私はミルコ・デムーロという騎手が大好きである。私が高校生の頃、関西競馬と言えば武豊の独壇場であった。そこに、地方から参戦の安藤勝己とフランス人オリビエ・ペリエという巧いジョッキーが絡んでくる。競馬はそんなものであった。そこに1999年に彗星の様に現れたのがイタリア人ジョッキー、若き日のミルコ・デムーロである。短期免許でやって来たミルコデムーロは、小倉や京都競馬場で大穴を連発する。「まさか、そいつを持ってくるか!」というような騎乗をする。ミルコが騎乗した時点で穴として抑えざるを得なかった。競馬は馬が7割、騎手が3割とか言うが、ミルコの騎乗は3割どころではなかった。
ネオユニヴァースでクラシックを勝ち、日本での地位を不動のものにした。2008年のジャパンカップを制したスクリーンヒーローなどは、単なるミルコファクターでの勝ちであった。
言い尽くされている事項であるがヴィクトワールピサでのドバイワールドカップ。トランセンドとの日本馬によるワン・ツー・フィニッシュで、震災後に沈みがちだった日本の空気に希望を与えたとされている。ドバイワールドカップに関しては色々と意見もあるし、ヴィクトワールピサのパフォーマンスに関してもどうかと思うが、ミルコの騎乗は光っていた(藤田も度胸があった)。
そして、秋の天皇賞。内ラチ沿いで我慢して、エイシンフラッシュにダービー以来の勝星をつけた。秋の天皇賞で内ラチを走って好走した馬の例は枚挙に暇がない。それでも、馬を宥めて確実な追いをみせたミルコの騎乗は光っていた。
ウイニングランの後、下馬し、ヘルメットを脱ぎ、跪き、天皇皇后両陛下に対して最敬礼を行った。スタンドからは割れんばかりの歓声があがった。この様子を米国のHRTVで深夜に見ていた。なるべく高みからの見物を心掛けている私であるが、ミルコの粋な仕草に不覚にも感動を覚えた。ミルコにやられたのはドバイに続いて二回目である。イキな仕草、そして観客が何を欲しているのかを瞬時に判断できる天性のサービス精神。この男はプロのエンターテイナーである。あの最敬礼を見せられた人にとって、ミルコデムーロは日本人が一番好きな騎手、或いは日本人が一番好きなイタリア人となってしまったのではないだろうか?
しかし「ミルコが日本人よりも日本人らしい」などとするコメントも多く見られるが、それは違うと思う。礼節を重んじたりする行為は日本だけの美学ではないし、そういった意見をあなたが持っているとすれば、もう少し視野を拡げて貰いたい。今回の一件に熱さを感じたのは、日本のドメスティックな物(皇室文化)と世界の多様性が交わったからである。外部の人間に礼節を尽くされてこそ、余計に威厳や正統性が光るのである。相撲やスポーツの国際大会においても、多様性が生まれているからこそ、面白さやレベルが水増しされているのだと思う。多様性の重要さを感じてほしいと思うし、多様性を受け入れる事でこそ、ここまでの感動が生まれたのだと思う。松永幹夫も天皇賞を勝って日本人らしく、そして幹夫らしく、謙虚に礼節を尽くした。それはそれで素晴らしかった。が、今回の派手なパフォーマンスはデムーロだからこそであったと思うし、それに何百万人の人達が酔いしれたのだ。我が国の良さを魅せるためにこそ、多様性が必要なのだと、私は信じている。そして、そうしたパフォーマンスを通じて、ミルコは人間としての格を上げてみせた。
しかし「ミルコが日本人よりも日本人らしい」などとするコメントも多く見られるが、それは違うと思う。礼節を重んじたりする行為は日本だけの美学ではないし、そういった意見をあなたが持っているとすれば、もう少し視野を拡げて貰いたい。今回の一件に熱さを感じたのは、日本のドメスティックな物(皇室文化)と世界の多様性が交わったからである。外部の人間に礼節を尽くされてこそ、余計に威厳や正統性が光るのである。相撲やスポーツの国際大会においても、多様性が生まれているからこそ、面白さやレベルが水増しされているのだと思う。多様性の重要さを感じてほしいと思うし、多様性を受け入れる事でこそ、ここまでの感動が生まれたのだと思う。松永幹夫も天皇賞を勝って日本人らしく、そして幹夫らしく、謙虚に礼節を尽くした。それはそれで素晴らしかった。が、今回の派手なパフォーマンスはデムーロだからこそであったと思うし、それに何百万人の人達が酔いしれたのだ。我が国の良さを魅せるためにこそ、多様性が必要なのだと、私は信じている。そして、そうしたパフォーマンスを通じて、ミルコは人間としての格を上げてみせた。
ミルコのパフォーマンスから色々な物を学べた気がする。要約すると、礼節を見せるのは他人に対して自分のクラス(品位)を知らしめるためである、という事だ。社会における自分の存在感を示すためにこそ、礼節は無駄であろうとも大げさにでもやるべきであるのだ。他人の目を気にする日本人やヨーロッパ人は、その辺りの事を体験的に理解できている人が多い。一方、おおらかな環境で育ったアメリカ人や、余裕のない発展途上国の人達には、こういった「粋」な礼節を理解しない人が多いように思う。礼節は人の為ならず、巡り巡って己が為、という事である。
デムーロ、最高!
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