就職活動や大学入試と言ったものに不満を抱く人は大勢いる。何故なら、人間は誰でも一円でも得をしたい、一つでも上に行きたい動物である。しかし上に行けばいくほど、椅子の数は狭くなる。そこで「公平を期す」ために、何らかの選抜方法が考え出される。選抜方法が洗練され、システム化されてくると、競争は熾烈なラットレースの様相を呈してくるわけだ。そういったラットレースは、本来であれば「人材の選択」というゴールの為の手段として作り出されたわけだが、力や金が過剰に絡みだすとラットレースそのものが目的化してしまう。官僚の出世競争、半沢直樹のような出世競争、大学教員の論文投稿数競争なども、まさにこれである。競争が激しくなると、少ない椅子を手に入れた人たちは、クラブ制度を敷き、権力を維持しようとする。そして次世代の競争はますます激しくなり、本来の業務とは関係のない場所においての無駄な競争が激化していく。つまり、就職活動も大学受験も大企業や公務員の出世競争も大学教員の論文競争も、紐解けばすべては同じ問題に根源を見つける事が出来るのだ。
日本で就職活動がここまでマニュアル化した功績は、リクルート社などを籏本とし、大企業が紳士協定的に就職活動を規格化したことが原因だと思われる。大学生の本分は勉学であるはずだが、人生設計を考えた場合、就職活動に力を入れた方が長期的な視点で得をするに決まっているのだ。企業の側も、若者に集団就職をさせた方が効率的であるし、自分たちのリスクを減らす事ができるので、採用方針をマニュアル化してしまう。そして、そこにリクルート社などが金儲けをする機会が生まれている訳だ。大学側は生徒の需要をはっきりと理解しており、学生に勉強しろなどとは言わない。学生に勉強をしろ等と言うのは、研究者として学生を搾取しようとしている学者か、若い熱血教師だけである。学生や社会の事情が分かっていれば、学生に勉学に打ち込ませるような罰ゲームを強いる事はできない。
大学受験に関しては、予備校や私学などの教育産業が競争をする中で無意識のうちに結託したことと、「受験技術」という物が商品となった事が問題である。それが、母親たちの競争意識を駆り立て、我が子を一つでも上の学校に入れるという事が目的と化してしまったのだ。受験技術の取得が自身の子息にとって根本的には無意味であったとしても、である。数日前に関連する事項を当ブログに書いているので、そちらも参照して欲しい。
出世競争に関しては、組織の中で公平性を期し、組織の円滑な運営を行うため、歴史の長い大きい企業や団体では、何らかの社内紳士協定がある場合がある。出世街道などと呼ばれるクラブ制度が敷かれている場合が多いが、古今東西、整備されきった出世街道を進むための努力は、必ずしも組織としての生産性とは関係ないものだ。そういった無駄な努力を強いる企業体制が「官僚制(ビュロークラシー)」なのである。ただ、大きくなれば組織はピラミッド形にならざるを得ず、入って来る人の数に比べて上の席が少ないという現実を、何らかの形で円満に解決するには、こういった方法をとるしかないのかも知れない。勿論、非生産的である。
大学は歴史が長い団体であり、学会のクラブ制度は反吐が出るほどの結束力である。若者の高学歴化により、生徒が大学に残る割合が極端に増えてしまった。そこで、ポスドクなどという中途半端な奴隷制度を設けているのだが、本職を手に入れるためには論文数を中心に査定される事になる。となれば研究の質はそっちのけで、研究本数を増やす方が得といった、戦略的な判断が生まれる。イノベーティブな研究などしようものなら、論文数が減るので就職には致命的だ。特にアメリカにいるアジア人の若い研究者の間で顕著なのだが、出世するために論文ミルのような姑息な手段をとる学者もいる。勿論、教育など他の事が疎かになり、大学の質は落ちる。学会誌もレベルの低いものが溢れかえるような状態になっている。こういった無駄な事に力を入れれば入れるほど、高等教育の存在意義は薄くなってしまうのだから皮肉である。まあ、どうせ「質」など解る人は少ない。
ここまで読まれれば解るかもしれないが、何らかの理由で、洗練されたラットレースが織り込まれた業界やイベントでは、参加者に無駄な努力を強いることになる。これは、希望者よりも椅子の数が少ないから起こり得る問題である。人間は等しく24時間しかなく、こういったラットレースに時間を割けば、本業を犠牲にするしかない訳だ。つまり、人材の選抜方法が洗練され、しかも産業化しているようなところの生産性は恐ろしく低くなる。
一方で、フリーの人や、ベンチャー、一部の中小企業ではこのような無駄なラットレースに巻き込まれる可能性が少なく、そういった人達はゴールに向かった本質問題に時間を割くことが出来る。新しいベンチャーの生産性が高いのは官僚制に時間を割かれない事が原因だ。
受験改革、大学改革、就職活動改革、公務員改革などが叫ばれて久しいが、こういった官僚制度に真剣に対峙する事を無くしては、何も改革する事は適わないだろう。まあ、スポーツなどでもそうなのだが、制度が整備され過ぎると、大穴が出なくなり、面白みに欠けてしまう事になる。規格化とは便利であるが、つまらなくなるのだ。注意して頂きたいが、ここに書いた問題は、決して日本固有の問題ではなく、官僚制にどう立ち向かうかという「そもそも論」である。ここには挙げられなかった無数の例があるのだが、読者の方も思いつく事が多々あるだろう。そして、その問題の本質は、文部省が叫んでいる大学受験改革の問題と同じなのだ。
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