11/06/2011

関西を浮上させるために必要な事と市長選

意識的に書かないようにしていたのだが、大阪市長選が間近に迫っている。結論から書くと、私は橋下徹を支持する。関西は長い間、国家の意思として力を削がれてきたと信じているのだが、その兆候を食い止めようとすれば、橋下改革を断行し、あるべき方向に進んでいくしかないと考えている。

どういうことか?歴史を紐解くと、廃藩置県の際、大阪市と神戸市を含む摂津藩が解体され、大阪府と兵庫県に分けられた。さらに京都府がある。東京と違い、関西圏には大阪市、京都市、神戸市という比較的力が拮抗する地方自治体が凌ぎを削ることになった。大阪市は大阪府に、京都市は京都府に、そして神戸市は兵庫県に属している。しかし、関西という社会的な枠組みはあるものの、政治的な枠組みが無いため、首都東京と大阪府、京都府、そして兵庫県が樹状に縦に繋がっていた。

地方自治体の長達は、近視眼的な視線しか持たず、大阪、神戸、そして京都という枠組みで喧嘩をする。全体的に関西経済圏を発展するというよりは、隣の街になめられないような自治が進められて来た。隣の町が何をすれば、わが町も何をする。リターンを考えない無駄遣いが罷り通ることになる(日本全国そうなのだが)。

さらに、大阪府の中には大阪市が内包されている。そして、二重行政が罷り通っているのだ。市立大学と府立大学があるなど明らかな物から、二重三重の公務員を雇ったり、公共費の利権が歪に入り組んでいたりなど、目に見えないことも多くある。しかし、それらは生活に密着しており、結局は税金を二重三重に取られているということになる。

私は「政府」や「公共」という物に対して懐疑的であり、かなりバイアスが懸かっているのだが、地方政府の公的な役割は民間のグローバルな長期競争力を強化することに尽きると思っている。それにより、外から富を呼び込むことこそが地方政府の存在意義である。しかし現在の大阪府や大阪市は、世界第九位の人口を誇る都市圏の中心の地方政府としての立場に甘んじ、その民や会社に虱のようにたかっている存在に過ぎない。自腹を肥やし、宿主を殺そうとしている寄生虫には、去らなければならない。そして本来の真っ当な地方政府の役割を考え直す必要がある。

関西地域を相対的に浮上させて、世界中からのお金を集めるつもりであれば、選択と集中をするしかない。開発するべきところを集中的に開発する。そして切るべきところは無視する。民間が出来ることは邪魔しない。競争力劣化に繋がる政治屋、利権者、ヤクザは排斥する。今までのように、「広く公平に弱者のため(笑)」の政治をしていたのでは、関西はすべからく負ける。弱者や税金にたかるハエを追い払わなければならないのだ。

そういう観点で考えると、関西圏が浮上するためには、中央政権に反骨し、関西という経済ユニットを東京というモンスターの影から切り離す必要があろう。中央政権は首都である東京を発展させたいので、関西の意思が国の政治の場でサポートされることは、まずあり得ない。国は関西を絶対に助けてくれない。活力があり、豊かな街にするためには、関西の事実上の独立以外に道がない。関西地域が事実上、政治主体としての日本中央政権から独立するためには、関西にまともな政治的な枠組みを作らなければならない。現状の縦割りの行政を簡潔にし、関西の意思が政治に反映され、中央政府と対等に渡り合えるようにしなければならない。大阪市と大阪府がいがみ合い、競争力を削いでいる現状の構図こそ、まさに中央政府や他の地域の人達が欲している事柄なのだ。関西地域の住民は、自分達の生活は自分で護る。そしてグローバル経済の流れの中で他所に勝つ。そういった目標に邁進するために自分達の首長を選ぶ必要がある。

橋下徹が投じる一石は、この流れに向けた布石であると考える。橋下氏が関西以外の地域で評判が悪いという話もある。橋本を選んで得をするのは関西人であり、その成功により損をする可能性があるのは他地域の人なので、そういう感想を持つ事は当たり前といえば当たり前だ。橋下のやり方が急激すぎるという批判もある。そうかも知れないが、利権に群がっている連中を排斥するためには、無茶をしなければ仕方ない。橋本が府と市を統合したところで、なんら問題は解決しないであろうという批判もある。しかし、先ずは府と市(大阪市と堺市)を統合して、スリム化していかないことには、最終的な目標には到達しない。現状維持は論外だ。平松邦夫氏が人間として好きだ、という意見も良く聞く。私も子供の頃、夕方6時半からの毎日放送で平松さんの番組を見ていたし、好感度はある。だが、政治家としての頭脳が足りない。

グローバリゼーションは全球化と訳される。グローバリゼーションの世の中では、第二都市の存在意義などゴミに等しい。よほど広い国土を持つアメリカや(中国も?)、政治と経済の中心がはっきりと分かれている中国やドイツなどを除き、第二都市が発達している国を探すのは難しい。それが解っているから、日本政府は関西地域を無視しているのだ。台北や香港・深圳、シンガポール、ジュネーブなどがグローバル化した世界の中で上手く対応しているのは、文化や言語などでしっかりと国境を作っているからに他ならない。関西が生き残るためには、教育や文化や言葉をはじめ、経済ユニットを心理的にも物理的にも東京圏から別ける必要がある。それはあるいは関西独立といっても過言ではないだろう。出来るだけ東京圏と大阪圏の人的・物理的移動を妨げなければならないのだ。しかしそれをしない限り、東京の一極集中が解決するわけはなく、残念ながら関西が今後浮上することは決してあり得ない。国際イベントをするなど、小手先で都市圏の競争力が回復するほど、グローバリゼーション化の競争は甘くない。

中央政権や民間企業は「便利」になるという蜜で日本の一体化、つまりは東京の中央集権を強力に支えようとする。しかし、その手に乗れば関西圏は東京経済に寄生するだけのお荷物となる。関西自身が自己的に完結した経済単位を築いて、日本という枠組みに飲み込まれないようにする必要がある訳である。

勿論、これは関西人としての視点であり、これを読む関西以外の人達が何を思うかは知った事ではない。それくらいのガッツを関西人には期待したいが、優秀な関西人から順番にすでに東京に移住しているから、ま、無理だとは思うが。

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