11/07/2012

予想通りのオバマの圧勝


オバマとロムニーが接戦であると報じられていた。たしかに、全国区で見ると、オバマとロムニーの支持率は肉薄している。ただ、これはPopular Voteであり、選挙結果には反映されない。一方、Electoral Vote基準で選挙区ごとの数字をきちんと分析すれば、オバマが圧勝する事は解っていた事である。ロムニーが勝つためには、コロラド、フロリダ、オハイオ、ヴァージニアの全てで勝つ必要があり、神風が吹こうとも不可能な数字であった。オバマが、ヒスパニック系と老人の層を、市民権の寄与並びにメディケアという伝家の宝刀を使い、民主党支持に引き込んだ時点で、勝負はあった。

支持率肉薄を叫んでいたのはマスコミであり、選挙が肉薄すればするほど儲かるのであろう。スポンサー頼りのマスメディアは日米問わずに卑しいものである。

4年前には一つのアメリカなどと声高に歌ったオバマであるが、余程大統領の椅子が座り心地が良いのか、今回の選挙戦は完全なるマーケティング論を駆使して、ターゲットを絞った感がある。ロムニー陣営にせよ、オバマ陣営にせよ、選挙期間中は自分たちのターゲット層に耳障りの良い事ばかりを繰り返す事に終始し、結局二人が何をしたいのかは最後まで解らなかった。

この詰まらない結果が出るのに、二年ほどの歳月が使われた。オバマも昨年ごろから大統領選を睨んだ政策をテーブルに挙げるし、議会もオバマを追い込む作戦をとり、誰のために政治が行われているのか意味不明であった。日本もアメリカも、民主主義とはこんなものである。

で、何が言いたいかと言うと、選挙キャンペーンとは一体何だったのか、ということである。周りを見ると、若者はほぼオバマ支持である。ヒスパニックもオバマ支持だ。町に住む中産階級はオバマ支持、自営業者や金持ちはロムニー支持。田舎の白人はロムニー支持。敬虔なクリスチャン(笑)もロムニー支持。デモグラフィーで大体支持者が決まってしまっているのだ。そこに広告を打って、一体何がどう変わるのだろうか?私はアメリカに住む外国人として、とても醒めた目で大統領選挙を観察していた。

しかし、アメリカ人たちは違う。まるで何かに憑かれているが如く、選挙結果を心配する。民主党支持者に「今回の選挙は99厘オバマが勝ちますよ」と言うと、「まだ油断できない!汚いティーパーティーが何を企んでいるのか解らない」と来る。共和党支持の「オバマになると社会の秩序が壊される」などと寝ぼけた事を言っている人に、「ロムニーはモルモン教ですよ」と言うと、「オバマよりマシだ!」と来る。「ロムニーは金持ち優遇だし、保険を殺す気だ!」などと発狂しているオバマ支持者に「オバマになっても増税しますし、ロムニーはマサチューセッツで皆保険をしましたよ」などと言って聞く耳を持たない。

一体、これはどういう事なのだろうか?選挙キャンペーンこそが、アメリカ国民を二分している原因であると思う。選挙広告などの短いキャッチーなメッセージを、ある種のターゲットセグメントに訴えかけ、洗脳するわけである。で、自分に関係のあるキャッチーな言葉だけを拾い、両陣営の政策を直感で判断しているようだ。余りにも衆愚である。

では、選挙キャンペーンは無意味なものなのか?少なくとも、二年間の洗脳期間を経て、アメリカの個人は、政治家にどういった政策を採って欲しいのかをある程度自覚する事ができるようになる。それ以上のものは望まないし、言った事をやらない場合は批判もする。翻って日本を見ると、未だに選挙の基準は「人柄」や「信用に値する」のような意味不明のもので政治家を選んでいるような気がする。政治家は魔法使いでもウルトラマンでもないので、社会の問題を解決できるような力は備えていない。政治家の仕事とは、法案を立案して通す仕事なのだ。政治家の政策を理解するチャンスも無く、雰囲気で政治家を選ぶ日本社会。野田首相の様に、しっかりやっている人も批判され、安倍前総裁の様に叩かれて辞めたような人がアンチテーゼとして再登板できるのだ。意味不明である。私は、民主主義とはアメリカ型の、政策を二者択一に迫るやり方である方が、が上手く行くと思う。少なくとも、人々も参加していると言う幻想を味わえる。

やっと終わってほっとしているが、もう一つ、絶対に見逃せない政治イベントが中南海で行われている。次の億万長者は誰になるのか?出来レースの中にも、足の引っ張り合いが垣間見える。次はその記事を書く。

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