5/17/2015

投票には行けず:私のせいで大阪市は潰れず、橋下市長は辞めざるを得なくなった

ある程度の知能があって、公的な物からの利権を享受しておらず、関西や大阪の未来を案じている人であれば、橋下市長の大阪市解体論に賛成だったと思う。

私も激しく賛成である。が、結果は大阪市解体はならなかった。はっきり言って、残念である。

シルバーデモクラシーであるとか、若者が投票に行かなかったとか、言われており、私も憤慨した。大阪市の若者は何を考えているのだ、と。

ちょっと待てよ。実は私も、そんな投票に行っていない若者の一人である。現在シアトルに住んでいるのだが、住民票は大阪市にある。大阪市民として投票の権利があり、実家に投票の案内が届いている筈だ。で、大阪市解体に激しく賛成する私は、シアトルにおり、大阪で行われた投票には行けなかった。残念である。

20代から40代くらいの人は、仕事や人生設計の関係で、移出や移入が激しい。逆に、年寄りになると腰を落ち着けるものだ。大阪市の様な都会であれば、特にその傾向は激しいだろう。大阪市の若者のうち投票権を持つ人で、実際に大阪市内に住んでいない人たちはどの程度いるのだろうか?逆に、最近大阪市に引っ越して来ており、大阪市の事などどうでも良いと考えているので投票に行かなかった人はどの程度いるのだろうか?

私は3月に東京に出張した。新橋駅界隈の居酒屋で、久々に集まった高校のクラスメートたちと、橋下大阪都構想について話す。皆、大阪市で生まれ育って、現在は東京で働いている連中だ。大阪の、そして関西の未来を憂いている。全員、大阪市の解体に賛成であり、激しく熱い思いを持っていた。「大阪がちゃんと頑張ったら、俺らは大阪で暮らせたのに」と。

私はホームシックっぽい気持ちになる時は、いつもこんな事を考える。大阪の景気が良ければ、暮らしやすいとはいえシアトルなどに来る必要もなかった。私は、自分が生まれ育った大阪で、大阪弁を使って、商売をしたかった。親の商売を継ぎたかった。社長とか呼ばれて、新地で遊びたかった。そんな未来予想図は実現しなかった。今は、アメリカの税金で食わしてもらい、母国語でもないものを使って生活している。俺はいったい何をやっているんだ、と。

人間は、景気の悪い所から、良い所に流れる物なのだ。友人である大阪の子たちの多くは東京で定職を得た。大阪に残っている人は、医者と坊主とどうしょうもない子だけだ。「ちゃうわ!おまえ、あほちゃうか」少し酔って来て、汚い大阪弁で友人たちと、熱い討論を交す。友人たちも、仕事場や家庭で大阪弁を使えない鬱憤を晴らしているようだ。

「うちは大阪市解体しても北区のままや」「俺んとこは南区になんねんぞ。それでも大阪市はいらん」「俺が一番むかつくんわ、大阪市で暮らしたこともない連中がゴチャゴチャ言う事や。外野の癖に」「俺らも今は外野やんけ」横のテーブルに座っているサラリーマンも、大阪弁を喋っている。未来の無い関西という街から東京にやって来て、そして衰退する故郷を憂う。明日はデルタの166便で太平洋を越えなければならないので、酔い覚ましを兼ねて歩いてホテルまで戻る。

大阪市よ、若者の未来のために、そして大阪を出た私たちの為に、是非とも潰れてくれ。そして、私たちを呼び戻し、自分たちの言葉で自由に会話をさせてくれ。深夜の新橋で鐘の音を聞く。みおつくしの鐘の音か?そんなわけもない。右手に霞ヶ関の官僚街とその奥に皇居が見える。故郷の大阪にも帰らずに、アメリカから東京だけに寄った出張。世界最大の街、東京の真ん中で深夜に思いを巡らせる。私は大阪出身の大阪の子である。大阪よ、大阪よ。おまえは俺らに何をしてくれるねん、と。そして、俺はおまえに何をしてあげられるねん、と。

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