなアジア人だけだ。

11/17/2006

時差ぼけソニックスと鈴木一朗

今年もNBAのシーズンが始まった。我がスーパーソニックスは、スターバックスの社長ハワード・シュミッツからオクラホマの投資グループに売却されたというものの、基本的には何も変わっていない、と願いたい。オフの話題は、クリス・ウィルコックスの契約延長問題。それもスムーズに決まった。シアトル市とスーパーソニックスが交わしているキーアリーナの法外な契約問題は未だに解決しておらず、シアトル市内のキーアリーナからシアトル郊外のベルビュー、或いは州外に移転するという噂は喧しく鳴り響いているが。

さて私は中国に外遊していたため、NBA開幕直後の数試合を見逃した。二週間ほどが終わっての感想は、未だに様子見で、鳴かず飛ばずと言った所か。ソニックスは暫く東海岸でアウェーを闘い続けていた。シャック・オニール不在のマイアミ・ヒートに対してはデュウェイン・ウェイドとハズレムに第四クォーター終了ギリギリのところで逆転されて惜しい星を落とした。続くオランドー・マジック戦ではヒードゥー・タゴールのブザービーターに惜敗した。肩を落としていたのも束の間、アダム・モリソンが加入したシャーロット、好調アトランタ・ホークスを敵地で連覇。ビンス・カーターとジェイソン・キッドの二枚看板がいるニュージャージー・ネッツには、ルーク・リドナーの活躍もあり、一時は20点差以上の大差をつけて圧勝した。

3連勝でホームに戻ってきて、16日のフィラデルフィア・セブンティーシクサーズ戦が私にとって今期初めてのキーアリーナでのバスケットボール観戦となった。期待を胸に応援していた、が、あれれ。試合開始直後から凡ミスが続く。前半は結局36点しか点数が入らなかった。チーム平均で100点以上取っているソニックスなので、普通に考えると50点ほど入れなければならない。相手のディフェンスが特別良かったようにも見えない。確かに、シクサーズは背が高くてインサイドは固かったような気もした。しかしどちらかと言うと、こっちの凡ミスでやられた感じだった。特にビッグマンたちが話にならなかった。ニック・コリソン、ダニー・フォーツォン、クリス・ウィルコックス、ジョアン・ペトロ。パワーフォーワードとセンターの4人で合計13点ではお粗末過ぎる。ラシャード・ルイスも、レイ・アレンも、ルーク・リドナーも最終的には20点強を入れているが、うっかりしたターンオーバーをしたり、気が急いて無駄なショットを撃ったりで、見ていてイライラした。敵ながら、アレン・アイバーソンはやはり上手かった。もう一人のAIこと、アンドレ・イグオダラもいい選手だ。しかし、クリス・ウェーバーがNBAで全体の二番目に多い給料を貰っているのは文字通り給料泥棒だと思う。

後から知ったのだが、月曜日のニュージャージーの試合後、ソニックスは直ぐにチーム専用の飛行機に乗ってシアトルまで帰ってきたらしい。シアトルに到着したのは午前3時という事だった。北米大陸を横断するのは意外と辛い。東から西までは6時間弱、西から東は5時間弱ほどかかる。しかもボーイング737クラスより小さい飛行機で横断すると、結構揺れてくつろぐ事は出来ない。東海岸と西海岸は時差が3時間あるが、これも曲者だ。かなり体に堪える。さらに蛇足だが、コリソンは昨年娘を儲けて結婚もした。長いロードからシアトルの家庭に帰ってきて余程嬉しかったのだろう。試合での府抜けたコリソンは見るに耐えなかった。

試合には負けたのだが、一つ面白いことがあった。イチローが試合を観戦していたのだ。イチローさんは余程バスケが好きなのか、しょっちゅうキーアリーナでお目にかかる。試合が余りにも面白くないので、双眼鏡でイチローを観察していた。イチローは弓子夫人と、もう一人の日本人男性(良く見るが球団の関係者か?)と一緒に試合に来ていた。イチローは試合中、ずっとその男性と談笑していた。見たところ、全く弓子夫人とは会話をしていなかった。第4クオーターも終わりに近づくと、弓子夫人は鞄を手にして帰りたそうな素振りを見せていたが、イチローさんは意に介せず、最後のホイッスルがなるまで談笑を続けていた。しかし、他の日本人選手が皆日本に帰ってしまっているのに、イチローさんは雨のシアトルに残って何をしているのだろうか?愛犬・一休の散歩でも楽しんでいるのだろうか?もしかすると、余程日本が嫌いで、帰りたくないのかもしれない。イチローさんは試合中に場内アナウンサーに紹介されていた。しかし、日本のように騒がれて写メールを撮られるということもない。こちらではある程度のプライバシーはある。シアトルはイチローにとって落ち着く場なのかもしれない。しかし、イチローさん、この不甲斐ない試合には何を思ったのか?

まあ、本日は試合が面白くなかったために、戯言ばかりを並べたが、またキーアリーナ観戦は報告しよう。

11/15/2006

北京烤鴨


私は北京人に対してあまりいいイメージを抱いていない。今まで出会って来た北京出身の人達は、例外なく何か鼻にかけるようなところがあり、余りいい印象を私に与えてくれなかった。私は大阪人であり「金に汚い」為、伝統としきたりを重んじる北京人とは馬が合わないのかもしれない。同じくプラグマティックな台湾人や上海人とは妙に上手く馴染むという事実もある。優雅なふりばかりをし、他人を小馬鹿にする京都人やニューイングランドの連中にも余り良いイメージが無いので、このステレオタイプだらけの低劣な仮説も、あながち間違いではないのかもしれない。私が北京出身のエリートばかりと接して来た為、サンプルに問題があったのかもしれないが。

空路で北京に着いたとき、上述した北京人に対する悪いイメージや、政治的な理由などのせいで、やたらと身構えていた。まるで敵の本拠地に来た様な気がした。北京訛りの巻き舌の中国語を聞く度に身が強張った。しかし、タクシーで建国門路と東三環が交錯する中国大酒店に近づくと、私の強張りも徐々に取れてくる。世界には素晴らしい楽園が余り無いのと同様、思っている酷い街も少ないのだ。砂埃かスモッグで覆われているとはいうものの、街は結構綺麗だ。自転車は全く走っていないし、公安が数メートルおきに立っているといった雰囲気もない。人民服を着ている人など皆無である。映画の世界で触れていた北京の街とは大きく違った。さらに嬉しいことに、北京は中国の他のどの街よりもアジアの大都市の雰囲気を持っていた。オリンピックのせいか、街中が文字通り建設中で、いかにも発展しているぞ、という感じがする。余り事情を知らない人が見れば、まんまと騙されてしまうかも知れない。

北京では全聚徳が北京ダックの店として有名だが、今回は地元の人の勧めもあり、大董烤鴨に行った。この店は鴨を注文してから出てくるまでに40分くらいかかるので、燕京ビールで喉を潤わせ前菜を楽しむ。私のお勧めは、フォアグラだ。トリュフに似たキノコのソースをかけたフォアグラが、日本円にして1000円程で楽しめる。濃厚なフォアグラの味は、一緒に行った北京の人達には評判が良くなかった。そして松鼠魚。基本的には糖醋魚の一種なのだが、良く解らないが頭と尾が上を向く様子がリス(松鼠)に見えるという。身に切れ目を入れ、深く揚げる事により魚の身がまるで松笠のように見える。香ばしく、上品でお勧めの一品である。

ついに北京ダックが完成だ。時間をかけてじっくりとローストされた綺麗な光沢のあるこんがりとした鴨を我々に見せに来てくれる。そして、適当な大きさにカットする。店によると北京ダックには3種類の食べ方があるらしい。しかし、普通は小麦で作った麺(皮)の上に、北京ダックを数切れと、白髪葱と甜面醤を載せるのがスタンダードだろう。この店の北京ダックは脂が少なかったし、それを売りとしている。これは、北京の人に言わせれば上品であるらしい。しかし、プラグマティックな人に言わせればパンチが足りないとも映ろう。

北京ダックは確かに美味しい。素晴らしい技法を用いていることも良く解る。しかし、私はどうしても、ファーストフードの感覚が捨てきれない。まるで、ブリトーやラップ、或いは手巻き寿司のような感じがするのだ。甜面醤の味が常に勝ちすぎてしまうのも、ファーストフードっぽい。レストランでは北京の人達が巻き舌の中国語で会話している。一緒に行った北京人たちは、料理のディスプレイや店の雰囲気の良さを強調する。味よりも見た目にこだわる、北京人の執念のようなものを感じた。それこそが文化であり、文化は大衆のレベルできっちりと残っていた。

大董烤鴨
北京市东四十条甲22号南新仓国际大厦1~2楼

11/12/2006

食は広州に在らず。


今回の中国旅行で最も落胆したことの一つが広州での食べ物である。「食在廣州」と言われるが、あれは真っ赤な嘘だった。私は香港が大好きであり、香港で食べる広東料理が広州でも食べられるものであるとばかり信じていた。しかし、実際は、広州の広東料理は、あまり洗練されておらず、香港の味とは程遠いものだった。また、個人的な話ではあるが、広州を一緒に旅した中国人二人が北京人であったため、全く広東料理を知らず、かなりレストランで苛立った。

広東省は粤(えつ)の国と言う別称を持ち、近辺で出す料理のことを「粤菜」と呼んでいる。勿論、香港における料理も、粤菜をもとに発展してきた。だが英国の占領下に置かれて、積極的に外国の食材や中国全土の料理法を取り入れてきた港式料理は独自の発展を遂げている。所謂ヌーベルシノワなどを中心に、ワゴンで運ぶスタイルの飲茶を開発させたことなど、香港が中国料理の貢献に深く寄与した事実は決して過小評価されてはならない。

香港の味は、香港で食べるのが一番良いだろう。サウスチャイナモーニングポストを売店で買い、尖沙咀(ティムシャーツイ)の飲茶の店で点心を摘みながら、跑馬地(ハッピーバレー)の今夜の馬柱を研究する。リゾートではないが、最高のバケーションだ。

しかし港式料理はいまや世界中に拡がっている。中国全土にすら徐々に拡がっている。特に、北米には、かなり多くの香港移民たちが住んでおり、港式料理の餐店を経営している。ここシアトルでも、手軽な港式飲茶が楽しめる。北米では、港式飲茶はDimSum(広東語で點心)と呼ばれている。NFLのシーホークスの試合がない日曜日の朝、高速道路で一路ダウンタウンの南に位置するチャイナタウンへ。日系スーパー宇和島屋の地下に車を停める。チャイナタウンはアメフットの球場近くにあるので、試合の日は道が混雑するので気をつけたい。紀伊国屋で雑誌をチェックし、ジェイドガーデン(翠苑)に向かう。人が混雑しているので、係りの人に人数を告げる。昔はトップガンという、もう一軒まともな飲茶の店があったが、クレジットカード詐欺を働き営業停止を喰らった。現在、チャイナタウンで美味しい飲茶の店はここだけだ。

席に通されたら、即座にスタンダードな「香片(シャンピエン)」を注文する。香片は安物の茉莉花茶(ジャスミン茶)である。個人的に、これが一番脂っこい点心には合うと思っている。普洱菊花茶も悪くないが、これは好き嫌いが分かれるところだろう。

後は、ワゴンで運ばれてくる點心を注文するだけだ。蝦餃、燒賣、排骨(スペアリブ)、鳳爪(鶏の爪)、叉燒包(チャーシューまん)に蘿蔔糕(ダイコン餅)。悪くない。お勧めは蝦を甘いマヨネーズで和えてクリスピーな胡桃を乗せた鳳梨蝦球。最後は、芒果布丁(マンゴープリン)でしめる。お腹一杯になっても一人10ドルもしない。飲茶は人数が多ければ多いほど楽しめるし、安くなる。

食後は、宇和島屋で日本食材を物色して、駐車場券に穴を開けてもらう。最高の日曜日だ。結論は、「食不在広州、在香港。」美味しいのは、広東料理の飲茶ではなく、港式飲茶なのだ。まあ、そのうち、バンクーバーの美味しい港式飲茶の店も紹介しよう。

Jade Garden (翠苑)
424 7th Ave S
Seattle, WA 98104

11/11/2006

Googleの可能性

ここで、このブログの目的をはっきりさせたい。私は、別に思想趣味に興じて、うがった文章を週に二度ほど更新しているわけではない。ましてや、友人などとのコミュニケーションの手段としてこのブログを利用している訳でもない。このブログは、グーグルとブログ(Blog)の可能性を探るための実験の場である。私は、なるべく、多くの人が理解でき、興味を抱く内容をブログにすることにより、一人でも多くの人を私のブログに誘おうとしている。 同時に、GoogleAdSenseを通して、広告を出し、利潤の可能性をも調べている。もしあなたにとって興味がある広告を目にすれば、是非ともクリックしていただきたい。そして、GoogleAnalyticsにより、どの地域の人が、何度ほど、どのようなキーワードやウェブを通して、私のブログを訪れているかをチェックしている。勿論、これは商業目的ではなく、純粋な好奇心を満たすための実験である。

実験を行ううえで確認したことの一つに、Googleを用いる以上、なるべく固有名詞を文章に散りばめるのが戦略上良いという結論に至った。最近、野球や競馬の話題を散りばめて、個人名や固有名詞を多くしたところ、ヒット数が急激に増えた。当初は、食事の話題ばかりをして、一般的な言葉ばかりを使っていたため、全くヒットが無かった。これは非常に有意義な発見だろう。今後も食の話はテーマの要とするものの、私の愛するスーパーソニックスや、アメフットの話題も投稿していきたい。逆に言うと、私はK戦略というよりもr戦略を取っており、少しでもダイバーシファイしたポートフォリオとしての記事を提供するというポジションを取った。故に、あなたにとって余り興味がない話題が続く可能性もあるが、ご容赦いただきたい。

さて、グーグルの話題について、深く考えたい。私はグーグルを一日に50回くらいは利用する。つい十年ほど前まではグーグルなど使わなかったはずだが、その頃自分は一体どうやって生活していたのだろうか?それほど、グーグルは私の生活に密接している。日本の友人は、あまりグーグルを使っていないらしい。どちらかと言うと、ヤフーで検索している人が多いようだ。私は仕事上、英語と日本語の二通りでグーグルを利用する。しかし、英語と日本語によって、検索の仕方が全く変わってしまう。英語であれば、思いついたキーワードを並べれば大概の信用に足るウェブサイトに行き着く。しかし、日本語でグーグルを用いるのは、ある意味で難しい。あなたが、パーフェクトに固有名詞を知っていればグーグルは最強の武器であることに変わりない。しかし、固有名詞が解らずに調べ物をするとき、日本語版のグーグルは問題を孕んでいる。一つ目として、日本で信用に足るウェブサイトが相対的に少ないことがグーグルの能力の限界に深く関わっている。ブログや2chなどの便所の落書きのようなウェブが必ず上位に食い込み、仕事にならない。そして何よりも、一番大きな問題点は、日本語の表現方法が多岐に渡っていることだ。一つの言葉に対して、ひらがな表記、漢字表記、外来語表記、おくり仮名の違いなどにより、数通りの表記法が存在する。しかも、単語数がやたらと多いし、標準の言葉が何かが解らない。一つのものに対して、表現方法が多いことは日本語の美しさだ。しかし、英語を念頭において作られたグーグルでは限界が存在するのも確かだ。グーグルが、日本で検索機能を追及するのであれば、以上の二点を改良する必要があろう。

話が長くなったが、そんな素晴らしいグーグルが自由に使えない国がある。中国だ。当初私はこのブログを自由に閲覧できた。しかしながら、大連が日本の植民地であるという記事をアップロードした瞬間、私は自分のホームページにアクセスできなくなった。例のキーワードによる検閲なのだろう。その後、グーグル自体にアクセスできないことが続く。たまに使えても、微妙なキーワード検索は全くヒットしない。非常に腹立たしいし、このようなウェブ空間を使っている中国人民たちが憐れでならない。中央政府は洗脳の手段としてウェブを利用したいのだろうか?一部の言葉を規制されている現状では、商売や勉学などの妨げになることは目に見えている。私たちは、情報化社会に足を踏み入れ、その恩恵に預かろうとしている。脱産業化の情報化社会では、溢れた情報の中から有意義なものを選び、加工し、分析する能力が物を言うようになるはずだ。そのために我々は教育を受けるし、その情報の多さのお陰で社会はもっと発展するはずだ。しかし、それは、今まで情報を管理することで力を握っていた中央政府や団体などの寺銭業で生業を立てていた人達の存在意義を脅かし、力と金を剥ぐ結果となろう。我々はいずれにせよ、情報化社会に足を踏み入れている。いくら、まともな情報をウェブ上に載せることを怠ろうと、中国政府のように情報をアクセスすることを邪魔しようと、社会の流れは変えられない、逆に、そのような嫌がらせは、自国の競争力を押し縮める事になるだけであるということを、グーグル前夜の社会で力を持っていた人達は認識するべきである。

11/08/2006

大きなバンクーバー、上海

私の予想を裏切り、セントルイス・カージナルスがワールドチャンピオンになった頃、私は上海浦東空港に降り立った。上海はマスメディアでもグローバリゼーションの代名詞のような街として取上げられ続けているので、期待を持っての上陸であった。

しかし、期待は大きく裏切られる。上海の煌びやかなイメージとは裏腹に、空港から都心までの道程は、光さえも無いほど暗いものだった。都心に近づき、摩天楼を拝んだ時、私の脳裏に翳んだ比較対照の街はニューヨークでも東京でも香港でも、大阪や台北やソウルですらなかった。上海の浦東の街並みは、何故かバンクーバーを思い起こさせた。人工的な雰囲気だけが際立ち、アジア特有の臭いが街から感じられないのだ。

妙に豪華なホテルで休息し、朝起きて町に出るとその考えはもっとリアルなものになる。台北や香港のようなごちゃついたイメージを想像していたのだが、屋台も余り見当たらないし、人も想っていた程は多くなかった。道が広々としているのでそう感じるのだろうか。通りには店は少なく、一軒一軒が結構大きい。まるで、表参道のような雰囲気の店が並ぶ。店はきれいだし、聞いたことがないブランドが並んでいるとはいえ、豪華である。ショッピングモールは、北米西海岸の新興都市、やはりバンクーバーのような雰囲気を髣髴とさせる。妙に広々としており綺麗に作られている。そして、時たま、妙に派手なネオンサインが、まるでラスベガスのように輝いている。

上海のお金持ちの生活の質は北米並みかもしれない。居住空間は計画的に緑が散りばめられており、広々としている。上海の町中では貧しさは感じられない。皆垢抜けているように見える。だが、歩いて行動するにはタフな町だ。車かタクシー移動でなければこの街は楽しめそうにない。

街の外に出ると、一気に雰囲気が変わり、泥臭くなる。舗装されていない道にビリヤードテーブルを置き、人々が遊ぶ。家の外に置かれたテレビに人々が群がる。この街は何かが歪んでいるが、その歪みをも消し去ってしまうほど、街に勢いがあるのも確かだ。確実に訪れる明るい未来に対して、人々の期待は膨らんでいるのだろう。右肩上がりの社会では、人々は貧しさなど感じている暇もない。生活の質は、昔と比べて格段に良くなっているのだから。そして、情報を遮断されている人々は、自分たちの小さな街にシャングリラを見い出してしまったのだ。

私は自分が生まれる前の日本のことを考えた。万博を開催した頃の大阪は、果たして現在の上海のような感じだったのだろうか?当時の大阪の方が現在の上海よりも発展していたのではないだろうか?だが、日本の発展モデルで上海を見るのには無理がある。中国は日本の経済モデルを採用していないからだ。外国人のお金で上海の経済は回る。いくら新しい街だとは言え、古きものの面影もない。そして、上海に住む人々が夢見るのはアメリカ人の生活だ。人々は文化も伝統も省みず、プラグマティックな物を得ようと必死にもがく。まだまだ時間がかかるのだろう。やがて、上海の人達は自分たちが犯した間違いに気づくのだろう。残すべき文化を軽んじ、健康を犠牲にし、そして先進国のお尻の穴にキスをした事を。しかし、上海がそのレベルに達するのは、何十年も先のことだろう。この国は、まだまだ時間を必要とする。アメリカの物真似で作ったビル群の向こうに、大気汚染のせいで真っ赤に染まった夕日が沈んでいく。まだまだ時間を要するだろう。

11/03/2006

日本の植民地、大連


更新が滞っているが、別にサボっている訳ではない。私は現在中国を回っており、ブログを更新する機会に恵まれない。10日ほどで、東京も含めて5都市を回るという多忙なスケジュールをこなしており、インターネットを開けようとも、腰を落ち着けて文章を書くというのは難しい。

私は以前に香港から日帰りで深圳を訪れたことがあるとは言うものの、今回が事実上始めての大陸中国詣でである。毎度のこと、結論から先に言うと、中国は良く解らない。ただ一つ、確実にいえることは、まだまだ時間がかかるという事だ。

現在、大連にいる。元々日露戦争に勝利した日本の満州進出の足がかりの街として発展してきたという理由からか、日本的な趣が残っている。街の中にたたずむ古風な建物は、銀座などの日本の古めの洋風建築である。贔屓目に見ると、神戸に似ているとも言える。日本語を喋る人も結構いる。華南に比べてトイレが綺麗な事も、日本が植民地として治めていた事に起因するのかもしれない。1940年代以前の世界に思いを馳せる。

時は流れて2006年。大連は未だに日本の植民地だ。郊外には日系の合弁会社が連なる。制服を着て、朝礼を受け、ラジオ体操する工場員達。宿と食事は保障されているとはいえ、一ヶ月殆ど休みも無く1000元(一万五千円)ほどで働いている。大連から運ばれる殆どの品物は日本海を渡り、量販店やホームセンター、或いはショッピングモールに運ばれる。

ホテルでは、年配の日本人が、若い中国東北の背が高い色白の女の子を連れて、一緒にエレベーターに乗っている。たどたどしい日本語を喋る中国人の女の子と、へらへらしながら喜んでいるおっさんのコントラストは、余り気持ちの良い物ではない。私がこのブログを書いている最中に、電話が鳴り、マッサージの勧誘を受けた。このホテルはファイブスターの筈なのに。

別に私は良い悪いを論じる気は無い。冷静に考えると、現状は恐らく、仕事が無い貧しさよりはずっと良い筈である。私が論じたいのは、結局、大東亜戦争を経ようと、共産党政権が支配しようと、社会環境がそう変わるものではないということだ。中国は物凄い速さで発展しているという。確かにそれは最もな視点である。が、未だに比喩的な意味での植民地なのだ。中国脅威論などが世間では罷り通っているが、かと言って、10年以内に世界の順序付けが変わってしまうというような問題では無さそうだ。大連郊外。馬車やオート三輪が砂煙を上げながら行き交う未舗装の道路を、警音を響かせながら走るバンの後ろの座席に座り、私は物思いに耽る。早くシアトルに帰りたい。

10/21/2006

マリナーズが勝てない理由


シアトル・マリナーズを愛する者として、昨今の不甲斐なさは非常に腹立たしい。マリナーズがメジャー記録の116勝をあげ、破竹の勢いだった2001年にはセーフコフィールドに頻繁に通ったものだが、今シーズン私は2度しか球場に足を運ばなかった。実際に、ESPNのアテンダンスレポートの統計によると、セーフコフィールドは2001年には平均4万3300人の観衆を収容し、メジャー30球団中1位であった。2002年は93勝したものの、アメリカンリーグ西地区で3位に終わりプレーオフ出場は出来なかったが、前年の余波を残し収容観衆1位(43739人)を記録維持した。2003年はヤンキースに首位の座を明け渡し、2位に陥落(40351人)する。そして、2004年は10位(36305人)、2005年は12位(33619人)、2006年は15位(30626人)と凋落していく。何故そんなことになったのだろうか?やはり勝たないチームを見に球場に行っても面白くないのだ。

勝たないのはマリナーズが弱いからだろうか?そう結論付けるのは簡単だが、実際の問題はそうではないだろう。マリナーズの資金力が乏しいという人もいるが、実際マリナーズはメジャー球団中9位のサラリーを支払っており、そう悪くはない。負け体質になっている、リーダーが不在だ、などと言う人もいる。だが、私が思うに、一番の問題はアメリカンリーグの西地区の他球団が強すぎるのだ。

オークランド・アスレチックスは地味なチームだ。チーム打率は話にならないくらい低いし、ジトーやストリートがいるものの防御率も4点台で及第点ではあるがまあまあだ。なのに、勝ち続けるのだ。このチームは徹底的に統計を使うと言われている。選手の能力や相手選手の弱点を、コンピュータで統計学的知見を駆使し、徹底的に洗い出しているという。年棒に見合わないスター選手はどんどん放出する。相手選手の投げる球の確率や、特殊な状況下での作戦なども全て確率を知っているという。これがシーズン中盤からアスレチックスが急に強くなる原因であるらしい。選手を信じて単純な野球をするマリナーズは、今季アスレチックス相手に大きく負け越した。

ロスアンジェルス・エンジェルス・オブ・アナハイムは、2003年にオーナーがウォルトディズニー社からメキシコ系のモレノ氏に変わって以来、資金を惜しまず補強するようになった。FAでゲレロやコローンを獲得した。優勝して以来、怪我人が多かったり、ケミストリーがかみ合わなかったりしているが、地力があるチームである。

テキサス・レンジャーズはマイケル・ヤング、マシューズJr.そしてテキシエラと好打者が揃っている。このチームの課題はピッチャーだ。大塚晶則が抑えとして台頭して頑張ったが、先発も中継ぎも足りない。オークランドやアナハイムと比べると見劣るものの、悪くないチームだ。

我がシアトル・マリナーズについて言及する。城島健司の加入と、二遊間のロペスとベタンコートの著しい成長で、期待できる筈だった。しかし、結果は西地区最下位。結局、問題はGMのバベシと耄碌監督のハーグローブだろう。広いセーフコフィールドは、サンディエゴのペトコスタジアムに次いで、極端に投手に有利な球場である。2001年のマリナーズは、鈴木一朗をはじめ、ジョン・オルウッド、エドガー・マルティネス、ブレッド・ブーンといった、好打者を揃え、スモールベースボールに徹した。振り回すのはキャメロンくらいのものだった。先発はガルシアとモイヤーが計算できるくらいだが、抑えの佐々木主浩に、ジェフ・ネルソンとアーサー・ローズが繋ぐという必勝パターンが出来上がっていた。投手有利なのだから、スモールベースボールできっちり守れば勝ち星が上がるのだ。何故、バベシはこのような、スモールベースボールに徹するような球団を作ろうとしないのか?セクソンやベルトレのような、弱いナショナルリーグのチームで活躍した、振り回すだけの選手を主軸に使うのだろうか?一方で、中継ぎ陣が薄いという指摘に対しては何も答えを出さない。長谷川滋利以降まともなセットアッパーはいない。まずはプレーオフに行けるチーム作りをするなどと呑気なことを言っているが、ワールドシリーズを勝てるチーム作りをしなければ、アスレチックスやエンジェルスに競り勝つのは難しい。

監督の耄碌ぶりが球場への足を更に遠のける。今季は采配のせいで最低15個は星を落とした。明らかに悪いエディー・グアダードにクローザーの座を任せ続け、黒星を重ねた。打てないエベレット、セクソンやベルトレの打順を変えない。ピネイロが明らかに調子を崩しているのに、先発を続けさせる。見るに耐えない温情采配が続く。温情采配とは、いつもと同じ作戦を繰り返すということであり、アスレチックスはここぞとばかりに統計データをきっちりと利用し、マリナーズを鴨にした。テレビで見ていても、頑張っている他の選手たちの意気込みが下がっているのも感じ取れる。マリナーズは、イチロー、城島、イバニエス、ブルサード、ロペス、ベタンコート、モースといったクラッチヒッターや好打者できちんと点数を入れられる打線に組み替えるべきだ。ホームランはいらない。先発もヘルナンデス、メッシュ、ワシュバーンと白嗟承に、もう一人信頼できる絶対的なピッチャーを組み込む必要がある。ジャイロボールを投げる松坂大輔を獲るのを期待する。そして、何よりも、JJプッツに繋ぐ中継ぎ陣の強化は緊急課題だ。イライラしてきたので、これ以上は書かない。兎に角、ハーグローブは追い出すべきだ。選手を信じるオールドスクールの野球では、コンピュータで統計を駆使した野球には勝てない。

そんなマリナーズでも、インターリーグでナショナルリーグ相手には勝ち星を挙げ続けた。ナショナルリーグでは、アメリカンリーグで通用しない選手が活躍できる。今季のインターリーグが、アリーグの154勝98敗(.611)を見れば、ナショナルリーグがいかに弱いかははっきりしている。マリナーズもナショナルリーグに行けば、毎年プレーオフに進めるかもしれない。まあそういう理由で、セントルイス・カージナルスなどがプホルスの存在だけでワールドシリーズに駒を進めてきたのだろう。マリナーズでは全く活躍できなかったスピージオなんかが先発で出ているではないか。監督同士が親友など、それはそれで楽しみなワールドシリーズだが、ナショナルリーグとアメリカンリーグの力の差は非常に気になる問題だ。

2011 マリナーズ崩壊

ワールドシリーズ開幕

今年のワールドシリーズはワイルドカードのデトロイト・タイガースとプレーオフ球団中最低勝率のセントルイス・カージナルスとの戦いとなる。最近はワイルドカードチームの活躍が目立つ。2002年のアナハイム・エンジェルスがサンフランシスコ・ジャイアンツとのワイルドカード同士の対戦を制したのを皮切りに、2003年はフロリダ・マーリンズ、2004年はボストン・レッドソックスがワイルドカードチームとしてワールドチャンピオンになっている。2005年はヒューストン・アストロズが、そして今年はデトロイト・タイガースがワールドシリーズに駒を進めている。

まあ、結局は、短期決戦とシーズンでは戦い方が変わるのだろう。言い古されていることだが、短期決戦では、ピッチャーが全てなのだ。タイガースは、二年目の先発バーランダーとルーキーであるセットアッパーのズマヤの活躍が大きい。この二人に、昨年レンジャースでカメラマンを殴ったケニー・ロジャースが加わり、チームが完全に変わってしまった。そして、イヴァン・ロドリゲスがピッチャーに指示を出す。球場の大きさが異なるので一概に比べられないが、今シーズンのタイガースはメジャー30球団中一位の(3.84)の防御率を記録した。対して、打撃は、オルドネスやギーエン、ロドリゲスがいるので、まあまあ上手くまとまったチームだ。

打率一位を誇ったのは、シーズン中盤から、モウアーとモルノーの活躍で追い上げ、ついにはタイガースから中地区首位の座を奪い取ったミネソタ・ツインズだ。ただ、サイ・ヤングピッチャーのヨハン・サンタナがいるものの、投手力をタイガースと比べると、総合的に一枚落ちてしまう。

打点に関してはニューヨーク・ヤンキースがぶっちぎった。ジータ、Aロッド、シェフィールド、アブレイユ、ジアンビ、松井秀喜。認めるのは悔しいが、オールスター打線だ。ただ、投手陣が、ワールドシリーズ三連覇した頃と比べて貧弱だ。マイク・ムシーナと王健民は信頼できるものの、ランディジョンソンは衰えが目立つ。4番手以降は、ビルに飛行機で突っ込んだライドルなどに頼る始末だ。マリアノ・リベラという絶対的な抑えがいるものの、中継ぎはかなり苦しい。これでは、タイガースに負けてしまっても文句は言えまい。

昨年優勝した井口資仁が所属するホワイトソックスは、今期はトーミーの加入もあり、打率や得点が上がったものの、防御率が極端に落ちた。バーリー、コントレラス、フレディ・ガルシア、そしてガーランド。昨年活躍した先発陣が軒並み防御率を3点台から4点台に落とした。これではプレーオフに残れない。

まあ、長々と書いたが、タイガースが勝ち続けるのはサプライズでも何でもない。ただ投手陣がいいのだ。田口荘が所属するセントルイスと当たるが、まあ、普通にやればタイガースが勝つだろう。エースのマルダーと抑えのイズリンハウゼンが抜けているカージナルスがどうしてワールドシリーズまで残れたのか?それは次回に討論しよう。

10/15/2006

ベトナム麺を食べ続ける理由


私は、タオ(道)イズムを継承するがごとく、できるだけ色々な食材を食べるように心がけている。レストランではなるべく同じものは食べないようにしている。それは、栄養面を考慮してではなく、寧ろリスク回避をしているのである。つまり、食べ物は基本的に体に悪いので、同じものを食べ続けて体の中に毒物などが溜まるリスクを軽減しようとしているのだ。

健康面を考慮すると、外食ほど怖いものはない。特にランチは恐ろしい。一体何が入っているのか解らないからだ。6-7ドルほどで、パンチを効かせた美味しい物が運ばれてくる。癖になりそうな濃厚な味を提供してくる店も多々ある。しかしそれらの店が、自然食品からスープを取っているとは考えられない。恐らく、様々な調味料を組み合わせて我々の舌に刺激を与えようとしているのであろう。油、砂糖、塩分は必要以上に使われているし、化学調味料も半端でなく入っている。肉や魚、野菜、卵なども安いものを使っているのは明らかであり、どのような経路で運ばれているのかは不明である。

しかし、それでも、ランチを食べに行くのは楽しいものだ。B級グルメを心から愛する私にとって、安物のランチが奏でる交響曲の響きこそが人生の楽しみである、といっても過言ではない。私がシアトルに移ってきた頃は、テリヤキ、中華料理、タイ料理、ベトナム料理、ハンバーガー、メキシコ料理、インド料理、ケバブと、徹底的に食べ尽くして楽しんだものである。しかし、一箇所に長くいればいるほど、マンネリ化の波は避けることが出来ない。旅行気分の非日常が、やがては日常生活に変わってしまい、そして人々は楽しみを忘れてしまうのだ。

経済的な理由、時間的な制約、一人で食べに行ける簡便性、健康に対する配慮などを総合的に考慮した結果、私はシアトルでファー(Pho)ばかりを食べる人間になってしまった。英語の綴りを見て、フォーと発音する人がいるが、正確には誤りである。ファー・ボーとはベトナムの牛肉麺である。米から作った冷麦に似た形の麺を用い、牛の骨で出したスープに入れる。ファーは、恐らくフランスの植民地時代に、フォンドボーなどのスープの取り方に影響を受けた料理であると思われる。

いつも行く店は決まっている。一人でドアを開け、人差し指を立てて、一人であることをアピールする。愛想の悪い親父が、ごった返した店内の空いている席を指差す。私は腰掛けて防水ジャケットと帽子を脱ぐ。メガネも湯気で曇るのでバックパックにしまう。店員がすぐに香菜とクリーム入りのパフが乗った皿を持ってくるので、「14、ミディアム」と頼む。同店は、基本的にファーしか提供しないが、肉の種類によって番号が割り振られている。14番は胃や軟骨などを含め色々な種類の牛肉が入っているのだ。私は小皿に海鮮醤(大豆を発酵させて作った黒く甘辛いソース)と唐辛子オイルを用意する。注文して1分も経たないうちにファーが運ばれてくる。店のドアの辺りに並ぶ人達を見ると、早く食べなければいけないプレッシャーに苛まれる。

まず、赤い生の牛肉をスープに全て漬かる様に混ぜる。生の牛肉を見ても、最近では狂牛病の話などが頭に霞む事もなくなった。タイ・バジルを千切ってスープの上に浮かせ、しゃきしゃきのモヤシも全て入れる。ライムを搾り、ハラペーニョ(緑の唐辛子)の種を取り除いて入れる。少し色が変わった肉を、海鮮醤に少しだけ漬けて食べる。麺を食べ、蓮華でスープを飲む。スープは牛骨をベースとしており、魚醤などとともに、ブイヨン代わりとしてMSG(味の素)が入っているのは明白だ。体に悪いかも知れないが、味は悪くない。量が多いので、スープの味に飽きたら、適度に唐辛子オイルを入れて、最後まで食べる。

麺が終われば、クリーム・パフを食べる。やはりベトナム料理は、フランスの影響を大いに受けている。フレンチ風ドリップ珈琲練乳入りを頼むこともあるが、ウィークデイの忙しい時はパスだ。お腹一杯になり、5ドルでお釣が返って来る。この店はチップを払う必要もない。1999年の春に初めてこの店を訪れた。シアトルを離れた時期もあったが、現在も通い続けている。健康のために危険は回避しなくてはならないとは知っているが、この味でこの値段だ。旨い安い、そして早い。危険は承知でも回数を減らす事は難しいだろう。

Than Brothers Pho
4207 University Way N.E.
Seattle, WA 98105

10/12/2006

流通がアメリカの寿司の味を決定する

魚の話ばかりになるが、アメリカにおいて、あるいは寿司は日本料理と同義語であるのかもしれない。それほど寿司はアメリカに浸透している。以前に討論したが、大阪の寿司を好まない私にとって、アメリカの寿司は結構マシだと思うことが良くある。

日本に住む人から良く不毛な議論をふっかけられる。つまり、アメリカの寿司は実際に美味しいのか、というものである。大概の場合、そのような質問をする人は、日本の寿司が美味しいに決まっており、アメリカで食べる寿司は不味いに決まっているという思い込みを正当化して欲しいという、明確な意図を持っているものだ。このような意図が明から様な場合、喋るのも辟易とするのだが、一応丁寧に答える。「さあ、どうでしょう。自分で食べてみたらどうですか?」、と。

努力して一般論を言うと、アメリカの寿司は千差万別である。美味しい店もあるし、驚くほど不味い店もある。よく、作り手の技術が寿司の味を左右すると言う人がいる。それはあまりにも話を簡略化させ過ぎている。勿論、アメリカには白飯の炊き方すら解っていない無茶苦茶な店も星の数ほど存在する。しかし、そのような一定のレベルに達していないケースについてこの場で論じても仕方ない。私が言及したいのは、まともな寿司屋であれ、アメリカでは寿司の味のばらつきが激しいと言う事である。

寿司の味はネタの魚に左右される。しかし、アメリカに築地は存在しない。寿司シェフが魚市場に行って素材を選ぶことなどほぼ不可能だ。よって、魚の流通経路を確保させている店が、当然の帰結として美味しい寿司を出すことになる。逆に、流通経路を確立させていない店に入ると、かなり残念な結果となってしまう訳だ。

私がシアトルで良く行く「武蔵」という店がある。狭い店内にはアジア人と知的そうな顔をした白人がごった返す。店に入るまでかなり長い時間待たなければならない。この店は10ドル強でなかなかの寿司を出す。かなり大き目の握り寿司で、ネタも大きい。これをどう評価するかは意見の分かれるところだが、私は悪くないと思っている。サーモンは脂が乗って太めに切られていて食べ応えがある。ハマチは脂がしっかりと乗っている上に身が引き締まっており、絶品だ。ただ、私はこの店に小うるさい江戸っ子とは行かないだろう。何故なら、マグロが余りいただけないからだ。私は関西人であり、マグロなど数ある魚の一種に過ぎないと考えているが、マグロ好きを標榜する江戸っ子には耐えられないかもしれない。色はどす黒いし、汁気は抜けているのだ。

一方、アメリカで物凄く美味しいマグロを食べた経験もある。他人の奢りで、ボストンである高級日本料理屋に入った。何でも食べていいと言われたが、勿論、その人に注文してもらうように頼んだ。そして出てきたマグロの寿司だが、中トロと赤身が数個でてきたのだが、これがかなり美味しかったのだ。シェフに話を聞くと、メキシコ湾で獲れたマグロを生のままFedExで送ってもらったという。驚きだ。ただ、マグロ以外の寿司に関しては、余り褒められるものではなかったように記憶している。もしかすると、始めに食べたマグロが美味しかったために舌が馬鹿になったのかも知れない。一体いくら程したのか知りたかったが、それは叶わなかった。

日本には、というよりは築地には、世界中から無数のマグロがやって来る。近年では冷凍マグロの味が落ちると言う一昔前の常識は覆されつつある。なかでも、環境団体に悪名高き、地中海を中心としたマグロファームの冷凍物のホンマグロは悪くない。「外れ」に当たる事が全く無いのだ。それは恐らく、マグロを「上手く」殺して、飛行機ないし冷凍船に乗せるからだろう。

アメリカは主に自国内で捕獲したマグロに供給を頼っている。実際に捕獲しているので、先述のように生のまま独自のルートでレストランに運ぶこともあるだろう。そういったマグロに偶然あったなら、それはラッキーだ。だが、冷凍をするケースも多い。捕獲したマグロを船上で冷凍すると身が焼ける事が多い。そういう意味で、味にばらつきが出てしまうのだ。

私はアメリカのスーパーではマグロを買わない。冷凍輸入物はフィリピンやインドネシア産のCOマグロ(一酸化炭素で処理して変色を防いでいる。日本国内では流通が禁じられている)ばかりだ。更にひどいことに、日本人なら子供でも知っている、冷凍マグロは塩を入れたぬるま湯につけてから戻す、という常識を知らない。パックの中でマグロの塊が赤い汗を吹いているのだ。見ただけで味は解ってしまう。

アメリカではマグロは美味くもあるし、不味くもある。アメリカの寿司は美味くもあるし、不味くもあるのだ。

武蔵(Musashi’s)
1400 N 45th St.
Seattle WA, 98103

10/06/2006

サーモンはBBQで食べる

パシフィックノースウェストで美味しいものといえば、サーモンである。日本では北海道で獲れた鮭が一般に食べられるが、あれはシロジャケであり、少し味が落ちる。輸入物として入ってくるサーモンは、圧倒的に養殖物のアトランティックサーモンが多く、アラスカ沖で獲れる鮭が日本に入ってくることは極端に減っているという。

太平洋方面では五種類のサーモンがいると言われている。何故このような回りくどい言い方をするかというと、鮭の分類は非常に厄介だからだ。太平洋サーモンはOncorhyncus属に分類されているが、大西洋サーモンのSalmo属の亜属とする説もある。Oncorhyncus属には、ニジマスやイワナなどのいわゆるマス属も含まれている。キングサーモンは日本では「マスノスケ」と呼ばれているし、ピンクサーモンは「カラフトマス」と呼ばれており、サケとはみなされていない。サケの仲間は海洋型と河川型で形状が完全に変ってしまうため、分類は非常に難しい。漁業で使う用語と学名が混ざり合って、自然とややこしい話になるのだ。

それでは、アメリカで太平洋サーモンとみなされている5種を紹介しよう。
 シヌーク(キングサーモン・マスノスケ)
 コーホー(シルバーサーモン)
 サッカイ(レッドサーモン・ベニジャケ)
 チャム(ドッグサーモン・シロジャケ)
 ピンクサーモン(ハンプバックサーモン・カラフトマス)

私見ではあるが、この中で一番深い味わいを持つのはなんといってもシヌークことキングサーモンだ。脂の乗り方も素晴らしい。続いてサッカイことベニジャケ。キングと比べ、やや脂分が少なめだが、調理法によってはキングと対等に渡り合える。コーホーことギンジャケも悪くない。やはり、キングに比べれば脂の乗りが少ない。チャムことシロジャケも食用になりうるが、脂分が少なく、そのまま食べるには味が落ちるので、料理法を工夫する必要があろう。日本でよく食べる塩ジャケは、見事に脂分が少ないチャムの特徴を引き出す料理法である。ピンクサーモンも食べられないことは無いが、私ならわざわざ買わない。勿論、季節や獲れる場所によって魚の味は変わるし、個体差もあろう。要は、あなたが市場で如何に美味しそうなサーモンを選ぶかと言う事に全てがかかっている訳だ。

もし、天然物で新鮮な脂の乗ったパシフィック・サーモンを手に入れれば、私ならバーベキューで楽しもう。脂の乗った食べ物の調理法は、軽く炙って脂を溶かすのが基本。素材が新鮮であれば、調理に小細工などいらない。塩を振るだけでも十分美味しいが、適度に香草をまぶしてみるのもいい。後は、焼くだけだ。丸太に火をつけ、火から十分離して金網を置く。金網は十分に熱してから、皮を下に向けてサーモンを並べる。火との距離を巧くコントロールし、火が入り過ぎないように注意する。暫くすると、脂が滴る毎に火の勢いが増す。皮が十分焦げれば、スペアの金網を上に乗せて、サーモンを挟んでひっくり返し、火に近づけて、短い時間炙り、出来上がりだ。サーモンは火が通りやすいことで有名だが、皮は十分に焦がした方が美味しい。表面はパリッとして、中はふっくらとジューシーな焼き方が理想だろう。簡単そうに聞こえるが、一度に大量のサーモンを焼かないと巧く焼くのは中々難しい。パーティー向けのレシピだが、これこそがサーモンを美味しく食べる方法だと思う。

近年、アラスカ産の天然物サーモンは日本に向かっていないと聞く。それならどこに行くのかと業者に聞くと、中国だそうだ。中国人がサーモンを食べるのか?そうではないらしい。実は、アラスカ産のサーモンを中国で加工し、パックなどにつめ、アメリカに送り返しているらしい。日本が不景気で購買力が無くなっている裏で、お金を持ったアメリカ人達が魚の味を憶えたのだろう。白ワインを飲みながら、バーベキューのサーモンをほおばみ、秋のシアトルの残り少ない太陽のある夕暮れを楽しむ。



バーベキューについて

10/04/2006

寿司不毛の地、大阪


私は大阪で生まれ、大阪で育った。関西人たちの多くは、大阪の食事のほうが東京よりも美味しいと信じている。話を簡略化すると、それはある意味で正しいかもしれない。しかしどれだけ譲歩しても、東京のほうが大阪よりもずっと美味しい物が三つある。ラーメン、天婦羅、そして寿司である。喧嘩は喰えども、大阪で寿司は喰うべきでないのだ。

これはある意味合いで、とても不公平な視点である。何故なら、寿司の定義そのものに問題があるからだ。寿司の定義は最近の歴史のある時点で完全に変わってしまった。関西と東京には全く違う寿司があった。そもそも寿司は「熟れ酸し(なれずし)」に起源を発する。琵琶湖で獲れたフナを米で発酵させる鮒寿司が代表だろう。すしとは、乳酸菌を使った魚の発酵食品だったのである。その後、米も食べるようになり、やがて魚も発酵させなくなる。関西では箱寿司が作られた。一方、江戸では、酢の普及と新鮮な江戸前の魚を使用することにより、江戸前の握り寿司が幅を利かせるようになった訳だ。しかし現在、寿司と言われれば江戸前握りをイメージする人が大勢を占めるようになった。寿司の定義自体が、特別な断りをつけない限り、東京生まれの江戸前握りを指す言葉に代わってしまったのだ。つまり、私が言いたかったのは、一般的に関西の江戸前握りはぱっとしない、という事だ。例えば、淡路町の吉野寿司ではなかなかの箱寿司を買えるが、これは残念ながら、一般人には「寿司」とみなされない訳である。

最近は情報や交通の発達のせいで、東西の差が少なくなってきたのは確かだ。だが、地域文化はやはり形を変えさえせよ、完全に消えることは無い。今でも大阪の老舗で寿司を食べると、必ずバッテラが出される。巻き寿司(太巻き)が出てくる事もあるだろう。しかし、江戸前の握りに味を占めてからは、大阪で食べる「寿司」にあまり共感がもてなくなってしまった。関西の握り寿司の酢飯は少し甘すぎると思うようになったし、魚と酢飯の割合にも満足できなくなった。恐らく、どちらも箱寿司の影響を受けているからだと考えられる。私は実際に大阪に住んでいる限り、握り寿司を崇めた事は殆ど無かった。

東と西の魚の違いはやがて討論することにして、大阪でもなかなか美味しい「寿司」を出す店がある。交通網や情報の発展は地域文化を悉く破壊して来たが、そのお陰で恩恵を受けることもあるのだ。大阪中央市場にある「ゑんどう」の寿司は旨い。朝5時、関西の魚を見に中央市場に行く。築地のようにマグロが並ぶわけではないし規模も小さい。しかし、東京の人が見たことないような大きく新鮮なタイが並ぶ。市場を回った後に寿司を食べるべく「ゑんどう」の暖簾をくぐる。酢飯に新鮮な魚を乗せた料理は江戸前握りと呼ぶべきであるが、この店は「つかみ寿司」という名で寿司を出す。暖かめの酢飯をつかむようにふわっと丸めて、その上に中央市場の新鮮な魚を乗せるわけだ。この店では「上まぜ」を頼むのが一番良い。長い皿の上にトロを含めた五貫の寿司が並ぶ。その日仕入れた魚を考慮して、店がお任せで勝手に握ってくれる。これで1000円は安い。関西だから、ハマチやタイ、ハモなどの白身がやはり美味しい。「寿司」不毛の地で楽しめる数少ない店である。

ゑんどう
大阪市福島区野田1-1-86 
中央市場内(京橋に支店あり)

10/02/2006

その北米王者は凱旋門賞にはいなかった

食べ物の話題を期待しいる方には悪いのだが、凱旋門賞を見ていて馬の話が書きたくなった。馬の話はなるべく避けて通りたかったのだが、ディープインパクトが良い競馬をしたので文章にしてみた。ディープインパクトが3着に沈んだというのは残念ではあるが、凱旋門賞とはそういうレースだ。新聞紙上に書いてある通り、3歳馬が断然有利なレースである。2002年のマリエンバード(牡4)および2001年のサキー(牡5)くらいが数少ない古馬の優勝馬だ。その前の事例になると、1993年のアーバンシー(牝4)まで遡らなければいけない。ロンシャンの起伏に3.5キロの斤量差はあまりにも大きいのだろう。

今回の凱旋門賞は三強対決と持て囃されていた。昨年の優勝馬ハリケーンラン、昨年のブリーダーズカップターフを制したシロッコ、そして日本が誇る三冠馬ディープインパクトであった。シロッコを他の二頭と比べるのは少し可哀想だが、まあ良いだろう。しかし私が残念でならないのは、本来ならあの場所にもう一頭の馬が走っていたはずだった、という事である。

その馬の名はバーバロ。2006年5月6日チャーチルダウンズ競馬場でケンタッキーダービーに出走した。フロリダでの前哨戦を戦ってやって来たので、人気はそれほど高くなかった。毎年同じようにオールドケンタッキーを皆が歌い、そしてスタートがきられる。北米ダートは逃げ馬が元気だ。強い逃げ馬が揃うダービーでは、毎年前半が早くなる「魔のペース」が作られる。次第に落ち着いてくるのだが、力の無い馬は順番に振り落とされる。中団につけたバーバロは、直線を向いた時には既に勝っていた。力が違いすぎる。バテて止まった馬を尻目に、チャーチルダウンズの直線を一頭だけで駆け抜けた。バーバロはデビューから6戦全勝。6馬身半差の歴史的な着差をつけて3歳馬チャンピオンに駆け上がった。

何故この馬が特別なのか?父親がダイナフォーマーだからだ。ダイナフォーマーは典型的な晩成の子を多く残し、ずぶく中々勝ちきれない。代表産駒であるダイネバーやパーフェクトドリフトの名前を挙げると、なるほどと思われるかもしれない。しかし最も重要な点は、ダイナフォーマーはロベルトの血を引き(サンデーサイレンスやブライアンズタイムと同じ)、芝の競馬でも期待できるという事だ。北米のダート路線はミスタープロスペクターの子孫が大活躍し、ヨーロッパの芝で活躍する馬はあまり出ない。しかし、ダイナフォーマー産駒のバーバロであれば、欧州の芝競争で勝つこともあり得るだろう。オーナーはダービーを勝った直後に凱旋門賞に挑戦するプランをぶち上げる。すでにディープインパクトが凱旋門賞参戦を表明していたので、10月1日はフランス・ロンシャン競馬場が、アジア、欧州そして北米の最強馬同士の最速決戦の場になるかもしれない。期待は膨らむ。まだその時には、誰もそんな悲劇が起こるとは思ってもいなかった。

三冠レースの二番目は、メリーランドはピムリコ競馬場で行われるプリークネス・ステークスだ。地味な印象は拭い去れない競争だが、誰もがバーバロの二冠を確信していた。1978年にアファームドが勝って以来の三冠馬の出現を期待していた。或いは、1977年シアトルスルー以来の無敗の三冠馬誕生に思いを馳せていた人達も大勢いただろう。スタート前、不吉な伏線があった。バーバロがゲートを押し破って放馬し、再度ゲートに入れなければならないというハプニングが起こったのだ。嫌な予感が漂う。一応バーバロはゲートに収まる。主催者側としても、ダービー馬を競争から除外することは出来なかった。一斉にゲートが開きスタートが切られる。バーバロは少しゆっくり目にスタートした。激しい位置取り争いがあり、最初のコーナーに向かう。その時、一頭の馬が大きく砕けてしまう。ダービーウィナーに故障発生だ。いぶし銀エドガー・プラドが鞍上で立ち上がり、必死に馬が暴れないように御している。騎手の思いを受けてか、バーバロは暴れることなく止まったが、後ろ足が完全に折れてぶらんぶらんとしているのが衛星中継の画面からも伝わる。私は即座にこう思った。これは予後不良で安楽死処分だな、と。

予想に反して、近年の獣医療技術の進歩はすさまじかった。ペンシルバニア大学に送られたバーバロは複雑骨折を数十本のボルトで繋げ止め、回復を試みられることになったのだ。だが、テンポイントを死に追いやった蹄葉炎がバーバロを襲う。何度も危篤の情報がマスコミから伝わってきたが、奇跡的な回復を成し遂げ、現在では外で遊べるほどになっていると言う。近代医療技術の進歩に感服する。

仮定の話は良くないが、バーバロが故障をしなかったならば、果たして三冠馬になっていたであろうか?ブリーダーズカップや凱旋門賞を制すことが出来たのだろうか?解らない。バーバロが故障したレースを勝ったベルナルディーニは本当に強い馬だ。ノーザンダンサー系が蔓延るヨーロッパでダイナフォーマーの子供だからといって活躍できるという保証は何も無い。ただ一つ言える事は、これらの仮説に対する確証は不可能であるということだ。早く去る者は後世まで語り継がれる。早く去ったものには必要以上の評価が下される。バーバロが順調に回復すれば、やがて種牡馬になるだろう。私は、バーバロの子を日本で走らせて欲しいと思っている。バーバロの血統は、サンデーサイレンスが去った日本に上手く当てはまるのではないか?と考えている。この仮説だけは、そのうち確証できると思う。私はその日を楽しみにしたい。

付け加えるならば、今年、ディープインパクトが、芝でも構わないのでブリーダーズカップに挑戦してくれていればなあ、と思う。今は亡きサンデーサイレンスがケンタッキーダービーを制したチャーチルダウンズで今年は開催だったのに。凱旋門賞のように古馬が不利ということも無かったのに。

9/28/2006

着飾ってリゾート地で朝食を食べる大罪

話を解りやすくするために、高級フランス料理店の例を使う。あなたがデートで高級フランスレストランに行くことになったとする。あなたは当然きちんとした身なりでレストランの門をくぐり、座席に通され、ウェイターにジョークを言いながらワインを注文するだろう。やがてソムリエが持って来たワインを手に取り、目を細めてラベルをチェックし、「2000年のボルドーのカペルネは最高なんですよね。これ頼みますよ。」などと言うかもしれない。あなたのパートナーはきっとその一言に感銘を受けるだろうし、ソムリエは、あなたが知ったかぶりをしているのも了解した上で、顔からは上品な笑みを消さず、慣れた手つきでナイフをボトルの口に入れ、瞬時にコルクを抜いてしまう。そして、情緒ある音を立てながらあなたのグラスにワインを注いでくれるだろう。サリュート。最高のディナーのスタートだ。しかし、ここで仮定の話だが、隣の人達が乞食のようなみすぼらしい格好で座席に座っていればどう思うか?高級フランス料理店には大概ドレスコードが敷かれている。それは、店の中では客も従業員もが高級感を醸し出す役割を演じることにより、店全体の雰囲気を高め、それにお金を払いたい人達を店におびき出すためだ。もし、あなたが六畳一間のアパートに住んでいたとしても、高級フランス料理店に出向く時は、ヒューゴ・ボスのスーツに身を包み、サルバトーレ・フェラガモの革靴を履かなければならないわけだ。ネクタイだけはフランスのブランド。誕生日プレゼントのルイ・ヴィトンだ。これこそがエティケーットである。その場に身嗜みの整っていない人がいたとすれば、あなたは憤慨するだろう。高いお金を払っているのに、雰囲気が台無しだ、と。

話は大きく変わり、ワイキキのリゾートホテルに飛んでいく。私はワイキキ界隈のホテルに泊まるのが大嫌いなのだが、先日訳があって、ハイアット・リージェンシーに泊まらざるを得なくなった。一番嫌なのは、ホテルの朝食ビュッフェの時だ。朝6時。空が段々と明るくなってきた頃、私はジョギングを終えてシャワーを浴び、ホテルのレストランに行く。外の空気を満喫できる外の座席に通されて、従業員と挨拶をする訳だ。そして朝食を取りに行く。グアヴァ・ジュースをコップに注ぎ、パパイアとハニーデューを皿に盛る。更に、肉抜きでオムレツを作ってもらう。座席に戻り、ゆっくりとリゾート気分に浸りながら朝食を楽しむ。横の白人の家族は楽しく会話しながら、前の日本人の老夫婦は静かに、朝食を楽しんでいる。ゴルフシャツと短パンのいでたちのアジア系アメリカ人の若者は英字新聞に目を通している。波の音が聞こえ、鳥が囀る。気温は20度強で微風が気持ちいい。しかし、毎度ながら、雰囲気は突然にぶち壊されるのだ。

若い日本人の女の子の団体がレストランに通される。皆、例外なく着飾っている。タイトなデザイナー系のジーンズを履き、光る素材のついたシャツ。さらに、日本人のカップルがやってくる。男はヨーロッパのモード系で着飾っているし、女も朝からヒールで決めている。東京では違和感が無いお洒落も、リゾート地の朝食には余りにも相応しくない。

私は一気に萎えてしまう。私は金を出し時間を割いてリゾートの雰囲気を満喫しに来ているのだ。そう、ハイアットリージェンシーに泊まっている他の98パーセントの人達と同じように。その場にいる全員がリゾートの雰囲気作りに協力するべきであると思う。汚い格好で高級フランス料理店に入店すれば摘み出されるが、着飾ってリゾートの朝食ビュッフェを食べに行っても誰も咎めない。リゾート・カジュアルが出来ないようでは、リゾートに来るべきではない。私たちは、仮に日本で六畳一間のアパートに住んでいようと、リゾートを楽しむために飛行機に乗り安くない金を払っているのだから、雰囲気作りには協力するべきだ。それは、エティケーットの問題だ。デザイナー系のジーンズはリゾート地ではご法度だ。最高の海を目の前にした朝食なんだから、清潔にリラックスしたものを着るだけでいいのだ。半パンと開襟シャツを着用する、それだけでリゾート地の雰囲気を護れるというのに。

9/26/2006

京都で嫌味な味の珈琲を飲む

私はシアトルに住むようになってから、珈琲に五月蝿くなってしまった。だからと言って、私は豆の種類について特別な知識を持ち合わせているわけでもないし、美味しい珈琲の淹れ方のコツを知っているわけでもない。ましてや、フラスコのサイフォンなんて持ってもいない。機会があればお気に入りの珈琲屋に行き、少しばかし息抜きをする。そんな程度である。幸福なことに、シアトル市内には雰囲気の良い珈琲屋が沢山あり、どこの店もまずまずの珈琲を出す。そういう意味で、この街は大変気に入っている。

さて話が逸れたが、今回は、京都という街と珈琲に纏わる話をしたい。あなたは京都で珈琲を飲んだことがあるだろうか?京都で飲む珈琲にはいつも驚かされる。何故かと言うと、物凄く「嫌味」な味がするからだ。少し詳しく話してみたい。

私は時折、京都に散歩に行く。京都は散歩するのにもってこいの街だ。京都には歴史が良い形で残っているし、それは賞賛に値する。歴史とともに緑や水が残っているところも良い。その古い町に住む人達は、非常に面白い独自性を持っている。負の部分から言えば、街が観光で生業を立てているにもかかわらず、そこに住む人々は余所の人達を見下す排他的な傾向があるという事だ。まあ、観光地に住む人達には良くあることだ。反対に、私が一番好きな京都人の性格は、回りくどい嫌味を言うことである。多くの京都の人達は、物凄く回りくどい。そして、嫌味を言うのだ。京都人のように嫌味を言いあえたら、日常生活で周りの人達とのコミュニケーションがどれほど楽しいものになるだろうか、と私は真剣に考えている。

散歩をすれば、喉が渇く。しかし、風情のある素晴らしい道を歩くと、少し高級な物が飲みたくなる。人間の悲しい性である。そんな時に、京都でふらっと立ち寄る珈琲屋は、素晴らしい。落ち着いた店構え。暖簾をくぐると、深く煎られた珈琲の匂いが香る。古くはあるものの、清潔な赤茶けたテーブル。木の温かみが感じられる。柱や梁も赤い木で作られており、風情を残す。天井に備え付けのアンティークな扇風機が心地良い風をゆったりと私に送る。そして、私はメニューを見て驚く。何故、珈琲一杯が1050円もするのか?私は、おばさんを呼びつけて注文する。私は正直に告げる。「珈琲、こんなにするんですね。」おばさんは言う。「うちはちゃんとした珈琲を出してますから。安い珈琲やったら、阪急電車乗って大阪行きはったら飲めますよ。」私はあっけに取られる。「これ、もらいます。」

そのうち、件の「ちゃんとした」珈琲が運ばれてくる。珈琲の器はアンティークなフランス風のしろものだった。風情がある。ゆっくりと口に近づけ、初めの一口を味わう。ん?酸っぱい。美味しいか不味いさえも解らない味だ。私は解釈に困る。酸っぱいという事はハッキリしてるのだが、それ以外解らないのだ。もしかすると、嫌味な事ばかり言っていると、酸っぱい珈琲が飲みたくなるのかも知れない。素晴らしい古都の散歩。そして、解釈が難しい酸っぱい珈琲。私は、こう結論付ける。京都の珈琲は嫌味な味だ、と。

私は何度も京都に足を運んでいる。そのたびに違う珈琲屋に行くのだが、どの店も例外なく、いわゆる嫌味な味の珈琲を出す。京都に行った際、私は懲りずに小さな雰囲気の良い珈琲屋を選んでは行き、そして嫌味な珈琲を楽しむ。それは私にとっての習慣にすらなってしまった。一度、私は京都に行った際、インチキをして、三条大橋の袂のスターバックスに入った。私でも理解できる珈琲を出してくれたし、そこに嫌味さは無かった。現在、三条大橋のスターバックスは、鴨川に床も出しているという。スーパーソニックスをハワード・シュルツ社長が売却して以来、私はスターバックスを一人でボイコットしているのだが、積極的に京都には投資してほしい。濃い世界標準のエスプレッソに慣れさせれば、あの京都人達もきっと嫌味を控えることだろう。

9/25/2006

ロックンロールと同じ運命を辿る日本料理

私は日本料理というものに危機意識を感じている。日本料理は死滅への道を辿っているように思えてならないのだ。まず、初めに簡単な質問をしよう。あなたは、過去一年間で、板前のいる本格的な日本料理を出す店に何度訪れたか、と。平均的な日本人を語ること自体が、今日のような格差社会では無意味なのかもしれないが、あなたが日本料理を食べに行った回数など、極限られているのではないだろうか?人々の嗜好性は変化しており、多くの人は日本料理の愛し方を忘れてしまった。愛し方を忘れ去られたものはやがて死んでしまう。ちょうど90年代にロックンロールが死んでしまったように。

私は先日、ミナミの宗右衛門町に某日本料理店を訪れた。この店が出す料理はどれもこれも筋が通っており、私の舌を唸らせた。無花果の田楽や南瓜の冷たいスープなどの変化球はおもしろかった。直球である刺身は、新鮮であることは言うまでも無く、素晴らしい包丁が入っていた。メインのビーフカツは、日本料理とは呼べないかもしれないが、揚げ方や包丁の入れ方に日本料理店のこだわりを垣間見た。一人1万2000円というのも、料理の質を考えると大満足である。

料理には満足したものの、ひとつ気になったのが、店に来ていた人達の客層だ。私達以外の客は、いわゆる「同伴」であったのだ。中年のおっさんと、若くけばけばしい水商売のおねえちゃんの組み合わせ。月曜日の夜であれば、それでも許されるかもしれない。しかし、給料日明けの金曜日、店に来ているのが同伴の人たちだけだというのは、少し気にかかる。そんなに実力がある店にもかかわらず、空席も目立った。景気が本当に悪いのだろう。

ミナミの街には人達が溢れている。焼肉屋の前には列が出来ているし、イタリア料理やオムレツを出すフランチャイズ系の店は満員だ。日本料理は高価だから避けている、といった意見も聞かれるが、焼肉屋や居酒屋に行っても5千円以上使うことも珍しくない。焼いた脂の塊を甘辛い醤油につけてビールで胃に流しこむ作業に5千円は使えても、ゆっくりと落ち着いて本格的な日本料理を楽しむのに1万2千円を使うのは勿体ないということか。日本料理を楽しめる人達がいなければ、日本料理はやがて廃れる道を選ぶだろう。そう、ロックンロールのように。

大阪の景気は、はっきり言って「あきまへん」。東京の街と比べることすらナンセンスだと私は思う。私はミナミで食事を終え、キタに帰った。昔、この界隈には悪くない日本料理を出す店が沢山あった。それらの多くが、現在では風俗店などに取って代わられた。名高き北乃大和屋の跡地には、現在ラブホテルが建設中だ。町は廃れ、汚れた。かっては、黒塗りのハイヤーが停まり、きっちりとスーツに身を包んだ人達が、背筋を伸ばして食事をしに来た街。今では同じ場所にタクシーが停まり、携帯電話で喋りながら趣味の悪い香水の匂いを撒き散らし、ハイヒールに気をつけながらよろよろと水商売のおねえちゃんが降りてくる。経済的に言えば、ビジネスマンから水商売のおねえちゃんに富が移行したということになるのだろうか。もはや大阪のビジネスマンには期待できない。せめてお金を持っている水商売のおねえちゃんたちが、同伴でも何でも良いのだから、日本料理の素晴らしさを皆に伝えてくれれば。切に願う。日本料理は殺してしまうに、余りにも惜し過ぎるのだ。

9/23/2006

世界一の中国料理はNYにあり

私は中国料理が好きである。中国料理といっても、四川料理(川菜)、山東料理(魯菜)、広東料理を代表とする粤菜など、八大菜系を中心に多様性に富んでいる。大陸以外でも、台湾や香港、シンガポールに行くと、それぞれ違うスタイルの中国料理に巡りあえるだろう。日本でも、ラーメンや餃子のような中華料理を食べることが出来る。そのようなややこしい話は別の機会においておいて、私は一般論として、中国料理を愛している。

さて、「世界で一番美味しい中国料理はどこで食べられるのか?」という討論は非常に興味深いところだ。先程も述べたように、大陸中国は広いし、華僑は世界中に拡がり中国料理を伝えている。私は、偏見は承知の上で、世界一美味しい中国料理は、ニューヨークで食べられると答えよう。この意見の裏には、大陸中国の中国料理が不味いという批判と、香港や台湾の料理が一番美味しいと思ってる香港人や台湾人の鼻をへし折ってやろうという意地悪な思いが交錯しているのだ。

単品だけではあるが、世界一美味しい中国料理を出す店。その名前は、「鹿鳴春」。英語で、「ジョーズ・上海」とも呼ばれている。ニューヨーク内に数店舗あるのだが、チャイナタウンの本店かフラッシングの店に行くことをお奨めする。基本的に、この店で美味しい物は「蟹粉小籠包(シェフォンシャオロンバオ)」である。他の料理については、及第点ではあるが特筆するようなものでもない。しかし、蟹粉小籠包には正直驚いた。蒸篭に入って運ばれてくる小籠包。そんなに薄くは無い皮だが、破かないように、恐る恐ると箸で摘み、蓮華の中に巧く収める。黒酢を少しつけ、生姜を載せる。熱々の小籠包を齧ると、中からスープがじわっと染み出る。そのスープは、豚肉から出る濃い味と蟹味噌の味が見事に織り交ぜられている。熱々の脂っぽい濃いスープは、強烈なパンチであなたを歓迎する。その味は怪しくもあなたを虜にし、深い思い出として、永遠と友人達に語り継がれることになる。小籠包は、前菜の位置づけなのだが、あなたはきっと服務員を呼びつけ、もう一籠、いや二籠注文せずにはいられない。

小籠包のレストランといえば、「鼎泰豊(ディンタイフォン)」であると仰る人も大勢いると思う。台北の新義路にある鼎泰豊の小籠包は、ニューヨークのものとは大きく異なっている。薄い皮の中には、熱々の非常に洗練された上品なスープが潜んでいる。私は、ニューヨーク同様の、強烈なパンチを期待していた。しかし、その上品さの前に、私は正直がっかりした。期待外れほど、人々に寂しい思いをさせるものは無い。鼎泰豊は確かに美味しい。小籠包だけではなく、他の料理もなかなかいける。しかし、台北であれば、そのくらいの味はどこにでもあるのだ。ニューヨークの味を知ってしまったが故に、台北で楽しめない。運命とは、かくも残酷なものである。

鼎泰豊の小籠包が恋人にしたクラスで一番可愛い女の子だとすれば、ニューヨークの小籠包は素性不明だがナイスボディーの艶やかな愛人といった所だろうか?あなたならどちらを選ぶだろうか?私なら、勿論、愛人を選ぶ。ニューヨークには、鹿鳴春以外にも美味い中国料理を出すレストランが沢山ある。質で言えば、中国料理の本場の香港にも引けを取らない。やはり、金がある所に、美味い物は自然と集まってくるのだ。

Joe's Shanghai (鹿鳴春)
9 Pell St Ste 1
New York, NY 10013-5134

9/22/2006

究極の「不味い物」

私は食べ歩くのが好きである。多くの食べ歩きを好む人達と同様、私も美味しいと言われている物を試してみて、それについて批評することに喜びを憶えている。「美味しい店を紹介してくれないか?」と尋ねられれば、場所にもよるが、そう困ることはない。私は、「美味しい物」に絶対性はないと考える。食べる人の育った環境、気分、体質、体調などの内生的要因と気候や雰囲気などの外部的要因によって、「美味しい物」は常に移ろうものである。要するに、アネクドートを伴わない「美味しい物」など存在しない。食について騙る時は、常にアネクドートを用意するべきである、と私は信じている。

今回私は、「美味しい物」のアンチテーゼについて考えてみた。つまり、「不味い物」である。これまで、多くの人から、その人が経験した不味い物についての話を聞いてきた。しかし、私は未だに、満足し得る「不味い物」についての話に巡り合えた事はない。人々が騙る「不味い物」にはパターンがあり、大概は以下の3通りの理由とその組み合わせに帰結する。1)辛過ぎる、甘過ぎる、塩気が無いなど、調味料の配分に問題がある。2)硬過ぎる、軟らか過ぎるなど、食感に問題がある。3)チーズなど異国の発酵食品を食べた際に良くあるのだが、慣れていないので味が理解できない。これらの理由のみで騙れるほど、「不味い物」というテーマは浅くは無い筈だ。「不味い物」には、それを作った人の努力が凝縮されているべきであるし、それを作る背景としての文化も見逃してはならない。究極の「不味い物」とは、ただの料理の失敗作ではなく、究極の「美味しい物」の相反に位置するべきなのだ。本当にそんなものがあれば、の話ではあるが。そういう理由から、私は「不味い物」に偶然出くわせば、小躍りさえしたくなるのだ。

納得し得る「不味い物」を久しぶりに食べた。ハワイ、ワイキキビーチのクヒオ通りにある「ぺリーズ・スモーギー」。二昔前まで、ハワイは不味い店で溢れていた。しかし、大陸や日本の資本がハワイにどんどん流れ込むようになってからは、そのような不味い物を出す店が姿を消してしまった。現在、ワイキキビーチに林立するフランチャイズ系の店に入れば、平凡な味のハンバーガーやステーキ、チーズケーキが食べられる訳だ。しかし、「ぺリーズ・スモーギー」は古き良きハワイの味を頑張って残している。この店は食べ放題なのだが、ディナーで10ドル強である。店の前には、ホテルに入っている高いレストランを避けるように、白人の老人達が並んでいる。スパゲッティーは茹で過ぎでぶよぶよ。ミートソースはキャンベルの缶を更に悪くした味。フライドチキンはわざと悪い肉を使っているし、ローストビーフにかけるソースも無い。とうもろこしは茹で過ぎて味がしないし、カレーはカレー粉以外の味がしない。コーヒーはどぶ水のような味だし、レモネードには化学臭が漂っている。何から何まで、パーフェクトに不味い。

うちの店は安いのだから、とことんこだわって不味くするのだ、といった確固たる意気込みすら感じさせられる。特筆するほど「不味い物」を出しているにもかかわらず、店は結構混んでいる。つまり、暫くは古き良きハワイの不味さが地球上から消えて失せてしまうことは無さそうだ。これからも、東京やニューヨークの汚い金に侵されること無く、地元ハワイの良さが残ってくれれば良いと思う。ワイキキに足を伸ばす事があれば、是非「ぺリーズ・スモーギー」に足を運んでください。不味さを楽しめますし、グローバリゼーションの魔の手からハワイを守ることにも些細な貢献をする事になるでしょう。そして、あなたは、ワイキキの海の美しさを改めて愛でる筈です。リゾートでは不味い飯を食うべきなのです。そして、もしかすると、何故マクドナルドすらが、人々にあれ程愛されているのかという、21世紀の飽食の時代に忘れ去られた事実すら思い出すかもしれません。

Perry's Smorgy Restaurant
2380 Kuhio Ave
Honolulu, HI 96815-2965