11/26/2012

「厳しい条件付き」で、維新の会を支持する


民主党は、野田首相が良識派ぶろうとも「社会保障を充実させる大きな政府」を標榜している事は明らかである。自民党は、小泉的な小さな政府を目指すのではなく、明らかに安倍次期首相は「公共事業を充実させる大きな政府」を標榜している。財政を見てもらえばいいが、この期に及んで大きな政府は不可能である。この二大政党は未来の日本人を全く代弁していない。

私は「個人の権利」についても「経済政策」に関しても、自由を推し進めてくれる政党に日本を率いて欲しいと感じている。

日本社会はもっと自由になるべきである。警察などの匙加減で立件が決められたり、変化する社会に追いついていない法体系を変えようともしないなど、明らかに「個人の権利」はおざなりにされている。女性の社会進出や、社会的なフレキシビリティー、サイバー空間内での権利と義務、増え続ける在日外国人勤労者などに関する権利と義務の規定など、現代の法体系は柔軟さを発揮していない。最低限守るべき事のみを残し、後は規制を緩和していくといった大胆な改革が望まれる。

日本の経済政策も、もっと自由にしてしかるべきだ。霞ヶ関(法律を作る側)と暴力団(法律を無視できる側)が日本で一番イノベーティブな集団である事実が、日本の規制体系の不備を如実に物語っている。加えて、無駄にややこしい税制は勿論の事、二重三重の行政も整理して効率化しなければならない。

こういったリバタリアン的な考え方の需要はある筈であるが、残念ながら受け皿が見当たらない。むしろ、そういった主義主張が生かされないような政治システムの不備が見受けられ、どの党が政権をとろうとも、多分何も変えられないし、変わらない。現状の政治システムは金属疲労を起こしており、抜本的な改革が必要である。

「みんなの党」が割りと近い気がするのだが、「みんなの党」は誰がやっても破綻することが見えている経済政策のことしかアジェンダで言っていない。個人の権利に関して「みんなの党」は何も言っていない。たとえば「観光促進のため、特定地方の特区でマリファナの合法化のような法律さえ許可します」などと言ってくれると「みんなの党」に票を入れやすくなるのだが。個人の自由に国が関与しません、と声高に言って欲しい。

維新の会であるが、私は橋下市長の考え方が好きである。言われているように危なっかしさは残るが、目指す方向は完全なリバタリアンである。「労組憎し」で国家主義のような主張をしているが、良く聞いてみると、個人や経済の自由を高め「小さい政府」を標榜していることが明らかである。

しかし維新の会は青嵐会・志帥会連合軍とくっついてしまった。元自民党の青嵐会や志帥会はただの保守派である。管理したがりの国家主義者である。橋下氏の主張がこのような国家主義と相容れるとは思えない。

維新の会の本来の選挙公約に書いてあった事をもう一度思い返す。憲法改正、並びに衆議院定数を240まで削減、そして参議院の廃止である。という事は、今回当選する議員はただの捨石に過ぎず、誰が議院になろうとも数だけ合わせれば良いという見方もできる。数だけ合わせて、上記三政策を押し通す。そして定数を削減した上で、もう一度真面目な選挙戦をやりなおせばいいのである。そういった意味で今回の選挙では、みんなの党とじゃんけんで候補者を選んでも良いのだし、タレント候補などを入れてもかまわない。戦前生まれの頑固ジジイのようなのがいたって構わない。そのあたりをはっきりさせてくれれば、諸手を挙げて維新の会を応援するだろう。ただ、国会議員の職に一度ついた人が、そんなに簡単に美味しい席を手放すとは到底思えないのだが。

「今回の選挙は「議院定数削減」と「憲法改正に布石をつけるための日本国憲法第96条の改正」のためだけに数合わせをします。維新の会は上記二つだけを通す事を目的としてこの選挙を戦っており、二年以内に一旦解散して、新たな議員数の枠組みで政策論争に注目した選挙を、太陽やみんなの党とも袂を分けた上で行います。そうしなければ日本の政治システムの閉塞感は打破できません。」そうはっきりと宣言するべきだ。そして、維新の会の候補者がそれに完全に同意して誓約書を書くという条件をもって、私は維新の会を支持する。みんなの党も、そういった前提の上であれば、選挙協力に合意すると思う。そうじゃなければ、現状の維新の会はただの烏合の衆であり、老害を含む屑政党である。現状のままでは、まずあり得ないだろうが、維新が第一政党になろうとも、烏合の衆であった民主党と同じ轍を踏むだけである。

0 件のコメント: