シアトルには美味しい珈琲屋が沢山ある。しかしどこを探しても美味しいピッツアを出す店は見当たらない。カリフォルニアも含め、残念ながらアメリカの西海岸では美味しいピザ屋は存在しないようだ。
ピッツアは下衆い食べ物である。故に下衆く食べるべきなのだ。ピッツアの歴史はそう古くない。丁度、今日食べている殆どの料理がそうである様に。ピッツアはナポリの貧民が生み出した料理である。当時は観賞用であり、食べられることがなかった新大陸からやって来たポモドーロ(トマト)をパン生地の上に乗せて、余った食材と共に焼いたものが始まりと伝えられている。ピッツアはまさに庶民食として誕生したのだ。
イタリア移民と共に、ピッツアはアメリカにも伝えられた。新大陸から来たトマトソースが再びアメリカに再輸出されるのは皮肉なことだ。ニューヨークではナポリ風の薄い生地の上にトマトソースやチーズを乗せるニューヨーク・ピッツアが発展していく。一方シカゴでは、厚いパン生地を使ったシカゴ・ピッツアが主流となる。やがて、ピッツアは全米中に普及し、アメリカ人の最も一般的な食べ物となったのだ。私は個人的に、ニューヨークスタイルを好んでいる。
ピッツアは皆で楽しく囲んで、出来立てのアツアツを食べるべきものだ。数人でピッツア屋に行き、直径50-60センチほどのピッツアを注文する。ピッツアが焼きあがるまでは、ビールを飲みながら楽しくやる。やがて、石釜から出来立てのボリュームのあるピッツアが運ばれてくる。とろけるチーズを皆で切り分け、ビールやコーラと共に流し込む。それこそがピッツアであり、そのような雰囲気がある前提で、さらに味の事を吟味するべきだ。舌の上で美味いだけのピッツアはピッツアではない。東京の表参道界隈や、南カリフォルニアのレストランなどでは、イタリア風の小さめの皮が薄いパリッとしたパンチェッタやゴルゴンゾーラなどを乗せた“高級”なピッツアが流行っているが、あれはいくら美味しくとも紛い物である。庶民の食べ物と言うピッツアのコンセプトからはかけ離れた、違う世界の食べ物だ。ピッツアは、友人たちや家族と共に食べるべきである。決して恋人とデートで食べるものではない。
ニューヨークからメトロノースで終点まで行く。裕福なことで知れらているコネティカット州だが、そのニューヘイブンと呼ばれる小さな街は荒れ果てている。中心には大学があり、その付近だけは妙に綺麗だ。裕福さと貧困さが同居しており、アメリカ社会の歪んだ縮図のような嫌な街だ。冬場は気温は氷点下10度くらいまで下がる日もあるし、雪もすぐに積もる。娯楽は殆どなく、楽しみはと言えば、仲間とピッツア屋やマイクロブリュワリー付のバーに繰り出す事だ。街には有名なピッツア屋が数店ある。人気のあるピッツア屋は常に混んでいる。雪積もる寒空の下、半時間は待つ覚悟が必要だ。ボストンビールのサミュエルアダムスを注文する。クラムのホワイトソースピッツアなる物があるが、これはお勧めできない。クラシックに、イタリアンボンバーを頼む。トマトソースベースのピッツアで、カナダベーコン、イタリアンソーセージ、数種類の野菜が乗っている。勿論、上にはとろけるチーズがたっぷり。石の釜から取り出されたアツアツのピッツア。皆で揃って楽しく食べるには最適だ。
ビール、ピッツア、そして友人たち。東海岸に置いて来た物を、暮らしやすいシアトルの地で思い出す。地獄のような街だったが、時間が経つとそれもまた懐かしくなる。シアトルには雪が積もり、雪を見ているとニューイングランドで過ごした日々を思い出した。妙に美味いピッツアが食べたくなった。しかしこの街では美味いピッツアがないのだ。
Modern Apizza
874 State Street
New Haven, CT
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