9/16/2011

乞食達の賛美歌

311の地震の後、初めて日本に降り立ったわけだが、ここは大阪であり、被災地に来ている訳でもないので、地震の爪痕は全く見て取れない。相変わらず大阪は景気も悪いが、地震のせいでさらに景気が冷え込んだのかどうかは不明である。市内では意外と大掛かりな建設工事が増えており「ハコモノ」を増産している。

街はというと、小奇麗に新設された場所(JR大阪駅など)に人々が集まっているものの、お金を落としている風には見えない。一方で、昔に賑やかだった場所などで、閑古鳥が鳴いている場所が多く見受けられた。新しい建築物を建てると、少し古くなった商業施設は陳腐化されてしまう。新たな建設はパイを大きくするのではなく、他のパイを食っているだけなのだろう。マーケットが飽和するというのはこういう事を言うのであろう。

新らしい施設に入ると、レストランだけが流行っている。服や高価な物を買う人はいないが、散歩がてらに新しい場所にやって来て、レストランで食事だけ済ますというありがちのパターンだろう。レストランは強気の値段設定をしているし、小奇麗なショッピングセンターにありがちな見た目だけ美味しそうではあるが、実質は安物の食べ物が2000円ほどで出されている。しかし阪急沿線のサバーバン(郊外)に住み、贅沢な雰囲気を楽しむために態々着飾ったマダム達は、2000円を出し惜しみしない。味は不味くなければ良いのだ。雰囲気を楽しみたいのだ。

一方で、私が世界一のランチが食べれると太鼓判を押す北新地には、寒風が吹き荒れていた。サラリーマンの数がますます減り、観光客のような人達が超豪華な1000円ランチを楽しんでいる。割烹やフレンチなど、北新地には最低でも20件ほど紹介したい店があるのだが、当サイトは真剣な食ブログではないので、敢えて記事にはしていない。JR大阪駅での2000円代で食べる見栄えだけのランチ。そして北新地で供されている1000円代で世界一のクオリティを保ったランチ。それでも若者は350円の弁当を追い求める社会の流れ。

大阪の街を歩く。昔流行っていた個人経営の零細飲み屋や食堂は、どんどん潰れている。若者の服装はどんどん貧乏臭くなっている。風俗嬢と一緒に手を繋いでホテルに行く人達をやたらと見かける。寧ろ、道行く若い女の子達が総て水商売従事者に見えてしまう。

公園で面白い光景を見た。基督教のボランティアの人が拡声器を持って、ホームレスを集めて賛美歌を歌っていたのだ。四、五十人にも及ぶ乞食達が賛美歌を歌っている。異様な光景に、不覚にも私はその場に呆然と立ち尽くしてしまった。

「慈しみ深き、友なるイエスは、変わらぬ愛もて、導き給う。世の友吾等を、棄て去る時も、祈りに応えて、労わり給わん。」

ホームレス達が飼っているのか、そこには猫が一杯いた。周りのベンチには専門学校にでも通っている若者たちがコンビニの小さな弁当を頬ばんでいる。2011年の9月の暑い日の昼下がり、自分が生まれ育った大阪で目にしている光景は、私が知る日本の物ではなかった。

0 件のコメント: