周りにいるエリート連中に、あまりにも経済音痴が多いと言う話をした。今朝、日経ビジネスの小峰教授の記事をたまたま読んでいると、まさに私が言いたいような問題が載っていて驚いた。
経済音痴といわれる人には、よくよく観察すると二つの異なるタイプの人達がいる事に気づく。
一つ目は、「お金」に全く興味がない人。「商売」、「経済」、「株」などの話題を嫌うタイプである。この人達は小さい頃から「お金は汚いもの」であると教えられているのだろう。汚いお金の話をする「欲深い連中たち」は、ユダヤ人となにわ商人だけと相場が決まっているものだ。こういったお金に関心がないタイプの人達は、歌うのが嫌いなのでカラオケに行かない人と考えていいだろう。筋がきっちりと通っている。
二つ目のタイプは、大学一年生レベルのマクロやミクロ経済学を一通りきちんと理解していない癖に、経済について一家言あるタイプの人だ。偏った本を読んで、間違った知識を持っている。前提の間違いや、論理矛盾を指摘すると、「違う経済学もある」とくる。経済学は色々あるだろうが、論理矛盾は経済学とは関係ない。それを指摘すると「経済学は不完全な学問であり、経済学を齧っている連中は信用できない」とくる。このタイプの人達は性質が悪い。解らなければ、解らないと言えば良いが、新聞の記事などに詳しい。経済通ぶりたければ少なくとも経済学の基本くらいは抑えておいて欲しい。経済の話を経済学の視点で喋っていたのに、社会学や国際比較論ならまだしも、歴史学、あるいはモラル論や陰謀論に話を摩り替えられると、その時点でコミュニケーションが成り立たなくなる。こういったタイプは、音痴の癖にカラオケが好きな人と考えると解り易いかもしれない。ハタ迷惑、この上ない。
問題は、二つ目のタイプが世の中に数多くいるという事だ。経済は経済学者だけのものではなく、社会全てが経済活動からの利益を享受している。よって、総ての人がそれなりに意見があるのは当たり前の事だ。生活が苦しけりゃ、そりゃ文句の一つも二つも言いたい。
だが、巷に出回る「トンでも本」や「トンでも記事」に洗脳されているとしか思えない人達が大勢出てくる。暇な通勤時間に陰謀経済論の類の記事を読んだり、経済批判の書を読んだりする。基礎知識がないので、「大袈裟な論調」や「明らかな嘘」を無防備に鵜呑みにしてしまうのだろう。さらに判官贔屓からか、経済学を齧っているエリート連中が我々の社会を貶めている、と信じ込む人も出てくる。ああいう本の作者連中は、本を売るために書いているのであり、正しい事を書いている訳ではない。トンでも本の著者も家族を養っていかなければならず、生活がかかっているのである。目立つ事で政治家やテレビのコメンテーターになりたいとでも考えている輩もいるだろう。それに唆されているうちは、まだまだ尻が青い。
餅は餅屋の搗いたものが一番美味い。経済政策の事は経済のプロに任せるしかない。素人は選挙で社会の方向さえ見ればよいのである。経済政策を選挙の核にしようとするなど、ちょっと無理がある。素人の文句を経済運営に組み入れようとしても、経済運営はひとつのシステムなので、碌でもない事になる。そして金儲けしたい連中にコロッと騙されて、税金を掠め取られるのがオチだ。一般の大衆が判断ツールを十分に有していないので、選挙は甘い事を言ったもん勝ちの世界である。
理想論ではあるが、大学か高校かは知らないが、日本社会は国民に正当な経済学のイロハを教える責任があると思う。「英語コミュニケーション」、「会計金融入門」、「ミクロ経済入門」、「マクロ経済入門」、「基礎コンピュータ言語」、「統計学入門」。このくらいは現代社会で生きて行く上で必要最低限の知識であり、社会がある程度の基礎をきっちりと教える必要があると考える。「古典」や「物理」や「サンデル教授の倫理学」の時間を削ってでも、これらは教えてしかるべきものだ。選挙民に強制的にこれらのクラスを取らせてから選挙をさせたいものである。むしろ、こういった基礎知識を試すテストでもして、合格点が取れなかったら選挙権を取り上げればよい(勿論、ただの暴論です)。
経済論議をしたければ、経済の基礎を最低でも学べ。人前で歌を歌いたかったら、まずは発声練習くらいは受けろ。ジャイアンみたいなリサイタルを開いて、歌を広場で披露すれば皆が迷惑する。最低限の知識無しに行う批判を、社会ではクレーマーによる不平不満という。
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