12/30/2013

2013年の総括、2014年の占い

この一年の総括をし、来年を占いたい。個人的には今年は碌でもない一年であった。シアトルという最高の街から、大学フットボールしか娯楽がない文明が未発達なアメリカ南部の町に引っ越し、冷や飯喰らいの毎日が続く。ロボットの様な尊敬にも値しない中国人上司の支配下に置かれ、種蒔きにばかり時間を取られ、収穫はゼロであった。あぁ、本当にシアトルの雨が懐かしい。来年が自分にとっての躍動の良い年となる事を切に願う。まあ、それは横においておこう。

経済の話だが、株価が持ち直した。アメリカの株価の上昇、そして日本の株価の上昇は既に予期されていた事だった。しかし、債券市場、金市場と新興市場は大荒れ。あらゆる債権から株への資金移動が確認された。グレートローテーションなどという言葉が持て囃された。来年はイェレン調整を余儀なくされるだろうが、大きな流れは変わりそうにない。

予想通り、円安も進行した。105円程度にしかならなかったというのは個人的には意外だが、来年は加速的に円安が進行すると思う。一方、来年の日本株価はアメリカ株に引きずられると思う。バーナンキが去った後、イエレンが職を受け継ぐが、テーパリングと絡めて市場がイエレンに挑戦すると見ている。2014年の二月か三月以降は、一時的に株価が落ち込むと見ているのだ。それでも円は買われそうにない。株価退却局面では、ドルの現金持ちかドル建て債権持ちが堅そうである。ただ、一旦落ち着きさえすれば、夏以降は再び株価上昇局面となるだろう。日本の不動産に関しては、商用に向きそうな都会の土地の地価も上昇する。ただ、不愉快なインフレの波が徐々に日本経済を蝕み始める事を忘れてはならない。現金を大量に保有している人や、年金生活の高齢者には、じわじわとボディーブローのようにアベノミクスの副作用が効き始める頃だと思う。消費税の増税もあるが、物価が目に見えて騰がり、消費者マインドは急激に冷え込み、日本のファンダメンタルズに黄信号が灯る。ただ、行き場のないお金は株に向かうしかなく、イエレン調整を除いては、大幅な下振れリスクはない。

政治に関しては安倍首相の独壇場になった。自民党は「古き良き」路線を取り戻し、アベノミクスで株価が回復した事に枕を高くし、ばら撒きに躍起になっている。三本の矢などと豪語した政策も、二本目までしか確認できなかった。三本目は612日に発表された日本再興戦略だとしているが、昔から発表され続けている骨太方針などと内容的には殆ど変る事がないものであり、インパクトには欠けている。また、予想通りといえばそれまでだが、安倍首相が「自由」を規制する法律ばかりを通そうと躍起になっている事も気になる。期待の規制緩和は待てど暮らせど小物しか出てこない。そして、年末の突拍子もない靖国神社の参拝と来た。経済よりも、例の「美しい国」作りを優先させたいのかな?と勘ぐったりもする。

私は昨年の同じ時期にも既に述べたのだが、安倍晋三という人物が首相の器があるとは到底思えないのだ。色々な事を戦略的に考え抜く人物では無いような気がするのだ。思い付きで行動し、打たれ弱く、突拍子もない事をする人間のように映ってしまう。韓国や中国が幼稚な対応をする中で、経済再建に集中し大人の対応をする成熟民主主義国家・日本。こんな我が国の「美しさ」が一瞬にして瓦解してしまった。電撃的に靖国に参拝して、すべてオジャンである。どいういった層にアピールしたかったのかは解らないが、折角多くの国民が安倍首相を支持しているのに、マイノリティーの為に伏線もなく唐突に参拝する必要があったのかどうかは首を傾げざるを得ない。少なくとも、日本人のインテリ層や、日本通の海外知識人にはそう捉えられている。私の目には、安倍首相は「靖らかに眠る英霊たち」を政争に利用しようとしているように見えてしまうのだ。

安倍首相の支持率が高いのは、株価が高く、経済が上向いたことが原因である。中国や韓国の事を鬱陶しいとは思う人は多くとも、本気で一戦起こして欲しい、などと考える人は殆どいない。米国を怒らせたいと思う人達も少ない。今回の靖国参拝は、安倍首相の自滅へのスタートであるとしか思えないのだ。来年は、株価の調整と共に、明後日を向いている安倍首相の支持率は急激に下がり始めるものと予想される。一度支持率が低下すれば、猪瀬氏を葬ったようなマスメディアの安倍潰しの報道が始まる。自民党内紛という毎度のパターンを見る事になるのではないか?旧田中派の末裔が、利権を取り返すためにも、難癖をつけて岸派本家の首相を退席させようとするのではないだろうか?経済が上向いてきたからか、利権争いにマスメディアが加担して、安倍首相安泰の下で魑魅魍魎が暗躍している。霞ヶ関で働いている友人たちの中には、国際条約や公平性などを無視した与党政治家の無茶苦茶な要求に不満を漏らしている者も多い。一方、能無し野党の群れは、選挙も遠く、建設的な再編などという動きには繋げられないだろう。ただ、現在の株高が、政治の安定という面からサポートを受けているため、政情が不安になれば、やがては株価や投資にも影響が出そうだ。

日本経済や日本という国にとって、2013年は悪くない年だったと思う。しかし、2013年は特殊な年であり、我が日本国が長期衰退のトレンドから解放されたわけではない。民主党という社会実験が終わり、自民党が圧勝し、政治が久々に安定した。復興特需が軌道に乗り、消費税8%前の駆け込み需要、そしてアベノミクスの二本の矢、円安、米国経済の回復。こういった幸運が重なり、2013年は潜在成長率以上の経済浮揚を経験してしまった。2013年の上向きの反動が、2014年の中盤以降に顕著に表れた場合、経済的にも政治的にも日本は行き詰ってしまう。

上述のように私は2012年の終わりには、市場はリスクオンになるとキッチリ予想した。毎年悲観的なわけではないが、日本の長期衰退の流れは半永久的に続くものだ。安倍首相はモルヒネを撃ったのだが、その副作用が2014年の後半には見えてくるだろう、と予想している。さて、来年の年末に私は何を書いているのか?

個人的に糞みたいだった2013年に一秒でも早く別れを告げたい。例年ならスペースニードルの花火を見ていたのだが、今年は家でインスタントラーメンでも食べながらの年越しとなりそうだ。

12/20/2013

並の豚肉にさえ劣る「仔牛肉」という高級食材

このブログはアメリカの「痛い食生活」を少しでも誤魔化すために、食べ物の楽しい話題を中心に書こうと思って始めたのだが、スポーツやどうでも良い政治や経済の話題にばかり感けており、食べ物の話題がおざなりになっている。久々の食の話題だ。

クリスマスシーズンという事もあり、欧米人がクリスマスシーズンに好んで食べる食材について語ってみようと思う。その食材とは、仔牛である。英語ではVeal(ヴィール)と呼ぶ。ヴィールは豚肉の様な白い色をしており、普通の牛肉に比べて値段が馬鹿高い。欧米ではクリスマスシーズンにVealを調理する家庭が結構ある。日本でも、フランスレストランなどに行き「仔牛のソテー、春アスパラガス和え」とか「仔牛の赤ワイン煮込みブルゴーニュ風」などと書かれていれば、誰でも美味しそうに思ってしまう。しかも、「子牛」ではなくて「仔牛」というのがミソである。

仔牛料理の「簡単な」レシピを紹介したい。
まずは一般的な食べ方から。仔牛のカツレツ・ミラネーゼである。仔牛のロース肉を買ってきて、塩胡椒して、小麦粉、卵とパルメジャンチーズとパン粉に潜らせて、オリーブオイルで揚げれば出来上がりだ。レモンを絞って食べる(ただレモンは仔牛の味と全く合わない)。
続いてはドイツ南部で習ったクリスマス風のレシピだ。仔牛の一口大厚切りロース肉に塩胡椒をして小麦粉をまぶし、セージとパンチェッタ(なければベーコン)で巻き、オリーブオイルを入れたフライパンで焼く。以上で出来上がりだ。恐らく、これはイタリア料理のスカロピーネをアレンジしたレシピだと思われる。

上述の料理が「仔牛のカツレツ・ミラノ風」とか「仔牛のセージ風味パンチェッタ巻きロースト」などとレストランで書かれていれば、思わず注文してしまうだろう。

しかし、ちょっと待った!私は仔牛という食材が大嫌いだ。確かに、軟らかいし、脂も少ない。逆に言えば、蛋白すぎると批判できる。酪農農家にとって、乳牛はメスしか要らないので、仔牛肉はホルスタインの雄を早く処分する賢い方法であろう。珍しく、なんとなく美味しそうだ。

しかし、若い肉である仔牛は脂の乗りが悪く、深い味わいがしない。仔牛が美味しくない理由は、ボジョレヌーボーが薄すぎて深い味わいを楽しめないのと同じことだと思う。

科学的に言うと、あらゆるタンパク質に味の差はなく、肉の味は全て脂が由来である。訳の解らない赤みの肉に牛脂を注入すると高級ホテルの献立になるカラクリは、こういう科学的な理由からである。蛋白で脂がない仔牛肉をステーキやローストにすれば、味が薄すぎて箸がすすまない。絶対に成牛を使うべきだ。成牛特有の脂が料理を美味しくするのである。もし、何も知らない人が仔牛のステーキを食べれば「味気ない独特な豚肉だなぁ」と感じるだろう。仔牛のステーキが、ニューヨークストリップステーキやリブアイよりも値段が高く、しかもそれにお金を出す人がいるという理由は理解に苦しむ。

たまにレストランで悪くない仔牛料理に出会う人もいるようだが、それは牛脂やバターやオリーブオイルや砂糖などで調理師が巧く仔牛の淡白であるという欠点を補っているのだ。良く言えば調理師の腕が巧い、悪く言えば素材の良さを蔑ろにした料理、という事になる。伝統あるフランス料理には「ピケ」という技法がある。仔牛肉にコクを加えるため、ピケ針で脂肪を差し込み、淡白さを誤魔化す(あれ?これって流行りの牛脂注入肉??)。

「仔牛のカツレツ・ミラノ風」とか「仔牛のセージ風味パンチェッタ巻きロースト」など、食べるに値しない料理である。「パルメジャンチーズ入り豚カツ」とか「豚ロースのセージ風味パンチェッタ巻きロースト」にすれば、100倍楽しく食べられるだろう。病気か何かの理由で、動物由来の脂を食べる事が出来ないと信じている老人を除いて、仔牛肉は驚くほどコストパフォーマンスに劣る食材である。レストランで仔牛を注文してグルメぶっている人がいれば、鼻先で笑ってやって欲しいのだ。まあ、鶏の胸肉とか、七面鳥とか、ウェルダンのフィレミニョンとか、淡白な肉が好きと言って憚らない人達が数多くいるのも確かであるが、その人たちはきっと私とは違う神様を信じているのであろう(笑)。

12/18/2013

カジノ利権により政治的に抹殺される猪瀬知事

カジノ法案が国会を通過する事がほぼ確定している。大手の監査法人やコンサルタント会社などは、数か月前からカジノ法案の通過を見越して、色々な対策を練っている。カジノ関係のロビイストたちは永田町で陳述活動にやっきになっている。

今回の猪瀬直樹東京都知事を失脚させようとする動きが、単純に徳洲会グループからの資金提供問題でない事は明らかである。オリンピックも決定したし、法案も通りそうなので、カジノ立案組の警察系石原派閥の邪魔者達は消し去ってしまおうという勢力が色々と裏で工作していると勘ぐってしまう。或いは警察系にとって猪瀬知事が都合の悪い事を始めたので猪瀬知事を消そうと企んでいるのかも知れない。いずれにせよ、猪瀬知事はパチンコ業界などと敵対しすぎた。メディアの報道姿勢も一貫しており、気味が悪い。しかし、65%という圧倒的な投票率を得て、二位以下を引き離した猪瀬直樹を、執拗に攻撃して、あたかも都民の支持が落ちているかのような報道をして、知事に離職を促すというやり方は良く考えたものだ。

徳洲会問題以前にも、何が問題なのか不明の小さな問題がメディアに大きく取り上げられて、猪瀬知事の評判を貶めようとする動きが目立っていた。そこまでやるほど、カジノの利権は巨大だという事だろう。民主主義国家なのだから、こういった卑怯なやり方ではなく、選挙できっちりと意思決定をして欲しいと思う。大手マスコミなどは絶対にやらないだろうが、猪瀬を消そうとしている連中の名前を挙げてくる週刊誌などに今後は注目したい。五輪利権も言われているが、カジノ利権は半永久的な利権であり、五輪の様な一炊の夢ではないのがポイントである。

カジノ利権で政権を巻き込んで汚職を図った例では、フィリピンでカジノ利権を手に入れようと暗躍したユニバーサルエンターテインメントの岡田和生が挙げられる。あれがばれたのは、岡田に出し抜かれそうになった米国企業による欧米系マスメディアへのリークがあったからである。アメリカ企業は連邦海外腐敗行為防止法に縛られているので、出過ぎた真似は出来ない。一方で古い体質の岡田はやりたい放題の政治的腐敗行為に手を出してしまい(それがフィリピンでは当たり前という物の)、虎の尾を踏んでしまったという事だ。さて、日本に誕生するカジノ市場。どんな魑魅魍魎が暗躍するのか?注目である。

12/15/2013

北朝鮮談話の余談(前回の続き)

朝にCNNのファリード・ザカリアのGPSを視ていた。北朝鮮の話題になったが、国務省のアジア担当の人が出ていた。アメリカ人高官の北朝鮮に関する考え方に興味を持っていたのだが、驚くほど冷静に北朝鮮問題を監視しており、感心した。何よりも、日本や韓国人の北朝鮮ウォッチャーの様に、ある事ない事を自分の想像を組み入れて喋ることなく、「北朝鮮政権の内部抗争については誰も理解できないし、事件が起こった後に推し測るしかない」と、極当たり前の事を述べていた。

米国の国務省では、スイスに留学していた金正恩に関して、金正恩が関わったすべての人物に聞き取り調査を行ったという。聞き取り調査の結果、金正恩は突発的な行動が目立つ人物である、という事だった。金正恩が政権をコントロールできているか否かは、政権中枢で権力を握っている人物以外に知る由もないが、少なくとも政権内で軍部の力が上回ってきている、らしい。中国は「北朝鮮のことを棚に放置してあるドッグフード缶である」と考えているという。蓋がきっちりと閉まっていれば永遠に長持ちするが、一度でも蓋が開けば、すぐに腐るという訳だ。今回の一部始終がドッグフード缶の蓋に開けた穴にならなければ良いが、という結論であった。驚くほど冷静な分析である。

12/13/2013

北朝鮮問題:張成沢の公開粛清は貿易利権に絡む文民対軍部抗争の結果

12月の初めに北朝鮮の張成沢が失脚したというニュースが伝わった。理由は、テレビ放送などで張成沢が写っていたシーンに人為的な修正を加えて放送しているというものであった。それが何を意味するかは大体わかっていたが、真意は掴めなかった。その後、顔に殴られたような痣が出来た張氏が特別軍事裁判の被告人席で両手首に手錠のようなものをはめられ、秘密警察とみられる2人に首や腕をつかまれたまま立っている姿は、先代の時から北朝鮮のNo.2を長年務めた人物とは思えないほどだった。そして、すぐに死刑が執行されたというニュースが飛び込んできた。

一般のニュースを読むと、金正恩を怒らせたため、或いは一党独裁体制を誇示するために非道にも義理の叔父であり後見人の張成沢を粛清したという見方が挙げられている。しかし、北朝鮮問題に詳しい人で、これらの意見に与する人はほとんどいないと思う。数か月前に、元ブルズのロッドマンと自身が所有する島に遊びに行って、水上スキーなどを楽しんでいるような若僧にこのような真似は出来ない。金正恩がただのお飾りであることは論を待たない。

誰が張成沢を消したのか?「軍部」で間違いないと思うのだが、すこしばかり詳しい話をする必要があるだろう。まずは金正日が死去した(事実は疑わしい)と報道された2011年末に行われた国葬のニュースから。

「北朝鮮の金正日総書記の国葬の葬列から、総書記の妹婿の張成沢、朝鮮人民軍の李英鎬総参謀長ら7人が正恩氏の新体制を支える中枢グループであることが鮮明になった。7人は、張成沢、李英鎬、金己男朝鮮労働党書記、崔泰福最高人民会議議長、金永春人民武力相、金正覚軍総政治局第1副局長、禹東則国家安全保衛部第1副部長。霊柩車の右側前方に立った金正恩の後ろに、張成沢金己男崔泰福が従った。左側には、李英鎬金永春金正覚禹東則とみられる人物が並んだ。」

それから一年半ほどが過ぎ、


金永春(失脚・生死不明):20124月に人民武力部長を退任し、同411日の第4回党代表者会において党中央委員会部長に転出した。事実上の失脚である。

禹東則(失脚・生死不明):2012413日に行われた第12期最高人民会議第5回会議では、それまでのメンバーのうち唯一人だけ国防委員のリストには載せられず、解任されれた。脳内出血で倒れて前進が麻痺したという談話もある。

李英鎬(恐らく殺害済み):2012715日の政治局会議において、「病気を理由に」全ての党の役職から解任された。解任に際し、李英鎬の護衛兵が反発し、交戦が発生し、戦闘に巻き込まれ、負傷もしくは死亡した可能性もある。失脚には、軍部が独占してきた対外貿易の利権を内閣に返そうという試みの中で、李を中心とする軍部が障害となったために発生したとの分析がある。

金正覚(失脚・生死不明):201341日に開催された第12期最高人民会議第7回会議で国防委員会委員から解任されたことが確認された。

金正恩の左側に並んだ人物達は、軍関係者であり、元々は金正日の次男である金正哲を国家主導者として推薦していたグループだ。それを右側に並んだ文民組の張派が推薦する金正恩で押し切られた形になったのだ。しかも軍部関係者の後見人である4人が4人とも失脚、あるいは粛清された。それを指揮したのは文民系で改革開放路線を行こうとする張成沢で間違いないと思われる。軍部の親玉であった李英鎬とは、交戦まで交えて粛清したようだ。軍が対外貿易の利権を握っていたため、文民派がこれを奪い去り、邪魔者たちを消し去り、政府側に貿易の利権を移し、改革開放路線を取ったのだ。一方で、軍部から恨みを買った張成沢氏は、機を見計らって、ついには抹殺されてしまった。こんなに非人道的かつ露骨で迅速なやり方は、軍部からの恨み以外の理由では説明できない。しかも「国の貴重な資源を安価で売る売国行為」を張成沢の罪目の一つとした点でも、李英鎬を中心とした軍部との利権がらみの軋轢が見て取れるだろう。

今後注目するべき点がいくつかある。1)金正日の妹であり張成沢の妻である金敬姫はどこに行ったのか?2)国葬に参加した金己男と崔泰福の身の安全は大丈夫か?3)軍部のトップである成り上りの崔龍海はどういったポジションに着くのか?4)何よりも張成沢の傀儡であった金正恩の身の安全は大丈夫なのか?という事になる。崔泰福が亡命、などといったニュースが入ってくれば、危険事態であると判断して欲しい。下手したら第二次朝鮮動乱が始まるような事態さえ考えられる。お飾りに過ぎない金正恩は生かしておいてこそ利用価値があるので、直接殺害するような真似はしないだろう。

この一年ほど、北朝鮮が軍部のコントロールに苦慮している様子は外から観察できていた。文民派と仲良しである中国共産党の意見すら聞かないようになった。李英鎬を粛清した事で重石がとれて、政権側は軍部のコントロールに手をあまねいているのだろう。そして今回の露骨な張成沢の抹殺である。事実上の軍部による政権内のクーデターと考えても良いだろう。軍部が力を握ってしまう北朝鮮の今後の動きが恐ろしい。「冷徹な金正恩が目の上のたんこぶである叔父を粛清」といった幼稚なアホ記事は読むに値しない。

12/12/2013

シーホークスのラッセル・ウィルソン、テキサス・レンジャーズから指名を受けた?

結構な話題になっているので、知っている人も多いだろうが、シアトル・シーホークスのクオーターバックであるラッセル・ウィルソンがテキサス・レンジャーズからルール5ドラフトでトリプルA契約の指名を受けた。アメフットのスター選手が何故プロ野球から声がかかるのか?まさか、アメフットと野球の二刀流なのか?驚く人は多いと思うが、ウィルソンは元々コロラドロッキーズの支配下選手であり、レンジャーズの指名は、本気で野球をやらせるのが目的ではなく、どちらかと言えば有名人を介した話題作りだと思う。

ウィルソンは高校を卒業した後、ボルチモア・オリオールズから41巡目に5番目(全体では1222番目)でドラフト指名を受けている。一時は野球入団を考えたウィルソンであったが、ドラフトを蹴って大学教育を受けるためにノースカロライナ州立大に進学している。ノースカロライナ州立大学ではフットボールをプレイする傍ら、大学野球も行っており、合計で30得点をあげている。2010年にはコロラド・ロッキーズから全体の140番目でドラフト指名を受けており、大学の夏休みにロッキーズ傘下クラスAのトライシティー・ダストデビルズで二塁手としてプレイしている。2011年の夏にはやはりロッキーズ傘下のアシュビル・ツアリスツで61ゲームに出場している。そこで3本のホームランと15打点をあげ、2割2分8厘の記録を残している。しかし、夏休みが終われば大学に戻りフットボールをプレイする。ウィルソンはノースカロライナ州立大からウィスコンシン大に移り、不動のクオーターバックとして成長していた。2012年の初めに、ウィルソンはコロラド・ロッキーズに、NFLに進む意思がある事を告げ、2012年の春キャンプには参加しなかった。

その後、ラッセル・ウィルソンはウィスコンシン大学からシアトル・シーホークスにドラフト使命を受ける。クオーターバック候補であったLSU出身のマット・フリンを押し退け、ルーキーながらチームを牽引する走・投・守を駆使する機動性に富んだクオーターバックとなった事は態々説明する必要もないだろう。ただし、その間も契約上はコロラド・ロッキーズの支配下選手であったのだ。

その支配下枠がウィンターミーティング中に切れて、レンジャーズが恐らくは話題作りの目的でコロラド・ロッキーズからウィルソンの支配権を獲得したものと思われる。二刀流などと煽っている記事も見られるが、常識的に考えてシーホークスがQBレーティング100以上のチームの攻撃の要に、本気で野球をやらせる訳がない。怪我でもされたら洒落ではすまないからだ。レンジャーズは招聘選手としてキャンプなどに来てもらって、若手にアスリートとしての指導啓発などをさせるものと思われる。因みに、下に添付したものがウィルソンのベースボールカードだ。アメフットと野球は時期が重なっておらず、大学などでは両方のチームに所属する事はよくある事だ。アメフットのプロ枠は少ないので、大学で活躍するようなクオーターバックなどは、裾野が広い野球に挑戦する事は決して珍しくない。

レンジャーズの担当者はニヤニヤしながら「これは決してPRじゃない」と言えば、ウィルソンは笑いながら「野球選手になるのは子供の時からの夢」と言った。シーホークスのピート・キャロル監督は「野球をやってもいいけど、ラッセルはカーブボールを打てないからなあ」ときた。何をかいわんやである。


12/10/2013

シアトル・シーホークス、2013-2014シーズンは全球団に先駆けてプレイオフ確定!

態々書くものおこがましいが、我等がシーホークスであるが、全てのチームに先駆けてあっさりとプレイオフ行きを確定させている。このままの快進撃で、ホームゲームアドバンテージを手に入れて欲しい。というのも、昨年度のプレイオフは敵地でレッドスキンズを下した後、ジョージアドームでアトランタ・ファルコンスに競り負けたのだ。こういう事が無いように、ホームフィールドアドバンテージは必要である。

で、今週は油断したのか、晴れ渡った敵地でサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに負けた。巧くディフェンスをやられてしまった。49ナーズとシーホークスは新たなライバル関係と呼ばれているが、シーホークスのピート・キャロル・コーチはそう呼ばれるのを拒んでいる。ナイナーズは昨年もスーパーボウルに進んだ良いチームだが、シーズン中の一試合に過ぎない、と。試合は、得意のディフェンスはきっちりと機能しており、相手QBのコリン・キャパニックを完全に制御していたと思う。TDは一つだけ。後はFGばかりだった。しかし、相手側の必死のディフェンスにウィルソンが苦悩していたようだ。プレイオフにセンチュリーリンクフィールド当たれば勝てる相手と映った。

で、NFCのプレイオフの面々が徐々に見えてきた。シードはシーホークスとセインツであろう。あと、犬虐待犯マイケル・ヴィックを尻目に、アリゾナ大出身のニック・フォールズの活躍でフィラデルフィア・イーグルスが久々にプレイオフに駒を進めそうだ。もう一つの席はデトロイト・ライオンズかシカゴ・ベアーズか、アーロン・ロジャースが復活してグリーンベイ・パッカースが滑り込めるか、と言った所か?逆にワイルドカード予想は簡単である。サンフランとキャロライナである。なかでも、キャロライナ・パンサーズのQBは前項書き込みのオーバン大学出身であるキャム・ニュートンだ。

順当ならば、シーホークスは恐らく一戦目でパンサーズかナイナーズと当たると予想される。で、NFCの決勝戦である二戦目も、パンサーズかナイナーズと当たりそうだ。

一方のAFCだが、ペイトン・マニングを擁するデンバー・ブロンコスは既にプレイオフを確定させた。ニューイングランドも難なくプレイオフに来る。この二チームが実力で抜けており、シード権獲得は間違いなさそうだ。インディアナポリスも既にプレイオフは確定させている。後はシンシナティ、ワイルドカードでカンザスシティと後は混戦といった所だ。

12/08/2013

今年のBCSはフロリダ州立大学とオーバン大学

NFLではなく、今回は珍しく大学フットボールの話題だ。

ずっと一位だったアラバマ大学だったのだが、感謝祭明けの土曜日、オーバンで行われたオーバン大学とのアイアンボウルで、同点の第四クオーター最後のプレイをタッチダウンされ、34-28で敗れてしまった。実力は断凸であり、二年連続チャンピオンのアラバマ・クリムゾンタイドの敗北が、NCAAFのランキングを大きく変えることになった。

このミラクル試合の結果、一位はフロリダ州立大学(FSU)、二位はオハイオ州立大学、そして三位がオーバン大学となり、アラバマ大学は四位に落ちたのである。しかも、SEC(米国南東部大学競技連盟)のチャンピオンシップは、SEC東部リーグと西部リーグの勝者同士の戦いとなっているので、西一位のオーバン大学タイガースと東一位のミズーリ大学タイガースがアトランタのジョージアドームでのチャンピオンシップを行った。

オーバン大学はシーズン初めはクオーターバックも決まらずに危うい試合を続けていた。大雨の中、ルイジアナ州立大学に負けた頃は、まさかBCSに駒を進めるとは誰が考えただろうか?

それが徐々にチームが纏まり、こと攻撃に関しては文句をつける余地が無くなった。終了間際にス―パープレイを決めたジョージア大学やアラバマ大学との試合では、運も味方した感はあったが、実力が無くては運も掴めないだろう。

ミズーリ相手に、昨日は怒涛の勢い。完全な勝利だった。しかも、その夜にランキング二位のオハイオ州立大学がミシガン州立大学に敗れるという波乱が起こった。これで、最終ランキングの二位と三位が入れ替わる事が決定的で、オーバン大学はフロリダ州立大学と一月六日にパサディーナのロウズボウルでBCSを行う事がほぼ確定的となった。

一方、アラバマ大学は恐らく三位か四位となり、シュガーボウルでオクラホマあたりと対戦する事になると思われる。ミシガン州立大は恐らくロウズボウルでスタンフォードと当たる事となるだろう。敗れたオハイオ州立大はクレムゾンとオレンジボウル、残りのフィエスタボウルはベイラーとセントラルフロリダになると思われる。

どうでも良いが、試合が終わったオーバンの街は狂喜乱舞。恒例であるが、ティッシュぺ―パーがその辺りの木に投げつけられた。雪かと見紛うほどの見事な資源の浪費である。ウォーイーグル!

11/23/2013

マリア・バルテロモ、CNBCを去りフォックスビジネスへ

昨日、CNBC(株の番組)を見ていたのだが、なんとチャンネルの看板キャスターであるマリア・バルテロモが降板するというのだ。私自身は、マリアのファンという訳ではないのだが、結構ショックを受けた。

まあ、経済系のニュースはCNBC、ブルームバーグ、フォックスビジネスとあり、結構キャスターの移り変わりが激しい。

CNBCは、エリン・バーネットが降板してCNN夜7時から枠でアウトフロントという看板番組を持った。古い話では、リズ・クラマンが2008年にCNBCからフォックスビジネスに移った。

これは移籍に関係ないのだが、朝の顔であったマーク・ハインズが2011年に突然心臓発作で死去して、後続にフィリピン系のカール・カンタニアがスクォーク・ボックスから昇進した。

CNBCワールドに目を向けても、香港ベースのバーナード・ロウがブルームバーグからCNBCに移って、朝のアジアの顔となっている。ロンドンではアンナ・エドワードがCNBCからブルームバーグに移ってカウントダウンの司会となった。それに席を奪われた形の下手糞だったリンゼイ・ジャニスはABCのレポーターに降格(?)した。

CNBCクロージングベルのマリアの代替はケリー・エヴァンズになるらしい。ケリーはワールドワイドエクスチェンジでロス・ウェストゲートとコホストを務めた事もあるし、安心して見れるキャスターであり、妥当な人選だろう。


11/18/2013

贅沢銀行券

元記事

レジから「贅沢諭吉の百万円札」 岩手のイオンモール

朝日新聞デジタル 11月18日(月)
 【松本龍三郎】盛岡市本宮にあるイオンモール盛岡南で17日、食料品を販売する店舗のレジから「百万円」と書かれた紙幣大の付箋(ふせん)が見つかった。岩手県警が詐欺容疑を視野に調べている。 盛岡東署によると、午後4時ごろ、店員がレジの現金を確認したところ、「百万円」と印刷されたものがあることに気づいた。裏は白紙で、紙面上部はのり付けされていた。「贅沢(ぜいたく)銀行券 百万円」「贅沢付箋印刷局製造」などと書かれ、福沢諭吉に似た「贅沢諭吉」が描かれている。 付箋がレジに紛れた状況や被害がはっきりしないため、店が提出した被害届を署は受理していない。「百万円札」が実在しないことから、署は偽造通貨には当たらないとみている。

こんなところにもアベノミクスのインフレの悪影響が出ているのですね。ゼロの数が二つも増えました。


11/14/2013

ジェレミー・リンがハーデンの代役を務め、9本の3ポイントを決める

ハーデンが左足に打撲を負った為、フィラデルフィア・シクサーズ戦を欠場した。その代わりを任されたのはジェレミー・リンである。3PTが入りまくり、合計で9本を決めた。合計34点は昨日を上回る高得点。アシストの方も冴え渡り、12も記録している。しかし、8つのターンオーバーは頂けない。さらに、ディフェンスしていたベテランのジェームス・アンダーソンに36点入れられたのはどうかと思う。

ただ、コーチ陣の選手の使い方に疑問を感じる。ジェレミー・リンを後半にもう少し休ませても良かったのではないかと思うのだ。10点ほどヒューストンが勝った所で、ディフェンスできそうな選手を入れて、向こうの攻撃をスローにさせる方法があったと思うのだ。アシークやガルシアを守備要員として巧く使う必要はなかったのだろうか?疑問が残る試合である。

今日はマディソンスクエアガーデンで、ニューヨーク・ニックスと対峙する。元ニックであるジェレミー・リンの活躍に期待したい。

それよりも、オマー・アシークがボストンのラジョン・ロンド(現在怪我)と交換トレードするかもという噂が挙がっているが、ついでにリンも大学時代を過ごしたボストンに連れて行ってもらえば良いと思っている。ロンドが来れば、リンはロケッツに要らないだろう。

11/12/2013

ジェレミー・リンが31点!ギリギリでトロントを2OTで下す

トロント・ラプターズとヒューストン・ロケッツの試合であるが、結論からするとジェレミー・リンが31点と今年一番高い点数を記録して、ダブルオーバータイムにラプターズを退けた。

ただし、試合の内容は糞である。

まず、ベバリーとハーデンの組み合わせが最悪だ。ベバリーはリンよりも素早いが、頭を良く使うタイプではない。ベバリーはペイントの中までドリブルをして、ハーデンにパスを出す。が、ベバリーにディフェンスが反応しないので、掻き回すだけで、誰もオープンにならない。ベバリーはPGとしての怖さを兼ね備えていない。

一方で、リンとハーデンの組み合わせはしっくりとくる。リンはお世辞にもクリス・ポール、スティーブ・ナッシュやリッキー・ルビオのようにドリブルやパスが巧い選手ではない。ただ、リンは点取り屋として認められているのだろう。リンは外からも打てるし、変なパスも出すし、自分でレイアップも出来る。リンがドリブルで中に入って来ると相手選手が過剰な反応をし、フリーになる選手が出来る。パーソンズやアシークはこれで昨年助けられた訳だ。リンは下手なりにPGの役目を成している。

最悪はハーデンだ。髭奴さん、ボールを持てば、コービー・ブライアント紛いの独りよがりプレイを披露して点数を入れに行く。ハーデンがボールを持って中に入っていくと、点数は取れるが、ターンオーバーになる確率も高いのだ。今シーズンは特にチームに悪影響を与えているように思える。ハーデンは間違いなくオールスター級の選手であるが、コービー・ブライアントの域には達していない。その癖、自分でボールを離さないようなプレーはどうかと思う。

今シーズンはアシークが巧く機能していない。アシークはディフェンス重視の正当派で、チームプレーに徹する選手だ。しかも、ポジショニングでオープンとなって点数を入れてくる。一方のハワードは運動能力に物を言わせて、ひたすらリバウンドを取る事しか考えていない。パスも受けられないし、フリースローも入らない。

一番の問題は、アシークがハワードとの兼ね合いに苦悩しているように思う。アシークを高値で売れるうちに売ってしまうのが、ヒューストンの為でもあるし、アシークの為でもあると思う。アシークはハワードと全然違ったタイプの選手であり、ツインタワーになる事は出来ない。ロケッツは、どこかのチームでセンターが故障するのを待っているのかも知れない。そうすれば高い値がつくからだ。ただ、昨年のオフから言い続けている事だが、ロケッツのセンターにはアシークの方がマッチする。ハワードはマッチしない。

ドワイト・ハワードがリバウンド能力が高い事は論を待たない。しかし、ハワードのリバウンドがチームとしてのディフェンスに直結していないのが問題なのだ。ハワードは端からリバウンド狙いであり、チームディフェンスを軽視している感がある。あれでは競った試合をかなり落とすことになる。ハワードに大金を払うくらいなら、ブルックリンであぶれているリバウンドに定評のあるリッジー・エヴァンズで十分なような気もするのだが。

個人的には、ロケッツはさっさとジェレミー・リンを西海岸のチームにトレードして欲しいと思う。アシークと一緒に出してくれれば尚嬉しい。そして私はそのチームのファンになります。チームプレーが消えたハワード・ロケッツはもう結構です。




11/11/2013

シーホークスがファルコンズに昨年の雪辱!

我等がシアトル・シーホークスがアトランタ・ファルコンスに雪辱を果たすべく、昨日はフィリップスアリーナに行ってきた。意外とシーホークスファンが多くてびっくりした。

さて、試合だがシーホークスが圧倒する。ディフェンスは冴えているし、攻撃は正確だ。ラッセル・ウィルソンが二度、エンドゾーンぎりぎりのゴールデン・テイトにパスを出している。両方ともテイトがキャッチしたのだが、一度はキャッチ後のテイトの足が白線にかかり、アウトオブバウンドとなった。二度目は完璧なキャッチでタッチダウンとなっている。両方とも、驚くようなスーパープレイである。マーシャル・リンチのランニングも冴えていた。しかも、リンチがウィルソンにバックパスを出すなどと言うトリックプレーまで決める。雪辱というよりはむしろ、アトランタ大虐殺とでも言った方が適切なゲームであった。試合が終わりに近づくと、シアトルファン以外はさっさと引き払っており、私は余韻を楽しんだ。

しかし、ファルコンズのマット・ライアンが酷い。全然パスを決められない。もともとQBレーティングがそんなに高い選手ではないのだが、ディフェンスされると話にならない。アトランタはランニングのチームであるが、165cmしかないオレゴンステート大出身RBロジャースの突進を悉く止めていた。昨年のプレイオフでは面白いほどやられていたのに。

これでシーホークスは9勝1敗である。49ナーズがオーバン大出身のキャム・ニュートン率いるキャロライナ・パンサーズに負けて6勝3敗となり、プレイオフ進出への道はほぼ間違いなさそうな雰囲気になっている。GO GO SEAHAWKS!

11/09/2013

大学受験改革「そもそも論」:すべては官僚制という問題から起こっている

就職活動や大学入試と言ったものに不満を抱く人は大勢いる。何故なら、人間は誰でも一円でも得をしたい、一つでも上に行きたい動物である。しかし上に行けばいくほど、椅子の数は狭くなる。そこで「公平を期す」ために、何らかの選抜方法が考え出される。選抜方法が洗練され、システム化されてくると、競争は熾烈なラットレースの様相を呈してくるわけだ。そういったラットレースは、本来であれば「人材の選択」というゴールの為の手段として作り出されたわけだが、力や金が過剰に絡みだすとラットレースそのものが目的化してしまう。官僚の出世競争、半沢直樹のような出世競争、大学教員の論文投稿数競争なども、まさにこれである。競争が激しくなると、少ない椅子を手に入れた人たちは、クラブ制度を敷き、権力を維持しようとする。そして次世代の競争はますます激しくなり、本来の業務とは関係のない場所においての無駄な競争が激化していく。つまり、就職活動も大学受験も大企業や公務員の出世競争も大学教員の論文競争も、紐解けばすべては同じ問題に根源を見つける事が出来るのだ。

日本で就職活動がここまでマニュアル化した功績は、リクルート社などを籏本とし、大企業が紳士協定的に就職活動を規格化したことが原因だと思われる。大学生の本分は勉学であるはずだが、人生設計を考えた場合、就職活動に力を入れた方が長期的な視点で得をするに決まっているのだ。企業の側も、若者に集団就職をさせた方が効率的であるし、自分たちのリスクを減らす事ができるので、採用方針をマニュアル化してしまう。そして、そこにリクルート社などが金儲けをする機会が生まれている訳だ。大学側は生徒の需要をはっきりと理解しており、学生に勉強しろなどとは言わない。学生に勉強をしろ等と言うのは、研究者として学生を搾取しようとしている学者か、若い熱血教師だけである。学生や社会の事情が分かっていれば、学生に勉学に打ち込ませるような罰ゲームを強いる事はできない。

大学受験に関しては、予備校や私学などの教育産業が競争をする中で無意識のうちに結託したことと、「受験技術」という物が商品となった事が問題である。それが、母親たちの競争意識を駆り立て、我が子を一つでも上の学校に入れるという事が目的と化してしまったのだ。受験技術の取得が自身の子息にとって根本的には無意味であったとしても、である。数日前に関連する事項を当ブログに書いているので、そちらも参照して欲しい。

出世競争に関しては、組織の中で公平性を期し、組織の円滑な運営を行うため、歴史の長い大きい企業や団体では、何らかの社内紳士協定がある場合がある。出世街道などと呼ばれるクラブ制度が敷かれている場合が多いが、古今東西、整備されきった出世街道を進むための努力は、必ずしも組織としての生産性とは関係ないものだ。そういった無駄な努力を強いる企業体制が「官僚制(ビュロークラシー)」なのである。ただ、大きくなれば組織はピラミッド形にならざるを得ず、入って来る人の数に比べて上の席が少ないという現実を、何らかの形で円満に解決するには、こういった方法をとるしかないのかも知れない。勿論、非生産的である。

大学は歴史が長い団体であり、学会のクラブ制度は反吐が出るほどの結束力である。若者の高学歴化により、生徒が大学に残る割合が極端に増えてしまった。そこで、ポスドクなどという中途半端な奴隷制度を設けているのだが、本職を手に入れるためには論文数を中心に査定される事になる。となれば研究の質はそっちのけで、研究本数を増やす方が得といった、戦略的な判断が生まれる。イノベーティブな研究などしようものなら、論文数が減るので就職には致命的だ。特にアメリカにいるアジア人の若い研究者の間で顕著なのだが、出世するために論文ミルのような姑息な手段をとる学者もいる。勿論、教育など他の事が疎かになり、大学の質は落ちる。学会誌もレベルの低いものが溢れかえるような状態になっている。こういった無駄な事に力を入れれば入れるほど、高等教育の存在意義は薄くなってしまうのだから皮肉である。まあ、どうせ「質」など解る人は少ない。

ここまで読まれれば解るかもしれないが、何らかの理由で、洗練されたラットレースが織り込まれた業界やイベントでは、参加者に無駄な努力を強いることになる。これは、希望者よりも椅子の数が少ないから起こり得る問題である。人間は等しく24時間しかなく、こういったラットレースに時間を割けば、本業を犠牲にするしかない訳だ。つまり、人材の選抜方法が洗練され、しかも産業化しているようなところの生産性は恐ろしく低くなる。

一方で、フリーの人や、ベンチャー、一部の中小企業ではこのような無駄なラットレースに巻き込まれる可能性が少なく、そういった人達はゴールに向かった本質問題に時間を割くことが出来る。新しいベンチャーの生産性が高いのは官僚制に時間を割かれない事が原因だ。

受験改革、大学改革、就職活動改革、公務員改革などが叫ばれて久しいが、こういった官僚制度に真剣に対峙する事を無くしては、何も改革する事は適わないだろう。まあ、スポーツなどでもそうなのだが、制度が整備され過ぎると、大穴が出なくなり、面白みに欠けてしまう事になる。規格化とは便利であるが、つまらなくなるのだ。注意して頂きたいが、ここに書いた問題は、決して日本固有の問題ではなく、官僚制にどう立ち向かうかという「そもそも論」である。ここには挙げられなかった無数の例があるのだが、読者の方も思いつく事が多々あるだろう。そして、その問題の本質は、文部省が叫んでいる大学受験改革の問題と同じなのだ。

11/08/2013

試合後半にハワードが執拗にファウルされ、追いつかれ、追い越される

ロケッツの試合がTNTで放送された。ドワイト・ハワード古巣のLAレイカースとの対峙である。レイカースはコービー・ブライアントを怪我で欠くものの、昨年よりは纏まったチームになっていると思う。

さて、試合は酷いものだった。第一クオーターは外しまくる。ディフェンスも酷いし、アシークとハワードの連携がなっていない。で、一時は20点近く離された。

しかし、第三クオーターの後半になって林を投入したころから、ロケッツが盛り返す。ハーデンのシュートが入りまくるようになったのだ。で、第四クオーター、残り4分46秒でハーデンが3Pを決めて同点。そして、パーソンズがレイアップを決めて逆転した。

その後のレイカースが酷い。昔、プレイオフでサンダーが執拗にアシークにファウルをした事を書いたが、レイカースは同じことをハワードにした。そして、御存じの通り、ハワードはフリースローが入らない。結局、16投中5個しか入れられなかった。3割1分3厘である。野球の打率なら凄いが、フリースローでこれは酷い。

最後、2点差でレイカースの攻撃。ハーデンが何度か無意味なポセッションをした。リンとベバリーが上手くディフェンスできず、スティーブ・ブレーキが3Pを決めて逆転。レイカースに勝ち星を譲った。

試合中はハワードとアシークが揉めていたし、試合後はリンとハワードが揉めていた。多分、チーム再編させるために、アシークとリンはシーズン中に出されると思う。

しかし、色々な事が解った。
1.ヒューストンのディフェンスはザルである。
2.攻撃チームは好不調のムラが有り過ぎて、きっちりとコンスタントに勝てない。
3.競った試合はハワードをファウルすれば良い。
4.ハーデンはディフェンスできない。点数取れるだけ。
5.ハワードは一人つけておけば十分。ダブルチームする必要が無い。
といった所だ。ヒューストンはハーデンとハワードのチームであり、他の選手に責任を押し付けるのはおかしい。負けたら、この二人の責任である。

しかし、予想は出来ていたが、ハワードの加入で、ヒューストンは見ていて面んないバスケするようになったなぁ。しかし、マクヘイルは何故逆転した時点で、ハワードを引っ込めて、スモールで行かなかったのか?レイカースのマイク・ダントニにハワードが「倍返し」された格好である。

11/06/2013

ハワード加入後のヒューストン・ロケッツ

老人のゲームであるベースボールが閉幕して清々している。そして、待ちに待ったNBAの開幕である。

ドワイト・ハワードが加入して、一気に西の優勝候補の一角に躍り出たヒューストン・ロケッツであるが、開幕後はどのようなバスケをしているのであろうか?

レイカースでチームプレーに馴染めなかったハワードの加入と、イスラエル人スモールフォワードのオムリ・キャスピの加入を別にすれば、メンバーはあまり変わっていない。なのに、これほどまで騒がれている理由は、ハワードの存在感であろう。

それでは、ハワードが加盟してどの程度チームが変わったのか?昨年のロケッツは、若手が終結して、皆で頑張って勝っている!というチームの様に見えた。周りも、ロケッツの活躍がフロックかどうかを見極めるプロセスにあったと思うのだ。しかし、今年は優勝候補と言われ、そのように扱われている。勝って当たり前といった雰囲気でのプレーを強いられているように思う。

さて、マクヘイル監督は、今年のスターターを、PGベバリー、SGハーデン、Cハワード、SFパーソンズ、PFアシークで行くと決めた。しかし、開幕前にベバリーが故障で、ジャーミー・リンがPGでスターターをしている。

今年のロケッツの危うさは、アシークとハワードの二人のセンターの使い方である。マクヘイルは両者をスターターで使うと決めたようだが、アシークはパワーフォワードの役割にもがいているように見える。恐らくは一月ごろまでにトレードに出される事になるだろう。

逆に、ジャーミー・リンをシックスマン(第6の男)で使用するというのは、あながち間違っていない様に思う。リンは、PGではなく、SGである。リンはパスが下手だ。たまに、驚くほどのアリウープや、絶妙の考え抜いたピックアンドロールを決めるが、基本は点取りシューターだと思っている。多分、JJレディックのような選手だと思うのだ。だから、スターターのPGにベバリーを置いて、ハーデンと交代でリンを入れる事は理に適っていると思う。時間がおしてきて、二人シューターが欲しい時にも持って来いである。

で、実際にヒューストンのプレーを見た。一言でいうと、面白くないバスケをしている。まあ、シーズンが開幕したばかりなので、こんなものなのかも知れない。しかし、無駄なパスを出し、後は個人の技で点数を取る、といったくだらないバスケをしているのだ。ハワードやハーデンは一対一で強い選手だ。リンも、ディフェンスを掻い潜っての点取り屋だ。しかし、チームプレイはどこに行ったのか?ゲーム毎のアシストは平均で17.6.下から7番目である。

ターンオーバーの多さも気になる。緒戦のボブキャッツ戦から、チーム総ターンオーバーは18,22,18,15,20。平均一試合当たり19.2は下から5番目である。もう少しなんとかならないものか?

しかし、得点力は全体の四位、そしてリバウンドも全体の二位だ。ただ、ディフェンスはガラガラ。クリッパーズ戦は酷かった。ハーデンはクリスポールのディフェンスをしていなかった。あれでは良いチーム相手には勝てない。

ゲーム数が少ないので、サンプルが多くなってから、もう少し掘り下げてチームスタッツを精査してみたい。一つだけ言えるのは、良い意味でも悪い意味でも、今年のヒューストンは数字上はドワイト・ハワードのチームに染まってしまっているという事だ。

11/04/2013

山本太郎問題:相変わらず民主主義を理解できないマスコミ

山本太郎氏の手紙の一件だが、私は手紙の内容自体に興味は無い。ただ、メディアで不敬だの、議員としての資格がないだの、色々喧しく言われている。私はこれらの報道にイラついているし、他の国会議員やコメンテータの山本氏に対する態度に憤りを覚える。

山本議員が園遊会に呼ばれた理由は、山本議員が参議院であるからである。山本議員が参議院であるという事実は、東京都選挙区の選挙民が山本議員を参議院議員として相応しいと投票したからである。山本議員は国民の意思によって選ばれた議員であるのだ。

その議員の一人に過ぎない山本太郎氏が、象徴天皇である陛下に手紙を渡したという事だが、これが天皇の政治利用に当たるのか?手紙を渡すこと自体は問題ではない筈である。何故なら、陛下に手紙を書くことを禁ずるような理由はない。書きたいことを書いて、陛下宛てに住所を書き、郵便ポストに投函すれば、(陛下に読む、読まない、読ませないは別として)皇居には届く筈である。

手紙の内容にしても、山本議員のこれまでの発言内容からして、驚くべきものではない。寧ろ、こういった発言をしてきたからこそ、選挙民に支持されて山本議員は当選した訳であり、民主主義の原則的には、(あなたの好き嫌いは抜きにして)国民である選挙民の意思を尊重しているものである。

今回の一件は、園遊会という場で、慣例に則ると少しお行儀が悪いのではないか?という事に過ぎないと思う。第一、天皇陛下がこの程度の事に目クジラを立てられるとは思えない。

これに対して「山本議員は議員としての資格がない!議員資格を剥奪せよ!」などと声高に叫ぶ議員やコメンテーターがいるが、これは山本議員に一票を入れた666,684人の意見を蔑ろにしていると言っても過言ではない。議員は選挙民の審判を受けて国会に送り込まれているものであり、現行の民主主義を否定するようなコメントは看過できない。山本議員が取った行動の好き嫌いに対して、自分の好き嫌いで国民が与えた議員資格を勝手に剥奪できるとでも思っているのか?

日本には優先順位が高い問題が無数にある。山本議員にとやかく言う議員たちは、こんな事に時間を割いていないで、真面目に仕事をしろ!と言いたい。山本太郎が行った事が政治パフォーマンスなら、おまえの行動も政治パフォーマンスか!

山本太郎が議員の資格があるかないかは選挙民が決めるべき問題である。たとえ、山本の事が嫌いであったとしても、だ。

まあ、どうでもいいニュースだし、こんなどうでも良いニュースが流れるほど日本は平和だという事だろう。こんなどうでも良い話題をどうでも良いブログに書いて時間をつぶしている自分が情けない。

11/01/2013

ボストン・レッドソックスが定石通りのチャンピオン

1999年、大阪の子の癖に社会人から巨人に入団して、新人ながら大活躍をした上原。新庄や和田豊、マイク・ブロワーズ(現シアトルマリナーズの解説者)などを簡単に赤子の手をひねるように抑える様子には正直ムカついた。巨人嫌いであったので、メディアが松坂と比較して作り出した「雑草魂」などという言葉には反吐が出た。

巨人を出てからの上原が好きだ。特に今年の上原はよく頑張ったと思うし、テレビで投球を見ていても楽しかった。どこかの記事にも載っていたが、今季の上原の投球を見て上原を好きにならない人は、アンチレッドソックスの人以外にいないだろうと思う。

しかし、ジョン・ファレルは凄いと思う。僅差でレッドソックスが落とした第五戦、そう、あの走行妨害で試合が決まった試合である。その試合の戦犯陣であるサルタラマッキアとミドルブルックスを二度と試合で使う事はなかった。次の日の試合で最後のチャンスを貰ったブレスロウも、最終二戦では使われなかった。適切(冷徹?)な采配が出来るこの監督はかなりの切れ者だ。

ボストンが二回ほど変な負け方をしたが、セントルイスとボストンの間には余りにも大きな力の差があったと思っている。ファレルの采配をしては、カージナルスにはチャンスがなかった。まあ、漸く野球が終わって、バスケのシーズンになった。ヒューストンロケッツの話題などを中心に記事を書く。そういえば今季のシーホークスの話も書いていない。

10/27/2013

ワールドシリーズ第四戦は牽制死で終了。

興醒め第三戦の後、手負いのバックホルツが明らかに調子が悪いのに投げた。

で、結果は、4-2で上原が出て来て、一塁代走のコルトン・ウォンを牽制で刺して試合終了。牽制で終わるの??またもや興醒めな終わり方である。

第三戦の繰り返しではないか?と思われるようなシーンが何度も繰り返された。ブレスロウの不調、田澤がホリデイと対峙、そして上原がクレイグに打たれる、などである。これらが面白かったかというと、見ていてイラついた、というのが正直な感想である。

しかし、両リーグで最高のチーム同士の一戦という触れ込みで始まったワールドシリーズだが、凡ミスや采配ミスが目立つ。どうも上手く歯車が回っていないようだ。野球としては楽しめない内容になっているのは残念である。

10/26/2013

カージナルス、走塁妨害でサヨナラ。はあ??

はあ??という表現が一番合致すると思う。

9回ワンアウトで、ジェイの打球をペドロイアが捕球し、サルタラマッキアに投げて2アウト。サルタラマッキアが三塁のミドルブルックスに投げたが、ミドルブルックスが後逸して倒れこむ。クレイグがそれに勝手に躓き、よろめく。レフトのナーヴァからサルタラマッキアに球が帰って来て、ホーム上でクレイグをタッチアウト!

え、走塁妨害で試合終了?最後のホームでのクロスプレイは無かったことで?はあ、何それ?って感じである。

ミドルブルックスはボールを逸らしたが、走塁妨害にならない為には、自ら回転して走者の進路を開けなければ、妨害になる可能性が常に発生するという不都合な真実が露呈した。

しかし、今日の問題はミドルブルックスである。田澤とホリデイの戦いで、田澤が打ち取ったところを、代わりたてのウェストブルックスが取れなかった。エラーにはならなかったが、隠れエラーである。これが二点になった。そして、最後のプレー。サルタラマッキアが色気を持ちすぎたが、ウェストブルックの後逸は看過できない。

一方、カージナルスの三塁手のフリーズは6回にペドロイアの当たりをスーパーキャッチして、ボストンの勢いを止めている。

今日のボストンであるが、一塁のパピーの守備は仕方ないというものの、細かいミスが目立った。記録に残るもの、残らないものを含めて、エラーが散見された。ナポリは使わずじまいだった代わりに、意味の解らない内野手の交代もあった。投手リレーもピリッとしなかった。ナショナルリーグの本拠地で戦うと、ゲームのペースが必然的に早くなるので、もう少し巧く対応した方が良いと思う。同じ失敗を繰り返さないチームなので、四戦以降の戦いに期待したい。

まあ、審判団の判断はルールに則っているという意味で妥当であったというものの、興醒めな一戦であった。

10/24/2013

2013年ワールドシリーズ開幕。ベルトランとバックホルツの故障および左投手不足

ワールドシリーズが始まった。先日も書いたが、策士が采配を振るう力のあるチームと、策士の戦略が浸透している力的には少し落ちるチームの組み合わせだ。まあ、考えるまでもなく、力がある方が勝つだろう。詳しい話は先日書いたので割愛する。

さて、第一戦は予想通りのボストンの圧勝。ファレルは9回に上原に投げさせずに、先発5番手のデンプスターを使った。この監督、やはり切れ者である。セントルイスとの一戦では点数差が開く試合が多くなるとみて、登板間隔のあいていたデンプスターを安全な場所できっちりと使ってきたのだ。タイガースのリーランドには出来なかった采配である。

ただ気になるニュースもある。バックホルツが肩の状態が良くなく、第三戦はピービーで行くようだ。アラバマ州はモービル出身の元サイヤング三振王のピービーは頭に血が登り易い傾向にあるとはいうものの、良いピッチャーであり、何の心配もない。フライボールピッチャーなので、ボストンのフェンウェイよりはセントルイスのブッシュスタジアムで投げる方が良い結果が出るだろう。では、第四戦は誰が投げるのか?バックホルツが無理であれば、フェリックス・ドブロンという事になるらしい。

セントルイスも、プエルトリコの至宝ベルトランが、オルティスのポストシーズン第二号満塁弾をかっさらった際に肋骨を痛めてしまい、今後の出場が微妙な状態になっている。まあ、レッドソックスは打てば勝てるだろう。というよりも、ボストンの選手は異様なまでにボールを見ている。これはシーズン中から顕著であったが、ワインライトも結局はボールを見られたことが敗因であった。しっかりと待てるボストンは強い。

面白いのは、両チームとも左ピッチャーが極端に少ないという点だ。ボストンは先発のレスターとドブロン。ブルペンにはイェール出身のブレスロウとモラレスだけだ。一方のセントルイス。左はベテランのチョートとスィーグリストだけだ。両者ともリリーフで、先発は全て右である。

これは面白い、と言いたいところだが、どうせボストンが圧勝するので、結構どうでも良い。日曜には決まるだろう。

10/23/2013

留学系のフィクション本に騙されるな!留学して得する事、損する事。

「日本の教育はレベルが低い!アメリカに留学すれば人生が開ける!」そんな勇ましい事が書かれた書籍にすっかりと騙されて、私は日本の大学を卒業した後にアメリカへ留学した。

たまに日本にいる若い学生に「留学して自分を高めたいのですがどう思いますか?」などと質問される。10年ほどが経ち、客観的に自分を見つめられるようになり、色々思う事があるので書いておく。基本的には「留学すれば成功する!」といった単純な論調に「すっかり騙された」と思っている。が同時に、日本にいても手に入らなかったような物を、色々手に入れた実感もある。

留学して得する事①
「外国人話者」としての英語力がつく。留学して手に入れられる最高の利益である。留学をしたい理由の第一位は英語を身に付けたいからだと思う。

留学して得する事②
外国人の友達が一杯できる。特に発展途上国の金持ちの子息と簡単に友達になる事ができ、自分の視界が広がる。これも留学して得られる利益である。

留学して得する事③
他の日本人留学生と深い友人になれる。留学は楽しい反面、様々な苦労にも直面する。それらの過程で、他の留学している日本人と深い絆が出来る事になる。友情は金では買えない。

留学して得する事④
視界が広がる。今まで日本で常識であると思っていた事が常識ではないと気付く。「コロンブスの卵」的な考え方、つまりは常識にとらわれないような考え方が出来るようになるかも知れない。日本の現状を第三者的な視線から冷静に観察する事も可能になる。

留学して得する事⑤
日本語で書いたり話したり読んだりする能力や、コミュニケーション能力が格段に上達する。これは英語という普段は使い慣れていない拙い言語で、無理やり他人に何かを伝えようと頭で考えながら四苦八苦するうちに身に着く能力なのではないか、と考えている。自分の母国語でも理路整然とコミュニケーションできるようになる。面白い事に、他の言語を勉強しても早く身に付くようになる。

留学して得する事⑥
アメリカの大学院を介すると、簡単に学歴ロンダリング出来る。学費を自分で負担できるのであれば、名の通った大学院に簡単に進学することが出来る。ただし、これはMBAやロースクール、或いはプロフェッショナルスクールと呼ばれている大学が中心であり、研究分野はコネが無ければ入るのは難しい。ハーバードやイェールなどが凄いと言われているが、日本の帝国大学に入れるくらいの頭脳があれば、英語能力さえ鍛えれば、簡単に入学できる。しかも周りの人からはエリート扱いしてもらえる。しかし、東大を卒業して、アメリカの州立大学で修士を取ったりしている人を良く見かけるが、これは学歴を落としているようにしか見えないのは私だけだろうか?

留学して得する事⑦
やたらと自身がつく。英語で授業を受けたり、英語で発表したりしているうちに、自分は凄い事をしていると感じるようになる。例えば日本でMARCHくらいの大学に行っている人がアメリカの州立大学の大学院に留学したとする。そうすれば、計算能力や知識的にはクラスでもトップレベルであるのだが、当初はアウェーでの戦いであり、気後れする事になる。しかしテストなどを受けると、特に数学系や暗記系の科目においては良い点数が取れる。これは半端じゃない達成感を得られる事になる。

留学して得する事⑧
行動力や生活力がつく。不便な中で頑張るので、ゴキブリ並みの生命力がつくし、楽しく生活する知恵も生まれる。

達成できるかもしれないが時間を要する事①
アメリカ人の深い友達を作るのには苦労する。外国人留学生の友達は簡単に作る事ができるのに、アメリカでアメリカ人の友達が出来ないのだ。クラスには普通アメリカ人が大勢おり、アメリカ人同士の会話の中に入っていけない事が原因だと考えられる。あわよくば金髪碧眼の美人と付き合いたい、などと考える日本男児にも会うが、そういう事をしたいのであれば、日本に来訪する外国人女性をターゲットにした方が簡単だと思う。

達成できるかもしれないが時間を要する事②
英語はそんなに簡単に上達しない。1年くらいではコミュニケーション能力もままならない。2年くらいで漸く授業についていけるようになる。5年くらいたつと、アメリカ人との会話がかなりスムーズになる。意思疎通には全く問題がなくなるという物の、10年たっても綺麗な文章はまだ書けない。何十年いても日本訛りは消える事がない。英語能力のせいで、周期的に自分がとても惨めに思える日がある。これは辛いものだ。

留学して失敗する事①
アメリカでの仕事探しは高い確率で失敗する。米国で修士を取った程度で英語力が無い人は、まず仕事を見つけられない。英語力があったとしても、これは運とコネだけの問題である。簡単に見つかる事も有るが、簡単に見つけられない事の方が多い。ビザの問題がさらに事をややこしくする。インターンなどから地道に就職活動をするしかなく、日本の様に「集団就職」で簡単に仕事が手に入るとは思わない方が良い。特に、経験もなしで大学院を始めたような人は黄信号が灯っている。

留学して失敗する事②
日本で外資系や大会社に簡単に就職できない。留学している人など掃いて捨てるほどいるのだが、企業が留学生に期待する事はネイティブ並みの語学力である。修士課程を終えたくらいの中途半端な英語力の人は、大抵跳ねられる。ボストンのキャリアフォーラムに参加したり、コネを使ったりして就職したとしても、思っていたほどの給料は貰えない。この時になって、初めて留学のコストパフォーマンスが低かったことに気付かされる。

留学して失敗する事③
無駄に高学歴に固執する。ダラダラと学生を続けて、博士号を取ってしまう。博士号を取得すれば、大学教員を目指すべきなのだが、博士号取得者がポストの数に比べて多すぎる。良い椅子を取るには、優秀な中国人やインド人との戦いに勝たねばならない。教員として成功するためには中途半端ではない英語能力も求められる。そんな競争に残ったとして、給料は驚くほど安い。ポスドクになろうものなら、貧乏奴隷生活以下で、最低賃金の貧困生活を強いられる。課目によっては大学教員以外の道もある。工学部などでは大学に残らずインダストリーに行くと良い給料が貰える。文系科目でも、巧く就職活動をすれば楽な仕事なのに高い給料を貰える事もある。ただ就職活動は日本の様に整備されていないうえ「運」と「コネ」が決め手の世界だ。就職活動に力を入れると、間違いなく研究に支障が出る。苦労こそが生きる意味、などと考える人を除き、生命科学や基礎科学などで博士号を取ってはいけない。あなたは不幸になります。

留学して失敗する事④
井の中の蛙になる。アメリカの某都市の大学院で勉強したとしよう。某都市の常識はアメリカの常識でも、世界の常識でもない。某都市の常識だけをして、世界を語るようになったり、日本のシステムのすべてを否定し始めたりする。こういう行動をとる人が多いので、「留学生」というブランドは日本国内で反射的に嫌われる。まあ、それで本などを書いて食っていける人もいるのだが、そういう人達に騙されて留学する人が増える事には疑問を感じる。

留学して失敗する事⑤
スキルや英語力を追求しすぎて時間がかかり過ぎ、コストパフォーマンスに合わなくなる。完全主義を求めたところで、人間が出来る事は限られている。しかも、人間には等しく一日に24時間、一年に365日しか無い訳だ。すべてを成し遂げる事など出来ない。アメリカの大学院は、修士課程は基本的に二年間だが、博士課程などに進むと、下手をすると10年近くかかる事もある。どれだけの知識や能力が身に付こうとも、若い時の10年という時間を取り戻せるほどの逆転ホームランを放てるかどうかには疑問が生じる。博士号取得のみが目的であれば、日本でサクッと取った方が簡単であるし、英語圏で博士号を取りたいのであれば、英国やオーストラリアなら素早く博士号を与えられる。

留学して失敗する事⑥
虎の威を借りる狐。アメリカで受けた教育が「虎」に過ぎない事が多い。あなたの能力やキャパシティーは所詮キツネかもしれない。残念ながら、キツネは虎にはなれない。

留学して失敗する事⑦
ガラパゴス化。あなたの最終的な目標が日本での就職であれば、留学をしたところで日本からの情報に疎い、使いがっての悪い人間になる。留学という箔漬けが目的なのか、留学して自分を磨きたいのか、あなたのゴールをはっきりさせなければならない。

留学して失敗する事⑧
びっくりしなくなる。昔は驚いたような事が、むしろ当たり前になる。逆に言えば、図太くなる。日本に帰った時に、テレビ番組を見たり、古い同級生と会話したりした時に、驚くほど詰まらないと感じる事がある。

留学して失敗する事⑨
痛いアメリカ人と結婚してしまう。これは日本人女性において顕著である。アメリカ人男性の中には積極的な人がいる。そういった人についつい押し切られて、結婚してしまう日本人女性が周りに多くいる。まあ、日本人女性側もアメリカに行ったという事で、無意味に無節操になっているというパターンが多いのだ。こういうパターンでは8割くらいの確率で、女性側が不幸になる。ただ、残りの二割に、とても幸せなカップルが数多くいる事は強調しておきたい。アメリカで金髪の可愛いおねえちゃんが日本男児に言い寄ってくることは余りないので、男性諸君はそんな心配をする必要はない。日本人男子とアメリカ人女性の結婚は、珍しいというものの、かなりの確率で上手くいくようだ。

このように、留学にはプラス要因もマイナス要因もある。いずれにせよ、スキルの向上や能力を磨くことは時間がかかることである。時間に合った効果をどの程度求めるかで、留学に意味が有るか無いかが変わって来る。人生の目標を先に設定した上で、アメリカへ留学するという手段をとればあなたは成功するだろう。だが「とりあえずアメリカへ留学!」というような態度をとると、思わぬ落とし穴にはまる可能性が高いので十分に注意して頂きたい。本屋で売っている留学本や日本教育批判本は、本を売る為に書かれており、実社会では通用しないような類の物が殆どである(だからフィクションとして読めば面白いのだ)。あなたの人生は自分で決めなければならない。きっちりと戦略を立てて良い留学経験を積んでいただきたい。特に、出口戦略か保険戦略を留学する前にきっちりと考えておくべきだ。留学によってしか得られないような貴重な体験が多い事も事実であるが、留学が生涯賃金の向上には全く結びつかない事が多いのもまた事実である。

10/20/2013

レッドソックスが上原で接戦をモノにし続け、タイガースを予想通り4-2で下す。

私はマックス・シャーザーというピッチャーが好きである。猫でもないのに、左右の目の色が違うのは、漫画みたいで格好良い。日本のメディアはダルビッシュだの岩隈だの言っているが、今年のサイヤングは間違いなくシャーザーが獲る。そういう意味で、出来ればアメリカンリーグチャンピオンシップの第六戦はデトロイトに頑張って欲しかった。が、そう簡単にバックホルツを打てるでもなく、試合は2-1で7回に突入した。

まあ、このシリーズが始まる前から予想できていたことだが、どんなに先発の駒が揃っていようとデトロイトは終盤の一点差のリードなど守れるわけがない。一方のボストンは、一点差で7回くらいまで頑張れば、10中8、9逃げ切れるチームである。

で、投球が多くなっていたところを、7回もシャーザーが投げる事になった。前回も投球が多くなっていた上に、オークランドとの試合では無駄な中継ぎもさせられていたのは記憶に新しいと思うが、ちょっと投げさせ過ぎだ。いくら後が無かろうとも、ワールドシリーズの事まで考えれば100球くらいで替えさせるべきだし、スマイリーやアルバカーキ―を巧く使えばボストン打線を黙らせることが出来るかも知れない。ゴームスに巧くグリーンモンスターの上の方まで運ばれた。ホームランにはならなかったのは良かったが、二塁打になった。勿論、次もシャーザーで行くしかない。ドリューには粘られるも、三振。次のボガーツの時だが、球審がアウトローのストライクを取らないのである。バックホルツのアウトローだと、ストライクゾーンの外に逸れていた時もストライクを何度か見たのに、シャーザーのアウトローの球はストライクゾーンに入ってもボールである。特に、最後の四球になったボールは完全なるストライクであった。

で、ピッチャー交代。スマイリーが打ち取ってダブルプレーの筈のボールを、シーズン途中までレッドソックスでプレーしていたキューバ人ショートのイグレシアスがお手玉。で、満塁になった。ここで、スマイリーが懲戒のような形で替えられて、出てきたホセ・ベラスがシェーン・ヴィクトリーにグリーンモンスター越しの満塁ホームランを打たれる。まあ、球審の判定など、言いたいことは色々あるが、予想通りの展開と言えばそれまでだ。先発投手の好投、巧く行かずにリーランド監督が動き、すべてが裏目に出て逆転される。そして、ボストンは勿論予想通りにブルペンが最高の形で試合を閉じる。田澤、ブレスロウ、そして最後は寝屋川出身の上原。あっさりと閉じたようなリレーだが、誰が誰を抑えるか、ボストンベンチは計算しつくしている感があった。

デトロイトには気の毒だが、あれだけの選手を揃えていながら、短期決戦を戦えていない。カブレラの不調など、理由をごちゃごちゃ言っている人がいるが、端的に言って戦略なき野球ではプレイオフは戦えない、という事だろう。

一方のボストンのファレルは、流石である。計算し尽しているし、投手交代のタイミングも適格だ。モラレスがダメだと見ると、すぐにワークマンを投げさせた。リーランドがこういう事をやると裏目に出るが、ファレルがやると上手く行く。非常に面白い物を見せて貰った。

さて、余談だが、ボストンから二人ピックアップしたい選手がいる。一人は人気の選手であるビクトリーノ。フライングハワイアンと呼ばれている。マウイ島出身の同選手は、母方の祖父は日本人であり、ナカハシさんである。ビクトリーノはポストシーズンが始まって以来、既に6個の四球を与えられている。ちょっとバッターボックス寄りに出過ぎでストライク級でデッドボールになっている感もある。元来はスイッチヒッターなのだが、足のふくらはぎの怪我の影響で、最近は右バッターに定着している。ホームランも右打席で右ピッチャーから打っている。もう一人は田澤と上原の間に投げるクレイグ・ブレスロウ。ユダヤ系のブレスロウはイェール大学出身のインテリである。インタビューを聞いていると、他の選手とは全然違う知性を感じさせる喋り方で、非常に面白い。

審判の左投手贔屓(或いはボストン贔屓)が気になった一戦ではあったが、ボストンがワールドシリーズに進出し、地味選手が揃うデータ野球を駆使するセントルイス・カージナルスと、水曜日から対峙する事になる。多分、4-0とかでボストンが圧勝すると思う。ドジャースとレッドソックスなら力と力の試合になっただろうが、力の優る策士と力の劣る策士の試合の結論は火を見るより明らかだ。前半戦で見るのが嫌になるような試合の連続になるだろう。残念ながら、上原が緊張した場面で登板する事もないほどの楽勝と見ている。三試合くらいの肩慣らし当番で、最後はウィニングピッチャーになるだろう。

10/14/2013

大学入試を面接に。何のための改革なのか?

政府の教育再生実行会議が国公立大入試の二次試験からペーパー試験を廃止して、面接などに移行することを検討しているという。下村文科大臣は「学力一辺倒の一発勝負、1点差勝負の試験を変える時だ」とし、新テスト創設の必要性を強調したという。

個人的に色々なトラウマがあり、大学の入学試験の事など思い出したくもなく、このような問題は見て見ぬふりをしたいところだ。だが、どうしても思う所があるので、意見する。

日本社会では、制度の疲弊があれば、何でも改革しようとする。改革といっても、欧米のやり方を取り入れるだけであり、模倣を改革だと勘違いしている節がある。日本には日本の土壌で育った日本的な良さがある。一方で、欧米のそれぞれの国では、その文化的な背景や社会の発展を元に、それぞれが培ってきた良いシステムがある。こういう事を無視して欧米システムの輸入をする事はあってはならない。そもそも、ミッションなき改革など、絶対にあってはならない。

まず私が受験したころの入試制度に問題がなかったどうかを検討する。結論から言うと、塾や予備校や一部の私立高校が利するだけで、私は青春の貴重な時間を奪われた。私は本命の大学の前期試験には失敗したものの、後期試験で滑り止めの大学に拾ってもらった為に「浪人」と呼ばれる時間の浪費を避ける事ができた。しかし多くの友人達は、浪人生として無駄な一年、あるいはそれ以上の期間を過ごす羽目になった。浪人期間中は、受験でどうすれば点数を稼げるかというテクニックを必死に磨く。実質的な知識や考える力が修練されているとは考えられないのだ。浪人という糞の役にも立たない時間を許容するシステムは非生産的である。

アメリカでは入学試験は原則的に無い。何度でも受験可能なSATと呼ばれる全国統一試験の点数が足キリとして使われ、後はエッセイ(小論文)、内申書、経験、面接などが総合的に判断されるのだ。

エリート校では特に面接が重要視される。本人だけでなく、親の面接もある。西洋的な階級社会が色濃く残っていた影響であり、家系で大学への適性を判断するのである。日本でも小学校や中学受験くらいまでは、親の面接をする学校が一杯あるのだから、取り立てて異色がる必要はないだろう。

アメリカの大学で話を聞いていると、やたらと「多様性」という言葉が繰り返される。これがアメリカの大学のあり方のキーポイントだと思う。社会的な役割として、エリート大学には創造性や革新性などが求められる。イノベーションは日本でも流行りの言葉だが、イノベーションにより社会に風穴を開けてくれるような人材を育てたい、という社会的な要望に大学は応えようとしているのだ。イノベーションを持った人材を育てる事は難しい。一般的に言って、イノベーションは、人材の優秀さに加え「コロンブスの卵」的な考え方を生徒に強いなければならない。大学側が出来る事といえば、生徒に「異文化」を味あわせる事が手っ取り早い。寮などにバックグラウンドが異なる生徒を大量に押し込み、色々な交流を経験させるわけだ。人種、性別、親の職業、生まれた地域。それらが異なる人間が混じる事で、常識破りの発想が出来るようになるという訳だ。そういう発想の元、多様性を高めるために面接が行われている。そして、教員や生徒も、そういった大学の使命や文化を皆が共有し、尊重している。

一方で日本の大学の使命は何か?大学がホームページに書いている外向けの標語の事を言っているのではない。生徒や教員、或いは社会が特定の大学に対してどのような使命や価値観を共有しているのか、と問うているのだ。結論から言うと、就職するための若者の「篩(フィルター)」としてしか見ていないと思うのだ。企業の人事部を含む、ほぼすべての人が、積極的にも消極的にも大学受験以外に大学の価値を見出していないと思う。勿論、多くの人がそうあって欲しくない、と考えている。だが、現実はそうである。

もし改革をするのであれば、この点を改革できる案件を出す必要がある。小手先だけで何かを変えると、最も大切な物を傷つける事になる。改革すべき問題点は、大学の存在意義そのものである。受験技術を身に付けさせる為に若者の時間を奪う事が問題である。変革しゆく社会が理想とするものと、大学教育の間の乖離が問題である。しかし、問題が多い大学受験はフィルターとして一応の社会的意義を果たしている。この辺りを総合的に考え、日本人の高等教育に対する認識を根本的に変えられるような改革を望みたい。

大学への編入をしやすくして人材の流動性を保つ事から始めるべきだ、と私は思うのだ。何故なら、高校生にとって、本当に行きたい大学など「ない」と考えているからである。98%の高校生は、通える範囲でランクが上であれば上である方が良い大学である、として学校を選んでいるに過ぎない。そうすれば二次試験を大学別で行う必要性は全くない。全国共通の二次試験を実施すれば良いだけの話だし、成績の良いものから順に、東大、京大、阪大、名大などと、受験生が選べる大学の範囲を拡大していけば無駄な後期試験や浪人期間という社会的なロスを防ぐことが出来ると思う。

無理矢理面接をさせたいらしいが、面接を行ったところで、日本の国公立大学に多様性を導入することなど出来ない。コミュニケーション能力云々を測りたい、などと言っているが、それを教育することが本来の高等教育の目的ではないか?それよりは、大学の縦割りをなくして、文系や理系が同じクラスで交われるようにしたり、(東京大学の様に)学部間の移動をしやすくしたり、留学や他大学での単位取得を許可すれば良いだけの話しである。転校をしやすくする制度も整えるべきだ。

私自身は先ほども述べたように、後期試験で大学に入った。その後期試験では小論文や面接が行われたのだが、集団面接で周りにいた殆どの受験生にはコミュニケーション能力が欠落しており、受けた瞬間に自分が合格したと確信した。だが、高校時代の貴重な時間を割いて必死に練習した受験技術は結局無駄であったという焦燥感に苛まれもした。もし面接だけで事が足りたのであれば、私は多感な高校二年生から三年生にかけての時期に、受験問題の反復練習などという「苦行」はしていなかったと思うし、勉強の仕方も抜本的に変えていたと思う。つまらない参考書にお金を使う事もなかっただろうし、読書や英語の練習といった有意義な事に時間を割ける事ができたのではないかと思っている。数学などにしても、受験勉強に特化した、ミスを減らす目的の反復練習ではなく「頭を使って考える楽しみ」を実感できる勉強が出来たと思うのだ。まあ、過ぎてしまった事をとやかく言っても後の祭りだし、受験勉強をしなければファミコンで遊んでいただけかも知れない。面接を後期試験に取り入れているからと言って、その大学がどのような人材を求めていたのかは不明である。そういった理想の生徒像を共有できないまま、面接を行ったというのは異常である。理想の生徒像がないまま行う面接では、個人的な好き嫌いを元に人を採用する事になる。

私はアメリカの大学院で長い時間を過ごして、教育という物は如何なる物かという事をずっと考えてきた。振り返って考えれば、受験がどれほど馬鹿馬鹿しいラットレースであったかがよく解る。「人生は馬鹿馬鹿しいものである」と言い諭されると、それはそれで反論の余地はないのだが。

10/13/2013

オルティスの満塁弾。レッドソックスがサヨナラ勝ち。

数日前に、リーランド監督の温情采配を貶して、選手が揃っていてもタイガースは勝てない、などと偉そうなことを書いた。

で、サンチェスが大好投。ノーヒットのままマウンドを降り、アルバカーキ―などが繋いだ。しかし、9回ワンアウトから、タイガースの抑えのベンワーがナーバにヒットを打たれてノーヒッターをおじゃんにした。タイガースは1-0で勝った癖に、まるで葬式の様な雰囲気だった。

続いて、第二戦。シャーザーが鋭い。2日連続でノーヒットノーランペースで投げ続けた。しかし、6回に一点を取られたのだが、タイガースが完全にコントロールしていた。ブログに偉そうな事を書いたのに、タイガースが二連勝かよ、と思っていると、やはりリーランドはやらかしてくれた。

8回にレッドソックスを満塁にして、左のオルティスに、右の危ういクローサーであるベンワーをぶつけた。結果は初球を満塁ホームラン。タイガースの楽勝から、5-5の同点にされたのだ。オルティスを褒めるべきだが、リーランドの完全な失敗だと思う。

ブルペンには左のフィル・コークがいた。コークを使わなかった理由は、間隔が空いていたからというもの。なら、何故オークランドとの一戦でコークに投げさせていないのかを問いたい。9月18日以降投げさせていない理由は何なのか?

上原が危なげもなく9回表を抑えると、裏に出てきたポーチェッロは緊張の為か暴投を数球投げた。これもポーチェッロを使っていないのが原因である。いきなり勝負所で投げろと言う方がおかしいのだ。普段は先発なので、抑えで出てくれば緊張するのは当たり前。しかも、10月5日から、1週間以上も開けられたんじゃ、たまらない。先発投手4人の質が良いのは知っているが、それでも巧くブルペンを使わなくてはいけない。

選手が揃っていようと、野球はチームでするものであり、プレイオフは特に適材適所の起用が求められる。リーランドでプレイオフは勝てない。

白人の負け組がアメリカデフォルトを画策する

アメリカの議会が捻じれており、政府の一部がシャットダウンしている事はご存知の事と思う。私の周りにも色々な影響が出ている。研究を続けている政府系研究機関の職員とはメールでのやり取りが出来なくなっている。在東京のアメリカ出先機関に所用で連絡したところ、日本の現地スタッフしかおらず、アメリカ人職員は働いていないと言われた。さらに、政府系のホームページに載っているセンサスや貿易などのデータ、他の文献などにもアクセスできなくなっている。と言っても、個人的な影響は限定的であるので、私としては知ったこっちゃあ無い。しかし、例えば友人の奥さんはDCで某省庁に勤めているのだが、二週間仕事に行かなくて給料が出ないのは我慢できるが、その間の保険代などを自己負担する必要があり、恐らく50万円くらいの出費になるだろう、と嘆いていた。そういうのを聞くと気の毒に思うが、私からは遠い場所での話しである。

しかし、アメリカ国債が仮にデフォルトすると、話が違ってくる。デフォルトの定義は色々あるという事は昔に述べたが、デフォルトは「支払いの不履行」とも訳されており、一度でも支払いを怠れば債権はデフォルトした事になる。債権の格付けは、支払いの履行可能度で決められる為、一度でも不払いが起これば、格付けが下げられる。今回の問題は、内政的な理由があるにせよ、支払い能力が十分にあるにも関わらず、議会が踏み倒すかも知れないという悪質な物であり、決して看過される問題ではない。米国債の「信用」はガタ落ちする。

資産の現在価値を計算するためには、「割引率」を用いて未来の価格を現在価格に換算するのだが、リスクフリー資産とされている米国債を割引率の基準とする。つまり、米国債の価格が下がれば、他の資産価格を暴落させてしまうのだ。それも世界規模で。そういう意味で、アメリカのデフォルトは決してあってはならない。議会もその辺りは理解しているものと信じている。

ティーパーティーに支持された一部の共和党下院議員が、世界の資産価格を人質として、オバマケアを阻止しようとしたり、自分たちの支援者に媚を売ろうとしたりしている行動は、モラル的に最低である。オバマケアは既に議会を通過した法案である。「人質」を使い、既に通過した法案を捻り潰そうとする行為は、民主主義の根本にもとる行為である。

ティーパーティーとは一体何者なのか?結局は、白人負け組連中であり、政府が自分たちの生活を脅かしていると考えている。連邦政府こそが自分たちの敵だと考えているのである。アメリカは広い。金持ちの街もあれば、負け組の白人だけが住む街や、貧乏な黒人のみが住む街もある。南部や中西部の田舎町を中心に、グローバリゼーションの波からとり残されているような地域では、白人の下層の人達の恨みの捌け口として、草の根レベルのティーパーティー運動が起こっているのである。

企業を優遇する共和党は、金持ち層からだけの支持では過半数を取れない事が解っているため、宗教の力や貧困層を取り込むことで、選挙を優位に戦っていた。つまり党内に、「金持ちの為の共和党」と「貧乏白人の為の共和党」という二つの異なるイデオロギーを抱えてきたのだ。その矛盾が現在爆発している。共和党の貧乏白人に支持されて当選した議員たちが、古き良き共和党員に白色テロを実行し、党を、そして議会を、そしてアメリカを、さらには世界経済まで乗っ取ったのである。

グローバリゼーションの波に飲まれ、冷や水を飲まされ続けていた貧乏な白人の草の根運動が功を制したのだ。憎いのは社会主義社で黒人大統領であるオバマ。憎いのは外国人や非白人。憎いのは連邦政府。憎いのは売国政治家である民主党議員、そして共和党の売国議員。家族を守り、朴訥にキリスト教を信じる、心優しい自分たちの時代がついに来た、というわけだ。

このような政治テロに世界は揺り動かされている。このような愚かな「色物」たちに「アメリカ国債の支払い履行」という人質を取られた。アメリカの色々な矛盾が世界の不安定さを助長している。オバマは内政の拗れで、自身が重要であると説くアジアのアセアン会議にすら参加できなかった。一方、アセアンでは習近平が着実に力を誇示している。周辺国は、その出方や厚かましさを恐れつつも、経済的な協力を請い願うという、皮肉な外交が展開されている。

癌の治療に四苦八苦する病床にうつ伏すアメリカという「駁」。「駁」がいない事を良い事に、張り子の虎で調子に乗る中国共産党。世界はかくも面白い。

いくらティーパーティー議員が調子に乗ったところで、デフォルトにはならないだろう。ただし、前述の野球プレイオフの予想くらい外れる事があるので、楽観的に気を付けてほしい。まあ、気を付けたところで、米国国債のデフォルトというイベントに対して打つ手はなさそうだが。

10/12/2013

投手コーチ上がりのファレル対穏健リーランド。定石ならレッドソックス。

最高年棒のサイヤング&MVP同時受賞者であるヴァーランダーがオークランドとのワイルドカード最終戦で先発した。今季は急速が落ちており、打たれまくっていた。同僚のマックス・シャーザーやサンチェスが化け物の様な内容だったので、かなり見劣りする内容であった。シーズン中は、お世辞にもタイガースのエースとは言い難い内容であり、私の中では先発3番手か4番手(怪我のダグ・フィスターの次)くらいのピッチャーであった。

しかし、崖っぷちの一戦で、オークランド相手に7回途中までをノーヒットに抑えるという、快投を魅せたのだ。内容が素晴らしかったというよりも、夏ごろにダルビッシュが準パーフェクトをした時のように、球を散らして追い込んでいくと最後に振ってもらえるというような投球であった。ミスターオクトーバーとして君臨してくれるかどうかが見物である。

しかし、タイガース対レッドソックスは、ある意味で詰まらない試合になると思う。私の予想では4-2でボストンが勝つと見ている。タイガースが勝つ二試合は5回くらいで見るのを辞めるような圧勝。それ以外の試合は僅差をすべてタイガースが落とすと見ている。エース級同士の投げ合いで、1-2とかでタイガースが負ける試合を見るのではないだろうか?

デトロイト・タイガースは、見て貰えば解るが、選手が揃っている。先発陣は完璧な3人+フィスターが君臨している。打者陣は恐らくリーグナンバーワン。しかし、抑えはスマイリーはいいが、ちょっとベンワーは不安だ。しかし、何よりの不安要因は監督のジム・リーランドである。ジム・リーランドは、レンジャースのロン・ワシントンと良く似ており、とても良いおっちゃん(爺ちゃん)である。しかし、データやスコアラーを駆使して動く策士ではない。ひたすら選手を信用して、無駄な動きを避けたがるし、無理に動けば選手が動揺して動きが裏目に出てしまうのだ。

本日のオークランド戦でも、ヴァーランダーがヒットを打たれた時点で8回は替えるべきだったと思う。私なら、8回にはスマイリー、ポラチェッロとフィルコークの三人を投入し、9回はベンワーに締めさせる。野球は一人でやっているものではないし、本当の敵は次のボストンであるからだ。プレイオフの緒戦でヴァーランダーに111球を投げさせた采配に疑問を感じる。

一方でレッドソックスのファレルは策士である。フランコナの下で投手コーチをして世界一になった事は記憶に新しい。投手の交代には定評がある。しかも、打者からも信頼を寄せられている。相手投手に合わせて、巧く打順も組み替えられる。

さて、確実に勝たなければいけないようなプレイオフで、どういう采配が功を奏するだろうか?勿論、野球など水物なので、何が起こるかわからない。しかし、今年のアメリカンリーグの覇者はレッドソックスになると見ている。

狭くグリーンモンスターを擁するフェンウェイパーク。一方で広いがホームラン以外の長打が出やすく打者有利なコメリコパーク。この二チームの戦いであれば、今年のプレイオフも捨てたもんじゃない(今年のプレイオフは詰まらないと言った、ちょっと前の記事を早速否定しています)。

10/05/2013

淀川区は同性愛者を支援するべきであるが、バイセクシャルを公的機関が支援するのか?

大阪市淀川区が「LGBT(性的少数者)支援宣言」をしたそうだ。レズビアン「L」やゲイ「G」という産まれながらの同性愛者を社会的に差別を受けない様に支援するのは当然である。しかし、何故「B」が入っているのかが不明である。前にも述べたが、バイセクシャル「B」はただの性的「嗜好」であり、悩んでいようとどちらか一つを選択するべきであり、公的機関が支援するような問題ではない。生まれながらの同性愛者と一列に並べるのは、本当に支援が必要な同性愛者を蔑ろにする行為であり、どうかと思う。バイセクシャルを支援することは、不倫や二股三股を支援するのと変わりない。トランスセクシャル「T」というカテゴリーも定義が不明であり、Gと重複していると思われる。ヒッピーなゲイコミュニティーの可笑しな専門用語を使わないで、普通に「性的少数者支援宣言」と言えば良い。産まれながらの性に悩む人たちが住みやすいコミュニティーにするという主旨に対して、誰も文句はないと思う。が、個人の性嗜好(バイセクシャルやトランスセクシャル)については、個人の勝手であり、公的機関が支援したり妨害したりする問題ではない。

淀川区は、性的少数者以前の問題として、もう少し人権などの解決できていない問題に真摯に取り組むことから始めた方がいいのではないか?まあ、こういった地方自治体の何とか宣言など、ただの阿呆な標語に過ぎないのだが。

10/04/2013

ZakZak(夕刊フジ)の記事が便所の落書き以下に没落した件

私自身、小学校の高学年から親父が買っていた夕刊フジを読んでおり、夕刊フジのファンである。冬の寒い日、湾岸戦争開戦の日の夕刊記事の一面は未だにはっきりと脳裏に焼き付いている。

サラリーマンの新聞である夕刊フジには、サラリーマンが好みそうなセンセーショナルな記事が多く載っている。そのように割り引いて記事を読むと、多少の判官贔屓のバイアスも目をつむって読み流せたし、そういったバイアスを差し引きさえすれば記事から事実が透けて見えた。卓越した言葉遊びで、「お見事!」と叫びたくなるような馬鹿記事すらあったものだ。政局などの煽り記事も、その裏には事実の描写や本当の噂もあった。テポドン発射の時など、夕刊フジに書かれていた北朝鮮の状況分析記事はとても正確であったし、オウム事件では色々なスクープをどこよりも早く流していた。

私は10年以上も前にアメリカにやって来たのだが、夕刊フジの記事を掲載しているZakZakというウェブサイトを情報源としている。異国の地から手っ取り早く「日本のお父さん方」の思いを知る事が出来る良い情報源で「あった(過去形)」のだ。

しかし、ZakZakがおかしくなった。記事が極端に詰まらなくなってきた。というよりも、読む気すら起きない低レベルな記事が増えている。情報価値もない癖に、ウィットにすら富んでいないような便所の落書きにも劣る記事が増えているのだ。

第一に、SPAのレベルの低い記事に誘導するのは勘弁して欲しい。ああいうどうでも良いコラムに時間は割きたくない。

第二に、最近の傾向であるが、韓国や中国の悪口が所狭しと並んでいる。日本の政局ニュースと比べて、これらは取材内容が甘い。韓国や中国の悪口を書き続けている他のコアな雑誌の情報取材力と比べれば解ると思うが、はっきり言ってネット右翼の罵詈雑言のレベルである。

第三に、首都圏などで地震や災害を煽る記事も酷い。解らない癖に、やたらと危機感だけを煽っている。さらに政治面では、広告なのか、記事なのか解らない可笑しな物も増えている。この前は大川隆法の本の宣伝を政治記事として掲載していた。

最後に、経済ニュースは無茶苦茶だ。高橋洋一氏の政治信条を前面に出した記事くらいならば可愛いものだ。しかし、田村秀男氏の「お金は知っている」というコラムなど、2CHの思い込みが激しい人の投稿と、何ら変わらない無茶苦茶なレベルである。

私は、ZakZakの記事を読む量が極端に落ちた。2年ほど前までは、ほぼ全部の記事に目を通していたが、現在では題名を一瞥して、二、三の記事を読めば良い方である。それくらいレベルが落ちている。

私が不思議でならないのは、意味もない中韓政府への罵詈雑言を並べたようなレベルの記事を前面に押し出して、果たして売り上げが増えるのだろうか?という事である。ああいう方向を良しとする人もいるかも知れないが、ああいう記事に反発する人も大勢いると思う。私なら夕刊フジは選ばず、東京スポーツにする。東京スポーツには少なくとも娯楽があるからだ。

ZakZakの記事を読んでか読んでないからか、最近、韓国経済が崩壊していると信じている日本人が周りに増えいている。韓国経済が一時期に比べて失速しているのは間違いないが、数字を見て貰えば解るが「崩壊」からは程遠い。韓国憎しだけで、間違った情報を鵜呑みにするのは、百害あって一利なしである。

インターネットに押され、新聞や雑誌が売れなくなり、センセーショナルな事を書くだけでは飽き足らず、おかしな題名で読者を釣ろうとしたりする気風が高まっているように感じる。逆に、コストカットで取材能力は落ちている。中身の味が落ちたので、包装を良くしてみよう、という「さもしい戦略」が透けて見える。今後は情報源には十分注意を払う必要があるだろう。

昔の夕刊フジには骨があった。それが段々と軟らかくなり、二年ほど前からは違う魂が夕刊フジという入れ物の中に入ってしまった感がある。夕刊フジが、昔の様なサンケイ系から一線を画するような骨があり楽しい夕刊紙に戻って欲しいと切に願う。

10/01/2013

2013年、微妙なプレイオフ

知らず知らず、盛り上がりにも欠けるまま、北米のMLBのシーズンが終了してしまった。今季はジュース(ステロイド)騒動で盛り上がったくらいだろうか?

海を越えて日本では、やれマー君だの、やれ外国人本塁打記録だの、やれ外務省上がりの操り人形コミッショナーだの、色々盛り上がっていて羨ましい限りだ。

さて、プレイオフが今日から始まるのだが、ワイルドカードが二枚になって、本来ならもっと盛り上がる筈なのに、昨日のタンパベイとテキサスの試合など、空席も目立っていた。

アメリカンリーグだが、レッドソックスとタイガースに頑張ってもらわなければ、視聴率が取れない。スターが揃っている両チームには是非とも頑張って欲しいと思っている。

タンパベイ、クリーブランド、それにオークランド。これら若くて実力もあるチームではあるが、快進撃を続けても球場にお客さんすら呼べない。それがプレイオフで全国放送されたとしても、正直食指が動かないのだ。

ナショナルリーグはもっと酷い。セントルイスとアトランタとシンシナティは地味である。私はアトランタ近郊に住んでいるのでブレーブスを応援したいところなのだが、如何せん誰一人知っている選手がいないのだ(ちょっと大袈裟に言っています)。若いピッツバーグには、売り出し中でMVP候補のマカチャンがいるが、視聴率的にはドジャースに頑張ってもらうしかない。シーズン初めの唖然とする酷い状態から、スーパールーキーのプイグの加入によって強いチームとなり快進撃を続けた。

ワールドシリーズがレッドソックス対ドジャースになれば、めでたしめでたしと2013年シーズンは終了する。ただ、そうは簡単に問屋は下ろさないとみる。ブレーブス対アスレチックスとかになれば、今年の野球はステロイド問題で無かったことにでもして欲しいくらいだ。

結論:NBAの新シーズンとフットボールに期待。MLBのプレイオフはどうでもいいです。

9/30/2013

レンジャーズ、勝負の一戦を捨てに行く采配

いつも通りと言えばそれまでだが、テキサス・レンジャーズのロン・ワシントンは狂っているとしか思えないのだ。

ルーキーピッチャーを一戦でも負ければ終わりの場面で先発に起用した。ペレスは一回からアタフタとしたピッチング。明らかに球が浮ついていた。運良く一点のみで切り上げたが、勝負あったという感じだ。相手は不動のサイヤング・エース、デイビッド・プライス。あんなに積極的なピッチングを見せられたら、まあ、しゃあないわ。

さらに、ジュース(ステロイドの隠語)問題が発覚して、出場禁止処分が解かれたところのネルソン・クルーズを先発で使った。その時点でやる気が足りないと考えられても仕方なかった。

勿論、先発の順番からして、今日はロペスでしかりであった。シーズンを通してルーキーながら二ケタ勝利の大活躍をした。デイビッド・マーフィーを使うくらいなら、出場停止明けのネルソン・クルーズの方がマシである、という意見も、その通りだと思う。しかし、これらはシーズンを通してのロン・ワシントンの采配の結果であり、長期的な視点に立たずに戦略を欠いて戦った愚かな将と映ってしまうのだ。タンパベイのマドンと比べると、何をかいわんやである。

ロン・ワシントンの采配の悪さについては毎年書いているので、もういいだろう。ライアンも、真剣に監督の交代を模索するべきである。諸悪の根源はこの人なのだから。


9/28/2013

半沢直樹に関する一考察

遅ればせながら、半沢直樹を見た。ストーリー展開が簡単に読めるので、安心して視聴できる良娯楽ドラマだった。言い尽くされている感はあるが、「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」などとも通じる勧善懲悪であり、視聴者が嫌がるような悪いサプライズは全くない。「倍返しだ」という決め台詞など「待ってました!」とばかりに使われている。まるで葵の御紋である。悪い奴をキッチリと懲らしめ、めでたし、めでたし、となる訳だ。

その癖、実際の社会と変に近い距離がある。大阪編では、ヒルトンのカフェ、空中庭園、六甲の展望台と、見るだけでわかる場所が映されていて非常に懐かしかった。特に阪急百貨店の佇まいは、改装されたとはいえ個人的に「実家」の様なものなので、遠いアメリカ南部でその姿を画面に拝むと、妙にしんみりとしてしまう。東京編でも三井本館など、馴染みのある場所が色々写っており興味深い。配役も中々でみんなの演技に違和感がない。北大路欣也が頭取であるとか、ちょっと視聴率狙い感が透けて見えすぎる気もするにはするが。

私の周りには「経済通」の人が沢山いるのだが、その人たちの強がりが面白い。結構毎週喜んで視ている癖に、半沢直樹のストーリーは現実的にはあり得ない、と来るのだ。「はあ?」お兄さん、これは漫画ですよ。

現実の銀行業務で半沢の物語などあり得ない事など、多分誰でも解ると思う。不良債権処理が推し進められて以降、大銀行が必死に間接金融にかかわって稼ぐ姿など、考えにくい。損失が個人の責任として露呈する事も、日本ではあり得ない。有耶無耶で損失が出ていました、というのがパターンである。悪い事をする奴らの裏にヤクザが絡んでいない事も有り得ない。西大阪スチールの様な場合は、必ずヤクザが銀行関係者や役人と絡む。西大阪スチールを見ているとイトマンを思い出したが、宇梶剛士のやり方で個人資産を作れるほど現実は甘くない。そういった事を指摘したくなる気持ちも解らないではないが、現実と違うからドラマがつまらないとはならない。

経済通で半沢直樹を批判する側の人達はまるで、水戸黄門や暴れん坊将軍を視て、元副将軍や将軍が市井の人と関わるなど、現実離れしているから面白くない!アイアンマンやスパイダーマンは物理法則に反しているから見る気も起きない!などと言っている幼稚なレベルと変わらないではないか?まあ、一過言したい気持ちも解らないでもない。

ただ、ドラマを視ていて違和感を覚えた事は沢山あった。(これは漫画です!)

ドラマ全般に言えるのだが、実際の社会で声を荒げて人と人が知的に対立する事など、まずあり得ない。半沢の様な態度を取れば、普通は手が先に出る。敵同士で、コミュニケーションがああも上手く行き、勝ち負けが明白になる事などあり得ない。今までの人生の中で、ドラマのようなコミュニケーションが取れる日本人を数えてみると、5人くらいしか思いつかないのだ。それらの人達ですら、楽しい雰囲気の場でのみしかそのようなコミュニケーション能力は発揮できない。日経ビジネスなどの記事で、半沢みたいなサラリーマンを目指す若い人がいるというような話も出ていたが、喧嘩に巻き込まれたくなければ、半沢のようなコミュニケーションを実社会でとってはいけない。あれはドラマである。

一番気になった点は、半沢が悪い奴らを懲らしめるのだが、法律を犯した悪い奴らを刑事告発していない点である。銀行はそれらの違法行為を内部隠蔽し、人事のみで懲罰している。これはコンプライアンス違反である。銀行内部の悪い奴が3000万円を横領紛いで紛失し、その金を銀行が補填する。しかも、悪い奴は「島流し」や「降格」されただけだ。この補填した3000万円は誰の金か?という問題が残る。金は金だ。損失を補填するには、誰かの金を使わなければならない。組織自体は金など持っていない。すべては何らかの個人に寄与するのだ。

さらに西大阪スチールの件に関しても、12億円を差し押さえたとして(何故その個人名義の口座が国側にばれなかったのか不思議で仕方ない)、国税と銀行が折半したとして、他の不渡りを喰らった中小の債権者はどうなるのか?その人たちは家族が無いとでも言うのだろうか?(勿論、これは漫画です。)

まあ、こういう事だが、久しぶりに気持ちの良いドラマを視た。続編を期待する。

9/19/2013

蛯名建一、アメリカガットタレントで優勝。一億円を入手。

で結局、蛯名建一さんが、日本人ながらアメリカガットタレントを優勝し、一億円を手に入れ、さらにはラスベガスでの単独ショーを開催する事となった。おめでとうと言いたい。

個人的には、漫才師やポップ歌手のおねえちゃんも好きだったのだが、まあ妥当な判断だと思う。テレビを見ていない人もいるだろうから、ユーチューブの画像を貼っておく。予選の二つのダンスである。

マトリックスダンス

ゲームのキャラクターに

9/17/2013

ケンイチ・エビナのダンスパフォーマンス

私はアメリカ・ガット・タレントという番組をずっと見ているのだが、ケンイチ・エビナという日本人パフォーマーが破竹の勢いでこの番組を勝とうとするかのようだ。

ロボット・パントマイムやゲームを模したダンスなど、見ていて面白いダンスパフォーマンスを次々に繰り広げる。特に、一番初めにシカゴのオーディションで見せた、顔が落ちたり、マトリックスを模したようなダンスは、かなり衝撃的だった。辛口だが常識人のハワード・スタンも、ディール・オア・ノーディールのハウイー・マンデルもベタ褒めだ。

蛯名さんはアメリカの大学を出ているというが、ジャパン・ガット・タレントではなく、アメリカ・ガット・タレントに日本人が出て来て勝ってもいいのかな、と思うのだが、それは問題ないだろう。

日本野球でも、オランダ領キュラサオ人が中華民国人のホームラン記録を抜いただの、抜いてはいけないだので盛り上がっている。年間55本は中華民国籍の日本国民栄誉賞を受賞されたスーパースターだけの単独記録ではなく、名球会資格を有するアメリカ人も、ベネズエラ人も追いついているのだ。つまり、実力主義のエンターテイメントに国籍も糞もない。実力に物を言わせて、蛯名健一さんには快進撃を続けて欲しい。

ただ、このアメリカ・ガット・タレント、ディレクターは英国人のサイモン・コーウェルだし、審査員はジューイッシュ系アメリカ人のハワード・スタンを除けばジューイッシュ系カナダ人のハウイ、元スパイスガールズの英国人メルB、ドイツ人モデルのハイディ・クルムと、なんとも羊頭狗肉な面々である。これで、日本人の蛯名さんが勝てばお笑いである。因みに前回のシーズンもペルー人かチリ人だかの英語が拙いワンちゃん使いが優勝している。

しかしこの番組、視聴者に投票させているのだが、演出が入りまくっている。ベスト6に、カントリーミュージック、ポップミュージック、オペラシンガーグループ、手品師、漫才師、ダンサーと6種類の異なるパフォーマーが揃ったのも胡散臭い。9月18日の夜に結果が発表されるので注目である。

9/15/2013

シリア内戦問題:瓢箪から駒で米ロ合作

シリア問題が非常に面白い展開を見せている。このまま上手く行くとは到底思えないのだが、ロシアが自分の裏庭であるシリアの問題でアメリカと国際公約的に妥協するなど、信じられないような成果が挙がっている。最悪の政治判断で始まったオバマのシリア戦略だが、「怪我の功名」なのか「瓢箪から駒が出た」のかは知らないが、終わり良ければ総べて良し、である。

シリアの内戦を停める事が世界の利益につながる事は論を待たない。ただ、1)どちら側を支援して内戦を停めるのか?2)内戦後のシリアをどのように統治させる(する)のか?3)誰がどのような資源を使って内戦に介入するのか?といった質問に対して誰もが納得できる回答を用意することは不可能である。シリアは歴史的にはソ連寄りの国であったという事実。シーア派の総本山であるイランと国境を接しているという事実。そして、ユダヤ国家であるイスラエルとも国境を接しており、6日戦争(第三次中東戦争)やヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)に従軍した人達が米国やイスラエルに多数いるという事実も、政治戦略を練る上での「棘」になっている。

昨年の9月11日にベンガジの在リビア・アメリカ領事館が襲われ、スティーブンス大使を含む4人の米国人が殺害されるという事件が起きたのだが、スーザン・ライス国連大使が情報解析過程に落ち度があった事実を隠蔽しようとした事実が政治問題化した。結果、スーザン・ライスは次期国務長官に内定していたにもかかわらず、その席には着けず、民主党のジョン・ケリー元大統領候補が国務長官を務める事になった。余談だが、12年ぶりの白人男性の国務大臣就任である。私はこの人事を非常に評価している。

さて、スーザン・ライスに代わる国連大使にはサマンサ・パワーが就任した訳であるが、この人を国連大使に選んだ時点で、アメリカがシリア問題に介入するであろうという事は読めていた。パワーは「集団人間破壊の時代」という本を著しており、虐殺問題が専門である。ルワンダの内戦による虐殺などを徹底的に批判している。シリアの内戦で虐殺が行われている以上、パワー女史が黙っている訳がないのである。

サマンサ・パワー女史に対する評価は色々あるのだが、シリア問題を解決する必要について、反対する人はいないと思う。ただ、アメリカが「世界の警察」として立ち回るべきかどうかは、議論の余地を残す。そして、バラク・オバマ大統領がシアリア攻撃に言及すると、共和党は「モンロー主義」的な主張をして反対の立場を取った。そして、ロシアのプーチンが妙な介入を試みた。ロシアとアメリカは「同性愛者問題」などでも揉めており、冷戦に戻るのか、などと大袈裟な事をいう人までいた。

で、それが回り巡ってロシアとアメリカが急接近し、シリアから化学兵器を無くすという政策に合意したというのだから世界は面白い。勿論、この合意により内戦が停まるかどうかは怪しい。この合意は糞の役にも立たない、などと悲観論を詠う識者も多い。ただ、国際政治の卓上で起きた非常に興味深い出来事に注視する必要があるだろう。

8/22/2013

イチロー、プロとしての4000本安打

イチローが8月21日のブルージェイズ戦でプロとしての4000本安打に到達した。

元チームメイトのRAディッキーから打った強烈な打球は三塁手のグラブを弾いて左翼に転がった。

イチローは飄々と塁に出て、いつもの様に肘当てを外していたが、黒田やヌニエスが画面には映っていたのだが、他の選手も嬉しそうに一塁に集まって来てイチローを祝福した。それにイチローも応える。選手と祝福した後、ジラルディ―にヘルメットを叩かれ、そしてヘルメットを取ってファンに何度もお辞儀をする。

最後は投手であるRAディッキーにお辞儀をし、敬服の意思を示した。まさにプロである。川崎が笑顔満面で喜んでいる様子は面白かった。

私はイチローと同じ年に日本からシアトルに渡り、イチローと同じ時期にシアトルを出た。アメリカで生活する苦しみを、イチロー選手のおかげで何度も癒される事があった。個人的な話を書いて申し訳ないが、イチローの記録に色々な思い出がダブり、脳裏を過ぎる。もし、イチロー選手がシアトルに来ていなかったり、あのような活躍をしていなければ、私はアメリカで今の様な自分の生活を送っていなかったかもしれない。

イチロー選手が打ち立てた4000本安打というマイルストーンに、最大限の絶賛を送りたい。おめでとう。そしてありがとう。

8/21/2013

パナマ、勝ち進む。ノースウェストも敗者復活。

応援していた中華台北はパナマに打ち負けた。パナマは二年連続でラテンアメリカ代表として駒を進めてきた強豪。侮れない。

ノースウェストのサマミッシュはどうにかテネシーを退けた。

しかし、早く負けると日程キツイですね。しかも、6イニングまでしかないので、チャンスも少ないし。リトルリーグで勝ち残るには運もいるようです(当たり前)。

さて、武蔵府中、メキシコとどのような野球をするのか?今晩が楽しみです。

8/19/2013

2013年、リトルリーグの夏

毎年恒例のリトルリーグのチャンピオンシップがペンシルバニアのウィリアムズポートで始まっている。私は甲子園や大学野球には全く興味がないのだが、リトルリーグでプレイする子供たちの真剣さを見ていると、心が洗われる。MLBがAロイドを中心とするゴタゴタ報道に見るに堪えないような状態である事も、もしかすると影響しているのかも知れない。

昨日は、ワシントン(サマミッシュ)対コネチカット(ウェストポート)をまず見たのだが、ワシントンのエース、ダールストローム君が二回に膝に打球が当たってしまい交代。その後の子供たちの動揺は見るのも可哀想で、点数を取られまくる。コールドでもおかしくないと思っていたのだが、最後は9-7まで盛り返した底力には敬服したい。底力のあるサマミッシュは敗者戦に回っても、必ず上までやって来ると思う。

そして、メインは日本対台湾。中華台北は桃園郡中壢市中平国民小学校のチームと東京は武蔵府中リトルリーグ があたったのだが、キッチリと組織された堅守の野球に、見ていて興奮した。中華台北の先発である速球派の周士哲君は良いピッチャーだ。あれは打てない。捕手の李晨薰君が一塁との息が合わずにファウルボールを落球したのを皮切りに、涙を流しながら悔しさを噛みしめ、一時は崩れかけた。監督が「男は泣くな!大丈夫」と鼓舞すると、徐々に調子を取り戻して、仕事をキッチリこなした。球数制限があるので、早めに替えれば良いものの、85球目を五味君に本塁打にされたのは残念だった。いつもの事だが、リトルリーグでは投手が良くても球数制限があるのだから、余裕を持たせて投手交代をしてやらないと、子供が焦り始める。コーチ陣はその事をきちんと勘案しなくてはいけない。ただ、周君は三点を献上したものの、プレゼンスと言う意味では日本のエースの石田君をも凌駕する圧倒的なパフォーマンスを見せてくれた。最後は福島から東京に避難してきた巨漢の小林君が2点を返されたという物の、セーブを記録。武蔵府中がミスの差で3-2で台湾チームを退けた。

ミスが多少目立った中華台北チーム、次はパナマと当たる。台湾はかなり組織力があるので、日本隊とはもう一度対峙することになるだろう。一方の武蔵府中だが、次のメキシコは侮れない。勝って兜の緒を締めなければならない。

二つ気になる事があった。一つ目はMLBの事。ワシントン州のサマミッシュのチームの好きな選手に、マリナーズの選手が全く含まれていなかった事である。マイク・トラウト、ブライス・ハーパー、ヤシエル・ピュイーグなど、若い選手の名前を挙げる子供が目立つ。シアトルマリナーズは地元の子供にすら支持されていないのは気になる。一方、台湾チームはイチロー好きの子が多くて面白い。林威助の名前を口にする子供も二人いたが、王建民は含まれていなかった。日本の子供も、ダルビッシュの名前を挙げ、イチローもちらほらいたものの、松井や松坂は完全に消えてしまった。子供の中のサイクルの速さを痛感するとともに、自分の年齢も気になってしまう。

そして、もう一つ。特に北米であるが、チームによっての人種構成が極端すぎて、気持ち悪い。ラテン系ばかりのチーム(テキサス)、ラテン系と白人の組み合わせのチーム(カリフォルニア)、白人にアジア系が入ったチーム(ワシントン「松岡君と呉君」やオタワ「張君とグウェン兄弟」)など、地域事情が反映されている。コネチカットのナイト君の様なミックスレースも目立つようにはなったというものの、後の殆どのチームは白人ばかり。もう少し混じっても良さそうなものなのだが。アメリカの人種問題については当コラムで何度も指摘しているので、これ以上は言わない。

子供たちのあどけない必死さと、親やコーチのそれをも上回る緊張感を、遠目で楽しめる面白いイベントであり、一週間楽しめそうだ。

8/12/2013

ダルビッシュ、またもやノーヒッターならず

ヒューストンキャッチャー、カルロス・コーポランのホームランでノーヒットノーランを不意にした。「残念!」というよりも、「今日は仕方ないかな?」という感じだった。しかし、今年のアメリカンリーグウェストのチームはヒューストン相手に野球をする機会が多いので、勝ち星に恵まれて得である。ダルビッシュは26人の打者に対して15奪三振。恐ろしい限りである。これで今季は207個目の三振。怪我で何試合かローテーション飛ばしたのに、シーズン300奪三振見えてきたで、これ。

ダルビッシュ、ヒューストン相手に六回裏までノーヒットピッチングの件

18人目の打者を微妙な判定で歩かせたダルビッシュであるが、それにピアジンスキーが過剰反応して退場になってしまいました。9番バッターに再び苦しみました。
しかし、いつもの事とは言え、このキャッチャーはおもろいです。ただ、このタイミングでキャッチャーを換えるのはどうなんでしょうか?ダルビッシュ、三振狙いで球数多すぎます。開幕二戦目の準パーフェクトの雪辱となるのでしょうか?

8/09/2013

シアトルの生活費:全米で本当に高いのか?

シアトルの物価はどんなものか?シアトルは全米の中でどの程度高いのか?生活の仕方は人それぞれであり、この問いに対する明確な答えを用意することは出来ない。ただ一般論として、平均的なアメリカ人がどの程度の生活費をそれぞれの項目に使っているかを都市ごとに見ていただきたい。シアトルで大学か大学院を出て平均的な一般職に就くと、年収は50,000ほどである。色々天引きされるので、一か月の手取りはおよそ2500ドルだ。この人が出来る生活と、月に$2500(25万円)の仕送りを貰える日本人との生活に、そう差はない筈だ。この人がアメリカの違う街に移り住み、同じような生活を期待すれば、一体いくら位くらいかかるのかを纏めたのが次の表になる。年収が解りにくければ、その横に一か月の仕送り換算が載っている。これを生活費と考えて貰えればよい。シアトルを100%として他の街の物価を計算している。まあ、参考程度に使ってほしい。



シアトルは電気水道代が全米でも一番安いが、車・交通関連や保険・医療関連の値段が高い事が解るだろう。食料品については、東部ほど高くないが、南部よりはずっと高い。家賃は、北東部やカリフォルニアよりは安いが、他の多くの街よりは高い、という事になる。(注意:シアトルはソフトウェア産業を中心に景気が良く、家賃相場は年間5%くらい騰がっています。この記事を書いた当時よりも高くなっている可能性が高いです。)

米国南部はかなり物価が安い。私も現在はアトランタ近郊に住んでいるのだが、家賃などは間違いなく安い。ただ、食料・雑貨などについては、金額的には僅かに安くとも、質の悪いものしか買えないような気もする。田舎で生活すると、競争がない為、結構強気な値段設定をするし、ちょっとした用事で近くの大都会まで行く必要があり、コスト的にはバカにならない。後述するが、一回日本に帰ると、航空券が高く、今まで貯めていたお金は全部パーである。

まあ、だらだらと長くなっているが、シアトルでESLに通ったとして月に最低いくらかかるかを下に記述した。学費には教科書代も入れておいた。家賃は、1人で住むか、ルームメイトとシェアするか、下宿するかでかなり変わって来る。1人暮らしならもっと高く、シェアすると若干安いと考えてほしい。

電気水道インターネットなどについても同じである。食料雑貨については、日本人は宇和島屋に行ってしまうので高くつく。交通に関しては、バスパスを買えば月に45ドル、車があればガソリン代や駐車場、そして車の保険代が高くつく。ただし車があれば遠出ができ、賢く買い物が出来たり、家賃の安い場所に住めたりするメリットもある。外食には、昼飯代(7-12ドル)やコーヒー代(3.5ドル)などを定期的に捻出し、安価な夕食(10ドル―15ドル)をたまに食べると仮定した。5ドル以下とか、3ドル以下とか、昼飯代を安く上げるのは、車でもあってマクドナルドのダラーメニューなどを利用しない限り至難の業である。コンビニ弁当程度のものでも、6ドル以上は軽くすると考えてほしい。シアトル近辺の場合、外食税が10%、消費税は9パーセントで、スーパーなどで加工されていない食料品(つまり、サンドイッチヤ弁当など以外の食料品)を買った場合は消費税は加算されない。



上記は最低生活費だけを羅列したものである。往復の日本からの航空運賃を合わせると、一年間で車無しで32,000ドルを仕送ってもらえれば、ESLの学生として、最低限の「文化的な生活」を送ることになる。外食を控えたり、マルチャンのラーメンを夕食にしたりすると、もう少し削れるかもしれない。ただし、こういう「ひもじい生活」を送ると、色々な経験を犠牲にしなければならず、留学する意味が失われる可能性がある。態々アメリカに来て短期間勉強するのであれば、出来るだけ「遊んで」経験を積んだり、人々との友好の輪を広げたりしてしなければ、人生の中での大きな何かを見失う事になる。

というわけで、少しばかり遊んでほしいのだが、遊びには色々な種類がある。毎週末の行事としては、ハッピーアワー、中華料理満喫、カラオケ、野球観戦など、色々なチョイスがある。一回20-30ドルか?シアトル近郊には、国立公園、キャンプ場やスキー場など、日帰りで行ける遊び場が溢れている。一回で100ドルくらい見ておけばよいし、満足度も高い。少し遠出をして、ブリティッシュコロンビア、イエローストーンやバンフにまで足を運んでみるのも良いだろう。一回で300-400ドルかかる。ただし近場の「山」に飽きてきて、違う事をしたくなるとかなりコストがかかる。ビーチで泳ぎたければハワイやロスカボスまで行かなければならない。カリフォルニアや米国東部に行くのもお金がかかる。こういう遊びをすると800-1000ドルくらいは最低みておかなければならない。

シアトルの長所は、日本へ近いという事だ。カリフォルニア程ではないにせよ、日本行きの航空運賃は比較的安い。最近では東京への往復だと、$1000くらいが基本になっているようだが、東海岸や米国南部から日本に行くとなると軽く1.5倍はするだろう。

全てを考慮して、日本人としてアメリカで気持ち良く一、二年程度過ごすのであれば、総合的にシアトルは安い方であると考えて問題ないだろう。一年間ESLに通いながら結構遊んだ場合、車無しで35,000ドルくらい。車有りで40,000くらいかかるというのが私の計算である。この額は年収500万から600万に相当する。基本的にアルバイトは出来ないが、東京で1人暮らしをしながら学校に通いバイトもしないで悠々自適な生活をすればもっとかかるだろう。これを人生の経験として高いと受け止めるか、安いと受け止めるか?その判断は読者に委ねる。

ただし、現在の米国は現在の日本に比べて物の値動きが激しい事に注意が必要だ。まあ、どこに行こうと、安くしようと思えば賢く安くできるし、贅沢しようと思えばいくらでも贅沢できるので、ここに書いてある事を鵜呑みにされる事は望まない。この記事は、あくまでも学生用の物であり、仕事をしながら子育て生活するとなると、シアトルは馬鹿高い。まあ、その辺の話は機会があれば書く。

追記(2015年年末の時点):1ドルは120円くらいになっています。また、学費は10%ほど値上がりしています。家賃は、2割ほど値上がりしています。

7/23/2013

私が民主党の復活を望む理由

私は民主党が嫌いである。だが、民主党が瓦解して自民党の一党体制に戻る事には違和感を覚える。一党体制では権力が集中するし、権力の集中が腐敗を産むことは皆が知るところである。民主党以外の政党に期待すれば良い、という意見もあろうが、私はその意見にはくみ出来ない。何故なら、自民党と民主党以外のまともなinstitutionが存在していないからである。このinstitutionをどのように翻訳するかは難しい。例えば、エジプトではムシル元大統領が追放されるという「クー」紛いの事が起こったが、民主主義になろうともエジプトにはムスリム同胞団以外の政治institutionが存在しない為、民主主義が機能していなかった。まあ、党としての「体制」とでも翻訳しておこう。民主党が「党としての体制」を失ってしまうと、日本の二大政党制は終わりを告げる。それは日本社会に悲劇をもたらす事になるだろう。

対立軸が無くなってしまったため、参議院後の自民党は変化を望む必要が無くなる。無駄な社会的な抑制が日本には存在しているが、自民党が汗をかいてそれらを変えてくれるとは思えない。数年前、民主党はリベラル色を表に出して政権を握った。しかし、民主党は「夫婦の苗字決定を自由にする(いわゆる夫婦別姓)」などと言った誰にも問題が生じない簡単なリベラル政策にすら取り組まないまま、下野してしまった。今となっては民主党が何をやりたかったのかは解らない。というよりも、やりたい事があったのかすら怪しい。リベラル色の濃い鳩山から、社会主義者の菅直人を挟み、最後は自民党田中派の正当総理大臣のような野田に党代表を任せた。前原のように古き良き保守のような人間もいる。民主党には全く芯が通っていない。

民主党の批判を始めればキリがないのだが、日本の二大政党制度復活の為にも、まずは民主党に頑張ってもらわなければならない。私からすると民主党を復活させる方法は、とても簡単であると思うのだ。民主党の最大のスポンサーは労組である。ならば、労組の使命に違わないような党要綱を作ればいいのだ。

日本社会の対立軸ははっきりしている。会社VSサラリーマンである。労組が共産主義を標榜する古い体質の夢見る夢子ちゃんである事は論を待たないので、民主党が世間のマジョリティーである現代のサラリーマンの為に、自ら労組を現状に合うよう改革していくような政策を立案していくことが求められる。

つまり、最低賃金引き上げ、レイオフの禁止、消費税現状維持、年金制度の充実、雇用を守るなどを徹底的に打ち出すべきであると思うのだ。一方で、会社経営者側の組織、例えば経団連等とは積極的に対立するべきである。法人税の引き下げ、インフレ政策、解雇の自由化、非正規政策、消費税増など、民主党は徹底的に反対するべきである。これらは絶対にぶれない様にしなければならない。党内で違う意見を言う人は、どんなに力がある人であろうとも、すぐに除名するべきだ。党の政策としては、サラリーマンやその家族が直接恩恵を受けられるもの以外は出してはいけない。

一方で、社会問題などはサラリーマンの奥さんを対象にしたソフトなものを打ち出す必要もある。環境問題、医療問題、教育問題など、万人受けするものを強調する。社会的にリベラル色を強めればよい。外交なども「対話」を強調するだけで良いのだ。

これだけでいい。そして、自民党は会社経営者や農家や商店などの自営業者側に立った政党であるとレッテル張りをすればいいのだ。それだけで民主党は次の選挙で勝てる。逆に、これをしないで、原発問題だの、新しい公共だの、官民の連携だの、オープンだの、選挙民の暮らしに関係のないイデオロギー論争にコミットしすぎると、民主党は近いうちに瓦解する。子供手当や高速道路自由化の様な細かい政策は上げる必要すらない。

日本にとって良い政策とは何か、などと「マジで」考えているセンチメンタルな民主党議員が多数いるようである。党員が何を考えても個人の自由であるが、政党政治におけるゲームの仕方を党員に徹底して調教するべきだ。民主主義社会においての政治とは、選挙というルールを用いて、配分の仕方を決め合うだけの汚い仕事である。それに対して、良いも悪いも、公正も不公正もない。「大人の事情」で食うか食われるかだけが存在するのだ。前原や野田、あるいは岡田など、経営者側寄りの政策を出そうとする「まともな連中」を、すぐにでも党から追い出すべきである。その辺の連中は自民党にでもみんなの党にでも行ってもらえばいいのだ。

上述の事をすれば民主党は復活するだろう。そうすれば自民党もきっちりと対立軸に立って政策を出してくると思うし、金魚の糞政党は自ずと消え去ると思う。そうすれば私は納得して自民党に投票するだろう。民主党に復活してもらい、二大政党制にならなければ日本の民主主義は死んでしまうのだ。民主党が一人前のInstitutionになる事を切に願う。

7/19/2013

ジマーマン事件を人種問題として政争化させたアメリカ、韓国併合問題がいまだに政争化している日本

ジマーマン事件、特集

ジョージ・ジマーマンが無罪になったケースを「人種問題」にすり替えている米メディアに辟易としており、言いたいことが一杯ある。何故ここまでイラつくのか自分でも解らない。この記事によってきちんと整理し、一旦区切りをつけ、自分の仕事に集中したい。

以前、竹中平蔵の記事を読んだ時に、「なるほど!」と驚嘆したのだが、その説によると批判するには三つのパターンしかないという。今回のジマーマンの事件の評決に関して批判している人は、自分の意見と異なる人達に「差別主義者」というレッテルを張り、永遠の真理を謳っているのだ。しかも、それを「正義」だと主張している。

今回の問題の根本には、黒人社会が自分たちの置かれている状況を嘆いているところにあるのだと思う。米国において、黒人層の貧困が解決するべき社会問題である事は論を待たない。多くの米国人が、故意であれ無意識であれ、黒人を色眼鏡で見ている事も間違いない。国籍、性別、人種などは自由に選択することが出来ず、本人の努力とは全く関係がない。生まれた時の運次第である。しかし、それらによって差異が生じている事は疑いのない事実だ。それらの差異は、多くの場合で残念ながら打開することは不可能である。これは人間社会における克服できない永遠の問題であると思う。そして筆者は黒人ではないので完全には理解できないのだが、単純に述べると、黒人に生まれた多くの人は、白人が生まれながらに手に入れている何かを妬んでいるのだろう、と信じている。

1.正義とは?

サンデル教授ではないが、「正義」の話をしたい。法に則った行動がすべて「正義」であり、違法な行動は「正義」にもとるのか?

私たちの社会では、合法だがモラルに反する行為や、違法だがモラルに則った行為と言う物に頻繁に遭遇する。だからこそ、映画は盛り上がるし、小説家は話題に事欠かなかったわけだ。例えば、ナチズムは当時のドイツでは合法であった。しかし、それを「正義」とする事はどうか、という話が当然成り立つ。後述の奴隷制度や植民地政策もしかりである。確かに時代が進めば進むほど、モラルと法律を近づけようと努力されてきたため、そういったギャップは縮まりつつある。

正義にはいろいろな種類がある。ここでは、法正義とモラル正義を比べる。モラル的な正義には危うさが付き纏う。時代、宗教、生活環境などにより、モラルは十人十色であるからだ。モラルだけを信じてしまうと、我々は日常行為に自信が持てなくなってしまう。今は許されているが、動物の肉を食べる行為は、モラルにもとる行為ではないのか?ベジタリアンは肉食は罪だと言っている。このように、モラルに裏付けされるような万人に共通する正義はあり得ない。近代社会では国民が国家という制度を許容し、国家が法律を作り、それに国民は従うと契約している。国民は国家と契約した以上、法律をルールと見做し、ルールに従った法正義の行動をとる義務がある。法律を守っている以上、個人は国家から消極的ではあるが自由でなければならない。つまり法治国家では、法さえ守れば逮捕されることはないのだ。故に、正義はその法律によってのみ定義することが可能であると思うのだ。法を超えたモラルの話は、人々の「意見」に過ぎないと考えている。越権行為で逮捕される世の中は、危険であるのだ。勿論、それらの「意見(或いはモラル的な正義と呼んでも構わない)」は、政治家が法律を改正することにより、将来の正義にはなり得る。

よって、異なった法律を持つ国家や時間軸をもって、「正義」を語る事は慎むべきだと思っている。私がここで使用する「正義」は、あくまでも法正義の事である。ナチズムを批判する際にも、その時代にはドイツ第三帝国において合憲であった、としか言いようがない。これはナチズムを肯定しているのではない。歴史を客観的に述べているだけである。しかし、ナチズムの憲法やその他の法律に当時従った人達を、あなたは裁くことが出来るのか?国際法に違反するとアウトだが、当時のそれ以外のナチス支持のドイツ人は第三帝国と契約しており、その法律に従っただけに過ぎない。その当時の社会を攻撃対象とすることは、余りにもアンフェアである。それならば、政治や宗教などのイデオロギーに則って行動しているテロリストを現代国家が裁くことなどできなくなるのだ。何故なら、未来に何が正義とされるのかが解らないからだ。私がここに書いている意見を嫌う感情的な人や現状の制度を信じて疑わない自信過剰な人の方が社会にはむしろ多いと思うし、そういった意見は尊重したい。ただ「常識」や「モラル」は揺らぐので、客観的な価値判断には使えない。

2.米国の奴隷制度と黒人

話を黒人問題に戻す。黒人の祖先の多くは、奴隷貿易でアフリカから新大陸に連れてこられた。当時のアメリカにおいて、奴隷制度は憲法で認められていた。1865年に憲法が修正されるまで、奴隷制度は法正義であり、それ以降は不正義になった訳だ。正義だからと言って問題がなかったわけではない。正義だとしても社会問題であったのだ。故に、南北内戦でアメリカ人同士の殺し合いを経てまで、憲法は修正されている。奴隷貿易の過去は現在の政府にはCondemn(非難と訳して良いものか?)されている。

米国の黒人社会は、いまだに奴隷貿易を引き摺っている。現在の黒人社会における貧困や脆弱な教育といった問題は、奴隷制度が由来であると考えている人たちが大勢いるのだ。そうかもしれないが、そんな事をいまさら言っても仕方がない。すでに奴隷制度は不正義となったのだ。

今日においても白人に対して「プランテーションメンタリティー(入植者精神)」を持つな、などといった意見を言う黒人を多く見かける。モラルの正義を持ち出して、過去の奴隷貿易の良し悪しを議論すれば、必ず白人側は防衛一方となる。奴隷制度の過去は政争にも使われる。しかし、現代の多くの白人は奴隷貿易に直接関わっていないどころか、多くの人が黒人に同情しているという事実もある。未だに黒人に積極的な差別感情を抱いている糞白人もいるだろうが、そういった人達は寧ろ極少数派だ。黒人であれ、白人であれ、21世紀において奴隷貿易の話を蒸し返す発言をする人達は、人種間戦争でも起こしたいとしか思えない。だが、逆にいうと、マイノリティー側は強力な武器を手に入れていると言っても過言ではないだろう。

これらを利用し、黒人の人権擁護団体が利権を漁っている。公民権が保障された時点で、それらの団体の主な役割は終わった訳だが、いまだに過去の栄光を引きずりながら団体として存在している。それらの団体が自分たちの私腹を肥やし、力を入れるために、積極的に差別事象を作り上げる。そして、それらに乗りかかる自称リベラルな人達が結構な数いる訳だ。で、それらリベラルな人達が、人種問題から目を反らしたい普通の白人を「保守主義者」というレッテル貼りをする。

勿論、アメリカ人の多くは黒人団体やリベラルな運動家の意図を見透かしている。ただ、自分の評判が傷つくので、政治的な意図がない人達は、それらを積極的に非難することは出来ない。匿名のツイッターを見て貰えば、CNNやMSNBCで言われているのとは異なった意見が多い事に気づくだろう。勿論、政治運動家の戯言と無視することも可能だ。しかし、本当にそれでいいのか?

今回の「トレボン・マーティン射殺事件」をニュースで聞き流した国外の人はどう思うだろうか?例えば、日本国内向けには保守的な産経であるがこの事件についてのニュースの報道には保守の姿が見えない。裏事情を知らずにこれを読めば、黒人が可哀想だと考えると思う。トレイボン・マーティンがギャングのような不良で、ジマーマンが車に帰ろうとする時に襲われて頭を何回もコンクリートに叩きつけられたとは書いていない。一番の問題は、このニュースは日本では興味がもたれない為に、商業的な価値がないという事だと思う。で、日本国内で流されている少ない情報から、アメリカの白人社会は黒人社会を差別し、おかしな政策を作っていると考えるかも知れない。だが、それは明らかに不公平な意見だと思う。例えば、いつもは左寄りで大嫌いな経歴詐称をしている人物も、今回の批評では私と変わらないような発言をしているのだ。

3.わが国では?

ここまで書くと、おやっと思う読者も大勢いるだろう。

朝鮮・韓国人社会と日本との関係に似ていないだろうか?例えば、いわゆる従軍慰安婦問題などの話を蒸し返すのは、全く同じパターンだと思う。法律、時代背景や社会問題を完全に無視した場合、管理売春の様な行為は女性の権利を踏みにじっているはしたない行為である。一般の善良な市民は、性産業にモラル的な罪悪感を持っている。それはユートピア的な「モラル上の正義」なのだと思う。当時の社会状況では仕方がなかったにせよ、ほとんどの日本人は、過去に植民地主義や管理売春を大日本帝国が実行或いは許容していたような事実については触れてもらいたくもない。同時に、ほとんどの人が韓国人や在日韓国・朝鮮人に対して一種の罪悪感の様なものすら持っている。

だが、一部の韓国・朝鮮系の人達や、リベラルなメディアは、モラル問題でこれらの歴史を政争として蒸し返す。従軍慰安婦の存在を無視したり否定したりする立場の人間は「軍国主義者」や「極右」であるとレッテルを貼られる。それに対して、保守派は青筋を立てて否定する。この問題も一部のリベラルメディアの経済的な理由による恣意的な報道から発展していったと信じられているが、これらが社会に与えた影響は余りにも大きい。挙句の果てには、ゴミの様な社会的な負け犬たちが、新大久保などで差別発言を繰り返しながらデモ行進を行っている。日本と朝鮮半島の問題については、色々な人が客観的な分析をしており、ここでは詳しく書かない。

4.合法的に搾取した歴史については、モラル論を振りかざされると絶対に勝てない。

私は、一部の東アジア地域が日本に対して行っている反日社会運動と、アメリカにおける黒人社会の運動の戦略がだぶついて見えてしまうのだ。日本も、アメリカの白人社会も、絶対に勝てない防戦一方の試合を強いられているのである。むしろ攻撃相手は、攻撃の手を緩めないで、ごねればごねるほど有利であるのだ。そうすれば、自分たちの政治メッセージがより広く伝わる。

私は過去の合法的な搾取の歴史を修正しようと言っているのではない。アメリカの白人にせよ、日本にせよ、欧州にせよ、多くの人は過去の合法的な搾取の歴史を個人として自省している。国家としても過去の搾取対象だった地域やグループに対して、色々な貢献をしてきた。勿論、表現の自由が確保されているので、頭のイカれた団体や、教育を受けていない個人が「エクセントリックな意見」を主張したり、金儲け主義のメディアが今回のケースの様な「ある事ない事揚げ足を取って報道」することはあるだろう。しかし、全体的にきっちりと反省した上で、臭いものには蓋をしているつもりなのに、それを蒸し返される事は「政治利用」以外の意味が見いだせないと言っているのだ。それが分っているので、特に左翼の現制度に反対する政治団体は、むしろ昔の過ちを積極的に利用しようとする。

残念ながら、これらは当事者以外には興味がない小さな問題だ。日本ではジマーマンのケースが政争に使われている事実はほとんど報道されていない。黒人対白人の問題に日本社会は興味がない。情報に疎い人達は、メディアを通じて入って来る「黒人をしいたげるアメリカ社会」という話を信じ込んでしまうだろう。同様にアメリカやヨーロッパも、極東地域の政争に興味はない。アメリカでは、韓国や中共で行われている反日運動について、表層以外は報道されない。ほとんどのアメリカ人にとって、アジアの極東の問題など、どうでも良いわけだ。そして、多くのアメリカ人は日本が右傾化しており、軍国主義にいまだに憧れを持っており、韓国や中国を蔑んでいるのだと信じている。そして、そのようなイメージこそが、政治団体(右も左も)の寄付金集めに大いに役立つのだ。

しかも、この問題をややこしくしているのは、黒人や韓国人側に産まれた人は、この問題を窘める側に回る事が極めて困難な点である。黒人が白人側を擁護したり、韓国系が日本人を擁護すれば、もっとおかしなレッテルを貼られる。従って、常識のある人は「どっちもどっち」というような意見を言わざるを得ないのだ。名前を出しているコラムなどで、そういった常識的な人達の意見を読むと、ある意味で可哀想だとも思う。

表現の自由が許される民主主義社会であるのだから、情報を客観的に分析する能力が一人一人に求められている。私は科学者として、法正義とモラル正義以外に、もう一つの正義を認識している。それは事象を客観的にとらえた「事実」と言う名の正義である。ユートピア的な考え方であるとは承知しているが、感情論ではなく「事実」を大切にする社会に憧れを抱く。

5.デモは続く

それでもデモは続いている。トレイボン・マーチンという、学校で何度も停学を喰らったり、未成年の癖にマリファナを吸ったり、自分が撮影した女の子の裸をSNSにアップしたり、何故か鞄からいくつもの宝石とスクリュードライバーが出てきたり、近所を監視していた善良なヒスパニックの自警団をぼこぼこにしたりするような、そんな不良の名誉を守ろうと、全米各地でデモが繰り広げられている。この不良少年の名誉を守るという行動こそ、安重根の銅像を作って讃えようとしたり、従軍慰安婦の像を作ったりするような行為と重なるのだ。神経の逆撫でをするような非常に不快な行為である。私は匿名なので、この記事を書いている。もし私が自分の名前をさらす必要があれば、ここまでは書かない。自由な議論をする余地すら奪う非常に卑怯な政争工作を、トレイボン・マーチン擁護派は仕掛けているのである。SNSやツイッター上で流れている、上品な黒人利権団体批判論は、フォックスニュース以外では取り上げられることはない。

7/16/2013

ジマーマン事件の感想をフェースブックに載せると、「差別主義者」と罵られる。

ジマーマン事件、特集

ジョージ・ジマーマンの事件で色々思う所があったのでフェースブックに書き込みをした。日本語に翻訳して要約すると「今回の件は銃が問題であるのに、メディアは人種問題にばかり光を当てている。これを一番喜んでいるのは銃規制に反対する者たちだけだ。」というかなりオブラートに包んだ表現を使ったのだが、結構評判が悪かった。私のアメリカ人の友人にはリベラル系が多いのだが、「人種こそが今回の事件の元凶である」や「黒人のお母さんの気持ちを考えよ」などといった「リベラルな」意見を沢山頂いた。酷いものになると「お前は差別主義者だ!」と来た。アメリカ人に差別主義者と罵られたことは、ある意味嬉しかった。いつもは「Like」を押してくれる友達も、羹に触りたくないのか、反応はかなり悪かった。

私の主張ははっきりしている。
  1. ジョージ・ジマーマンがトレイボン・マーティンを殺した今回の一連の経緯に、人種差別はなかった。
  2. フロリダの法律に則ると、ジマーマンに下された無罪判決は予想通りの常識的なものであったし、それこそが「正義(ジャスティス)」である。
  3. フロリダの銃に関する法律は、混乱が生じないように積極的に改良するべきである。
  4. 出来る事であれば、国家レベルで長期的な視点をもって銃規制に力を入れるべきである。
  5. アメリカの人種問題、特にアフリカ系アメリカ人の貧困は深刻な問題であるが、それは今回のケースとは別の社会問題である。

ただ、1と2は、アメリカの感傷的な左派には到底受け入れられなかったようである。私は理路整然と、今回の一連の話を考え続けた。が、どんなに努力しても、人種問題がこの事件に直接影を落としているようには考えられないのである。しかし法廷の外では人種が問題とされた。メディアは視聴率稼ぎの為か、人種問題に焦点を絞り、事件の「台本」を作った。そして一部の人、特に格差是正などのデモをしている人たちが、この事件を人種差別の象徴と使い始めたのだ。

NCAAP(全国有色人種向上協会)がマーティン家の弁護士を務めたり、法廷外のデモを主導していたりするのだが、この団体が事件を人種問題と結び付けたいようだ。NCAAPは国民の公民権問題で数十年前には色々な功績を残したが、近年は人権圧力団体に成り下がっている節がある。この団体は、銃規制についてはほとんど触れないし、そっちの方向に話が行かないように気を付けている節すらある。NCAAPは、ジマーマンが人種プロファイリングした事を問題視している。

人種プロファイリングとは、人種帰納とも呼ばれ、「人種」によって不審人物かどうかを推測して、職務質問などをしたりする事である。黒人が分譲住宅地の中を歩いていたと言うだけで、ジマーマンはマーティンを怪しく思い、尾行し、最終的に射殺に至った、と言う物である。つまり、マーティンが黒人でなければ、マーティンは殺されていない、という事になる。

私が法廷のやり取りを掻い摘んで聞いた情報から推測する物語とは、かなりかけ離れている。ジマーマンが住む分譲住宅の敷地内で、空き巣などの被害が相次いでおり、黒人少年が逮捕された。しかし、いまだに空き巣の被害は減っていないので、自警団であるジマーマンは、警察の対応に不満を募っていた。ある寒い雨の夜、黒人の少年がフードを被って、家々を物色しながら、裏地を歩いていたので、不審に思った。しかも、薬物等を使用している様子すらあった、というのが事件公判で明らかになっている。

勿論、この話がジマーマンの都合に合わせて作られていないとは限らない。ジマーマンは警察に電話をし、「最近この辺りは空き巣にやられているのですが、明らかな不審者がいるのです。この男は、多分良からぬ事を企んでいるのか、それともクスリか何かをやっているのか、そんな感じです。」と告げた。それに対し、電話交換手の女性が「その男は、白人ですか?黒人ですか?それともヒスパニック系ですか?」と聞いたのを、ジマーマンが「黒人みたいです」と受け答えをしている。

しかし、左寄りのNBCは、このテープを編集して「This guy looks like he’s up to no good. He looks black.(こいつは、良からぬことを企んでいる。こいつは黒人だ)」としたのだ。このように続けられると、かなりの印象操作である。NBCのニュースで何度も流されたのだが、これを聞けば視聴者はジマーマンが黒人だからマーティンを追いかけたと考えても仕方ない。しかも、下の二組の写真を見て欲しい。上の写真の代わりに、下の写真が使われていたのだ。かなりイメージが違うだろう。

この日は二月の雨のフロリダにしては寒い時期で夜7時だったので、ジマーマンは「Fucking Cold!(糞寒いなぁ)」と言った。それを、左寄りのCNNもジマーマンが「Fuckin coon!」と言ったと誤報道したのだ。Coon(クーン)は黒人に対する差別用語である。クーンと言えばラクーン、つまりアライグマの事でもあるが、それとは関係ない。奴隷貿易の時に、「Barracoon」と呼ばれる檻に入れられて黒人がアメリカ大陸に運ばれていたことから、黒人をクーンと蔑むようになったという。こんな事がニュースに伝えられれば、色眼鏡で見てしまうだろう。

メディアのレベルの低さや、視聴率目当ての誘導的な手法を批判しだせば、5冊くらい本が書けるところであるが、その話は脇に置いておこう。私は、この「射殺」事件の背景には人種問題はなかったと信じて疑わない。しかし、何故黒人たちを中心に、そこまで人種の問題が取り上げられるのかが理性的に理解できないのだ。ニュース番組に出てくる人種問題根拠説を唱える人達は、物凄く感情的である。勿論、あの人たちの知能指数が足りないので、メディアにころっと騙されて、ジンマーマンに対して感情的で不公平な逆差別をしている、などと断じる事は簡単かもしれない。しかし、それでは腑に落ちないのである。

マーチンは暴力を振るったにせよ、所詮は未成年である。黒人の不良なら、正当防衛の名の下に殺されてもいいのか?黒人の不良が虫けらの様な扱いを受ける社会は、おかしいのではないか?私は、色々な点でこの意見を支持することは出来ない。まるで、素行不良を容認するような発言であるし、黒人やラテン系を中心とする未成年のギャングメンバーによる殺人事件が後を絶たない社会の現実を無視しているようにすら思うからだ。しかし日本でも、偏差値の足りない未成年がお祭りでバイクなしで暴走族の真似をするような事もあり得るわけだし、カツアゲ行為などをしている人達も多くいるわけだ。アメリカでなら、これらの子供同士が殺し合いをしたり、一般人を死傷させたり、正当防衛の名の下に殺されたりすることもある訳だ。アメリカでは「ワル」をすると命を失う可能性が高いわけだ(注:日本でもワルは良く死亡事件に巻き込まれています)。何故か?アメリカでは簡単に銃を手に入れることができ、人を簡単に殺すことが出来るからだ。

しかし、NCAAPは銃ではなく、「プロファイリング」を問題としている。言うまでもなく、人種によって人を犯罪予備軍と見做すことはおかしい。特定の人種が悪名高くとも、ほとんどの人は善良である。ベイズの簡単な式を使って考える。例えば、ある町では犯罪者で逮捕した者の80%が黒人であるとする。この町の住民のうちの30%が黒人であるとする。犯罪率は1:1000人である。こういった状況で、黒人をランダムに職務質問して、その黒人が犯罪者である確率は0.3%に満たないのだ(ベイズによりP(犯|黒)=P(犯)*P(黒|犯)/P(黒))。つまり黒人のうち、375人に1人しか悪い奴はおらず、残りの374人は善良な市民という事になる。374人の善良な市民は悪くもないのに職務質問を受け、気分が悪くなる。その犠牲のもとに、1人の犯罪者を検挙することは社会的に許されるのだろうか?これがNCAAPの主張である。まあこれはランダムに選んだ場合にいえる事であって、実際にプロファイリングする際は人種以外の要素も考察されようし、明らかに悪そうな奴もいる。だが、実際に黒人は日常的に不審な目で見られることがあるようで、イラつく事も多々あるようだ。

私が以前住んでいたシアトル近郊の町で、ある時期に空き巣が頻繁に起こった。ある日、私の大家が不審な黒人を見つけ、警察に通報した。連絡を受けて駆け付けた警察が職務質問をした結果、その不審な黒人が連続空き巣犯である事が判明した。私の大家は警察から感謝状をもらった。どうも電話したのは私の大家だけではなかったようで、何人かが感謝状を受け取ったようだ。何故私の大家が警察に電話をしたのか?その人物が不審であったからだ。それが偶々黒人であっただけである。今回のジマーマンのケースと全く同じである。NCAAPの主張に沿えば、これも人種差別なのか?

もし、NCAAPの主張が正しいとして、NCAAPは一体どんな政策を提案出来るというのか?もし人種によって、犯罪のプロファイリングが禁止されれば、不審者がマイノリティーであった場合に警察等に電話することを躊躇う事態が出てくると思われる。不審かどうかなど、直感に頼るしかない訳だ。理性的に判断などできないし、予防的な措置が犯罪を防ぐ可能性もある。フォールスアラームもあろうが、犯罪者を捕まえる事が出来る方が良い、と私は考える。警察は、不審者を見かけたらすぐに通報するように、市民に促しているではないか。

NCAAPが差別のない社会を作りたい、肌の色が障礙にならないような社会を築きたいという理想論を説くのは自由であるし、私もそうなって欲しいと切に願う。しかし現実問題として、社会の安全性の中で、犠牲にしなければならないものも多くある。プロファイリングを責めるのは、個人の心の領域に踏み込む行為であり、社会の安全を脅かす可能性も考えられ、自重するべきであると考える。社会に対してマイナスが大きすぎるのだ。私は怪しい人物を見かけたら積極的に通報しろと言っているのであって、黒人を見つけたら通報しろ、と言っているのではない。ましてや、人種差別を助長している訳でもない。逆に、行動を起こす人種差別主義者や、面白がって差別的な主張を繰り返す者たちは、社会の福祉に反する犯罪者であると考えている。差別のない社会を作るべきであるが、教育の向上など、気長に投資していくしか解決方法はないのではないか?

ジマーマンに対するレッテル張りは、黒人社会と「普通の」白人社会の間に溝を作る行為である。ジマーマン自体は警察ではないし、でしゃばり過ぎた。しかし、正義感に溢れたコミュニティーを大切にしたいタイプの人間である、と私の目に写った。メディアが面白がって人種問題を扱えば扱うほど、政局が二極化して、法案も通らなくなるだろう。フロリダなど、米国南部でいまだに健在な自己防衛法の在り方など、社会的に議論することは山ほどあるというのに。

今回の事件ではマーチン側にも自己防衛の権利があった筈だ、と論じる人もいる。状況証拠からは、マーチンが最初に殴りかかったものと考える方が妥当なのだと信じているのだが、目撃者がいないので100%そうだとは言い切れない。仮に、マーチンがジマーマンを撲殺していたとしよう。銃をもった男に脅された為に、自己防衛したのだといえば、無罪放免になる可能性もある訳だ。「もしも」の話をしだすとキリがない訳だが、スタンド・ユア・グラウンド法がどれだけの悪法かが解ると思う。ただ、法治国家では、悪法も法なり、であり、悪法故に個人を裁くことはあってはならない。気に入らなければ、選挙によって選ばれた政治家が法律を変えるしかない訳だ。

まあ、一つ学習したことは、SNSで政治発言をすると危ないという事だ。匿名のブログの中だけで好き勝手言います。長文に付き合わせて、申し訳ない。

7/15/2013

ジマーマン事件で再考した差別問題とアメリカ

レイカースを離れたメタ・ワールドピース氏(笑)が、ニックスとサインしたという事である。ワールドピース氏を獲ろうとは、ニューヨーク・ニックスは面白いチームである。NBAの話はこの辺で置いておこう。

ジマーマン事件、特集

で、アメリカの人種差別の問題だ。アメリカでは人種差別の問題は、いまだにタブーであるし、「隠れ人種差別主義者」が年上の層を中心に、結構いる。アメリカも広い。シアトル界隈では、アフリカ系アメリカ人が比較的少ないので、人種差別的な問題を感じる事はなかった。しかし、ニューイングランドに住んでいた時は自分が外国人であると日々思い知らされた。現在は米国の南部にいるが、人々は以外にも優しいという物の、ほんの数十年前まで黒人を迫害していた傷跡は未だに残っている。

アメリカでは、奴隷制度が敷かれており、1800年代半ばまではアフリカ大陸から大量の黒人奴隷を新大陸に連れてきたわけだ。しかし、1865年に内戦である南北戦争が終結し、北軍が勝ちをおさめ、合衆国憲法を修正し、憲法上は黒人奴隷の解放が実現した。

しかし、憲法は公民権を与えただけであって、「私人」や「民間企業」による差別を禁止した訳ではないと解釈された為、20世紀の前半はアメリカ全土で人種差別が罷り通っていた。黒人だけではない。アジア人なども、カリフォルニア州では白人と結婚できないが、ワシントン州では白人とでも結婚できる、などと言った人種隔離政策のようなものが幅を利かせていたわけである。

二つの大戦中は軍隊の内部などでも、白人と黒人で制度的な差別が蔓延していた。1948年になり、初めて軍隊内での人種隔離を禁止する命令が下されたもののベトナム戦争までは白人と黒人の混合部隊は実現していない。

50年代はアメリカ南部ではジムクロウ法の影響もあり、黒人差別が色濃く残っていた。しかし、マーチン・ルーサー・キング牧師の公民権運動を経て、1964年にようやく、ジョンソンが公民権法を制定させ、黒人差別が米全土で禁止されるようになる。

つまり、アメリカでは黒人差別が終わってから、50年も経っていないのである。古い人々の記憶の中には、差別が許されていた時代が色濃く残っている。そして、差別問題で「左」と「右」に分かれて政争を繰り広げられたことも覚えている訳だ。

日本でも、戦争の是非や在日問題が、一種のタブーだった時代が長く続いた。そして、現役世代が完全にボケ始めたころになって、漸く自由に議論できる風潮になった。草の根レベルでは、小林よしのりが果たした役割がかなり大きいと思っている。「戦争論」だけでなく、「差別論」なども、戦争問題や差別問題のタブーを取っ払い、左と右の拗れを消し去って、戦後意識を本格的に終わらせた偉業であると考えている。

しかし、アメリカでは、小さい時に差別社会で育った人たちがいまだに現役である。先月には、フードチャンネルで南部料理を紹介するポーラ・ディーンと言うカリスマお料理タレントが、黒人蔑視発言(注:ニガーと言っただけ)をしたという事で、フードチャンネルと契約を切られてしまった。過剰とも言えるニュースメディアの反応を見ていると、正直、違和感を抱くが、人種差別を受けて育った人たちが大勢生きている事を考えると、複雑な気持ちにもなる。

アメリカの若い子供と接していると、人種の垣根はあまり見られないと思う。まあ、オバマ大統領が当選したことでも、人種差別時代からは大きく変化したのであろう。しかし一方で、中年より上の人達は、いまだに人種差別や南北戦争を引き摺っている。アメリカ北部に住む人たちのアメリカ南部地域に対する蔑視は、気持ち悪い。黒人の白人に対する偏見は聞くに堪えない。貧乏な南部の白人は、未だにプランテーションメンタリティーを抱いている。

アメリカも、まだまだ時間がかかるのだろうと思う。公民権的な考え方では、明らかにアメリカ社会には大きな問題が横たわっている。しかし、若者たちを見ていて、こうも思うのだ。きっと、近いうちに、アメリカ版の小林よしのりが現れて、この問題に終止符を打ってくれるのだ、と。

アシアナ航空が地方テレビ局を「差別」問題で提訴

アシアナ航空がサンフランシスコの地元地方局であるKTVUテレビを人種差別的なパイロットのデタラメな名前を公表した為、訴えることにしたという。興味は、どんな酷い人種差別をしたのだろうか、という事になる。以下の四つの名前が公表されてしまったのだが、

Captain Sum Ting Wong
Wi Tu Lo
Ho Lee Fuk
Bang Ding Ow.

初めの名前は、Captain, something wrong (キャプテン、何か異常です。)
次は、we're too low (当機の高度は低すぎるぞ!)
そして、holy fuck (こんちくしょう!)
最後は、飛行機が bang, ding (バーン、ディーン「激しい衝突の擬声音」)そして乗客はow(オー「激しい驚きを表す擬声音」)

と来た。無理やり日本語にすると面白くないが、英語が解る人なら、結構考えられたジョークであると思う。このジョークは、その地方局の夏休み中のインターンが作ったものだったが、何故か放送されてしまったという。まあ、趣味の悪い放送事故である。これが、11時台のトゥナイトショーのジェイ・レノ(ABCテレビのナイト・イン・ナイトみたいな物)や、コメディチャンネルのダニエル・トッシュが漫才として言ったのなら、「めっちゃ、おもろい」で終わる話だ。だが、地方局のニュースでこれを流すのは、プロ意識に欠ける最悪の放送事故である。

しかし、これは人種差別的な名前なのだろうか?中華系の名前を持つ人は、違う文化圏の人にその名前をからかわれることもあるだろう。しかし、それが「人種差別」であるとするのは行き過ぎていると思う。日本人がパーティーなどに行くと、酔っぱらった外国人に「フジツー・カワサキさん、アリガトゴザイマス」などとからかわれることもある。気分が乗らない時は鬱陶しいものであるが、人種差別ではないと思う。

アシアナ航空は、品の悪いプロ意識に欠けた放送事故を逆手にとって、金科玉条のごとく「差別」論を展開したと考えるのが適当であろう。差別のレッテルを張られれば、メディア側はあらゆることを自制しなければならなくなり、ある事ない事を放送されるリスクが減るからだ。

米メディアは日本のメディアと同じで、基本的にリスクを取らない。一方で、攻撃できない対象は徹底的に叩く。そして、ある事ない事を必死で煽って、視聴者を鼓舞させ、視聴者をテレビの前に釘づけさせる。自由な意見を言っているように見えて、出演者の役割分担がはっきりしており、些細な問題であれ、二極分化するように持っていこうとするし、すぐに政争化する。

勘違いしている人も多いと思うが、アメリカのメディアは、質的には日本のメディアとほとんど変わらない。ケーブルニュース系の、フォックスにしても、CNNにしても、MSNBCにしても、かなり質が低いし、大衆迎合的で、下世話が好きである。ABC、NBC、CBSの三大ネットワークのニュースも「ソフトニュースを流し過ぎている」と考えている年配の人はかなり多い。前回の書き込み、ジマーマンのケースもメディアの行き過ぎが混乱を招いているとして、間違いないと思う。

あらゆる事に「人種差別」を持ち出して、自分の相対的な立場を上げようとするやり方は、卑怯以外の何物でもない思う。実際に人種差別に合って権利を侵されている人に対しても卑怯であるし、人種差別意識が無くていざこざを起こしている相手に対しても公平ではない。さらに、社会を煽動するという意味でも、卑怯この上ない作戦であると思う。社会的な立場を考慮すると、第三者は表立って反論できないという事も強調しておきたい。

アシアナ航空に言いたい。恥を知れ、と。そして、ジマーマンのケースで人種差別問題を炊きつけられて騒いでいる人達にも言いたい。頭を冷やせ、と。そして、ジマーマンのケースで人種差別を煽っているNAACPにも言いたい。あんたらの使命は既に終わっているのだ、と。メディアにも言いたい。視聴者を煽るな、と。そして、視聴者に諭したい。メディアに騙されずに、真実だけを冷静に見ろ、と。

人種差別を金科玉条のごとく使ってくるグループとしては、黒人グループ、ユダヤ人グループ、そして韓国人グループがある。多くのアメリカ人は、大きい声で公式的な立場では言えないが、正直「Again?(またか…)」と思っている。そして、こういった事を利用して、リベラルな政治的立場を表明する左寄りの人達が溢れて来て、それらの団体をサポートし始める。上述のグループは、そういった一連の動きの中で、ますます政治力を強めることになり、やがては票が欲しい政治家なども関与してくる。資本主義社会で民主主義的な国では、良く見る光景と言ってしまえば、それまでなのだが。

人種差別などを簡単に濫用できないような社会になることを、切に願う。

7/13/2013

ジマーマン、無罪確定!


ジマーマン事件、特集

陪審員の長い審議の結果、ジョージ・ジマーマンは無罪であると確定された。予想通りと言えばそれまでだが、前述の書き込みを見ていただければ解るが、この判決には勝者はいない。敢えて言うならば、お金も儲かり、名前も売れた弁護士のみが勝者なのだろう。法治国家で、法律の上で裁きが正しく下された事は良かったと思う。だが、その法律そのものは大幅な改良を要する不良品であった。

未だに人種問題が言われているが、この特定の事件の背景に人種問題があるようには見えない。「銃社会」が引き起こした悲劇にしか見えないのだ。そして、メディアは銃についての話を避け、安易な人種問題に話をすり替えようとしている。完全に何かが間違っている。人種問題で騒ぐ人たちも、タブーに触れたがらないメディアも、狂っていると思う。

フェースブックの書き込みなどを見ていると、この判決に不満を持っているリベラル系の友人が多くいるのに驚かされる。この話を無罪と無期懲役、ジマーマン対マーティンの遺族、或いは黒人対白人といった白黒で語ろうとしている人の多さに驚かされる。社会の法律的な不備をもって、人々を犠牲にする社会が良い社会だと言えようか?

西海岸を中心にデモが巻き起こり、ジマーマンを公民権違反で起訴しようとする動きすら出ているという。第一に、今回の事件が差別的な要素を含まないと信じて疑わない上に、個人対個人で公民権が犯されるという意味が解らない。敢えて言うなら、そのような報道を受けたり、マスメディアにでっち上げられているジマーマンの公民権が犯されているようにすら見える。デモに繰り出した一部のアフリカ系アメリカ人は暴徒化し、店舗や車を破壊している。一方、フェースブックやツイッター上では、マスメディアの行き過ぎや、黒人人権擁護派のがめつい行動を非難する、尤もな意見が並んでいるのだが、こう言ったものが日本のメディアに取り上げられることもない。

永遠の真理も理解できる。黒人たちの貧困は解決しなければならない社会問題だし、人を肌の色で「差別」するべきではない。では、社会に何ができるのか?黒人社会自体が一丸となって頑張らない限り、この問題が解決することは無い。黒人社会は文句ばかり言って、義務を果たしていないと考える尤もな意見も多いと思う。父親が子育てを放棄して、シングルマザーに育てられる。そして、家でMTVを見て、ギャングスターに憧れを抱く。貧困の中、都会のゲトーに住む。黒人が多くなったゲトーは治安も悪くなり、誰も商売などを始めようとせず、社会インフラも欠けていき、ますます貧しくなる。

人種問題を絡めて、政局を二極化し、法律にイデオロギーを含ませ、社会コストを無視しているアメリカの空気については怒りを禁じえない。色々チェンジしてもらわなければ困る事があるのだ。

元アトランタ・ファルコンスのマイケル・ヴィックがドッグファイト(闘犬)をやって禁固三年を喰らった。ジマーマンは黒人の高校生を射殺して、正当防衛で無罪である。法律や制度が可笑しいとは思わないのか?次の大統領選出馬も囁かれているテキサス州知事リック・ペリーは、自ら音頭を取り、中絶の禁止を急ごうとしている。銃で高校生を殺すのは構わないが、胎児を殺すことは決して認められない、と言うのか?

コネチカット州のサンディフックで、小学生が銃器で虐殺されて以降、アメリカは銃規制に舵を切ったと思っていたが、オバマは結局何もやっていない。オバマがやっているのは、スノーデンを捕まえようとしたり、中共政府と折衝したり、バーナンキの首を飛ばそうとしたり、違法移民を市民にしてラテン系の選挙民を増やしたり、シリコンバレーに恩を売るために移民法改正したり、自分の政党の基盤を拡げる為の政治戦略ばかりである。選挙で約束したような、アメリカ社会のリベラル化はどうなったのか?「チェンジ」などと言っていたのは懐かしい。誰でも、大統領の椅子を取れば、自分こそがリベラル化の抵抗勢力に「チェンジ」してしまったのだろうか?


違和感だけが残ったジョージ・ジマーマンのケース、結審へ。


ジマーマン事件、特集

米国で現在、お茶の間(笑)を賑わせたある事件の判決が下されようとしている。その事件とは、2012年の二月に、ジョージ・ズィマーマン(George Zimmerman)というゲートコミュニティー(要するに分譲住宅地の入り口に警備員がいる所)の自警組織のボランティアが、トレヴォン・マーチン(Trayvon Matin)という17歳の黒人の子供を射殺したものである。 


ジマーマンは父がドイツ系の白人で、母はペルー人であり、ヒスパニック系のアメリカ人である。ジマーマンはマーティンを打ち殺したとき、そして警察に電話した時に、アフリカ系アメリカ人を蔑視するような発言をしたため、この事件は人種間問題に発展した。

もう一つ事件をややこしくしているのは、フロリダでも採用されていたふざけた法律である。スタンド・ユア・グラウンド法と言われるものだ。非合法行為により身の危険を感じた者が、殺傷能力のある武器を使って身を守ったとしても、罪状には問われない、という法律である。多くの州で採用されている 正当防衛と、南部を中心に採用されているスタンドユアグラウンド法は大きく異なる。正当防衛の下では、喧嘩になった時に、相手を殺傷する前に、逃げる事を優先させる義務が生じる。だが、スタンドユアグラウンド法の下では、命の危険を感じる状況下においては、逃げる事を最優先する必要はなく、相手を死に至らしめても罪状には問われない。防衛する権利が銃を所持する権利と重なり、解釈の余地を残す法律となっているのである。ただ後述するが、今回のジマーマンの行動は正当防衛の範囲内であり、スタンドユアグラウンドが発動したかどうかも怪しいケースである。

自警組織のジマーマンは、コンビニで買い物をして父親のガールフレンドの家に帰る途中の丸腰のトレボン・マーチンが分譲住宅地の敷地内の裏側の路地を歩いているのを見た。ただ、マーチンはマリファナを吸ってラリパッパか或いは家の中を物色している様子で、ジマーマンの弁護士によると、その事でマーチンを怪しく思ったという事である。一方、ジンマーマンを差別主義者として見立てる論調もある。ジマーマンは「黒人」がいたので、肌の色から怪しい奴であると判断したと主張されている。  ジマーマンは車を停めて、中から911(警察)に電話した。その時点で、マーチンが事件を起こしているような事実はなかったため、警察はジマーマンの行き過ぎた追跡行動を窘めたのだが、ジマーマンは車から降りて追いかけた。どのように追いかけたのかは色々な話が出ており、事実は解りかねる。そして、マーチンと何らかの接触をしたようである。他の人が警察にかけた電話に記録された時の録音によると、大声でジマーマンかマーティンか、どちらかは不明であるが、甲高い声で助けを求め続けている。その後、一発の銃声がする。警察が到着した時には、マーチンは帰らぬ人となっていた。 ジマーマンは仰向けになり、武器を持ったままの状態で呆然としており、警察によって武器から手をほどいてもらったという。

ジマーマンは警察で軽い取り調べを受けた後、マーティンに明らかに殴られた跡などがあったために、上記の正当防衛としてその晩のうちに解放された。人を殺してもアメリカではそんなもんであるという事実が、銃規制派などを逆なでした。 一方、高校生を殺されたという悲しみは理解できる物の、マーチンの友人や家族がメディアである事ない事を主張し、マスメディアは「黒人蔑視」が事件の背景であるように報道を始める。私などがニュースを見ると、かなり偏った報道であるな、と思う事もあった。 

で、ジマーマンは恐らくは政治的な圧力により再逮捕され、一度釈放しておいたジマーマンを第二級殺人で告訴した訳だ。最悪、終身刑という重いものである。 だが、銃規制派、アフリカ系アメリカ人、そして人種問題にうるさい人たちは、すべてメディアの報道を都合よく信じ、黒人差別主義者が丸腰の高校生を射殺したというイメージを信じていたように思う。 だが、裁判が始まると、どうもメディアの報道とは話が違うのだ。ジマーマンは不良の高校生に馬乗りで殴られたので、銃を使った、というのが真相のようだ。マーチンを擁護する人達の証言は、信用しかねるような物も多く含まれていた。しかもフロリダでは、銃を所持する権利も、身の危険が及んだ際に武器を使う権利も認められているのだ。 

ジマーマンという人間が丸腰の高校生を射殺したことは、結果論的にはモラルにもとる行為であると思う。いくら不良であったとはいえ、自分の子供を殺されたマーチンの親など、いたたまれないだろう。コンビニに行った17歳が射殺に巻き込まれるような社会はイカレテいる。しかし不幸にも、銃社会のアメリカでは十分に有り得る事態なのだ。フロリダでは法的に許されている訳であり、この騒動自体が法律の不備が招いた混乱だという事も出来る。逆に、マリファナの所持や吸引はフロリダでは違法行為であるわけだし、マーチンがジマーマンを殴る事も許されない。私が思うに、法律の不備を政争に使われた中で、ジマーマンはどのような判決が出ようとも犠牲者であると思う。間もなく素人の陪審員により、ジマーマンへの刑が決められることだろう。 

この事件を見ていると、所謂慰安婦問題などともダブルところがある。法律的には問題ないが、モラル的にはどうなのか?そういった事を政争に使われれば、モラル的に劣る側は、常に防御側に立たされ、社会的制裁を加えられることになる。タックスヘイブンを使った税金回避などもこういう問題であろう。法律の抜け目を用いた行動は許されないのか?法社会なのだから、政治家が混乱が起きないように、法律を整備するべきであるし、こういう問題で個人を陥れてマスメディアが騒ぐ構造こそがモラルハザードのように思うのだが。

7/11/2013

選挙も経ないまま、日本は事実上の移民受け入れ国へ。

私のブログを読んでもらえば解るのだが、私は日本の中長期経済成長には「移民の受け入れ」が一番簡単で且つ効果的な政策だと考えている。当然、こういった政策が参議院選の卓上に乗って来るのかな、と思っていたが、流石に選挙民と関係のない事は誰も言わない。これはアメリカでも同じで、移民政策は選挙の焦点にはなり得ない。心の中では移民を受け入れたいと願っているのに、政策論争ではまるでタッチしない。何故なら票には繋がらないからだ。 今回、厚生労働省が急に、「3年間、技術者や経営者として日本で働けば移民権がもらえる」といった政策を持って来た。昨年から「高度人材ポイント制度」を導入し、それまでの10年の滞在要件を5年に引き下げたばかりであったが、今回の改正案はそれを更に3年にまで短縮することで、優秀な外国人が日本で長く活躍できるようにしようと言う物である。更にその配偶者、親、家政婦の帯同も可能になるという。これは、オーストラリアやカナダの移民政策よりも緩い政策である。 恐ろしいのは、選挙も経ないまま、このような大切な法案が霞が関でこそっと策定され、知らない間に「日本が移民を容認国家」への布石を準備しているという点である。移民を受け入れるか否かは大変重要なかじ取りであるので、民主主義にのっとって、選挙の争点としてもらわないと困る。選挙も経ずに知らず知らずのうちにこっそりと霞が関が国家の未来を決めてしまうのは、如何なものなのか?いくら良い案であるからと言っても、民主主義を無視するような政策立案には怒りを覚える。

7/10/2013

トロントの人気者、カワサキに見る成功する日本人

川崎宗則が昨年マリナーズにやって来た時、私はシアトルに住んでおり、友人の奥さんに付き合わさられて「ムネリン応援隊」のような事をしていたのだが、その川崎がトロントに加入して大変なことになっている。川崎だけでなく、王建民も加入した事で、トロント・ブルージェイズの試合をしばらく見ていたのだが、川崎がトロントで愛された理由は、川崎こそが「成功する日本人」のお手本のような存在だからであろう。

以前、このブログで「 海外で成功する日本人、失敗する日本人 」という記事を書いた。私としては「城島憎し」で書いた記事だったのだが、かなりの反響があった。イチローのような天才なら、どこに行こうと成功すると思う。城島も実力以上の契約を勝ち取ったのだから、金銭的には失敗していないという人もいるだろう。川崎が成功したのか否かを論ずるのは早すぎるという意見もある。そもそも「成功」と「失敗」をどう判断するのか?という人類の究極の謎に対して私は全ての人が納得する答えを用意できない。しかし、今の時点で思っている事を書き留めておくのは有意義だと思う。

川崎の現在の立ち位置は、アメリカ野球を代表する、「とある日本人」を思い起こさせる。イチローは別格としても、下手をすると松井よりも知名度が高い「メージャーリーガー」である。それはタナカである。サンフランシスコ・ジャイアンツで昨日にメジャーデビューを果たした田中賢介ではない。イスロー・タナカの事である。

タナカは東京ジャイアンツから、前年に奇跡的に優勝したクリーブランド・インディアンスにやって来た。が、シーズン前半に低空飛行を続けた状態になったのだが、タナカが選手の士気を上げさせ、奇跡の快進撃を突き進む。そう、映画メジャーリーグ2に出てくるイスロー・タナカ(石橋貴明)の事である。因みにタナカは、メジャーリーグ3に出てきたときは、タカ・タナカという至って日本的な名前に変わっていた。

怪しげな東洋人キャラクターとして下手な英語でチームを盛り上げる。でも、守備は堅実で、クラッチヒットで仕事はきっちり。新庄もニューヨークメッツに在籍していた時は、イスロー・タナカと比べられていたが、川崎のタナカぶりはお見事の一言である。

ただ、川崎を見て、日本風にふざけさえすれば外国人受けすると考えてはいけない。川崎は野球に真摯に取り組んでおり、仕事はきっちりとしている。打撃についても、マリナーズに入りたてのスプリングトレーニングでは4割近くを打っており、非力さを十分にカバーできるだけのバッティングセンスを有している。犠打など、チームプレイに徹しているところもチームが喜ぶところだ。仕事をキッチリした上で、英語が出来ないというハンディキャップを埋めるがために、プレイ以外の所で「英語が出来ない外国人」としての武器を使っているのだ。自分の強みと弱みをはっきりと理解しており、完璧なポジショニングをしている。

ただ、ホセ・レイエスが復活したので、今後の活躍の場は狭まると考えて間違いない。レギュラーで使ってもらわなければ、滅私奉公だがクラッチもできるという川崎の打撃は活かされないだろう。昨年もマリナーズでは、シーズン後半にイレギュラーな使われ方をして、打撃成績は悪かった。ブルージェイズにはボナファシオもいるし、今後の展望は明るくない。チームが何らかのトレードをしない限り、残念ながら数週間前に見せたような川崎劇場を見る事は出来なくなると考える。ギボンズ監督も、ここで川崎を含めて中途半端に打撃オーダーを動かし過ぎると、チームのタガが外れてしまう。慎重な采配を望む。