5/10/2020

コロナ20:オンライン授業の導入にあたっての経験者の提言


私は長い間、アメリカの州立大学のオンライン授業を担当していた。大学がオンライン授業を推し進めた理由は、利益を最大化するという不埒な理由であった。州の予算が減っていく環境の中で、なるべく多くの生徒から授業料をふんだくり、なるべく安いコストで授業をしようという訳だ。有名どころの教授は研究や予算獲得に集中できる。

長い間、オンライン授業を担当する中で気づいたことがあるのでここにオンライン授業導入の提言として書き留めておく。テレビの討論番組を見ているのだが、政治家の意見は現場を理解していない浅はかなものであるし、現場の先生の意見は何も理解していない素人の意見であり、正直やきもきしている。結論から言うと、オンライン授業を上手く進めるコツは、オンライン授業や授業の資料といったものに時間を使わず、それ以外のサポートをいかに生徒の要求に合わせて充実させるかということに尽きるのだ。

    教科書、授業のビデオ、宿題、テストに関しては、極端な言い方をすると一番良いものを国で一つあれば十分であるのだ。現場の先生がこういったものを敢えて作る必要はない。公立の先生がユーチューブビデオに自分の授業をあげているようだが、時間の無駄である。NHK教育テレビとかのノウハウで、一番良い先生を呼んでデジタル技術を駆使して完璧な授業ビデオを作るべきだと思う。公立の普通の先生が何をしようと、そういったビデオには画質でも音声でも太刀打ちできない。先生がビデオ授業などで冗談を入れたりすると、かなり痛い内容のものに仕上がってしまう。無駄な努力を各クラスの先生に押し付けず、NHK、文科省、総務省、有名塾くらいが連携を組んで、とっととスタンダードビデオを各学年一つずつ作るべきだ。そして子供にはそれを見せてあげるべきである。そういう授業を双方向にする必要はない。コンピュータがない家庭があるとか言っているが、テレビがないような家庭はないので、NHK教育テレビなどで授業を流せば良い。地上波だけでもNHK4つほど同時に放送できるだろうし、高校の授業などは夕方にやればよい。文科省が国の一括のウェブサイトなどを作り、いつでも好きな時に勉強できるようにできる環境を整えることも大切だ。繰り返すが、これは各学校がやることではない。アメリカでは教科書会社がこのようなものを結構作って提供している。

    宿題を二日に一度くらい提出させる。一時間授業に対して二時間の宿題というのが適当な量だと私は信じている。宿題に関しては、各教員が作るのではなく、解答まできちんと丁寧に書かれたベネッセや公文などの既存のものを使う。宿題の質は学習量を作用するので、解きたくなるような本当に良い問題を用意する必要があるだろう。宿題を提出させてから、解答を個別に与えるなど、サボらせない工夫が必要。宿題進捗状況のチェックは先生たちの大切な仕事になる。ただ、これらはきっちりとデータベース化する必要がある。クラスメートが宿題をいつ提出したかどうかが見えるシステムにするのも、競争を煽るという視点で良いかも知れない。

    テストを二週間に一度くらい行う。子供はすぐにカンニングするので、理想的には一堂に皆を集めて学校で行うのが良い。が、コロナで自粛している状態であれば、家で筆記でテストをさせて、郵送するのも良いと思う。テストに関しても、既成のものを使えばよい。先生がわざわざ作るのは時間の無駄。テストの成績はきっちりと生徒に伝え、競争を煽る工夫は絶対に必要。

    オフィスアワーをきっちりと確保する。つまり、少数の生徒と教師の双方向での質疑コーナーという意味だ。理想的には、学童をオフィスアワー毎に登校させて、三密を避けるために少人数で入れ替えで短めのクラス形式の対面授業をきっちりとやるべきだと思う。クラスは実力別に分けるのか、多様性を求めるのか、シャッフルさせるべきかは、クラスごとに色々と実験されればよいと思う。登校が出来ないのであれば、オンラインでする。ズームなどでオフィスアワーをするつもりであれば、十人ずつくらいのクラスをいくつか作るべきである。

    テストの点数が低い人は、積極的に落第させる。遠隔授業をすれば絶対にサボる子供が二割くらい出現する。その人たちをどのように救うかというのは難しい。各教師ができる事なのかどうかは議論の余地がある。市レベルでの「不良」生徒救済プログラムを作る必要があるかもしれない。これを専門にするチームを作り、公立学校の先生の負担をさらに低くするべきであろう。オンライン環境にすると、悪い家庭環境の子供は絶対にサボって格差ができる。ただ、それを理由に効率的なオンライン授業の導入を潰し、8割の生徒の教育機会を奪うべきではない。

結論
大学の時の授業風景を思い出してほしい。やる気がある生徒同士が少人数集まり教授と討論するようなスタイルの授業で得られるものと、大講堂で半数の生徒が昼寝しながら聞いているクラスとでは、学べるものの質は全然違ったことだと思う。オンラインクラス様式がいつもの授業の完全な代替になることはない。オンライン授業が得意な事と不得意な事はハッキリしている。つまり、オンライン化して良くなることも一杯あるという事だ。平準化した教育を補足するような各教員の努力も必要になろう。市や県単位でのリーダーシップチームも必要になるし、NHK教育テレビやベネッセなどがそもそも国の予算を使って学習資料を作ってくれるのが大前提である。本当に良い教育というものは非常に金がかかるものだ。そういう意味でも、すべての児童に平等に最高の教育を提供することなどは不可能であり、そのような理想論を追求するべきではない。

もう一度繰り返すが、教師がそれぞれ授業を録画するようなオンライン授業は究極の無駄である。授業は国で一つ最高のビデオを作れば、それで事足りるわけだ。教育従事者の考え方をしっかりと変えた上で、このあたりの討論をしてほしい。今の学校の枠組みがオンライン授業をするためには小さすぎるという問題も出てくるだろう。区や市の学校が集まり、チームリーダーとティーチングスタッフという枠組みを作り、一学年ごとにプログラムを作るなどの対応が必要になると思う。オンライン授業が得意とするのは一括的な情報のデリバリーである事はハッキリとしている。そこで零れた生徒をいかに救うかが各教師の腕の見せ所になるだろう。私の経験ではオフィスアワーの充実が一つの答えであった。

生徒を学校に来校させるほど(真面目な)生徒の満足度はあがるだろう。一律に登校を止めさせるのではなく、どのように生徒を来校させるかという方向で物事を考える必要がある。クラス全員を一律で同じように扱うのは不可能だ。緊急時であればこそ、御家庭がきっちりしており、学校が必要ない人たちは、学校に来させないで良いと思う。逆に、家にコンピュータがない人は学校に集めればよいだけの話だ。何故しないのか、全く不明。

すべての生徒を平等に扱うというのは、誰にも教育をしないという非生産的な結論を生む。政治やコミュニティは、この状況下において、生徒に何を提供できるのかという事を真剣に考えるべきだ。オンライン授業の導入で出来ないことは一杯ある。それが理由でオンライン授業が良くないという理由にはならない。オンライン授業を導入して出来ないことは、コロナ問題が渦巻いている今は諦める。学校は勉強を教えるだけの場所でないというのはその通りだ。小学校低学年に(親が徹底的にサポートすることなしに)オンライン授業が無理だという事もその通りだと思う。しかし、オンライン授業の導入で、新米教師の下手な授業を聞かずに済むとすれば、生徒にとってそんなに素晴らしいことはない。ポジティブな方向で議論してほしい。何度も言うが、オンラインでは無理なことを如何にサポートするのかこそが各教員や各学校の腕の見せ所なのだ。そうでなければ、学校の教師は不要だという意見が出てくるだろう。

(しかしそもそも、学童の年齢がコロナで重症化するリスクは小さいのだから、生徒を学校に行かせて、何が問題なのでしょうか?或いは、軽井沢あたりに疎開させて生徒だけで二カ月ほど合宿させて、クオランティンをした後に夏休みに家に帰せばどうですか?おじいちゃんやおばあちゃんと同居している子供は、おじいちゃんやおばあちゃんをAPAホテルで隔離したらどうですか?欧米の川崎病とかも、統計的に見れば少ないケースをかなり誇張しています。)

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