11/25/2006

四川料理を楽しむ


感謝祭に七面鳥を作った話をしたが、三日経った現在、いまだ半分も終わっていない。部屋中に七面鳥の脂の臭いが漂い、吐き気すらする。仕方なく七面鳥の焼汁と肉を使って、シチューとカレーの二品を拵え冷凍した。気分が悪くて仕方ないので、美食の話に移りたい。

一般的に多くの中国系の人に最も人気がある料理は、四川料理であろう。川菜と呼ばれており、八大菜系の一つである。説明するまでもなく、四川料理は「辛さ」を売りにしており、麻婆豆腐などが代表料理として挙げられよう。辛いだけと思われがちだが、上品さも兼ね備えている。酢などを駆使して、甘酸っぱさを出したりもするのだ。代表料理と言えば、宮保鶏丁(鶏とカシューナッツのぴり辛炒め?)、青椒肉絲(チンジャオロースー)、回鍋肉(ホイコーロー)などであろう。

広東料理と比べると、四川料理はかなり高級感があり、値段も張るというイメージがある。最近では、地域色を前面に出した中国料理のレストランは少なくなったと言うものの、看板に四川料理を掲げている店はやはり高級店が多いように思う。私は四川省には未だ足を運んだことがあらず、一度本場の味を食べてみたいと思っている。次の中国への旅では、何とか理由を見つけて成都か重慶(現在は四川省からは独立して直轄市である)に行ってみたい。

北京でかなりレベルの高い四川料理に巡り合った。それはやはり比較的高級店であった。建国門路と東三環にある北京中国大飯店(チャイナワールドホテル)には国貿商城という高級ショッピングモールが隣接する。ルイヴィトン、ジバンシー、カルティエ、ラルフローレン、プラダ、ヒューゴボス、フェンディ、ケンゾー等いかにもなブランドの店が目白押しだ。ちなみに、実際にブランド品を買っている客の殆どは外国人であった。外国マネーと失業率を低く抑えるために人為的に操作されえいる中国経済の話はまた何時の機会かにおいておいて、とりあえず、その二階にある四川料理のレストランに入る。

料理よりも値の張る龍井茶を注文し、やがて料理が運ばれてくる。熱い胡麻油が運ばれてきて、その中に服務員が牛肉や野菜を放り込む。サラダも、服務員がその場で棒棒鶏ドレッシングをカクテルして提供する。非常に面白い。コールドディッシュも歯ごたえを残したクラゲにピリ辛ソースがなんとも言えず繊細だった。何よりも驚いたのが宮保鶏丁。この料理は世界どこでも食べられるのだが、こんなに繊細な宮保鶏丁を食べたのは初めてだった。きっちりとした甘酢にでしゃばり過ぎない辛さを絡めた秀作だった。

食後は豆花。服務員が豆乳を持ってきて、焼け石を中に入れ豆乳を暖かくし、直ぐに取り出す。蓋をして数分経てば、豆乳が固まっている。そこに、ピーナッツ、蜂蜜、韮ソースなどの中からお好みのものをトッピングとして載せる。豆の味がはっきりと出ており、非常に美味しかった。

余談だが、横浜にある四川料理を売りとするどこぞの店もそうだが、日本では四川料理にケチャップがふんだんに使用されている。私がこのレストランを評価する理由の一つが、ケチャップや化学調味料に頼らずに繊細な味を保っているという事実であると言うことは、特筆に価しよう。

俏江南四川餐庁 (サウスビューティーレストラン)
建国門外大街一号 国貿商場2階 L220
中華人民共和国 北京市

11/23/2006

感謝祭のターキーとクランベリーソース


11月の第4木曜日はアメリカの感謝祭である。感謝祭はサンクスギビング・デイと呼ばれており、アメリカではクリスマスに匹敵する大きな祭日だ。多くの人々は実家に帰り、家族と共に神に感謝をして夕食を食べる。語弊があるかもしれないが、日本で言うところのお盆のような雰囲気であると言えばいいだろうか?感謝祭が終わると直ぐにクリスマスが来るので、アメリカでは文字通り「盆」と「正月」が一遍に来るのだ。因みに、アメリカの小売店の売り上げの半分はこの一ヶ月の間に集中するという。

一般的なサンクスギビングの日のスケジュールを紹介しよう。水曜日の朝の飛行機で実家に向かう。渋滞した高速道路を家路に急ぎ、その日は床に着く。概して北部の天気は悪い。雪や雨が降り続くのだ。翌朝10時、七面鳥にバターを塗り、お腹の中に細かく千切ったパン、セロリ、玉葱、人参を混ぜて詰め(スタッフィングと呼ばれる)、オーブンの中に入れる。ソファーに寝転び、借りてきたDVDを見ながら退屈に過ごす。そのうちアメフットが始まる。暇をもてあまして、家族でダラス・カウボーイズの試合とデンバー・ブロンコスの試合を、プリッツエルを齧りながら見なければならない。オーブンに入れている七面鳥からはジュースが一杯あふれ出しているので、時折その汁を刷毛で満遍なく七面鳥全体に塗る作業は決して怠ってはならない。午後4時ごろ、七面鳥が焼きあがる。感謝祭の日のディナーは早いのだ。

感謝祭には七面鳥の丸焼きが必ず出される。通常、ターキーには、二種類のソースが用意される。一つはグレービーソースであり、もう一つはクランベリーソースだ。グレービーソースは、七面鳥の焼き汁をパンに移し、首の肉、レバーと砂嚢のミンチを入れて煮込み、仕上げにとろみを付けた物である。日本でも良く食べられる味だ。クランベリーソースは、日本ではツルコケモモと呼ばれているクランベリーに砂糖を加えて煮込んだジャムのような物である。クランベリーソースとターキーの組み合わせは絶妙だ。日本人では好き嫌いが解れてしまうかも知れないが、肉と甘いジャムの組み合わせは以外にも良く合う。西洋料理には、果物を使ったソースが良く登場する。フランス料理の鴨ロースとオレンジソースなどが有名だが、やはり日本料理でこの手の組み合わせは滅多にお目にかからない。

個人的に砂糖が日本料理を殺したと信じている。砂糖は南蛮のものであり手に入れるのは難しかったため、昔の日本人たちは甘さを他のものに求めていた。それは味醂であったり、白味噌であったのだ。やがて、甘さを抑えることに美徳を見出し、それが食の文化となった。そのような背景があるせいか、砂糖が氾濫している現在においても、甘さに対して過敏に拒否反応を示す日本人は多い。私もその一人だった。しかし、アメリカに長くいると、やがて甘いものに慣れ親しんでしまったし、素材の味を壊さなければ、多少の甘さは逆に歓迎している。

今年の感謝祭は、残念ながら人の家に行く事が叶わず、自分で七面鳥を作る羽目になってしまった。先ほどスーパーで買って来たのだが、約20ポンド(9キロ)ある。オーブンに入れて6時間ほどは軽くかかりそうだ。一体何時になったら食べ切れるのか?衝動的な行動に、反省の念にかられている。クランベリーソースも鍋に一杯用意したのだが、果たして終わるのだろうか?来週は毎日、クランベリージャム入りのターキーサンドイッチを弁当として持参することになりそうだ。

現在、七面鳥をオーブンに入れてから約5時間が経ち、いい色に仕上がってきた。人気が消えた街はゴーストタウン化しており、歩いているのは身寄りが無さそうなアジア人だけだ。

11/17/2006

時差ぼけソニックスと鈴木一朗

今年もNBAのシーズンが始まった。我がスーパーソニックスは、スターバックスの社長ハワード・シュミッツからオクラホマの投資グループに売却されたというものの、基本的には何も変わっていない、と願いたい。オフの話題は、クリス・ウィルコックスの契約延長問題。それもスムーズに決まった。シアトル市とスーパーソニックスが交わしているキーアリーナの法外な契約問題は未だに解決しておらず、シアトル市内のキーアリーナからシアトル郊外のベルビュー、或いは州外に移転するという噂は喧しく鳴り響いているが。

さて私は中国に外遊していたため、NBA開幕直後の数試合を見逃した。二週間ほどが終わっての感想は、未だに様子見で、鳴かず飛ばずと言った所か。ソニックスは暫く東海岸でアウェーを闘い続けていた。シャック・オニール不在のマイアミ・ヒートに対してはデュウェイン・ウェイドとハズレムに第四クォーター終了ギリギリのところで逆転されて惜しい星を落とした。続くオランドー・マジック戦ではヒードゥー・タゴールのブザービーターに惜敗した。肩を落としていたのも束の間、アダム・モリソンが加入したシャーロット、好調アトランタ・ホークスを敵地で連覇。ビンス・カーターとジェイソン・キッドの二枚看板がいるニュージャージー・ネッツには、ルーク・リドナーの活躍もあり、一時は20点差以上の大差をつけて圧勝した。

3連勝でホームに戻ってきて、16日のフィラデルフィア・セブンティーシクサーズ戦が私にとって今期初めてのキーアリーナでのバスケットボール観戦となった。期待を胸に応援していた、が、あれれ。試合開始直後から凡ミスが続く。前半は結局36点しか点数が入らなかった。チーム平均で100点以上取っているソニックスなので、普通に考えると50点ほど入れなければならない。相手のディフェンスが特別良かったようにも見えない。確かに、シクサーズは背が高くてインサイドは固かったような気もした。しかしどちらかと言うと、こっちの凡ミスでやられた感じだった。特にビッグマンたちが話にならなかった。ニック・コリソン、ダニー・フォーツォン、クリス・ウィルコックス、ジョアン・ペトロ。パワーフォーワードとセンターの4人で合計13点ではお粗末過ぎる。ラシャード・ルイスも、レイ・アレンも、ルーク・リドナーも最終的には20点強を入れているが、うっかりしたターンオーバーをしたり、気が急いて無駄なショットを撃ったりで、見ていてイライラした。敵ながら、アレン・アイバーソンはやはり上手かった。もう一人のAIこと、アンドレ・イグオダラもいい選手だ。しかし、クリス・ウェーバーがNBAで全体の二番目に多い給料を貰っているのは文字通り給料泥棒だと思う。

後から知ったのだが、月曜日のニュージャージーの試合後、ソニックスは直ぐにチーム専用の飛行機に乗ってシアトルまで帰ってきたらしい。シアトルに到着したのは午前3時という事だった。北米大陸を横断するのは意外と辛い。東から西までは6時間弱、西から東は5時間弱ほどかかる。しかもボーイング737クラスより小さい飛行機で横断すると、結構揺れてくつろぐ事は出来ない。東海岸と西海岸は時差が3時間あるが、これも曲者だ。かなり体に堪える。さらに蛇足だが、コリソンは昨年娘を儲けて結婚もした。長いロードからシアトルの家庭に帰ってきて余程嬉しかったのだろう。試合での府抜けたコリソンは見るに耐えなかった。

試合には負けたのだが、一つ面白いことがあった。イチローが試合を観戦していたのだ。イチローさんは余程バスケが好きなのか、しょっちゅうキーアリーナでお目にかかる。試合が余りにも面白くないので、双眼鏡でイチローを観察していた。イチローは弓子夫人と、もう一人の日本人男性(良く見るが球団の関係者か?)と一緒に試合に来ていた。イチローは試合中、ずっとその男性と談笑していた。見たところ、全く弓子夫人とは会話をしていなかった。第4クオーターも終わりに近づくと、弓子夫人は鞄を手にして帰りたそうな素振りを見せていたが、イチローさんは意に介せず、最後のホイッスルがなるまで談笑を続けていた。しかし、他の日本人選手が皆日本に帰ってしまっているのに、イチローさんは雨のシアトルに残って何をしているのだろうか?愛犬・一休の散歩でも楽しんでいるのだろうか?もしかすると、余程日本が嫌いで、帰りたくないのかもしれない。イチローさんは試合中に場内アナウンサーに紹介されていた。しかし、日本のように騒がれて写メールを撮られるということもない。こちらではある程度のプライバシーはある。シアトルはイチローにとって落ち着く場なのかもしれない。しかし、イチローさん、この不甲斐ない試合には何を思ったのか?

まあ、本日は試合が面白くなかったために、戯言ばかりを並べたが、またキーアリーナ観戦は報告しよう。

11/15/2006

北京烤鴨


私は北京人に対してあまりいいイメージを抱いていない。今まで出会って来た北京出身の人達は、例外なく何か鼻にかけるようなところがあり、余りいい印象を私に与えてくれなかった。私は大阪人であり「金に汚い」為、伝統としきたりを重んじる北京人とは馬が合わないのかもしれない。同じくプラグマティックな台湾人や上海人とは妙に上手く馴染むという事実もある。優雅なふりばかりをし、他人を小馬鹿にする京都人やニューイングランドの連中にも余り良いイメージが無いので、このステレオタイプだらけの低劣な仮説も、あながち間違いではないのかもしれない。私が北京出身のエリートばかりと接して来た為、サンプルに問題があったのかもしれないが。

空路で北京に着いたとき、上述した北京人に対する悪いイメージや、政治的な理由などのせいで、やたらと身構えていた。まるで敵の本拠地に来た様な気がした。北京訛りの巻き舌の中国語を聞く度に身が強張った。しかし、タクシーで建国門路と東三環が交錯する中国大酒店に近づくと、私の強張りも徐々に取れてくる。世界には素晴らしい楽園が余り無いのと同様、思っている酷い街も少ないのだ。砂埃かスモッグで覆われているとはいうものの、街は結構綺麗だ。自転車は全く走っていないし、公安が数メートルおきに立っているといった雰囲気もない。人民服を着ている人など皆無である。映画の世界で触れていた北京の街とは大きく違った。さらに嬉しいことに、北京は中国の他のどの街よりもアジアの大都市の雰囲気を持っていた。オリンピックのせいか、街中が文字通り建設中で、いかにも発展しているぞ、という感じがする。余り事情を知らない人が見れば、まんまと騙されてしまうかも知れない。

北京では全聚徳が北京ダックの店として有名だが、今回は地元の人の勧めもあり、大董烤鴨に行った。この店は鴨を注文してから出てくるまでに40分くらいかかるので、燕京ビールで喉を潤わせ前菜を楽しむ。私のお勧めは、フォアグラだ。トリュフに似たキノコのソースをかけたフォアグラが、日本円にして1000円程で楽しめる。濃厚なフォアグラの味は、一緒に行った北京の人達には評判が良くなかった。そして松鼠魚。基本的には糖醋魚の一種なのだが、良く解らないが頭と尾が上を向く様子がリス(松鼠)に見えるという。身に切れ目を入れ、深く揚げる事により魚の身がまるで松笠のように見える。香ばしく、上品でお勧めの一品である。

ついに北京ダックが完成だ。時間をかけてじっくりとローストされた綺麗な光沢のあるこんがりとした鴨を我々に見せに来てくれる。そして、適当な大きさにカットする。店によると北京ダックには3種類の食べ方があるらしい。しかし、普通は小麦で作った麺(皮)の上に、北京ダックを数切れと、白髪葱と甜面醤を載せるのがスタンダードだろう。この店の北京ダックは脂が少なかったし、それを売りとしている。これは、北京の人に言わせれば上品であるらしい。しかし、プラグマティックな人に言わせればパンチが足りないとも映ろう。

北京ダックは確かに美味しい。素晴らしい技法を用いていることも良く解る。しかし、私はどうしても、ファーストフードの感覚が捨てきれない。まるで、ブリトーやラップ、或いは手巻き寿司のような感じがするのだ。甜面醤の味が常に勝ちすぎてしまうのも、ファーストフードっぽい。レストランでは北京の人達が巻き舌の中国語で会話している。一緒に行った北京人たちは、料理のディスプレイや店の雰囲気の良さを強調する。味よりも見た目にこだわる、北京人の執念のようなものを感じた。それこそが文化であり、文化は大衆のレベルできっちりと残っていた。

大董烤鴨
北京市东四十条甲22号南新仓国际大厦1~2楼

11/12/2006

食は広州に在らず。


今回の中国旅行で最も落胆したことの一つが広州での食べ物である。「食在廣州」と言われるが、あれは真っ赤な嘘だった。私は香港が大好きであり、香港で食べる広東料理が広州でも食べられるものであるとばかり信じていた。しかし、実際は、広州の広東料理は、あまり洗練されておらず、香港の味とは程遠いものだった。また、個人的な話ではあるが、広州を一緒に旅した中国人二人が北京人であったため、全く広東料理を知らず、かなりレストランで苛立った。

広東省は粤(えつ)の国と言う別称を持ち、近辺で出す料理のことを「粤菜」と呼んでいる。勿論、香港における料理も、粤菜をもとに発展してきた。だが英国の占領下に置かれて、積極的に外国の食材や中国全土の料理法を取り入れてきた港式料理は独自の発展を遂げている。所謂ヌーベルシノワなどを中心に、ワゴンで運ぶスタイルの飲茶を開発させたことなど、香港が中国料理の貢献に深く寄与した事実は決して過小評価されてはならない。

香港の味は、香港で食べるのが一番良いだろう。サウスチャイナモーニングポストを売店で買い、尖沙咀(ティムシャーツイ)の飲茶の店で点心を摘みながら、跑馬地(ハッピーバレー)の今夜の馬柱を研究する。リゾートではないが、最高のバケーションだ。

しかし港式料理はいまや世界中に拡がっている。中国全土にすら徐々に拡がっている。特に、北米には、かなり多くの香港移民たちが住んでおり、港式料理の餐店を経営している。ここシアトルでも、手軽な港式飲茶が楽しめる。北米では、港式飲茶はDimSum(広東語で點心)と呼ばれている。NFLのシーホークスの試合がない日曜日の朝、高速道路で一路ダウンタウンの南に位置するチャイナタウンへ。日系スーパー宇和島屋の地下に車を停める。チャイナタウンはアメフットの球場近くにあるので、試合の日は道が混雑するので気をつけたい。紀伊国屋で雑誌をチェックし、ジェイドガーデン(翠苑)に向かう。人が混雑しているので、係りの人に人数を告げる。昔はトップガンという、もう一軒まともな飲茶の店があったが、クレジットカード詐欺を働き営業停止を喰らった。現在、チャイナタウンで美味しい飲茶の店はここだけだ。

席に通されたら、即座にスタンダードな「香片(シャンピエン)」を注文する。香片は安物の茉莉花茶(ジャスミン茶)である。個人的に、これが一番脂っこい点心には合うと思っている。普洱菊花茶も悪くないが、これは好き嫌いが分かれるところだろう。

後は、ワゴンで運ばれてくる點心を注文するだけだ。蝦餃、燒賣、排骨(スペアリブ)、鳳爪(鶏の爪)、叉燒包(チャーシューまん)に蘿蔔糕(ダイコン餅)。悪くない。お勧めは蝦を甘いマヨネーズで和えてクリスピーな胡桃を乗せた鳳梨蝦球。最後は、芒果布丁(マンゴープリン)でしめる。お腹一杯になっても一人10ドルもしない。飲茶は人数が多ければ多いほど楽しめるし、安くなる。

食後は、宇和島屋で日本食材を物色して、駐車場券に穴を開けてもらう。最高の日曜日だ。結論は、「食不在広州、在香港。」美味しいのは、広東料理の飲茶ではなく、港式飲茶なのだ。まあ、そのうち、バンクーバーの美味しい港式飲茶の店も紹介しよう。

Jade Garden (翠苑)
424 7th Ave S
Seattle, WA 98104

11/11/2006

Googleの可能性

ここで、このブログの目的をはっきりさせたい。私は、別に思想趣味に興じて、うがった文章を週に二度ほど更新しているわけではない。ましてや、友人などとのコミュニケーションの手段としてこのブログを利用している訳でもない。このブログは、グーグルとブログ(Blog)の可能性を探るための実験の場である。私は、なるべく、多くの人が理解でき、興味を抱く内容をブログにすることにより、一人でも多くの人を私のブログに誘おうとしている。 同時に、GoogleAdSenseを通して、広告を出し、利潤の可能性をも調べている。もしあなたにとって興味がある広告を目にすれば、是非ともクリックしていただきたい。そして、GoogleAnalyticsにより、どの地域の人が、何度ほど、どのようなキーワードやウェブを通して、私のブログを訪れているかをチェックしている。勿論、これは商業目的ではなく、純粋な好奇心を満たすための実験である。

実験を行ううえで確認したことの一つに、Googleを用いる以上、なるべく固有名詞を文章に散りばめるのが戦略上良いという結論に至った。最近、野球や競馬の話題を散りばめて、個人名や固有名詞を多くしたところ、ヒット数が急激に増えた。当初は、食事の話題ばかりをして、一般的な言葉ばかりを使っていたため、全くヒットが無かった。これは非常に有意義な発見だろう。今後も食の話はテーマの要とするものの、私の愛するスーパーソニックスや、アメフットの話題も投稿していきたい。逆に言うと、私はK戦略というよりもr戦略を取っており、少しでもダイバーシファイしたポートフォリオとしての記事を提供するというポジションを取った。故に、あなたにとって余り興味がない話題が続く可能性もあるが、ご容赦いただきたい。

さて、グーグルの話題について、深く考えたい。私はグーグルを一日に50回くらいは利用する。つい十年ほど前まではグーグルなど使わなかったはずだが、その頃自分は一体どうやって生活していたのだろうか?それほど、グーグルは私の生活に密接している。日本の友人は、あまりグーグルを使っていないらしい。どちらかと言うと、ヤフーで検索している人が多いようだ。私は仕事上、英語と日本語の二通りでグーグルを利用する。しかし、英語と日本語によって、検索の仕方が全く変わってしまう。英語であれば、思いついたキーワードを並べれば大概の信用に足るウェブサイトに行き着く。しかし、日本語でグーグルを用いるのは、ある意味で難しい。あなたが、パーフェクトに固有名詞を知っていればグーグルは最強の武器であることに変わりない。しかし、固有名詞が解らずに調べ物をするとき、日本語版のグーグルは問題を孕んでいる。一つ目として、日本で信用に足るウェブサイトが相対的に少ないことがグーグルの能力の限界に深く関わっている。ブログや2chなどの便所の落書きのようなウェブが必ず上位に食い込み、仕事にならない。そして何よりも、一番大きな問題点は、日本語の表現方法が多岐に渡っていることだ。一つの言葉に対して、ひらがな表記、漢字表記、外来語表記、おくり仮名の違いなどにより、数通りの表記法が存在する。しかも、単語数がやたらと多いし、標準の言葉が何かが解らない。一つのものに対して、表現方法が多いことは日本語の美しさだ。しかし、英語を念頭において作られたグーグルでは限界が存在するのも確かだ。グーグルが、日本で検索機能を追及するのであれば、以上の二点を改良する必要があろう。

話が長くなったが、そんな素晴らしいグーグルが自由に使えない国がある。中国だ。当初私はこのブログを自由に閲覧できた。しかしながら、大連が日本の植民地であるという記事をアップロードした瞬間、私は自分のホームページにアクセスできなくなった。例のキーワードによる検閲なのだろう。その後、グーグル自体にアクセスできないことが続く。たまに使えても、微妙なキーワード検索は全くヒットしない。非常に腹立たしいし、このようなウェブ空間を使っている中国人民たちが憐れでならない。中央政府は洗脳の手段としてウェブを利用したいのだろうか?一部の言葉を規制されている現状では、商売や勉学などの妨げになることは目に見えている。私たちは、情報化社会に足を踏み入れ、その恩恵に預かろうとしている。脱産業化の情報化社会では、溢れた情報の中から有意義なものを選び、加工し、分析する能力が物を言うようになるはずだ。そのために我々は教育を受けるし、その情報の多さのお陰で社会はもっと発展するはずだ。しかし、それは、今まで情報を管理することで力を握っていた中央政府や団体などの寺銭業で生業を立てていた人達の存在意義を脅かし、力と金を剥ぐ結果となろう。我々はいずれにせよ、情報化社会に足を踏み入れている。いくら、まともな情報をウェブ上に載せることを怠ろうと、中国政府のように情報をアクセスすることを邪魔しようと、社会の流れは変えられない、逆に、そのような嫌がらせは、自国の競争力を押し縮める事になるだけであるということを、グーグル前夜の社会で力を持っていた人達は認識するべきである。

11/08/2006

大きなバンクーバー、上海

私の予想を裏切り、セントルイス・カージナルスがワールドチャンピオンになった頃、私は上海浦東空港に降り立った。上海はマスメディアでもグローバリゼーションの代名詞のような街として取上げられ続けているので、期待を持っての上陸であった。

しかし、期待は大きく裏切られる。上海の煌びやかなイメージとは裏腹に、空港から都心までの道程は、光さえも無いほど暗いものだった。都心に近づき、摩天楼を拝んだ時、私の脳裏に翳んだ比較対照の街はニューヨークでも東京でも香港でも、大阪や台北やソウルですらなかった。上海の浦東の街並みは、何故かバンクーバーを思い起こさせた。人工的な雰囲気だけが際立ち、アジア特有の臭いが街から感じられないのだ。

妙に豪華なホテルで休息し、朝起きて町に出るとその考えはもっとリアルなものになる。台北や香港のようなごちゃついたイメージを想像していたのだが、屋台も余り見当たらないし、人も想っていた程は多くなかった。道が広々としているのでそう感じるのだろうか。通りには店は少なく、一軒一軒が結構大きい。まるで、表参道のような雰囲気の店が並ぶ。店はきれいだし、聞いたことがないブランドが並んでいるとはいえ、豪華である。ショッピングモールは、北米西海岸の新興都市、やはりバンクーバーのような雰囲気を髣髴とさせる。妙に広々としており綺麗に作られている。そして、時たま、妙に派手なネオンサインが、まるでラスベガスのように輝いている。

上海のお金持ちの生活の質は北米並みかもしれない。居住空間は計画的に緑が散りばめられており、広々としている。上海の町中では貧しさは感じられない。皆垢抜けているように見える。だが、歩いて行動するにはタフな町だ。車かタクシー移動でなければこの街は楽しめそうにない。

街の外に出ると、一気に雰囲気が変わり、泥臭くなる。舗装されていない道にビリヤードテーブルを置き、人々が遊ぶ。家の外に置かれたテレビに人々が群がる。この街は何かが歪んでいるが、その歪みをも消し去ってしまうほど、街に勢いがあるのも確かだ。確実に訪れる明るい未来に対して、人々の期待は膨らんでいるのだろう。右肩上がりの社会では、人々は貧しさなど感じている暇もない。生活の質は、昔と比べて格段に良くなっているのだから。そして、情報を遮断されている人々は、自分たちの小さな街にシャングリラを見い出してしまったのだ。

私は自分が生まれる前の日本のことを考えた。万博を開催した頃の大阪は、果たして現在の上海のような感じだったのだろうか?当時の大阪の方が現在の上海よりも発展していたのではないだろうか?だが、日本の発展モデルで上海を見るのには無理がある。中国は日本の経済モデルを採用していないからだ。外国人のお金で上海の経済は回る。いくら新しい街だとは言え、古きものの面影もない。そして、上海に住む人々が夢見るのはアメリカ人の生活だ。人々は文化も伝統も省みず、プラグマティックな物を得ようと必死にもがく。まだまだ時間がかかるのだろう。やがて、上海の人達は自分たちが犯した間違いに気づくのだろう。残すべき文化を軽んじ、健康を犠牲にし、そして先進国のお尻の穴にキスをした事を。しかし、上海がそのレベルに達するのは、何十年も先のことだろう。この国は、まだまだ時間を必要とする。アメリカの物真似で作ったビル群の向こうに、大気汚染のせいで真っ赤に染まった夕日が沈んでいく。まだまだ時間を要するだろう。

11/03/2006

日本の植民地、大連


更新が滞っているが、別にサボっている訳ではない。私は現在中国を回っており、ブログを更新する機会に恵まれない。10日ほどで、東京も含めて5都市を回るという多忙なスケジュールをこなしており、インターネットを開けようとも、腰を落ち着けて文章を書くというのは難しい。

私は以前に香港から日帰りで深圳を訪れたことがあるとは言うものの、今回が事実上始めての大陸中国詣でである。毎度のこと、結論から先に言うと、中国は良く解らない。ただ一つ、確実にいえることは、まだまだ時間がかかるという事だ。

現在、大連にいる。元々日露戦争に勝利した日本の満州進出の足がかりの街として発展してきたという理由からか、日本的な趣が残っている。街の中にたたずむ古風な建物は、銀座などの日本の古めの洋風建築である。贔屓目に見ると、神戸に似ているとも言える。日本語を喋る人も結構いる。華南に比べてトイレが綺麗な事も、日本が植民地として治めていた事に起因するのかもしれない。1940年代以前の世界に思いを馳せる。

時は流れて2006年。大連は未だに日本の植民地だ。郊外には日系の合弁会社が連なる。制服を着て、朝礼を受け、ラジオ体操する工場員達。宿と食事は保障されているとはいえ、一ヶ月殆ど休みも無く1000元(一万五千円)ほどで働いている。大連から運ばれる殆どの品物は日本海を渡り、量販店やホームセンター、或いはショッピングモールに運ばれる。

ホテルでは、年配の日本人が、若い中国東北の背が高い色白の女の子を連れて、一緒にエレベーターに乗っている。たどたどしい日本語を喋る中国人の女の子と、へらへらしながら喜んでいるおっさんのコントラストは、余り気持ちの良い物ではない。私がこのブログを書いている最中に、電話が鳴り、マッサージの勧誘を受けた。このホテルはファイブスターの筈なのに。

別に私は良い悪いを論じる気は無い。冷静に考えると、現状は恐らく、仕事が無い貧しさよりはずっと良い筈である。私が論じたいのは、結局、大東亜戦争を経ようと、共産党政権が支配しようと、社会環境がそう変わるものではないということだ。中国は物凄い速さで発展しているという。確かにそれは最もな視点である。が、未だに比喩的な意味での植民地なのだ。中国脅威論などが世間では罷り通っているが、かと言って、10年以内に世界の順序付けが変わってしまうというような問題では無さそうだ。大連郊外。馬車やオート三輪が砂煙を上げながら行き交う未舗装の道路を、警音を響かせながら走るバンの後ろの座席に座り、私は物思いに耽る。早くシアトルに帰りたい。