しかし、この問題は日本にターゲットを絞った問題ではない。水族館のイルカやオルカを解放しようという動きが、欧米を中心に巻き起こっている。この問題が大きくなった理由に、「Blackfish」という映画の反響が大きい。この映画はフロリダ州のシーワールドのシャチがトレーナーを殺した事故について言及し、それを通じて海洋哺乳類をエンタテイメント産業の一環として利用する産業そのものとシーワールドに対してその意義を問いかけている。この映画がきっかけとなり、シャチの扱いをめぐってシーワールドに対する圧力や抗議の声が高まった。シーワールドの来場者数は減少しており、経営にもかなりの影響を来たしている。
バンクーバーやベイエリアの水族館にも同様の抗議が殺到していると言う。鯨類を遊びに使うな、自然の物は自然に返そう、という意見が一部の運動家の間で連呼されている。勿論、これらの連中はノイジーマイノリティーであるが、自然環境運動家という産業の一翼を担っており、シンプルな人達からの寄付で運営費が賄われている。一方で、水族館は子供や家族相手に商売をしている訳である。無茶苦茶な話とは分かっているが、キチガイが館の前で大声で抗議していては、お客さんは逃げてしまう。批判された時点で負けの水族館側は絶対妥協すると解っているから、抗議団体は強気で出ている訳だ。
欧米の水族館は、これらの問題に屈しているようである。Blackfishに取り上げられたことは、科学に基づかない言いがかりであるのは明らかだろう。シーワールドは戦っているが、戦えば戦うほど、経営は圧迫され、不利になる。モラルで攻められて、行き場を失うどこかで見た戦いを強いられているのである。ナイーブな親が可哀想だ、などと言いだせば、学校の遠足などでイルカショーに生徒を連れて行くことはできなくなる。水族館の経営はかなり厳しくなる。
日本の水族館は、これらの不満を持つ欧米の水族館と連携し、新たな協会を作るなどの工夫が必要だろう。連中の最終的な主張は、「追い込み漁は残酷」などではなく、「動物の福祉が大切」であるということだ。つまり、動物園や水族館は「悪」だというのが彼らの主張であるという事を忘れてはならない。WAZAはショートタームの経営を見据えて、動物愛護団体に譲歩したのだと思う。だが、連中の最終目的が何かと考えると、水族館や動物園がそれらの団体に譲歩をする事は危険である。近未来には動物園や水族館の存在意義すらを否定される事に繋がるだろう。謝ったんだから、もっと謝罪しろ、という訳だ。
イルカやシャチが小さい水槽で芸をさせられているのは、まあ、可哀想の定義の仕方にもよるが、「哀れ」である。誰にもそれは批判できないだろう。だからこそ、この問題は防戦一方となってしまうのだ。ただ個人的には、ペットが縄で繋がれているのが可哀想くらいの哀れさであり、残酷であるとは到底思えない。