12/29/2011

520の浮き橋を通らなければ昼飯代が浮く件について

シアトルという都市圏は、レイクワシントンによって二つに大きく分断される。西側がシアトル市であり、古い側の中心である。港湾やボーイングの工場や大学など、古い産業も沢山ある。ダウンタウンにはマリナーズのセーフコ球場から、宇和島屋があるチャイナタウン、オフィス群、そして少し離れてスペースニードルを有する。一方、湖を越えて東に行くと、ベルビューという街に行く。ベルビューは東側の中心地として、近年急速に開発が進んだ。ダウンタウンにはショッピングセンターを構え、富裕層を取り囲む。ベルビュー市を中心に、レッドモンド市、イサクア市やカークランド市など、シアトル側よりも住環境が良いことで知られている。マイクロソフトが東側にあるため、ソフトウェアのオフィスが東側に居を構え、金持ちの若者だけでなく、インド人や中国人の技術者たちが多く住む。綺麗なだけの味気のない新興ヤッピータウンとでも表現しようか。平たく言えば、シアトル側が神戸市内の海よりの雰囲気でベルビュー側が芦屋や西宮の山の手の雰囲気、といえば解って貰えるでしょうか?

シアトル-ベルビュー都市圏には、東西を繋ぐ二本の大動脈の高速道路があり、二つとも湖の上は浮き橋になっている。一つが州間高速I-90であり、もうひとつが州道520である。州道520はシアトル市北東部のワシントン大学からレイクワシントンを通ってベルビューを繋ぎ、果てはマイクロソフト・キャンパスがあるレッドモンド市までを繋ぐ高速道路である。州道520の浮き橋は片道が二車線しかなく、常に混んでいる。老朽化が言われており、風の強い日などは、波しぶきを浴びながら、微妙に揺れる橋の上を通らなければならない。強い嵐でも起こり、運が悪ければ、橋が沈むのではないか、とまで言われている。

12月29日、ついに州道520の浮き橋が有料になったのだ。520の橋を将来的に補修する目的の課金であるという。「Good To Go」パスというものを車に貼っておけば自動的に加算されるシステムであるが、パスがない車はカメラでナンバープレートを撮影されて請求書が来る仕組みである。料金は時間帯によって値段が変動する。ピーク時の午前7時から9時、或いは午後3時から6時の間だと、一回通るごとに3ドル50セント課金され、往復だと7ドルである。パスを持っていない人は10ドル払わなければならない。ヤクザである。ランチを軽く食べれる値段である。しかも、この料金は今後10年ほど、毎年すこしずつ上げられる計画である。

私はほぼ毎日のように橋を使っている。東側の520の横に住んでおり、職場が西側であるからだ。スーパーや公園なども西側まで行くことが多いし、ほとんどの友人が西側に住んでいる。職場にはバスの方が便利なのでバスで行くのだが、その他の場合は車で渡る。しかし、これからは生活のあり方を抜本的に見直す必要に迫られている。スーパーに行ったり、散歩したりで、6ドルも7ドルも馬鹿らしいお金を払っていられない。

この課金システム、今年の初めから「始める、始める」と言っておいて、始まらなかった。4月に始める、8月に始める、そして最終的に12月までずれ込んだ。520の橋は有料であるが、I-90の橋は無料であるため、多くの車がI-90 に殺到することが予想される。そして、ベルビューやシアトルのダウンタウン付近の高速道路が迂回する車によって極度に混雑する可能性が指摘されている。いつも思うが、アメリカの地方都市の交通などを請け負っている人達のレベルは物凄く悪い。何故もっと効率よく出来ないのだろうか?

で、本日課金の初日を迎えた。朝、520をチェックしに行くと、ガラガラ。バスは初めてスマホのアプが示す時間通りに来た(いつも遅れる)。昨日の夜から高速からいつもは聞こえる車の音が妙に静かである。比較的静かな滑り出しの初日であったが、いまだにクリスマス休暇の人も多く、システムが機能するかどうかは来週初めまでは解らない。

12/27/2011

2012年は選挙の年:第一弾、中華民国(台湾)

2012年は主要国の首領を選ぶ選挙が一気に行われ、激動の年となるかも知れないと言われている。先ず初めに総統選が行われるのはお隣の台湾(中華民国)である。結論から言うと、國民党で現職の馬英九(北京語発音:マーインチョウ;台湾語発音:マーエィンキュウ)が民主党の女性候補である蔡英文(北京語発音:ツァイ・インウォン;台湾語発音:ツァイ・エィンブン)に圧勝する。よって「國境之南」は2012年に変化無しである。

良くメディアでは、馬英九と蔡英文が競っていると言われているが、あり得ない。馬英九が圧勝するのは眼に見えている。誰がどう考えても橋下がダブルデジットで(二桁離して)勝つのが解っていたのに、大阪市長選の直前まで橋下と平松アナウンサーが競っていると報道していたメディアもあったのと同じカラクリだ。

しかも、台湾のメディアは、中天新聞や東森新聞など國民党寄りの国語(北京語)放送がある一方、民視新聞など台湾語も放送する民進党寄りのメディアもある。台湾メディアでは和を以って尊し的な護送船団日本型というよりは敵の批判を好むマーケティング重視のアメリカ的な戦略を展開している。視聴者もメディアの色により見るテレビを変えている。そのため、メディアの世論調査はあまり信用できない。

李登輝が総統選を開始して以来、選挙に熱くなっていた台湾人も、選挙の回を重ねるごとに熱が冷めてきた。昔は蒋介石と國民党憎しで民進党を熱烈に支持するものもいたし、台湾独立を夢見て緑(民進党)を支持していた若者たちもいた。民進党に権力が移れば全てが良い方向に動くと考えていた人達の夢は、陳水扁時代に脆くも崩れてしまった。未だに、両岸関係が机上に上っているとは言うものの、経済の調子がよくて軍部の暴走を気にしないで良い中共の巣屈である中南海は驚くほどおとなしい。従って、今回の選挙の焦点はどちらかと言えば経済問題にシフトしている。

経済問題について言えば、馬英九が政権を取ってからのの台湾は約10%の経済成長を続けていた。不動産の値段も上がり続けていたにも関わらず、物価のインフレーションは比較的低く抑えていた。大都市では地下鉄など交通網も発展し、街全体が輝いていた。しかし民衆からは経済が悪くなっているという感想を良く耳にする。日本からすれば羨ましい限りだが、人は欲せる以上のものを欲し、現状に満足などしないのだ。

プラス、在り来たりの問題が台湾を襲っている。発展しすぎた訳だ。つまり、コンビニやデパート、スーパーマーケットやフランチャイズ系のレストランなどが林立し始め、消費者の嗜好が変わり始めた。すると個人商店や市場で商売をしていた人達が客を取られて困り始める。さらには誰でも高等教育を受けれるようになり、学生の質が下がる。学歴価値のデフレーションが若者中心に起き、若者たちが損をしたような感覚に陥っている。日本でも全く同じことが起こったのだから、読者の人達も納得されよう。

経済政策において、國民党はまともな横綱相撲をしようという構えだ。一方の民進党は「ばら撒き」政策で南部の貧しい人達を中心に票を稼ごうとしている。どちらを選ぶかは民意の問題だ。

香港生まれの外省人で孔子の末裔と言われている現職の馬英九。台湾南部出身の客家人だから台湾語は不得意な女性候補の蔡英文。馬英九はNYUのMBAとハーバードのJDを持つ実務家。蔡英文はコーネルのロースクールを出てLESで博士号を取った学際肌の法学者だ。目指す国の形に違いがあれども、国際的で学歴をきちんと有している人同士が直接選挙の総統選を戦う事になっている。

総統選は2012年1月14日に行われる。

12/25/2011

人の批判する前に勉強しろ

現状に満足している人など、高尚な宗教でもして悟りに達している場合などを除き、ほぼあり得ない。人間は無い物を強請り、より満たされた生活を目指そうと潜在的に考える。我々の生活の質は40年前よりも確実に良くなっている。だが、多くの人が不満を口にし、そして現状を嘆く。それは極自然な人間の欲求であるのだ。

世の中の多くの人は、一銭でも多く貰いたい。少しでも沢山の権利を有したい。自分が関わっている物事が少しでも有利になるようなルールを欲する。この現実を無視すると、ユートピア論を唱えることになる。

不満を代弁することが政治家の仕事であると信じているお気楽な人達と出会うことがある。政治家自身や秘書などをしている連中に多いのだが、不満を代弁する自分自身に酔っている節がある。不満を持つ人達(声が大きい人達)の主張を繰り返し、現政権やシステムが悪いと結論付ける。そして、限られた予算をそれらの人達に付けようとする。

サンタクロースじゃないのだから、全ての子供たちに希望のプレゼントをあげる事など出来ない(友人の子供はWiiが欲しかったのですが、サンタクロースも不景気の煽りを受けてレゴのブロックだけ渡したそうです)。

政治家や政治家志望の人達の多くは、水商売(人気商売の意味)従事者であるので、まともに時間を割いて系統的に勉強していない人も数多くいる。古今東西世の常であるが、不勉強で意志の強い善人たちが社会を壊すものである。

不勉強な意志の強い人達が政治家になる事ほど危険なことは無い。八方美人が政治家になるほど恐ろしいことは無い。何故なら、政治家の仕事は、法律の制定と予算配分だからである。予算配分とは、予算額が限られている限り、誰かの予算を削って、誰かに予算を足すことである。予算額は税収プラス支出である。単純な引き算問題であり、予算額を増やそうと思えば、税収を上げるか、支出を減らすかしなければならないのである。

橋下が正直であるのは、支出を削減しなければならないと断言していることだ。野田が正直なのは、税収を上げなければならないと公言していることだ。小泉に筋が通っていたのは、支出を減らす事のみを語っていたからだ。

勿論、いかなる変化も勝者と敗者を作り出す。それについて不満が出るのは当たり前のことである。しかし、橋下の支出カットや野田の増税政策について批判している人達も大勢いる。詳細について侃侃諤諤する事は大いにすればよい。建設的な議論は社会発展に貢献するからだ。しかし、橋下や野田の大まかな方向性そのものを批判している人達がいる。そういった多くの人達は「過激すぎる」だの「貧乏人いじめ」だの、感情論に頼る。経済や公共政策に疎い人達には、何故か解らないが文学科系の人達が圧倒的に多い。そういった人達ほど、すぐに昔の偉人の本や言葉を引用したがり、さらに鬱陶しい。私は言いたい。いい加減にユートピアから現実世界に戻って来いと。小説やソフトイッシューの本を読まずに、一度くらいスプレッドシートを使って会計の計算練習でもしろ、と。文学系頭で議論がわからなければ社会人大学院にでも入学して、一から勉強し直せ!

Facebook上で友人の政治家志望の旧友がやたらと感情的な政治発言をする。そういう目立ちたがり発言に対して、何人もがマジレスを返している。Facebookは便所の落書きだと見做すようにしているのだが、あまりにも鬱陶しくなって、こういう書き込みをした。暇なのだったら、Facebookしないで経済学等の基礎の授業でも取れ!かくいう私も、暇だから匿名で結構本気に人の批判をしている訳だ。クリスマスでどこもかしこも閉まっていて、やる事が無いからだ、と言い訳します。

12/23/2011

JASRACの問題点

日本音楽著作権協会(JASRAC)の評判が悪いことなど、新たに討論する必要もない。JASRACは官制組織であり、文化省などからの天下りを大量に受け入れていることは誰でも知っていることである。しかしJASRACの一番の問題は「政官財暴警」の結果的な癒着である。JASRACが保護するレコード会社のバックにいる人達がどういう組織と繋がっているのか、そしてそれらの組織がJASRACを通して自分たちの会社の利益のために「規制」の線を張っていることは周知の事実である。勿論、JASRACは法律に基づいて行動しているわけであるのだが、JASRACの行っている過剰な規制は法的には正義である。ただし、それらの法律そのものが社会正義に基づいているか否かの議論が必要であろう。

以前から問題になっていたが、スナックなどのカラオケ店や生音楽演奏の店の著作権料が停滞しており、JASRACが徴収を試みようと腐心していた。もう一度言うが、JASRACの主張は法的には100%正しいわけで、論駁の余地は無い。しかし、スナックやカラオケ店などが著作権料を払っていては経営が成り立たない。ただでなくとも、飲酒運転の強化で客が激減している主に郊外のそういった店に、さらには著作権料まで負担させるのだろうか?こういった法律が悪法で無いとしたらなんなのか?さらには、この法律の下では、小さくこそこそと違法に営業していると儲かる仕組みになる。しかし、客がついて目立ってしまうと違法操業がばれ、著作権料を支払わなければならない事で経営が圧迫される、といった不公平極まりないルールとなる。インチキしなきゃ損なルールをお上は作っているわけである。

JASRACは営利目的のコピーバンドのライブにも課金するのであれば、ストリートミュージシャン、学芸会の演奏や道で鼻歌を歌っている人にまでJASRACが課金してやればいい。

JASRACがネット社会のイノベーションをどれだけ阻害しているかは私が態々こんな匿名のブログに書く必要も無い。現行の「悪法」を遵守し、イノベーションの阻害をする。以前に書いたWinnyの金子氏を起訴しようとした動きなども、JASRACや関連団体などからの圧力であったと信じている。

ただJASRACが国内でお山の大将気取っても、黒船がやってきた際、外圧に折れて法律を曲解し、妥協案を出す。ユーチューブやグーグルなどがいい例だ。しかし、虎ノ門界隈の無意味な法人が、このような「お山の大将」ダブルスタンダードを取り続ける限り、わが国のイノベーションの発展は確実に阻害され続ける。

イノベーションや国民の幸福を反るような法律は早急に現代のネット社会に合ったものに変更するべきだし、JASRACが国民の社会生活の質を向上させるような団体に変わるように国民がきちんと圧力を掛けるべきだろう。社会利益を削るような団体を先ず初めに仕分けるべきである。

悪法が存在し、頭の固く優秀な官僚がきっちりと法律を運営し、暴力団や警察が利潤を奪う。勿論大衆の利益は三の次である。いつもの日本のパターンだと言えばいつものパターンなのだが。

12/20/2011

株主の責任のあり方とは?

東電とオリンパスに対する当局の扱いがとても手緩いという意見は、内外で言われ尽くされている感がある。ライブドアの時は粉飾決済で即座に退場させられたことを鑑みると、ある種差別的な対応だと言わざるを得ない。恐らくは、民主党の連中にロビイストたちが「東電やオリンパスは技術を有する優良企業であり、東証から駆逐することは国益を損なう」、というような、それっぽい事を言っているのだと思う。経済に疎い民主党の連中が、それらの発言を真に受けて、東電とオリンパスに対する制裁をおこなっていないのだという可能性もある。

しかし、東電やオリンパスのケースは、そもそも経済とは何の関係もない。これは単純な責任問題、つまりはガバナンスの問題なのだ。上場廃止とは上場していた株式の取引を終了することである。上場廃止になると経営破たんするとか、そういった類のものではない。JALの例を見ても、上場廃止から生き返ってくる企業は沢山ある。

企業が上場廃止にさせられる理由は、つまりは株主に何らかの違反の責任があると考えられるからである。株主は会社のオーナーであり、会社の経営陣を見張る義務を負っている。経営陣たちが違法行為に手を染めていたのは、株主が監視すると言う義務を怠ったからだという主張が上場廃止の根拠である。

東電もオリンパスのケースも、政治的な力が働いていると考えられるが、現在まで上場廃止にされていない。東電のケースでは、責任の追及もいい加減に、税金の補填がなされている始末である。つまり、オリンパスや東電のケースにおける国の判断は、暗に株主の責任を否定していることになる。つまりは、株主は会社を監視する義務を負ってはいない、と暗に示唆しているのだ。経営陣の暴走はこの国の慣習上で仕方がないことなので、責任の有無を有耶無耶にし、場合に応じては税金を投入する。
東電が福島第一のリスク判断を誤ったのは株主には全く責任がない。オリンパスが粉飾して飛ばしをしていたことも全く株主には責任がない。株主はごちゃごちゃ言うな。総会屋や村上じゃないんだから。

逆にライブドアの粉飾決算のケースは、株主は浅ましい金融ゲーム参加者であり、新興のふざけた会社の株主たちにお灸を据える意味でも上場廃止の結果ありきであった。日本国においての上場とは体面の問題であり、当局はできるだけアメリカ的な資本主義から乖離したい。などと考えているのは、私の妄想であろうか?いずれにせよ、著しく公平性を欠く気がするし、株主の責任と経営陣の権利について、日本人はきちっと論議する必要があると思う。

ウィニー開発者は政治犯

世の中には政治犯という物が存在する。国の政治体制の中で「反政府的」とされる態度や言動をとったものが、政治的理由や別件で逮捕収監される場合を指す。こういう事は中国や北朝鮮、或いは中東など独裁体制の国の出来事だと思われがちである。劉暁波、アウンサンスーチーや金大中の名前がすぐに浮かんでくるが、アメリカや日本でも、政治犯をどう定義するかの問題があるにせよ、政治的な理由で逮捕収監される可能性は大いにある。

ウィキリークスのジュリアン・アサンジがいい例である。パックスアメリカーナに反骨心を抱き、アメリカの国家機密をネット上に垂れ流した。で、結果は性的暴行容疑をかけられてイギリスで軟禁されている。これが政治犯でないとすれば、いったい何であろうか?

最後に日本に目をやる。ウィニーの開発者である金子勇・元東大大学院助手が著作権法違反の幇助罪に問われていた事件があった。金子氏を逮捕したことは、日本国の恥であったと私は考えている。どうすればウィニーの開発とその配信を罪に問えるのか?金子氏が逮捕された理由は、金子氏が自身のブログ等で著作権法について色々な意思表明をしていたためと思われる。だとすれば、警察は金子氏をその思想故に逮捕したことになる。第一、著作権法違反の幇助罪が問われるとすれば、ユーチューブやユーストリームは完全にアウトだし、マジコンのようなソフト開発もNGになる。CDRやカセットテープ、録画用のビデオ、コピー機などを売ったり開発しても良いのか?という話にすらなる。そもそも、PC自体が著作権法違反の幇助をする機械なのだから、東芝、ソニー、富士通やNECの開発者たちを逮捕してみろ。ソフトウェアの開発で逮捕される国で、イノベーションの目は完全に摘まれる。私の母国の日本は、警察の匙加減でイノベーションが侵され、発明を元に逮捕される国であるのだ。「ソフト開発」と「著作権侵害」はどう考えても二つの異なる問題だろ!こんな馬鹿げた話はない。警察が「黒い」レコード協会か何かと組んでいなかったとしたら、これは政治犯以外の何物でもない。

09年10月の二審・大阪高裁判決は「著作権侵害が起こると認識していたことは認められるが、ソフトを提供する際、違法行為を勧めたわけではない」として、無罪としていた。そして検察側の上告が棄却された。これは極当たり前の結論である。しかし、金子氏の逮捕と一連の裁判は日本のイノベーティブネスを間違いなく貶めた。警察の権力誇示の目的で、ロングタームの日本国の競争力を削いだ訳である。検察・警察は最終的に金子氏を有罪に出来なかったが、PC使用者が日本国家当局の意思に反すればどうなるのかを、見せ付けた訳だ。

このような政治犯的な蛮行が罷り通ることは許されない。国家がこのような理由で個人を逮捕することは恥ずべきことである。検察や警察権力に対して、国民はメスを入れる必要があろう。

12/18/2011

金正日死亡したとのニュース

金正日が龍川駅で一般市民を大量に巻き込んで爆殺されそう(?)になったのは2004年のことである。2007年ごろにはドイツの医療チームに心臓手術を受けたというニュースが流れた。2009年にはすい臓癌説、そして脳卒中による半身不随状態になったとの報道がされた。そして最近では、リチュニ女史がアナウンサーとして一ヶ月以上登場していないというニュースが流されていた。本日久々に登場したリチュニ女史は喪服を着て、金正日が列車に搭乗中に過労(心筋梗塞?)で死去したと伝えた。葬式は12月28日だという。

普通に北朝鮮関係のニュースを追っていると、金正日が昨日に列車に乗っていて心筋梗塞で死去したという情報は到底信じがたい。金正日は恐らくかなり前に、2004年から先月ごろまでの間のある時点で死去していたと考える方が辻褄が合う。この五年ほど、北朝鮮から伝わってくるニュースはどれも権力争いに関わっているとしか考えられない事ばかりであったからだ。逆に北朝鮮は外国との交渉ごとを出来るだけ避けようとしていたし、重要な意思決定は理由をつけて先延ばしにしていた。「中国詣で」すら拒否していた時期もあるくらいだ。北朝鮮が正日のわがままで外交を断っていたと考えるにはあまりにも無理がある。

今回、金正日死亡のニュースが突然こういった形で出てきた背景は、1)権力争いの答えが出て、後継者争いが固まって静穏になったのか、或いは2)死亡が隠し切れなくないほど権力争いが混乱しているかのどちらかとしか考えられない。恐らく前者であるとは思うのだが。

12/16/2011

橋下手法と民主主義

アメリカ合衆国憲法の権利章典の修正第二条には、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。」と規定されている。これを根拠に市民が銃器を持つ事には違和感を覚えるが(規律ある民兵として不適格な人間に銃器が行き届いており、国家の安全を逆に脅かしている)、背景にある思想こそがアメリカの良さであると信じている。

アメリカ人の多くは、「政府」は市民から権利を預託されているに過ぎず、万が一政府が市民に刃を向けるような暴走をした際には、武器を用いて政府に対峙しなければならないと考えている。背景には、大英帝国から自由を勝ち取ったアメリカの歴史がある。アメリカ人に「政府を信頼しているかどうか」を問うと、多くの人は「ある程度までは信頼できる」と答える。中にはティーパーティーの連中のように、政府を全く信用していないと答える人達もいるだろうが、政府に全面的に従うと答える人は殆どいない。従って、政府の意思決定に参加し、政府を統御することは市民の義務であり、だからこそ多くの市民が政治にのめり込む。選挙前になるとキャンペーンで盛り上がり、何かあればあちこちでデモが起こり、NGOなどの活動がやたらと盛んであるわけだ。

翻って日本やアジアの儒教思想が強い国では、政府が決めたことに従う事こそが国民の勤めであるとする考え方の人が殆どである。政府の決めたことに文句を言う人は、反抗期か何かであり、人格的に問題があるとすら考えられる。そういった状況では、国民は政府を全く信用せず、命令だけする面倒くさいものであると考えるようになる。政治に参加して自ら政策決定に関わろうと考える人は西洋被れた人だけになる。しかも、永田町や霞ガ関の連中は、それを解ってか解らずにか、自分たちが巧く国民をリードしようと、歪んだエリート思考を持つこととなる。国民総じて「お上」から降りてくるものには従え、といったムードが漂う。

大阪市長に当選した橋下徹が市幹部6人を更迭したというニュースが伝えられた。公務員の立場で政治活動に関わったからだと言う。民主主義国家では、「民意」とは選挙を経て多数決をとった意見であり、少数意見を持つ人間は勝った人間のお尻の穴を舐める必要がある。少数意見は尊重はせよ、採用はされてはならないのだ。そして、市民から権利を預託されている立場の大阪市役所職員が、自分たちがキングメーカーのように振舞う事こそが民主主義社会を根本から貶めている。

マスコミ、批評家、政治家の中には、ファシズムをもじって「ハシズム」などと揶揄する論調も目立つ。少数意見を抵抗勢力として切り捨てるのが駄目、などと面白いことを言う人が大勢いる。そのような人達は民主主義を理解しているのかどうかを問いたい。多分、革命、共産主義や独裁政治などに憧れがあり、まともな民主主義を見ると過剰に反応しているのだろう。こういう事を言う人達は、心の底で選挙自体がポピュリズムだとか言い放ち、選挙民を愚弄しているのだ。或いは、自分が賢くて、自分の意見以外はファシズムだと考えているファシズムの人かもしれない。百歩譲って、儒教思想に晒され続け、反抗することを道徳的に良しとしないと考えているのかも知れない。

いずれにせよ、結果が最終的にどうなろうと、橋下徹の方向性は正しいし、私は諸手を挙げて賛同する。もしあなたは橋下が嫌であれば、次の大阪市長選で落せばいいのだ。それが民主主義である。そのときまで大阪市が存在していたならば。

12/15/2011

二機目の「スパイ衛星」を打ち上げた日本国

BBCを見ていると、日本がロケットで情報収集衛星を打ち上げた事が大きなニュースになっていた。現時点で既に一機が宇宙空間にあり、それに加える形での「スパイ衛星」だと言うことだ。北朝鮮などの監視目的に使われるのであろう、と言うことであった。

私はニュースジャンキーであり、日本のニュースをネット上で四六時中拾っているのだが、スパイ衛星を打ち上げた事に関するニュースは気付かなかった。これはメディアが結託して意図的にニュースを小さく出しているのではないだろうかと考えているのだが、どうだろうか?BBCでの報道のされ方を見て、内外の温度差に驚いた。確かに日本は「技術力」を披露しようと必死になっているし、武器や軍事の部門においてさえも技術を磨こうとしている節がある。まともな軍事力を持つことには賛成だが、誰がどのようにリーダーシップをもってこのような軍事政策を立案しているのかと言うことに危惧を持っている。

少なくともいちびりの前原で無い事だけを願いたい。が、政治家でないとすれば、暴走は誰が止められるのか?日本の技術が優れていることは知っているが、政治統治やリーダーシップなどの組織力にいつも甚だ不安が付きまとう国なのだから。

12/14/2011

寒くなって「おでん」とは違う「関東煮き」を食べたくなる

ホリデイシーズン入りしてしまい、年末も重なるとあって、かなり慌しい生活を送っている。しかも、今年はラニーニャの影響で雪が早くから降り始め、スキー場に頻繁に通っており、ブログ更新が怠っている。共和党の大統領候補者選び、ユーロ問題、アメリカ株が何故騰がるか、台湾選挙など、書きたいことが山ほどあるのだが、なかなか筆が進まない。

さて、閑話休題。寒い季節になって暖かいものが食べたくなった。何度もしつこいくらい書くが、味は個人の好き嫌い、異なった生活背景、その時の体の調子などが影響するため、「絶対的な美味しい物」はあり得ないという立場を私は取っている。蛇足だが、マクドナルドやコンビニの商品が安いだけではなく、多くの人々に受け入れられる理由は、リスクが最も少ない最小公約数の味を探しているからである。あれはあれで平均的に「美味しい」わけだ。エクスキュースはこの位にして、個人的な見解を書く。

関西と関東で食べ物はどちらが美味しいのか、と言われた場合、私は概ね関西の方が圧倒的にレベルが高い、と答えている。詳しくは書かないが、それは私が関西人であるというバイアスに由来するからだ。しかし関西と関東の食べ物を比べて、関東のほうが圧倒的に文化や歴史で優れており、懐が深いと考えられる食べ物も数多く存在する。ラーメン、握り寿司、そば、天婦羅。関西でこれらの物を食べるとがっかりする確率が高いが、関東では美味しい店にありつけるチャンスが高い。

今日のテーマは「関東煮き(かんとうだき)」である。最近はコンビニなどで売られている「おでん」がスタンダードになってしまい、薄い味の「おでん」が主流になっている。味の素と塩で煮たおでんのことだ。あれを関西風のおでんだと勘違いしている人が多いが、それは少し違う。関西で食べる「関東炊き」はかなり味の濃いギトギトした物であり、私はそういう「関東炊き」が大好きだ。

子供の頃食べた関東炊きは、「鯨のコロ」と牛スジ肉が必ず入っており、醤油も濃い口を使っており、鍋の底など見えなかった。場合によっては豚バラブロックなどが入っている事もあり、かなり濃厚な汁であった。近所の屋台や市場の店などで売られている関東煮きも(良く買い食いをした)、かなり濃厚な味である。そこに大根、蒟蒻、ゆで卵、揚げ豆腐、蛸、そして天ぷら(西日本では魚の練り物を天ぷらと呼ぶ。例えば牛蒡天など)類が入る訳である。関東煮きというのだから、関東風の濃い味なのだろうと考えていた。濃い味が染みこんだ関東煮きは冬の私の一番の好物であった。

店で売っている「おでん」の汁がうどんの出汁のように薄い事が気になっていた。冷凍食品やコンビニの影響だと思う。そして、最近では大阪界隈でも薄い汁のおでんを出す店が増えている。私は薄い汁のおでんがあまり好きではない。薄い汁のおでんでは和気藹々と寒い冬の食卓を楽しめない。味の薄いおでんを食べると、和風の高級店にスーツのまま行って、付け出しで出てくるがんもどきを食べているような気分になる。私はそういうおでんの食べ方は好きではない。コロや牛筋をガツガツ食べて、ゆで卵の黄身を濃いスープに溶かしてご飯と一緒に頬張りたいのだ。

中華圏でよく食べられている物だが、台湾の屋台では、滷味(ルーウェイ)というものが売られている。屋台に並んでいる材料を指定すると、店の人がその場で漢方臭のする黒いスープ(八角、桂皮、クローブなどが使われている)で茹でてくれる。揚げ豆腐、天ぷら、キノコ類、アスパラや三度豆、はたまたインスタントラーメンから鴨の血など、多岐に渡る食材から好きなものを選ぶわけだ。濃厚なスープに色々入れる。私は好きだ。

滷味(ルーウェイ)は実は魯味(ルーウェイ)であり、魯とは現在の山東省、あるいは古くの魯の国を指す物だという説もある。中国の東北部の寒い地域で体を温めるために食べられていた料理であると言うのだ。とすれば、濃厚な魯味(ルーウェイ)が日本が満州地域に進出した際に日本に輸入され、中国の「関東」地域の食べ物、つまり「関東煮き」として紹介されたと言う事は充分にあり得る訳である。

関東煮きは実は「広東」煮きを間違えたという話もあるが、いずれにしても中国から伝わったのは間違いない。冬の大阪で食べていた私の好きな味の濃い関東煮きは中国ルーツであるようだ。最終的には同じものを指す言葉になったとはいえ「田楽」から名前をとったと言われている「おでん」と「関東煮き」は全く異なる物であった可能性もあるだろう。少なくとも大阪出身の私にとって「関東煮き」と「おでん」は完全に異なる物である。

シアトルの宇和島屋で仕方なしに冷凍のおでんを買った。例の透明スープである。私はスーパーで牛シャンク(牛のすね肉)を買い、大根、卵、蒟蒻と共に味の素満載の出汁を4-5時間煮込む。スープの色は浅いままだが、少なくともマシな出汁が出ている。しかし冷凍物の天ぷら類は犬の餌のような味しかしない。次は豚バラブロックでも入れてみよう。

台湾のコンビニで、おでんもどきが関東煮として売られているのはくやしい。関東煮はどちらかと言えば滷味の事なのに。ファミリーマートやセブンイレブンは、色の薄いおでんを台湾語の「黒輪(オレン)」という元の名前に戻して欲しい。