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アメリカステーキが美味い理由

(注:この記事はミディアムレア以上に焼いたステーキの話であって、生肉の話ではありません。ステーキのレアが好きな人の多くは、単に生肉が好きな場合があります。私も生肉が大好きですが、このページでは牛タタキ風ステーキの話はしていませんので悪しからず。生肉が好きならばわざわざレストランに行かず、 家庭でステーキを食べること をお勧めします。スーパーでニューヨーク・ストリップやリブアイなどと書かれている少し脂の乗った肉を購入して、表面だけを少しだけ焦がして中は生で食べてください。安物のサーロインなどの生焼け肉もポン酢や照り焼き風ソースとも相性がいいですし、ご飯にも合います。この項のステーキの話にそれらの生肉ステーキは含まれていません。ここで扱っているステーキと「ブルーレア」牛たたき風ステーキは根本的に違う食べ物と考えています。牛たたきが美味しいのか、ミディアムに焼いたアメリカのステーキが美味しいのかという話は、軸の違う問題であるため、「りんご」と「みかん」を比べるような不毛な議論です。前置きが長くなりました。) 私は日本の高い和牛ステーキがあまり好きではない。一口目は美味しくて感動するのだが、それは肉ではない。脂の塊を食べており、どちらかと言えばトロなどに近い。日本で年寄りなどに誘われて和牛ステーキを食べさせられることもあるが、肉を食べるという目的の際は、出来ることならご遠慮願いたい。 一方で私はアメリカでステーキを食べることが好きだ。アメリカのステーキは、日本のステーキとはアイディアそのものが異なり、しっかりと赤身を食べさせてくれる。勿論店にもよるのだが(殆どの店は不味い。アウトバ●クやレ●ドロブスターなどのチェーン店でサーロインを注文するとかなりがっかりする事になる。)、かなり美味しいステーキにありつくこともできる。私の友人など、ニューヨークなどに行く度にステーキ屋に脚を運んでいる。最近では、東京などでアメリカンスタイルのステーキを出す店も出てきたようだが、基本的に日本のステーキ屋では美味しい赤身をしっかりと食べさせてはくれなかった。しかしながら、殆どの人は経験上、アメリカ牛のステーキはあまり美味しくないと考えるかもしれない。確かにアメリカでもスーパーで普通に肉を買ってきてミディアムレアに焼くだけではそこまで美味しいステーキは作れない(実はサーロインやニューヨ...

FRB議長の役目

世界で一番パワーを持っているのは誰か?アメリカ大統領と答える人が多いだろうが、私には即座に一人の人物が脳裏によぎる。それは連邦準備制度理事会(FRB)議長である。要は、アメリカの「日銀総裁」にあたる。現在はドクター・ベン・バーナンキが務めており、バーナンキ以上に力を持っている人は恐らく世界にいない。 FRB議長の仕事は利率の上げ下げだ。利率の上げ下げによって景気をコントロールする。バーナンキの手腕一つでマーケットは大きく動く。そういう意味でバーナンキの責任は大きいし、パワーは計り知れないのだ。FRB議長は政府から独立している。政府からしっかりしろと言われることはあれども、利率の上げ下げに対して圧力がかかることはない。邦銀のゴールは、利率の上げ下げにより適当な好景気と不景気を循環させ、経済が危機的状況に陥る事を防ぐ。 本来なら日本でも、日銀総裁とはそのような役目を負っているはずなのだが、残念ながら日銀は政府や官僚の操り人形である。バブル期前後の政策失敗、特にリキデーショントラップに貶めた大罪のせいもあり、日銀は全く信用されていないのが現状だ。政府が国債の支払いを減らしたから利率を下げろ、などと言っているし、消費が滞っているから利率を上げるな、などと解らないくせに言っている。利上げを望んでいる人など殆どいないので、圧力団体は利下げを要求する。そのような意見は無視して、中長期の経済を鑑み、日銀総裁には利率をコントロールして欲しいのだが。 話を元に戻す。約20年FRBのトップとして君臨していたマエストロ・グリーンスパンが今年の頭に辞任し、バーナンキがFRB議長になった。前任のグリーンスパンが絶対的な信用を集めていた。「経済を考えれば、時期総裁はブッシュが良いか、ケリーが良いか?大丈夫、どっちにしても俺たちにはグリーンスパンがいる!」などといったジョークさえ聞かれた。グリーンスパンの後釜には、学者上がりのバーナンキが採用されたことを、マーケットは当初懐疑的に見ていたと思う。そして、5月の調整が起こった。 2005年ごろからインド、南アフリカ、韓国、ラテンアメリカを中心にエマージェンシーマーケット(新興市場)の株が上がり続けていた。そして、一番の問題は、石油や金などのコモディティ(商品)価格が上がり続けたのだ。そして、アメリカの産業はコスト高に苦しんでいた。アメリカ経済の見通し...

サウスビーチに行きたい!

この時期になると、クリスマス休暇の話で持ちきりになる。私は休みどころではないのだが、周りの人は色々と予定を立てている。一般的なのは、近隣へのスキー旅行、実家に帰る、そしてビーチリゾートであろう。雨が降り続く冬のシアトルにいると、やはり暖かいビーチリゾートに行きたくなるものだ。地政学的な制限が付きまとい、シアトルの人はよくハワイ諸島に出かける。しかし、私としては、やはりフロリダに行きたい。 私はハワイがとても嫌いだ。何故なら、妙に老人臭いからだ。ハワイは良い波があるし、海の中も綺麗だ。ビーチの砂も最高だ。しかし、泳ぐ以外に何もない。残念ながらフラダンスやサンセットクルーズを楽しめる程の年齢にはまだ達していないし、ドールのプランテーションや真珠湾に行っても仕方ない。さらに、個人的に日常に出来る買い物をリゾート地ですることは好まない。ハワイの夕暮れはハワイアンブルーの名に相応しく憂鬱だ。やる事を探すのに四苦八苦してしまう。どこのバーに行っても退屈なアロハオエの音楽が響いているし、年上の連中しかいない。日本人がいると思っても、殆どサラリーマン風の中年だ。学生達がパーティーで集うような雰囲気はハワイには皆無である。文字通り、ハワイは若さの無い老人保養地に成り下がっている。 翻して、フロリダを考えたい。遊ぶのならオランドーもいいが、ビーチリゾートといえば、クラシックにマイアミだ。どこまでも続く海岸線。白い砂浜。そして、殆どの人がスペイン語で話している異国の雰囲気。輝く太陽、藍い大西洋、そしてビーチに寝そべるスタイルのいいおねえちゃん達。 マイアミにも老人は大勢いる。アメリカでリタイアした老人達はマイアミに住む。ウェストパーム、ハリウッドからフォートローダデールあたりのビーチ沿い高層マンションは、ジューイッシュの老人で溢れているとも聞いている。しかし、サウスビーチは列記とした学生のためのパーティープレイスだ。昼間は最高のビーチに若者が集う。MTVの収録なども頻繁に行われている。夜になると、スタイルのいい小麦肌のスパニッシュ語を操るお姉ちゃんたちが、薄い服を着て、音楽に合わせて踊っている。そこにシカゴやボストンからやって来た学生たちが混じって、まさにパラダイスである。棲み分けが出来ているというのは、非常に心地よい。サウスビーチは学生。そして北に行けば富裕層。さらには老人用のビーチと...

海外の日本レストラン認証制度という馬鹿げた案

農林水産省が今回実施するという世界の和食レストランの認証制度は非常に面白い。誰がこのような馬鹿げた考えを思いついたのか知れないが、このような事に税金が使われるのであれば、断じて反対するべきである。日本にはやたらと認証制度が多いが、政府の雇用を約束するために認証やライセンスを次々と交付している。特に、役人は天下り先を増やす事に躍起であり、そのような裏の背景は絶対に見逃してはならない。一般的に認証やライセンスは、市民生活やビジネスの機会を大きく退かすものであり、社会コストを上げ競争を阻害する以外に何の役にも立たない。日本では、政府や政府系の組織が遂行する認証や資格に基づく試験や手続きなどで、一体いくらのお金を無駄にしているだろうか?一体どれだけの時間を人々から奪っているのだろうか? 海外では和食と呼べないものを出す日本料理店がたくさんあり、農林水産省はそれを憂いているという。確かに、アジア系の人が経営する店には酷いものもある。だから、なんだと言うのか?おかしな料理を出そうとも、美味しければそれで良いし、不味い料理を出していれば店は潰れる。それだけの話だ。政府がでしゃばる隙間は全くない。 日本でも、インチキなイタリア料理、フランス料理、そして中華料理が横行している。本場のものからはかけ離れていると言う意味でインチキではあるが、中にはびっくりするほど良い味の店もあろう。美味しいところはインチキでも残っているし、ブームに便乗した不味いところは潰れていく。そして、料理とは、インチキなものから、次の新しいものが生まれるべきものだ。イタリア政府がわざわざイタリアの税金を使って日本に来て、それらの料理店をチェックするだろうか?馬鹿げている。フランスのミッシュランの例があるが、ミッシュランはプライベートカンパニーで政府ではない。 そもそも、日本料理が何なのかという議論がそもそも抜け落ちている。カリフォルニアロールは日本料理なのか?餃子は日本料理なのか?神戸牛は日本料理なのか?テリヤキは日本料理なのか?全く馬鹿げた議論だ。私に言わせてもらえれば、日本の和食ですら本来のものからは大きく変わっている。例えば、ポルトガル語に起源を持つ南蛮由来の「天婦羅」が日本料理なのか?で、それがどうしたと言うのだ?与太話としては面白いが、根本的には全くどうでもいい話であると同時に、政府が口出しするべき問題で...

イラク戦争の怪

政治的な話は控えようとも思っていたが、昨今のブッシュ政権の路線転換は非常に気になるので、敢えてこの場で言わせてもらう。2007年のセネター(上院議員)から民主党が事実上の議会多数を占めることが決まってからは(49対49だが、無党派のヴァーモント州のサンダースは社会主義にも近い左派、コネチカット州のリバーマンは元民主党)、次の大統領選を意識してか、ブッシュは弱腰外交をスタートさせた。これも政治戦略上の策略であるとは信じたいが、非常に無責任な決断だと思う。 ラムズフェルドが更迭され、元CIA長官のゲーツが新たな国防長官に指名された。民主党は鬼の首でも獲ったかのように、イラク戦争を否定し始める。イラク研究グループは12月6日に奇怪な内容のレポートを提出した。その中で、ジミー・カーターは、ブッシュ政権のイラク政策を否定し、テロリスト国家であるシリアやイランとの対話を薦めている。さらに、イラクの民間兵に後を託して、アメリカはイラクを去るべきであるという意見すら書いている。これはある意味、イラク政策を間違っていたと認めたうえで、白旗を揚げろと言っているような物だ。さらに議会の支持を受けられなかった国連大使のジョン・ボルトンも国連大使の座を去ることは規定路線となっている。無能国連のアナン議長は、これみよがしとイラクは内戦状態であるとマスメディアに話し、世界の世論を反イラク戦争に持っていこうとする。 私は別に共和党を擁護したいわけではない。ただひとつ気になるのは、アメリカの政治の無責任さである。民主党は反ブッシュを叫び、イラク戦争を批判する。しかし、イラク戦争は共和党とブッシュが独自にやっているわけではなく、「アメリカ」がやっているのだという認識が全くない。共和党に全ての濡れ衣を着せて自分たちは責任がないとばかりの態度には、呆れるを通り越して、憤りすら感じる。 イラクに侵攻したことが是か非かを論じることはしたくない。ただ、アメリカを中心とする軍隊は実際にイラクに侵攻し、フセイン政権を転覆させた。侵攻した際の建前上の理由は、イラクが大量破壊兵器を放棄することと、テロリスト勢力を一掃し世界平和を勝ち取ることであった。しかし、イラクに大量破壊兵器は見つけられなかった。そしてフセインを倒したアメリカ軍は、テロリストを根絶させることも出来ず、未だに問題は何も解決していない。それどころか、皮肉...

西に美味いピッツアは在らず

シアトルには美味しい珈琲屋が沢山ある。しかしどこを探しても美味しいピッツアを出す店は見当たらない。カリフォルニアも含め、残念ながらアメリカの西海岸では美味しいピザ屋は存在しないようだ。 ピッツアは下衆い食べ物である。故に下衆く食べるべきなのだ。ピッツアの歴史はそう古くない。丁度、今日食べている殆どの料理がそうである様に。ピッツアはナポリの貧民が生み出した料理である。当時は観賞用であり、食べられることがなかった新大陸からやって来たポモドーロ(トマト)をパン生地の上に乗せて、余った食材と共に焼いたものが始まりと伝えられている。ピッツアはまさに庶民食として誕生したのだ。 イタリア移民と共に、ピッツアはアメリカにも伝えられた。新大陸から来たトマトソースが再びアメリカに再輸出されるのは皮肉なことだ。ニューヨークではナポリ風の薄い生地の上にトマトソースやチーズを乗せるニューヨーク・ピッツアが発展していく。一方シカゴでは、厚いパン生地を使ったシカゴ・ピッツアが主流となる。やがて、ピッツアは全米中に普及し、アメリカ人の最も一般的な食べ物となったのだ。私は個人的に、ニューヨークスタイルを好んでいる。 ピッツアは皆で楽しく囲んで、出来立てのアツアツを食べるべきものだ。数人でピッツア屋に行き、直径50-60センチほどのピッツアを注文する。ピッツアが焼きあがるまでは、ビールを飲みながら楽しくやる。やがて、石釜から出来立てのボリュームのあるピッツアが運ばれてくる。とろけるチーズを皆で切り分け、ビールやコーラと共に流し込む。それこそがピッツアであり、そのような雰囲気がある前提で、さらに味の事を吟味するべきだ。舌の上で美味いだけのピッツアはピッツアではない。東京の表参道界隈や、南カリフォルニアのレストランなどでは、イタリア風の小さめの皮が薄いパリッとしたパンチェッタやゴルゴンゾーラなどを乗せた“高級”なピッツアが流行っているが、あれはいくら美味しくとも紛い物である。庶民の食べ物と言うピッツアのコンセプトからはかけ離れた、違う世界の食べ物だ。ピッツアは、友人たちや家族と共に食べるべきである。決して恋人とデートで食べるものではない。 ニューヨークからメトロノースで終点まで行く。裕福なことで知れらているコネティカット州だが、そのニューヘイブンと呼ばれる小さな街は荒れ果てている。中心には大学があり、その...

雪に埋もれた街とデイアフタートゥモロー

シアトルは西岸海洋性気候に属する。つまりアイディアは、一年を通して常に西から吹いてくる偏西風に気候が影響を受けているということだ。西には海があり、一年を通じて温度の変化が小さい。シアトルには四季が無く、大きく分けて、晴れ渡った夏と、雨が降り続く冬があるのだ。 夏には太陽熱で陸の温度が上がり、温度が低い北の海では上昇気流が発生しにくい。風は晴れた海の方から流れてくるので、雲も無く晴れ渡った晴天が毎日続くことになる。逆に冬場は、凍てつく陸に比べて海の温度の方が高くなり、上昇気流が発生しやすくなり、雲が発生する。その雲が偏西風に乗りシアトルに吹き付けてくるので、シアトルは常に雨が降る訳だ。ただし、シアトルの東部にはオリンピック山脈が聳え、ある程度の雨はオリンピックの東側(太平洋側)で落ちてしまう。その後、空気が山を越えてピュージェット湾の方向に進む際にフェーン現象が起きるため、シアトルでは冬場でも緯度の割には比較的温暖(4~10℃)で、霧雨のように細かい雨が降り続くことになるのだ。シアトルの冬は、毎日曇っており、霧雨が降る。 昔ヨーロッパの小説を読んでいる時に、良く解らない文面に直面した。ロンドンやドイツの街が舞台の小説では、秋になってくると天気が悪くなり、主人公が憂鬱になって来る事がよくある。大阪で育った私には全く意味が解らなかった。何故なら日本の太平洋側では、秋と言えば気温も涼しくなり絶好の行楽日和であるからだ。日本で秋になって気分が滅入る人は、プロザックでも飲まなければいけないほど深刻な人だけだろう。では、何故北ヨーロッパでは皆秋になると鬱になるのか? その答えはシアトルで出た。シアトルも北ヨーロッパの多くの町と同じ西岸海洋性気候だ。夏が過ぎると、寒い雨季がやってくる。シアトルでは文字通り冬場に太陽は出ない。永遠に小雨が降り続く。夏が終わると人々は鬱になり、エスプレッソ・コーヒーを愛で、インターネットの世界に逃げるようになるのは当然の帰結であろう。シアトルを含むワシントン州が全米一の自殺率を誇るのも、このあたりの話で説明されている。 感謝祭明けの月曜日、大変なことが起こった。昼過ぎから雪が降り始めた。当初は地面に落ちた途端に溶けていたのだが、夕方になり急激に気温が下がり路面が凍結し、さらに激しく雪が降ってきた。直ぐに街はすっかりと雪に埋もれてしまった。私はシーホーク...

四川料理を楽しむ

感謝祭に七面鳥を作った話をしたが、三日経った現在、いまだ半分も終わっていない。部屋中に七面鳥の脂の臭いが漂い、吐き気すらする。仕方なく七面鳥の焼汁と肉を使って、シチューとカレーの二品を拵え冷凍した。気分が悪くて仕方ないので、美食の話に移りたい。 一般的に多くの中国系の人に最も人気がある料理は、四川料理であろう。川菜と呼ばれており、八大菜系の一つである。説明するまでもなく、四川料理は「辛さ」を売りにしており、麻婆豆腐などが代表料理として挙げられよう。辛いだけと思われがちだが、上品さも兼ね備えている。酢などを駆使して、甘酸っぱさを出したりもするのだ。代表料理と言えば、宮保鶏丁(鶏とカシューナッツのぴり辛炒め?)、青椒肉絲(チンジャオロースー)、回鍋肉(ホイコーロー)などであろう。 広東料理と比べると、四川料理はかなり高級感があり、値段も張るというイメージがある。最近では、地域色を前面に出した中国料理のレストランは少なくなったと言うものの、看板に四川料理を掲げている店はやはり高級店が多いように思う。私は四川省には未だ足を運んだことがあらず、一度本場の味を食べてみたいと思っている。次の中国への旅では、何とか理由を見つけて成都か重慶(現在は四川省からは独立して直轄市である)に行ってみたい。 北京でかなりレベルの高い四川料理に巡り合った。それはやはり比較的高級店であった。建国門路と東三環にある北京中国大飯店(チャイナワールドホテル)には国貿商城という高級ショッピングモールが隣接する。ルイヴィトン、ジバンシー、カルティエ、ラルフローレン、プラダ、ヒューゴボス、フェンディ、ケンゾー等いかにもなブランドの店が目白押しだ。ちなみに、実際にブランド品を買っている客の殆どは外国人であった。外国マネーと失業率を低く抑えるために人為的に操作されえいる中国経済の話はまた何時の機会かにおいておいて、とりあえず、その二階にある四川料理のレストランに入る。 料理よりも値の張る龍井茶を注文し、やがて料理が運ばれてくる。熱い胡麻油が運ばれてきて、その中に服務員が牛肉や野菜を放り込む。サラダも、服務員がその場で棒棒鶏ドレッシングをカクテルして提供する。非常に面白い。コールドディッシュも歯ごたえを残したクラゲにピリ辛ソースがなんとも言えず繊細だった。何よりも驚いたのが宮保鶏丁。この料理は世界どこでも食べられる...

感謝祭のターキーとクランベリーソース

11月の第4木曜日はアメリカの感謝祭である。感謝祭はサンクスギビング・デイと呼ばれており、アメリカではクリスマスに匹敵する大きな祭日だ。多くの人々は実家に帰り、家族と共に神に感謝をして夕食を食べる。語弊があるかもしれないが、日本で言うところのお盆のような雰囲気であると言えばいいだろうか?感謝祭が終わると直ぐにクリスマスが来るので、アメリカでは文字通り「盆」と「正月」が一遍に来るのだ。因みに、アメリカの小売店の売り上げの半分はこの一ヶ月の間に集中するという。 一般的なサンクスギビングの日のスケジュールを紹介しよう。水曜日の朝の飛行機で実家に向かう。渋滞した高速道路を家路に急ぎ、その日は床に着く。概して北部の天気は悪い。雪や雨が降り続くのだ。翌朝10時、七面鳥にバターを塗り、お腹の中に細かく千切ったパン、セロリ、玉葱、人参を混ぜて詰め(スタッフィングと呼ばれる)、オーブンの中に入れる。ソファーに寝転び、借りてきたDVDを見ながら退屈に過ごす。そのうちアメフットが始まる。暇をもてあまして、家族でダラス・カウボーイズの試合とデンバー・ブロンコスの試合を、プリッツエルを齧りながら見なければならない。オーブンに入れている七面鳥からはジュースが一杯あふれ出しているので、時折その汁を刷毛で満遍なく七面鳥全体に塗る作業は決して怠ってはならない。午後4時ごろ、七面鳥が焼きあがる。感謝祭の日のディナーは早いのだ。 感謝祭には七面鳥の丸焼きが必ず出される。通常、ターキーには、二種類のソースが用意される。一つはグレービーソースであり、もう一つはクランベリーソースだ。グレービーソースは、七面鳥の焼き汁をパンに移し、首の肉、レバーと砂嚢のミンチを入れて煮込み、仕上げにとろみを付けた物である。日本でも良く食べられる味だ。クランベリーソースは、日本ではツルコケモモと呼ばれているクランベリーに砂糖を加えて煮込んだジャムのような物である。クランベリーソースとターキーの組み合わせは絶妙だ。日本人では好き嫌いが解れてしまうかも知れないが、肉と甘いジャムの組み合わせは以外にも良く合う。西洋料理には、果物を使ったソースが良く登場する。フランス料理の鴨ロースとオレンジソースなどが有名だが、やはり日本料理でこの手の組み合わせは滅多にお目にかからない。 個人的に砂糖が日本料理を殺したと信じている。砂糖は南蛮のものであ...

時差ぼけソニックスと鈴木一朗

今年もNBAのシーズンが始まった。我がスーパーソニックスは、スターバックスの社長ハワード・シュミッツからオクラホマの投資グループに売却されたというものの、基本的には何も変わっていない、と願いたい。オフの話題は、クリス・ウィルコックスの契約延長問題。それもスムーズに決まった。シアトル市とスーパーソニックスが交わしているキーアリーナの法外な契約問題は未だに解決しておらず、シアトル市内のキーアリーナからシアトル郊外のベルビュー、或いは州外に移転するという噂は喧しく鳴り響いているが。 さて私は中国に外遊していたため、NBA開幕直後の数試合を見逃した。二週間ほどが終わっての感想は、未だに様子見で、鳴かず飛ばずと言った所か。ソニックスは暫く東海岸でアウェーを闘い続けていた。シャック・オニール不在のマイアミ・ヒートに対してはデュウェイン・ウェイドとハズレムに第四クォーター終了ギリギリのところで逆転されて惜しい星を落とした。続くオランドー・マジック戦ではヒードゥー・タゴールのブザービーターに惜敗した。肩を落としていたのも束の間、アダム・モリソンが加入したシャーロット、好調アトランタ・ホークスを敵地で連覇。ビンス・カーターとジェイソン・キッドの二枚看板がいるニュージャージー・ネッツには、ルーク・リドナーの活躍もあり、一時は20点差以上の大差をつけて圧勝した。 3連勝でホームに戻ってきて、16日のフィラデルフィア・セブンティーシクサーズ戦が私にとって今期初めてのキーアリーナでのバスケットボール観戦となった。期待を胸に応援していた、が、あれれ。試合開始直後から凡ミスが続く。前半は結局36点しか点数が入らなかった。チーム平均で100点以上取っているソニックスなので、普通に考えると50点ほど入れなければならない。相手のディフェンスが特別良かったようにも見えない。確かに、シクサーズは背が高くてインサイドは固かったような気もした。しかしどちらかと言うと、こっちの凡ミスでやられた感じだった。特にビッグマンたちが話にならなかった。ニック・コリソン、ダニー・フォーツォン、クリス・ウィルコックス、ジョアン・ペトロ。パワーフォーワードとセンターの4人で合計13点ではお粗末過ぎる。ラシャード・ルイスも、レイ・アレンも、ルーク・リドナーも最終的には20点強を入れているが、うっかりしたターンオーバーをしたり、気...

北京烤鴨

私は北京人に対してあまりいいイメージを抱いていない。今まで出会って来た北京出身の人達は、例外なく何か鼻にかけるようなところがあり、余りいい印象を私に与えてくれなかった。私は大阪人であり「金に汚い」為、伝統としきたりを重んじる北京人とは馬が合わないのかもしれない。同じくプラグマティックな台湾人や上海人とは妙に上手く馴染むという事実もある。優雅なふりばかりをし、他人を小馬鹿にする京都人やニューイングランドの連中にも余り良いイメージが無いので、このステレオタイプだらけの低劣な仮説も、あながち間違いではないのかもしれない。私が北京出身のエリートばかりと接して来た為、サンプルに問題があったのかもしれないが。 空路で北京に着いたとき、上述した北京人に対する悪いイメージや、政治的な理由などのせいで、やたらと身構えていた。まるで敵の本拠地に来た様な気がした。北京訛りの巻き舌の中国語を聞く度に身が強張った。しかし、タクシーで建国門路と東三環が交錯する中国大酒店に近づくと、私の強張りも徐々に取れてくる。世界には素晴らしい楽園が余り無いのと同様、思っている酷い街も少ないのだ。砂埃かスモッグで覆われているとはいうものの、街は結構綺麗だ。自転車は全く走っていないし、公安が数メートルおきに立っているといった雰囲気もない。人民服を着ている人など皆無である。映画の世界で触れていた北京の街とは大きく違った。さらに嬉しいことに、北京は中国の他のどの街よりもアジアの大都市の雰囲気を持っていた。オリンピックのせいか、街中が文字通り建設中で、いかにも発展しているぞ、という感じがする。余り事情を知らない人が見れば、まんまと騙されてしまうかも知れない。 北京では全聚徳が北京ダックの店として有名だが、今回は地元の人の勧めもあり、大董烤鴨に行った。この店は鴨を注文してから出てくるまでに40分くらいかかるので、燕京ビールで喉を潤わせ前菜を楽しむ。私のお勧めは、フォアグラだ。トリュフに似たキノコのソースをかけたフォアグラが、日本円にして1000円程で楽しめる。濃厚なフォアグラの味は、一緒に行った北京の人達には評判が良くなかった。そして松鼠魚。基本的には糖醋魚の一種なのだが、良く解らないが頭と尾が上を向く様子がリス(松鼠)に見えるという。身に切れ目を入れ、深く揚げる事により魚の身がまるで松笠のように見える。香ばしく、上品...

食は広州に在らず。

今回の中国旅行で最も落胆したことの一つが広州での食べ物である。「食在廣州」と言われるが、あれは真っ赤な嘘だった。私は香港が大好きであり、香港で食べる広東料理が広州でも食べられるものであるとばかり信じていた。しかし、実際は、広州の広東料理は、あまり洗練されておらず、香港の味とは程遠いものだった。また、個人的な話ではあるが、広州を一緒に旅した中国人二人が北京人であったため、全く広東料理を知らず、かなりレストランで苛立った。 広東省は粤(えつ)の国と言う別称を持ち、近辺で出す料理のことを「粤菜」と呼んでいる。勿論、香港における料理も、粤菜をもとに発展してきた。だが英国の占領下に置かれて、積極的に外国の食材や中国全土の料理法を取り入れてきた港式料理は独自の発展を遂げている。所謂ヌーベルシノワなどを中心に、ワゴンで運ぶスタイルの飲茶を開発させたことなど、香港が中国料理の貢献に深く寄与した事実は決して過小評価されてはならない。 香港の味は、香港で食べるのが一番良いだろう。サウスチャイナモーニングポストを売店で買い、尖沙咀(ティムシャーツイ)の飲茶の店で点心を摘みながら、跑馬地(ハッピーバレー)の今夜の馬柱を研究する。リゾートではないが、最高のバケーションだ。 しかし港式料理はいまや世界中に拡がっている。中国全土にすら徐々に拡がっている。特に、北米には、かなり多くの香港移民たちが住んでおり、港式料理の餐店を経営している。ここシアトルでも、手軽な港式飲茶が楽しめる。北米では、港式飲茶はDimSum(広東語で點心)と呼ばれている。NFLのシーホークスの試合がない日曜日の朝、高速道路で一路ダウンタウンの南に位置するチャイナタウンへ。日系スーパー宇和島屋の地下に車を停める。チャイナタウンはアメフットの球場近くにあるので、試合の日は道が混雑するので気をつけたい。紀伊国屋で雑誌をチェックし、ジェイドガーデン(翠苑)に向かう。人が混雑しているので、係りの人に人数を告げる。昔はトップガンという、もう一軒まともな飲茶の店があったが、クレジットカード詐欺を働き営業停止を喰らった。現在、チャイナタウンで美味しい飲茶の店はここだけだ。 席に通されたら、即座にスタンダードな「香片(シャンピエン)」を注文する。香片は安物の茉莉花茶(ジャスミン茶)である。個人的に、これが一番脂っこい点心には合うと思っている。...

Googleの可能性

ここで、このブログの目的をはっきりさせたい。私は、別に思想趣味に興じて、うがった文章を週に二度ほど更新しているわけではない。ましてや、友人などとのコミュニケーションの手段としてこのブログを利用している訳でもない。このブログは、グーグルとブログ(Blog)の可能性を探るための実験の場である。私は、なるべく、多くの人が理解でき、興味を抱く内容をブログにすることにより、一人でも多くの人を私のブログに誘おうとしている。 同時に、GoogleAdSenseを通して、広告を出し、利潤の可能性をも調べている。もしあなたにとって興味がある広告を目にすれば、是非ともクリックしていただきたい。そして、GoogleAnalyticsにより、どの地域の人が、何度ほど、どのようなキーワードやウェブを通して、私のブログを訪れているかをチェックしている。勿論、これは商業目的ではなく、純粋な好奇心を満たすための実験である。 実験を行ううえで確認したことの一つに、Googleを用いる以上、なるべく固有名詞を文章に散りばめるのが戦略上良いという結論に至った。最近、野球や競馬の話題を散りばめて、個人名や固有名詞を多くしたところ、ヒット数が急激に増えた。当初は、食事の話題ばかりをして、一般的な言葉ばかりを使っていたため、全くヒットが無かった。これは非常に有意義な発見だろう。今後も食の話はテーマの要とするものの、私の愛するスーパーソニックスや、アメフットの話題も投稿していきたい。逆に言うと、私はK戦略というよりもr戦略を取っており、少しでもダイバーシファイしたポートフォリオとしての記事を提供するというポジションを取った。故に、あなたにとって余り興味がない話題が続く可能性もあるが、ご容赦いただきたい。 さて、グーグルの話題について、深く考えたい。私はグーグルを一日に50回くらいは利用する。つい十年ほど前まではグーグルなど使わなかったはずだが、その頃自分は一体どうやって生活していたのだろうか?それほど、グーグルは私の生活に密接している。日本の友人は、あまりグーグルを使っていないらしい。どちらかと言うと、ヤフーで検索している人が多いようだ。私は仕事上、英語と日本語の二通りでグーグルを利用する。しかし、英語と日本語によって、検索の仕方が全く変わってしまう。英語であれば、思いついたキーワードを並べれば大概の信用に足る...

大きなバンクーバー、上海

私の予想を裏切り、セントルイス・カージナルスがワールドチャンピオンになった頃、私は上海浦東空港に降り立った。上海はマスメディアでもグローバリゼーションの代名詞のような街として取上げられ続けているので、期待を持っての上陸であった。 しかし、期待は大きく裏切られる。上海の煌びやかなイメージとは裏腹に、空港から都心までの道程は、光さえも無いほど暗いものだった。都心に近づき、摩天楼を拝んだ時、私の脳裏に翳んだ比較対照の街はニューヨークでも東京でも香港でも、大阪や台北やソウルですらなかった。上海の浦東の街並みは、何故かバンクーバーを思い起こさせた。人工的な雰囲気だけが際立ち、アジア特有の臭いが街から感じられないのだ。 妙に豪華なホテルで休息し、朝起きて町に出るとその考えはもっとリアルなものになる。台北や香港のようなごちゃついたイメージを想像していたのだが、屋台も余り見当たらないし、人も想っていた程は多くなかった。道が広々としているのでそう感じるのだろうか。通りには店は少なく、一軒一軒が結構大きい。まるで、表参道のような雰囲気の店が並ぶ。店はきれいだし、聞いたことがないブランドが並んでいるとはいえ、豪華である。ショッピングモールは、北米西海岸の新興都市、やはりバンクーバーのような雰囲気を髣髴とさせる。妙に広々としており綺麗に作られている。そして、時たま、妙に派手なネオンサインが、まるでラスベガスのように輝いている。 上海のお金持ちの生活の質は北米並みかもしれない。居住空間は計画的に緑が散りばめられており、広々としている。上海の町中では貧しさは感じられない。皆垢抜けているように見える。だが、歩いて行動するにはタフな町だ。車かタクシー移動でなければこの街は楽しめそうにない。 街の外に出ると、一気に雰囲気が変わり、泥臭くなる。舗装されていない道にビリヤードテーブルを置き、人々が遊ぶ。家の外に置かれたテレビに人々が群がる。この街は何かが歪んでいるが、その歪みをも消し去ってしまうほど、街に勢いがあるのも確かだ。確実に訪れる明るい未来に対して、人々の期待は膨らんでいるのだろう。右肩上がりの社会では、人々は貧しさなど感じている暇もない。生活の質は、昔と比べて格段に良くなっているのだから。そして、情報を遮断されている人々は、自分たちの小さな街にシャングリラを見い出してしまったのだ。 私は自分が...

日本の植民地、大連

更新が滞っているが、別にサボっている訳ではない。私は現在中国を回っており、ブログを更新する機会に恵まれない。10日ほどで、東京も含めて5都市を回るという多忙なスケジュールをこなしており、インターネットを開けようとも、腰を落ち着けて文章を書くというのは難しい。 私は以前に香港から日帰りで深圳を訪れたことがあるとは言うものの、今回が事実上始めての大陸中国詣でである。毎度のこと、結論から先に言うと、中国は良く解らない。ただ一つ、確実にいえることは、まだまだ時間がかかるという事だ。 現在、大連にいる。元々日露戦争に勝利した日本の満州進出の足がかりの街として発展してきたという理由からか、日本的な趣が残っている。街の中にたたずむ古風な建物は、銀座などの日本の古めの洋風建築である。贔屓目に見ると、神戸に似ているとも言える。日本語を喋る人も結構いる。華南に比べてトイレが綺麗な事も、日本が植民地として治めていた事に起因するのかもしれない。1940年代以前の世界に思いを馳せる。 時は流れて2006年。大連は未だに日本の植民地だ。郊外には日系の合弁会社が連なる。制服を着て、朝礼を受け、ラジオ体操する工場員達。宿と食事は保障されているとはいえ、一ヶ月殆ど休みも無く1000元(一万五千円)ほどで働いている。大連から運ばれる殆どの品物は日本海を渡り、量販店やホームセンター、或いはショッピングモールに運ばれる。 ホテルでは、年配の日本人が、若い中国東北の背が高い色白の女の子を連れて、一緒にエレベーターに乗っている。たどたどしい日本語を喋る中国人の女の子と、へらへらしながら喜んでいるおっさんのコントラストは、余り気持ちの良い物ではない。私がこのブログを書いている最中に、電話が鳴り、マッサージの勧誘を受けた。このホテルはファイブスターの筈なのに。 別に私は良い悪いを論じる気は無い。冷静に考えると、現状は恐らく、仕事が無い貧しさよりはずっと良い筈である。私が論じたいのは、結局、大東亜戦争を経ようと、共産党政権が支配しようと、社会環境がそう変わるものではないということだ。中国は物凄い速さで発展しているという。確かにそれは最もな視点である。が、未だに比喩的な意味での植民地なのだ。中国脅威論などが世間では罷り通っているが、かと言って、10年以内に世界の順序付けが変わってしまうというような問題では無さそうだ。...

マリナーズが勝てない理由

シアトル・マリナーズを愛する者として、昨今の不甲斐なさは非常に腹立たしい。マリナーズがメジャー記録の116勝をあげ、破竹の勢いだった2001年にはセーフコフィールドに頻繁に通ったものだが、今シーズン私は2度しか球場に足を運ばなかった。実際に、ESPNのアテンダンスレポートの統計によると、セーフコフィールドは2001年には平均4万3300人の観衆を収容し、メジャー30球団中1位であった。2002年は93勝したものの、アメリカンリーグ西地区で3位に終わりプレーオフ出場は出来なかったが、前年の余波を残し収容観衆1位(43739人)を記録維持した。2003年はヤンキースに首位の座を明け渡し、2位に陥落(40351人)する。そして、2004年は10位(36305人)、2005年は12位(33619人)、2006年は15位(30626人)と凋落していく。何故そんなことになったのだろうか?やはり勝たないチームを見に球場に行っても面白くないのだ。 勝たないのはマリナーズが弱いからだろうか?そう結論付けるのは簡単だが、実際の問題はそうではないだろう。マリナーズの資金力が乏しいという人もいるが、実際マリナーズはメジャー球団中9位のサラリーを支払っており、そう悪くはない。負け体質になっている、リーダーが不在だ、などと言う人もいる。だが、私が思うに、一番の問題はアメリカンリーグの西地区の他球団が強すぎるのだ。 オークランド・アスレチックスは地味なチームだ。チーム打率は話にならないくらい低いし、ジトーやストリートがいるものの防御率も4点台で及第点ではあるがまあまあだ。なのに、勝ち続けるのだ。このチームは徹底的に統計を使うと言われている。選手の能力や相手選手の弱点を、コンピュータで統計学的知見を駆使し、徹底的に洗い出しているという。年棒に見合わないスター選手はどんどん放出する。相手選手の投げる球の確率や、特殊な状況下での作戦なども全て確率を知っているという。これがシーズン中盤からアスレチックスが急に強くなる原因であるらしい。選手を信じて単純な野球をするマリナーズは、今季アスレチックス相手に大きく負け越した。 ロスアンジェルス・エンジェルス・オブ・アナハイムは、2003年にオーナーがウォルトディズニー社からメキシコ系のモレノ氏に変わって以来、資金を惜しまず補強するようになった。FAでゲレロやコロ...

ワールドシリーズ開幕

今年のワールドシリーズはワイルドカードのデトロイト・タイガースとプレーオフ球団中最低勝率のセントルイス・カージナルスとの戦いとなる。最近はワイルドカードチームの活躍が目立つ。2002年のアナハイム・エンジェルスがサンフランシスコ・ジャイアンツとのワイルドカード同士の対戦を制したのを皮切りに、2003年はフロリダ・マーリンズ、2004年はボストン・レッドソックスがワイルドカードチームとしてワールドチャンピオンになっている。2005年はヒューストン・アストロズが、そして今年はデトロイト・タイガースがワールドシリーズに駒を進めている。 まあ、結局は、短期決戦とシーズンでは戦い方が変わるのだろう。言い古されていることだが、短期決戦では、ピッチャーが全てなのだ。タイガースは、二年目の先発バーランダーとルーキーであるセットアッパーのズマヤの活躍が大きい。この二人に、昨年レンジャースでカメラマンを殴ったケニー・ロジャースが加わり、チームが完全に変わってしまった。そして、イヴァン・ロドリゲスがピッチャーに指示を出す。球場の大きさが異なるので一概に比べられないが、今シーズンのタイガースはメジャー30球団中一位の(3.84)の防御率を記録した。対して、打撃は、オルドネスやギーエン、ロドリゲスがいるので、まあまあ上手くまとまったチームだ。 打率一位を誇ったのは、シーズン中盤から、モウアーとモルノーの活躍で追い上げ、ついにはタイガースから中地区首位の座を奪い取ったミネソタ・ツインズだ。ただ、サイ・ヤングピッチャーのヨハン・サンタナがいるものの、投手力をタイガースと比べると、総合的に一枚落ちてしまう。 打点に関してはニューヨーク・ヤンキースがぶっちぎった。ジータ、Aロッド、シェフィールド、アブレイユ、ジアンビ、松井秀喜。認めるのは悔しいが、オールスター打線だ。ただ、投手陣が、ワールドシリーズ三連覇した頃と比べて貧弱だ。マイク・ムシーナと王健民は信頼できるものの、ランディジョンソンは衰えが目立つ。4番手以降は、ビルに飛行機で突っ込んだライドルなどに頼る始末だ。マリアノ・リベラという絶対的な抑えがいるものの、中継ぎはかなり苦しい。これでは、タイガースに負けてしまっても文句は言えまい。 昨年優勝した井口資仁が所属するホワイトソックスは、今期はトーミーの加入もあり、打率や得点が上がったものの、防御率...

ベトナム麺を食べ続ける理由

私は、タオ(道)イズムを継承するがごとく、できるだけ色々な食材を食べるように心がけている。レストランではなるべく同じものは食べないようにしている。それは、栄養面を考慮してではなく、寧ろリスク回避をしているのである。つまり、食べ物は基本的に体に悪いので、同じものを食べ続けて体の中に毒物などが溜まるリスクを軽減しようとしているのだ。 健康面を考慮すると、外食ほど怖いものはない。特にランチは恐ろしい。一体何が入っているのか解らないからだ。6-7ドルほどで、パンチを効かせた美味しい物が運ばれてくる。癖になりそうな濃厚な味を提供してくる店も多々ある。しかしそれらの店が、自然食品からスープを取っているとは考えられない。恐らく、様々な調味料を組み合わせて我々の舌に刺激を与えようとしているのであろう。油、砂糖、塩分は必要以上に使われているし、化学調味料も半端でなく入っている。肉や魚、野菜、卵なども安いものを使っているのは明らかであり、どのような経路で運ばれているのかは不明である。 しかし、それでも、ランチを食べに行くのは楽しいものだ。B級グルメを心から愛する私にとって、安物のランチが奏でる交響曲の響きこそが人生の楽しみである、といっても過言ではない。私がシアトルに移ってきた頃は、テリヤキ、中華料理、タイ料理、ベトナム料理、ハンバーガー、メキシコ料理、インド料理、ケバブと、徹底的に食べ尽くして楽しんだものである。しかし、一箇所に長くいればいるほど、マンネリ化の波は避けることが出来ない。旅行気分の非日常が、やがては日常生活に変わってしまい、そして人々は楽しみを忘れてしまうのだ。 経済的な理由、時間的な制約、一人で食べに行ける簡便性、健康に対する配慮などを総合的に考慮した結果、私はシアトルでファー(Pho)ばかりを食べる人間になってしまった。英語の綴りを見て、フォーと発音する人がいるが、正確には誤りである。ファー・ボーとはベトナムの牛肉麺である。米から作った冷麦に似た形の麺を用い、牛の骨で出したスープに入れる。ファーは、恐らくフランスの植民地時代に、フォンドボーなどのスープの取り方に影響を受けた料理であると思われる。 いつも行く店は決まっている。一人でドアを開け、人差し指を立てて、一人であることをアピールする。愛想の悪い親父が、ごった返した店内の空いている席を指差す。私は腰掛けて防水ジャ...

流通がアメリカの寿司の味を決定する

魚の話ばかりになるが、アメリカにおいて、あるいは寿司は日本料理と同義語であるのかもしれない。それほど寿司はアメリカに浸透している。以前に討論したが、大阪の寿司を好まない私にとって、アメリカの寿司は結構マシだと思うことが良くある。 日本に住む人から良く不毛な議論をふっかけられる。つまり、アメリカの寿司は実際に美味しいのか、というものである。大概の場合、そのような質問をする人は、日本の寿司が美味しいに決まっており、アメリカで食べる寿司は不味いに決まっているという思い込みを正当化して欲しいという、明確な意図を持っているものだ。このような意図が明から様な場合、喋るのも辟易とするのだが、一応丁寧に答える。「さあ、どうでしょう。自分で食べてみたらどうですか?」、と。 努力して一般論を言うと、アメリカの寿司は千差万別である。美味しい店もあるし、驚くほど不味い店もある。よく、作り手の技術が寿司の味を左右すると言う人がいる。それはあまりにも話を簡略化させ過ぎている。勿論、アメリカには白飯の炊き方すら解っていない無茶苦茶な店も星の数ほど存在する。しかし、そのような一定のレベルに達していないケースについてこの場で論じても仕方ない。私が言及したいのは、まともな寿司屋であれ、アメリカでは寿司の味のばらつきが激しいと言う事である。 寿司の味はネタの魚に左右される。しかし、アメリカに築地は存在しない。寿司シェフが魚市場に行って素材を選ぶことなどほぼ不可能だ。よって、魚の流通経路を確保させている店が、当然の帰結として美味しい寿司を出すことになる。逆に、流通経路を確立させていない店に入ると、かなり残念な結果となってしまう訳だ。 私がシアトルで良く行く「武蔵」という店がある。狭い店内にはアジア人と知的そうな顔をした白人がごった返す。店に入るまでかなり長い時間待たなければならない。この店は10ドル強でなかなかの寿司を出す。かなり大き目の握り寿司で、ネタも大きい。これをどう評価するかは意見の分かれるところだが、私は悪くないと思っている。サーモンは脂が乗って太めに切られていて食べ応えがある。ハマチは脂がしっかりと乗っている上に身が引き締まっており、絶品だ。ただ、私はこの店に小うるさい江戸っ子とは行かないだろう。何故なら、マグロが余りいただけないからだ。私は関西人であり、マグロなど数ある魚の一種に過ぎないと考...

サーモンはBBQで食べる

パシフィックノースウェストで美味しいものといえば、サーモンである。日本では北海道で獲れた鮭が一般に食べられるが、あれはシロジャケであり、少し味が落ちる。輸入物として入ってくるサーモンは、圧倒的に養殖物のアトランティックサーモンが多く、アラスカ沖で獲れる鮭が日本に入ってくることは極端に減っているという。 太平洋方面では五種類のサーモンがいると言われている。何故このような回りくどい言い方をするかというと、鮭の分類は非常に厄介だからだ。太平洋サーモンはOncorhyncus属に分類されているが、大西洋サーモンのSalmo属の亜属とする説もある。Oncorhyncus属には、ニジマスやイワナなどのいわゆるマス属も含まれている。キングサーモンは日本では「マスノスケ」と呼ばれているし、ピンクサーモンは「カラフトマス」と呼ばれており、サケとはみなされていない。サケの仲間は海洋型と河川型で形状が完全に変ってしまうため、分類は非常に難しい。漁業で使う用語と学名が混ざり合って、自然とややこしい話になるのだ。 それでは、アメリカで太平洋サーモンとみなされている5種を紹介しよう。  シヌーク(キングサーモン・マスノスケ)  コーホー(シルバーサーモン)  サッカイ(レッドサーモン・ベニジャケ)  チャム(ドッグサーモン・シロジャケ)  ピンクサーモン(ハンプバックサーモン・カラフトマス) 私見ではあるが、この中で一番深い味わいを持つのはなんといってもシヌークことキングサーモンだ。脂の乗り方も素晴らしい。続いてサッカイことベニジャケ。キングと比べ、やや脂分が少なめだが、調理法によってはキングと対等に渡り合える。コーホーことギンジャケも悪くない。やはり、キングに比べれば脂の乗りが少ない。チャムことシロジャケも食用になりうるが、脂分が少なく、そのまま食べるには味が落ちるので、料理法を工夫する必要があろう。日本でよく食べる塩ジャケは、見事に脂分が少ないチャムの特徴を引き出す料理法である。ピンクサーモンも食べられないことは無いが、私ならわざわざ買わない。勿論、季節や獲れる場所によって魚の味は変わるし、個体差もあろう。要は、あなたが市場で如何に美味しそうなサーモンを選ぶかと言う事に全てがかかっている訳だ。 もし、天然物で新鮮な脂の乗ったパシフィック・サーモンを手に入れれば、私ならバーベキュー...

寿司不毛の地、大阪

私は大阪で生まれ、大阪で育った。関西人たちの多くは、大阪の食事のほうが東京よりも美味しいと信じている。話を簡略化すると、それはある意味で正しいかもしれない。しかしどれだけ譲歩しても、東京のほうが大阪よりもずっと美味しい物が三つある。ラーメン、天婦羅、そして寿司である。喧嘩は喰えども、大阪で寿司は喰うべきでないのだ。 これはある意味合いで、とても不公平な視点である。何故なら、寿司の定義そのものに問題があるからだ。寿司の定義は最近の歴史のある時点で完全に変わってしまった。関西と東京には全く違う寿司があった。そもそも寿司は「熟れ酸し(なれずし)」に起源を発する。琵琶湖で獲れたフナを米で発酵させる鮒寿司が代表だろう。すしとは、乳酸菌を使った魚の発酵食品だったのである。その後、米も食べるようになり、やがて魚も発酵させなくなる。関西では箱寿司が作られた。一方、江戸では、酢の普及と新鮮な江戸前の魚を使用することにより、江戸前の握り寿司が幅を利かせるようになった訳だ。しかし現在、寿司と言われれば江戸前握りをイメージする人が大勢を占めるようになった。寿司の定義自体が、特別な断りをつけない限り、東京生まれの江戸前握りを指す言葉に代わってしまったのだ。つまり、私が言いたかったのは、一般的に関西の江戸前握りはぱっとしない、という事だ。例えば、淡路町の吉野寿司ではなかなかの箱寿司を買えるが、これは残念ながら、一般人には「寿司」とみなされない訳である。 最近は情報や交通の発達のせいで、東西の差が少なくなってきたのは確かだ。だが、地域文化はやはり形を変えさえせよ、完全に消えることは無い。今でも大阪の老舗で寿司を食べると、必ずバッテラが出される。巻き寿司(太巻き)が出てくる事もあるだろう。しかし、江戸前の握りに味を占めてからは、大阪で食べる「寿司」にあまり共感がもてなくなってしまった。関西の握り寿司の酢飯は少し甘すぎると思うようになったし、魚と酢飯の割合にも満足できなくなった。恐らく、どちらも箱寿司の影響を受けているからだと考えられる。私は実際に大阪に住んでいる限り、握り寿司を崇めた事は殆ど無かった。 東と西の魚の違いはやがて討論することにして、大阪でもなかなか美味しい「寿司」を出す店がある。交通網や情報の発展は地域文化を悉く破壊して来たが、そのお陰で恩恵を受けることもあるのだ。大阪中央市場にある...

その北米王者は凱旋門賞にはいなかった

食べ物の話題を期待しいる方には悪いのだが、凱旋門賞を見ていて馬の話が書きたくなった。馬の話はなるべく避けて通りたかったのだが、ディープインパクトが良い競馬をしたので文章にしてみた。ディープインパクトが3着に沈んだというのは残念ではあるが、凱旋門賞とはそういうレースだ。新聞紙上に書いてある通り、3歳馬が断然有利なレースである。2002年のマリエンバード(牡4)および2001年のサキー(牡5)くらいが数少ない古馬の優勝馬だ。その前の事例になると、1993年のアーバンシー(牝4)まで遡らなければいけない。ロンシャンの起伏に3.5キロの斤量差はあまりにも大きいのだろう。 今回の凱旋門賞は三強対決と持て囃されていた。昨年の優勝馬ハリケーンラン、昨年のブリーダーズカップターフを制したシロッコ、そして日本が誇る三冠馬ディープインパクトであった。シロッコを他の二頭と比べるのは少し可哀想だが、まあ良いだろう。しかし私が残念でならないのは、本来ならあの場所にもう一頭の馬が走っていたはずだった、という事である。 その馬の名はバーバロ。2006年5月6日チャーチルダウンズ競馬場でケンタッキーダービーに出走した。フロリダでの前哨戦を戦ってやって来たので、人気はそれほど高くなかった。毎年同じようにオールドケンタッキーを皆が歌い、そしてスタートがきられる。北米ダートは逃げ馬が元気だ。強い逃げ馬が揃うダービーでは、毎年前半が早くなる「魔のペース」が作られる。次第に落ち着いてくるのだが、力の無い馬は順番に振り落とされる。中団につけたバーバロは、直線を向いた時には既に勝っていた。力が違いすぎる。バテて止まった馬を尻目に、チャーチルダウンズの直線を一頭だけで駆け抜けた。バーバロはデビューから6戦全勝。6馬身半差の歴史的な着差をつけて3歳馬チャンピオンに駆け上がった。 何故この馬が特別なのか?父親がダイナフォーマーだからだ。ダイナフォーマーは典型的な晩成の子を多く残し、ずぶく中々勝ちきれない。代表産駒であるダイネバーやパーフェクトドリフトの名前を挙げると、なるほどと思われるかもしれない。しかし最も重要な点は、ダイナフォーマーはロベルトの血を引き(サンデーサイレンスやブライアンズタイムと同じ)、芝の競馬でも期待できるという事だ。北米のダート路線はミスタープロスペクターの子孫が大活躍し、ヨーロッパの芝で活躍す...

着飾ってリゾート地で朝食を食べる大罪

話を解りやすくするために、高級フランス料理店の例を使う。あなたがデートで高級フランスレストランに行くことになったとする。あなたは当然きちんとした身なりでレストランの門をくぐり、座席に通され、ウェイターにジョークを言いながらワインを注文するだろう。やがてソムリエが持って来たワインを手に取り、目を細めてラベルをチェックし、「2000年のボルドーのカペルネは最高なんですよね。これ頼みますよ。」などと言うかもしれない。あなたのパートナーはきっとその一言に感銘を受けるだろうし、ソムリエは、あなたが知ったかぶりをしているのも了解した上で、顔からは上品な笑みを消さず、慣れた手つきでナイフをボトルの口に入れ、瞬時にコルクを抜いてしまう。そして、情緒ある音を立てながらあなたのグラスにワインを注いでくれるだろう。サリュート。最高のディナーのスタートだ。しかし、ここで仮定の話だが、隣の人達が乞食のようなみすぼらしい格好で座席に座っていればどう思うか?高級フランス料理店には大概ドレスコードが敷かれている。それは、店の中では客も従業員もが高級感を醸し出す役割を演じることにより、店全体の雰囲気を高め、それにお金を払いたい人達を店におびき出すためだ。もし、あなたが六畳一間のアパートに住んでいたとしても、高級フランス料理店に出向く時は、ヒューゴ・ボスのスーツに身を包み、サルバトーレ・フェラガモの革靴を履かなければならないわけだ。ネクタイだけはフランスのブランド。誕生日プレゼントのルイ・ヴィトンだ。これこそがエティケーットである。その場に身嗜みの整っていない人がいたとすれば、あなたは憤慨するだろう。高いお金を払っているのに、雰囲気が台無しだ、と。 話は大きく変わり、ワイキキのリゾートホテルに飛んでいく。私はワイキキ界隈のホテルに泊まるのが大嫌いなのだが、先日訳があって、ハイアット・リージェンシーに泊まらざるを得なくなった。一番嫌なのは、ホテルの朝食ビュッフェの時だ。朝6時。空が段々と明るくなってきた頃、私はジョギングを終えてシャワーを浴び、ホテルのレストランに行く。外の空気を満喫できる外の座席に通されて、従業員と挨拶をする訳だ。そして朝食を取りに行く。グアヴァ・ジュースをコップに注ぎ、パパイアとハニーデューを皿に盛る。更に、肉抜きでオムレツを作ってもらう。座席に戻り、ゆっくりとリゾート気分に浸りなが...

京都で嫌味な味の珈琲を飲む

私はシアトルに住むようになってから、珈琲に五月蝿くなってしまった。だからと言って、私は豆の種類について特別な知識を持ち合わせているわけでもないし、美味しい珈琲の淹れ方のコツを知っているわけでもない。ましてや、フラスコのサイフォンなんて持ってもいない。機会があればお気に入りの珈琲屋に行き、少しばかし息抜きをする。そんな程度である。幸福なことに、シアトル市内には雰囲気の良い珈琲屋が沢山あり、どこの店もまずまずの珈琲を出す。そういう意味で、この街は大変気に入っている。 さて話が逸れたが、今回は、京都という街と珈琲に纏わる話をしたい。あなたは京都で珈琲を飲んだことがあるだろうか?京都で飲む珈琲にはいつも驚かされる。何故かと言うと、物凄く「嫌味」な味がするからだ。少し詳しく話してみたい。 私は時折、京都に散歩に行く。京都は散歩するのにもってこいの街だ。京都には歴史が良い形で残っているし、それは賞賛に値する。歴史とともに緑や水が残っているところも良い。その古い町に住む人達は、非常に面白い独自性を持っている。負の部分から言えば、街が観光で生業を立てているにもかかわらず、そこに住む人々は余所の人達を見下す排他的な傾向があるという事だ。まあ、観光地に住む人達には良くあることだ。反対に、私が一番好きな京都人の性格は、回りくどい嫌味を言うことである。多くの京都の人達は、物凄く回りくどい。そして、嫌味を言うのだ。京都人のように嫌味を言いあえたら、日常生活で周りの人達とのコミュニケーションがどれほど楽しいものになるだろうか、と私は真剣に考えている。 散歩をすれば、喉が渇く。しかし、風情のある素晴らしい道を歩くと、少し高級な物が飲みたくなる。人間の悲しい性である。そんな時に、京都でふらっと立ち寄る珈琲屋は、素晴らしい。落ち着いた店構え。暖簾をくぐると、深く煎られた珈琲の匂いが香る。古くはあるものの、清潔な赤茶けたテーブル。木の温かみが感じられる。柱や梁も赤い木で作られており、風情を残す。天井に備え付けのアンティークな扇風機が心地良い風をゆったりと私に送る。そして、私はメニューを見て驚く。何故、珈琲一杯が1050円もするのか?私は、おばさんを呼びつけて注文する。私は正直に告げる。「珈琲、こんなにするんですね。」おばさんは言う。「うちはちゃんとした珈琲を出してますから。安い珈琲やったら、阪急電車乗...

ロックンロールと同じ運命を辿る日本料理

私は日本料理というものに危機意識を感じている。日本料理は死滅への道を辿っているように思えてならないのだ。まず、初めに簡単な質問をしよう。あなたは、過去一年間で、板前のいる本格的な日本料理を出す店に何度訪れたか、と。平均的な日本人を語ること自体が、今日のような格差社会では無意味なのかもしれないが、あなたが日本料理を食べに行った回数など、極限られているのではないだろうか?人々の嗜好性は変化しており、多くの人は日本料理の愛し方を忘れてしまった。愛し方を忘れ去られたものはやがて死んでしまう。ちょうど90年代にロックンロールが死んでしまったように。 私は先日、ミナミの宗右衛門町に某日本料理店を訪れた。この店が出す料理はどれもこれも筋が通っており、私の舌を唸らせた。無花果の田楽や南瓜の冷たいスープなどの変化球はおもしろかった。直球である刺身は、新鮮であることは言うまでも無く、素晴らしい包丁が入っていた。メインのビーフカツは、日本料理とは呼べないかもしれないが、揚げ方や包丁の入れ方に日本料理店のこだわりを垣間見た。一人1万2000円というのも、料理の質を考えると大満足である。 料理には満足したものの、ひとつ気になったのが、店に来ていた人達の客層だ。私達以外の客は、いわゆる「同伴」であったのだ。中年のおっさんと、若くけばけばしい水商売のおねえちゃんの組み合わせ。月曜日の夜であれば、それでも許されるかもしれない。しかし、給料日明けの金曜日、店に来ているのが同伴の人たちだけだというのは、少し気にかかる。そんなに実力がある店にもかかわらず、空席も目立った。景気が本当に悪いのだろう。 ミナミの街には人達が溢れている。焼肉屋の前には列が出来ているし、イタリア料理やオムレツを出すフランチャイズ系の店は満員だ。日本料理は高価だから避けている、といった意見も聞かれるが、焼肉屋や居酒屋に行っても5千円以上使うことも珍しくない。焼いた脂の塊を甘辛い醤油につけてビールで胃に流しこむ作業に5千円は使えても、ゆっくりと落ち着いて本格的な日本料理を楽しむのに1万2千円を使うのは勿体ないということか。日本料理を楽しめる人達がいなければ、日本料理はやがて廃れる道を選ぶだろう。そう、ロックンロールのように。 大阪の景気は、はっきり言って「あきまへん」。東京の街と比べることすらナンセンスだと私は思う。私はミナミで食事...

世界一の中国料理はNYにあり

私は中国料理が好きである。中国料理といっても、四川料理(川菜)、山東料理(魯菜)、広東料理を代表とする粤菜など、八大菜系を中心に多様性に富んでいる。大陸以外でも、台湾や香港、シンガポールに行くと、それぞれ違うスタイルの中国料理に巡りあえるだろう。日本でも、ラーメンや餃子のような中華料理を食べることが出来る。そのようなややこしい話は別の機会においておいて、私は一般論として、中国料理を愛している。 さて、「世界で一番美味しい中国料理はどこで食べられるのか?」という討論は非常に興味深いところだ。先程も述べたように、大陸中国は広いし、華僑は世界中に拡がり中国料理を伝えている。私は、偏見は承知の上で、世界一美味しい中国料理は、ニューヨークで食べられると答えよう。この意見の裏には、大陸中国の中国料理が不味いという批判と、香港や台湾の料理が一番美味しいと思ってる香港人や台湾人の鼻をへし折ってやろうという意地悪な思いが交錯しているのだ。 単品だけではあるが、世界一美味しい中国料理を出す店。その名前は、「鹿鳴春」。英語で、「ジョーズ・上海」とも呼ばれている。ニューヨーク内に数店舗あるのだが、チャイナタウンの本店かフラッシングの店に行くことをお奨めする。基本的に、この店で美味しい物は「蟹粉小籠包(シェフォンシャオロンバオ)」である。他の料理については、及第点ではあるが特筆するようなものでもない。しかし、蟹粉小籠包には正直驚いた。蒸篭に入って運ばれてくる小籠包。そんなに薄くは無い皮だが、破かないように、恐る恐ると箸で摘み、蓮華の中に巧く収める。黒酢を少しつけ、生姜を載せる。熱々の小籠包を齧ると、中からスープがじわっと染み出る。そのスープは、豚肉から出る濃い味と蟹味噌の味が見事に織り交ぜられている。熱々の脂っぽい濃いスープは、強烈なパンチであなたを歓迎する。その味は怪しくもあなたを虜にし、深い思い出として、永遠と友人達に語り継がれることになる。小籠包は、前菜の位置づけなのだが、あなたはきっと服務員を呼びつけ、もう一籠、いや二籠注文せずにはいられない。 小籠包のレストランといえば、「鼎泰豊(ディンタイフォン)」であると仰る人も大勢いると思う。台北の新義路にある鼎泰豊の小籠包は、ニューヨークのものとは大きく異なっている。薄い皮の中には、熱々の非常に洗練された上品なスープが潜んでいる。私は、ニュ...

究極の「不味い物」

私は食べ歩くのが好きである。多くの食べ歩きを好む人達と同様、私も美味しいと言われている物を試してみて、それについて批評することに喜びを憶えている。「美味しい店を紹介してくれないか?」と尋ねられれば、場所にもよるが、そう困ることはない。私は、「美味しい物」に絶対性はないと考える。食べる人の育った環境、気分、体質、体調などの内生的要因と気候や雰囲気などの外部的要因によって、「美味しい物」は常に移ろうものである。要するに、アネクドートを伴わない「美味しい物」など存在しない。食について騙る時は、常にアネクドートを用意するべきである、と私は信じている。 今回私は、「美味しい物」のアンチテーゼについて考えてみた。つまり、「不味い物」である。これまで、多くの人から、その人が経験した不味い物についての話を聞いてきた。しかし、私は未だに、満足し得る「不味い物」についての話に巡り合えた事はない。人々が騙る「不味い物」にはパターンがあり、大概は以下の3通りの理由とその組み合わせに帰結する。1)辛過ぎる、甘過ぎる、塩気が無いなど、調味料の配分に問題がある。2)硬過ぎる、軟らか過ぎるなど、食感に問題がある。3)チーズなど異国の発酵食品を食べた際に良くあるのだが、慣れていないので味が理解できない。これらの理由のみで騙れるほど、「不味い物」というテーマは浅くは無い筈だ。「不味い物」には、それを作った人の努力が凝縮されているべきであるし、それを作る背景としての文化も見逃してはならない。究極の「不味い物」とは、ただの料理の失敗作ではなく、究極の「美味しい物」の相反に位置するべきなのだ。本当にそんなものがあれば、の話ではあるが。そういう理由から、私は「不味い物」に偶然出くわせば、小躍りさえしたくなるのだ。 納得し得る「不味い物」を久しぶりに食べた。ハワイ、ワイキキビーチのクヒオ通りにある「ぺリーズ・スモーギー」。二昔前まで、ハワイは不味い店で溢れていた。しかし、大陸や日本の資本がハワイにどんどん流れ込むようになってからは、そのような不味い物を出す店が姿を消してしまった。現在、ワイキキビーチに林立するフランチャイズ系の店に入れば、平凡な味のハンバーガーやステーキ、チーズケーキが食べられる訳だ。しかし、「ぺリーズ・スモーギー」は古き良きハワイの味を頑張って残している。この店は食べ放題なのだが、ディナーで1...