世の中には多くの人間が住んでおり、多くの意見が存在する。違う意見や価値観を持つ人の視線で物事を見ると、同じ現象であっても違いが出るのは当然の事である。
左右の話しをすると、いつも訳が解らなくなるが、左の人が見る風景と、右の人が見る風景は、同じものを見ようとも、違っていて当然なのだ。
公正であるべきであるからこそ、朝日は基本的にはリベラルな番組構成をするだとか、読売は保守的な番組構成をするとか、そういった情報の開示が必要になってくる。そういうレンズを通して物事を観察していますよ、という事を何らかの形でわからせる必要がある。で、ほとんどの日本人はそれを理解していると思う。
朝日の番組を見て左翼的だから気に入らんとか、産経のニュースを見て保守的すぎて気持ち悪いとか、面白いことを言う人がいるが、嫌なら見なければ良いだけの話しである。NHKは公共放送だから中立でなければならない、とか言う人がいるが、それならば中立を定義しろ、と言いたい。嫌なら見るな、と。
同質性に安心感を求める日本人には特に多いのだが、物事に絶対の真実があると考えている人が大勢いる。そして「中立公正」という幻想を見るのだろう。私にとって、マスメディアの報道は、「馬鹿」か「まとも」、そして「好き」と「嫌い」の二次元に別れている。馬鹿で自分が好きじゃない報道に出くわせば、チャンネルを変えれば良いだけの話しである。
放送法自体がいかれていて、放送は「政治的に公平でなければならない」とある。そんな事は無理なのだから、放送法を変えるべきだと思うのだ。民主党よりや、自民党よりのニュース番組がある方が世の中はまともに機能する。小泉自民党を支持していたと思ったら、急に安倍自民党を一斉にこき下ろし、民主党を持ち上げ、手のひらを返して一斉に民主党をけなし、安倍を礼賛しておいて、次はアベノミクスは機能していない。こういう風に、全マスコミが同じような意見をいう状況のほうが完全にイカレている。中立というものが存在し、中立に立った意見を言うのが義務であれば、コメンテーターは必要なくなる。
虚偽報道やプロパガンダはいけない。だが、どこかの政党寄りの放送をして、何が悪いのだ?局の視聴率に響くだけの事だろうと思うのだ。
報道ステーションの報道内容が偏っていることくらい誰でも知っている。古舘が薄っぺらい人間で、一般常識的な知識がなく、感情を煽る事くらいしかできない事など、皆が知るところだ。それが嫌なら、見なければ良いのだ。報道ステーションに嫌悪感を抱きながら、その報道を真面目に見続けている人間こそが異常だと私は感じる。(アンチ巨人のように、冷やかしで報道ステーションを見ている暇な人はアリです。)
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