食料を輸入するなどと言った議論をする際、すぐに安全保障の話を持ち出す輩がいる。食料の自給率を上げるのは、安全保障上当たり前だ、という訳だ。国内で食料を調達するのが多少高くついたとしても、安全を金で買っているだけであり、保護貿易は正当化されるべきだ、というのがもっともらしい議論となる。
しかし、食料は比較的容易に備蓄できる。そして仮に世界的な危機が発生し、食糧の輸入が滞るような事態になれば、私達は高級品の消費を止めるだろう。フランスからワインやフォアグラを輸入したり、メキシコからホンマグロを輸入たりは出来なくなる。その上で、国内で普段は利用されていないような食料資源を探し始めるだろう。しかし万が一、そういう事態に陥った時には、国内流通が確実に機能しなくなり、消費者に食料が届かなくなる。ただ、日本全体を平たく見た場合に、食料の絶対量が足りなくなって国民が餓死するような事態が起こる可能性は極めて低い。輸入が完全にストップして、不便を強いられたとしても、カロリー換算で一年ほどは軽く持つだろう。
仮に最悪の事態が発生したとしよう。食料が輸入できず、餓死者が出るような事態だ。私は断言できるが、その前にエネルギーが底を突いており、その時点で日本の社会は完全に終わってしまっている。エネルギーは食料と比べて備蓄が難しく、世界的な危機が発生した場合、日本は外国にエネルギー源の多くを頼っているわけであり、数日から数週間のうちに文化的な生活に終わりを告げなければならない。
1930年代から40年代の始めに、日本はそういう事態に巻き込まれたわけであり、結果的にそれがどのような事態になったのかは歴史に学んで欲しいと思う。
エネルギーと食料のどちらが優先事項かと問われれば、私はエネルギーであると断言できる。電気は生活の根幹を成すエネルギーである。福島第一の問題以降、感情的な意見や、菅直人の居直りなどで、エネルギー政策が揺れつつある。エネルギーポートフォリオを未来志向で見直す事は必要である。しかし、孫正義がしゃしゃり出てきたまでは良かったのだが、民主党が孫正義プランに全面的に乗りかかって不明瞭な予算をつけようとしたり、電力会社が原子力の重要性を誇示する為に関西地域にまで節電要請を出し始めたり、停めていてもどうせ危険な原発を定期点検後に再稼動させることを邪魔したり、非理性的な事態があちらこちらで起こっている。
エネルギー政策は国の競争力の根幹を成す問題である。そして、それは安全保障の問題に直結する。エネルギー問題を政治問題化することだけは避けて欲しい。感情論で語るほどエネルギー問題は軽くないのだ。感情論で語るのは、米の輸入とか、利権が絡まない殆どの国民にとってはどうでもいい事項のみにとどめておいて欲しい。
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