今から数年後、2012の終わりに行われた選挙こそが日本という国家の曲がり角であった、と認識されるようになるのではないだろうか。
まず現状認識をきちんとしておく。日本は太平洋戦争に負けた。復興で景気が一気に良くなった。そして戦争で焼け野原になったために、最新の投資を入れる事ができ、国際競争力がついた。しかも共産主義の殻に引き籠る国が後を立たず、資本主義社会の一員としてアジアで重要な位置を占める事に成功する(棚からボタ餅)。田中角栄が土建利権を手にいれ、「田中派」対「岸派」の抗争が始まる。日本の経済が強くなり、景気が停滞しているアメリカと摩擦が起きる。プラザ合意で円高開始。利率を引き下げ、土地バブルが起こる。日銀澄田総裁(戦犯1)が1987年一月の2.5%から90年の6%まで利率を急に上げて、バブル崩壊。利率を徐々に下げるが不良債権問題が尾を引く。宮澤(戦犯2)が銀行に公的資金注入を三重野総裁(戦犯3)と模索したが、世論とマスコミ(一番の戦犯)の反対を受けて実行せず。ソ連崩壊後の社会主義勢力のグローバル化に伴い、今までのインチキ保護政策の化けの皮が剥がれ、デフレ圧力はさらに高まる。無能松下(戦犯4)の後を継いで、速水(戦犯5)がゼロ金利政策を開始。良いデフレなどというトンでも論を展開。デフレになった時点で流動性の罠に嵌り、金融政策は武器を失い、完全に終了。公共事業で財政出動しても、なんともならず。ただ利権問題が日本の財政をさらに苦しめただけ。
60年を掻い摘み、何故デフレになったのかを紹介した。戦犯は他にも大勢いるが、ご容赦願いたい。
60年を掻い摘み、何故デフレになったのかを紹介した。戦犯は他にも大勢いるが、ご容赦願いたい。
デフレが日本を苦しめているという意見に反対する人は誰もいないと思う。デフレが経済にとって良いなどと言う人は、速水元日銀総裁と与謝野馨くらいのものだろう。デフレーションに陥った際に、ゼロ金利政策をとると流動性の罠に陥ることは明白である。デフレにしないために手を打つのが、財務省と日銀の最低限の仕事であった。誤解が多いが、FRBのバーナンキが何故あのような政策をとっているのかというと、「Nothing but
a deflation (デフレ以外なら何でも良い)」という事である。ゼロ金利やQEはデフレに「陥らない為」にやっている政策であるのだ。
だが日本は違う。既にデフレに「なっている」のだ。一度陥ると脱出する事が極めて難しいと大学一年生の教科書に書かれている「デフレ」状態にあるのだ。デフレから脱却したいと万人が考えている。しかし需給ギャップを「持続可能に」穴埋めする事に手を拱いており、15年ほど経っても何もならない。デフレになった時点で、時既に遅し。日本経済は失敗してしまったのだ。
だが日本は違う。既にデフレに「なっている」のだ。一度陥ると脱出する事が極めて難しいと大学一年生の教科書に書かれている「デフレ」状態にあるのだ。デフレから脱却したいと万人が考えている。しかし需給ギャップを「持続可能に」穴埋めする事に手を拱いており、15年ほど経っても何もならない。デフレになった時点で、時既に遅し。日本経済は失敗してしまったのだ。
量的緩和で資金を供給しているのだが、デフレ下でどこかに漏れている。日銀の思惑通り、金は市場に流通していないのだ。流動性の罠の元では貨幣を供給しても、現金保有が好まれるので、金が市場に回らない。(だが後述の様に国債が積極的に買われており、厳密な教科書の意味通りの流動性の罠ではない。)小泉政権のときは円キャリートレードが盛んに行われたし、現在では国債が買われている。
寧ろ、貨幣供給が国債バブルを助長している節すらある訳である。期待インフレ率がある程度高くなって、現金保有嗜好を人々が捨てない限りは、金融政策は全く機能しないわけだ。現金とほぼ同等のアセットである国債が捌けている事実がこの理論を正当化している。これだけ日本の財政状況が悪いにもかかわらず、利子率が低く留まっている事は、「国債バブル」以外の何物でもない。そしてその原因を作ったのは、規制緩和を怠った政府と、デフレ「以降」に無駄に資金供給した日銀の責任である。国債バブルはパンパンに膨らみきり、破裂を待っている状態だ。
寧ろ、貨幣供給が国債バブルを助長している節すらある訳である。期待インフレ率がある程度高くなって、現金保有嗜好を人々が捨てない限りは、金融政策は全く機能しないわけだ。現金とほぼ同等のアセットである国債が捌けている事実がこの理論を正当化している。これだけ日本の財政状況が悪いにもかかわらず、利子率が低く留まっている事は、「国債バブル」以外の何物でもない。そしてその原因を作ったのは、規制緩和を怠った政府と、デフレ「以降」に無駄に資金供給した日銀の責任である。国債バブルはパンパンに膨らみきり、破裂を待っている状態だ。
円高が日本経済を苦しめているという議論がある。この議論については賛成も反対もある。円が高ければ輸入する側には得であるし、円が安ければ輸出する側には損である。外的要因により、円が実際以上に買い被られ過ぎなのではないか、という意見もある。私は円キャリートレードの巻き返しの自業自得と見ているのだが、その議論はどうでも良い。もし為替がファンダメンタルからかけ離れているとすれば、鞘取り機会があり、ほくそ笑んでいる業界がある。その一方で競争力を失っている業界があるのもまた真実だ。ただ、昨今の金融工学を駆使すれば、それらをヘッジする事も可能であるのだが。
上の意見を踏まえて、一部の業界を潤すために円安に誘導したいという考え方がある。為替を操作して、円安に誘導することは容易い。或いは、やろうと思えば、明日から固定相場にすることもできるだろう。ただ、意味がないのでやらない。為替相場は一過性のものなので、そのうちあるべき場所に返ると考えられている。国際金融のトリレンマという考え方があり、為替の安定、独立した金融政策、自由な資本移動のうち、二つのものしか達成できない。普通の国家では、為替を自由にしている。しかし為替を操作したいとなれば、自由な資本移動は犠牲に出来ないので、独立した金融政策を放棄せざるをえなくなるのだ。
ただ日銀の独立性を保たないのは危険性を孕む。政治家の仕事は配分である。よって、自分を支持する人間にお金を配りたい欲望に駆られるものだ。日銀は政治家が暴走しないように目をきかせる仕事である。所謂日銀の独立性である。そういった規制機関を排除して、政治家のやりたい放題にしようというのが、安倍氏の政策である。政治家の多くが、安倍氏の意見に賛同するのは、本音なのだと思う。小うるさい厳しい先生がいなくなれば、普通の子供は喜ぶものだ。
長くなったので一度切る。今回は日本の現状認識と言うことで記事を書いた。次回では、安倍のリフレ政策で、具体的に何が起きるのかを考える。最終章では、嘘と本当を検証する。
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