5/30/2011

日本のエネルギー政策は簡単ではない

エネルギー政策についての議論が喧しく起こっている。感情論でエネルギー政策を語る人が多くなってきたのだが、一度冷静に日本のエネルギー政策を分析する必要があるだろう。

原発が危険な事は論を待たなくなった。「実は想定していた」最悪の事態が起こってしまったのだから。原子力行政が利権構造で腐っていた事も明らかになった。国と電力会社と学会のトロイカ体制の下、民主主義に反するようなエネルギー政策が行われていた事も白日の下に晒された。それでは原子力発電を今すぐ浜岡のように止めるべきなのか?一部の狂った人間が日本の原子力を推進してきたから日本には原発が54基もあったのか?

昔からやってる反原発派の人達、例えば京都大学原子炉研究所の小出裕章助教などの話を聞いていると、火力をフルに動かせば電気は賄えるであろうし、もし足りなければ国民は節電するべきだ、という意見である。私は小出先生を学者として尊敬しており、原発行政への批判や原発が危険である事に対する指摘には頭が上がらない。しかし代替案の話になると、小出先生からはイデオロギー的なあやふやな話が出てくる。小出先生は生粋の学者であり、行政・政治向きではない。

孫正義氏の意見は完全なる商人の意見だ。技術発展とともに代替エネルギーの可能性が拡がってきているので、規制緩和と投資促進により、エネルギー政策は抜本的に変えられるという訳だ。私は諸手を挙げて賛成しているのだが、詳しくは以前に当ブログで紹介したので割愛する。だが孫氏は、ソフトバンクが太陽発電で作る電気エネルギーを政府が責任を持って買い付けない限り投資しない、と言っている訳である。原発利権を代替エネルギー利権に変えろ、と言っているに過ぎないのではないか、と言った批判もある。(私はそれでいいと思うのだが。)

私が現在住んでいる米国ワシントン州のシアトル市近郊では、シアトル・シティー・ライトと呼ばれる公営企業が、民営企業などが作った電気を送電している。シアトル市近郊の電気のうち、91.2%は水力で賄われており、以下原子力が4.4%、風力が2.4%、そして石炭が1.4%、天然ガスが0.6%、そしてバイオマスが0.1%と続く。非常に面白いポートフォリオだと感じるのではないだろうか?電気料金を払うのは鬱陶しいものだが、シアトルでの電気料金は日本と比べれば無茶苦茶安いし、東海岸に住んでいた時と比べてもかなり安い。

そうならば、日本も水力や風力を増やせないのか?勿論、そうは問屋は卸さない。シアトルは西岸海洋性気候に属し、冬場は雨が降り続ける。険しいカスケードの山々では雪が積もり、その雪解けの水と冬場の雨で、豊富な水量が一年中望めるわけだ。風力に関しても、偏西風が吹き続けるため、一年を通して安定的に風力発電が行われて、効率的である(北ヨーロッパも偏西風の影響を受け、風力発電が盛んである)。しかし夏以外は雨が降り続けるシアトルでは、太陽光などはジョークにしかならない。

そして何よりも強調しておきたい事は、シアトル・タコマ・エベレットといった都市部を合計した人口は300万人に過ぎず、世界の都市圏としての規模は118位にランクしているに過ぎない。

人口が比較的少ないこと。西岸海洋性であり、雨が多く偏西風が吹き続けること。急なカスケード山脈が近くに聳え立つこと。これらの事がシアトルのエネルギーポートフォリオを決定している。結論を言うと、シアトルと日本を比べるのは地理的にも人口動態的にも無理だという事だ。自然エネルギーは、当地の自然状況によって選択肢が異なり、社会的要因によって政策が変わる。

我が国の話をする。我が国の人口分布はヨーロッパや北米とは大きく異なる。東京首都圏の人口は3700万人であり、都市圏人口においては断突の世界一位である。京阪神の人口は1700万人で、ランキングを徐々に下げてはきているものの未だに世界12位である。名古屋圏にしても1000万人を誇り、世界の都市圏人口では27位にランキングされている。日本は人口が都市部に極端に密集しており、規模の経済を使えない自然エネルギーの享受を受けるのが社会的要因で制限されている。

それでは人口が都市に異常に密集しており、資源が無い日本では何が一番効率的な電気エネルギーになりえるのか?結局、そこで原子力という結論に達したのだと思う。原子力ならば、規模の経済を最大限に活用できるし、都市部を避けて福島、新潟や若狭の田舎を犠牲にすれば(東京や大阪の)安全性も問題ないのだ。このような日本特有のエネルギー事情の議論を避けて、原発反対を謳うのは少し理想論に過ぎないと思う。地震があり津波があるのは解っており、原発が機能不全に陥る可能性も高いが、3700万人が住む街の電気が効率的に供給されるのであれば、多少の犠牲もいた仕方ない、という見方も出来る。

そして火力依存を増やすというアイディアだが、天然ガスをロシアから樺太を通じてパイプラインで運ぶとか、例の国産メタンハイドレードを開発するとか、そのような裏技を駆使しない限り、現状では無理だと思う。現在でも買い負けしているのに、今後新興国相手に十分な石油を中東などから確保できるのか?石炭はこれ以上どこから持ってくるのか?コモディティー価格はこれ以上騰がる事は無いのか?世界の供給量が増えずに日本の消費量が増えれば、新興国の発展を遅らせることになるのでは無いのか?輸出が増えれば財政赤字化が顕著となり、国債暴落などが引き起こされるのではないのか?コモディティーが騰がり電気代が高くなれば、産業が外国に逃げるのでは無いか?産業が外国に逃げて日本の国力が落ちれば、石油を外国から買うのがさらに高くつくのではないのか?火力に頼る事も非常にリスクが高いし、70年代の二度のオイルショックで日本は懲りたのではないのか。

そして何よりも歴史を思い出して欲しい。我が国は資源不足の問題で戦争を起こして、最終的に原爆まで落とされる羽目になったのだという事を。

エネルギー政策は真面目にやるべきだ。しかしそれはイデオロギー論争ではない。そしてエネルギー政策は一国だけで終始するものでもない。エネルギー政策は、場所、場所、によって異なった最適化の形があり、ヨーロッパの猿真似は日本では通用しない(何故か民主党やインテリの人達はヨーロッパのモデルを日本に輸入したがる)。私達が快適な生活を続けたければ、エネルギー政策を解決させる魔法の杖は存在しない。多角的な観点から喧々諤々やって欲しいが、一時的な感情論に流されるべきでもない。原発絶対反対を言うのであれば、電気使用量の減少、産業の海外への移転、日本の国力低下、そして東京や関西都市圏の人口抑制などにまで言及しなくてはならない。

現在の日本のエネルギー政策が間違っていたと結論付けてしまうのは、大変浅はかな考え方であると思っている。批判するのは簡単なのだが、前の世代の人達が色々な事を考慮し、必死に努力した結果がこの状態(皮肉にも福島第一やもんじゅ)なのだという事も私達は真摯に受け止める必要がある。別に「奴ら」が糞馬鹿で、私達に天罰を与える為に暴走したのではないのだ。勿論、今までのばら撒き癒着原子力推進政策は破綻しているので、私達は可能な限りの代替案を探す必要がある。世界中の知を集めて、外国の猿真似をするのではなく、日本の特殊な状況を考慮し、真剣に議論する必要があろう。

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