12/30/2015

マイナンバーと情報保護?はあ??現行の源泉徴収自体がプライバシーの侵害

マイナンバーによる個人情報の漏洩を心配している記事を良く見かける。ある意味、この手の記事は、「情報漏洩産業」を助けるためだと私は考えていた。

世間では、心配事を大袈裟にまくし立て、安全を保障する物を売りつける商売が横行している。コンピューターウイルス対策にソフトを買いましょう。泥棒対策にセコムしてますか?癌になったときのために癌保険に入りましょう。体が悪くならないように青汁飲んでますか?外国が攻めてくるので国は最新のイージス艦とミサイルシステムを買いなさい。死んだら地獄に行かないようにキリスト教を信じて寄付しなさい。悪い事が起きないように高額な壺を買いなさい。などなど。

マイナンバーの個人情報漏洩の危機を煽る事は、ある意味、そういった産業の促進を助長している。で、まわりにも、マイナンバーで詐欺に会うのではないか、という事を本気で心配してるおばちゃんやおじちゃんがいる。こういうころっと騙されてくれる人がいるから、日本では保険会社と郵貯と朝日ソーラーが儲かり、浄水器の押し売りさえも成り立ってしまうのだろう。

閑話休題。ただ、私はマイナンバー後の社会による情報漏洩を違った視点から心配している。しかし、マイナンバーそのものの問題というよりも、日本の源泉徴収制度の問題だ。給与所得者は、会社が個人に代わって税金を支払うのだが、その際に会社側に全ての個人情報が漏れてしまう。原則として、それら情報は納税以外に使ってはならない事になっている。しかし、会社側は雇用者の、1)副業・副収入の有無、2)結婚暦、3)障害暦などが筒抜けになってしまう。こういったものが社内での立ち居地に影響する可能性は大きいだろう。

「その程度の情報が会社に知られると都合が悪いのか!」などという人もいるだろう。だが、個人は隠すか公表するかの判断が出来るべきではないか?隠したくても隠せない、あるいは隠すと不都合が起きてしまうという制度は、重大な欠陥があると思う。それこそが個人情報漏洩じゃないのか?

特に、マイナンバー後は副業の収入がほぼ自動的に合算されて、会社に推測される可能性が高くなる。これは日本の経済活動を大きく萎縮させる可能性がある。あるいは、副業をしている人や、水商売のおねえちゃんたちがドンドンと地下に潜ってしまう可能性すらある。これでは、税金をきっちりと取ろうとしていた筈が、経済の地下化で税金をとりっぱぐれるという、大問題すら考えうる。

源泉徴収を維持したいのであれば、やはりアメリカ式にした方が良いと思う。個人の申し出に従って、会社や雇用主から直接に大目の納税が行われる。言いたくない場合は、個人は会社側に全てを言う必要はない。その際は、源泉徴収があるべきものよりも若干多くなる。ただ、年度末に調整してもらえるので、不公平はない。年度末に個人は会社や雇用主から税金の書類を貰い、オンラインで税金書類を提出し、多く払いすぎた分を返してもらう。こうすれば、会社や雇用主に個人情報が漏洩する事はないし、返してもらった税金を無駄遣いする人も増えて、景気浮上効果もあるだろう。

上記の政策は、仕方なしの制度設計である。私が理想とする税制は、給与所得者の所得税は給与に関係なく一律25%のフラットタックス。控除は一切無しで全て源泉徴収。というものだ。そうすれば、会社も政府も個人も負担が少なくなり、理想的な社会になると思う。役所職員や税理士を大量解雇できるまたとないチャンスではないか?給与所得者は頑張れば頑張るほど給与が増えるので、頑張るだろう。控除がなくなるから給料を上げないで下さい、などといった馬鹿な意見はなくなると思う。

霞ヶ関は、自分の友達(マイナンバーのインフラ産業)の儲けや自分たちの天下り先のことばかり考えないで、もう少し一般の目線に立って制度を考えてほしい。政治家は人の税金で票を買うな!控除とか言う一見すると「にんじん」に見えるようなもので政治ゲームを遊ぶな!

12/28/2015

オタクは相手にしない。ディズニーの監修の元、マクドナルド化した「焼き増し」のスターウォーズ7

仏教徒である私は、自分のルーツのアイデンティティーを守るために、「メリークリスマス」などとは言わないし、家にクリスマスツリーなど飾らないように頑張っている。同僚やお世話になっている人にも、クリスマスカードは渡さず、年賀状を渡すようにしている。アメリカ南部に住んでいた時、クリスチャンでなきゃ人間じゃないような雰囲気があったので、これは非常に厄介だった。が、多様性拡がるシアトルではすんなりと受け入れてもらえる。

あまりにもクリスマスが暇だったので、近所の映画館にスターウォーズを見に行った。私はそもそも、映画など、飛行機の中でしか観ない。映画館に行くのは、一体何年ぶりだろうか?

たわ言はどうでも良いが、スターウォーズシリーズは好きな映画なので、期待半分、疑心半分で「わざわざ」観に行ったわけだ。

で、感想は?と聞かれたとき、私は困ってしまった。ストーリーとしては、新世代キャラによる「焼き増し」だった。まったくサプライズ無し。先が全て予想できてしまう。空中戦やチャンバラは、ハラハラ感がゼロ。驚いたのは、ハン・ソロが刺されたところくらいか(次の契約が決まっていし、高額だから仕方ないか)?とても平坦なストーリーである。

そして、数々の不満が残る。ファーストオーダーが何故のさばっているのか?カイロ・レンはしょぼすぎるのではないか?普段は逃げ回れるのに、そんなに簡単に宇宙船が他の船に捕らえられるのか?宇宙タコはどこから沸いてきたのか?フィンはキャラ的にしょぼ過ぎないか?ファーストオーダーはデススターの破壊をケースとして何も学んでいないのか?

オタク側の自分としては、不満ばかりが残った。が、映像的には「まあまあ」だし、ストーリー的にずっこけている所も無かった。島にたたずむ老いぼれたルーク・スカイウォーカー。多分、レイのお父さんなのだろう。次のスターウォーズ8の予告みたいなので、映画の幕は閉じるわけだ。

で、結論であるが、「ディズニーの経営チーム、天晴れ!」と言いたい。結局、スターウォーズ7はオタク層を完全に見捨てて、子供とお父さん、お母さんにターゲットを合わせてきたのだ。あっさりしたストーリー、しかも怖いシーンも無い。家に帰る車の中で、お父さんが子供に色々と解説できる。至高の出来ではないが、瑕疵なく、マスターゲットの一番大きいところを取りに行った。まさにマクドナルド化である。誰も嫌がらないし、子供は大好き。だから皆に愛されるハンバーガー、みたいな。次のスターウォーズ8も皆で観にいこうね、と。ディズニーさん、あなたはマーケティング解ってまんがな。

オタクに愛されているものは「深い」物が多い。しかしその深さが、新規ファン参入の敷居を高くし、尻すぼみになる傾向がある。競馬しかり、スキーしかり、ジャズしかり、野球しかり、である。ネスカフェのように違いがわかるニッチに売っていたのでは、マスはおののく。マニアが好むスターウォーズはこういう罠に陥る可能性が高かった。それを全力で回避し、子供向けにしたわけだ。女性を主人公にしたり、異人種恋愛(ジャングルフィーバー)を取り上げたり、必死である。ルーカスからディズニーに移った時点で、ある程度そういった可能性は透けて見えていたのだが。

違いが解る人、オタクの人、うるさい人には物足りなかったと思われるスターウォーズ7。だが、家族全てに愛される薄っぺらいストーリーとして、がっぽり儲けさせて貰いますわ。

12/16/2015

合憲か違憲かというつまらん憲法問題

夫婦同姓が合憲か違憲か、というくだらない裁判が争われていた。

私は夫婦同姓を強制する現状の民法は時代遅れであり、規制を緩和し、同姓でも別姓でも好きに選択できるようにするべきであると思っている。

ただ、そんな私から見ても「夫婦同姓は違憲か?」という裁判はおかしいと思う。国が自由を束縛することが違憲なのであれば、「規制」はすべて違憲である。逆に、合憲であれば何でも良いのか?という問題もある。

私の意見は、違憲か合憲かという問題ではなく、夫婦同姓を強いる縛りは「無駄な法律」であり、必要性が乏しい法律はどんどんと廃止していくべきだと思うのだ。

法律を変えるのは立法府、つまりは国会議員の仕事であり、政治で解決するべき問題だ。何故裁判所に違憲か合憲かを判断させる必要があるのか?意味が解らない。そういう事にこだわりたい偉い憲法学者か運動家が一杯いるのだろう。

日本には無数の無駄な法律や規制がある。合憲であれ、違憲であれ、そういった無駄なものをどんどん廃止することに汗をかいてくれる国会議員を、私は応援したい。フェアで時代に準じた法律や規制さえ残せば、残りはいらない。我々が必要なのは、規制の緩和であるのだ。

「夫婦別姓にしたら離婚が増える。別姓の親の子供がかわいそう。」そんなことはあなたにとって関係ないし、嫌なら同姓にすれば良いのだ。

掲示板の書き込みを見ていると、日本では不必要なルールを「文化」だとして、甘んじて受け入れようとする人が多いように思う。必要ないものは必要ないし、規制に規制の上塗りをして儲かるのは弁護士と公務員だけなので、法律をどんどん削除していって欲しい。法律家や法の番人、監視機構などが蔓延る日本の世の中は非効率的である。

同時になされた、女性は6か月間再婚できないという民法。違憲が出されたのは当たり前だと思うが、20-30年くらい前に何故この法律を抹殺しなかったのか?裁判官に違憲判決を出される前に、自発的に時代錯誤な法律を消すべきだ。意味が解らない。兄さん、世間は既に21世紀ですよ。違憲だから変えるとか、合憲だから続けるとか、そういう問題じゃない。不必要な規制はどんどん撤廃せよ、と言っているのだ。

憲法問題に興味がある左の人が夫婦別姓や再婚の縛りを無くそうとしている、などという下らないイメージを植え付けるので、左派の人には詰まらない政治活動は慎んでいてもらいたい。こういう事をすると、頭の固い右の連中が頑なになるだけである。

12/15/2015

イエレンは明後日に利上げするの?

こういう質問を良く受けるのですが、答えは「YES」です。現地時間の水曜日に間違いなく25ベーシスポイント上げてきます。FED(邦銀)の使命は、サプライズ(市場の動乱)なく上手く市場を誘導することです。従って、市場が利上げを織り込んでいるのだから、きちんと利上げをするのです。

利上げした後には色々と問題が起こってくる可能性がありますが、唐突には来ません。そのうち、特に債券(ボンド)市場で波乱が発生します。よほど度胸がある人でなければ、しばらく債券市場(国債、公債、社債など)に手を出してはいけません。債券市場につられて、米ドル、商品、新興市場株などが揺れる可能性があります。利上げをすれば、市場の関心は次の利上げはいつか?って事になります。

暫くはボラティリティーの高い方向性を見失った取引が続くでしょう。教科書通りに考えると、金利が高い米国に資金が流れそうなものなのですが、最近では円高を予想する声もあります。現時点ではっきりした「方向性なし」と答えるのが正しいと思います。つまり、FXは儲からないので手を出すな、です。

爆上げの期待はないものの、日米欧の株にお金を突っ込んでおくのが正解でしょう。

聖教新聞だけ消費税を免除すれば黙っててくれる?

財政やビジネスの事をある程度理解している人にとって、軽減税率の導入はトチ狂った政策に聞こえる。シチ面倒くさい事をする割に、経済を潤わす可能性はかなり低いからだ。というよりも、消費税を上げる口実は、取れるところから満遍なく取ろう、という物である筈だ。値段に関係なく買わなければいけない食料のようなものを値下げしても、経済の波及効果は少ない。食費の消費税を軽減するのなら、消費税を上げなければ良いのである。

私はたばこを吸わないので関係ないが(必ず識者はこのつまらない言い訳をする)、エラスティシティーが高くなってきたたばこの税金を上げるのは、非効率的であると思う。たばこが健康に悪くてやめさせたいのであれば、たばこを禁止して、マリファナとかを売ればよい(笑)。財政とかビジネスとか解らない人が、健康云々を言って、税制に口出ししているとしか考えられない。日本の借金を支えるために、自分の健康を犠牲にしてまで税金を払う喫煙者を蔑ろにする行為は、今後は売国的と看做されるだろう。(税金を払う人が偉いんやで!)寧ろ、愛国的な人達は、喫煙しなくても小売りのたばこ店でたばこを買って財政を支えようではないか!

世論調査が胡散臭い。国民の7割が軽減税率に賛成と来た。そりゃ、あんた。2%還元するのに賛成か反対か?と聞けば、誰でも賛成する。それで財政が悪くなりますよ、とかのトレードオフは示さないのだから。何故こんなに胡散臭い世論調査を出して、軽減税率に賛成するのかな?と思っていると、やはり来ました。新聞も軽減税率に含まれるようです。ごちそうさんでした!マスコミは軽減税率を批判しません!という事だ。

創価学会は日本の財政の事など、まったく気にしないのだろう。自民党の中枢部の連中は、来夏の選挙の票欲しさに創価学会にべったりなのだろう。国民はアホではない。こういう節操のない政治をやっていれば絶対に自民党に逆風が吹く。

私は自民党の政策執行能力はマシだと思っているのだが、公明党のようなポピュリズム宗教党にキャスティングボードを握られているのであれば、ふるい落とすべきだと思う。

私からの提案だが、軽減税率を採用しない代わりに、聖教新聞にだけ消費税を免除、或いは、聖教新聞出版の全書籍の消費税を免除するの、というのはどうだろうか?創価学会の優遇は気に入らんが、その方がずっと安くつく。しょーもない公務員を増やしたり、つまらん天下り先ができないで済む。それで手を打って、黙っといてくれませんか?なんでもええから、大人しくしといて。頼むからいらんことせんといてや。

まあ、日本の未来の財政を考えると、先行きは不安で、円安シナリオに揺らぎはなくなった。

消費税は一律10%で問題なし。むしろ、経済対策として、住宅とか車とか高級品とかのエラスティシティーが高いものの消費税を廃止するべき。

PS たばこの小売店は「公明党のたばこ増税には断固反対!創価学会員よ、失せろ !」というポスターを張り出すべきだと思いませんか?

12/08/2015

国家社会主義の安倍政権、社会主義的な経済政策を次々と打ち出してくる

安倍政権が何をしたいのか、ますます解らなくなってきた。「経済の味方、自民党」というイメージを植え付けて、経済音痴の民主党を駆逐し、安倍政権が誕生したのは2012年の終わりである。その後、いわゆる「アベノミクス」なる三本の矢という考え方を披露した。始めの二本、つまりは金融政策(円安)と財政政策(ばらまき)により、株価は大幅に上昇した。これは、典型的な計画経済の政策である。一方、三本目の矢という事で、民間の成長を促すための成長戦略を打ち出してくれると信じていた。小さな政府を支持する私の中では、小泉政権の時のように、大幅な規制緩和を敢行してくれるのだろう、と期待していたが、そういった話はほとんど出ていない。逆に、政府主導の話ばかりが出てくる。TPPとか税制改革、ええ加減にしてほしい。個人的なことを言わせてもらえば、株で儲かったし、FXも儲かったので、「あんたは安倍さんに文句は言えないだろう」、と言われるかも知れない。しかしながら、安倍政権は「大きな政府」を標榜する政権であり、私の理想とする「小さな政府」からは方向性が乖離しており、私は安倍政権を支持できない。

安倍政権は経済通である。そんなイメージが拡がっており、一部のビジネスマン、投資家や経済学者は、円安が続き、株価が上がりさえしているうちは文句がないという事になる。ただ、目下の経済基盤がぐらつき始めており、安倍政権に反旗を翻し始めた日和見的は人達も増えている。ただし安倍政権を倒したところで、安倍さんが禁じ手を全て出し切ってしまったので、円安や株価の問題は誰がやっても同じである。

ここに来て、安倍政権が切り出している政策がますます怪しくなってきた。民主党政権時よりも規制を強めて、大きな政府を目指している。私の中では安倍自民党は「国家社会主義」を標榜する政権であるという事になっている。マイナンバーで国民の財布の中を監視し、海外送金に目を光らせ、相続税は切り上げた。TPPの横で今後数年に及ぶ農民保障の話をし、消費税を上げても食料品の還付を言い出す。しかも、最低賃金を1000円に上げるとか、社会主義政策である。さらには、所得の低い年金受給者を対象にした1人3万円の給付金ときた。どこまで行くのだろうか?

安倍さんは経済の事は良く解らないので、取り巻きの意見を適当に聞いているだけなのかもしれない。日本経済は成長なくしては、どこにも行けない。日本に必要なものは「規制緩和」。この一言に尽きると思うのだ。ばらまいたり、さらなる規制をしてみたり、株が高くなっているので、お金に甘くなっている。

経済的に行き着く先は、国家の影響を受けた大企業寡占という事になるのだろう。個人のへそくりは、そのうち全部ドボンである。貯蓄に励む人たちは、数年後に絶対に泣きを見る。

民主党支持者たちは「反国家社会主義(左)」を標榜としている人達であり、自民党支持者は「国家社会主義(右)」を標榜している人達だ。自由な競争と自由な個人に魅力を感じる私は、一体誰を信じれば良いのだろうか?え、橋下?辞めるんちゃうの?

12/02/2015

ダックバスに追突された不運なノースコミュニティカレッジの生徒たち

ノースシアトルカレッジというノースゲートにあるコミュニティカレッジ(二年生の短大に相当、昔はノースシアトルコミュニティカレッジという名だった)の新入生を乗せたバスが、タイヤが外れた水陸両用ダックバスに横から衝突され、日本人のサトウ・マミさん、17歳の中国人女学生ソン・ルンジェさん、18歳のインドネシア人男子学生プリヴァンド・プトラダント君、それと15歳の息子に付き添いでシアトルにやってきた49歳のオーストリア人のお母さんクローディア・ダーシュミットさんがその日に亡くなられた。さらに、搬送先のハーバービューメディカルセンターで、三日後に20歳の韓国系女学生のキム・ハラムさんが亡くなっている。その他にも、怪我をされた人たちが数多くいる。いまだに入院されている方も数多くおられる。


このバスには、私の知り合いのお嬢さんが同乗しており、阿鼻叫喚の話を直接聞いたので、個人的に色々と気を揉んだこともあり、なるべく書くのを避けていた。楽しいアメリカでの新生活が始まろうかと言う時に、運悪く犠牲になられた方達は気の毒で仕方がない。お嬢さんは現在では元気にノースシアトルカレッジに通われているが、事故の話はなるべく避けるようにしている。

水陸両用のダックバスは、どこからどう見ても安全上の懸念があった。あんなに大きいのに、不釣合いな小さなタイヤが付いているだけだ。事故が起こったオーロラブリッジは、通称はオーロラと呼ばれている州高速99の、シアトルの北部(動物園・グリーンレイク方面)と中心部(クイーンアン・スペースニードル方面)をつなぐ橋である。高速道路なのに、中央分離帯もなく、オレンジの線が引かれているだけだ。以前もバスの運転手が射殺されて、バスが橋から転落するような事故が起きており、色々と問題がある道である。

シアトルはアメリカの中では比較的安全な街とされており、語学学校に短期で訪れる留学生たちが集まる。大学や短大は語学プログラムを用いて留学生を集めている。有名どころではワシントン大学のELPだが、シアトルセントラルコミュニティカレッジやノースシアトルカレッジも語学学校を開いており、アジア人留学生を中心に人気が高い。

若者が多いが、年齢幅は広い。私も含め、周りにも、本格的な留学の前に、語学学校をステップとして利用する人は多い。また、大学生やキャリア半ばの方が、半年から一年くらいの休暇を取り、英語を本格的に勉強するために語学研修に来られるケースも多い。私が語学学校に通っていたときは、新聞社を定年されてやって来た70に近い女性と、小学校教員を定年されてやってきた男性がおられた。お二人からは、人生の先輩として色々なことを教わった。或いは夫がシアトルに来たので、付き添いでやってきた奥様が語学学校に通われるケースも多々見られる。

ノースシアトルカレッジのバスには、語学研修(いわゆるESL)の外国人新入生達とカレッジを始める新入生とが混じっていた。オリエンテーション目的で、シアトルの市内観光をする予定だったため、バスに乗っていたのはアジア系を中心とする「外国人生徒(留学生)」やアジアからの移民ばかりであった。

知り合いのお嬢さんの話によると、いまだに大阪出身の男性がハーバーヴューに入院中との事である。骨盤を砕くほどの大怪我を負われたが、手術にも成功したとの事。以前に属していた職業柄か、体力的に自信があり、頑張ってリハビリをされているとのことだ。

同郷の若者が異国の地で不慮の事故に会い、不便を強いられながらも頑張っている様子にエールを送りたい。何故だか判らないが、この事故の被害者をサポートするような活動がまったく見当たらない。

在シアトル日本領事館には、こんな内部資料のようなふざけた記述があるだけだ。領事館の人が、犠牲者や犠牲者の家族たちとの連携に色々務められた事は耳に入っている。が、事務仕事だけではなく、個人の時間を割いてでも、もう少し「コミュニティ」の為に活動をして欲しいものだ。領事館に、被害者に届けてくれとメッセージを送ってみようと考えている。或いは、ハーバービューに直接メッセージや贈り物を届ければ、被害者に届けてくれるかもしれない。読者の皆様も、シアトル領事館やハーバービューメディカルセンターに連絡して、苦しいリハビリを続けている若き学生を是非とも応援してやって頂けないか?医療の問題だけではなく、今後は裁判などの問題も出てくると思う。シアトルにいる日本人として、全面的にサポートしたいと思う。

同乗していたその他の留学生達も大変な事になっている。あるベトナム人の女性は、年末に保険が切れてしまい、その後は自費での入院になるとの事。(勿論、ダックを訴えて、後でお金が返ってくる可能性はある。)シアトルに住む留学生や外国人コミュニティーの方達は、国籍を問わず不運なともたちを是非とも積極的に支援してあげてほしい。

11/24/2015

ISIS(イスラム国)のテロリストという亡霊

ニュースを読んでいると、ISISのテロ攻撃は先進諸国を中心に、絶大的な宣伝効果があったのだなぁ、と改めて思う。パリで起こった事件を「宗教・政治的に動機づけられた暴力である」、つまりテロリズム攻撃であった、と全てのマスメディアが認めているからだ。この事件が本当にISISの本部(もし、そのようなものが実際にあれば、の話)が計画して、そういう連中をパリに送ったかどうかということも現状では怪しい。ISISに感化されたアラブ系フランス人やベルギー人の不満分子が、「自分探し」の一環として起こした犯行である、と結論付けた方が、全ては納得がいく。

で、結局、テロリストとはどういう連中なのか?私の中では、連中は、素直であるがアイデンティティークライシスに陥っているやんちゃの不良少年や少女である、と考えている。社会に不満が鬱積しており、そのアンチテーゼの自分探しとして、ISISを選んでいるだけである。キリスト教や西欧社会のアンチテーゼとして、イスラムやアラブやを前面に出しているだけだ。本当の意味でムスリムを理解しているとは到底思えない。

若者が団体を作ると、物凄く厳しい馬鹿な規律を作り、チームの結束力を強める。その結果、裏切り者の粛清などを繰り返す。日本赤軍もそう。オウム真理教もそう。寝屋川や船橋の暴走族もそう。山口組もそう。高校のラグビー部もそうであった。海外に目を向けても、ソ連の共産党も、中国共産党も、朝鮮労働党も、全部そうである。或いは、そうであったのである。

ムスリムの連中は差別を受けて、ひどい仕打ちを受けて、その結果テロが起こっているのだろうか?答えは、NOだ。テロを起こすのはムスリムではなくて、「人生負け組の血の気の多い不良被れ」である。そういう連中が武器を手に持ってしまったからややこしい事件が起こっているのである。そして、ISの制服を着て、ISの掟に従うことで、安心感を求めている。ISの掟をイスラム原理主義だということは、オウムの教えを原始的な仏教だというのと同じくらいの馬鹿げたことである。ただ私たちは本当のイスラムを理解していないので、連中が奇異な格好でイスラムだと主張すれば、疑いなしにそうだと思い込んでいる。

移民の問題や、差別の問題は、勿論存在する。だが、普通の人たちは、そこで必死に頑張っているし、そういったひどい状況を改善しようと頑張っている政治家やボランティアも大勢いる。しかし、すべての人が状況を良く解っているわけではない。日本でもそうなように、金銭に余裕が無い人が大勢住む都会のアウトスカート(つまり、船橋や寝屋川)では暴走族が勢力を伸ばす。朝鮮人や部落差別地域の若者はやくざ者になってしまう確率が高い。

一部の良からぬ人間がテロリストになり、若くてバカな連中を脅しで洗脳し、筋力や反社会的な態度にアイデンティティーを見つけさせる。船橋や寝屋川の暴走族も、警察が存在しないとして、刀を持たせれば、目立つところで無差別に人切りをして男気を見せようとする輩が現れるかもしれない。実際に江戸時代には辻切りなどが起こっていたわけだし、オウム真理教や日本赤軍も同じような構図である。残念ながら世界中で起こっているテロリズムは、若気の至りが反社会的になってしまうという、有り触れた問題なのだ。

こういう問題を、西欧対アラブ、或いはキリスト教対イスラムというような、高等な仕分けをするから、ニュースは魅力的に聞こえてしまうが、現実が見えなくなってしまっている。で、頭の中にお花畑が咲いている人たちが、「戦争を助長する空爆をやめよ」云々を言い出す。一方、威厳を保ちたいマッチョな連中は、「イスラムを許すな」云々言い出すわけだ。一部の不良少年たちの行いにより、世界秩序を変えようとするような、極端な意見は止めて欲しい。

もう一度言いたい。世界中の市民の安全を守るため、我々は積極的に武装ギャング集団を撲滅するべきだ。馬鹿な連中にカラシニコフやトカレフを渡さないようにして欲しい。馬鹿な集団が生まれないように、貧困若年層の教育の強化や、その連中を強制的に社会貢献させるなどの公的機関による自分探しの手助け、も提唱したい。で、実際に反社会的行動を起こした際は、徹底的に懲らしめる必要がある。

11/16/2015

フランス国旗に反対するセンチなテロリスト礼賛者たちの声

パリで痛ましいテロ事件が起きた。それに対して、FBなどソーシャルメディアの写真をフランスの国旗に変えている人がいる。我々はフランス人をサポートしているぞ、と。

それに対して「何故フランスの国旗を使うのか?」という意見が溢れている。それらは大きく二つに分けられる。一つ目は、パリ以外のテロ事件にも関心を持って欲しい、というもの。ご存知の通り、フランス以外でも色々な場所でISISによるテロが起こっている。パリの事件だけを特別扱いするのではなく、ケニアやベイルートで起きたテロ事件にも関心を抱こう、というある種の啓蒙的な意見である。そんなことを知っている人達にとっては、説教臭くて辛気臭い意見かもしれない。が、何にも知らない人が意外と多いので、こういう啓蒙的な意見は社会の役に立つのかも知れない。

問題は二つ目の意見だ。フランスはシリア攻撃に加担しており、シリア市民を爆撃しているので、その報復としてパリジャンが殺害された、いわば自業自得である、という意見だ。これはお笑いを通り越して、非常に危険で害のある考え方である。というより、テロリストの一味かと疑ってしまう。

米英を中心とする有志連合軍がシリアを攻撃している事は良く知られている。それどころか、アフガニスタンやイラクなどでも軍事作戦を展開している。この軍事作戦により、無辜の市民が犠牲となっているのは事実である。では、何故わざわざ攻撃しているのか?ということである。ご存知の通り、シリア、アフガニスタン、イラクなどの政府は、自分たちの市民を守ったり、法を執行することすらままならない「ミッキーマウス国家」であるからだ。国家とは、最低限自国民の安全を法の下で守る必要があるのだが、そんな最低限のことすら出来ないのだ。自分の国の全域を完全には支配していないため、テロリスト、つまりは武器を持ったギャング、暴走族や愚連隊のような連中が暴走して、一般市民の生活を脅かしているのである。

それに対して、仕方ないので連合軍が行動を起こしている。治安の悪い場所に住む人たちの生活を、その限られたリソース(金・人・時間)で守っているのだ。消去法的に、空爆といった一番効率的な方法で暴徒を抹殺する方法を選んだのだが、それによって一般市民が多少犠牲になってしまう。

勿論、犠牲は防ぐべきだと思う。これに対して反対する人は誰もいない。が、短期間に攻撃しなければ、テロリストたちによる一般市民の犠牲が増えてしまうし、ほかの地域にまでテロリストの魔の手が伸びてしまう。自由を虐げられ、望んでいない生活を課せられている人たち。この人たちを一日でも早く解放してあげたいと、多くの人が考えて行動しているのである。まともな一般市民としては、誰でも良いから安全を守ってほしい、となる。テロリストにすれば、米軍ほど嫌な物はない。アメリカやヨーロッパの若者たちは、自分たちの命さえも犠牲にして、こういったオペレーションに参加している。こういった自己犠牲を顧みず、綺麗事だけをのたまうブロガーたちに、辟易とする。

「無辜の市民を殺すな!」これは全ての人が同意する最終目標である。悲しいかな、それに対する国際社会の答えが空爆である。空爆が嫌なら、オルタナティブの方法を挙げてみろと言いたい。

個々の作戦に対し「効果的か否か?」といった議論は大いにするべきだ。連合国側も色々な過ちを犯している。そもそもアラブ諸国の没落にヨーロッパが深くかかわったという根強い歴史観もある(が、その後アラブ国家は何も努力せず、金持ち国家と傀儡政権という政治家や王侯貴族の利権に感け、まともな市民国家というものを作ろうとしなかった)。しかし「空爆をしているからテロリストの標的にされる。テロを防ぐために空爆を止めろ」などといった夢見る夢子ちゃん達は、結局テロリストの価値観に共感し、贅沢をしている国の政府や市民に制裁を加えよ!と暗に考えているから、そのような話をするのだろう。頭がお花畑なのか、アナーキストに騙されているのか、私は知らない。バカな事であれ、何を書くのも自由だ。だが、私は声を荒げて真摯にそれらに抗議したい。

地球上の全ての人々の安全が保障される。そんな世界が訪れれば、人々はどれほど幸せだろうか?金曜の夜にレプブリークでロックンロールを楽しむパリジャンが銃殺されるのを見たくない。アンカラやベイルートで市民が爆殺される必要もない。エジプトでの休暇を楽しんでサンクトペテルブルクに帰る飛行機で一生を終える人たちを悲しく思う。そして、大勢の人々がISISが占領する地域で自由を奪われ、異教徒の烙印を押され、虫けらのように殺されることに胸を痛める。全ての人たちがここまでに同意すると思う。誰が悪いのか?欧米ではない。テロリストという名で呼ばれている、宗教を言い訳に使い、若気の至りに身を任せる暴徒たちが悪いのである。イスラム云々言っているが、テロリストと呼ばれている若者たちが、きちんとイスラムを理解していると考える方が無理だろう。連中は、若気の至りで暴れたいだけ。ヤンキーや暴走族が武器を持ったような連中なのだ。「喧嘩上等!」の代わりに、シャリーアやなんだの曲解をしているのだ。それに対して、真剣に宗教的な見地からコメントしている文化人達は、かなり痛い人達だ。

暴走する若者が大勢出てきて、暴挙に目を瞑る連中が多くなるから、世界が混沌とする訳だ。私たちの営みは身体の安全を保障され、法に守られているという前提のもとに成り立っている。自由な世の中は、きっちりとした最低限の統治がなくしては成立すらできない。弱肉強食の動物のような世界から人類が文明を得たのは、その一点に尽きるのだ。そして、それこそが「国家」というものの存在理由なのである。

自分の国を治めることも出来ない失敗国家が数多くある中で、世界の警察たるは「欧米だけ」だというのが現状だ。世界はアメリカ人やヨーロッパ人の若者たちの血に「ただ乗り」している。本来であれば、アラブの金持ちの国が連合して、自分たちの「兄弟」の失敗に尽力を尽くすべきだ、と思うのは私だけだろうか?難民もヨーロッパを目指さず、ドバイやサウジにいくべきじゃないのか?日本ももっと積極的に世界平和のためにリソースを使うべきである。ぼんくらガルフ国家が信用できず、薄汚れて腐敗に塗れた発展途上国の無能政府、そして去勢されて鎖国気味に繁栄を謳歌するアジア国家。血を流しながら世界平和のために貢献するアメリカやヨーロッパの一部の国に、あなたは足を向けて寝られるのか?

私は安全運転に徹するので、自動車保険も警察の交通取り締まりも不必要です。左派の意見はそういった類の話にしか聞こえないのだ。

追記:報道で知ったのだが、報道ステーションで古舘が欧米の空爆もテロ、とか言ってるらしい。以前にも書いたが、報道ステーションは言葉の正確な意義をわざと捻って視聴者を混乱させようとしている。地上波を使って、ゴミのような意見を流すとは、まさに漫才である。ただ、テロリストの行為そのものが若気の至りの漫才のようなものなのだから、古館と同じレベルではある。

11/03/2015

Windows 10 にアップグレードしてみる

私はWin8.1を使っていた。スタートメニューが無くなった事から、周りでは文句を言う人が結構いたが、クラシックシェルなどをインストールしさえすれば、その問題はすぐに解決する。いわゆる「情弱」の人がWindows8の悪口を言うのだろう、と当初は思っていた。

しかし、Win8を使い始めると、色々と問題点が見えてきた。そして、今までのWindowsでは経験した事の無いような重大な問題に何度もぶつかる事となった。

まず初めに、Win8のインターフェイスが無茶苦茶使い勝手が悪いという事だ。すぐにタッチスクリーンに誘導されるのだが、マウスしか使わない私にとって、大きなパネルは百害あって一利なしだ。もう一度、スタートボタンが無くなったり不便になった事と重ねて言及しなければならない。結局マイクロソフトは、オペレーションシステムを高い値段で売っておきながら、さらにアプを売ろうともくろんでいたと思われる。アプを売るために、無理矢理アンドロイドの様なパネル画面に誘導しようとしていたのだろう。できるだけ既存のソフトを使わせず、Windows Storeに誘導し、情報弱者に売りつけようとしているのだ。お客さんの便利さではなく、自分たちの商売を優先するマイクロソフト。邪悪な意図が透けて見える。「ふざけんな!Windowsなんか、もう使うか!」と言いたい所だろう。しかし、悲しいかな代用品がないため、Win8を使い続けなくてはならなかった。

さらにマシーンにもよるが、アップデートを失敗したり、アップデートでソフトがバグってしまう可能性が極端に高かった。私のマシーンでは重要なアップデートに数回失敗し、その後色々なソフトウェアに支障が出てしまったのだ。Outlookがコンフィギュアレーションできなくなったときには、かなり困った。直そうと色々頑張った。技術屋にも相談したし、店にも持っていった。しかしWin8をリカバーする必要があると言われた。が、CDなどは持っていなかったので、色々と不備が出たマシーンを長らく使い続けていた。仕方ないのでOutlookは諦めて、サンダーバードを使い続けた。あるソフトは、使うたびにコードを入れなければいけなくなった。

で、ようやくWin10にアップグレードしたのだが、今の所Win8のような鬱陶しさは感じられない。仮想デスクトップを何個も作れる機能などは、数個のプロジェクトを掛け持ちしている私には非常に便利である。問題というのは時間が経ってから現れるものなので、もう少し時間をかけて様子をみてからWin10についての結論を下したい。

10/27/2015

世界の食のレベルが高い都市、独断のトップ20 ランキング

* この記事では、食堂や屋台も含め「外食を食べられる場所」という意味で「レストラン」という言葉を使うので注意してほしい。

旅先での楽しみといえば、食事がどうしても上位に来る。食事の味はレストランによりけりであり、美味しいところも、イマイチのところもあるだろう。しかし、食事業界の競争が激しく、全体的にレストランのレベルが高い街というものがある。今回はそれを経験と主観に基づき、ランキングとしてみた。行った事がない街は入っていない。このリストには載っていないものの、裾野が広く美味しい料理が溢れている街をご存知であれば、是非とも教えて頂きたい。

20位 ニューヨーク
NYは何でもある。が、ほとんどのものが一歩届かない。食材にしても、調理技術にしても、少し足りないのだ。ただ、何でも揃っており、知ってさえいれば美味しいものにありつける。中華やイタリア料理。そのあたりに美味しいものが揃う。ラテン系、ユダヤ系などのストリートフードも悪くない。高いレストランは外れも多いが、悪くないのも多々ある。大都会で競争が激しいためか、全米の中では比較的安い食べ物が多いのもNYの特徴だ。ピッツアに関しては、店にもよるが、本場のイタリアよりも美味しいところもある。蛇足だが、ランキングに入れなかった北米の街で食事が悪くない場所として、ポートランドORやプロビデンスRIがあげられる。

19位 ブリュッセル
ブリュッセルの真ん中にはレストラン地区がある。パリに比べると値段は低めに設定されているが、工夫がとぼしい卒のないフレンチ風の料理が出てくる。ワッフルとかも有名だ。「美味しい」か、と問われれば、ちょっと難しいところである。

18位 北京
中国の都市として唯一のランク入り。上海や広州などと比べると、北京は比較的マシなものが揃っている。高級レストランはなかなかの店が多いが、普通の屋台などは、安全性の問題から躊躇することもあるので、本来であればランキング外にしても良い。

17位 トロント・バンクーバー(カナダ大都市)
バンクーバーでは香港や台湾からの移民が美味しい中華レストランを営業する。中華系経営のいんちき和食レストランも、それはそれで悪くない。トロントは人種の坩堝であり、移民一世が作る色々な国の料理が食べられる。ただ、どれも本場には遠く及ばず、「ワオ」という言葉を発する確率は少ない。国境の南に位置するアメリカの北部都市よりはずっと良い。

16位 東京
日本の事情を知らない外国人にアンケートをとると、東京は世界の5本の指に入るグルメタウンという事になっている。外国料理(イタリアン、フレンチ、中華)など、高級な店はなかなかである。が、普通一般のレストランに入ると、濃い味付けをしたハズレが意外に多い。濃い口醤油と鰹節の味で、料理が下品になっている。天ぷら、ラーメンや握り寿司などの、本来の意味での和食でないものが有名なことからも、他の日本の町に比べて料理の文化は浅はかであると結論付ける。良い食材は高級レストランにとられてしまい、庶民はお零れにしか預かれない。本当なら東京は10位以内でも良い(どう考えてもニューオーリンズよりは上だろう)が、東京のランクが低いのは、世間の認識とのギャップを強調したいという私のバイアスがかかっているためだ。

15位 シンガポール・ペナン(マレーシア)
トロピカルな食材と、南方系の華僑の腕が出くわして、とても美味しい中華料理が出来上がった。海南鶏飯、シンガポールフライドヌードルにチリクラブ。福建系や客家系の人たちが作り出した伝統が、ホーカーズであれ、高級レストランであれ、シンガポールの中華風料理に生きている。シンガポールのマレー系の料理はペナンに由来するものが多い。ただ、ジョージタウンに行って色々試したが、マレー風の料理を食べると、がっかりすることも多かった。

14位 モントリオール・ケベック(フレンチカナダ)
フランス文化の影響を受けたモントリオールは、やはり全体的にレベルの高いレストランが多い。ケベックシティーに行けばもっと美味しいものを食べられるという根強い意見もあるが、かなりの高位にランクさせる。

13位 メキシコ湾沿いのアメリカ南部
テキサスのバーベキューは牛を使う。ブリスケットのジューシーさは筆舌に尽くしがたい。フロリダ北部からアラバマ、ミシシッピ。フライドチキン、フライドオクラ、豆、グリーンズ、ナマズに生牡蠣。安い食材を上手に使う。アメリカ北部は食事が良くないが、南には古きよきアメリカが残っている。

12位 ボローニャ(北イタリア)
イタリア料理を食べて文句を言う人はいない。万人受けする味であり、外れは極端に少ない。北は肉類や乳製品を南よりも多用する傾向にあり、私の中では後述の南には勝てない。私が訪れた中ではボローニャがかなりレベルが高かった。どの料理にも安っぽい赤ワインが合うのだ。ワイン的にはピエモンテやトスカーナに決まっている。

11位 バルセロナ(地中海沿いの「スペイン」の街)
スペインの料理は美味しい。バルセロナはカタローニャでありスペインではないのだろうが、私にとっては美味しければ何でも良い。ワイン、海鮮、ハム類、野菜。どれをとっても新鮮であり、町全体の食に対する情熱は賞賛に値する。値段も安い。タパスで小腹を膨らませるというのが正しい地球の歩き方だろう。

10位 ニューオーリンズ
アメリカにあり、アメリカらしからぬ街、ニューオーリンズ。フランス人の植民地として栄えただけあって、食は素晴らしい。ニューオーリンズで給されるのはケイジャン料理やクレオール料理であり、一般的な南部料理とは全く違う。ガンボ、エトフェ、ザリガニなどなど。スパイスの効き方といい、ケイジャンの食事は何度食べても飽きない。ジャズを聴いて、ケイジャンを食べて、通りでダイキリーを飲む。最高だ。

9位 ソウル
ソウルは美味しい。屋台とかでも、安っぽくて味の濃い料理は、まあまあ美味しい。上品なのもそこそこあるし、はずれも少ない。ああいうのが好きな人も多いだろうが、個人的にはベスト5入りはしない。

8位 サイゴン
フォーとかバンミーとかゴイクンが頭に浮かぶが、ベトナム料理は素晴らしい。他の国ほど辛いものを使わないが、きっちりと出汁をとり、新鮮なものにこだわる。やはり、フランス人の影響なのか、イーストミーツウェスト的な料理も多い。トロピカルなハーブ系の使い方も上手い。ホーチミンシティーもよいが、北のハノイの方が食事が美味しいという人も多い。

7位 サンセバスチャン
スペインのグルメ都市として、サンセバスチャンの名前はかなり知られるようになった。タパスを食べ歩き、飲み歩くのは、ある種感動を覚える。サンセバスチャンはグルメの町として豪勢な食事を用意しお金を課すようになったが、スペインの他の町では、ドリンクさえ注文すればいまだにタパスは食べ放題のところも多い。

6位 南イタリア
イタリア料理が嫌いな人がいるだろうか?そして、海の幸をある程度使ってもらうと、ランキングが自ずと高くなる。甘いトマトソース、モッツアレラ、豚のモツ。海の幸をふんだんに使うフルーティディマーレ。ローマとかでさえも、美味しいものには事欠かないが、ナポリとかだけでなく、さらに南に行けばもっと美味しい。ローマがあるラッツイオ周辺は山の起伏がなくて、ワインは全然ダメ。唯一飲めるのはフラスカーティの白くらい。全般的に南は赤ワインは全然駄目。白中心で。料理も白と合うのを頼もう。

5位 バンコク
パッタイ、クッティオ、カオマンガーイ、ソムタム。言うまでもなく、タイの屋台料理もレベルが高い。生牡蠣とか蟹カレーだとか、タイ風にすれば何でも美味しい。北に行って、もち米を多用したり、昆虫を使ったような料理も出てくるが、あれはあれで旨い。食材豊富なタイは、屋台でもレストランでも、なんでも美味しい。ハズレを引くほうが難しい。

4位 パリ
万人受けするイタリア料理よりも、フレンチを食べるほうが心が躍る。料理にイノベーションが垣間見え、あっと驚かせてくれるのだから、楽しくて仕方ない。パリのサンドミニクあたりは世界の五本の指に入る優良ランチ地域である。フランスはレストランの裾野が広いので、加工食品が発達している。フォアグラのテリーヌとか、サラミのセットなどは、おそらく工場で作ってレストランに支給しているためか、どこに行ってもそれなりに美味しい。ただ、日本人の中には、ある種類のフレンチ料理が重すぎたり、チーズっぽかったり、味気がなかったりするようだ。言い方を変えると、ハズレの店に結構出くわしてしまうのがフランスの難点である。リヨンがパリよりもずっと美味しいという話を聞くが、行ったことがないので解らない。

3位 台南・台北
台湾では何を食べても美味しい。屋台やその辺のレストランは、美味しいだけでなく、安い。陽春麺に黒白切をつけてみる。魯肉飯や台南油飯とスープを掻きこむ。夜市でジャンクフードを漁る。最高である。ただ、異国料理や高級店には外れも多い。台湾でイタリア料理や日本料理を試してみるとよい。がっかりすること間違いなしである。台湾では、安い地元のものの方がずーっと美味しい。台北101とかQスクエアの小奇麗な店は、大概イマイチだ。マーケティングに長ける鼎泰豊で一食無駄にしないで欲しい。MRTに乗って、台北市よりも南(永和・中和)や西(三重・板橋)で降りて、色々なものをトライして欲しい。驚くほどの掘り出し物にありつけるだろう。余談だが、台南の方が台北よりもさらに食を理解しているなぁ、と私は思っている。

2位 香港
香港は誰もが知るグルメタウンだ。飲茶、屋台の味、デザート類、朝ごはんの御粥に本格海鮮料理。何をとっても美味しいし、外れを引くことなど、先ず考えられない。さらに、英国の植民地であった香港では異国料理のレベルも高い。訳の解らない変わったレストランに入っても、台北のように外れを引くことはない。日本料理なども値段は別として、かなりまともなものが数多く存在する。

1位 大阪市
世界一のグルメタウン、それは大阪で間違いないと思う。私は大阪出身でバイアスがかかっているとか、そういう事ではない。大阪の食の文化と情熱が、他の都市と比べて抜きん出ているのである。市場に行ってみるとよい。食材の新鮮さが見て取れると思う。あまり物事を知らない人に「大阪はお好み焼きとか、たこ焼きとか、うどんとか、串カツとか、美味しいものが色々あって良いね」と言われる事がある。私は鼻で嗤って、あえて反論しない。知らん人は知らんでいいのだが、大阪の食文化の懐の深さは、そういう所にあるのではない。大阪には本物の日本料理を育てた下地があり、その技術や知識が、他の料理にも波及しているのだ。だから、和洋ジャンクを問わず、どのレスランを訪れても、ハズレにあたらない。世の中には「お得な料理」と「美味しい料理」があるが、大阪では「お得で美味しく一段上の料理」が気軽に食べられる。「ケバい調味料」をなるべく使わない、昆布でとった出汁を活かした上品な和食。瀬戸内で取れる新鮮な海の幸。ここ数十年は、東京でも大阪の味を食べられるようになっているが、人気の和食店は結局「関西系」だ。本物を知りたい人は一週間くらい大阪に滞在され、色々な店や市場など、特に市内中心部の割烹を回られることをお勧めする。

ただし、京都は入れていない。京都の和食は、上品さは光っているものの、無理やり京野菜とか鱧とか湯葉とかを使って、伝統を守り抜き独自色を出そうとし過ぎて敷居が高い。湯豆腐とかお茶漬けとか、形にこだわり過ぎている嫌いがある。世界には美味しいものが色々あるのだから、そういったものを積極的に用いれば良いではないか?大阪はうまいもんを提供しようと、よき伝統と革新が混じった素晴らしい食文化を持つ。牛フィレが美味しいのなら、それをカツにして和食として出せば良い。そういう大阪気質が好きなのだ。中途半端にお客さんの財布が緩い神戸は外れが多い。やはり、けちんぼが多く、競争が激しい大阪市内が抜けている。寿司、天婦羅、ラーメン、蕎麦。そういうものを和食と思っている外国人観光客は東京だけ観光しておけばよい。

旅先では、ハズレのレストランにあたる事が多く、結構がっかりさせられる。今後はハズレの話も書いていこうと思う。ただ、インターネット環境が整いすぎて、最近では狙ったレストランに皆行くので、ハズレることが少なくなっているようだ。そして、フランチャイズ店の進出で、不味くない店が増えてきた。だが、旅の醍醐味は、その辺の訳のわからない店にふらっと入って、その土地の文化と味を味わうことにあると私は信じている。このランキングは、ふらっと入った普通の店に感動させられる確率、と考えて欲しい。絶対的に美味しいレストランが存在するかどうかではない。

食のレベルが高い都市というのは、歴史、食産業の裾野の広さ、そして消費者の嗜好によって決められている。歴史的に食を愛し、新鮮な物を消費者に届ける物流を発達させ、食に五月蠅い消費者が不適なものを駆逐する。そういう皆の努力が、食に対する魅力的な都市を作り上げているのである。

興味のない人に勉強させるのは時間の無駄

私は長い間、人に物を教えている。学びたい人間に教える事は、とても楽しい。しかし、興味のない生徒に物を教えるほど馬鹿らしいことはない。要らないと言っているお客さんに押し売りをするようなものなのだ。学びたくない生徒にとっても時間の無駄だろうし、教壇に立つ先生側としても努力の無駄である。「親に行けといわれたから学校に行ってあげている」「給料を貰っているから教えなきゃ仕方がない」生徒と先生の本音の心境は、大学でさえこんなもんである。

アメリカの大学の授業でも、四分の一くらいは学位取得のためにいやいや学校に来て、効率よく単位を取りたいだけの生徒である。ただ半分くらいの生徒は積極的に学ぶ姿勢を見せてくれる。半分くらい反応の良い学ぶ気のある生徒が教室にいれば、授業は上手く成り立つし、教える側としても気分が良いものだ。

たまたまシアトルにやってきた日本の高校生を前に教える機会があった。日本語で話をしたので、語学の問題はなかった。20人ほどで、男女は半々だったのだが、びっくりするほどおとなしい子供たちだ。偏差値的に言って、馬鹿な生徒たちではない。態度は非常に良かった。が「お利口」さんというだけで、考える力がゼロなのだ。「何故こういう風になるのだろうか?」こういう「Why」クエスチョンを投げかけて指名してみる。すると、口をもごもごして答えられない。アメリカ人なら、ハッタリであったとしても、何かは答え、ほかの生徒がその意見に対してリスポンスする。

二時間の講義だったのだが、「暖簾に腕押し」といった感覚で、気分が沈んでしまった。私は、未来を背負う日本の生徒のために、「Out of Box Thinking」を少しでも誘発させてあげようと考え、色々なお話を用意した。結構時間をかけて用意した教材だったが、そもそも生徒側に興味がないので、食いついてくれなかったのだと思う。「You can lead a horse to water, but you can't make it drink」という諺がぴったり来ると思う。「馬を水場まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。」つまり、機会を与えてやることはできるがそれを活かすかどうかは本人次第だ、という意味である。

親がお金を払って、無理やり高校生をアメリカに二週間送っただけなのだろう。で、生徒は意味のないアメリカ旅行に連れて来られて、何故日本語で授業を受けなければいけないのか?とか考えながら、私の講義を聴いていたのだと思う。私はボランティア、つまり無償で授業を教えた。そして、むなしさだけが残ってしまった。

教育というものは、やる気のない人に物をやらさせるのは不可能である。「態度の悪い人間の素行を修正するプログラム」、「人々のやる気を誘発させるプログラム」、「反復練習によるスキルの獲得」、そして「考える力を身につける学び」。教育とは、大まかに考えてこの4パターンが存在する。この4パターンをごっちゃにすると、訳がわからなくなる。教育論を語るときには、そのあたりから考えなければならないだろう。

10/23/2015

日本語が滅茶苦茶な報道ステーション

東京に出張に行ったときに、ホテルのテレビに報道ステーションが映っていた。嫌なら見るな、と以前に書いたが、ここまでレベルが低いとニュースというよりは漫才である。

まず番組の冒頭で、「アベノミクスの勢いが上がっているのか、下がっているのか?」という質問を街角で聞いていた。この質問の意味が私には理解できない。アベノミクスという物は上がったり下がったりするものなのだろうか?主語のアベノミクスの定義が曖昧である。「昨今の(街角)景気が上がっていると感じるか、下がっていると感じるか?」という質問なら答えられる。嫌らしい言葉で誘導したいのかも知れないが「景気」を「アベノミクス」と言い換えるのは無茶である。

次のニュースでは「需要を喚起して、デフレを脱却しよう」と来た。細かいことは憶えていないのだが「需要を喚起して、経済のパイを拡げよう」とするべきところで、「経済のパイ」の代わりに「デフレ脱却」という言葉が飛び出したのだ。デフレ脱却とは、モノの値段が上がるという意味である。景気とは直接的には関係ない。インフレだから景気が良いとか、デフレだから景気が悪いとかの因果関係は無い。

面白いのは、次に安倍総理が携帯電話の値下げを要請する話しが来た。すかさず古舘は「携帯電話で浮いたお金で、景気も良くなります」と来た。前のニュースで「デフレ脱却」=「景気上昇」と仄めかしていた癖に、携帯料金はデフレ(値段が下がる)でもよいらしい。都合の良い解釈というか、節操の無さは流石である。

全体を通して筋が通っていないし、経済の事を理解していないかのような番組作りであった。というよりも、わざと変わった用語を用いて、視聴者を洗脳しようとしているのかも知れない。賢明な視聴者は注意して欲しい(というか、賢明な視聴者が報道ステーションをまじめに見るとは思えない、むしろそもそも報道ステーションにチャンネルを合わせないだろう)。

さらなるお笑いが待っていた。積水によるマンションの偽装のニュースだが、古舘の横に座っていた憲法学者のコメントがアホ過ぎて笑えるのだ。マンション偽装は住居権の侵害であり、憲法問題であるそうだ。御承知の様に、憲法は国と国民との間の問題を規定するものであり、民間と個人の間の問題は民法で解決するべき問題である。マンションの設計偽装は、民法問題であり、憲法問題ではない。しかし、エライ憲法学者には、当問題が憲法問題に映るようだ。国はマンション住民の住居権を侵害したと。偽装を確認する天下り先でも作って、ディベロッパーのプロジェクトは全て国が監視せよ、という意味なのだろうか?国がすみずみまでコントロールする夜警国家でも作りたいのかも知れない。借金漬けの我が国に、そんなに警察を置く余裕はない。

こういうお茶らけた番組を、真剣なまなざしで批判もせずに見ている人がいると考えると、鳥肌が立つ。或いは、多くの人は私と同じように茶化しながらこの番組をみているだけだろうか?

9/08/2015

マイナンバー後の管理社会、日本:水清ければ魚棲まず

国はマイナンバーという制度を導入しようと企んでいるのだが、私はこの制度を非常に危惧している。不正使用などの話しをする人がいるが、そんな運営上の懸念はどうでも良い。私はマイナンバーの行きつく先、つまり「国が個人の経済活動を100%管理する」という未来に危機感を覚えている。導入方法次第では、我々の財布の中身がすべて国に筒抜けになるからだ。

軽減税率について、マイナンバーを使った還付すら考えているという。食べ物を買った際に10%の消費税を含む支払いをするが、後日にたとえば2%分が還付されるのだという。これに対して、「手続きが面倒だ」などという声が上がっているが、それは事のポイントが解っていない人たちの意見である。今回のニュースで判明した事は、国側は最終的に我々の買い物をすべてマイナンバーでデータベース化しようとしている訳だ。クレジットカードなどとマイナンバーを直結させれば良いだけの話なのだから。


これは二重の意味で恐ろしい。一つ目の懸念が大手の優遇である。
大手スーパー、コンビニや百貨店はクレジットカードを使って軽減税率分の割引が効くが、零細小売店舗ではいちいち手続きをとる必要が出てくる。零細小売店のオポチュニティーコストは上がってしまう。或いは、クレジットカードなどを取り扱っていない零細小売店は商売にならないので、クレジットカード端末を導入せざるを得ない。それも零細小売店のコストの値上げに他ならない。大手は結果として国から優遇を受け、「規模の経済」プラス「社会的優遇」という、無敵のシールドを手に入れることが出来る訳である。

日本では、中小零細は税制で今まで「優遇」されてきた。中小零細のオーナーであれば、額面通りに税金を払う必要がなかったし、色々な経費も認められてきた。しかも、日本は現金社会であり、政府にばれないように人を雇用したり、取引をしたりするのが比較的簡単である。ただ、その程度の優遇がなければ、規模の経済を保つ大手企業には太刀打ちできない。しかし、そういった非特定財源への「優遇」を面白くないと思っており、公平を良しとする国側のアクションは、中小零細の繁栄を蝕むことになるだろう。日本の街がアメリカなどと比べて面白い一つの理由が、中小零細の店舗が充実している事にある。こういった日本の良さを殺し、コンビニとスーパーとチェーン店舗だらけの糞面白くない街を作ろうとしているのだ。まあ、既に時遅しという感じもしないでもないが。


次の問題は政府が個人の自由を侵害する事である。我々の収入や歳出に、国が過度に関わってくるという事実そのものが、私は気に入らない。税金を払ったり、色々な公的サービスそのものにも、私は疑問を感じるのだが、今回のマイナンバーは一線を超えていると思う。経済を上手く回すためには、「アホウな人が臨時収入でアホウな買い物をする」事が必要だ。クリスマスのギフトセールや、ボーナスでの買い物など、そういう無駄な消費が経済を回してくれるわけだ。即ち、会社のグレーゾーン経費での飲み会や、個人のへそくりによる支出や、商売人の伝票のちょろまかし、個人間の不明瞭なお金のやり取り。こういった物が経済の礎であるという事を私たちは決して忘れてはならない。杓子定規の役人のやり方は公平かも知れないが、人間の生活を杓子定規に載せると、私たちの生活は詰まらなくなる。


日本という国の地下経済は非常に大きい。ヤクザのしのぎとか、そういった話だけではない。個人経営の食堂や小売店などは脱税の温床である。だが、そういった人達がレクサスに乗ったり、百貨店でブランド物を買うから、経済は上手く回ってきたわけである。それを認めない霞ヶ関社会を認めたくはない。財布を国に常に監視されている国民が、経済活動を委縮させてしまう事が、何よりも怖いのである。それはまわりまわって、ゆっくりと皆さんの財布を直撃し、社会はもっと糞面白くなくなってしまう。私たちは自由意志で動く人間であり、檻の中で既存のペットフードを与えられている愛玩動物ではないのだ。


人々は安保法案や2%程度の消費税増税に怒り狂い、デモをする。こういったトピックは国会の議論の遡上に登る。しかし、マイナンバー制度が国民の議論となったという話を聞いたことがない。霞ヶ関は粛々とマイナンバー制度の導入を進めているし、大手企業が必死に自分たちの都合のよいようにマイナンバー制度を導こうとしている。政府は、効率を重視し、マイナンバーですべてを卒なく管理しようとしている。


国はソビエトのような管理社会を真剣に築こうとしているのではない事くらいは、誰でも解る。しかし、霞ヶ関のエリートが優秀なロボット役人を使って粛々とデータベース管理をすると、清き水に魚は住まぬ、という状態になるだろう。我々の経済活動は委縮してしまう。しかも財務省は、マイナンバー制度の運用を国民の手の届かない所に置いており、国の都合のよいように、どうとでも制度運用を変えられる。そもそも論だが、税制などは税務署員の胸先三寸で、どうとでも出来る(見解の相違)のだ。


マイナンバー制度がきちんと運営される事により、私たちは「自発的に」自由な経済活動を阻害される事になる。国から個人の自由を守るためにも、マイナンバー制度の運用に目を光らせる必要がある。個人の自由の侵害を認めてはならない。自由を侵害されていると憤る活動家は、安保や原発はどうでも良いので、こういった事にもっと力を入れるべきだ。どの政党に投票すればマイナンバー制度に歯止めをかけてくれるのか?私は、そういう政党を全面的に支援する。歴史の教科書を読んで欲しい。社会を清く美しくしようとするような運動が、結果的におかしな社会の流れになってしまう事が多々ある。水は少し濁っているくらいが魚は喜び、生態系は上手く回る。


上述の理由でマイナンバー制度に反対すると、サラリーマンは既に給料は筒抜け。トーゴーサンの下々の不正野郎たちを懲らしめろ、といった意見を言われる事がある。識者も、マイナンバーに反対すると、不正をしているような印象を与えるので、敢えて話題に触れたがらない。私はこのブログで声を大にしてマイナンバー制度に反対する。日本社会の水は少しだけ濁っておいた方がいいじゃないか、と。

PS 余談だが、日本社会の根本的な問題点は、無料のサービスとか、物でお礼をするサービスとかが多すぎるところにあると思う。それが原因で、サービス内容の割に、料金が安すぎると思うのだ。人の労力や時間は無料であれ、という考え方が主流なのだと思う。そういうのにきっちりと対価を払えば、GDPは一気に一割くらい上がると思っている。欧米であればお金がかかるだろうな、と思うことが大概無料だから驚かされる。私もコンサルのような仕事を無料で頼まれたりすることもあり、面食らう。「申し訳ない。ちょっとお願いします。」アメリカなら数百ドルくらいチャージする業務を、饅頭一箱でやらされそうになった事が何回あるだろうか?こんなんだから、ワーキングプアーとか残業とかブラック企業とかいう問題が発生するのだ。マイナンバーなどやってないで、そういうところの意識改革からしていかなくては、経済云々以前の問題だと思うのだ。きっちりとした貨幣経済(サービスに対してきちんとした対価を払う社会)になってないから、GDPで経済の価値が測れないなどといった問題が発生し、反資本主義者たちに政治利用されるのだ。サラリーマンでも主婦でも公務員でも「ちょっとお願いします」の仕事からきっちりと対価を頂くべきだ。近所の子供やおばあちゃんの世話、人生相談、飲み会のセッティング。なんでも対価を頂くべきだ。それを懐の財布に入れて夜の街に繰り出し、「宵越しの金は持たねえ主義でござんす。給料以外の金をお上に計上する気は毛頭ございません」とか言って、パーッと使って欲しいものである。それこそが皆の望む「幸せの国」の形である。私は快楽主義を信じている。管理社会の到来を許してはいけない。

7/28/2015

ソーシャルメディアに溢れるインテリ左翼の意見に苛立つ

地上波放送が団結して世論を誘導し、国民の過半数が右から左に、短期間で簡単に靡いてしまう日本という国の浅はかさに呆れかえっている。

自民党を大勝させて安倍政権を選んだ時点(2012年の年末)で、こうなる事は目に見えていた。私は、安保法案には賛成であり、アベノミクスには反対、そして安倍首相の政治家としての資質を疑問視している。ただ、国民やマスコミが、いまさら安保法案に反対し、旧左翼みたいな連中を持ち上げてみるのは、酷い。

民主党を当選させたのもマスコミならば、民主党を大敗させたのもマスコミだ。そして、安倍政権に圧勝させたのもマスコミであるし、安倍政権の支持率を落としているのもマスコミだ。総理大臣の首を毎年挿げ替えたのも、間違いなくマスコミだ。マスコミは、日本の将来や政治を商売道具として使っている。お金を稼ぐために節操がないのは、ある意味で理解できる。しかし一部の国民はそんな節操のないマスコミに踊らされている「ただのアホウ」である。もう少し一人一人が信念を持たないと、議会制民主主義は成立しない。

絶滅したと思っていた、大嫌いな「左翼思想を持つインテリ達」がソーシャルメディアで元気になっている。ソーシャルメディアには、実名が要求されるためか、罵詈雑言がお好きなネット右翼の意見は目立たない。翻って、左翼の連中は実名で堂々と意見を言う。フェースブックとかに安保法案反対とか、安倍を下ろせとかの、どうでも良い政治メッセージが溢れているのは、居心地が悪い。しかも、そういった意見に「Like」を押すと、インテリぶることが出来る。友人や知り合いが「Like」を押していると、「左翼的な思想があるのかな?」と勘繰ってしまう。

自衛隊が違憲だという事は、子供でも解る。必要最低限の事ですら、違憲になってしまうお花畑憲法を採用した我が国で、安保法案が違憲だと来た。普通に憲法を読めば、安保も何も、武力に関わる物は違憲になると思う。いい加減、憲法から理想論を駆逐して、まともな物にしたらどうなのか?冷戦下の日本の平和は、「平和憲法(笑)」が守って来たのではない。共産党国家の御家騒動と、日米安保が日本の平和を保ってきたのだという現実に、インテリ左翼はきちんと向き合って欲しい。

7/20/2015

「天皇の料理番」の脚色が酷過ぎる件

私は、韓国や中国で繰り返されている日本人悪玉論が気に入らない。日本人は明らかにスケープゴートにされており、「日本人に苛められた」というストーリーの元、国民は団結するわけだ。ある種、差別的な扱いを受けているともとる事が出来るだろう。

しかし、日本国内においても、似たような言動が目立つ。それは、「欧米列強による日本人蔑視」という話しである。アジア人などを蔑視するような欧米人もいるにはいるが、「白人悪し」のような論調は、ある意味で韓国や中国のメディアと同レベルであると映ってしまうのだ。

少し前の書き込みで指摘した、「クジラ」問題についても、白人による日本文化蔑視で片付けようとする人もいる。原爆や空襲の被害を日本人への差別だと論じる極論にもお目にかかる。はっきり言って、思い込みが激しいにも限度があると思うのだ。

私は忙しくて日本のドラマなどほとんど見ないのだが、「天皇の料理番」を見た。事実とは乖離しており、「脚色が酷過ぎる」とは思うのだが、良くできたドラマに仕上がっており、楽しませてもらった。ただ、フランス修行中に厨房の中で差別的な出来事に遭遇した話は多めに見たとしても、最終回のGHQによるアメリカ人に差別的な扱いを受けるストーリーには、見ていて腹が立った。しかも、そういった差別的な発言を受けた連中相手に鴨の振りをしてみたりする。これが、本当のストーリーであれば仕方ないかもしれないが、恐らくそのような事が行われた筈はないと思う。つまりは、原作者の「白人蔑視」に由来すると考えるしかないと思うのだ。

韓国や中国で日本人が悪玉にされているのを見て怒る日本人はたくさんいる。同じ理由で、日本人は白人に苛められていたという、チープで情けない白人悪玉ストーリーに対しても、しっかりと声をあげて欲しいと思う。情報が少ないため、鬼畜米英と思い込んでいた人が多かった事と、欧米人の中にも差別意識を持つ人間が大勢いた事は事実である。だが、そういう物をストーリー化するときには、客観的にどのように見えるかをキチンと考えてバランスの良い物を作って欲しい。違う角度から見た時に、日本人には蔑視感情があるのではないか?とばれてしまうようなストーリー作りはして欲しくない。

7/08/2015

シアトルの不動産熱と現金買い中国人達が消えてしまった事について

シアトルで急に高くなったものといえば、家賃である。ワシントン州は、州のインカムタックス(所得税:ただし、国の所得税は課せられます)がない代わりに、セールスタックスが高く(消費税:ただし、食料品にはつきません)、プロパティータックス(固定資産税)が馬鹿高い。住居やアパートを持っていると、資産評価額(路線価に相当)に何パーセントといった形で税金がかかる。

サブプライムの問題のあと、資産評価額が大きく落ち込んだ。それが2011年ごろから急激に回復してきたのだが、回復した分だけ税金も上がってしまう。その上昇分を、家主がテナントに負担を求めたのだ。さらに、シアトルには毎月300人のコンピューターエンジニアが移り住んで来ている、などという景気の良い話も聞く。流入してくる人が多いので、不動産市場は売り手市場。家主はテナントにふっかける、という構図が出来上がっている。

これが、ここ数年のシアトルの住宅事情である。しかも、サンフランシスコやバンクーバーの高額な不動産市場を避けてやってきた中国人たちだ。億単位の豪華な家は、売りに出せば中国人たちが現金買いしてくれるのである。シアトルの不動産市場に一点の曇りもなかったわけだ。値段はどんどん上がるぞ、と。

しかしここ数週間、ベルビューやカークランドが位置するイーストサイドの不動産市場の様子に変化が生じている。一億、二億とかする高い物件が急にだぶつきだしたのだ。原因は、現金買いの中国人たちが姿を消してしまった、というのだ。やはり中国経済はそこまで悪化しているのだろうか?

ただ、3千万から7千万くらいまでの、一般人が手を出せる程度の住宅は、飛ぶように売れている。サインを出して一週間以内で売買が成立することなど、珍しくない。特にシアトルの北側の不動産は非常に熱い。単純に需給が逼迫しているものと考えられる。家の在庫以上に人が来ているのだ。

いずれにせよ、中国の景気悪化が、北米の不動産市場にどのような影響をもたらすのか?注視する必要があるだろう。

7/02/2015

百田尚樹を叩くマスメディア

私は百田さんが好きである。というのも、百田さんは小さい頃から親しみがあるからだ。関西で育った私は、漫才師が司会をする夕方のお笑い番組をよく見ていたが、ちょこちょこ放送作家の百田さんが出てきて漫才師と絡むのが面白かった。例えば、トミーズが司会をしていた「うぉんてっど!」というABCの番組が好きだった。雨上がり決死隊とか、バッファロー吾郎とか、ベイブルースとかが出ていたのだが、そういった吉本の若手漫才師(当時)に放送作家の百田さんが絡むのだ。私の中では、おもろい禿のおっさん、というイメージしかなかった。百田さんが探偵ナイトスクープの構成を担当していた事も、皆が知るところだろう。百田さんは吉本の漫才師を束ねる台本書きなのである。そして関西人は皆、百田さんの書いた台本に笑い、日常を送って来たのだ。

その百田さんが「永遠の0」を執筆し、売れっ子作家になる。そして、今では右翼コメンテーターの様なポジションになっている。私の中では、百田さんは未だに大阪出身の「禿のおもろいおっさん」であり、庶民の考える普通の意見を歯に衣を着せずに発言しているだけにしか見えない。そして、それこそが放送作家時代に百田氏が磨いた演出力であり、何を言えば聴衆が食いつくかを熟知しているのだと思う。

マスコミにすれば、「放送作家の百田さん、ごちそうさん」という事になり、百田さんの発言に尾ひれがつく。それに対して熱くなっている一部の視聴者は、所詮はマスコミの掌の上で踊る「アホウな国民」なのだろうし、百田氏を政治討論会とかの真剣なイベントに呼ぶ自民党の先生たちは、「本当の馬鹿」なのだろう。

私は百田さんの芸風が大好きだし、今後も応援したい。

6/05/2015

アメリカンフェイロー、三冠なるか?

アメリカンフェイローが明日にベルモントを走るのだが、ええ加減に三冠馬を誕生させてほしいと思うのだ。三冠馬さえ誕生してくれれば、アメリカの三冠体系などにメスを入れることが出来るようになると思う。前の二レースが圧巻だっただけに、ベルモントの長い直線でも圧倒的なパフォーマンスを見せてくれるものと願っている。八頭立てで、ダークホース的な存在も見つからない。怪我さえしなければ、余裕勝ちできると思う。馬連はアメリカンフェイロ―とフロスティッドの一点でも良い、というようなレースだ。

因みに、アメリカンフェイロ―の馬主はエジプト人なのだが、アメリカンファラオと登録したかったところ、スペルを間違えて、フェイロ―となったという。初めは何て読むか解らなかったが、そういう事か。

5/21/2015

水族館が太地町からイルカを調達できない問題

太地町の追い込み漁で捕獲したイルカを、世界動物園水族館協会(WAZA)に加入している限り入手できなくなる問題が浮上している。日本の新聞紙面を見ていると、欧米の圧力により、太地町のイルカ漁がターゲットにされているような印象を与える。「追い込み漁は残酷」だという事だ。

しかし、この問題は日本にターゲットを絞った問題ではない。水族館のイルカやオルカを解放しようという動きが、欧米を中心に巻き起こっている。この問題が大きくなった理由に、「Blackfish」という映画の反響が大きい。この映画はフロリダ州のシーワールドのシャチがトレーナーを殺した事故について言及し、それを通じて海洋哺乳類をエンタテイメント産業の一環として利用する産業そのものとシーワールドに対してその意義を問いかけている。この映画がきっかけとなり、シャチの扱いをめぐってシーワールドに対する圧力や抗議の声が高まった。シーワールドの来場者数は減少しており、経営にもかなりの影響を来たしている。

バンクーバーやベイエリアの水族館にも同様の抗議が殺到していると言う。鯨類を遊びに使うな、自然の物は自然に返そう、という意見が一部の運動家の間で連呼されている。勿論、これらの連中はノイジーマイノリティーであるが、自然環境運動家という産業の一翼を担っており、シンプルな人達からの寄付で運営費が賄われている。一方で、水族館は子供や家族相手に商売をしている訳である。無茶苦茶な話とは分かっているが、キチガイが館の前で大声で抗議していては、お客さんは逃げてしまう。批判された時点で負けの水族館側は絶対妥協すると解っているから、抗議団体は強気で出ている訳だ。

欧米の水族館は、これらの問題に屈しているようである。Blackfishに取り上げられたことは、科学に基づかない言いがかりであるのは明らかだろう。シーワールドは戦っているが、戦えば戦うほど、経営は圧迫され、不利になる。モラルで攻められて、行き場を失うどこかで見た戦いを強いられているのである。ナイーブな親が可哀想だ、などと言いだせば、学校の遠足などでイルカショーに生徒を連れて行くことはできなくなる。水族館の経営はかなり厳しくなる。

日本の水族館は、これらの不満を持つ欧米の水族館と連携し、新たな協会を作るなどの工夫が必要だろう。連中の最終的な主張は、「追い込み漁は残酷」などではなく、「動物の福祉が大切」であるということだ。つまり、動物園や水族館は「悪」だというのが彼らの主張であるという事を忘れてはならない。WAZAはショートタームの経営を見据えて、動物愛護団体に譲歩したのだと思う。だが、連中の最終目的が何かと考えると、水族館や動物園がそれらの団体に譲歩をする事は危険である。近未来には動物園や水族館の存在意義すらを否定される事に繋がるだろう。謝ったんだから、もっと謝罪しろ、という訳だ。

イルカやシャチが小さい水槽で芸をさせられているのは、まあ、可哀想の定義の仕方にもよるが、「哀れ」である。誰にもそれは批判できないだろう。だからこそ、この問題は防戦一方となってしまうのだ。ただ個人的には、ペットが縄で繋がれているのが可哀想くらいの哀れさであり、残酷であるとは到底思えない。

5/17/2015

投票には行けず:私のせいで大阪市は潰れず、橋下市長は辞めざるを得なくなった

ある程度の知能があって、公的な物からの利権を享受しておらず、関西や大阪の未来を案じている人であれば、橋下市長の大阪市解体論に賛成だったと思う。

私も激しく賛成である。が、結果は大阪市解体はならなかった。はっきり言って、残念である。

シルバーデモクラシーであるとか、若者が投票に行かなかったとか、言われており、私も憤慨した。大阪市の若者は何を考えているのだ、と。

ちょっと待てよ。実は私も、そんな投票に行っていない若者の一人である。現在シアトルに住んでいるのだが、住民票は大阪市にある。大阪市民として投票の権利があり、実家に投票の案内が届いている筈だ。で、大阪市解体に激しく賛成する私は、シアトルにおり、大阪で行われた投票には行けなかった。残念である。

20代から40代くらいの人は、仕事や人生設計の関係で、移出や移入が激しい。逆に、年寄りになると腰を落ち着けるものだ。大阪市の様な都会であれば、特にその傾向は激しいだろう。大阪市の若者のうち投票権を持つ人で、実際に大阪市内に住んでいない人たちはどの程度いるのだろうか?逆に、最近大阪市に引っ越して来ており、大阪市の事などどうでも良いと考えているので投票に行かなかった人はどの程度いるのだろうか?

私は3月に東京に出張した。新橋駅界隈の居酒屋で、久々に集まった高校のクラスメートたちと、橋下大阪都構想について話す。皆、大阪市で生まれ育って、現在は東京で働いている連中だ。大阪の、そして関西の未来を憂いている。全員、大阪市の解体に賛成であり、激しく熱い思いを持っていた。「大阪がちゃんと頑張ったら、俺らは大阪で暮らせたのに」と。

私はホームシックっぽい気持ちになる時は、いつもこんな事を考える。大阪の景気が良ければ、暮らしやすいとはいえシアトルなどに来る必要もなかった。私は、自分が生まれ育った大阪で、大阪弁を使って、商売をしたかった。親の商売を継ぎたかった。社長とか呼ばれて、新地で遊びたかった。そんな未来予想図は実現しなかった。今は、アメリカの税金で食わしてもらい、母国語でもないものを使って生活している。俺はいったい何をやっているんだ、と。

人間は、景気の悪い所から、良い所に流れる物なのだ。友人である大阪の子たちの多くは東京で定職を得た。大阪に残っている人は、医者と坊主とどうしょうもない子だけだ。「ちゃうわ!おまえ、あほちゃうか」少し酔って来て、汚い大阪弁で友人たちと、熱い討論を交す。友人たちも、仕事場や家庭で大阪弁を使えない鬱憤を晴らしているようだ。

「うちは大阪市解体しても北区のままや」「俺んとこは南区になんねんぞ。それでも大阪市はいらん」「俺が一番むかつくんわ、大阪市で暮らしたこともない連中がゴチャゴチャ言う事や。外野の癖に」「俺らも今は外野やんけ」横のテーブルに座っているサラリーマンも、大阪弁を喋っている。未来の無い関西という街から東京にやって来て、そして衰退する故郷を憂う。明日はデルタの166便で太平洋を越えなければならないので、酔い覚ましを兼ねて歩いてホテルまで戻る。

大阪市よ、若者の未来のために、そして大阪を出た私たちの為に、是非とも潰れてくれ。そして、私たちを呼び戻し、自分たちの言葉で自由に会話をさせてくれ。深夜の新橋で鐘の音を聞く。みおつくしの鐘の音か?そんなわけもない。右手に霞ヶ関の官僚街とその奥に皇居が見える。故郷の大阪にも帰らずに、アメリカから東京だけに寄った出張。世界最大の街、東京の真ん中で深夜に思いを巡らせる。私は大阪出身の大阪の子である。大阪よ、大阪よ。おまえは俺らに何をしてくれるねん、と。そして、俺はおまえに何をしてあげられるねん、と。

5/15/2015

周りで大阪市を廃止する事に反対する人に会った事もない

グリズリーズのトニー・アランがふくらはぎ痛の影響で明らかに動けなかった。メンフィスはGSを破る事ができるチームと思っていただけに、非常に残念だ。

さて、大阪都構想だが、大阪市民である父親と喋った。父親によると、「周りで大阪市の廃止(都構想)に反対している人なんか一人もおらんよ」という事だった。それでは何故世論調査で半数以上の人が都構想に反対なのか?

「貧乏な区で生活保護を貰っている人は皆反対違うか?」という事だった。西成区とか、平野区とか、住吉区とか、生野区で、生活保護を貰う老人は、「大阪市が廃止されたら生活保護を減らされるよ」などと脅されているらしい。逆に、旧大坂三郷に住んでいる人で大阪市の廃止に反対している人などいないのではないか?

世論調査だが、昼間に行っているので反対が多いという説もある。昼間は定職に就かない生活保護者に電話がつながる。夜に電話をして、所得の高い人達の話も聞けば結果は全然違うのではないだろうか?

大阪都構想に反対する意味不明な人たち

グリズリーズもクリッパーズもダラダラしていて、私が嫌いな入れるだけのバスケを見せられて、結構イラついている。今日はバスケの話はしない。しかし、グリズリーズは四人が息ぴったりなので、トニーアランが欠けては先ず勝てなくなる。アランの代わりを務めた元ソニックスのジェフ・グリーンは何?そしてビンス・カーターのあれは何?ディフェンスは駄目、攻撃も入らず。ふざけてるの?

ところで、大阪都構想だが、一体誰が反対するの?大阪市の職員とか、大阪市のコントラクトをしている業者が、自分の保身で反対するのは理解する。が、他の人たちが大阪市を潰さないという理由が解らない。大阪市がどれだけ無駄の固まりかくらい、実際に住んでいれば気付くと思うのだ。

私は大阪市で生まれ育った人間として、関西の中心地としての「大阪」を愛している。だからこそ、「大阪」の復活のためにも、「大阪」の癌である大阪市を完全に潰して欲しいと思っている。通勤途中に頭の中で小学校時代に歌わさせられた大阪市歌がむなしく鳴り響く。


高津宮の昔より、世々の栄を重ね来て、民のかまどに立つ煙、
にぎわいまさる大阪市、にぎわいまさる大阪市
なにわの春の朝ぼらけ、生気巷にみなぎりて、もの皆動く生業の
力ぞ強き大阪市、力ぞ強き大阪市
東洋一の商工地、咲くやこの花さきがけて、よもに香りを送るべき
務めぞ重き大阪市 務めぞ重き大阪市


大阪の衰退が始まってから、すでに時は久しい。現状維持は地獄へのフリーフォールである。たぶん無理だとは思うが、大阪市を潰す事は、大阪が復活するチャンスにはなり得ると思うのだ。私は大阪が大大阪と呼ばれた空気の汚かった時代を知らない。衰退激しい今の大阪を見るのは嫌なのだ。

5/11/2015

グリズリーズが二勝目、クリッパーズは三勝目

我がグリズリーズはGSをメンフィスで沈めて2勝目を手にした。ディフェンスが上手く機能し、スプラッシュブラザーズのスリーポイントの雨を許さなかった。スプラッシュブラザーズの点数は、ステップ・カリーが23点、クレイ・トンプソンが20点と、そこまで悪くない。ただ、控え組みが酷い。田口とPGの控えを争っていたバルボサは点数なし。これではどうしようもない。今まで上手く行き過ぎていたためか、ディフェンスを強化されてかなり焦ってプレーしているように見える。TNTでチャールズ・バークリーが言っていたが、綺麗な女(シューター)は点数が入れられなくなった瞬間に馬鹿な女に見える、という格言がピタリと当てはまる。

一方で、ヒューストンも情けない。ジェレミー・リン、チャンドラー・パターソンそしてオメア・アシック。お気に入りの三人を流出させて、「押し」だけで勝とうとするチームを作り上げてしまった。チームディフェンスは無し。点数を入れれば勝てるという哲学の元でのチーム作りである。勿論、こういうチームはレギュラーシーズンでは機能する。が、見ていても深くなく単調で面白くない(点数の入れあいが好きな人は別)。で、やはりと言うべきか、クリッパーズ相手に苦戦している。

クリッパーズは、スパーズを負かしただけあって、かなり強い。しかも、クリス・ポールが火病を見せず、アンセルフィッシュなプレーをしているし、きっちりとシュートも入れてくる。さらに、センターのチンパンジー、じゃなくて、ジョーダンがリバウンドを取りまくる。チームディフェンスもキッチリと心得ている。今年のNBAチャンプはクリッパーズかグリズリーズだろう。次のラウンドが実質のチャンピオン決定戦で、楽しみで仕方ない。インサイドで、ランドルフとグリフィンが揉み合いをする試合をいっぱい見る事が出来るだろう。

一方、東はスロッピーである。ワシントンDCとアトランタの試合は「見る人いるの?」というような組み合わせだし、シカゴとクリーブランドも試合としては面白いが、実力的に落ちる「おもんない試合」をしている。

Go Grizzlies!

5/06/2015

GSウォリアーズVSメンフィス・グリズリーズ

我がグリズリーズが優勝候補のGSと対決している。シンコデメーヨ(五月五日)に行われた第二戦の前には予想通り、ステップ・カリーがMVPを受賞した。3ポインツシュートの撃ち方など、レイ・アレンやレジー・ミラーなどと比べても、カリーのほうがシュートの撃ち方が綺麗だ。

まあ、それは良いとして、第一戦と第二戦の結果が極端に違って面白かった。ポートランドとの激戦でマッコラムに肘撃ちをされたグリズリーズのPG、マイク・コンリーJrがいるといないのとで大きく結果が左右されてしまったのだ。ただ、第一戦と第二戦の違いはスタッツに如実に現れているので詳しく見たい。



GS対メンフィス 第一戦 (2015・5・3@サンフランシスコ)101-86 GSの勝ち


シュート:メンフィス33/73(45.2%)  GS39-77(50.6%)
FT:メンフィス17/22(77.3%)  GS10-15(66.7%)
アシスト メンフィス24  GS26
リバウンド メンフィス37  GS39
TO メンフィス15 GS15
スティール メンフィス13 GS13

シュート率がGSのほうが若干良いが、これが点数差につながったわけではない。点数差を導き出したのは、3PTSである。
3PTS メンフィス3-12(25.0%)  GS13-28(46.4%)
3PTSだけで30点の点数差がついている。GSの46.4%という数字は出来すぎである。グリーンとカリーの二人が大爆発をしたのである。シーズン中のGSの3PTS率は37.1%なので、この数字に帰結すると考えるべきである。

一方のメンフィスは情けなかった。GSがある程度の守備をしているとはいえ、点数が入らない。ランドルフ、ガソールとアレン以外の選手が点数を入れられないのだ。特にコンリーの変わりに先発で出場したカレータスが駄目だった。動きは遅いし、不要なパスは出すし、ボールを回せられないし、FTすら入らない。3PTSでは躊躇して無駄な動きをした挙句にターンオーバーとか、最悪だった。カレータスは昨年のプレイオフ前に薬物使用で出場停止を食らった。高校時代は現マブスのパターソンと一緒にプレーしていた。まあ、悪い選手ではないが、優勝候補相手に荷が重すぎたのだろう。

GS対メンフィス 第二戦 (2015・5・5@サンフランシスコ)90-97 メンフィスの勝ち

シュート:メンフィス31/74(44.6%)  GS31-74(41.9%)
FT:メンフィス18/20(90.0%)  GS22-28(78.6%)
3PTS メンフィス5-15(33.3%)  GS6-26(23.1%)
アシスト メンフィス19  GS16
リバウンド メンフィス39  GS45
TO メンフィス13 GS20
スティール メンフィス13 GS6

GSの3PTSの成功率が極端に下がったのが解ると思う。それに対して、メンフィスは二本ほど多めに3PTを入れた。この結果を見て、GSのトンプソンとカリーが調子が悪かったのだと言う人が大勢いるのだが、スタッツはメンフィスのディフェンスがこの結果を作り出している事を証明している。

まず、アシストだが、GSは一戦で26だったものが16にまで減っているのだ。これは明らかにメンフィスのディフェンスの賜物だ。コンリーを入れたことにより、シューターのディフェンスがしやすくなった。そして、忍者トニーアレンのスティールを警戒して、GSがボールを回せないのだ。さらに、GSのターンオーバーは5個増えている。どれも素晴らしいディフェンスによるものであった。コンリー、Z坊、ガソール弟、トニーアレン。息がぴったりなのだ。


ゴールデンステートがシュートを何本か決めてしまえば、この結果はひっくり返る。第二戦ではメンフィスよりの私でさえも、審判があからさまにグリズリーよりなのではないか、と思えるものもあった(特に前半)。でも、メンフィスのディフェンスも衰えないだろう。本命シューターチームとダークホースのディフェンスチームの戦い。メンフィスに戻っての土曜日の第三戦が楽しみだ。

頑張れ、グリズリーズ!

5/03/2015

今年のダービーウィナー、アメリカンフェイローは強い

爆逃げすると思っていたマテリアリティーが内枠で出遅れてしまう。結果、物凄く落ち着いたペースになり、前につけた強い三頭だけの競馬になった。そして、人気通りの結果となった。

先ずはドルトムントが垂れてしまった。内で必死に我慢したゲイリー・スティーブンスのファイアリングレーン。そして、それを外から被せて負かしたエスピノーザのアメリカンフェイロー。勝った馬は強かった。

アメリカンフェイローの父のパイオニア—オブナイルもボブ・バッファートでケンタッキーダービーを二着に持ってきている。馬主のアーメッド・ザヤットはカイロ生まれのエジプト人である。因みに、ドルトムントもボブバッファートの馬であり、バッファート一色の結果となった。

エスピノーザはウォーエンブレム、カリフォルニアクロームに続くケンタッキー三勝目。調教師のボブバッファートはシルバーチャーム、リアルクワイエット、ウォーエンブレムに続く四勝目。ウォーエンブレムの騎乗で揉めたエスピノーザとバッファートの久々のコンビで大きい魚を得た事になる。しかし、バッファートはウォーエンブレム以降にケンタッキーを獲っていないと言うのが、意外と言えば意外である。

ピムリコはこなせそうだが、問題は潰すほど早く逃げる馬が出るのではないのか、という懸念が残る。そして、最後のベルモントの直線は長い。三冠を獲るのはそう簡単ではないが、この馬は間違いなく強い。血統的に距離も心配ない。健康に走ってくれれば、もしかしたらもしかするかもしれない。

2002 War Emblem 50%  (気性が心配)
2003 Funny Cide 40%   (距離と気性が心配)
2004 Smarty Jones 70%   (距離が心配)
2008 Big Brown 45%    (血統だけの馬っぽい)
2012 I'll Have Another 90%  (死角はなさそう→怪我)
2014 California Chrome 75%  (血統が心配)

プリークネスを勝ちさえすれば、今年の三歳は強い馬を見ていないので、アメリカンフェイローが三冠を取る可能性は怪我で三冠挑戦が叶わなかったアイルハブアナザと同等か、それ以上(95%)とする。

4/24/2015

GSスティーブン・カリーは本物

今年のMVPはスティーブン・カリーだと思うのだが、GSの攻撃力は素晴らしい。

ニューオーリンズ・ペリカンズとの第三戦、眉毛つながりのアンソニー・デービスとライアン・アンダーソンの活躍で、第三クオーターの終わりには20点差とした。一位とは言え、ゴールデンステート・ウォーリアーズも情けないなぁ、と思いながら、アイスホッケーのバンクーバーとカルガリーの試合を見ていた。

しかし、奇跡は起こった。GSがなんと同点に詰めたのだ。ショーンリビングストーンとバルボサが結構活躍して点数を詰めたのだが、最後はやっぱりカリーだった。3PTSを沈めて同点。GSがOTをモノにした。

ただ、グリズリーズはペリカンズほど簡単にいかないと思う。我がグリズリーズが、例えばトニー・アランをカリーに貼り付けてくれば、見ていて楽しいゲームになると思うのだ。ゴールデンステーツ対メンフィスのゲームに期待。

安倍首相の戦後70年談話について

こんなものを気にしている人は、右の人と、左の人と、戦争を体験した老人だけで、普通の日本人の感覚としては、どうでも良い事です。私が安倍首相を気に入らない理由は、このようなどうでも良い昔の事で、意見が右と左に分裂して、どうでもよい議論が起こるという事です。

現在の日本には、歴史認識問題以上に大事な事が五万とあります。そういう事を優先するほうがよほど建設的だと思うのです。

戦後歴史認識に関しては、個人的には色々といいたい事があります。しかし、事実に則って喋ろうと、戦勝国よりに彎曲して喋ろうと、やや自虐的に喋ろうと、自己肯定的に喋ろうと、何をしてもどこかから文句を言われます。何をしても文句を言われる事に時間を割くことは、阿呆がすることです。

聞く人の立場になって喋れとか言いますが、聞く人が普通の人だけではなく、政治かぶれしたモンスタークレーマーや、日本をスケープゴートに使わなければ政権運営も危うい国の政治家たちです。そんな連中に合わせて無駄な時間を割く必要はないと思うのです。

村山さんは、たぶん本当に善意であのような談話を出したのだと思うのです。で、優しさが転じて政局化されました。よって、私の意見としては、戦後談話など出すべきではない、そして本国の軍人・民間人及び外国人の戦争犠牲者に敬意をあらわすだけで良いと思うのです。どういう意見があろうとも、歴史認識などは学者に任せて、政治家は喋らない事こそが国益だと思うのです。

4/15/2015

政府はアホな事ばかりする物

私は、「政府など邪魔だ」と頑なに信じている。政府の判断力は、民間や個人の判断よりも良いとは言えないし、小回りが効かない。よって、政府が経済に介入するべきではない、と思っている。よって、補助金や規制などは全て撤廃するべきだと信じている。政府の役割は、必要最低限のルールブック作りと、警察・軍事だけでよいと思う。

で、いまさらになってアベノミクスが失敗だなんだと言っている人がいる。アベノミクスは失敗していない。言った通りの事をしているので、失敗も糞もない。黒田さんにも、言った通りの事をさせている。安倍首相を国民が選挙で選び、安倍首相が黒田さんと一緒に言ったとおりの事をしたのだから、文句を言うのは間違いである。

それでも「人々の暮らしが良くなっていないではないか!」などという人がいるが、そういう人はお寺や神社にでも行って神様相手に願掛けをしておけばよい。そもそも政府に景気を良くする処方箋などあるわけがないのだ。政府の役目が人々の暮らし向きを良くする事だと思っているようなメデタイ考え方をしている人が多いのだから、この世界は楽しい。

政府ができる事といえば、市場を乱す事だけである。アベノミクスは、金融緩和やそれに帰結する円安で、まさに世界市場を乱した。アベノミクスはまだまだ続く。もっともっと市場を乱してくれるのだ。その波にうまく乗り、その向こう側にあるキャタストロフィーから上手く身を守りさえすれば、一方向に動く市場というものは確実に儲かるのだ。

政府に期待したり、文句を言ったりする暇はない。馬鹿な政府のインチキ政策を見越した上で、うまく波に乗る。こういうところにしか、濡れ手に粟の好機は存在しない。政府が馬鹿であればあるほど、賢い人がもうかる仕組みになっているのだ。

私は無駄な政府がしょうもない事をするのを、非常に腹立たしく思う。政府が邪魔をしなければ、多くの一般人が不必要な痛手を強いられずに済むからだ。しかし、逆に政府がアホであればアホであるほど、色々な美味しいケーキを落としてくれる。もちろん、それらが一般市民の痛手の上にあるという事は解っているのだが、自分がそのケーキを食べなければ、他の糞野郎がそれを食べるだけなのだから、私は積極的にケーキを食べに行きます。

4/07/2015

マスメディアが中立公平であるなど、不可能

マスコミについて意見をする人が大勢いる。いつも驚くのが、「マスメディアは中立であれ」という前提に立って議論している文化人の多いことだ。中立公正な立場など、建前であり、絶対に実現不可能である。

世の中には多くの人間が住んでおり、多くの意見が存在する。違う意見や価値観を持つ人の視線で物事を見ると、同じ現象であっても違いが出るのは当然の事である。

左右の話しをすると、いつも訳が解らなくなるが、左の人が見る風景と、右の人が見る風景は、同じものを見ようとも、違っていて当然なのだ。

公正であるべきであるからこそ、朝日は基本的にはリベラルな番組構成をするだとか、読売は保守的な番組構成をするとか、そういった情報の開示が必要になってくる。そういうレンズを通して物事を観察していますよ、という事を何らかの形でわからせる必要がある。で、ほとんどの日本人はそれを理解していると思う。

朝日の番組を見て左翼的だから気に入らんとか、産経のニュースを見て保守的すぎて気持ち悪いとか、面白いことを言う人がいるが、嫌なら見なければ良いだけの話しである。NHKは公共放送だから中立でなければならない、とか言う人がいるが、それならば中立を定義しろ、と言いたい。嫌なら見るな、と。

同質性に安心感を求める日本人には特に多いのだが、物事に絶対の真実があると考えている人が大勢いる。そして「中立公正」という幻想を見るのだろう。私にとって、マスメディアの報道は、「馬鹿」か「まとも」、そして「好き」と「嫌い」の二次元に別れている。馬鹿で自分が好きじゃない報道に出くわせば、チャンネルを変えれば良いだけの話しである。

放送法自体がいかれていて、放送は「政治的に公平でなければならない」とある。そんな事は無理なのだから、放送法を変えるべきだと思うのだ。民主党よりや、自民党よりのニュース番組がある方が世の中はまともに機能する。小泉自民党を支持していたと思ったら、急に安倍自民党を一斉にこき下ろし、民主党を持ち上げ、手のひらを返して一斉に民主党をけなし、安倍を礼賛しておいて、次はアベノミクスは機能していない。こういう風に、全マスコミが同じような意見をいう状況のほうが完全にイカレている。中立というものが存在し、中立に立った意見を言うのが義務であれば、コメンテーターは必要なくなる。

虚偽報道やプロパガンダはいけない。だが、どこかの政党寄りの放送をして、何が悪いのだ?局の視聴率に響くだけの事だろうと思うのだ。

報道ステーションの報道内容が偏っていることくらい誰でも知っている。古舘が薄っぺらい人間で、一般常識的な知識がなく、感情を煽る事くらいしかできない事など、皆が知るところだ。それが嫌なら、見なければ良いのだ。報道ステーションに嫌悪感を抱きながら、その報道を真面目に見続けている人間こそが異常だと私は感じる。(アンチ巨人のように、冷やかしで報道ステーションを見ている暇な人はアリです。)

3/16/2015

メルケル氏をを政治問題化させたい人たち

日本とドイツの関係はいたって良好である。何の問題も抱えていない。自動車や機械など、産業構造が重なっているため、米国や中国の市場では競合する強者である。真面目な国民性も似ている。そして、第二次大戦の敗戦国として、ある種の否定したい友達意識がある。恐らく、大勢の日本人にとって、ドイツとのイメージは良いと思う。それはドイツで日本のイメージが良いのと似ていると思う。

メルケル首相が、日本で極一般的なスピーチを行った。「戦後処理を自国は上手く行った。日本も隣国と仲良くやって欲しい。ただ、状況が違うのでアドバイスする必要はない。」こんなにも常識的な話はあるだろうか?

それを右と左のメディアが、メルケル首相が言っていない事を勝手に深読みして、日本の批判やドイツ批判に使っている。意味が不明である。日本と言う国はいつからそこまで政治的になったのか?はっきり言って、気持ちが悪い。幻聴が聞こえる人がいるのだろう。

日本の首相がドイツに行ったとしても、「日本もドイツも第二次大戦を終えて成熟した国家として努力し、世界のリーダーとしなりえた。ドイツはユーロ圏から脱落者がでないように努力する必要があると考えている。ただ、状況が違うので直接アドバイスする立場にはない」と言うだろう。

原発の話しについても、メルケルは自分の党利党略で、「既存原発の維持と新規原発をなくす」事を党の方針としている。これは原発の現状維持政策である。これを言ったからといって、ドイツが日本の原発政策を批判している、などとするメディアは幻聴でも聞こえているのかも知れない。

メディア上にイディオロギーに基づいた政治的な記事が増えるのは、国民にとって健康的な事ではない。何にでもケチをつける韓国のメディアを嘲笑していたが、日本のメディアが韓国化する事だけは良識ある日本人が一丸となって避けさせるべきである。

2/21/2015

選択制夫婦別姓に反対する人

選択制夫婦別姓に反対する人が選択英制夫婦別姓に賛成する人を上回っているという世論調査の結果を見た。

同姓が良いのなら、夫婦で同姓にすれば良いのであるわけで、選択制夫婦別姓に反対する人は、他の結婚している夫婦が同姓を名乗る事に反対している訳である。要するに、他人の自由に介入したいわけだ。私的には、選択制夫婦別姓に反対する理由がどこにも見合たらない。

反対者が述べる意見において、意味が解らないのは、以下の三つだ。

1.夫婦の絆が薄くなり、不貞が蔓延する。
2.子供がかわいそう。
3.子供の苗字をどうするのか?
4.夫婦の苗字が違うと、すぐに離婚しやすくなる。

そう思うなら、自分の家庭は夫婦同姓を選択すれば良いだけの事だろう。何故、他人の家庭の事情にまで関心があるのか?意味がわからない。こういう意見を持つのであれば、離婚を違法にするように、政府に請願すればよい。離婚家庭は子供の苗字も変わったり、子供がかわいそうだったりする、と意見陳情すればよい。

反対者の多くが言う意見に「日本では歴史的に夫婦が同姓を名乗るのが普通なのだから、こういった変更は社会に良くない」というものがある。これについて、私はアホな意見だと思っている。何故なら歴史的に夫婦が同姓を強制されるようになってから、まだ日が浅いからである。

そういう事で、選択制夫婦別姓に反対している連中は、理性がなく、他人の自由を認めないアホウだけで、日本の市民の中にはアホウが半数以上いるのだ、と真剣に信じていた。

だが、待って欲しい。もう一度先の一文を読んで欲しい。
「日本では歴史的に夫婦が同姓を名乗るのが普通なのだから、こういった変更は社会に良くない」

こういう仮説はどうだろうか?本当は夫婦別姓が良かった女の人が、お嫁に行き、強制的に名前を変更させられて、専業主婦か何かで今日に至る。こういう類の人達は、夫婦別姓に反対するのではないだろうか?自分の時は強制させられた。何をいまさら、と。つまり、歴史的に同姓を強制していたのに、それを変えると、自分は妬ましい、という意味である。

まあ、そうならば反対する理由も解る。だが、選択制夫婦別姓問題は、そういう人達を無視して、さっさと通すべきだ。国民総背番号制も決まっているのだし、名前がどうであれ、データベースを持って個人は今後特定できるのだから、やりたいように自由にさせれば良いと思うのだ。そして、最終的には、時代遅れの戸籍制度を改正または廃止するべきだと思う。実際、現在も戸籍に入れない外国人と結婚すれば夫婦別姓である。

世論調査は、将来結婚する未婚の人にだけ絞って、賛成か反対かを問うてみたらどうだろうか?

外国人の消費税免除:すぐにでも廃止するべき。

外国人が日本で商品を購入した場合、加盟店舗に限り、パスポートを見せる事で消費税が免除される。密封した袋に商品を入れられて、空港の税関を通るまでは商品にタッチできない仕組みである。

私は出張に同行していた同僚のアメリカ人に頼み、サロンパスやシャンプーなどのどうせ買わなければいけなかった日用品を、ドラッグストアーで無税で手に入れた。個人的な事を言うと、ラッキーである。

そこで、いろいろ考えるのだが、外国人の消費税を免除して、何か得があるのだろうか?日本円が異様なほど安くなっているのに、物価の上昇は為替の差ほど起きていないのが現状である。消費税があろうと、なかろうと、外国人は商品を買い漁る。Japan is cheapの状態が続いているのだし、そう何回も日本には来ないので、旅行の予算はあらかじめ決まっているからだ。外国人の購買意欲を国家財政の補填に役立てないのは、誰がどう考えてもおかしい。

税金という物は、取れる所から取る必要がある。さもなければ、国家の財政は破綻する。何故、外国人を優遇する必要があるのか?観光であれ、ビジネスであれ、外国人も日本に来れば日本のインフラを使用する。きちんと税金をシェアする責任はあると思うのだ。しかも、観光促進などの名目に確実に税金が使われている。そういった事を考えても、外国人観光客は日本の財政にもっと貢献するべきだと思うのだ。(そもそも論でいうと、観光庁などは廃止するべきだと思う)

一方で免税のサービスは、一部のチェーン店や店舗のマーケティングツールとなっている。他の店では免税はないけど、うちの店は免税がありますよ、と。何故、政府のプログラムが民間の競争の手伝いをする必要があるのだろうか?しかも個人でやっているような店は、書類作成が面倒くさいので、プログラムに参加せず、結局大手に観光客は流れていく。国家がしょうもないプログラムを作って大手企業を優遇するべきではない。実質は「XXデパート」、「OO電気」、「XXカメラ」や「OOドラッグ」のためのプログラムなのだ。普段は馬鹿にしているピケティの名前も出したくなる。

そして勿論、これらの免税サービスを受けるには、書類提出や審査など、細かな作業が多く、財務省の天下り先が活躍している事は想像を働かせるまでもないだろう。

つまらないプログラムを考えずに、公平に8%フラット、でいいと思う。それがフェアーというものだし、つまらない権力の構造を生まなくて良い。おもてなしか何かは知らないが、何故外国人の消費税を免税する必要があるのか?外国人からぼったくってやれ、と言っているのではない。おなじところで買っているのに、何故支払う料金に外国人観光客と日本人で差があるのか、と聞いているのだ。

外国人の消費税免税措置は早急に廃止して頂きたい。こういう馬鹿な制度を認めている国民も国民だと思う。消費税を免税しても、観光客数は増えない。自分たちの消費税は上げられて怒っているのに、こういう不公平には怒らないのだろうか?

2/20/2015

ピケティの本は誰が読んでるの?

トマ・ピケティの本が売れているらしい。経済学を齧っている連中が周りに大勢いるが、ピケティの本を読んだ人など一人も聞いたことがない。やる事が多いのでそんな無駄な事に時間を使えないのだ。一方で、読んでいない人たちの書評には目を通している。新聞などには、有識者はピケティを絶賛、などと書いてある。しかし、私が読む書評では、ピケティの主張は日本には関係がない、と言う物が殆どである。

結局、ピケティの論調は、左翼の思想である。恐らく、暇を持て余したインテリ老人たちが、昔はカール・マルクスを読んだんだよ、などと言いながら、学生運動を思い出しながらピケティを読んでいるのだろう。

マスメディアが流布しているように、ピケティを有り難がっている人が大勢いるのかどうかすら疑問であるが、まあ、読むに値しない本であることには異論はないと思うのだが、如何だろうか?或いは、政治を左右に分けるために、ピケティの本は選ばれてしまっただけなのかもしれない。

2/15/2015

串カツは大阪名物?そんなアホな!

東京に滞在していると、大阪名物と宣伝している串カツ屋を何件も目にした。

私は大阪市の出身だが、子供の時に串カツを食べた記憶などない。高校くらいになって、怖いもん見たさにあいりん地区や新世界を「旅行」し、友達に押し切られて串カツ屋に入った事が一回だけある。揚げもんの油っぽさと、具の安っぽさと、釜ヶ崎地区のイメージ的な問題も手伝って、正直「気持ち悪い」感じがした。揚げモンは何を食べても大体同じような味なのだが、予想通りの味だった。店から出たら、油っこさで、やはり気持ち悪くなった。それ以来、私は串カツ屋で串カツを食べた事がない。

私は東南アジアの貧困者が住む街など、色々な所を訪れ、それぞれの場所で色々なものを食べている。美味しい物もあれば、不味い物もある。ただ、大阪の釜ヶ崎地域や新世界などには、足を踏み入れる気にもならない。物理的、生理学的な理由と言うよりは、心理的な蔑視感の為であると思われる。大阪に育った人間として、色々な物を刷り込まれてしまったのだ。そういう感情はなくすべきだと思うが、これだけはどうにもならない。説明できないが生理的に気持ち悪いのだ。これを差別的だというのであれば、私はそのレッテルを受け入れよう。

串カツは新世界名物のキワモノ料理であって、大阪名物と言われる事に反感を覚える。母親が手を抜きたい土曜日の昼飯の定番である「お好み焼き」や、学校帰りにつまむ「たこ焼き」とはわけが違うと思う。串カツは、新世界に観光でやってきた人たちや、ギャンブルや大衆芸能に溺れたニコヨン、あるいは生活保護受給者の食べ物であり、大阪の庶民の味ではない。飛田本通り商店街で、ママチャリに乗った腹巻をしたおっさんが立ち食いをしに暖簾を潜り、安物の油のどうしようもない匂いが脳裏をよぎる。串カツは心理的に気持ち悪い料理であり、大阪出身の私は串カツを食べない。

高級串カツ店とか、ありえない。別に「てんぷら」や「一品の揚げモン」でええやんか。串カツだけ食べるのって、頭おかしい。大阪に旅行してわざわざ串カツ屋に行く人達は、情報弱者としか思えない。

2/04/2015

復興航空墜落事件:パイロットは偉かった

復興(トランスアジア)航空が南港と汐止の間の基隆川に墜落した事件が起こった。インパクト度で言うと、後藤さん斬首事件の比ではない。しかし、タクシ一台が窓ガラスを撃破した事を除いては、地上での犠牲は全くなかった。死者が多数出たとはいうものの、助かった人たちもおり、これは奇跡としか言う他はない。偶然ではなかったとすれば、パイロットのグッドジョブである。

もし少しでもずれていれば、地上での多数の死者を出したであろうし、電線などをカットしていれば、台北市や新北市の汐止区などを中心に大停電を引き起こした可能性もあるのだ。台北はご存知の通り、人口が密集している。オフィス、住居、市場などに飛行機がヒットしていれば大惨事になったはずなのだ。

墜落した場所は南港ソフトウェアパークの近所であり、地下鉄木柵線のすぐ外側である。松山空港は人口密集地に位置しており、よくこんな空港を放置しているなあ、と思う事が多々ある。空港から南に一キロ強行くと、台北随一の繁華街である東区(忠孝復興など)である。この事件を機に、松山空港を廃止ししようという動きが出てくるかもしれない。空港跡地を再開発すれば、台北はもっと面白くなるだろう。

不幸中の幸いとして、この事件は扱うべきであろう。今後ブラックボックスの解析で明らかになる事であろうが、パイロットが数十人、あるいは百人単位の命を救ったのだ。

[追記(2・8)]上記の記事を書いた後、パイロットが問題がなかった側のエンジンを切ったのかも知れない、という情報が流れている。あり得ない話だとは思うのだが、もしそうであれば、パイロットのせいで墜落した訳である。もう少し事故の詳細に注視する必要があるだろう。

後述:パイロットのミスが致命傷となって墜落したそうです。地上の被害がなかったのは奇跡か偶然のようです。全然偉くないです。

2/01/2015

後藤健二さんの事件は、日本の政治と関係ない。安倍政権打倒を関係ない事と絡めるな!

スーパーボウルがあるにも関わらず、私は日本にいる。日曜日の朝、時差ボケで4時ごろ目が覚めてニュースを見ていると、衝撃的なニュースが流れてきた。勿論、後藤健二さんの殺害のニュースである。こうなるだろう、とは思っていたが、いざ実際に斬首された事実が報道されると、心が揺れる物である。

アメリカにいても、後藤健二さんのニュースはトップ扱いで流れていたが、日本では後藤さんの生前の映像なども流れており、より心が動かされるように番組が作られている。

少し冷静な話を先にしておきたいが、イスラム国、あるいはISIS(アイシス)やISILと呼ばれる事もあるが、国でもなんでもなく、ただの烏合のギャングスターである。後藤さんの事件が起きて以降、漸くマスコミなどでも正面からイスラム国を取り上げている。イスラム国の連中は、不満分子の愚連隊に過ぎず、明確な目的や目標を持ってテロ活動をしているのではない。武力にモノを言わせ、中二病にかかっている、ただのしょうもない奴らである。暴走族やヤクザの若い衆のメンタリティーである。しかも、恐れる警察はないので楯突くものはない。そこで、米軍や世界相手に吠えてみて、調子に乗っているだけである。老人や女・子供が参加していない事がその事実を如実に物語っている。しかも、イスラム国を名乗っているが、イスラム国など、一枚岩ではないわけだ。これもまさに暴走族と一緒である。暴走族と言っても、バイクに乗ってパラリラパラリラ吹かして警察に楯突くだけであり、グループ同士にまとまりなどない。寧ろ、抗争を繰り返す。

結論から言うと、そんなしょうもない連中につかまった時点で、後藤健二さんに出口などない。向こう側は交渉に応じる気などハナからないし、別に政治的な意図がある訳でもない。安倍首相がどうのこうの言っているが、国際政治を理解しているとも思えない。したい事があるとすれば、自分たちの勢力誇示だけである。つまり、後藤さんをビデオに出した時点で、殺すつもりなのである。第一、人質交換や、お金の引き渡しなどしたら、その時点でイスラム国側は居場所がばれて攻撃されるだろう。残念ながら、後藤さんの首が切れられる事は、すでに確定されていたのである。

ほとんどの情報通は理解していたと思うが、マスコミがこんな事をテレビで言える訳はない。だから、ナイーブな人達は後藤さんが帰還する事を信じたかったのだと思うし、そういう人の為に番組が作られていたのだと思う。そもそも論だが、イスラム国に捕まる可能性がある所に自ら出向いた後藤さんには殺されるべき理由はある。湯川さんのオツムがぶっ飛んでいる事も、わざわざ書く必要はないだろう。しかしどんなに考えても、安倍政権と今回の事件は関係ない。

寒風吹く日曜の夕刻、首相官邸前を通った私は、ゴミ(ガベッジ)を見た。イスラム国のテロリストたちは人間のクズであるが、それに準ずる人間がいたのだ。後藤健二が殺されたのは安倍首相のせいだとして、安倍辞めろのシュプレヒコールをしている連中がいた。アイアムノット安倍とか、アホな事を言っている。このデモをBBCと思われる外国のテレビ局が取材していた。個人がどんな思想を持とうが、何を考えようが関係ないが、後藤さんを利用して、アナーキスティックなユートピア論を主張をする人たちには虫唾が走る。シリアに行ってイスラム国相手にデモをすればいいのに、と思うのは私だけだろうか?

安倍首相の目指すものや政策については、私としては同意できない点が多々ある。ただ今回の一件に関しては何の非もないと思う。(交渉すらしていないふりをして、マスコミを煙に巻くなどの方法を取るのが最善だと思うが、オープンな日本でそういう手法は不可能である。)

日本の政治と後藤健二事件を絡める事は卑怯である。敵を作らない外交こそが日本を救う、とか馬鹿な看板があった。人道支援をしたから日本が攻撃されたらしい。首相官邸の前にいた連中は、イスラム国で殺されている人々の命はヘリウムよりも軽いとでも言いたいのだろうか?偽善ぶりに虫唾が走る。

そのうちイスラム国内では仲間割れが激しくなり、有志連合の攻撃により、テロリスト達は殺され数が減っていく事だと思う。何でも良いが、NHK BS1でスーパーボウルが始まったので、それを見る事にする。

1/24/2015

ニューイングランド・パトリオッツ、組織的にボールの空気を抜く

インフレーションとデフレーション。私はこのブログで良くこれらの言葉を用いている。しかし、それは経済の話しであり、まさかフットボールで「デフレート」という言葉が出てくるとは思わなかった。

というのも、スーパーボウルで対戦するニューイングランドが、フットボールの空気圧を意図的に抜いてた可能性が高かったという。ボストンでの12試合中、最低でも11試合でフットボールの空気圧が決められた値よりも低かったという話しだ。

フットボールの空気を抜くと、クオーターバック(トム・ブレーディー)は投げやすくなるし、取る方も受けやすくなる。試合前に、審判が確認するときは基準通りだと言うので、ボールボーイか誰かが針などを空気口に刺して、パトリオッツが優位になる場面で意図的に空気を抜いていた可能性が高いというのだ。

スーパーボウルの対戦相手に急に降って沸いたスキャンダル。スタッツが悪かったニューイングランドの快進撃に疑問を感じていたのだが、まさかチーティングをしたのか?そんな疑惑は払拭されない。

ゴー、シーホークス!

1/18/2015

第四クオーターに奇跡は起きた!グリーンベイ粉砕で、シーホークスは二年連続のスーパーボウル進出!

今年のシーホークスはちょっとしんどい試合が続いていた。昨季ほどの安定性はなかった。二週目にサンディエゴ相手にぽろっと負けて、10月に入るとダラス・カウボーイズとセントルイス・ラムズに二連敗する。ただ、11月の後半から安定さを見せ、知らぬ間にNFCのチャンピオンになっていた。

ライバルと目されていた強豪チームもポロポロとゲームを零す。NFCのライバルであるフォーティ—ナイナーズは結局プレイオフに残れず、監督は解任された。AFCのブロンコスもパトリオッツも危ない試合が多かった。昨年の様に、ブロンコスとシーホークスが頭半分抜けている、というような状況ではなかったのだ。

ただ、消去法でシーホークス、パッカーズ、パトリオッツ、そしてブロンコスがトップシードで駒を進めてきた。ただ、ブロンコスは、ペイトン・マニングが以前に所属していたコルツの前に敗れ去ってしまったのだが。

で、NFCのチャンピオンマッチが118日に行われた。グリーンベイ・パッカーズとシアトル・シーホークスの戦いである。当地シアトルはファンの象徴である「12」の文字を宿したジャージーを着たファンで溢れかえっていた。

前日の荒れた天気を受けて、芝生は完全に濡れている。さらに、断続的に小雨が降り、ボールも掴みづらい。NFL最高のQBと評価されるアーロン・ロジャーズがいきなりインターセプトをされてみれば、ラッセル・ウィルソンも負けじとインターセプトされる。簡単そうなパスをポロポロとこぼしてみる。見ていて詰まらないレベルの劣悪な試合だった。前半を終わって16対0。グリーンベイが完全にボールをコントロールした。試合を通して、ラッセル・ウィルソンは4回インターセプトされ、アーロン・ロジャーズは2回インターセプトを決められた。

試合が動いたのは第三クオーター。4回目のトライで、フェイクのキックを、パンターであるライアンがタッチダウンパスを通したのである。そして、第四クオーター。パッカーズのクロスビーがキックを決め、19対7で勝負はあったと思った。ラッセル・ウィルソンにとっての最低の試合でゲームオーバー、と考えていた。

しかし、ここからシアトルが息を吹き返す。残り二分強で、ウィルソンがリンチにパスを決め、タッチダウンにはならなかったものの、その後にウィルソンが自ら走り、タッチダウン。残り二分でオンサイドキックを、パッカーズのボスティックが取れずにシーホークスがポゼッション。それをキッチリとタッチダウンを決め、なんと逆転。更には2PTを獲りに行き、1922と逆転してしまったのだ。その後、アーロン・ロジャーズの完璧なプレーで押し返され、フィールドキックを与えて同点となる。

試合はなんとオーバータイムへ。で、先行のシーホークスがタッチダウンで試合を決めた。はあ!?っていう感じのゲームだった。二年連続のスーパーボウルだ。ただ、今日のシアトルは勝に値しなかった。グリーンベイも問題は多かったが、終始押していた。運がグリーンベイからシーホークスに流れてしまったと言わざるを得ない。ゲームとしては裁定の部類に入るほど酷いものだった。


二週間後はスーパーボウル。ニューイングランド・ペイトリオッツ対シアトル・シーホークスの好取組である。ただ、私は東京に出張で、スーパーボウルナイトを楽しめそうにないのだが。