3/29/2011

理系VS文系、保守VS革新、政官財癒着のゴキブリ達

*この文章は地震が起こった日(3月10日西海岸時間)に書いており、発表が遅れました。ただ、この文章で述べた問題点が地震の後に白日の下に晒されている現状で、記事をお蔵入りにせずに、発表することになりました。

断っておくが、先の記事(人文学の話)は人文学系の人を差別しているのではなく、科学的な見地の無いくせに教養を前面に出す人文学系の人を批判しているのである。全ての人が教養を学ぶべきだ。しかし実証可能な科学的見地を学ばずに、教養だけを振りかざすことは、それはまるで、銃を持ってる人が大勢いる中に日本刀を持って戦いに挑んでいるようなものだと思う。少しだけ本を齧れば、教養があるように感じて、インテリのふりが出来る。その辺に大勢いる、他人の批判だけをして理想論だけを言う人のことである。或いは、社会を何も変える事ができない解釈論のみに固執する人である。そしてそういう人を教養がある人と看做す風潮がある。そういう社会だからこそ、マイケル・サンデルの講義番組が社会的に過大に評価されたりするのであろう(少人数で行われるという前提で、リベラルアーツ系の大学授業としては卓越している)。人文学者になってサンスクリッド語を学んで歴史の研究をするのであれば、ジャヴァ言語を学んで面白いアプリでも作ったほうが間違いなく世の為となろう。

さて今回は続きと言えば続きになるのだが、右と左について考えたいと思う。自分の言動を見つめ直すと、私は単なるリバタリアンなのかも知れない。それはどうでも良い。私が分析したいのは、いかに「右」と「左」がぼやけているのかということだ。日本ではそれらを代表する政党が無い。左右のぼやけがどのような負の外部性を生み出し、そして、それに対してどのような解決策がありえるのか、という事だ。

日本の大衆の間では戦後一貫、「左」は社会主義や共産主義者、「右」は暴力団の隠れ蓑である右翼団体、そしてその他は「中道」として捉えられていたと思う。あまりにもいい加減な定義であるが、玉石混交の自由民主党が反共産主義という名目だけを繰り返して、政権を長々と担ってきたことからも、私が言っている事は理解してもらえると思う。自民政権の中でも、中道左派と右派が混在しているように報じられている。いわゆる「鳩」対「鷹」である。所謂「左」対「右」という考え方は、ソ連が崩壊して、中国が拝金主義化し始めた20年前に死んだ。昔話をしても仕方ないので、最近の動向だけを見てみよう。

正規な手続きを踏まないまま森が首相に任命された為に、日本の権力は田中派(鳩派)から岸派(鷹派)に移った。小泉純一郎が首相になり、田中派の残党を蹴散らせた為に、岸派の権力基盤は磐石かに見えた。経済的には、鳩派が大きな政府を目指す傾向があるのに対して、鷹派は小さな政府を目指す傾向が強い。小泉はその軸の上で戦ったから、国民から支持されたと思っている。しかし日本の鷹派は権威主義的な事を言う人も多い。要するに、日本と言う国が素晴らしいという事を過度に強調して人気を得ようとする訳である。小泉の後を継いだ安倍政権は、経済事象が解らない為か、イデオロギーに主軸を移し、「美しい国」などと言ったどうでもいい標語を掲げた。「日本の素晴らしさ」は強調するものではなく、自覚するものであると思う。そんな事を国の目標にして強調すれば、周囲といざこざが起こるのは目に見えている。何故なら、その主張を通すためには、やくざ相手に「日本が素晴らしい」と飲まさせなければならないからである。普通ならこの手の勘違いはすぐに窘められる筈であったのだが、思わぬ神風が吹く。それは本物のヤクザ国家、北朝鮮である。北朝鮮の脅威故に、多くの人々は権威主義を支持してしまった。それが所謂「日本の右傾化」であろう。ただ、安倍は経済を疎かにして自滅してしまった。そして空虚な何にもならないイデオロギーだけが残った上に、ゴキブリ(利権集団)が復活して大攻勢をかけた。

ゴキブリ処理能力に疑問を投げかけられた自民党は大敗する。そして民主党が政権を担う事になった。民主党が期待されていた事は徹底的にゴキブリを殺すことであったと思う。しかし誰も期待していないのに、「大きな政府」を協調するようになった。しかも、どうでもいいアジアと仲良くするとかいう幼稚園児並みのイデオロギーが幅を利かせる。それは個人がすればいいことであって、国が音頭をとるものではない。喜んだのは自民党だ。それを手に取り民主党が「左派」であると騒ぎ立てる。確かに民主党の中には所謂昔からの左派もいるだろうが、かなり的外れだ。何故なら、民主党に主義主張は無く、ただの能無し集団であるからだ。元々は、ばら撒き「左派」という事だったのだが、「左派=売国」といったレッテルを張るようになる。民主党はその無能力さと玉石混交の無理な枠組みの中で内部抗争が起きるのだが、右派の権威主義者がそれを利用して、社会の底辺で苦しんでいる連中を喚起して排他主義的で権威昂揚を目的としたような「右」が社会に認識されるようになる。戦前崇拝のようなおかしな風潮すら見え隠れする。

日本の政治も、ノーランが言うように、個人の自由が高い・低い、そして経済の自由が高い・低いで4分割にすれば解りやすくなり、無駄なイデオロギー論争をせずに済むようになると思う。1)個人の自由は高く、自由度の低い経済を目指す左翼(旧田中派)。2)個人の自由は高く、自由度の高い経済を目指すリバタリアン(みんなの党)。3)個人の自由は低く、自由度の高い経済を目指す右翼(自民党岸派)4)個人の自由は低く、自由度の低い経済を目指す全体主義(共産党)。政治を解りやすくする為に、4つの党だけを残して、その他のつまらない党(民主党を含む)は全部消滅させればいいと思う。「立ちあ枯れ日本」とか、「池田大作党」とか、「鳩山弟新党」とか、「ポピュリズム減税日本」とかいらない。

しかし、いまさら日本の政治に何を期待したところで無駄なので、サンデル教授の番組でも見ていたほうが有意義なのかもしれない。政治家が悪かったのではなくて、その程度の政治家しか育てれなかった民主主義社会日本が悪いのである。余りにもあからさまな政官財暴警の癒着に目を閉じていた去勢された国民が悪かったのである。

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