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10/27/2015

世界の食のレベルが高い都市、独断のトップ20 ランキング

* この記事では、食堂や屋台も含め「外食を食べられる場所」という意味で「レストラン」という言葉を使うので注意してほしい。

旅先での楽しみといえば、食事がどうしても上位に来る。食事の味はレストランによりけりであり、美味しいところも、イマイチのところもあるだろう。しかし、食事業界の競争が激しく、全体的にレストランのレベルが高い街というものがある。今回はそれを経験と主観に基づき、ランキングとしてみた。行った事がない街は入っていない。このリストには載っていないものの、裾野が広く美味しい料理が溢れている街をご存知であれば、是非とも教えて頂きたい。

20位 ニューヨーク
NYは何でもある。が、ほとんどのものが一歩届かない。食材にしても、調理技術にしても、少し足りないのだ。ただ、何でも揃っており、知ってさえいれば美味しいものにありつける。中華やイタリア料理。そのあたりに美味しいものが揃う。ラテン系、ユダヤ系などのストリートフードも悪くない。高いレストランは外れも多いが、悪くないのも多々ある。大都会で競争が激しいためか、全米の中では比較的安い食べ物が多いのもNYの特徴だ。ピッツアに関しては、店にもよるが、本場のイタリアよりも美味しいところもある。蛇足だが、ランキングに入れなかった北米の街で食事が悪くない場所として、ポートランドORやプロビデンスRIがあげられる。

19位 ブリュッセル
ブリュッセルの真ん中にはレストラン地区がある。パリに比べると値段は低めに設定されているが、工夫がとぼしい卒のないフレンチ風の料理が出てくる。ワッフルとかも有名だ。「美味しい」か、と問われれば、ちょっと難しいところである。

18位 北京
中国の都市として唯一のランク入り。上海や広州などと比べると、北京は比較的マシなものが揃っている。高級レストランはなかなかの店が多いが、普通の屋台などは、安全性の問題から躊躇することもあるので、本来であればランキング外にしても良い。

17位 トロント・バンクーバー(カナダ大都市)
バンクーバーでは香港や台湾からの移民が美味しい中華レストランを営業する。中華系経営のいんちき和食レストランも、それはそれで悪くない。トロントは人種の坩堝であり、移民一世が作る色々な国の料理が食べられる。ただ、どれも本場には遠く及ばず、「ワオ」という言葉を発する確率は少ない。国境の南に位置するアメリカの北部都市よりはずっと良い。

16位 東京
日本の事情を知らない外国人にアンケートをとると、東京は世界の5本の指に入るグルメタウンという事になっている。外国料理(イタリアン、フレンチ、中華)など、高級な店はなかなかである。が、普通一般のレストランに入ると、濃い味付けをしたハズレが意外に多い。濃い口醤油と鰹節の味で、料理が下品になっている。天ぷら、ラーメンや握り寿司などの、本来の意味での和食でないものが有名なことからも、他の日本の町に比べて料理の文化は浅はかであると結論付ける。良い食材は高級レストランにとられてしまい、庶民はお零れにしか預かれない。本当なら東京は10位以内でも良い(どう考えてもニューオーリンズよりは上だろう)が、東京のランクが低いのは、世間の認識とのギャップを強調したいという私のバイアスがかかっているためだ。

15位 シンガポール・ペナン(マレーシア)
トロピカルな食材と、南方系の華僑の腕が出くわして、とても美味しい中華料理が出来上がった。海南鶏飯、シンガポールフライドヌードルにチリクラブ。福建系や客家系の人たちが作り出した伝統が、ホーカーズであれ、高級レストランであれ、シンガポールの中華風料理に生きている。シンガポールのマレー系の料理はペナンに由来するものが多い。ただ、ジョージタウンに行って色々試したが、マレー風の料理を食べると、がっかりすることも多かった。

14位 モントリオール・ケベック(フレンチカナダ)
フランス文化の影響を受けたモントリオールは、やはり全体的にレベルの高いレストランが多い。ケベックシティーに行けばもっと美味しいものを食べられるという根強い意見もあるが、かなりの高位にランクさせる。

13位 メキシコ湾沿いのアメリカ南部
テキサスのバーベキューは牛を使う。ブリスケットのジューシーさは筆舌に尽くしがたい。フロリダ北部からアラバマ、ミシシッピ。フライドチキン、フライドオクラ、豆、グリーンズ、ナマズに生牡蠣。安い食材を上手に使う。アメリカ北部は食事が良くないが、南には古きよきアメリカが残っている。

12位 ボローニャ(北イタリア)
イタリア料理を食べて文句を言う人はいない。万人受けする味であり、外れは極端に少ない。北は肉類や乳製品を南よりも多用する傾向にあり、私の中では後述の南には勝てない。私が訪れた中ではボローニャがかなりレベルが高かった。どの料理にも安っぽい赤ワインが合うのだ。ワイン的にはピエモンテやトスカーナに決まっている。

11位 バルセロナ(地中海沿いの「スペイン」の街)
スペインの料理は美味しい。バルセロナはカタローニャでありスペインではないのだろうが、私にとっては美味しければ何でも良い。ワイン、海鮮、ハム類、野菜。どれをとっても新鮮であり、町全体の食に対する情熱は賞賛に値する。値段も安い。タパスで小腹を膨らませるというのが正しい地球の歩き方だろう。

10位 ニューオーリンズ
アメリカにあり、アメリカらしからぬ街、ニューオーリンズ。フランス人の植民地として栄えただけあって、食は素晴らしい。ニューオーリンズで給されるのはケイジャン料理やクレオール料理であり、一般的な南部料理とは全く違う。ガンボ、エトフェ、ザリガニなどなど。スパイスの効き方といい、ケイジャンの食事は何度食べても飽きない。ジャズを聴いて、ケイジャンを食べて、通りでダイキリーを飲む。最高だ。

9位 ソウル
ソウルは美味しい。屋台とかでも、安っぽくて味の濃い料理は、まあまあ美味しい。上品なのもそこそこあるし、はずれも少ない。ああいうのが好きな人も多いだろうが、個人的にはベスト5入りはしない。

8位 サイゴン
フォーとかバンミーとかゴイクンが頭に浮かぶが、ベトナム料理は素晴らしい。他の国ほど辛いものを使わないが、きっちりと出汁をとり、新鮮なものにこだわる。やはり、フランス人の影響なのか、イーストミーツウェスト的な料理も多い。トロピカルなハーブ系の使い方も上手い。ホーチミンシティーもよいが、北のハノイの方が食事が美味しいという人も多い。

7位 サンセバスチャン
スペインのグルメ都市として、サンセバスチャンの名前はかなり知られるようになった。タパスを食べ歩き、飲み歩くのは、ある種感動を覚える。サンセバスチャンはグルメの町として豪勢な食事を用意しお金を課すようになったが、スペインの他の町では、ドリンクさえ注文すればいまだにタパスは食べ放題のところも多い。

6位 南イタリア
イタリア料理が嫌いな人がいるだろうか?そして、海の幸をある程度使ってもらうと、ランキングが自ずと高くなる。甘いトマトソース、モッツアレラ、豚のモツ。海の幸をふんだんに使うフルーティディマーレ。ローマとかでさえも、美味しいものには事欠かないが、ナポリとかだけでなく、さらに南に行けばもっと美味しい。ローマがあるラッツイオ周辺は山の起伏がなくて、ワインは全然ダメ。唯一飲めるのはフラスカーティの白くらい。全般的に南は赤ワインは全然駄目。白中心で。料理も白と合うのを頼もう。

5位 バンコク
パッタイ、クッティオ、カオマンガーイ、ソムタム。言うまでもなく、タイの屋台料理もレベルが高い。生牡蠣とか蟹カレーだとか、タイ風にすれば何でも美味しい。北に行って、もち米を多用したり、昆虫を使ったような料理も出てくるが、あれはあれで旨い。食材豊富なタイは、屋台でもレストランでも、なんでも美味しい。ハズレを引くほうが難しい。

4位 パリ
万人受けするイタリア料理よりも、フレンチを食べるほうが心が躍る。料理にイノベーションが垣間見え、あっと驚かせてくれるのだから、楽しくて仕方ない。パリのサンドミニクあたりは世界の五本の指に入る優良ランチ地域である。フランスはレストランの裾野が広いので、加工食品が発達している。フォアグラのテリーヌとか、サラミのセットなどは、おそらく工場で作ってレストランに支給しているためか、どこに行ってもそれなりに美味しい。ただ、日本人の中には、ある種類のフレンチ料理が重すぎたり、チーズっぽかったり、味気がなかったりするようだ。言い方を変えると、ハズレの店に結構出くわしてしまうのがフランスの難点である。リヨンがパリよりもずっと美味しいという話を聞くが、行ったことがないので解らない。

3位 台南・台北
台湾では何を食べても美味しい。屋台やその辺のレストランは、美味しいだけでなく、安い。陽春麺に黒白切をつけてみる。魯肉飯や台南油飯とスープを掻きこむ。夜市でジャンクフードを漁る。最高である。ただ、異国料理や高級店には外れも多い。台湾でイタリア料理や日本料理を試してみるとよい。がっかりすること間違いなしである。台湾では、安い地元のものの方がずーっと美味しい。台北101とかQスクエアの小奇麗な店は、大概イマイチだ。マーケティングに長ける鼎泰豊で一食無駄にしないで欲しい。MRTに乗って、台北市よりも南(永和・中和)や西(三重・板橋)で降りて、色々なものをトライして欲しい。驚くほどの掘り出し物にありつけるだろう。余談だが、台南の方が台北よりもさらに食を理解しているなぁ、と私は思っている。

2位 香港
香港は誰もが知るグルメタウンだ。飲茶、屋台の味、デザート類、朝ごはんの御粥に本格海鮮料理。何をとっても美味しいし、外れを引くことなど、先ず考えられない。さらに、英国の植民地であった香港では異国料理のレベルも高い。訳の解らない変わったレストランに入っても、台北のように外れを引くことはない。日本料理なども値段は別として、かなりまともなものが数多く存在する。

1位 大阪市
世界一のグルメタウン、それは大阪で間違いないと思う。私は大阪出身でバイアスがかかっているとか、そういう事ではない。大阪の食の文化と情熱が、他の都市と比べて抜きん出ているのである。市場に行ってみるとよい。食材の新鮮さが見て取れると思う。あまり物事を知らない人に「大阪はお好み焼きとか、たこ焼きとか、うどんとか、串カツとか、美味しいものが色々あって良いね」と言われる事がある。私は鼻で嗤って、あえて反論しない。知らん人は知らんでいいのだが、大阪の食文化の懐の深さは、そういう所にあるのではない。大阪には本物の日本料理を育てた下地があり、その技術や知識が、他の料理にも波及しているのだ。だから、和洋ジャンクを問わず、どのレスランを訪れても、ハズレにあたらない。世の中には「お得な料理」と「美味しい料理」があるが、大阪では「お得で美味しく一段上の料理」が気軽に食べられる。「ケバい調味料」をなるべく使わない、昆布でとった出汁を活かした上品な和食。瀬戸内で取れる新鮮な海の幸。ここ数十年は、東京でも大阪の味を食べられるようになっているが、人気の和食店は結局「関西系」だ。本物を知りたい人は一週間くらい大阪に滞在され、色々な店や市場など、特に市内中心部の割烹を回られることをお勧めする。

ただし、京都は入れていない。京都の和食は、上品さは光っているものの、無理やり京野菜とか鱧とか湯葉とかを使って、伝統を守り抜き独自色を出そうとし過ぎて敷居が高い。湯豆腐とかお茶漬けとか、形にこだわり過ぎている嫌いがある。世界には美味しいものが色々あるのだから、そういったものを積極的に用いれば良いではないか?大阪はうまいもんを提供しようと、よき伝統と革新が混じった素晴らしい食文化を持つ。牛フィレが美味しいのなら、それをカツにして和食として出せば良い。そういう大阪気質が好きなのだ。中途半端にお客さんの財布が緩い神戸は外れが多い。やはり、けちんぼが多く、競争が激しい大阪市内が抜けている。寿司、天婦羅、ラーメン、蕎麦。そういうものを和食と思っている外国人観光客は東京だけ観光しておけばよい。

旅先では、ハズレのレストランにあたる事が多く、結構がっかりさせられる。今後はハズレの話も書いていこうと思う。ただ、インターネット環境が整いすぎて、最近では狙ったレストランに皆行くので、ハズレることが少なくなっているようだ。そして、フランチャイズ店の進出で、不味くない店が増えてきた。だが、旅の醍醐味は、その辺の訳のわからない店にふらっと入って、その土地の文化と味を味わうことにあると私は信じている。このランキングは、ふらっと入った普通の店に感動させられる確率、と考えて欲しい。絶対的に美味しいレストランが存在するかどうかではない。

食のレベルが高い都市というのは、歴史、食産業の裾野の広さ、そして消費者の嗜好によって決められている。歴史的に食を愛し、新鮮な物を消費者に届ける物流を発達させ、食に五月蠅い消費者が不適なものを駆逐する。そういう皆の努力が、食に対する魅力的な都市を作り上げているのである。

7/02/2015

百田尚樹を叩くマスメディア

私は百田さんが好きである。というのも、百田さんは小さい頃から親しみがあるからだ。関西で育った私は、漫才師が司会をする夕方のお笑い番組をよく見ていたが、ちょこちょこ放送作家の百田さんが出てきて漫才師と絡むのが面白かった。例えば、トミーズが司会をしていた「うぉんてっど!」というABCの番組が好きだった。雨上がり決死隊とか、バッファロー吾郎とか、ベイブルースとかが出ていたのだが、そういった吉本の若手漫才師(当時)に放送作家の百田さんが絡むのだ。私の中では、おもろい禿のおっさん、というイメージしかなかった。百田さんが探偵ナイトスクープの構成を担当していた事も、皆が知るところだろう。百田さんは吉本の漫才師を束ねる台本書きなのである。そして関西人は皆、百田さんの書いた台本に笑い、日常を送って来たのだ。

その百田さんが「永遠の0」を執筆し、売れっ子作家になる。そして、今では右翼コメンテーターの様なポジションになっている。私の中では、百田さんは未だに大阪出身の「禿のおもろいおっさん」であり、庶民の考える普通の意見を歯に衣を着せずに発言しているだけにしか見えない。そして、それこそが放送作家時代に百田氏が磨いた演出力であり、何を言えば聴衆が食いつくかを熟知しているのだと思う。

マスコミにすれば、「放送作家の百田さん、ごちそうさん」という事になり、百田さんの発言に尾ひれがつく。それに対して熱くなっている一部の視聴者は、所詮はマスコミの掌の上で踊る「アホウな国民」なのだろうし、百田氏を政治討論会とかの真剣なイベントに呼ぶ自民党の先生たちは、「本当の馬鹿」なのだろう。

私は百田さんの芸風が大好きだし、今後も応援したい。

5/17/2015

投票には行けず:私のせいで大阪市は潰れず、橋下市長は辞めざるを得なくなった

ある程度の知能があって、公的な物からの利権を享受しておらず、関西や大阪の未来を案じている人であれば、橋下市長の大阪市解体論に賛成だったと思う。

私も激しく賛成である。が、結果は大阪市解体はならなかった。はっきり言って、残念である。

シルバーデモクラシーであるとか、若者が投票に行かなかったとか、言われており、私も憤慨した。大阪市の若者は何を考えているのだ、と。

ちょっと待てよ。実は私も、そんな投票に行っていない若者の一人である。現在シアトルに住んでいるのだが、住民票は大阪市にある。大阪市民として投票の権利があり、実家に投票の案内が届いている筈だ。で、大阪市解体に激しく賛成する私は、シアトルにおり、大阪で行われた投票には行けなかった。残念である。

20代から40代くらいの人は、仕事や人生設計の関係で、移出や移入が激しい。逆に、年寄りになると腰を落ち着けるものだ。大阪市の様な都会であれば、特にその傾向は激しいだろう。大阪市の若者のうち投票権を持つ人で、実際に大阪市内に住んでいない人たちはどの程度いるのだろうか?逆に、最近大阪市に引っ越して来ており、大阪市の事などどうでも良いと考えているので投票に行かなかった人はどの程度いるのだろうか?

私は3月に東京に出張した。新橋駅界隈の居酒屋で、久々に集まった高校のクラスメートたちと、橋下大阪都構想について話す。皆、大阪市で生まれ育って、現在は東京で働いている連中だ。大阪の、そして関西の未来を憂いている。全員、大阪市の解体に賛成であり、激しく熱い思いを持っていた。「大阪がちゃんと頑張ったら、俺らは大阪で暮らせたのに」と。

私はホームシックっぽい気持ちになる時は、いつもこんな事を考える。大阪の景気が良ければ、暮らしやすいとはいえシアトルなどに来る必要もなかった。私は、自分が生まれ育った大阪で、大阪弁を使って、商売をしたかった。親の商売を継ぎたかった。社長とか呼ばれて、新地で遊びたかった。そんな未来予想図は実現しなかった。今は、アメリカの税金で食わしてもらい、母国語でもないものを使って生活している。俺はいったい何をやっているんだ、と。

人間は、景気の悪い所から、良い所に流れる物なのだ。友人である大阪の子たちの多くは東京で定職を得た。大阪に残っている人は、医者と坊主とどうしょうもない子だけだ。「ちゃうわ!おまえ、あほちゃうか」少し酔って来て、汚い大阪弁で友人たちと、熱い討論を交す。友人たちも、仕事場や家庭で大阪弁を使えない鬱憤を晴らしているようだ。

「うちは大阪市解体しても北区のままや」「俺んとこは南区になんねんぞ。それでも大阪市はいらん」「俺が一番むかつくんわ、大阪市で暮らしたこともない連中がゴチャゴチャ言う事や。外野の癖に」「俺らも今は外野やんけ」横のテーブルに座っているサラリーマンも、大阪弁を喋っている。未来の無い関西という街から東京にやって来て、そして衰退する故郷を憂う。明日はデルタの166便で太平洋を越えなければならないので、酔い覚ましを兼ねて歩いてホテルまで戻る。

大阪市よ、若者の未来のために、そして大阪を出た私たちの為に、是非とも潰れてくれ。そして、私たちを呼び戻し、自分たちの言葉で自由に会話をさせてくれ。深夜の新橋で鐘の音を聞く。みおつくしの鐘の音か?そんなわけもない。右手に霞ヶ関の官僚街とその奥に皇居が見える。故郷の大阪にも帰らずに、アメリカから東京だけに寄った出張。世界最大の街、東京の真ん中で深夜に思いを巡らせる。私は大阪出身の大阪の子である。大阪よ、大阪よ。おまえは俺らに何をしてくれるねん、と。そして、俺はおまえに何をしてあげられるねん、と。

5/15/2015

周りで大阪市を廃止する事に反対する人に会った事もない

グリズリーズのトニー・アランがふくらはぎ痛の影響で明らかに動けなかった。メンフィスはGSを破る事ができるチームと思っていただけに、非常に残念だ。

さて、大阪都構想だが、大阪市民である父親と喋った。父親によると、「周りで大阪市の廃止(都構想)に反対している人なんか一人もおらんよ」という事だった。それでは何故世論調査で半数以上の人が都構想に反対なのか?

「貧乏な区で生活保護を貰っている人は皆反対違うか?」という事だった。西成区とか、平野区とか、住吉区とか、生野区で、生活保護を貰う老人は、「大阪市が廃止されたら生活保護を減らされるよ」などと脅されているらしい。逆に、旧大坂三郷に住んでいる人で大阪市の廃止に反対している人などいないのではないか?

世論調査だが、昼間に行っているので反対が多いという説もある。昼間は定職に就かない生活保護者に電話がつながる。夜に電話をして、所得の高い人達の話も聞けば結果は全然違うのではないだろうか?

大阪都構想に反対する意味不明な人たち

グリズリーズもクリッパーズもダラダラしていて、私が嫌いな入れるだけのバスケを見せられて、結構イラついている。今日はバスケの話はしない。しかし、グリズリーズは四人が息ぴったりなので、トニーアランが欠けては先ず勝てなくなる。アランの代わりを務めた元ソニックスのジェフ・グリーンは何?そしてビンス・カーターのあれは何?ディフェンスは駄目、攻撃も入らず。ふざけてるの?

ところで、大阪都構想だが、一体誰が反対するの?大阪市の職員とか、大阪市のコントラクトをしている業者が、自分の保身で反対するのは理解する。が、他の人たちが大阪市を潰さないという理由が解らない。大阪市がどれだけ無駄の固まりかくらい、実際に住んでいれば気付くと思うのだ。

私は大阪市で生まれ育った人間として、関西の中心地としての「大阪」を愛している。だからこそ、「大阪」の復活のためにも、「大阪」の癌である大阪市を完全に潰して欲しいと思っている。通勤途中に頭の中で小学校時代に歌わさせられた大阪市歌がむなしく鳴り響く。


高津宮の昔より、世々の栄を重ね来て、民のかまどに立つ煙、
にぎわいまさる大阪市、にぎわいまさる大阪市
なにわの春の朝ぼらけ、生気巷にみなぎりて、もの皆動く生業の
力ぞ強き大阪市、力ぞ強き大阪市
東洋一の商工地、咲くやこの花さきがけて、よもに香りを送るべき
務めぞ重き大阪市 務めぞ重き大阪市


大阪の衰退が始まってから、すでに時は久しい。現状維持は地獄へのフリーフォールである。たぶん無理だとは思うが、大阪市を潰す事は、大阪が復活するチャンスにはなり得ると思うのだ。私は大阪が大大阪と呼ばれた空気の汚かった時代を知らない。衰退激しい今の大阪を見るのは嫌なのだ。

2/15/2015

串カツは大阪名物?そんなアホな!

東京に滞在していると、大阪名物と宣伝している串カツ屋を何件も目にした。

私は大阪市の出身だが、子供の時に串カツを食べた記憶などない。高校くらいになって、怖いもん見たさにあいりん地区や新世界を「旅行」し、友達に押し切られて串カツ屋に入った事が一回だけある。揚げもんの油っぽさと、具の安っぽさと、釜ヶ崎地区のイメージ的な問題も手伝って、正直「気持ち悪い」感じがした。揚げモンは何を食べても大体同じような味なのだが、予想通りの味だった。店から出たら、油っこさで、やはり気持ち悪くなった。それ以来、私は串カツ屋で串カツを食べた事がない。

私は東南アジアの貧困者が住む街など、色々な所を訪れ、それぞれの場所で色々なものを食べている。美味しい物もあれば、不味い物もある。ただ、大阪の釜ヶ崎地域や新世界などには、足を踏み入れる気にもならない。物理的、生理学的な理由と言うよりは、心理的な蔑視感の為であると思われる。大阪に育った人間として、色々な物を刷り込まれてしまったのだ。そういう感情はなくすべきだと思うが、これだけはどうにもならない。説明できないが生理的に気持ち悪いのだ。これを差別的だというのであれば、私はそのレッテルを受け入れよう。

串カツは新世界名物のキワモノ料理であって、大阪名物と言われる事に反感を覚える。母親が手を抜きたい土曜日の昼飯の定番である「お好み焼き」や、学校帰りにつまむ「たこ焼き」とはわけが違うと思う。串カツは、新世界に観光でやってきた人たちや、ギャンブルや大衆芸能に溺れたニコヨン、あるいは生活保護受給者の食べ物であり、大阪の庶民の味ではない。飛田本通り商店街で、ママチャリに乗った腹巻をしたおっさんが立ち食いをしに暖簾を潜り、安物の油のどうしようもない匂いが脳裏をよぎる。串カツは心理的に気持ち悪い料理であり、大阪出身の私は串カツを食べない。

高級串カツ店とか、ありえない。別に「てんぷら」や「一品の揚げモン」でええやんか。串カツだけ食べるのって、頭おかしい。大阪に旅行してわざわざ串カツ屋に行く人達は、情報弱者としか思えない。

1/09/2014

やしきたかじん

「やしきたかじん」が死んだ。私は大阪出身であり、幼少の頃より「たかじん」の番組をずっと見て来た。「晴れ時々たかじん」、「ナイトインナイト」、「たかじんnoバー」、「たかじん胸いっぱい」など、冠番組だけでもすぐに色々思いつく。口が悪くて、土曜日や深夜にしか出てこないのだが、二日に一回くらいはテレビで顔を見ざるを得なかった存在だ。たかじんが好きか嫌いかというよりも、たかじんは醤油のような物であり、醤油なしに食べ物が進まないような、そんな存在であった。「ざこば」とかも面白いのだが、「たかじん」なしでは光らない。

たかじん死去のニュースを見て、全く感想が湧かなかった。何故か「たかじん死去」のニュースを読む気にならない。「たかじん」が生前どんな人物であったかなど、今更読みたくないのだ。ただ、ただ、冥福をお祈りする。大阪の醤油のような存在が消えてしまった。ただ、虚しい。

12/25/2011

人の批判する前に勉強しろ

現状に満足している人など、高尚な宗教でもして悟りに達している場合などを除き、ほぼあり得ない。人間は無い物を強請り、より満たされた生活を目指そうと潜在的に考える。我々の生活の質は40年前よりも確実に良くなっている。だが、多くの人が不満を口にし、そして現状を嘆く。それは極自然な人間の欲求であるのだ。

世の中の多くの人は、一銭でも多く貰いたい。少しでも沢山の権利を有したい。自分が関わっている物事が少しでも有利になるようなルールを欲する。この現実を無視すると、ユートピア論を唱えることになる。

不満を代弁することが政治家の仕事であると信じているお気楽な人達と出会うことがある。政治家自身や秘書などをしている連中に多いのだが、不満を代弁する自分自身に酔っている節がある。不満を持つ人達(声が大きい人達)の主張を繰り返し、現政権やシステムが悪いと結論付ける。そして、限られた予算をそれらの人達に付けようとする。

サンタクロースじゃないのだから、全ての子供たちに希望のプレゼントをあげる事など出来ない(友人の子供はWiiが欲しかったのですが、サンタクロースも不景気の煽りを受けてレゴのブロックだけ渡したそうです)。

政治家や政治家志望の人達の多くは、水商売(人気商売の意味)従事者であるので、まともに時間を割いて系統的に勉強していない人も数多くいる。古今東西世の常であるが、不勉強で意志の強い善人たちが社会を壊すものである。

不勉強な意志の強い人達が政治家になる事ほど危険なことは無い。八方美人が政治家になるほど恐ろしいことは無い。何故なら、政治家の仕事は、法律の制定と予算配分だからである。予算配分とは、予算額が限られている限り、誰かの予算を削って、誰かに予算を足すことである。予算額は税収プラス支出である。単純な引き算問題であり、予算額を増やそうと思えば、税収を上げるか、支出を減らすかしなければならないのである。

橋下が正直であるのは、支出を削減しなければならないと断言していることだ。野田が正直なのは、税収を上げなければならないと公言していることだ。小泉に筋が通っていたのは、支出を減らす事のみを語っていたからだ。

勿論、いかなる変化も勝者と敗者を作り出す。それについて不満が出るのは当たり前のことである。しかし、橋下の支出カットや野田の増税政策について批判している人達も大勢いる。詳細について侃侃諤諤する事は大いにすればよい。建設的な議論は社会発展に貢献するからだ。しかし、橋下や野田の大まかな方向性そのものを批判している人達がいる。そういった多くの人達は「過激すぎる」だの「貧乏人いじめ」だの、感情論に頼る。経済や公共政策に疎い人達には、何故か解らないが文学科系の人達が圧倒的に多い。そういった人達ほど、すぐに昔の偉人の本や言葉を引用したがり、さらに鬱陶しい。私は言いたい。いい加減にユートピアから現実世界に戻って来いと。小説やソフトイッシューの本を読まずに、一度くらいスプレッドシートを使って会計の計算練習でもしろ、と。文学系頭で議論がわからなければ社会人大学院にでも入学して、一から勉強し直せ!

Facebook上で友人の政治家志望の旧友がやたらと感情的な政治発言をする。そういう目立ちたがり発言に対して、何人もがマジレスを返している。Facebookは便所の落書きだと見做すようにしているのだが、あまりにも鬱陶しくなって、こういう書き込みをした。暇なのだったら、Facebookしないで経済学等の基礎の授業でも取れ!かくいう私も、暇だから匿名で結構本気に人の批判をしている訳だ。クリスマスでどこもかしこも閉まっていて、やる事が無いからだ、と言い訳します。

12/14/2011

寒くなって「おでん」とは違う「関東煮き」を食べたくなる

ホリデイシーズン入りしてしまい、年末も重なるとあって、かなり慌しい生活を送っている。しかも、今年はラニーニャの影響で雪が早くから降り始め、スキー場に頻繁に通っており、ブログ更新が怠っている。共和党の大統領候補者選び、ユーロ問題、アメリカ株が何故騰がるか、台湾選挙など、書きたいことが山ほどあるのだが、なかなか筆が進まない。

さて、閑話休題。寒い季節になって暖かいものが食べたくなった。何度もしつこいくらい書くが、味は個人の好き嫌い、異なった生活背景、その時の体の調子などが影響するため、「絶対的な美味しい物」はあり得ないという立場を私は取っている。蛇足だが、マクドナルドやコンビニの商品が安いだけではなく、多くの人々に受け入れられる理由は、リスクが最も少ない最小公約数の味を探しているからである。あれはあれで平均的に「美味しい」わけだ。エクスキュースはこの位にして、個人的な見解を書く。

関西と関東で食べ物はどちらが美味しいのか、と言われた場合、私は概ね関西の方が圧倒的にレベルが高い、と答えている。詳しくは書かないが、それは私が関西人であるというバイアスに由来するからだ。しかし関西と関東の食べ物を比べて、関東のほうが圧倒的に文化や歴史で優れており、懐が深いと考えられる食べ物も数多く存在する。ラーメン、握り寿司、そば、天婦羅。関西でこれらの物を食べるとがっかりする確率が高いが、関東では美味しい店にありつけるチャンスが高い。

今日のテーマは「関東煮き(かんとうだき)」である。最近はコンビニなどで売られている「おでん」がスタンダードになってしまい、薄い味の「おでん」が主流になっている。味の素と塩で煮たおでんのことだ。あれを関西風のおでんだと勘違いしている人が多いが、それは少し違う。関西で食べる「関東炊き」はかなり味の濃いギトギトした物であり、私はそういう「関東炊き」が大好きだ。

子供の頃食べた関東炊きは、「鯨のコロ」と牛スジ肉が必ず入っており、醤油も濃い口を使っており、鍋の底など見えなかった。場合によっては豚バラブロックなどが入っている事もあり、かなり濃厚な汁であった。近所の屋台や市場の店などで売られている関東煮きも(良く買い食いをした)、かなり濃厚な味である。そこに大根、蒟蒻、ゆで卵、揚げ豆腐、蛸、そして天ぷら(西日本では魚の練り物を天ぷらと呼ぶ。例えば牛蒡天など)類が入る訳である。関東煮きというのだから、関東風の濃い味なのだろうと考えていた。濃い味が染みこんだ関東煮きは冬の私の一番の好物であった。

店で売っている「おでん」の汁がうどんの出汁のように薄い事が気になっていた。冷凍食品やコンビニの影響だと思う。そして、最近では大阪界隈でも薄い汁のおでんを出す店が増えている。私は薄い汁のおでんがあまり好きではない。薄い汁のおでんでは和気藹々と寒い冬の食卓を楽しめない。味の薄いおでんを食べると、和風の高級店にスーツのまま行って、付け出しで出てくるがんもどきを食べているような気分になる。私はそういうおでんの食べ方は好きではない。コロや牛筋をガツガツ食べて、ゆで卵の黄身を濃いスープに溶かしてご飯と一緒に頬張りたいのだ。

中華圏でよく食べられている物だが、台湾の屋台では、滷味(ルーウェイ)というものが売られている。屋台に並んでいる材料を指定すると、店の人がその場で漢方臭のする黒いスープ(八角、桂皮、クローブなどが使われている)で茹でてくれる。揚げ豆腐、天ぷら、キノコ類、アスパラや三度豆、はたまたインスタントラーメンから鴨の血など、多岐に渡る食材から好きなものを選ぶわけだ。濃厚なスープに色々入れる。私は好きだ。

滷味(ルーウェイ)は実は魯味(ルーウェイ)であり、魯とは現在の山東省、あるいは古くの魯の国を指す物だという説もある。中国の東北部の寒い地域で体を温めるために食べられていた料理であると言うのだ。とすれば、濃厚な魯味(ルーウェイ)が日本が満州地域に進出した際に日本に輸入され、中国の「関東」地域の食べ物、つまり「関東煮き」として紹介されたと言う事は充分にあり得る訳である。

関東煮きは実は「広東」煮きを間違えたという話もあるが、いずれにしても中国から伝わったのは間違いない。冬の大阪で食べていた私の好きな味の濃い関東煮きは中国ルーツであるようだ。最終的には同じものを指す言葉になったとはいえ「田楽」から名前をとったと言われている「おでん」と「関東煮き」は全く異なる物であった可能性もあるだろう。少なくとも大阪出身の私にとって「関東煮き」と「おでん」は完全に異なる物である。

シアトルの宇和島屋で仕方なしに冷凍のおでんを買った。例の透明スープである。私はスーパーで牛シャンク(牛のすね肉)を買い、大根、卵、蒟蒻と共に味の素満載の出汁を4-5時間煮込む。スープの色は浅いままだが、少なくともマシな出汁が出ている。しかし冷凍物の天ぷら類は犬の餌のような味しかしない。次は豚バラブロックでも入れてみよう。

台湾のコンビニで、おでんもどきが関東煮として売られているのはくやしい。関東煮はどちらかと言えば滷味の事なのに。ファミリーマートやセブンイレブンは、色の薄いおでんを台湾語の「黒輪(オレン)」という元の名前に戻して欲しい。

9/16/2011

乞食達の賛美歌

311の地震の後、初めて日本に降り立ったわけだが、ここは大阪であり、被災地に来ている訳でもないので、地震の爪痕は全く見て取れない。相変わらず大阪は景気も悪いが、地震のせいでさらに景気が冷え込んだのかどうかは不明である。市内では意外と大掛かりな建設工事が増えており「ハコモノ」を増産している。

街はというと、小奇麗に新設された場所(JR大阪駅など)に人々が集まっているものの、お金を落としている風には見えない。一方で、昔に賑やかだった場所などで、閑古鳥が鳴いている場所が多く見受けられた。新しい建築物を建てると、少し古くなった商業施設は陳腐化されてしまう。新たな建設はパイを大きくするのではなく、他のパイを食っているだけなのだろう。マーケットが飽和するというのはこういう事を言うのであろう。

新らしい施設に入ると、レストランだけが流行っている。服や高価な物を買う人はいないが、散歩がてらに新しい場所にやって来て、レストランで食事だけ済ますというありがちのパターンだろう。レストランは強気の値段設定をしているし、小奇麗なショッピングセンターにありがちな見た目だけ美味しそうではあるが、実質は安物の食べ物が2000円ほどで出されている。しかし阪急沿線のサバーバン(郊外)に住み、贅沢な雰囲気を楽しむために態々着飾ったマダム達は、2000円を出し惜しみしない。味は不味くなければ良いのだ。雰囲気を楽しみたいのだ。

一方で、私が世界一のランチが食べれると太鼓判を押す北新地には、寒風が吹き荒れていた。サラリーマンの数がますます減り、観光客のような人達が超豪華な1000円ランチを楽しんでいる。割烹やフレンチなど、北新地には最低でも20件ほど紹介したい店があるのだが、当サイトは真剣な食ブログではないので、敢えて記事にはしていない。JR大阪駅での2000円代で食べる見栄えだけのランチ。そして北新地で供されている1000円代で世界一のクオリティを保ったランチ。それでも若者は350円の弁当を追い求める社会の流れ。

大阪の街を歩く。昔流行っていた個人経営の零細飲み屋や食堂は、どんどん潰れている。若者の服装はどんどん貧乏臭くなっている。風俗嬢と一緒に手を繋いでホテルに行く人達をやたらと見かける。寧ろ、道行く若い女の子達が総て水商売従事者に見えてしまう。

公園で面白い光景を見た。基督教のボランティアの人が拡声器を持って、ホームレスを集めて賛美歌を歌っていたのだ。四、五十人にも及ぶ乞食達が賛美歌を歌っている。異様な光景に、不覚にも私はその場に呆然と立ち尽くしてしまった。

「慈しみ深き、友なるイエスは、変わらぬ愛もて、導き給う。世の友吾等を、棄て去る時も、祈りに応えて、労わり給わん。」

ホームレス達が飼っているのか、そこには猫が一杯いた。周りのベンチには専門学校にでも通っている若者たちがコンビニの小さな弁当を頬ばんでいる。2011年の9月の暑い日の昼下がり、自分が生まれ育った大阪で目にしている光景は、私が知る日本の物ではなかった。

サウジはポンコツ。何も出来ない

フーシ派がマユン島を占領して、紅海の入り口をコントロールしており、ムハンマド・ビン・サルマーン(MBS)がトランプに米軍がフーシを攻撃するように要請したとのニュースが流れた。トランプは断ったという。このニュースを受けて、原油は暴騰。 サウジはアラブ諸国の雄じゃないの?このくらい、...