10/27/2013

ワールドシリーズ第四戦は牽制死で終了。

興醒め第三戦の後、手負いのバックホルツが明らかに調子が悪いのに投げた。

で、結果は、4-2で上原が出て来て、一塁代走のコルトン・ウォンを牽制で刺して試合終了。牽制で終わるの??またもや興醒めな終わり方である。

第三戦の繰り返しではないか?と思われるようなシーンが何度も繰り返された。ブレスロウの不調、田澤がホリデイと対峙、そして上原がクレイグに打たれる、などである。これらが面白かったかというと、見ていてイラついた、というのが正直な感想である。

しかし、両リーグで最高のチーム同士の一戦という触れ込みで始まったワールドシリーズだが、凡ミスや采配ミスが目立つ。どうも上手く歯車が回っていないようだ。野球としては楽しめない内容になっているのは残念である。

10/26/2013

カージナルス、走塁妨害でサヨナラ。はあ??

はあ??という表現が一番合致すると思う。

9回ワンアウトで、ジェイの打球をペドロイアが捕球し、サルタラマッキアに投げて2アウト。サルタラマッキアが三塁のミドルブルックスに投げたが、ミドルブルックスが後逸して倒れこむ。クレイグがそれに勝手に躓き、よろめく。レフトのナーヴァからサルタラマッキアに球が帰って来て、ホーム上でクレイグをタッチアウト!

え、走塁妨害で試合終了?最後のホームでのクロスプレイは無かったことで?はあ、何それ?って感じである。

ミドルブルックスはボールを逸らしたが、走塁妨害にならない為には、自ら回転して走者の進路を開けなければ、妨害になる可能性が常に発生するという不都合な真実が露呈した。

しかし、今日の問題はミドルブルックスである。田澤とホリデイの戦いで、田澤が打ち取ったところを、代わりたてのウェストブルックスが取れなかった。エラーにはならなかったが、隠れエラーである。これが二点になった。そして、最後のプレー。サルタラマッキアが色気を持ちすぎたが、ウェストブルックの後逸は看過できない。

一方、カージナルスの三塁手のフリーズは6回にペドロイアの当たりをスーパーキャッチして、ボストンの勢いを止めている。

今日のボストンであるが、一塁のパピーの守備は仕方ないというものの、細かいミスが目立った。記録に残るもの、残らないものを含めて、エラーが散見された。ナポリは使わずじまいだった代わりに、意味の解らない内野手の交代もあった。投手リレーもピリッとしなかった。ナショナルリーグの本拠地で戦うと、ゲームのペースが必然的に早くなるので、もう少し巧く対応した方が良いと思う。同じ失敗を繰り返さないチームなので、四戦以降の戦いに期待したい。

まあ、審判団の判断はルールに則っているという意味で妥当であったというものの、興醒めな一戦であった。

10/24/2013

2013年ワールドシリーズ開幕。ベルトランとバックホルツの故障および左投手不足

ワールドシリーズが始まった。先日も書いたが、策士が采配を振るう力のあるチームと、策士の戦略が浸透している力的には少し落ちるチームの組み合わせだ。まあ、考えるまでもなく、力がある方が勝つだろう。詳しい話は先日書いたので割愛する。

さて、第一戦は予想通りのボストンの圧勝。ファレルは9回に上原に投げさせずに、先発5番手のデンプスターを使った。この監督、やはり切れ者である。セントルイスとの一戦では点数差が開く試合が多くなるとみて、登板間隔のあいていたデンプスターを安全な場所できっちりと使ってきたのだ。タイガースのリーランドには出来なかった采配である。

ただ気になるニュースもある。バックホルツが肩の状態が良くなく、第三戦はピービーで行くようだ。アラバマ州はモービル出身の元サイヤング三振王のピービーは頭に血が登り易い傾向にあるとはいうものの、良いピッチャーであり、何の心配もない。フライボールピッチャーなので、ボストンのフェンウェイよりはセントルイスのブッシュスタジアムで投げる方が良い結果が出るだろう。では、第四戦は誰が投げるのか?バックホルツが無理であれば、フェリックス・ドブロンという事になるらしい。

セントルイスも、プエルトリコの至宝ベルトランが、オルティスのポストシーズン第二号満塁弾をかっさらった際に肋骨を痛めてしまい、今後の出場が微妙な状態になっている。まあ、レッドソックスは打てば勝てるだろう。というよりも、ボストンの選手は異様なまでにボールを見ている。これはシーズン中から顕著であったが、ワインライトも結局はボールを見られたことが敗因であった。しっかりと待てるボストンは強い。

面白いのは、両チームとも左ピッチャーが極端に少ないという点だ。ボストンは先発のレスターとドブロン。ブルペンにはイェール出身のブレスロウとモラレスだけだ。一方のセントルイス。左はベテランのチョートとスィーグリストだけだ。両者ともリリーフで、先発は全て右である。

これは面白い、と言いたいところだが、どうせボストンが圧勝するので、結構どうでも良い。日曜には決まるだろう。

10/23/2013

留学系のフィクション本に騙されるな!留学して得する事、損する事。

「日本の教育はレベルが低い!アメリカに留学すれば人生が開ける!」そんな勇ましい事が書かれた書籍にすっかりと騙されて、私は日本の大学を卒業した後にアメリカへ留学した。

たまに日本にいる若い学生に「留学して自分を高めたいのですがどう思いますか?」などと質問される。10年ほどが経ち、客観的に自分を見つめられるようになり、色々思う事があるので書いておく。基本的には「留学すれば成功する!」といった単純な論調に「すっかり騙された」と思っている。が同時に、日本にいても手に入らなかったような物を、色々手に入れた実感もある。

留学して得する事①
「外国人話者」としての英語力がつく。留学して手に入れられる最高の利益である。留学をしたい理由の第一位は英語を身に付けたいからだと思う。

留学して得する事②
外国人の友達が一杯できる。特に発展途上国の金持ちの子息と簡単に友達になる事ができ、自分の視界が広がる。これも留学して得られる利益である。

留学して得する事③
他の日本人留学生と深い友人になれる。留学は楽しい反面、様々な苦労にも直面する。それらの過程で、他の留学している日本人と深い絆が出来る事になる。友情は金では買えない。

留学して得する事④
視界が広がる。今まで日本で常識であると思っていた事が常識ではないと気付く。「コロンブスの卵」的な考え方、つまりは常識にとらわれないような考え方が出来るようになるかも知れない。日本の現状を第三者的な視線から冷静に観察する事も可能になる。

留学して得する事⑤
日本語で書いたり話したり読んだりする能力や、コミュニケーション能力が格段に上達する。これは英語という普段は使い慣れていない拙い言語で、無理やり他人に何かを伝えようと頭で考えながら四苦八苦するうちに身に着く能力なのではないか、と考えている。自分の母国語でも理路整然とコミュニケーションできるようになる。面白い事に、他の言語を勉強しても早く身に付くようになる。

留学して得する事⑥
アメリカの大学院を介すると、簡単に学歴ロンダリング出来る。学費を自分で負担できるのであれば、名の通った大学院に簡単に進学することが出来る。ただし、これはMBAやロースクール、或いはプロフェッショナルスクールと呼ばれている大学が中心であり、研究分野はコネが無ければ入るのは難しい。ハーバードやイェールなどが凄いと言われているが、日本の帝国大学に入れるくらいの頭脳があれば、英語能力さえ鍛えれば、簡単に入学できる。しかも周りの人からはエリート扱いしてもらえる。しかし、東大を卒業して、アメリカの州立大学で修士を取ったりしている人を良く見かけるが、これは学歴を落としているようにしか見えないのは私だけだろうか?

留学して得する事⑦
やたらと自身がつく。英語で授業を受けたり、英語で発表したりしているうちに、自分は凄い事をしていると感じるようになる。例えば日本でMARCHくらいの大学に行っている人がアメリカの州立大学の大学院に留学したとする。そうすれば、計算能力や知識的にはクラスでもトップレベルであるのだが、当初はアウェーでの戦いであり、気後れする事になる。しかしテストなどを受けると、特に数学系や暗記系の科目においては良い点数が取れる。これは半端じゃない達成感を得られる事になる。

留学して得する事⑧
行動力や生活力がつく。不便な中で頑張るので、ゴキブリ並みの生命力がつくし、楽しく生活する知恵も生まれる。

達成できるかもしれないが時間を要する事①
アメリカ人の深い友達を作るのには苦労する。外国人留学生の友達は簡単に作る事ができるのに、アメリカでアメリカ人の友達が出来ないのだ。クラスには普通アメリカ人が大勢おり、アメリカ人同士の会話の中に入っていけない事が原因だと考えられる。あわよくば金髪碧眼の美人と付き合いたい、などと考える日本男児にも会うが、そういう事をしたいのであれば、日本に来訪する外国人女性をターゲットにした方が簡単だと思う。

達成できるかもしれないが時間を要する事②
英語はそんなに簡単に上達しない。1年くらいではコミュニケーション能力もままならない。2年くらいで漸く授業についていけるようになる。5年くらいたつと、アメリカ人との会話がかなりスムーズになる。意思疎通には全く問題がなくなるという物の、10年たっても綺麗な文章はまだ書けない。何十年いても日本訛りは消える事がない。英語能力のせいで、周期的に自分がとても惨めに思える日がある。これは辛いものだ。

留学して失敗する事①
アメリカでの仕事探しは高い確率で失敗する。米国で修士を取った程度で英語力が無い人は、まず仕事を見つけられない。英語力があったとしても、これは運とコネだけの問題である。簡単に見つかる事も有るが、簡単に見つけられない事の方が多い。ビザの問題がさらに事をややこしくする。インターンなどから地道に就職活動をするしかなく、日本の様に「集団就職」で簡単に仕事が手に入るとは思わない方が良い。特に、経験もなしで大学院を始めたような人は黄信号が灯っている。

留学して失敗する事②
日本で外資系や大会社に簡単に就職できない。留学している人など掃いて捨てるほどいるのだが、企業が留学生に期待する事はネイティブ並みの語学力である。修士課程を終えたくらいの中途半端な英語力の人は、大抵跳ねられる。ボストンのキャリアフォーラムに参加したり、コネを使ったりして就職したとしても、思っていたほどの給料は貰えない。この時になって、初めて留学のコストパフォーマンスが低かったことに気付かされる。

留学して失敗する事③
無駄に高学歴に固執する。ダラダラと学生を続けて、博士号を取ってしまう。博士号を取得すれば、大学教員を目指すべきなのだが、博士号取得者がポストの数に比べて多すぎる。良い椅子を取るには、優秀な中国人やインド人との戦いに勝たねばならない。教員として成功するためには中途半端ではない英語能力も求められる。そんな競争に残ったとして、給料は驚くほど安い。ポスドクになろうものなら、貧乏奴隷生活以下で、最低賃金の貧困生活を強いられる。課目によっては大学教員以外の道もある。工学部などでは大学に残らずインダストリーに行くと良い給料が貰える。文系科目でも、巧く就職活動をすれば楽な仕事なのに高い給料を貰える事もある。ただ就職活動は日本の様に整備されていないうえ「運」と「コネ」が決め手の世界だ。就職活動に力を入れると、間違いなく研究に支障が出る。苦労こそが生きる意味、などと考える人を除き、生命科学や基礎科学などで博士号を取ってはいけない。あなたは不幸になります。

留学して失敗する事④
井の中の蛙になる。アメリカの某都市の大学院で勉強したとしよう。某都市の常識はアメリカの常識でも、世界の常識でもない。某都市の常識だけをして、世界を語るようになったり、日本のシステムのすべてを否定し始めたりする。こういう行動をとる人が多いので、「留学生」というブランドは日本国内で反射的に嫌われる。まあ、それで本などを書いて食っていける人もいるのだが、そういう人達に騙されて留学する人が増える事には疑問を感じる。

留学して失敗する事⑤
スキルや英語力を追求しすぎて時間がかかり過ぎ、コストパフォーマンスに合わなくなる。完全主義を求めたところで、人間が出来る事は限られている。しかも、人間には等しく一日に24時間、一年に365日しか無い訳だ。すべてを成し遂げる事など出来ない。アメリカの大学院は、修士課程は基本的に二年間だが、博士課程などに進むと、下手をすると10年近くかかる事もある。どれだけの知識や能力が身に付こうとも、若い時の10年という時間を取り戻せるほどの逆転ホームランを放てるかどうかには疑問が生じる。博士号取得のみが目的であれば、日本でサクッと取った方が簡単であるし、英語圏で博士号を取りたいのであれば、英国やオーストラリアなら素早く博士号を与えられる。

留学して失敗する事⑥
虎の威を借りる狐。アメリカで受けた教育が「虎」に過ぎない事が多い。あなたの能力やキャパシティーは所詮キツネかもしれない。残念ながら、キツネは虎にはなれない。

留学して失敗する事⑦
ガラパゴス化。あなたの最終的な目標が日本での就職であれば、留学をしたところで日本からの情報に疎い、使いがっての悪い人間になる。留学という箔漬けが目的なのか、留学して自分を磨きたいのか、あなたのゴールをはっきりさせなければならない。

留学して失敗する事⑧
びっくりしなくなる。昔は驚いたような事が、むしろ当たり前になる。逆に言えば、図太くなる。日本に帰った時に、テレビ番組を見たり、古い同級生と会話したりした時に、驚くほど詰まらないと感じる事がある。

留学して失敗する事⑨
痛いアメリカ人と結婚してしまう。これは日本人女性において顕著である。アメリカ人男性の中には積極的な人がいる。そういった人についつい押し切られて、結婚してしまう日本人女性が周りに多くいる。まあ、日本人女性側もアメリカに行ったという事で、無意味に無節操になっているというパターンが多いのだ。こういうパターンでは8割くらいの確率で、女性側が不幸になる。ただ、残りの二割に、とても幸せなカップルが数多くいる事は強調しておきたい。アメリカで金髪の可愛いおねえちゃんが日本男児に言い寄ってくることは余りないので、男性諸君はそんな心配をする必要はない。日本人男子とアメリカ人女性の結婚は、珍しいというものの、かなりの確率で上手くいくようだ。

このように、留学にはプラス要因もマイナス要因もある。いずれにせよ、スキルの向上や能力を磨くことは時間がかかることである。時間に合った効果をどの程度求めるかで、留学に意味が有るか無いかが変わって来る。人生の目標を先に設定した上で、アメリカへ留学するという手段をとればあなたは成功するだろう。だが「とりあえずアメリカへ留学!」というような態度をとると、思わぬ落とし穴にはまる可能性が高いので十分に注意して頂きたい。本屋で売っている留学本や日本教育批判本は、本を売る為に書かれており、実社会では通用しないような類の物が殆どである(だからフィクションとして読めば面白いのだ)。あなたの人生は自分で決めなければならない。きっちりと戦略を立てて良い留学経験を積んでいただきたい。特に、出口戦略か保険戦略を留学する前にきっちりと考えておくべきだ。留学によってしか得られないような貴重な体験が多い事も事実であるが、留学が生涯賃金の向上には全く結びつかない事が多いのもまた事実である。

10/20/2013

レッドソックスが上原で接戦をモノにし続け、タイガースを予想通り4-2で下す。

私はマックス・シャーザーというピッチャーが好きである。猫でもないのに、左右の目の色が違うのは、漫画みたいで格好良い。日本のメディアはダルビッシュだの岩隈だの言っているが、今年のサイヤングは間違いなくシャーザーが獲る。そういう意味で、出来ればアメリカンリーグチャンピオンシップの第六戦はデトロイトに頑張って欲しかった。が、そう簡単にバックホルツを打てるでもなく、試合は2-1で7回に突入した。

まあ、このシリーズが始まる前から予想できていたことだが、どんなに先発の駒が揃っていようとデトロイトは終盤の一点差のリードなど守れるわけがない。一方のボストンは、一点差で7回くらいまで頑張れば、10中8、9逃げ切れるチームである。

で、投球が多くなっていたところを、7回もシャーザーが投げる事になった。前回も投球が多くなっていた上に、オークランドとの試合では無駄な中継ぎもさせられていたのは記憶に新しいと思うが、ちょっと投げさせ過ぎだ。いくら後が無かろうとも、ワールドシリーズの事まで考えれば100球くらいで替えさせるべきだし、スマイリーやアルバカーキ―を巧く使えばボストン打線を黙らせることが出来るかも知れない。ゴームスに巧くグリーンモンスターの上の方まで運ばれた。ホームランにはならなかったのは良かったが、二塁打になった。勿論、次もシャーザーで行くしかない。ドリューには粘られるも、三振。次のボガーツの時だが、球審がアウトローのストライクを取らないのである。バックホルツのアウトローだと、ストライクゾーンの外に逸れていた時もストライクを何度か見たのに、シャーザーのアウトローの球はストライクゾーンに入ってもボールである。特に、最後の四球になったボールは完全なるストライクであった。

で、ピッチャー交代。スマイリーが打ち取ってダブルプレーの筈のボールを、シーズン途中までレッドソックスでプレーしていたキューバ人ショートのイグレシアスがお手玉。で、満塁になった。ここで、スマイリーが懲戒のような形で替えられて、出てきたホセ・ベラスがシェーン・ヴィクトリーにグリーンモンスター越しの満塁ホームランを打たれる。まあ、球審の判定など、言いたいことは色々あるが、予想通りの展開と言えばそれまでだ。先発投手の好投、巧く行かずにリーランド監督が動き、すべてが裏目に出て逆転される。そして、ボストンは勿論予想通りにブルペンが最高の形で試合を閉じる。田澤、ブレスロウ、そして最後は寝屋川出身の上原。あっさりと閉じたようなリレーだが、誰が誰を抑えるか、ボストンベンチは計算しつくしている感があった。

デトロイトには気の毒だが、あれだけの選手を揃えていながら、短期決戦を戦えていない。カブレラの不調など、理由をごちゃごちゃ言っている人がいるが、端的に言って戦略なき野球ではプレイオフは戦えない、という事だろう。

一方のボストンのファレルは、流石である。計算し尽しているし、投手交代のタイミングも適格だ。モラレスがダメだと見ると、すぐにワークマンを投げさせた。リーランドがこういう事をやると裏目に出るが、ファレルがやると上手く行く。非常に面白い物を見せて貰った。

さて、余談だが、ボストンから二人ピックアップしたい選手がいる。一人は人気の選手であるビクトリーノ。フライングハワイアンと呼ばれている。マウイ島出身の同選手は、母方の祖父は日本人であり、ナカハシさんである。ビクトリーノはポストシーズンが始まって以来、既に6個の四球を与えられている。ちょっとバッターボックス寄りに出過ぎでストライク級でデッドボールになっている感もある。元来はスイッチヒッターなのだが、足のふくらはぎの怪我の影響で、最近は右バッターに定着している。ホームランも右打席で右ピッチャーから打っている。もう一人は田澤と上原の間に投げるクレイグ・ブレスロウ。ユダヤ系のブレスロウはイェール大学出身のインテリである。インタビューを聞いていると、他の選手とは全然違う知性を感じさせる喋り方で、非常に面白い。

審判の左投手贔屓(或いはボストン贔屓)が気になった一戦ではあったが、ボストンがワールドシリーズに進出し、地味選手が揃うデータ野球を駆使するセントルイス・カージナルスと、水曜日から対峙する事になる。多分、4-0とかでボストンが圧勝すると思う。ドジャースとレッドソックスなら力と力の試合になっただろうが、力の優る策士と力の劣る策士の試合の結論は火を見るより明らかだ。前半戦で見るのが嫌になるような試合の連続になるだろう。残念ながら、上原が緊張した場面で登板する事もないほどの楽勝と見ている。三試合くらいの肩慣らし当番で、最後はウィニングピッチャーになるだろう。

10/14/2013

大学入試を面接に。何のための改革なのか?

政府の教育再生実行会議が国公立大入試の二次試験からペーパー試験を廃止して、面接などに移行することを検討しているという。下村文科大臣は「学力一辺倒の一発勝負、1点差勝負の試験を変える時だ」とし、新テスト創設の必要性を強調したという。

個人的に色々なトラウマがあり、大学の入学試験の事など思い出したくもなく、このような問題は見て見ぬふりをしたいところだ。だが、どうしても思う所があるので、意見する。

日本社会では、制度の疲弊があれば、何でも改革しようとする。改革といっても、欧米のやり方を取り入れるだけであり、模倣を改革だと勘違いしている節がある。日本には日本の土壌で育った日本的な良さがある。一方で、欧米のそれぞれの国では、その文化的な背景や社会の発展を元に、それぞれが培ってきた良いシステムがある。こういう事を無視して欧米システムの輸入をする事はあってはならない。そもそも、ミッションなき改革など、絶対にあってはならない。

まず私が受験したころの入試制度に問題がなかったどうかを検討する。結論から言うと、塾や予備校や一部の私立高校が利するだけで、私は青春の貴重な時間を奪われた。私は本命の大学の前期試験には失敗したものの、後期試験で滑り止めの大学に拾ってもらった為に「浪人」と呼ばれる時間の浪費を避ける事ができた。しかし多くの友人達は、浪人生として無駄な一年、あるいはそれ以上の期間を過ごす羽目になった。浪人期間中は、受験でどうすれば点数を稼げるかというテクニックを必死に磨く。実質的な知識や考える力が修練されているとは考えられないのだ。浪人という糞の役にも立たない時間を許容するシステムは非生産的である。

アメリカでは入学試験は原則的に無い。何度でも受験可能なSATと呼ばれる全国統一試験の点数が足キリとして使われ、後はエッセイ(小論文)、内申書、経験、面接などが総合的に判断されるのだ。

エリート校では特に面接が重要視される。本人だけでなく、親の面接もある。西洋的な階級社会が色濃く残っていた影響であり、家系で大学への適性を判断するのである。日本でも小学校や中学受験くらいまでは、親の面接をする学校が一杯あるのだから、取り立てて異色がる必要はないだろう。

アメリカの大学で話を聞いていると、やたらと「多様性」という言葉が繰り返される。これがアメリカの大学のあり方のキーポイントだと思う。社会的な役割として、エリート大学には創造性や革新性などが求められる。イノベーションは日本でも流行りの言葉だが、イノベーションにより社会に風穴を開けてくれるような人材を育てたい、という社会的な要望に大学は応えようとしているのだ。イノベーションを持った人材を育てる事は難しい。一般的に言って、イノベーションは、人材の優秀さに加え「コロンブスの卵」的な考え方を生徒に強いなければならない。大学側が出来る事といえば、生徒に「異文化」を味あわせる事が手っ取り早い。寮などにバックグラウンドが異なる生徒を大量に押し込み、色々な交流を経験させるわけだ。人種、性別、親の職業、生まれた地域。それらが異なる人間が混じる事で、常識破りの発想が出来るようになるという訳だ。そういう発想の元、多様性を高めるために面接が行われている。そして、教員や生徒も、そういった大学の使命や文化を皆が共有し、尊重している。

一方で日本の大学の使命は何か?大学がホームページに書いている外向けの標語の事を言っているのではない。生徒や教員、或いは社会が特定の大学に対してどのような使命や価値観を共有しているのか、と問うているのだ。結論から言うと、就職するための若者の「篩(フィルター)」としてしか見ていないと思うのだ。企業の人事部を含む、ほぼすべての人が、積極的にも消極的にも大学受験以外に大学の価値を見出していないと思う。勿論、多くの人がそうあって欲しくない、と考えている。だが、現実はそうである。

もし改革をするのであれば、この点を改革できる案件を出す必要がある。小手先だけで何かを変えると、最も大切な物を傷つける事になる。改革すべき問題点は、大学の存在意義そのものである。受験技術を身に付けさせる為に若者の時間を奪う事が問題である。変革しゆく社会が理想とするものと、大学教育の間の乖離が問題である。しかし、問題が多い大学受験はフィルターとして一応の社会的意義を果たしている。この辺りを総合的に考え、日本人の高等教育に対する認識を根本的に変えられるような改革を望みたい。

大学への編入をしやすくして人材の流動性を保つ事から始めるべきだ、と私は思うのだ。何故なら、高校生にとって、本当に行きたい大学など「ない」と考えているからである。98%の高校生は、通える範囲でランクが上であれば上である方が良い大学である、として学校を選んでいるに過ぎない。そうすれば二次試験を大学別で行う必要性は全くない。全国共通の二次試験を実施すれば良いだけの話だし、成績の良いものから順に、東大、京大、阪大、名大などと、受験生が選べる大学の範囲を拡大していけば無駄な後期試験や浪人期間という社会的なロスを防ぐことが出来ると思う。

無理矢理面接をさせたいらしいが、面接を行ったところで、日本の国公立大学に多様性を導入することなど出来ない。コミュニケーション能力云々を測りたい、などと言っているが、それを教育することが本来の高等教育の目的ではないか?それよりは、大学の縦割りをなくして、文系や理系が同じクラスで交われるようにしたり、(東京大学の様に)学部間の移動をしやすくしたり、留学や他大学での単位取得を許可すれば良いだけの話しである。転校をしやすくする制度も整えるべきだ。

私自身は先ほども述べたように、後期試験で大学に入った。その後期試験では小論文や面接が行われたのだが、集団面接で周りにいた殆どの受験生にはコミュニケーション能力が欠落しており、受けた瞬間に自分が合格したと確信した。だが、高校時代の貴重な時間を割いて必死に練習した受験技術は結局無駄であったという焦燥感に苛まれもした。もし面接だけで事が足りたのであれば、私は多感な高校二年生から三年生にかけての時期に、受験問題の反復練習などという「苦行」はしていなかったと思うし、勉強の仕方も抜本的に変えていたと思う。つまらない参考書にお金を使う事もなかっただろうし、読書や英語の練習といった有意義な事に時間を割ける事ができたのではないかと思っている。数学などにしても、受験勉強に特化した、ミスを減らす目的の反復練習ではなく「頭を使って考える楽しみ」を実感できる勉強が出来たと思うのだ。まあ、過ぎてしまった事をとやかく言っても後の祭りだし、受験勉強をしなければファミコンで遊んでいただけかも知れない。面接を後期試験に取り入れているからと言って、その大学がどのような人材を求めていたのかは不明である。そういった理想の生徒像を共有できないまま、面接を行ったというのは異常である。理想の生徒像がないまま行う面接では、個人的な好き嫌いを元に人を採用する事になる。

私はアメリカの大学院で長い時間を過ごして、教育という物は如何なる物かという事をずっと考えてきた。振り返って考えれば、受験がどれほど馬鹿馬鹿しいラットレースであったかがよく解る。「人生は馬鹿馬鹿しいものである」と言い諭されると、それはそれで反論の余地はないのだが。

10/13/2013

オルティスの満塁弾。レッドソックスがサヨナラ勝ち。

数日前に、リーランド監督の温情采配を貶して、選手が揃っていてもタイガースは勝てない、などと偉そうなことを書いた。

で、サンチェスが大好投。ノーヒットのままマウンドを降り、アルバカーキ―などが繋いだ。しかし、9回ワンアウトから、タイガースの抑えのベンワーがナーバにヒットを打たれてノーヒッターをおじゃんにした。タイガースは1-0で勝った癖に、まるで葬式の様な雰囲気だった。

続いて、第二戦。シャーザーが鋭い。2日連続でノーヒットノーランペースで投げ続けた。しかし、6回に一点を取られたのだが、タイガースが完全にコントロールしていた。ブログに偉そうな事を書いたのに、タイガースが二連勝かよ、と思っていると、やはりリーランドはやらかしてくれた。

8回にレッドソックスを満塁にして、左のオルティスに、右の危ういクローサーであるベンワーをぶつけた。結果は初球を満塁ホームラン。タイガースの楽勝から、5-5の同点にされたのだ。オルティスを褒めるべきだが、リーランドの完全な失敗だと思う。

ブルペンには左のフィル・コークがいた。コークを使わなかった理由は、間隔が空いていたからというもの。なら、何故オークランドとの一戦でコークに投げさせていないのかを問いたい。9月18日以降投げさせていない理由は何なのか?

上原が危なげもなく9回表を抑えると、裏に出てきたポーチェッロは緊張の為か暴投を数球投げた。これもポーチェッロを使っていないのが原因である。いきなり勝負所で投げろと言う方がおかしいのだ。普段は先発なので、抑えで出てくれば緊張するのは当たり前。しかも、10月5日から、1週間以上も開けられたんじゃ、たまらない。先発投手4人の質が良いのは知っているが、それでも巧くブルペンを使わなくてはいけない。

選手が揃っていようと、野球はチームでするものであり、プレイオフは特に適材適所の起用が求められる。リーランドでプレイオフは勝てない。

白人の負け組がアメリカデフォルトを画策する

アメリカの議会が捻じれており、政府の一部がシャットダウンしている事はご存知の事と思う。私の周りにも色々な影響が出ている。研究を続けている政府系研究機関の職員とはメールでのやり取りが出来なくなっている。在東京のアメリカ出先機関に所用で連絡したところ、日本の現地スタッフしかおらず、アメリカ人職員は働いていないと言われた。さらに、政府系のホームページに載っているセンサスや貿易などのデータ、他の文献などにもアクセスできなくなっている。と言っても、個人的な影響は限定的であるので、私としては知ったこっちゃあ無い。しかし、例えば友人の奥さんはDCで某省庁に勤めているのだが、二週間仕事に行かなくて給料が出ないのは我慢できるが、その間の保険代などを自己負担する必要があり、恐らく50万円くらいの出費になるだろう、と嘆いていた。そういうのを聞くと気の毒に思うが、私からは遠い場所での話しである。

しかし、アメリカ国債が仮にデフォルトすると、話が違ってくる。デフォルトの定義は色々あるという事は昔に述べたが、デフォルトは「支払いの不履行」とも訳されており、一度でも支払いを怠れば債権はデフォルトした事になる。債権の格付けは、支払いの履行可能度で決められる為、一度でも不払いが起これば、格付けが下げられる。今回の問題は、内政的な理由があるにせよ、支払い能力が十分にあるにも関わらず、議会が踏み倒すかも知れないという悪質な物であり、決して看過される問題ではない。米国債の「信用」はガタ落ちする。

資産の現在価値を計算するためには、「割引率」を用いて未来の価格を現在価格に換算するのだが、リスクフリー資産とされている米国債を割引率の基準とする。つまり、米国債の価格が下がれば、他の資産価格を暴落させてしまうのだ。それも世界規模で。そういう意味で、アメリカのデフォルトは決してあってはならない。議会もその辺りは理解しているものと信じている。

ティーパーティーに支持された一部の共和党下院議員が、世界の資産価格を人質として、オバマケアを阻止しようとしたり、自分たちの支援者に媚を売ろうとしたりしている行動は、モラル的に最低である。オバマケアは既に議会を通過した法案である。「人質」を使い、既に通過した法案を捻り潰そうとする行為は、民主主義の根本にもとる行為である。

ティーパーティーとは一体何者なのか?結局は、白人負け組連中であり、政府が自分たちの生活を脅かしていると考えている。連邦政府こそが自分たちの敵だと考えているのである。アメリカは広い。金持ちの街もあれば、負け組の白人だけが住む街や、貧乏な黒人のみが住む街もある。南部や中西部の田舎町を中心に、グローバリゼーションの波からとり残されているような地域では、白人の下層の人達の恨みの捌け口として、草の根レベルのティーパーティー運動が起こっているのである。

企業を優遇する共和党は、金持ち層からだけの支持では過半数を取れない事が解っているため、宗教の力や貧困層を取り込むことで、選挙を優位に戦っていた。つまり党内に、「金持ちの為の共和党」と「貧乏白人の為の共和党」という二つの異なるイデオロギーを抱えてきたのだ。その矛盾が現在爆発している。共和党の貧乏白人に支持されて当選した議員たちが、古き良き共和党員に白色テロを実行し、党を、そして議会を、そしてアメリカを、さらには世界経済まで乗っ取ったのである。

グローバリゼーションの波に飲まれ、冷や水を飲まされ続けていた貧乏な白人の草の根運動が功を制したのだ。憎いのは社会主義社で黒人大統領であるオバマ。憎いのは外国人や非白人。憎いのは連邦政府。憎いのは売国政治家である民主党議員、そして共和党の売国議員。家族を守り、朴訥にキリスト教を信じる、心優しい自分たちの時代がついに来た、というわけだ。

このような政治テロに世界は揺り動かされている。このような愚かな「色物」たちに「アメリカ国債の支払い履行」という人質を取られた。アメリカの色々な矛盾が世界の不安定さを助長している。オバマは内政の拗れで、自身が重要であると説くアジアのアセアン会議にすら参加できなかった。一方、アセアンでは習近平が着実に力を誇示している。周辺国は、その出方や厚かましさを恐れつつも、経済的な協力を請い願うという、皮肉な外交が展開されている。

癌の治療に四苦八苦する病床にうつ伏すアメリカという「駁」。「駁」がいない事を良い事に、張り子の虎で調子に乗る中国共産党。世界はかくも面白い。

いくらティーパーティー議員が調子に乗ったところで、デフォルトにはならないだろう。ただし、前述の野球プレイオフの予想くらい外れる事があるので、楽観的に気を付けてほしい。まあ、気を付けたところで、米国国債のデフォルトというイベントに対して打つ手はなさそうだが。

10/12/2013

投手コーチ上がりのファレル対穏健リーランド。定石ならレッドソックス。

最高年棒のサイヤング&MVP同時受賞者であるヴァーランダーがオークランドとのワイルドカード最終戦で先発した。今季は急速が落ちており、打たれまくっていた。同僚のマックス・シャーザーやサンチェスが化け物の様な内容だったので、かなり見劣りする内容であった。シーズン中は、お世辞にもタイガースのエースとは言い難い内容であり、私の中では先発3番手か4番手(怪我のダグ・フィスターの次)くらいのピッチャーであった。

しかし、崖っぷちの一戦で、オークランド相手に7回途中までをノーヒットに抑えるという、快投を魅せたのだ。内容が素晴らしかったというよりも、夏ごろにダルビッシュが準パーフェクトをした時のように、球を散らして追い込んでいくと最後に振ってもらえるというような投球であった。ミスターオクトーバーとして君臨してくれるかどうかが見物である。

しかし、タイガース対レッドソックスは、ある意味で詰まらない試合になると思う。私の予想では4-2でボストンが勝つと見ている。タイガースが勝つ二試合は5回くらいで見るのを辞めるような圧勝。それ以外の試合は僅差をすべてタイガースが落とすと見ている。エース級同士の投げ合いで、1-2とかでタイガースが負ける試合を見るのではないだろうか?

デトロイト・タイガースは、見て貰えば解るが、選手が揃っている。先発陣は完璧な3人+フィスターが君臨している。打者陣は恐らくリーグナンバーワン。しかし、抑えはスマイリーはいいが、ちょっとベンワーは不安だ。しかし、何よりの不安要因は監督のジム・リーランドである。ジム・リーランドは、レンジャースのロン・ワシントンと良く似ており、とても良いおっちゃん(爺ちゃん)である。しかし、データやスコアラーを駆使して動く策士ではない。ひたすら選手を信用して、無駄な動きを避けたがるし、無理に動けば選手が動揺して動きが裏目に出てしまうのだ。

本日のオークランド戦でも、ヴァーランダーがヒットを打たれた時点で8回は替えるべきだったと思う。私なら、8回にはスマイリー、ポラチェッロとフィルコークの三人を投入し、9回はベンワーに締めさせる。野球は一人でやっているものではないし、本当の敵は次のボストンであるからだ。プレイオフの緒戦でヴァーランダーに111球を投げさせた采配に疑問を感じる。

一方でレッドソックスのファレルは策士である。フランコナの下で投手コーチをして世界一になった事は記憶に新しい。投手の交代には定評がある。しかも、打者からも信頼を寄せられている。相手投手に合わせて、巧く打順も組み替えられる。

さて、確実に勝たなければいけないようなプレイオフで、どういう采配が功を奏するだろうか?勿論、野球など水物なので、何が起こるかわからない。しかし、今年のアメリカンリーグの覇者はレッドソックスになると見ている。

狭くグリーンモンスターを擁するフェンウェイパーク。一方で広いがホームラン以外の長打が出やすく打者有利なコメリコパーク。この二チームの戦いであれば、今年のプレイオフも捨てたもんじゃない(今年のプレイオフは詰まらないと言った、ちょっと前の記事を早速否定しています)。

10/05/2013

淀川区は同性愛者を支援するべきであるが、バイセクシャルを公的機関が支援するのか?

大阪市淀川区が「LGBT(性的少数者)支援宣言」をしたそうだ。レズビアン「L」やゲイ「G」という産まれながらの同性愛者を社会的に差別を受けない様に支援するのは当然である。しかし、何故「B」が入っているのかが不明である。前にも述べたが、バイセクシャル「B」はただの性的「嗜好」であり、悩んでいようとどちらか一つを選択するべきであり、公的機関が支援するような問題ではない。生まれながらの同性愛者と一列に並べるのは、本当に支援が必要な同性愛者を蔑ろにする行為であり、どうかと思う。バイセクシャルを支援することは、不倫や二股三股を支援するのと変わりない。トランスセクシャル「T」というカテゴリーも定義が不明であり、Gと重複していると思われる。ヒッピーなゲイコミュニティーの可笑しな専門用語を使わないで、普通に「性的少数者支援宣言」と言えば良い。産まれながらの性に悩む人たちが住みやすいコミュニティーにするという主旨に対して、誰も文句はないと思う。が、個人の性嗜好(バイセクシャルやトランスセクシャル)については、個人の勝手であり、公的機関が支援したり妨害したりする問題ではない。

淀川区は、性的少数者以前の問題として、もう少し人権などの解決できていない問題に真摯に取り組むことから始めた方がいいのではないか?まあ、こういった地方自治体の何とか宣言など、ただの阿呆な標語に過ぎないのだが。

10/04/2013

ZakZak(夕刊フジ)の記事が便所の落書き以下に没落した件

私自身、小学校の高学年から親父が買っていた夕刊フジを読んでおり、夕刊フジのファンである。冬の寒い日、湾岸戦争開戦の日の夕刊記事の一面は未だにはっきりと脳裏に焼き付いている。

サラリーマンの新聞である夕刊フジには、サラリーマンが好みそうなセンセーショナルな記事が多く載っている。そのように割り引いて記事を読むと、多少の判官贔屓のバイアスも目をつむって読み流せたし、そういったバイアスを差し引きさえすれば記事から事実が透けて見えた。卓越した言葉遊びで、「お見事!」と叫びたくなるような馬鹿記事すらあったものだ。政局などの煽り記事も、その裏には事実の描写や本当の噂もあった。テポドン発射の時など、夕刊フジに書かれていた北朝鮮の状況分析記事はとても正確であったし、オウム事件では色々なスクープをどこよりも早く流していた。

私は10年以上も前にアメリカにやって来たのだが、夕刊フジの記事を掲載しているZakZakというウェブサイトを情報源としている。異国の地から手っ取り早く「日本のお父さん方」の思いを知る事が出来る良い情報源で「あった(過去形)」のだ。

しかし、ZakZakがおかしくなった。記事が極端に詰まらなくなってきた。というよりも、読む気すら起きない低レベルな記事が増えている。情報価値もない癖に、ウィットにすら富んでいないような便所の落書きにも劣る記事が増えているのだ。

第一に、SPAのレベルの低い記事に誘導するのは勘弁して欲しい。ああいうどうでも良いコラムに時間は割きたくない。

第二に、最近の傾向であるが、韓国や中国の悪口が所狭しと並んでいる。日本の政局ニュースと比べて、これらは取材内容が甘い。韓国や中国の悪口を書き続けている他のコアな雑誌の情報取材力と比べれば解ると思うが、はっきり言ってネット右翼の罵詈雑言のレベルである。

第三に、首都圏などで地震や災害を煽る記事も酷い。解らない癖に、やたらと危機感だけを煽っている。さらに政治面では、広告なのか、記事なのか解らない可笑しな物も増えている。この前は大川隆法の本の宣伝を政治記事として掲載していた。

最後に、経済ニュースは無茶苦茶だ。高橋洋一氏の政治信条を前面に出した記事くらいならば可愛いものだ。しかし、田村秀男氏の「お金は知っている」というコラムなど、2CHの思い込みが激しい人の投稿と、何ら変わらない無茶苦茶なレベルである。

私は、ZakZakの記事を読む量が極端に落ちた。2年ほど前までは、ほぼ全部の記事に目を通していたが、現在では題名を一瞥して、二、三の記事を読めば良い方である。それくらいレベルが落ちている。

私が不思議でならないのは、意味もない中韓政府への罵詈雑言を並べたようなレベルの記事を前面に押し出して、果たして売り上げが増えるのだろうか?という事である。ああいう方向を良しとする人もいるかも知れないが、ああいう記事に反発する人も大勢いると思う。私なら夕刊フジは選ばず、東京スポーツにする。東京スポーツには少なくとも娯楽があるからだ。

ZakZakの記事を読んでか読んでないからか、最近、韓国経済が崩壊していると信じている日本人が周りに増えいている。韓国経済が一時期に比べて失速しているのは間違いないが、数字を見て貰えば解るが「崩壊」からは程遠い。韓国憎しだけで、間違った情報を鵜呑みにするのは、百害あって一利なしである。

インターネットに押され、新聞や雑誌が売れなくなり、センセーショナルな事を書くだけでは飽き足らず、おかしな題名で読者を釣ろうとしたりする気風が高まっているように感じる。逆に、コストカットで取材能力は落ちている。中身の味が落ちたので、包装を良くしてみよう、という「さもしい戦略」が透けて見える。今後は情報源には十分注意を払う必要があるだろう。

昔の夕刊フジには骨があった。それが段々と軟らかくなり、二年ほど前からは違う魂が夕刊フジという入れ物の中に入ってしまった感がある。夕刊フジが、昔の様なサンケイ系から一線を画するような骨があり楽しい夕刊紙に戻って欲しいと切に願う。

10/01/2013

2013年、微妙なプレイオフ

知らず知らず、盛り上がりにも欠けるまま、北米のMLBのシーズンが終了してしまった。今季はジュース(ステロイド)騒動で盛り上がったくらいだろうか?

海を越えて日本では、やれマー君だの、やれ外国人本塁打記録だの、やれ外務省上がりの操り人形コミッショナーだの、色々盛り上がっていて羨ましい限りだ。

さて、プレイオフが今日から始まるのだが、ワイルドカードが二枚になって、本来ならもっと盛り上がる筈なのに、昨日のタンパベイとテキサスの試合など、空席も目立っていた。

アメリカンリーグだが、レッドソックスとタイガースに頑張ってもらわなければ、視聴率が取れない。スターが揃っている両チームには是非とも頑張って欲しいと思っている。

タンパベイ、クリーブランド、それにオークランド。これら若くて実力もあるチームではあるが、快進撃を続けても球場にお客さんすら呼べない。それがプレイオフで全国放送されたとしても、正直食指が動かないのだ。

ナショナルリーグはもっと酷い。セントルイスとアトランタとシンシナティは地味である。私はアトランタ近郊に住んでいるのでブレーブスを応援したいところなのだが、如何せん誰一人知っている選手がいないのだ(ちょっと大袈裟に言っています)。若いピッツバーグには、売り出し中でMVP候補のマカチャンがいるが、視聴率的にはドジャースに頑張ってもらうしかない。シーズン初めの唖然とする酷い状態から、スーパールーキーのプイグの加入によって強いチームとなり快進撃を続けた。

ワールドシリーズがレッドソックス対ドジャースになれば、めでたしめでたしと2013年シーズンは終了する。ただ、そうは簡単に問屋は下ろさないとみる。ブレーブス対アスレチックスとかになれば、今年の野球はステロイド問題で無かったことにでもして欲しいくらいだ。

結論:NBAの新シーズンとフットボールに期待。MLBのプレイオフはどうでもいいです。