ジマーマン事件、特集
ジョージ・ジマーマンが無罪になったケースを「人種問題」にすり替えている米メディアに辟易としており、言いたいことが一杯ある。何故ここまでイラつくのか自分でも解らない。この記事によってきちんと整理し、一旦区切りをつけ、自分の仕事に集中したい。
以前、竹中平蔵の記事を読んだ時に、「なるほど!」と驚嘆したのだが、その説によると批判するには三つのパターンしかないという。今回のジマーマンの事件の評決に関して批判している人は、自分の意見と異なる人達に「差別主義者」というレッテルを張り、永遠の真理を謳っているのだ。しかも、それを「正義」だと主張している。
今回の問題の根本には、黒人社会が自分たちの置かれている状況を嘆いているところにあるのだと思う。米国において、黒人層の貧困が解決するべき社会問題である事は論を待たない。多くの米国人が、故意であれ無意識であれ、黒人を色眼鏡で見ている事も間違いない。国籍、性別、人種などは自由に選択することが出来ず、本人の努力とは全く関係がない。生まれた時の運次第である。しかし、それらによって差異が生じている事は疑いのない事実だ。それらの差異は、多くの場合で残念ながら打開することは不可能である。これは人間社会における克服できない永遠の問題であると思う。そして筆者は黒人ではないので完全には理解できないのだが、単純に述べると、黒人に生まれた多くの人は、白人が生まれながらに手に入れている何かを妬んでいるのだろう、と信じている。
1.正義とは?
サンデル教授ではないが、「正義」の話をしたい。法に則った行動がすべて「正義」であり、違法な行動は「正義」にもとるのか?
私たちの社会では、合法だがモラルに反する行為や、違法だがモラルに則った行為と言う物に頻繁に遭遇する。だからこそ、映画は盛り上がるし、小説家は話題に事欠かなかったわけだ。例えば、ナチズムは当時のドイツでは合法であった。しかし、それを「正義」とする事はどうか、という話が当然成り立つ。後述の奴隷制度や植民地政策もしかりである。確かに時代が進めば進むほど、モラルと法律を近づけようと努力されてきたため、そういったギャップは縮まりつつある。
正義にはいろいろな種類がある。ここでは、法正義とモラル正義を比べる。モラル的な正義には危うさが付き纏う。時代、宗教、生活環境などにより、モラルは十人十色であるからだ。モラルだけを信じてしまうと、我々は日常行為に自信が持てなくなってしまう。今は許されているが、動物の肉を食べる行為は、モラルにもとる行為ではないのか?ベジタリアンは肉食は罪だと言っている。このように、モラルに裏付けされるような万人に共通する正義はあり得ない。近代社会では国民が国家という制度を許容し、国家が法律を作り、それに国民は従うと契約している。国民は国家と契約した以上、法律をルールと見做し、ルールに従った法正義の行動をとる義務がある。法律を守っている以上、個人は国家から消極的ではあるが自由でなければならない。つまり法治国家では、法さえ守れば逮捕されることはないのだ。故に、正義はその法律によってのみ定義することが可能であると思うのだ。法を超えたモラルの話は、人々の「意見」に過ぎないと考えている。越権行為で逮捕される世の中は、危険であるのだ。勿論、それらの「意見(或いはモラル的な正義と呼んでも構わない)」は、政治家が法律を改正することにより、将来の正義にはなり得る。
よって、異なった法律を持つ国家や時間軸をもって、「正義」を語る事は慎むべきだと思っている。私がここで使用する「正義」は、あくまでも法正義の事である。ナチズムを批判する際にも、その時代にはドイツ第三帝国において合憲であった、としか言いようがない。これはナチズムを肯定しているのではない。歴史を客観的に述べているだけである。しかし、ナチズムの憲法やその他の法律に当時従った人達を、あなたは裁くことが出来るのか?国際法に違反するとアウトだが、当時のそれ以外のナチス支持のドイツ人は第三帝国と契約しており、その法律に従っただけに過ぎない。その当時の社会を攻撃対象とすることは、余りにもアンフェアである。それならば、政治や宗教などのイデオロギーに則って行動しているテロリストを現代国家が裁くことなどできなくなるのだ。何故なら、未来に何が正義とされるのかが解らないからだ。私がここに書いている意見を嫌う感情的な人や現状の制度を信じて疑わない自信過剰な人の方が社会にはむしろ多いと思うし、そういった意見は尊重したい。ただ「常識」や「モラル」は揺らぐので、客観的な価値判断には使えない。
2.米国の奴隷制度と黒人
話を黒人問題に戻す。黒人の祖先の多くは、奴隷貿易でアフリカから新大陸に連れてこられた。当時のアメリカにおいて、奴隷制度は憲法で認められていた。1865年に憲法が修正されるまで、奴隷制度は法正義であり、それ以降は不正義になった訳だ。正義だからと言って問題がなかったわけではない。正義だとしても社会問題であったのだ。故に、南北内戦でアメリカ人同士の殺し合いを経てまで、憲法は修正されている。奴隷貿易の過去は現在の政府にはCondemn(非難と訳して良いものか?)されている。
米国の黒人社会は、いまだに奴隷貿易を引き摺っている。現在の黒人社会における貧困や脆弱な教育といった問題は、奴隷制度が由来であると考えている人たちが大勢いるのだ。そうかもしれないが、そんな事をいまさら言っても仕方がない。すでに奴隷制度は不正義となったのだ。
今日においても白人に対して「プランテーションメンタリティー(入植者精神)」を持つな、などといった意見を言う黒人を多く見かける。モラルの正義を持ち出して、過去の奴隷貿易の良し悪しを議論すれば、必ず白人側は防衛一方となる。奴隷制度の過去は政争にも使われる。しかし、現代の多くの白人は奴隷貿易に直接関わっていないどころか、多くの人が黒人に同情しているという事実もある。未だに黒人に積極的な差別感情を抱いている糞白人もいるだろうが、そういった人達は寧ろ極少数派だ。黒人であれ、白人であれ、21世紀において奴隷貿易の話を蒸し返す発言をする人達は、人種間戦争でも起こしたいとしか思えない。だが、逆にいうと、マイノリティー側は強力な武器を手に入れていると言っても過言ではないだろう。
これらを利用し、黒人の人権擁護団体が利権を漁っている。公民権が保障された時点で、それらの団体の主な役割は終わった訳だが、いまだに過去の栄光を引きずりながら団体として存在している。それらの団体が自分たちの私腹を肥やし、力を入れるために、積極的に差別事象を作り上げる。そして、それらに乗りかかる自称リベラルな人達が結構な数いる訳だ。で、それらリベラルな人達が、人種問題から目を反らしたい普通の白人を「保守主義者」というレッテル貼りをする。
勿論、アメリカ人の多くは黒人団体やリベラルな運動家の意図を見透かしている。ただ、自分の評判が傷つくので、政治的な意図がない人達は、それらを積極的に非難することは出来ない。匿名のツイッターを見て貰えば、CNNやMSNBCで言われているのとは異なった意見が多い事に気づくだろう。勿論、政治運動家の戯言と無視することも可能だ。しかし、本当にそれでいいのか?
今回の「トレボン・マーティン射殺事件」をニュースで聞き流した国外の人はどう思うだろうか?例えば、日本国内向けには保守的な産経であるがこの事件についてのニュースの報道には保守の姿が見えない。裏事情を知らずにこれを読めば、黒人が可哀想だと考えると思う。トレイボン・マーティンがギャングのような不良で、ジマーマンが車に帰ろうとする時に襲われて頭を何回もコンクリートに叩きつけられたとは書いていない。一番の問題は、このニュースは日本では興味がもたれない為に、商業的な価値がないという事だと思う。で、日本国内で流されている少ない情報から、アメリカの白人社会は黒人社会を差別し、おかしな政策を作っていると考えるかも知れない。だが、それは明らかに不公平な意見だと思う。例えば、いつもは左寄りで大嫌いな経歴詐称をしている人物も、今回の批評では私と変わらないような発言をしているのだ。
3.わが国では?
ここまで書くと、おやっと思う読者も大勢いるだろう。
朝鮮・韓国人社会と日本との関係に似ていないだろうか?例えば、いわゆる従軍慰安婦問題などの話を蒸し返すのは、全く同じパターンだと思う。法律、時代背景や社会問題を完全に無視した場合、管理売春の様な行為は女性の権利を踏みにじっているはしたない行為である。一般の善良な市民は、性産業にモラル的な罪悪感を持っている。それはユートピア的な「モラル上の正義」なのだと思う。当時の社会状況では仕方がなかったにせよ、ほとんどの日本人は、過去に植民地主義や管理売春を大日本帝国が実行或いは許容していたような事実については触れてもらいたくもない。同時に、ほとんどの人が韓国人や在日韓国・朝鮮人に対して一種の罪悪感の様なものすら持っている。
だが、一部の韓国・朝鮮系の人達や、リベラルなメディアは、モラル問題でこれらの歴史を政争として蒸し返す。従軍慰安婦の存在を無視したり否定したりする立場の人間は「軍国主義者」や「極右」であるとレッテルを貼られる。それに対して、保守派は青筋を立てて否定する。この問題も一部のリベラルメディアの経済的な理由による恣意的な報道から発展していったと信じられているが、これらが社会に与えた影響は余りにも大きい。挙句の果てには、ゴミの様な社会的な負け犬たちが、新大久保などで差別発言を繰り返しながらデモ行進を行っている。日本と朝鮮半島の問題については、色々な人が客観的な分析をしており、ここでは詳しく書かない。
4.合法的に搾取した歴史については、モラル論を振りかざされると絶対に勝てない。
私は、一部の東アジア地域が日本に対して行っている反日社会運動と、アメリカにおける黒人社会の運動の戦略がだぶついて見えてしまうのだ。日本も、アメリカの白人社会も、絶対に勝てない防戦一方の試合を強いられているのである。むしろ攻撃相手は、攻撃の手を緩めないで、ごねればごねるほど有利であるのだ。そうすれば、自分たちの政治メッセージがより広く伝わる。
私は過去の合法的な搾取の歴史を修正しようと言っているのではない。アメリカの白人にせよ、日本にせよ、欧州にせよ、多くの人は過去の合法的な搾取の歴史を個人として自省している。国家としても過去の搾取対象だった地域やグループに対して、色々な貢献をしてきた。勿論、表現の自由が確保されているので、頭のイカれた団体や、教育を受けていない個人が「エクセントリックな意見」を主張したり、金儲け主義のメディアが今回のケースの様な「ある事ない事揚げ足を取って報道」することはあるだろう。しかし、全体的にきっちりと反省した上で、臭いものには蓋をしているつもりなのに、それを蒸し返される事は「政治利用」以外の意味が見いだせないと言っているのだ。それが分っているので、特に左翼の現制度に反対する政治団体は、むしろ昔の過ちを積極的に利用しようとする。
残念ながら、これらは当事者以外には興味がない小さな問題だ。日本ではジマーマンのケースが政争に使われている事実はほとんど報道されていない。黒人対白人の問題に日本社会は興味がない。情報に疎い人達は、メディアを通じて入って来る「黒人をしいたげるアメリカ社会」という話を信じ込んでしまうだろう。同様にアメリカやヨーロッパも、極東地域の政争に興味はない。アメリカでは、韓国や中共で行われている反日運動について、表層以外は報道されない。ほとんどのアメリカ人にとって、アジアの極東の問題など、どうでも良いわけだ。そして、多くのアメリカ人は日本が右傾化しており、軍国主義にいまだに憧れを持っており、韓国や中国を蔑んでいるのだと信じている。そして、そのようなイメージこそが、政治団体(右も左も)の寄付金集めに大いに役立つのだ。
しかも、この問題をややこしくしているのは、黒人や韓国人側に産まれた人は、この問題を窘める側に回る事が極めて困難な点である。黒人が白人側を擁護したり、韓国系が日本人を擁護すれば、もっとおかしなレッテルを貼られる。従って、常識のある人は「どっちもどっち」というような意見を言わざるを得ないのだ。名前を出しているコラムなどで、そういった常識的な人達の意見を読むと、ある意味で可哀想だとも思う。
表現の自由が許される民主主義社会であるのだから、情報を客観的に分析する能力が一人一人に求められている。私は科学者として、法正義とモラル正義以外に、もう一つの正義を認識している。それは事象を客観的にとらえた「事実」と言う名の正義である。ユートピア的な考え方であるとは承知しているが、感情論ではなく「事実」を大切にする社会に憧れを抱く。
5.デモは続く
それでもデモは続いている。トレイボン・マーチンという、学校で何度も停学を喰らったり、未成年の癖にマリファナを吸ったり、自分が撮影した女の子の裸をSNSにアップしたり、何故か鞄からいくつもの宝石とスクリュードライバーが出てきたり、近所を監視していた善良なヒスパニックの自警団をぼこぼこにしたりするような、そんな不良の名誉を守ろうと、全米各地でデモが繰り広げられている。この不良少年の名誉を守るという行動こそ、安重根の銅像を作って讃えようとしたり、従軍慰安婦の像を作ったりするような行為と重なるのだ。神経の逆撫でをするような非常に不快な行為である。私は匿名なので、この記事を書いている。もし私が自分の名前をさらす必要があれば、ここまでは書かない。自由な議論をする余地すら奪う非常に卑怯な政争工作を、トレイボン・マーチン擁護派は仕掛けているのである。SNSやツイッター上で流れている、上品な黒人利権団体批判論は、フォックスニュース以外では取り上げられることはない。
0 件のコメント:
コメントを投稿