7/23/2013

私が民主党の復活を望む理由

私は民主党が嫌いである。だが、民主党が瓦解して自民党の一党体制に戻る事には違和感を覚える。一党体制では権力が集中するし、権力の集中が腐敗を産むことは皆が知るところである。民主党以外の政党に期待すれば良い、という意見もあろうが、私はその意見にはくみ出来ない。何故なら、自民党と民主党以外のまともなinstitutionが存在していないからである。このinstitutionをどのように翻訳するかは難しい。例えば、エジプトではムシル元大統領が追放されるという「クー」紛いの事が起こったが、民主主義になろうともエジプトにはムスリム同胞団以外の政治institutionが存在しない為、民主主義が機能していなかった。まあ、党としての「体制」とでも翻訳しておこう。民主党が「党としての体制」を失ってしまうと、日本の二大政党制は終わりを告げる。それは日本社会に悲劇をもたらす事になるだろう。

対立軸が無くなってしまったため、参議院後の自民党は変化を望む必要が無くなる。無駄な社会的な抑制が日本には存在しているが、自民党が汗をかいてそれらを変えてくれるとは思えない。数年前、民主党はリベラル色を表に出して政権を握った。しかし、民主党は「夫婦の苗字決定を自由にする(いわゆる夫婦別姓)」などと言った誰にも問題が生じない簡単なリベラル政策にすら取り組まないまま、下野してしまった。今となっては民主党が何をやりたかったのかは解らない。というよりも、やりたい事があったのかすら怪しい。リベラル色の濃い鳩山から、社会主義者の菅直人を挟み、最後は自民党田中派の正当総理大臣のような野田に党代表を任せた。前原のように古き良き保守のような人間もいる。民主党には全く芯が通っていない。

民主党の批判を始めればキリがないのだが、日本の二大政党制度復活の為にも、まずは民主党に頑張ってもらわなければならない。私からすると民主党を復活させる方法は、とても簡単であると思うのだ。民主党の最大のスポンサーは労組である。ならば、労組の使命に違わないような党要綱を作ればいいのだ。

日本社会の対立軸ははっきりしている。会社VSサラリーマンである。労組が共産主義を標榜する古い体質の夢見る夢子ちゃんである事は論を待たないので、民主党が世間のマジョリティーである現代のサラリーマンの為に、自ら労組を現状に合うよう改革していくような政策を立案していくことが求められる。

つまり、最低賃金引き上げ、レイオフの禁止、消費税現状維持、年金制度の充実、雇用を守るなどを徹底的に打ち出すべきであると思うのだ。一方で、会社経営者側の組織、例えば経団連等とは積極的に対立するべきである。法人税の引き下げ、インフレ政策、解雇の自由化、非正規政策、消費税増など、民主党は徹底的に反対するべきである。これらは絶対にぶれない様にしなければならない。党内で違う意見を言う人は、どんなに力がある人であろうとも、すぐに除名するべきだ。党の政策としては、サラリーマンやその家族が直接恩恵を受けられるもの以外は出してはいけない。

一方で、社会問題などはサラリーマンの奥さんを対象にしたソフトなものを打ち出す必要もある。環境問題、医療問題、教育問題など、万人受けするものを強調する。社会的にリベラル色を強めればよい。外交なども「対話」を強調するだけで良いのだ。

これだけでいい。そして、自民党は会社経営者や農家や商店などの自営業者側に立った政党であるとレッテル張りをすればいいのだ。それだけで民主党は次の選挙で勝てる。逆に、これをしないで、原発問題だの、新しい公共だの、官民の連携だの、オープンだの、選挙民の暮らしに関係のないイデオロギー論争にコミットしすぎると、民主党は近いうちに瓦解する。子供手当や高速道路自由化の様な細かい政策は上げる必要すらない。

日本にとって良い政策とは何か、などと「マジで」考えているセンチメンタルな民主党議員が多数いるようである。党員が何を考えても個人の自由であるが、政党政治におけるゲームの仕方を党員に徹底して調教するべきだ。民主主義社会においての政治とは、選挙というルールを用いて、配分の仕方を決め合うだけの汚い仕事である。それに対して、良いも悪いも、公正も不公正もない。「大人の事情」で食うか食われるかだけが存在するのだ。前原や野田、あるいは岡田など、経営者側寄りの政策を出そうとする「まともな連中」を、すぐにでも党から追い出すべきである。その辺の連中は自民党にでもみんなの党にでも行ってもらえばいいのだ。

上述の事をすれば民主党は復活するだろう。そうすれば自民党もきっちりと対立軸に立って政策を出してくると思うし、金魚の糞政党は自ずと消え去ると思う。そうすれば私は納得して自民党に投票するだろう。民主党に復活してもらい、二大政党制にならなければ日本の民主主義は死んでしまうのだ。民主党が一人前のInstitutionになる事を切に願う。

7/19/2013

ジマーマン事件を人種問題として政争化させたアメリカ、韓国併合問題がいまだに政争化している日本

ジマーマン事件、特集

ジョージ・ジマーマンが無罪になったケースを「人種問題」にすり替えている米メディアに辟易としており、言いたいことが一杯ある。何故ここまでイラつくのか自分でも解らない。この記事によってきちんと整理し、一旦区切りをつけ、自分の仕事に集中したい。

以前、竹中平蔵の記事を読んだ時に、「なるほど!」と驚嘆したのだが、その説によると批判するには三つのパターンしかないという。今回のジマーマンの事件の評決に関して批判している人は、自分の意見と異なる人達に「差別主義者」というレッテルを張り、永遠の真理を謳っているのだ。しかも、それを「正義」だと主張している。

今回の問題の根本には、黒人社会が自分たちの置かれている状況を嘆いているところにあるのだと思う。米国において、黒人層の貧困が解決するべき社会問題である事は論を待たない。多くの米国人が、故意であれ無意識であれ、黒人を色眼鏡で見ている事も間違いない。国籍、性別、人種などは自由に選択することが出来ず、本人の努力とは全く関係がない。生まれた時の運次第である。しかし、それらによって差異が生じている事は疑いのない事実だ。それらの差異は、多くの場合で残念ながら打開することは不可能である。これは人間社会における克服できない永遠の問題であると思う。そして筆者は黒人ではないので完全には理解できないのだが、単純に述べると、黒人に生まれた多くの人は、白人が生まれながらに手に入れている何かを妬んでいるのだろう、と信じている。

1.正義とは?

サンデル教授ではないが、「正義」の話をしたい。法に則った行動がすべて「正義」であり、違法な行動は「正義」にもとるのか?

私たちの社会では、合法だがモラルに反する行為や、違法だがモラルに則った行為と言う物に頻繁に遭遇する。だからこそ、映画は盛り上がるし、小説家は話題に事欠かなかったわけだ。例えば、ナチズムは当時のドイツでは合法であった。しかし、それを「正義」とする事はどうか、という話が当然成り立つ。後述の奴隷制度や植民地政策もしかりである。確かに時代が進めば進むほど、モラルと法律を近づけようと努力されてきたため、そういったギャップは縮まりつつある。

正義にはいろいろな種類がある。ここでは、法正義とモラル正義を比べる。モラル的な正義には危うさが付き纏う。時代、宗教、生活環境などにより、モラルは十人十色であるからだ。モラルだけを信じてしまうと、我々は日常行為に自信が持てなくなってしまう。今は許されているが、動物の肉を食べる行為は、モラルにもとる行為ではないのか?ベジタリアンは肉食は罪だと言っている。このように、モラルに裏付けされるような万人に共通する正義はあり得ない。近代社会では国民が国家という制度を許容し、国家が法律を作り、それに国民は従うと契約している。国民は国家と契約した以上、法律をルールと見做し、ルールに従った法正義の行動をとる義務がある。法律を守っている以上、個人は国家から消極的ではあるが自由でなければならない。つまり法治国家では、法さえ守れば逮捕されることはないのだ。故に、正義はその法律によってのみ定義することが可能であると思うのだ。法を超えたモラルの話は、人々の「意見」に過ぎないと考えている。越権行為で逮捕される世の中は、危険であるのだ。勿論、それらの「意見(或いはモラル的な正義と呼んでも構わない)」は、政治家が法律を改正することにより、将来の正義にはなり得る。

よって、異なった法律を持つ国家や時間軸をもって、「正義」を語る事は慎むべきだと思っている。私がここで使用する「正義」は、あくまでも法正義の事である。ナチズムを批判する際にも、その時代にはドイツ第三帝国において合憲であった、としか言いようがない。これはナチズムを肯定しているのではない。歴史を客観的に述べているだけである。しかし、ナチズムの憲法やその他の法律に当時従った人達を、あなたは裁くことが出来るのか?国際法に違反するとアウトだが、当時のそれ以外のナチス支持のドイツ人は第三帝国と契約しており、その法律に従っただけに過ぎない。その当時の社会を攻撃対象とすることは、余りにもアンフェアである。それならば、政治や宗教などのイデオロギーに則って行動しているテロリストを現代国家が裁くことなどできなくなるのだ。何故なら、未来に何が正義とされるのかが解らないからだ。私がここに書いている意見を嫌う感情的な人や現状の制度を信じて疑わない自信過剰な人の方が社会にはむしろ多いと思うし、そういった意見は尊重したい。ただ「常識」や「モラル」は揺らぐので、客観的な価値判断には使えない。

2.米国の奴隷制度と黒人

話を黒人問題に戻す。黒人の祖先の多くは、奴隷貿易でアフリカから新大陸に連れてこられた。当時のアメリカにおいて、奴隷制度は憲法で認められていた。1865年に憲法が修正されるまで、奴隷制度は法正義であり、それ以降は不正義になった訳だ。正義だからと言って問題がなかったわけではない。正義だとしても社会問題であったのだ。故に、南北内戦でアメリカ人同士の殺し合いを経てまで、憲法は修正されている。奴隷貿易の過去は現在の政府にはCondemn(非難と訳して良いものか?)されている。

米国の黒人社会は、いまだに奴隷貿易を引き摺っている。現在の黒人社会における貧困や脆弱な教育といった問題は、奴隷制度が由来であると考えている人たちが大勢いるのだ。そうかもしれないが、そんな事をいまさら言っても仕方がない。すでに奴隷制度は不正義となったのだ。

今日においても白人に対して「プランテーションメンタリティー(入植者精神)」を持つな、などといった意見を言う黒人を多く見かける。モラルの正義を持ち出して、過去の奴隷貿易の良し悪しを議論すれば、必ず白人側は防衛一方となる。奴隷制度の過去は政争にも使われる。しかし、現代の多くの白人は奴隷貿易に直接関わっていないどころか、多くの人が黒人に同情しているという事実もある。未だに黒人に積極的な差別感情を抱いている糞白人もいるだろうが、そういった人達は寧ろ極少数派だ。黒人であれ、白人であれ、21世紀において奴隷貿易の話を蒸し返す発言をする人達は、人種間戦争でも起こしたいとしか思えない。だが、逆にいうと、マイノリティー側は強力な武器を手に入れていると言っても過言ではないだろう。

これらを利用し、黒人の人権擁護団体が利権を漁っている。公民権が保障された時点で、それらの団体の主な役割は終わった訳だが、いまだに過去の栄光を引きずりながら団体として存在している。それらの団体が自分たちの私腹を肥やし、力を入れるために、積極的に差別事象を作り上げる。そして、それらに乗りかかる自称リベラルな人達が結構な数いる訳だ。で、それらリベラルな人達が、人種問題から目を反らしたい普通の白人を「保守主義者」というレッテル貼りをする。

勿論、アメリカ人の多くは黒人団体やリベラルな運動家の意図を見透かしている。ただ、自分の評判が傷つくので、政治的な意図がない人達は、それらを積極的に非難することは出来ない。匿名のツイッターを見て貰えば、CNNやMSNBCで言われているのとは異なった意見が多い事に気づくだろう。勿論、政治運動家の戯言と無視することも可能だ。しかし、本当にそれでいいのか?

今回の「トレボン・マーティン射殺事件」をニュースで聞き流した国外の人はどう思うだろうか?例えば、日本国内向けには保守的な産経であるがこの事件についてのニュースの報道には保守の姿が見えない。裏事情を知らずにこれを読めば、黒人が可哀想だと考えると思う。トレイボン・マーティンがギャングのような不良で、ジマーマンが車に帰ろうとする時に襲われて頭を何回もコンクリートに叩きつけられたとは書いていない。一番の問題は、このニュースは日本では興味がもたれない為に、商業的な価値がないという事だと思う。で、日本国内で流されている少ない情報から、アメリカの白人社会は黒人社会を差別し、おかしな政策を作っていると考えるかも知れない。だが、それは明らかに不公平な意見だと思う。例えば、いつもは左寄りで大嫌いな経歴詐称をしている人物も、今回の批評では私と変わらないような発言をしているのだ。

3.わが国では?

ここまで書くと、おやっと思う読者も大勢いるだろう。

朝鮮・韓国人社会と日本との関係に似ていないだろうか?例えば、いわゆる従軍慰安婦問題などの話を蒸し返すのは、全く同じパターンだと思う。法律、時代背景や社会問題を完全に無視した場合、管理売春の様な行為は女性の権利を踏みにじっているはしたない行為である。一般の善良な市民は、性産業にモラル的な罪悪感を持っている。それはユートピア的な「モラル上の正義」なのだと思う。当時の社会状況では仕方がなかったにせよ、ほとんどの日本人は、過去に植民地主義や管理売春を大日本帝国が実行或いは許容していたような事実については触れてもらいたくもない。同時に、ほとんどの人が韓国人や在日韓国・朝鮮人に対して一種の罪悪感の様なものすら持っている。

だが、一部の韓国・朝鮮系の人達や、リベラルなメディアは、モラル問題でこれらの歴史を政争として蒸し返す。従軍慰安婦の存在を無視したり否定したりする立場の人間は「軍国主義者」や「極右」であるとレッテルを貼られる。それに対して、保守派は青筋を立てて否定する。この問題も一部のリベラルメディアの経済的な理由による恣意的な報道から発展していったと信じられているが、これらが社会に与えた影響は余りにも大きい。挙句の果てには、ゴミの様な社会的な負け犬たちが、新大久保などで差別発言を繰り返しながらデモ行進を行っている。日本と朝鮮半島の問題については、色々な人が客観的な分析をしており、ここでは詳しく書かない。

4.合法的に搾取した歴史については、モラル論を振りかざされると絶対に勝てない。

私は、一部の東アジア地域が日本に対して行っている反日社会運動と、アメリカにおける黒人社会の運動の戦略がだぶついて見えてしまうのだ。日本も、アメリカの白人社会も、絶対に勝てない防戦一方の試合を強いられているのである。むしろ攻撃相手は、攻撃の手を緩めないで、ごねればごねるほど有利であるのだ。そうすれば、自分たちの政治メッセージがより広く伝わる。

私は過去の合法的な搾取の歴史を修正しようと言っているのではない。アメリカの白人にせよ、日本にせよ、欧州にせよ、多くの人は過去の合法的な搾取の歴史を個人として自省している。国家としても過去の搾取対象だった地域やグループに対して、色々な貢献をしてきた。勿論、表現の自由が確保されているので、頭のイカれた団体や、教育を受けていない個人が「エクセントリックな意見」を主張したり、金儲け主義のメディアが今回のケースの様な「ある事ない事揚げ足を取って報道」することはあるだろう。しかし、全体的にきっちりと反省した上で、臭いものには蓋をしているつもりなのに、それを蒸し返される事は「政治利用」以外の意味が見いだせないと言っているのだ。それが分っているので、特に左翼の現制度に反対する政治団体は、むしろ昔の過ちを積極的に利用しようとする。

残念ながら、これらは当事者以外には興味がない小さな問題だ。日本ではジマーマンのケースが政争に使われている事実はほとんど報道されていない。黒人対白人の問題に日本社会は興味がない。情報に疎い人達は、メディアを通じて入って来る「黒人をしいたげるアメリカ社会」という話を信じ込んでしまうだろう。同様にアメリカやヨーロッパも、極東地域の政争に興味はない。アメリカでは、韓国や中共で行われている反日運動について、表層以外は報道されない。ほとんどのアメリカ人にとって、アジアの極東の問題など、どうでも良いわけだ。そして、多くのアメリカ人は日本が右傾化しており、軍国主義にいまだに憧れを持っており、韓国や中国を蔑んでいるのだと信じている。そして、そのようなイメージこそが、政治団体(右も左も)の寄付金集めに大いに役立つのだ。

しかも、この問題をややこしくしているのは、黒人や韓国人側に産まれた人は、この問題を窘める側に回る事が極めて困難な点である。黒人が白人側を擁護したり、韓国系が日本人を擁護すれば、もっとおかしなレッテルを貼られる。従って、常識のある人は「どっちもどっち」というような意見を言わざるを得ないのだ。名前を出しているコラムなどで、そういった常識的な人達の意見を読むと、ある意味で可哀想だとも思う。

表現の自由が許される民主主義社会であるのだから、情報を客観的に分析する能力が一人一人に求められている。私は科学者として、法正義とモラル正義以外に、もう一つの正義を認識している。それは事象を客観的にとらえた「事実」と言う名の正義である。ユートピア的な考え方であるとは承知しているが、感情論ではなく「事実」を大切にする社会に憧れを抱く。

5.デモは続く

それでもデモは続いている。トレイボン・マーチンという、学校で何度も停学を喰らったり、未成年の癖にマリファナを吸ったり、自分が撮影した女の子の裸をSNSにアップしたり、何故か鞄からいくつもの宝石とスクリュードライバーが出てきたり、近所を監視していた善良なヒスパニックの自警団をぼこぼこにしたりするような、そんな不良の名誉を守ろうと、全米各地でデモが繰り広げられている。この不良少年の名誉を守るという行動こそ、安重根の銅像を作って讃えようとしたり、従軍慰安婦の像を作ったりするような行為と重なるのだ。神経の逆撫でをするような非常に不快な行為である。私は匿名なので、この記事を書いている。もし私が自分の名前をさらす必要があれば、ここまでは書かない。自由な議論をする余地すら奪う非常に卑怯な政争工作を、トレイボン・マーチン擁護派は仕掛けているのである。SNSやツイッター上で流れている、上品な黒人利権団体批判論は、フォックスニュース以外では取り上げられることはない。

7/16/2013

ジマーマン事件の感想をフェースブックに載せると、「差別主義者」と罵られる。

ジマーマン事件、特集

ジョージ・ジマーマンの事件で色々思う所があったのでフェースブックに書き込みをした。日本語に翻訳して要約すると「今回の件は銃が問題であるのに、メディアは人種問題にばかり光を当てている。これを一番喜んでいるのは銃規制に反対する者たちだけだ。」というかなりオブラートに包んだ表現を使ったのだが、結構評判が悪かった。私のアメリカ人の友人にはリベラル系が多いのだが、「人種こそが今回の事件の元凶である」や「黒人のお母さんの気持ちを考えよ」などといった「リベラルな」意見を沢山頂いた。酷いものになると「お前は差別主義者だ!」と来た。アメリカ人に差別主義者と罵られたことは、ある意味嬉しかった。いつもは「Like」を押してくれる友達も、羹に触りたくないのか、反応はかなり悪かった。

私の主張ははっきりしている。
  1. ジョージ・ジマーマンがトレイボン・マーティンを殺した今回の一連の経緯に、人種差別はなかった。
  2. フロリダの法律に則ると、ジマーマンに下された無罪判決は予想通りの常識的なものであったし、それこそが「正義(ジャスティス)」である。
  3. フロリダの銃に関する法律は、混乱が生じないように積極的に改良するべきである。
  4. 出来る事であれば、国家レベルで長期的な視点をもって銃規制に力を入れるべきである。
  5. アメリカの人種問題、特にアフリカ系アメリカ人の貧困は深刻な問題であるが、それは今回のケースとは別の社会問題である。

ただ、1と2は、アメリカの感傷的な左派には到底受け入れられなかったようである。私は理路整然と、今回の一連の話を考え続けた。が、どんなに努力しても、人種問題がこの事件に直接影を落としているようには考えられないのである。しかし法廷の外では人種が問題とされた。メディアは視聴率稼ぎの為か、人種問題に焦点を絞り、事件の「台本」を作った。そして一部の人、特に格差是正などのデモをしている人たちが、この事件を人種差別の象徴と使い始めたのだ。

NCAAP(全国有色人種向上協会)がマーティン家の弁護士を務めたり、法廷外のデモを主導していたりするのだが、この団体が事件を人種問題と結び付けたいようだ。NCAAPは国民の公民権問題で数十年前には色々な功績を残したが、近年は人権圧力団体に成り下がっている節がある。この団体は、銃規制についてはほとんど触れないし、そっちの方向に話が行かないように気を付けている節すらある。NCAAPは、ジマーマンが人種プロファイリングした事を問題視している。

人種プロファイリングとは、人種帰納とも呼ばれ、「人種」によって不審人物かどうかを推測して、職務質問などをしたりする事である。黒人が分譲住宅地の中を歩いていたと言うだけで、ジマーマンはマーティンを怪しく思い、尾行し、最終的に射殺に至った、と言う物である。つまり、マーティンが黒人でなければ、マーティンは殺されていない、という事になる。

私が法廷のやり取りを掻い摘んで聞いた情報から推測する物語とは、かなりかけ離れている。ジマーマンが住む分譲住宅の敷地内で、空き巣などの被害が相次いでおり、黒人少年が逮捕された。しかし、いまだに空き巣の被害は減っていないので、自警団であるジマーマンは、警察の対応に不満を募っていた。ある寒い雨の夜、黒人の少年がフードを被って、家々を物色しながら、裏地を歩いていたので、不審に思った。しかも、薬物等を使用している様子すらあった、というのが事件公判で明らかになっている。

勿論、この話がジマーマンの都合に合わせて作られていないとは限らない。ジマーマンは警察に電話をし、「最近この辺りは空き巣にやられているのですが、明らかな不審者がいるのです。この男は、多分良からぬ事を企んでいるのか、それともクスリか何かをやっているのか、そんな感じです。」と告げた。それに対し、電話交換手の女性が「その男は、白人ですか?黒人ですか?それともヒスパニック系ですか?」と聞いたのを、ジマーマンが「黒人みたいです」と受け答えをしている。

しかし、左寄りのNBCは、このテープを編集して「This guy looks like he’s up to no good. He looks black.(こいつは、良からぬことを企んでいる。こいつは黒人だ)」としたのだ。このように続けられると、かなりの印象操作である。NBCのニュースで何度も流されたのだが、これを聞けば視聴者はジマーマンが黒人だからマーティンを追いかけたと考えても仕方ない。しかも、下の二組の写真を見て欲しい。上の写真の代わりに、下の写真が使われていたのだ。かなりイメージが違うだろう。

この日は二月の雨のフロリダにしては寒い時期で夜7時だったので、ジマーマンは「Fucking Cold!(糞寒いなぁ)」と言った。それを、左寄りのCNNもジマーマンが「Fuckin coon!」と言ったと誤報道したのだ。Coon(クーン)は黒人に対する差別用語である。クーンと言えばラクーン、つまりアライグマの事でもあるが、それとは関係ない。奴隷貿易の時に、「Barracoon」と呼ばれる檻に入れられて黒人がアメリカ大陸に運ばれていたことから、黒人をクーンと蔑むようになったという。こんな事がニュースに伝えられれば、色眼鏡で見てしまうだろう。

メディアのレベルの低さや、視聴率目当ての誘導的な手法を批判しだせば、5冊くらい本が書けるところであるが、その話は脇に置いておこう。私は、この「射殺」事件の背景には人種問題はなかったと信じて疑わない。しかし、何故黒人たちを中心に、そこまで人種の問題が取り上げられるのかが理性的に理解できないのだ。ニュース番組に出てくる人種問題根拠説を唱える人達は、物凄く感情的である。勿論、あの人たちの知能指数が足りないので、メディアにころっと騙されて、ジンマーマンに対して感情的で不公平な逆差別をしている、などと断じる事は簡単かもしれない。しかし、それでは腑に落ちないのである。

マーチンは暴力を振るったにせよ、所詮は未成年である。黒人の不良なら、正当防衛の名の下に殺されてもいいのか?黒人の不良が虫けらの様な扱いを受ける社会は、おかしいのではないか?私は、色々な点でこの意見を支持することは出来ない。まるで、素行不良を容認するような発言であるし、黒人やラテン系を中心とする未成年のギャングメンバーによる殺人事件が後を絶たない社会の現実を無視しているようにすら思うからだ。しかし日本でも、偏差値の足りない未成年がお祭りでバイクなしで暴走族の真似をするような事もあり得るわけだし、カツアゲ行為などをしている人達も多くいるわけだ。アメリカでなら、これらの子供同士が殺し合いをしたり、一般人を死傷させたり、正当防衛の名の下に殺されたりすることもある訳だ。アメリカでは「ワル」をすると命を失う可能性が高いわけだ(注:日本でもワルは良く死亡事件に巻き込まれています)。何故か?アメリカでは簡単に銃を手に入れることができ、人を簡単に殺すことが出来るからだ。

しかし、NCAAPは銃ではなく、「プロファイリング」を問題としている。言うまでもなく、人種によって人を犯罪予備軍と見做すことはおかしい。特定の人種が悪名高くとも、ほとんどの人は善良である。ベイズの簡単な式を使って考える。例えば、ある町では犯罪者で逮捕した者の80%が黒人であるとする。この町の住民のうちの30%が黒人であるとする。犯罪率は1:1000人である。こういった状況で、黒人をランダムに職務質問して、その黒人が犯罪者である確率は0.3%に満たないのだ(ベイズによりP(犯|黒)=P(犯)*P(黒|犯)/P(黒))。つまり黒人のうち、375人に1人しか悪い奴はおらず、残りの374人は善良な市民という事になる。374人の善良な市民は悪くもないのに職務質問を受け、気分が悪くなる。その犠牲のもとに、1人の犯罪者を検挙することは社会的に許されるのだろうか?これがNCAAPの主張である。まあこれはランダムに選んだ場合にいえる事であって、実際にプロファイリングする際は人種以外の要素も考察されようし、明らかに悪そうな奴もいる。だが、実際に黒人は日常的に不審な目で見られることがあるようで、イラつく事も多々あるようだ。

私が以前住んでいたシアトル近郊の町で、ある時期に空き巣が頻繁に起こった。ある日、私の大家が不審な黒人を見つけ、警察に通報した。連絡を受けて駆け付けた警察が職務質問をした結果、その不審な黒人が連続空き巣犯である事が判明した。私の大家は警察から感謝状をもらった。どうも電話したのは私の大家だけではなかったようで、何人かが感謝状を受け取ったようだ。何故私の大家が警察に電話をしたのか?その人物が不審であったからだ。それが偶々黒人であっただけである。今回のジマーマンのケースと全く同じである。NCAAPの主張に沿えば、これも人種差別なのか?

もし、NCAAPの主張が正しいとして、NCAAPは一体どんな政策を提案出来るというのか?もし人種によって、犯罪のプロファイリングが禁止されれば、不審者がマイノリティーであった場合に警察等に電話することを躊躇う事態が出てくると思われる。不審かどうかなど、直感に頼るしかない訳だ。理性的に判断などできないし、予防的な措置が犯罪を防ぐ可能性もある。フォールスアラームもあろうが、犯罪者を捕まえる事が出来る方が良い、と私は考える。警察は、不審者を見かけたらすぐに通報するように、市民に促しているではないか。

NCAAPが差別のない社会を作りたい、肌の色が障礙にならないような社会を築きたいという理想論を説くのは自由であるし、私もそうなって欲しいと切に願う。しかし現実問題として、社会の安全性の中で、犠牲にしなければならないものも多くある。プロファイリングを責めるのは、個人の心の領域に踏み込む行為であり、社会の安全を脅かす可能性も考えられ、自重するべきであると考える。社会に対してマイナスが大きすぎるのだ。私は怪しい人物を見かけたら積極的に通報しろと言っているのであって、黒人を見つけたら通報しろ、と言っているのではない。ましてや、人種差別を助長している訳でもない。逆に、行動を起こす人種差別主義者や、面白がって差別的な主張を繰り返す者たちは、社会の福祉に反する犯罪者であると考えている。差別のない社会を作るべきであるが、教育の向上など、気長に投資していくしか解決方法はないのではないか?

ジマーマンに対するレッテル張りは、黒人社会と「普通の」白人社会の間に溝を作る行為である。ジマーマン自体は警察ではないし、でしゃばり過ぎた。しかし、正義感に溢れたコミュニティーを大切にしたいタイプの人間である、と私の目に写った。メディアが面白がって人種問題を扱えば扱うほど、政局が二極化して、法案も通らなくなるだろう。フロリダなど、米国南部でいまだに健在な自己防衛法の在り方など、社会的に議論することは山ほどあるというのに。

今回の事件ではマーチン側にも自己防衛の権利があった筈だ、と論じる人もいる。状況証拠からは、マーチンが最初に殴りかかったものと考える方が妥当なのだと信じているのだが、目撃者がいないので100%そうだとは言い切れない。仮に、マーチンがジマーマンを撲殺していたとしよう。銃をもった男に脅された為に、自己防衛したのだといえば、無罪放免になる可能性もある訳だ。「もしも」の話をしだすとキリがない訳だが、スタンド・ユア・グラウンド法がどれだけの悪法かが解ると思う。ただ、法治国家では、悪法も法なり、であり、悪法故に個人を裁くことはあってはならない。気に入らなければ、選挙によって選ばれた政治家が法律を変えるしかない訳だ。

まあ、一つ学習したことは、SNSで政治発言をすると危ないという事だ。匿名のブログの中だけで好き勝手言います。長文に付き合わせて、申し訳ない。

7/15/2013

ジマーマン事件で再考した差別問題とアメリカ

レイカースを離れたメタ・ワールドピース氏(笑)が、ニックスとサインしたという事である。ワールドピース氏を獲ろうとは、ニューヨーク・ニックスは面白いチームである。NBAの話はこの辺で置いておこう。

ジマーマン事件、特集

で、アメリカの人種差別の問題だ。アメリカでは人種差別の問題は、いまだにタブーであるし、「隠れ人種差別主義者」が年上の層を中心に、結構いる。アメリカも広い。シアトル界隈では、アフリカ系アメリカ人が比較的少ないので、人種差別的な問題を感じる事はなかった。しかし、ニューイングランドに住んでいた時は自分が外国人であると日々思い知らされた。現在は米国の南部にいるが、人々は以外にも優しいという物の、ほんの数十年前まで黒人を迫害していた傷跡は未だに残っている。

アメリカでは、奴隷制度が敷かれており、1800年代半ばまではアフリカ大陸から大量の黒人奴隷を新大陸に連れてきたわけだ。しかし、1865年に内戦である南北戦争が終結し、北軍が勝ちをおさめ、合衆国憲法を修正し、憲法上は黒人奴隷の解放が実現した。

しかし、憲法は公民権を与えただけであって、「私人」や「民間企業」による差別を禁止した訳ではないと解釈された為、20世紀の前半はアメリカ全土で人種差別が罷り通っていた。黒人だけではない。アジア人なども、カリフォルニア州では白人と結婚できないが、ワシントン州では白人とでも結婚できる、などと言った人種隔離政策のようなものが幅を利かせていたわけである。

二つの大戦中は軍隊の内部などでも、白人と黒人で制度的な差別が蔓延していた。1948年になり、初めて軍隊内での人種隔離を禁止する命令が下されたもののベトナム戦争までは白人と黒人の混合部隊は実現していない。

50年代はアメリカ南部ではジムクロウ法の影響もあり、黒人差別が色濃く残っていた。しかし、マーチン・ルーサー・キング牧師の公民権運動を経て、1964年にようやく、ジョンソンが公民権法を制定させ、黒人差別が米全土で禁止されるようになる。

つまり、アメリカでは黒人差別が終わってから、50年も経っていないのである。古い人々の記憶の中には、差別が許されていた時代が色濃く残っている。そして、差別問題で「左」と「右」に分かれて政争を繰り広げられたことも覚えている訳だ。

日本でも、戦争の是非や在日問題が、一種のタブーだった時代が長く続いた。そして、現役世代が完全にボケ始めたころになって、漸く自由に議論できる風潮になった。草の根レベルでは、小林よしのりが果たした役割がかなり大きいと思っている。「戦争論」だけでなく、「差別論」なども、戦争問題や差別問題のタブーを取っ払い、左と右の拗れを消し去って、戦後意識を本格的に終わらせた偉業であると考えている。

しかし、アメリカでは、小さい時に差別社会で育った人たちがいまだに現役である。先月には、フードチャンネルで南部料理を紹介するポーラ・ディーンと言うカリスマお料理タレントが、黒人蔑視発言(注:ニガーと言っただけ)をしたという事で、フードチャンネルと契約を切られてしまった。過剰とも言えるニュースメディアの反応を見ていると、正直、違和感を抱くが、人種差別を受けて育った人たちが大勢生きている事を考えると、複雑な気持ちにもなる。

アメリカの若い子供と接していると、人種の垣根はあまり見られないと思う。まあ、オバマ大統領が当選したことでも、人種差別時代からは大きく変化したのであろう。しかし一方で、中年より上の人達は、いまだに人種差別や南北戦争を引き摺っている。アメリカ北部に住む人たちのアメリカ南部地域に対する蔑視は、気持ち悪い。黒人の白人に対する偏見は聞くに堪えない。貧乏な南部の白人は、未だにプランテーションメンタリティーを抱いている。

アメリカも、まだまだ時間がかかるのだろうと思う。公民権的な考え方では、明らかにアメリカ社会には大きな問題が横たわっている。しかし、若者たちを見ていて、こうも思うのだ。きっと、近いうちに、アメリカ版の小林よしのりが現れて、この問題に終止符を打ってくれるのだ、と。

アシアナ航空が地方テレビ局を「差別」問題で提訴

アシアナ航空がサンフランシスコの地元地方局であるKTVUテレビを人種差別的なパイロットのデタラメな名前を公表した為、訴えることにしたという。興味は、どんな酷い人種差別をしたのだろうか、という事になる。以下の四つの名前が公表されてしまったのだが、

Captain Sum Ting Wong
Wi Tu Lo
Ho Lee Fuk
Bang Ding Ow.

初めの名前は、Captain, something wrong (キャプテン、何か異常です。)
次は、we're too low (当機の高度は低すぎるぞ!)
そして、holy fuck (こんちくしょう!)
最後は、飛行機が bang, ding (バーン、ディーン「激しい衝突の擬声音」)そして乗客はow(オー「激しい驚きを表す擬声音」)

と来た。無理やり日本語にすると面白くないが、英語が解る人なら、結構考えられたジョークであると思う。このジョークは、その地方局の夏休み中のインターンが作ったものだったが、何故か放送されてしまったという。まあ、趣味の悪い放送事故である。これが、11時台のトゥナイトショーのジェイ・レノ(ABCテレビのナイト・イン・ナイトみたいな物)や、コメディチャンネルのダニエル・トッシュが漫才として言ったのなら、「めっちゃ、おもろい」で終わる話だ。だが、地方局のニュースでこれを流すのは、プロ意識に欠ける最悪の放送事故である。

しかし、これは人種差別的な名前なのだろうか?中華系の名前を持つ人は、違う文化圏の人にその名前をからかわれることもあるだろう。しかし、それが「人種差別」であるとするのは行き過ぎていると思う。日本人がパーティーなどに行くと、酔っぱらった外国人に「フジツー・カワサキさん、アリガトゴザイマス」などとからかわれることもある。気分が乗らない時は鬱陶しいものであるが、人種差別ではないと思う。

アシアナ航空は、品の悪いプロ意識に欠けた放送事故を逆手にとって、金科玉条のごとく「差別」論を展開したと考えるのが適当であろう。差別のレッテルを張られれば、メディア側はあらゆることを自制しなければならなくなり、ある事ない事を放送されるリスクが減るからだ。

米メディアは日本のメディアと同じで、基本的にリスクを取らない。一方で、攻撃できない対象は徹底的に叩く。そして、ある事ない事を必死で煽って、視聴者を鼓舞させ、視聴者をテレビの前に釘づけさせる。自由な意見を言っているように見えて、出演者の役割分担がはっきりしており、些細な問題であれ、二極分化するように持っていこうとするし、すぐに政争化する。

勘違いしている人も多いと思うが、アメリカのメディアは、質的には日本のメディアとほとんど変わらない。ケーブルニュース系の、フォックスにしても、CNNにしても、MSNBCにしても、かなり質が低いし、大衆迎合的で、下世話が好きである。ABC、NBC、CBSの三大ネットワークのニュースも「ソフトニュースを流し過ぎている」と考えている年配の人はかなり多い。前回の書き込み、ジマーマンのケースもメディアの行き過ぎが混乱を招いているとして、間違いないと思う。

あらゆる事に「人種差別」を持ち出して、自分の相対的な立場を上げようとするやり方は、卑怯以外の何物でもない思う。実際に人種差別に合って権利を侵されている人に対しても卑怯であるし、人種差別意識が無くていざこざを起こしている相手に対しても公平ではない。さらに、社会を煽動するという意味でも、卑怯この上ない作戦であると思う。社会的な立場を考慮すると、第三者は表立って反論できないという事も強調しておきたい。

アシアナ航空に言いたい。恥を知れ、と。そして、ジマーマンのケースで人種差別問題を炊きつけられて騒いでいる人達にも言いたい。頭を冷やせ、と。そして、ジマーマンのケースで人種差別を煽っているNAACPにも言いたい。あんたらの使命は既に終わっているのだ、と。メディアにも言いたい。視聴者を煽るな、と。そして、視聴者に諭したい。メディアに騙されずに、真実だけを冷静に見ろ、と。

人種差別を金科玉条のごとく使ってくるグループとしては、黒人グループ、ユダヤ人グループ、そして韓国人グループがある。多くのアメリカ人は、大きい声で公式的な立場では言えないが、正直「Again?(またか…)」と思っている。そして、こういった事を利用して、リベラルな政治的立場を表明する左寄りの人達が溢れて来て、それらの団体をサポートし始める。上述のグループは、そういった一連の動きの中で、ますます政治力を強めることになり、やがては票が欲しい政治家なども関与してくる。資本主義社会で民主主義的な国では、良く見る光景と言ってしまえば、それまでなのだが。

人種差別などを簡単に濫用できないような社会になることを、切に願う。

7/13/2013

ジマーマン、無罪確定!


ジマーマン事件、特集

陪審員の長い審議の結果、ジョージ・ジマーマンは無罪であると確定された。予想通りと言えばそれまでだが、前述の書き込みを見ていただければ解るが、この判決には勝者はいない。敢えて言うならば、お金も儲かり、名前も売れた弁護士のみが勝者なのだろう。法治国家で、法律の上で裁きが正しく下された事は良かったと思う。だが、その法律そのものは大幅な改良を要する不良品であった。

未だに人種問題が言われているが、この特定の事件の背景に人種問題があるようには見えない。「銃社会」が引き起こした悲劇にしか見えないのだ。そして、メディアは銃についての話を避け、安易な人種問題に話をすり替えようとしている。完全に何かが間違っている。人種問題で騒ぐ人たちも、タブーに触れたがらないメディアも、狂っていると思う。

フェースブックの書き込みなどを見ていると、この判決に不満を持っているリベラル系の友人が多くいるのに驚かされる。この話を無罪と無期懲役、ジマーマン対マーティンの遺族、或いは黒人対白人といった白黒で語ろうとしている人の多さに驚かされる。社会の法律的な不備をもって、人々を犠牲にする社会が良い社会だと言えようか?

西海岸を中心にデモが巻き起こり、ジマーマンを公民権違反で起訴しようとする動きすら出ているという。第一に、今回の事件が差別的な要素を含まないと信じて疑わない上に、個人対個人で公民権が犯されるという意味が解らない。敢えて言うなら、そのような報道を受けたり、マスメディアにでっち上げられているジマーマンの公民権が犯されているようにすら見える。デモに繰り出した一部のアフリカ系アメリカ人は暴徒化し、店舗や車を破壊している。一方、フェースブックやツイッター上では、マスメディアの行き過ぎや、黒人人権擁護派のがめつい行動を非難する、尤もな意見が並んでいるのだが、こう言ったものが日本のメディアに取り上げられることもない。

永遠の真理も理解できる。黒人たちの貧困は解決しなければならない社会問題だし、人を肌の色で「差別」するべきではない。では、社会に何ができるのか?黒人社会自体が一丸となって頑張らない限り、この問題が解決することは無い。黒人社会は文句ばかり言って、義務を果たしていないと考える尤もな意見も多いと思う。父親が子育てを放棄して、シングルマザーに育てられる。そして、家でMTVを見て、ギャングスターに憧れを抱く。貧困の中、都会のゲトーに住む。黒人が多くなったゲトーは治安も悪くなり、誰も商売などを始めようとせず、社会インフラも欠けていき、ますます貧しくなる。

人種問題を絡めて、政局を二極化し、法律にイデオロギーを含ませ、社会コストを無視しているアメリカの空気については怒りを禁じえない。色々チェンジしてもらわなければ困る事があるのだ。

元アトランタ・ファルコンスのマイケル・ヴィックがドッグファイト(闘犬)をやって禁固三年を喰らった。ジマーマンは黒人の高校生を射殺して、正当防衛で無罪である。法律や制度が可笑しいとは思わないのか?次の大統領選出馬も囁かれているテキサス州知事リック・ペリーは、自ら音頭を取り、中絶の禁止を急ごうとしている。銃で高校生を殺すのは構わないが、胎児を殺すことは決して認められない、と言うのか?

コネチカット州のサンディフックで、小学生が銃器で虐殺されて以降、アメリカは銃規制に舵を切ったと思っていたが、オバマは結局何もやっていない。オバマがやっているのは、スノーデンを捕まえようとしたり、中共政府と折衝したり、バーナンキの首を飛ばそうとしたり、違法移民を市民にしてラテン系の選挙民を増やしたり、シリコンバレーに恩を売るために移民法改正したり、自分の政党の基盤を拡げる為の政治戦略ばかりである。選挙で約束したような、アメリカ社会のリベラル化はどうなったのか?「チェンジ」などと言っていたのは懐かしい。誰でも、大統領の椅子を取れば、自分こそがリベラル化の抵抗勢力に「チェンジ」してしまったのだろうか?


違和感だけが残ったジョージ・ジマーマンのケース、結審へ。


ジマーマン事件、特集

米国で現在、お茶の間(笑)を賑わせたある事件の判決が下されようとしている。その事件とは、2012年の二月に、ジョージ・ズィマーマン(George Zimmerman)というゲートコミュニティー(要するに分譲住宅地の入り口に警備員がいる所)の自警組織のボランティアが、トレヴォン・マーチン(Trayvon Matin)という17歳の黒人の子供を射殺したものである。 


ジマーマンは父がドイツ系の白人で、母はペルー人であり、ヒスパニック系のアメリカ人である。ジマーマンはマーティンを打ち殺したとき、そして警察に電話した時に、アフリカ系アメリカ人を蔑視するような発言をしたため、この事件は人種間問題に発展した。

もう一つ事件をややこしくしているのは、フロリダでも採用されていたふざけた法律である。スタンド・ユア・グラウンド法と言われるものだ。非合法行為により身の危険を感じた者が、殺傷能力のある武器を使って身を守ったとしても、罪状には問われない、という法律である。多くの州で採用されている 正当防衛と、南部を中心に採用されているスタンドユアグラウンド法は大きく異なる。正当防衛の下では、喧嘩になった時に、相手を殺傷する前に、逃げる事を優先させる義務が生じる。だが、スタンドユアグラウンド法の下では、命の危険を感じる状況下においては、逃げる事を最優先する必要はなく、相手を死に至らしめても罪状には問われない。防衛する権利が銃を所持する権利と重なり、解釈の余地を残す法律となっているのである。ただ後述するが、今回のジマーマンの行動は正当防衛の範囲内であり、スタンドユアグラウンドが発動したかどうかも怪しいケースである。

自警組織のジマーマンは、コンビニで買い物をして父親のガールフレンドの家に帰る途中の丸腰のトレボン・マーチンが分譲住宅地の敷地内の裏側の路地を歩いているのを見た。ただ、マーチンはマリファナを吸ってラリパッパか或いは家の中を物色している様子で、ジマーマンの弁護士によると、その事でマーチンを怪しく思ったという事である。一方、ジンマーマンを差別主義者として見立てる論調もある。ジマーマンは「黒人」がいたので、肌の色から怪しい奴であると判断したと主張されている。  ジマーマンは車を停めて、中から911(警察)に電話した。その時点で、マーチンが事件を起こしているような事実はなかったため、警察はジマーマンの行き過ぎた追跡行動を窘めたのだが、ジマーマンは車から降りて追いかけた。どのように追いかけたのかは色々な話が出ており、事実は解りかねる。そして、マーチンと何らかの接触をしたようである。他の人が警察にかけた電話に記録された時の録音によると、大声でジマーマンかマーティンか、どちらかは不明であるが、甲高い声で助けを求め続けている。その後、一発の銃声がする。警察が到着した時には、マーチンは帰らぬ人となっていた。 ジマーマンは仰向けになり、武器を持ったままの状態で呆然としており、警察によって武器から手をほどいてもらったという。

ジマーマンは警察で軽い取り調べを受けた後、マーティンに明らかに殴られた跡などがあったために、上記の正当防衛としてその晩のうちに解放された。人を殺してもアメリカではそんなもんであるという事実が、銃規制派などを逆なでした。 一方、高校生を殺されたという悲しみは理解できる物の、マーチンの友人や家族がメディアである事ない事を主張し、マスメディアは「黒人蔑視」が事件の背景であるように報道を始める。私などがニュースを見ると、かなり偏った報道であるな、と思う事もあった。 

で、ジマーマンは恐らくは政治的な圧力により再逮捕され、一度釈放しておいたジマーマンを第二級殺人で告訴した訳だ。最悪、終身刑という重いものである。 だが、銃規制派、アフリカ系アメリカ人、そして人種問題にうるさい人たちは、すべてメディアの報道を都合よく信じ、黒人差別主義者が丸腰の高校生を射殺したというイメージを信じていたように思う。 だが、裁判が始まると、どうもメディアの報道とは話が違うのだ。ジマーマンは不良の高校生に馬乗りで殴られたので、銃を使った、というのが真相のようだ。マーチンを擁護する人達の証言は、信用しかねるような物も多く含まれていた。しかもフロリダでは、銃を所持する権利も、身の危険が及んだ際に武器を使う権利も認められているのだ。 

ジマーマンという人間が丸腰の高校生を射殺したことは、結果論的にはモラルにもとる行為であると思う。いくら不良であったとはいえ、自分の子供を殺されたマーチンの親など、いたたまれないだろう。コンビニに行った17歳が射殺に巻き込まれるような社会はイカレテいる。しかし不幸にも、銃社会のアメリカでは十分に有り得る事態なのだ。フロリダでは法的に許されている訳であり、この騒動自体が法律の不備が招いた混乱だという事も出来る。逆に、マリファナの所持や吸引はフロリダでは違法行為であるわけだし、マーチンがジマーマンを殴る事も許されない。私が思うに、法律の不備を政争に使われた中で、ジマーマンはどのような判決が出ようとも犠牲者であると思う。間もなく素人の陪審員により、ジマーマンへの刑が決められることだろう。 

この事件を見ていると、所謂慰安婦問題などともダブルところがある。法律的には問題ないが、モラル的にはどうなのか?そういった事を政争に使われれば、モラル的に劣る側は、常に防御側に立たされ、社会的制裁を加えられることになる。タックスヘイブンを使った税金回避などもこういう問題であろう。法律の抜け目を用いた行動は許されないのか?法社会なのだから、政治家が混乱が起きないように、法律を整備するべきであるし、こういう問題で個人を陥れてマスメディアが騒ぐ構造こそがモラルハザードのように思うのだが。

7/11/2013

選挙も経ないまま、日本は事実上の移民受け入れ国へ。

私のブログを読んでもらえば解るのだが、私は日本の中長期経済成長には「移民の受け入れ」が一番簡単で且つ効果的な政策だと考えている。当然、こういった政策が参議院選の卓上に乗って来るのかな、と思っていたが、流石に選挙民と関係のない事は誰も言わない。これはアメリカでも同じで、移民政策は選挙の焦点にはなり得ない。心の中では移民を受け入れたいと願っているのに、政策論争ではまるでタッチしない。何故なら票には繋がらないからだ。 今回、厚生労働省が急に、「3年間、技術者や経営者として日本で働けば移民権がもらえる」といった政策を持って来た。昨年から「高度人材ポイント制度」を導入し、それまでの10年の滞在要件を5年に引き下げたばかりであったが、今回の改正案はそれを更に3年にまで短縮することで、優秀な外国人が日本で長く活躍できるようにしようと言う物である。更にその配偶者、親、家政婦の帯同も可能になるという。これは、オーストラリアやカナダの移民政策よりも緩い政策である。 恐ろしいのは、選挙も経ないまま、このような大切な法案が霞が関でこそっと策定され、知らない間に「日本が移民を容認国家」への布石を準備しているという点である。移民を受け入れるか否かは大変重要なかじ取りであるので、民主主義にのっとって、選挙の争点としてもらわないと困る。選挙も経ずに知らず知らずのうちにこっそりと霞が関が国家の未来を決めてしまうのは、如何なものなのか?いくら良い案であるからと言っても、民主主義を無視するような政策立案には怒りを覚える。

7/10/2013

トロントの人気者、カワサキに見る成功する日本人

川崎宗則が昨年マリナーズにやって来た時、私はシアトルに住んでおり、友人の奥さんに付き合わさられて「ムネリン応援隊」のような事をしていたのだが、その川崎がトロントに加入して大変なことになっている。川崎だけでなく、王建民も加入した事で、トロント・ブルージェイズの試合をしばらく見ていたのだが、川崎がトロントで愛された理由は、川崎こそが「成功する日本人」のお手本のような存在だからであろう。

以前、このブログで「 海外で成功する日本人、失敗する日本人 」という記事を書いた。私としては「城島憎し」で書いた記事だったのだが、かなりの反響があった。イチローのような天才なら、どこに行こうと成功すると思う。城島も実力以上の契約を勝ち取ったのだから、金銭的には失敗していないという人もいるだろう。川崎が成功したのか否かを論ずるのは早すぎるという意見もある。そもそも「成功」と「失敗」をどう判断するのか?という人類の究極の謎に対して私は全ての人が納得する答えを用意できない。しかし、今の時点で思っている事を書き留めておくのは有意義だと思う。

川崎の現在の立ち位置は、アメリカ野球を代表する、「とある日本人」を思い起こさせる。イチローは別格としても、下手をすると松井よりも知名度が高い「メージャーリーガー」である。それはタナカである。サンフランシスコ・ジャイアンツで昨日にメジャーデビューを果たした田中賢介ではない。イスロー・タナカの事である。

タナカは東京ジャイアンツから、前年に奇跡的に優勝したクリーブランド・インディアンスにやって来た。が、シーズン前半に低空飛行を続けた状態になったのだが、タナカが選手の士気を上げさせ、奇跡の快進撃を突き進む。そう、映画メジャーリーグ2に出てくるイスロー・タナカ(石橋貴明)の事である。因みにタナカは、メジャーリーグ3に出てきたときは、タカ・タナカという至って日本的な名前に変わっていた。

怪しげな東洋人キャラクターとして下手な英語でチームを盛り上げる。でも、守備は堅実で、クラッチヒットで仕事はきっちり。新庄もニューヨークメッツに在籍していた時は、イスロー・タナカと比べられていたが、川崎のタナカぶりはお見事の一言である。

ただ、川崎を見て、日本風にふざけさえすれば外国人受けすると考えてはいけない。川崎は野球に真摯に取り組んでおり、仕事はきっちりとしている。打撃についても、マリナーズに入りたてのスプリングトレーニングでは4割近くを打っており、非力さを十分にカバーできるだけのバッティングセンスを有している。犠打など、チームプレイに徹しているところもチームが喜ぶところだ。仕事をキッチリした上で、英語が出来ないというハンディキャップを埋めるがために、プレイ以外の所で「英語が出来ない外国人」としての武器を使っているのだ。自分の強みと弱みをはっきりと理解しており、完璧なポジショニングをしている。

ただ、ホセ・レイエスが復活したので、今後の活躍の場は狭まると考えて間違いない。レギュラーで使ってもらわなければ、滅私奉公だがクラッチもできるという川崎の打撃は活かされないだろう。昨年もマリナーズでは、シーズン後半にイレギュラーな使われ方をして、打撃成績は悪かった。ブルージェイズにはボナファシオもいるし、今後の展望は明るくない。チームが何らかのトレードをしない限り、残念ながら数週間前に見せたような川崎劇場を見る事は出来なくなると考える。ギボンズ監督も、ここで川崎を含めて中途半端に打撃オーダーを動かし過ぎると、チームのタガが外れてしまう。慎重な采配を望む。

7/09/2013

参議院選は安倍首相が絶対多数を確保し、抵抗勢力が復活する布石

間もなく参議院選が行われるのだが、参議院に一度当選してしまうと、六年間固定されてしまう。そういった意味で、参議院は衆議院以上の意味を持つ。わが国では、特に2007年以降、国会が何度も捻じれてしまい、決まるものも決まらない事態が発生した。その原因のすべては参議院にあった訳である。

今回の参議院選は、間違いなく自民党が圧勝するだろう。言われ尽くされている感があるが、積極的に自民党を応援するというよりも代替が無いから仕方ない、という事だと思う。唯一政権担当が可能である民主党が悪すぎて、セカンドベストの党すらない、という事態に陥ったのだ。かといって、維新やみんなの党、ぶれない日本共産党に入れたところで、政権担当能力は皆無であり、所詮は死に票になるだけである。まあ、政局がぶれるのが嫌なので、安定した政局を望みたいので自民党に入れる、という真っ当な考えの人達も多数いるだろう(しかし、これは現状の二院制に辟易としているという事に他ならない。自民党は参議院を削減する話には加味していない)。

私は自民党を積極的に支援する理由が何一つ見当たらない。自民党が目指す国家の展望は良く解らないし、自民党が支援する利益団体にも属していない。寧ろ、農業支援や公共事業費増などのばらまき政策、そして円安政策など、自分の利益と反するような政策に嫌気がさしている。日本の未来を考えると「みんなの党」などに魅力を感じるが、心の底では「引っ掻き回さずに現状維持をして欲しい」と思っている自分もいるわけだ。まあ、自民党は多数さえ取れれば「現状維持」的な政策を進めると思われ、積極的に反抗する理由もない訳だ。

今回の選挙戦は、はっきり言って盛り上がりに欠く。選挙の焦点は経済だというが、「アベノミクス(笑)」で株が上がったのだから、自分たちを支持しろ、というようなスタンスが取られている。しかし、自民党は「第三の矢」については利権団体の顔色を窺いながらお茶を濁し、骨抜きの「ノーサプライズ」改革案を出してきた。その他の党はアベノミクスを批判するものの、対抗案は示していない。というよりも、そう言ったものはマスコミに流れない。

いつもは選挙戦前には、醜聞が溢れるものなのだが、今回はそういった噂すら出てこない。大手メディアからは、政権を批判するトーンはまるで聞こえてこない。批判を一手に引き受けているのは橋下大阪市長くらいである。外国勢力についても、ここ数週間は、日本批判の荒々しいパフォーマンスが鳴りを潜めている。

何かがおかしい。私には、マスメディアが安倍自民党を勝たせたいとしか思えないのだ。既得権益を持っている人達の殆どが自民党の安定大多数を望んでいるとしか思えないのだ。

で、予想通り安倍自民党が絶対安定多数を獲ったとする。安倍首相は、今まで既得権益者の顔色を窺って小出しにしていた「第三の矢」を大胆な潜在成長力を上げる政策に化けさせられるのか?否。安倍首相は危険な財政ファイナンスの軌道修正をする事が出来るのか?否。安倍首相は自らの悲願である憲法改正を押し通せるのか?それも恐らく否である。

それどころか、現在は黙っている魑魅魍魎が、小出しで安倍首相の外堀から梯子を外し始めると考えて間違いないと思う。族議員や利権団体が、安倍首相に逆らい、下手をすれば人気が無くならない程度のスキャンダルを漏洩しだすのだと思う。いつか見た古き自民党の復活である。

インターネット時代にはバレバレであるのだが、「米国が嫌悪だ」の「軍国主義がどうの」、「愛国右翼だ」などという報道も全ては発信元の意図に基づくものである。そして、そういった反応は例えデマゴギーであれ、市民に拡散し、そのうち真実となってしまう。日本人が態々事態に疎い外国のメディアにニュースを流してもらい、カワサキのニンジャのごとく逆輸入して「外国ではこういう風に報道されている!」などと来る。こういった工作員は一体誰の利益を代弁しているのだろうか?しかし、参議院前に、誰も安倍首相に対してこうした卑怯な情報戦を仕掛けないのだ。気味が悪いではないか。

今回の記事は書いていてとても嫌な気分になって来たので、このあたりで筆を折りたい。これを読み返すと、日本の民主主義も民主主義を否定したエジプトを笑えないのではないのかとさえ思ってしまうのだ。日本には、ビッグブラザーがいまだに健在なのかも知れない。あるいは、村上春樹のリトルピープルが私たちの生活をコントロールしているのだろうか?自民党の絶対多数は、抵抗勢力の復活のお膳立てには持ってこいであり、だからこそ抵抗勢力は只管黙り続けているのであろう。このシナリオが、私の単なる思い込みであって欲しいと切に願う。マスコミは所詮は抵抗勢力筆頭である。

7/08/2013

LAレイカースはセンターに禿のクリス・ケイマンを据える

ケイマンはクリッパーズの時にオールスターに出ていたが、クリス・ポールをクリッパーズがとった時に、見返りとしてニューオーリンズに出せれた。昨季はマーヴェリクスに行ったのはいいが、ディフェンス面で監督のシステムに合わず、かなり苦悩の日々を送っていたように思う。しかし、レイカースの問題は、パウ・ガソールをPFで使うのかセンターで使うのかを決める事。そして、コービーは何時復活できるのか?この二つの問題が解決しない限り、レイカースに明日はない。

一方、オマー・アシークであるが、ロケッツに公式にトレードを志願したが、チームに一蹴されたという事だ。ツインタワーのシステムで臨むのだろうか?まあ、ディフェンスマインドを持ったセンターを今は保持しておく。風向きが変わり、アシークの価値があがるまで待つつもりかも知れない。

7/06/2013

ジョシュ・スミスはピストンズ

結局、デトロイト・ピストンズが4年:56ミリオンドルでジョシュ・スミスの獲得に成功したという。使い勝手が多い選手だけに、取りたい選手であるが、デトロイトはどのようにスミスを役立てるのかは不明である。これで、ジャーミー・リンとアシークがアトランタへ売られる話は消え去った。

7/05/2013

ジャーミー・リンとアシーク、アトランタへ?

ヒューストン・ロケッツは、本気でアトランタ・ホークスからジョシュ・スミスを獲ろうとしているようだ。で、ハーデン、スミス、ハワードのビッグスリーでチャンピオンリングを狙いたい、という事のようである。

どうやってジョシュ・スミスを獲るのか?アトランタ・ホークスがサインアンドトレードでヒューストンに送るというものである。見返りは、なんとオマー・アシークとジャーミー・リンという事だ。リンがロケッツを去ってしまうのか??

というよりも、リンがアトランタに来るのか??これはアトランタに住んでいる私としては大変嬉しいニュースである。そうなれば、ホークスのシーズンチケットを買う事になろう。しかも、お気に入りのアシークも来るという事だ。そうなれば、ロケッツなどというテキサスの田舎町のチームなど、興味すらわかない。

まあ、現時点では「噂」の話しなので、これを元に未来を語るのは馬鹿げているのだが。

ハワード、ヒューストン・ロケッツへ決定。

勘弁してくれよ。

私のお気に入りのアシークは来季から名前を変えるニューオーリンズ・ペリカンズが招致を試みているようだ。見返りには新人のライアン・アンダーソンを出すかも、という事だ。

ハワードの加入で、来季はロケッツのバスケは間違いなくつまらなくなると思う。

まあ、ロケッツというチームは、70年代後半から80年代前半にはモーゼス・マローンというMVPも取ったセンターがいた。ツインタワーの一角であるラルフ・サンプソンは置いておくが、90年代は史上最高のセンターの一人であるアキーム・オラジュワンを擁して大成功を収めている。その後は、姚明をセンターに据えて、プレイオフ常連チームになった。ロケッツはセンター中心にチームを作りたい歴史がある。ハワードをその歴史を繰り返すための、次の偉大なセンターとしようとしている節もある。しかし、時代はセンターの役割を昔ほど大事にしていない気もするのだが?

まあ、ハワードはオラジュワンやモーゼス・マローンと比べるには、かなり辛いものがあると思う。姚明とどちらが上かというのも、議論の余地があると思う。姚明は少なくとも、フリースローを入れられる。

7/02/2013

ロケッツ、ジョシュ・スミスに焦点を合わせる?

オーバープライスのハワードの獲得に失敗すれば、ヒューストン・ロケッツはアトランタ・ホークスのジョシュ・スミスを狙うらしい。これは良いムーブだと思う。スミスはロケッツのチームにマッチするし、是非とも行って欲しい。とか言って、自分は今、アトランタに住んでいるんですが。

7/01/2013

ドワイト・ハワードがヒューストン・ロケッツへ?

ヒューストンロケッツはアーロン・ブルックとカルロス・デルフィーノをウェイブして、サラリーキャップの隙間を開けてきた。本気でドワイト・ハワードを獲りに行くつもりのようだ。デルフィーノを切った事は、ある意味で正解だと思う。

当ブログを読んでもらえば解ると思うが、私はヒューストンロケッツが好きである。しかし、ハワードのような選手はあまり好きではない。ハワードは、どちらかと言うと、オフェンスよりもディフェンスの選手であると信じている。第一、フリースローが入らないではないか?ハワードは背が高いだけのディフェンス要因だ。さらに、ハワードはロッカールームの癌として有名である。この選手が入ると、チームのケミストリーが崩れる。ハワードがいるチーム(マジック、レイカース)が負ければ、すべて他の選手の責任である。ハワードは良いセンターではあるが、「歴代最高」のフロアーをドミネントするようなセンターでもない。

年棒的には、バカ高すぎる選手だと思う。良いセンターのオマー・アシックがいるのに、態々ハワードを獲りに行く必要が理解できない。アシックをパワーフォワードで据えるのか(あり得ない)?アシックを控えに回すのか(もったいない)?それともレイカース等にアシックをトレードするのか?アシックの頭の良いプレーは見ていてかなり楽しい。もし、トレードの選択肢であれば、私がロケッツの試合を観戦する回数は減ってしまうだろう。

まあ、この時期に移籍についてごちゃごちゃ言っても仕方ない。毎年メンバーが目まぐるしく変わるNBAでは、シーズンが開幕するまでは過剰反応は無用である。