4/14/2011

日本病を治すため、被災地復興案は公募しなければならない

日本は誰のものか、という命題がある。人文系の日本人の知り合いができて、馬鹿らしい話に巻き込まれることがある。日の丸は悪いだの、国民全体が売国奴になっているだのと言った概念的な話だ。文学を齧っている暇な人の相手はしたくないので、話にすら乗らない事にしている。日の丸が悪い云々言っている頭のイカれている共産主義者(あくまでも比喩的な意味で)は、自分が歴史を含めて国全体を所有(共産)していると勝手に考えている。そういう意味で、この連中は共産的な全体主義者である。一方、愛国だ売国だといっている回顧的な権威主義者は(これも比喩的な意味)、国家が国民全体を所有していると勝手に考えている。これら二つのグループは、違う軸上にいるというだけで、結局は全体主義者である。このあたりの話は既に書いているので、今更繰り返したくない。何故この話と、復興の話が関係あるのかは本文に譲る。

地震から一ヶ月以上が経過して、いよいよ復興の話が上がってきた。菅総理は自分のトモダチ連中を中心に声をかけて、委員会を作ってそこで復興案を決めようという事だ。その復興委員会が、福島の原発の問題を入れるか入れないかで揉めているというニュースを読んだ。ちょっと待って欲しい。こんなのでいいのだろうか?微妙な面々も含まれているこの得体の知れない委員会が、何を思い上がって日本の未来を描くのか?菅さんにしても、素人の癖に街づくりの話にクビを突っ込むと痛い目にあうと思う。未来の街を、国が計画して国民に示すことをリーダーシップとは言わない。

一方で自民党や民主党の一部の政治家連中は、利権の香りが満ちている「復興」に関わりたくて仕方ない。こんなに美味しい話はそう滅多に無いからだ。菅総理主導では何をされるか解らないので、良く解っている気心の知れた連中に政権をとってもらいたいと思っている。そして、官僚が主導になって復興案をまとめれば、今までの手法で簡単に利権作りが出来るのだ。鬱陶しいが、これが日本の政治家達の真相だ。そのような官僚主導の復興となれば、それは旧田中派的な、「大きな政府」を中心とした復興となる。勿論これだけの災害から復興しようと思えば、効率性を鑑みた際に政府が多少大きくなる事は仕方ない。ただ官僚主導の復興は、日本の未来志向という意味で禍根を残すことになると思う。

今回の地震や津波についての復興にあたっては、多くの国民が色々な意見を持っており、自分達の力を少しでも貸せたならば、と考えている筈だ。直接力を貸せた人達もいる。ある者は自衛隊員・消防員・警察・海保員として、ある者は実際にボランティアとして現地に赴き瓦礫除去の作業に当たり、ある者は避難所にて献身し、ある者は放射能の脅威に晒されながらも福島原発で未だに作業をしている。しかしその他大勢の被災していない国民は、テレビの前で繰り広げられる光景にヤキモキしながらも、僅かながらの募金をしたとはいうものの、歯軋りをしながら日常を送らなければいけない。しかし、それら多くの人は何か貢献したいという気持ちを持っている。そして自分達の無力さに絶望しながらも、日常に耐えているのだろう。

恐らく菅総理もそんな一員だと個人的に考えている。菅さんや民主党の連中は、当初自分達の力で色々な事を解決できると考えていた節があるが、結局人間や社会の出来ることには限界があるという事を思い知らされる結果となった。菅総理の大罪は、限界をきちんと把握していなかったことにあったと思う。そのことについては改めて書くことにする。

私の意見では、復興案は公募するべきだと思う。家、市場、学校、街、交通インフラ、技術、産業、農業、漁業、林業、環境。そういった項目ごとに分けて、被災した地域ごとに、全国から色々な案を公募するべきだと思う。全国どころか、全世界からでも良い。学や技術を究め、何かに貢献したいと考えている人達が日本中、そして世界中にいる。そういった多くの人達は日本の閉鎖的な社会の外にいる場合もある。そういった世界中の知恵を集める。そしてその人達に意見を発表する。公募案で一定の水準に達したものはすべて公開し、その地域に今後住む若い人達に復興案を選ばせる。優秀な案を提示した人達は、復興委員として復興に従事し、専門家同士のチームを作らせる。私達の社会には専門家同士のチームが必要なのだ。そして、各地域同士で、それらの専門家同士を競わせれば良い。官僚や政治家の仕事は、選ばれた案を国民の意思だと理解し、法律的に可能にするようなサポートに徹してもらう。

何故復興案を公募にする必要があるのか?何故官僚と委員会が適当に復興案を纏めてはいけないのか?日本は長い間、上から下へ上意下達の社会を作り上げてきた。だが、そういった社会と人々との位置関係が希薄になり、個人と社会がどのように結ばれているのかさえ解らない状態になっており、それこそが「日本病」の源泉だと考えている。待っていれば誰かがやってくれるのだ、と。そして一個人は何も出来ないのだ、と。

復興案の公募を通して、日本や世界中に散らばっている専門知識を有した「知」が日本の未来に貢献しているという実感を持つ事が出来ると思う。そしてそれらの専門家にチームプレイの大切さを憶えて貰おう。そして日本の未来は誰のためにあり、日本という国がどうあるべきなのか?それをサポートする統治機構がどのようになるべきなのか?そういった根本的な疑問に対して多くの人が考える機会を持つことが出来るかもしれない。国土、街、人、自然。それらと自分達の専門性を繋ぎ、「社会」とは「個人」にとって何なのかという、今まで避け続けていた問いかけへの答えに光が見えてくると考える。私達は国に所有されている訳でもない。かと言って国を所有しているものでもない。未来の日本と社会、そして私達個人。未来の明るい日本を皆で作りたいし、それに貢献していると感じたい。バブル後の日本が患ったしらけムードが蔓延する日本病を治すいい機会ではないか?

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