2/21/2015

選択制夫婦別姓に反対する人

選択制夫婦別姓に反対する人が選択英制夫婦別姓に賛成する人を上回っているという世論調査の結果を見た。

同姓が良いのなら、夫婦で同姓にすれば良いのであるわけで、選択制夫婦別姓に反対する人は、他の結婚している夫婦が同姓を名乗る事に反対している訳である。要するに、他人の自由に介入したいわけだ。私的には、選択制夫婦別姓に反対する理由がどこにも見合たらない。

反対者が述べる意見において、意味が解らないのは、以下の三つだ。

1.夫婦の絆が薄くなり、不貞が蔓延する。
2.子供がかわいそう。
3.子供の苗字をどうするのか?
4.夫婦の苗字が違うと、すぐに離婚しやすくなる。

そう思うなら、自分の家庭は夫婦同姓を選択すれば良いだけの事だろう。何故、他人の家庭の事情にまで関心があるのか?意味がわからない。こういう意見を持つのであれば、離婚を違法にするように、政府に請願すればよい。離婚家庭は子供の苗字も変わったり、子供がかわいそうだったりする、と意見陳情すればよい。

反対者の多くが言う意見に「日本では歴史的に夫婦が同姓を名乗るのが普通なのだから、こういった変更は社会に良くない」というものがある。これについて、私はアホな意見だと思っている。何故なら歴史的に夫婦が同姓を強制されるようになってから、まだ日が浅いからである。

そういう事で、選択制夫婦別姓に反対している連中は、理性がなく、他人の自由を認めないアホウだけで、日本の市民の中にはアホウが半数以上いるのだ、と真剣に信じていた。

だが、待って欲しい。もう一度先の一文を読んで欲しい。
「日本では歴史的に夫婦が同姓を名乗るのが普通なのだから、こういった変更は社会に良くない」

こういう仮説はどうだろうか?本当は夫婦別姓が良かった女の人が、お嫁に行き、強制的に名前を変更させられて、専業主婦か何かで今日に至る。こういう類の人達は、夫婦別姓に反対するのではないだろうか?自分の時は強制させられた。何をいまさら、と。つまり、歴史的に同姓を強制していたのに、それを変えると、自分は妬ましい、という意味である。

まあ、そうならば反対する理由も解る。だが、選択制夫婦別姓問題は、そういう人達を無視して、さっさと通すべきだ。国民総背番号制も決まっているのだし、名前がどうであれ、データベースを持って個人は今後特定できるのだから、やりたいように自由にさせれば良いと思うのだ。そして、最終的には、時代遅れの戸籍制度を改正または廃止するべきだと思う。実際、現在も戸籍に入れない外国人と結婚すれば夫婦別姓である。

世論調査は、将来結婚する未婚の人にだけ絞って、賛成か反対かを問うてみたらどうだろうか?

外国人の消費税免除:すぐにでも廃止するべき。

外国人が日本で商品を購入した場合、加盟店舗に限り、パスポートを見せる事で消費税が免除される。密封した袋に商品を入れられて、空港の税関を通るまでは商品にタッチできない仕組みである。

私は出張に同行していた同僚のアメリカ人に頼み、サロンパスやシャンプーなどのどうせ買わなければいけなかった日用品を、ドラッグストアーで無税で手に入れた。個人的な事を言うと、ラッキーである。

そこで、いろいろ考えるのだが、外国人の消費税を免除して、何か得があるのだろうか?日本円が異様なほど安くなっているのに、物価の上昇は為替の差ほど起きていないのが現状である。消費税があろうと、なかろうと、外国人は商品を買い漁る。Japan is cheapの状態が続いているのだし、そう何回も日本には来ないので、旅行の予算はあらかじめ決まっているからだ。外国人の購買意欲を国家財政の補填に役立てないのは、誰がどう考えてもおかしい。

税金という物は、取れる所から取る必要がある。さもなければ、国家の財政は破綻する。何故、外国人を優遇する必要があるのか?観光であれ、ビジネスであれ、外国人も日本に来れば日本のインフラを使用する。きちんと税金をシェアする責任はあると思うのだ。しかも、観光促進などの名目に確実に税金が使われている。そういった事を考えても、外国人観光客は日本の財政にもっと貢献するべきだと思うのだ。(そもそも論でいうと、観光庁などは廃止するべきだと思う)

一方で免税のサービスは、一部のチェーン店や店舗のマーケティングツールとなっている。他の店では免税はないけど、うちの店は免税がありますよ、と。何故、政府のプログラムが民間の競争の手伝いをする必要があるのだろうか?しかも個人でやっているような店は、書類作成が面倒くさいので、プログラムに参加せず、結局大手に観光客は流れていく。国家がしょうもないプログラムを作って大手企業を優遇するべきではない。実質は「XXデパート」、「OO電気」、「XXカメラ」や「OOドラッグ」のためのプログラムなのだ。普段は馬鹿にしているピケティの名前も出したくなる。

そして勿論、これらの免税サービスを受けるには、書類提出や審査など、細かな作業が多く、財務省の天下り先が活躍している事は想像を働かせるまでもないだろう。

つまらないプログラムを考えずに、公平に8%フラット、でいいと思う。それがフェアーというものだし、つまらない権力の構造を生まなくて良い。おもてなしか何かは知らないが、何故外国人の消費税を免税する必要があるのか?外国人からぼったくってやれ、と言っているのではない。おなじところで買っているのに、何故支払う料金に外国人観光客と日本人で差があるのか、と聞いているのだ。

外国人の消費税免税措置は早急に廃止して頂きたい。こういう馬鹿な制度を認めている国民も国民だと思う。消費税を免税しても、観光客数は増えない。自分たちの消費税は上げられて怒っているのに、こういう不公平には怒らないのだろうか?

2/20/2015

ピケティの本は誰が読んでるの?

トマ・ピケティの本が売れているらしい。経済学を齧っている連中が周りに大勢いるが、ピケティの本を読んだ人など一人も聞いたことがない。やる事が多いのでそんな無駄な事に時間を使えないのだ。一方で、読んでいない人たちの書評には目を通している。新聞などには、有識者はピケティを絶賛、などと書いてある。しかし、私が読む書評では、ピケティの主張は日本には関係がない、と言う物が殆どである。

結局、ピケティの論調は、左翼の思想である。恐らく、暇を持て余したインテリ老人たちが、昔はカール・マルクスを読んだんだよ、などと言いながら、学生運動を思い出しながらピケティを読んでいるのだろう。

マスメディアが流布しているように、ピケティを有り難がっている人が大勢いるのかどうかすら疑問であるが、まあ、読むに値しない本であることには異論はないと思うのだが、如何だろうか?或いは、政治を左右に分けるために、ピケティの本は選ばれてしまっただけなのかもしれない。

2/15/2015

串カツは大阪名物?そんなアホな!

東京に滞在していると、大阪名物と宣伝している串カツ屋を何件も目にした。

私は大阪市の出身だが、子供の時に串カツを食べた記憶などない。高校くらいになって、怖いもん見たさにあいりん地区や新世界を「旅行」し、友達に押し切られて串カツ屋に入った事が一回だけある。揚げもんの油っぽさと、具の安っぽさと、釜ヶ崎地区のイメージ的な問題も手伝って、正直「気持ち悪い」感じがした。揚げモンは何を食べても大体同じような味なのだが、予想通りの味だった。店から出たら、油っこさで、やはり気持ち悪くなった。それ以来、私は串カツ屋で串カツを食べた事がない。

私は東南アジアの貧困者が住む街など、色々な所を訪れ、それぞれの場所で色々なものを食べている。美味しい物もあれば、不味い物もある。ただ、大阪の釜ヶ崎地域や新世界などには、足を踏み入れる気にもならない。物理的、生理学的な理由と言うよりは、心理的な蔑視感の為であると思われる。大阪に育った人間として、色々な物を刷り込まれてしまったのだ。そういう感情はなくすべきだと思うが、これだけはどうにもならない。説明できないが生理的に気持ち悪いのだ。これを差別的だというのであれば、私はそのレッテルを受け入れよう。

串カツは新世界名物のキワモノ料理であって、大阪名物と言われる事に反感を覚える。母親が手を抜きたい土曜日の昼飯の定番である「お好み焼き」や、学校帰りにつまむ「たこ焼き」とはわけが違うと思う。串カツは、新世界に観光でやってきた人たちや、ギャンブルや大衆芸能に溺れたニコヨン、あるいは生活保護受給者の食べ物であり、大阪の庶民の味ではない。飛田本通り商店街で、ママチャリに乗った腹巻をしたおっさんが立ち食いをしに暖簾を潜り、安物の油のどうしようもない匂いが脳裏をよぎる。串カツは心理的に気持ち悪い料理であり、大阪出身の私は串カツを食べない。

高級串カツ店とか、ありえない。別に「てんぷら」や「一品の揚げモン」でええやんか。串カツだけ食べるのって、頭おかしい。大阪に旅行してわざわざ串カツ屋に行く人達は、情報弱者としか思えない。

2/04/2015

復興航空墜落事件:パイロットは偉かった

復興(トランスアジア)航空が南港と汐止の間の基隆川に墜落した事件が起こった。インパクト度で言うと、後藤さん斬首事件の比ではない。しかし、タクシ一台が窓ガラスを撃破した事を除いては、地上での犠牲は全くなかった。死者が多数出たとはいうものの、助かった人たちもおり、これは奇跡としか言う他はない。偶然ではなかったとすれば、パイロットのグッドジョブである。

もし少しでもずれていれば、地上での多数の死者を出したであろうし、電線などをカットしていれば、台北市や新北市の汐止区などを中心に大停電を引き起こした可能性もあるのだ。台北はご存知の通り、人口が密集している。オフィス、住居、市場などに飛行機がヒットしていれば大惨事になったはずなのだ。

墜落した場所は南港ソフトウェアパークの近所であり、地下鉄木柵線のすぐ外側である。松山空港は人口密集地に位置しており、よくこんな空港を放置しているなあ、と思う事が多々ある。空港から南に一キロ強行くと、台北随一の繁華街である東区(忠孝復興など)である。この事件を機に、松山空港を廃止ししようという動きが出てくるかもしれない。空港跡地を再開発すれば、台北はもっと面白くなるだろう。

不幸中の幸いとして、この事件は扱うべきであろう。今後ブラックボックスの解析で明らかになる事であろうが、パイロットが数十人、あるいは百人単位の命を救ったのだ。

[追記(2・8)]上記の記事を書いた後、パイロットが問題がなかった側のエンジンを切ったのかも知れない、という情報が流れている。あり得ない話だとは思うのだが、もしそうであれば、パイロットのせいで墜落した訳である。もう少し事故の詳細に注視する必要があるだろう。

後述:パイロットのミスが致命傷となって墜落したそうです。地上の被害がなかったのは奇跡か偶然のようです。全然偉くないです。

2/01/2015

後藤健二さんの事件は、日本の政治と関係ない。安倍政権打倒を関係ない事と絡めるな!

スーパーボウルがあるにも関わらず、私は日本にいる。日曜日の朝、時差ボケで4時ごろ目が覚めてニュースを見ていると、衝撃的なニュースが流れてきた。勿論、後藤健二さんの殺害のニュースである。こうなるだろう、とは思っていたが、いざ実際に斬首された事実が報道されると、心が揺れる物である。

アメリカにいても、後藤健二さんのニュースはトップ扱いで流れていたが、日本では後藤さんの生前の映像なども流れており、より心が動かされるように番組が作られている。

少し冷静な話を先にしておきたいが、イスラム国、あるいはISIS(アイシス)やISILと呼ばれる事もあるが、国でもなんでもなく、ただの烏合のギャングスターである。後藤さんの事件が起きて以降、漸くマスコミなどでも正面からイスラム国を取り上げている。イスラム国の連中は、不満分子の愚連隊に過ぎず、明確な目的や目標を持ってテロ活動をしているのではない。武力にモノを言わせ、中二病にかかっている、ただのしょうもない奴らである。暴走族やヤクザの若い衆のメンタリティーである。しかも、恐れる警察はないので楯突くものはない。そこで、米軍や世界相手に吠えてみて、調子に乗っているだけである。老人や女・子供が参加していない事がその事実を如実に物語っている。しかも、イスラム国を名乗っているが、イスラム国など、一枚岩ではないわけだ。これもまさに暴走族と一緒である。暴走族と言っても、バイクに乗ってパラリラパラリラ吹かして警察に楯突くだけであり、グループ同士にまとまりなどない。寧ろ、抗争を繰り返す。

結論から言うと、そんなしょうもない連中につかまった時点で、後藤健二さんに出口などない。向こう側は交渉に応じる気などハナからないし、別に政治的な意図がある訳でもない。安倍首相がどうのこうの言っているが、国際政治を理解しているとも思えない。したい事があるとすれば、自分たちの勢力誇示だけである。つまり、後藤さんをビデオに出した時点で、殺すつもりなのである。第一、人質交換や、お金の引き渡しなどしたら、その時点でイスラム国側は居場所がばれて攻撃されるだろう。残念ながら、後藤さんの首が切れられる事は、すでに確定されていたのである。

ほとんどの情報通は理解していたと思うが、マスコミがこんな事をテレビで言える訳はない。だから、ナイーブな人達は後藤さんが帰還する事を信じたかったのだと思うし、そういう人の為に番組が作られていたのだと思う。そもそも論だが、イスラム国に捕まる可能性がある所に自ら出向いた後藤さんには殺されるべき理由はある。湯川さんのオツムがぶっ飛んでいる事も、わざわざ書く必要はないだろう。しかしどんなに考えても、安倍政権と今回の事件は関係ない。

寒風吹く日曜の夕刻、首相官邸前を通った私は、ゴミ(ガベッジ)を見た。イスラム国のテロリストたちは人間のクズであるが、それに準ずる人間がいたのだ。後藤健二が殺されたのは安倍首相のせいだとして、安倍辞めろのシュプレヒコールをしている連中がいた。アイアムノット安倍とか、アホな事を言っている。このデモをBBCと思われる外国のテレビ局が取材していた。個人がどんな思想を持とうが、何を考えようが関係ないが、後藤さんを利用して、アナーキスティックなユートピア論を主張をする人たちには虫唾が走る。シリアに行ってイスラム国相手にデモをすればいいのに、と思うのは私だけだろうか?

安倍首相の目指すものや政策については、私としては同意できない点が多々ある。ただ今回の一件に関しては何の非もないと思う。(交渉すらしていないふりをして、マスコミを煙に巻くなどの方法を取るのが最善だと思うが、オープンな日本でそういう手法は不可能である。)

日本の政治と後藤健二事件を絡める事は卑怯である。敵を作らない外交こそが日本を救う、とか馬鹿な看板があった。人道支援をしたから日本が攻撃されたらしい。首相官邸の前にいた連中は、イスラム国で殺されている人々の命はヘリウムよりも軽いとでも言いたいのだろうか?偽善ぶりに虫唾が走る。

そのうちイスラム国内では仲間割れが激しくなり、有志連合の攻撃により、テロリスト達は殺され数が減っていく事だと思う。何でも良いが、NHK BS1でスーパーボウルが始まったので、それを見る事にする。