パリで痛ましいテロ事件が起きた。それに対して、FBなどソーシャルメディアの写真をフランスの国旗に変えている人がいる。我々はフランス人をサポートしているぞ、と。
それに対して「何故フランスの国旗を使うのか?」という意見が溢れている。それらは大きく二つに分けられる。一つ目は、パリ以外のテロ事件にも関心を持って欲しい、というもの。ご存知の通り、フランス以外でも色々な場所でISISによるテロが起こっている。パリの事件だけを特別扱いするのではなく、ケニアやベイルートで起きたテロ事件にも関心を抱こう、というある種の啓蒙的な意見である。そんなことを知っている人達にとっては、説教臭くて辛気臭い意見かもしれない。が、何にも知らない人が意外と多いので、こういう啓蒙的な意見は社会の役に立つのかも知れない。
問題は二つ目の意見だ。フランスはシリア攻撃に加担しており、シリア市民を爆撃しているので、その報復としてパリジャンが殺害された、いわば自業自得である、という意見だ。これはお笑いを通り越して、非常に危険で害のある考え方である。というより、テロリストの一味かと疑ってしまう。
米英を中心とする有志連合軍がシリアを攻撃している事は良く知られている。それどころか、アフガニスタンやイラクなどでも軍事作戦を展開している。この軍事作戦により、無辜の市民が犠牲となっているのは事実である。では、何故わざわざ攻撃しているのか?ということである。ご存知の通り、シリア、アフガニスタン、イラクなどの政府は、自分たちの市民を守ったり、法を執行することすらままならない「ミッキーマウス国家」であるからだ。国家とは、最低限自国民の安全を法の下で守る必要があるのだが、そんな最低限のことすら出来ないのだ。自分の国の全域を完全には支配していないため、テロリスト、つまりは武器を持ったギャング、暴走族や愚連隊のような連中が暴走して、一般市民の生活を脅かしているのである。
それに対して、仕方ないので連合軍が行動を起こしている。治安の悪い場所に住む人たちの生活を、その限られたリソース(金・人・時間)で守っているのだ。消去法的に、空爆といった一番効率的な方法で暴徒を抹殺する方法を選んだのだが、それによって一般市民が多少犠牲になってしまう。
勿論、犠牲は防ぐべきだと思う。これに対して反対する人は誰もいない。が、短期間に攻撃しなければ、テロリストたちによる一般市民の犠牲が増えてしまうし、ほかの地域にまでテロリストの魔の手が伸びてしまう。自由を虐げられ、望んでいない生活を課せられている人たち。この人たちを一日でも早く解放してあげたいと、多くの人が考えて行動しているのである。まともな一般市民としては、誰でも良いから安全を守ってほしい、となる。テロリストにすれば、米軍ほど嫌な物はない。アメリカやヨーロッパの若者たちは、自分たちの命さえも犠牲にして、こういったオペレーションに参加している。こういった自己犠牲を顧みず、綺麗事だけをのたまうブロガーたちに、辟易とする。
「無辜の市民を殺すな!」これは全ての人が同意する最終目標である。悲しいかな、それに対する国際社会の答えが空爆である。空爆が嫌なら、オルタナティブの方法を挙げてみろと言いたい。
個々の作戦に対し「効果的か否か?」といった議論は大いにするべきだ。連合国側も色々な過ちを犯している。そもそもアラブ諸国の没落にヨーロッパが深くかかわったという根強い歴史観もある(が、その後アラブ国家は何も努力せず、金持ち国家と傀儡政権という政治家や王侯貴族の利権に感け、まともな市民国家というものを作ろうとしなかった)。しかし「空爆をしているからテロリストの標的にされる。テロを防ぐために空爆を止めろ」などといった夢見る夢子ちゃん達は、結局テロリストの価値観に共感し、贅沢をしている国の政府や市民に制裁を加えよ!と暗に考えているから、そのような話をするのだろう。頭がお花畑なのか、アナーキストに騙されているのか、私は知らない。バカな事であれ、何を書くのも自由だ。だが、私は声を荒げて真摯にそれらに抗議したい。
地球上の全ての人々の安全が保障される。そんな世界が訪れれば、人々はどれほど幸せだろうか?金曜の夜にレプブリークでロックンロールを楽しむパリジャンが銃殺されるのを見たくない。アンカラやベイルートで市民が爆殺される必要もない。エジプトでの休暇を楽しんでサンクトペテルブルクに帰る飛行機で一生を終える人たちを悲しく思う。そして、大勢の人々がISISが占領する地域で自由を奪われ、異教徒の烙印を押され、虫けらのように殺されることに胸を痛める。全ての人たちがここまでに同意すると思う。誰が悪いのか?欧米ではない。テロリストという名で呼ばれている、宗教を言い訳に使い、若気の至りに身を任せる暴徒たちが悪いのである。イスラム云々言っているが、テロリストと呼ばれている若者たちが、きちんとイスラムを理解していると考える方が無理だろう。連中は、若気の至りで暴れたいだけ。ヤンキーや暴走族が武器を持ったような連中なのだ。「喧嘩上等!」の代わりに、シャリーアやなんだの曲解をしているのだ。それに対して、真剣に宗教的な見地からコメントしている文化人達は、かなり痛い人達だ。
暴走する若者が大勢出てきて、暴挙に目を瞑る連中が多くなるから、世界が混沌とする訳だ。私たちの営みは身体の安全を保障され、法に守られているという前提のもとに成り立っている。自由な世の中は、きっちりとした最低限の統治がなくしては成立すらできない。弱肉強食の動物のような世界から人類が文明を得たのは、その一点に尽きるのだ。そして、それこそが「国家」というものの存在理由なのである。
自分の国を治めることも出来ない失敗国家が数多くある中で、世界の警察たるは「欧米だけ」だというのが現状だ。世界はアメリカ人やヨーロッパ人の若者たちの血に「ただ乗り」している。本来であれば、アラブの金持ちの国が連合して、自分たちの「兄弟」の失敗に尽力を尽くすべきだ、と思うのは私だけだろうか?難民もヨーロッパを目指さず、ドバイやサウジにいくべきじゃないのか?日本ももっと積極的に世界平和のためにリソースを使うべきである。ぼんくらガルフ国家が信用できず、薄汚れて腐敗に塗れた発展途上国の無能政府、そして去勢されて鎖国気味に繁栄を謳歌するアジア国家。血を流しながら世界平和のために貢献するアメリカやヨーロッパの一部の国に、あなたは足を向けて寝られるのか?
私は安全運転に徹するので、自動車保険も警察の交通取り締まりも不必要です。左派の意見はそういった類の話にしか聞こえないのだ。
追記:報道で知ったのだが、報道ステーションで古舘が欧米の空爆もテロ、とか言ってるらしい。以前にも書いたが、報道ステーションは言葉の正確な意義をわざと捻って視聴者を混乱させようとしている。地上波を使って、ゴミのような意見を流すとは、まさに漫才である。ただ、テロリストの行為そのものが若気の至りの漫才のようなものなのだから、古館と同じレベルではある。
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