私の予想を裏切り、セントルイス・カージナルスがワールドチャンピオンになった頃、私は上海浦東空港に降り立った。上海はマスメディアでもグローバリゼーションの代名詞のような街として取上げられ続けているので、期待を持っての上陸であった。
しかし、期待は大きく裏切られる。上海の煌びやかなイメージとは裏腹に、空港から都心までの道程は、光さえも無いほど暗いものだった。都心に近づき、摩天楼を拝んだ時、私の脳裏に翳んだ比較対照の街はニューヨークでも東京でも香港でも、大阪や台北やソウルですらなかった。上海の浦東の街並みは、何故かバンクーバーを思い起こさせた。人工的な雰囲気だけが際立ち、アジア特有の臭いが街から感じられないのだ。
妙に豪華なホテルで休息し、朝起きて町に出るとその考えはもっとリアルなものになる。台北や香港のようなごちゃついたイメージを想像していたのだが、屋台も余り見当たらないし、人も想っていた程は多くなかった。道が広々としているのでそう感じるのだろうか。通りには店は少なく、一軒一軒が結構大きい。まるで、表参道のような雰囲気の店が並ぶ。店はきれいだし、聞いたことがないブランドが並んでいるとはいえ、豪華である。ショッピングモールは、北米西海岸の新興都市、やはりバンクーバーのような雰囲気を髣髴とさせる。妙に広々としており綺麗に作られている。そして、時たま、妙に派手なネオンサインが、まるでラスベガスのように輝いている。
上海のお金持ちの生活の質は北米並みかもしれない。居住空間は計画的に緑が散りばめられており、広々としている。上海の町中では貧しさは感じられない。皆垢抜けているように見える。だが、歩いて行動するにはタフな町だ。車かタクシー移動でなければこの街は楽しめそうにない。
街の外に出ると、一気に雰囲気が変わり、泥臭くなる。舗装されていない道にビリヤードテーブルを置き、人々が遊ぶ。家の外に置かれたテレビに人々が群がる。この街は何かが歪んでいるが、その歪みをも消し去ってしまうほど、街に勢いがあるのも確かだ。確実に訪れる明るい未来に対して、人々の期待は膨らんでいるのだろう。右肩上がりの社会では、人々は貧しさなど感じている暇もない。生活の質は、昔と比べて格段に良くなっているのだから。そして、情報を遮断されている人々は、自分たちの小さな街にシャングリラを見い出してしまったのだ。
私は自分が生まれる前の日本のことを考えた。万博を開催した頃の大阪は、果たして現在の上海のような感じだったのだろうか?当時の大阪の方が現在の上海よりも発展していたのではないだろうか?だが、日本の発展モデルで上海を見るのには無理がある。中国は日本の経済モデルを採用していないからだ。外国人のお金で上海の経済は回る。いくら新しい街だとは言え、古きものの面影もない。そして、上海に住む人々が夢見るのはアメリカ人の生活だ。人々は文化も伝統も省みず、プラグマティックな物を得ようと必死にもがく。まだまだ時間がかかるのだろう。やがて、上海の人達は自分たちが犯した間違いに気づくのだろう。残すべき文化を軽んじ、健康を犠牲にし、そして先進国のお尻の穴にキスをした事を。しかし、上海がそのレベルに達するのは、何十年も先のことだろう。この国は、まだまだ時間を必要とする。アメリカの物真似で作ったビル群の向こうに、大気汚染のせいで真っ赤に染まった夕日が沈んでいく。まだまだ時間を要するだろう。
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