11/03/2006

日本の植民地、大連


更新が滞っているが、別にサボっている訳ではない。私は現在中国を回っており、ブログを更新する機会に恵まれない。10日ほどで、東京も含めて5都市を回るという多忙なスケジュールをこなしており、インターネットを開けようとも、腰を落ち着けて文章を書くというのは難しい。

私は以前に香港から日帰りで深圳を訪れたことがあるとは言うものの、今回が事実上始めての大陸中国詣でである。毎度のこと、結論から先に言うと、中国は良く解らない。ただ一つ、確実にいえることは、まだまだ時間がかかるという事だ。

現在、大連にいる。元々日露戦争に勝利した日本の満州進出の足がかりの街として発展してきたという理由からか、日本的な趣が残っている。街の中にたたずむ古風な建物は、銀座などの日本の古めの洋風建築である。贔屓目に見ると、神戸に似ているとも言える。日本語を喋る人も結構いる。華南に比べてトイレが綺麗な事も、日本が植民地として治めていた事に起因するのかもしれない。1940年代以前の世界に思いを馳せる。

時は流れて2006年。大連は未だに日本の植民地だ。郊外には日系の合弁会社が連なる。制服を着て、朝礼を受け、ラジオ体操する工場員達。宿と食事は保障されているとはいえ、一ヶ月殆ど休みも無く1000元(一万五千円)ほどで働いている。大連から運ばれる殆どの品物は日本海を渡り、量販店やホームセンター、或いはショッピングモールに運ばれる。

ホテルでは、年配の日本人が、若い中国東北の背が高い色白の女の子を連れて、一緒にエレベーターに乗っている。たどたどしい日本語を喋る中国人の女の子と、へらへらしながら喜んでいるおっさんのコントラストは、余り気持ちの良い物ではない。私がこのブログを書いている最中に、電話が鳴り、マッサージの勧誘を受けた。このホテルはファイブスターの筈なのに。

別に私は良い悪いを論じる気は無い。冷静に考えると、現状は恐らく、仕事が無い貧しさよりはずっと良い筈である。私が論じたいのは、結局、大東亜戦争を経ようと、共産党政権が支配しようと、社会環境がそう変わるものではないということだ。中国は物凄い速さで発展しているという。確かにそれは最もな視点である。が、未だに比喩的な意味での植民地なのだ。中国脅威論などが世間では罷り通っているが、かと言って、10年以内に世界の順序付けが変わってしまうというような問題では無さそうだ。大連郊外。馬車やオート三輪が砂煙を上げながら行き交う未舗装の道路を、警音を響かせながら走るバンの後ろの座席に座り、私は物思いに耽る。早くシアトルに帰りたい。

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