3/17/2018

安倍の目指すものは嫌だが、安倍政権の安定を望む

私は安倍政権を毛嫌いしている。安倍政権が最終的に目指している世界は国家社会主義であるからだ。我が国の政経システムが「縁故資本主義」であるという点について異論を挟む人はいないと思うが、この数年間で国家の「無駄な規制」が強化される動きが続いており、「縁故社会主義」という世の中に移行しているように感じる。

私は仕事上、霞ヶ関の官僚たちとやり取りしなければならないのだが、マスコミの報道通り、最近の官僚は上しか見ていないと思う。安倍政権や自民党上層部の判断を、そのままの形で政策に反映させ、枝葉末節は無視している。この国の基幹は製造業や財界が支えていると信じているが、その人たちの意見すら無視されている感がある。逆に、政治家に取り入ったNGOや振興企業などの意見は、他を優先してすっと入ってくるような感じもある。改革の名のもとに、今までとは異なる、自民党新主流派寄りの縁故団体に有利なように、ルールが鞍替えされているというのが安倍政権の本質だと思う。ルールを変える際は、基盤となる哲学が必要であると信じているが、政策として何を優先させるのかなど、一番重要な論点を聞くことはない。安倍晋三が確かなる国家観を持っているのかどうかも怪しいのだが、「自由資本主義」の世界を理想とする私にとっては糞面白くない情勢である。

霞ヶ関内部の「良識派」や、自民党の新非主流派などは、こういった動きを快く思っていない。(言うまでもなく、与党や左翼の人達も安倍政権打倒に向けて戦っていますが、こういった連中の目指す世界観は私が許容できないレベルの共産主義的な社会なので、時間を割いて言及しません。)身内の「良識派」が安倍晋三の足を引っ張り、他の誰かを神輿として担ごうとする動きがあっても、まったく不思議ではない。良識派が安倍政権を毛嫌う理由は百種百様であるとは思うのだが、こういった人たちの動きに対し、私は心情的に共感できる。

ただ、安倍晋三を引きずりおろして日本がうまく回るかといえば、残念ながら答えはNOだと思うのだ。安倍政権になってから、事実として日本の経済は安定している。原則は間違っているのだが、結果はオーライである。アベノミクスは円安政策として、GDPを見事に軌道に乗せた。為替を操作することで、日本の競争力を人為的に上げ、日本人の労働力を海外に安売りする。助成金のバラマキは復活し、所謂田舎への手当は手厚いものになっている。票田や「うるさがた」には助成金が行き届き、不満がマスメディアを騒がすことはない。数々の矛盾を抱えながらも、政権が安定することで全体的にうまくいっているように見えてしまう。

籠池問題で安倍政権が揺れ始めた。心底で安倍政権を毛嫌いしている私であるが、安倍政権を崩す事には反対している。安倍政権は久々の安定政権である。政治とは理想ではなく、力こそが重要であるのだと教えてくれた良いケースとなっている。安倍が去ったところで、頭となるオルタナティブがなく、次の総理が安定政権を構築できる可能性は低い。安倍政権が続けば続くほど、社会は「自由資本主義」から乖離していく。が一方で、安定さに欠ける政権が続き、社会が不安定化し、矛盾が露呈する社会を、私は心底恐れている。

日本という国はすでに詰んでしまっている。今更、誰が何をやったところで、早い遅いはあるにせよ、ある種の崩壊が訪れるだろう。私が理想とする形に戻ったからと言って、根本的な問題は何一つ解決しない。ある意味、諦めに似た悟りの極致が、私を消極的な安倍政権の支持者に仕立て上げている。(自民党内でのまともな自制を期待して、今後も安倍政権を批判します。)