ウィルソンは高校を卒業した後、ボルチモア・オリオールズから41巡目に5番目(全体では1222番目)でドラフト指名を受けている。一時は野球入団を考えたウィルソンであったが、ドラフトを蹴って大学教育を受けるためにノースカロライナ州立大に進学している。ノースカロライナ州立大学ではフットボールをプレイする傍ら、大学野球も行っており、合計で30得点をあげている。2010年にはコロラド・ロッキーズから全体の140番目でドラフト指名を受けており、大学の夏休みにロッキーズ傘下クラスAのトライシティー・ダストデビルズで二塁手としてプレイしている。2011年の夏にはやはりロッキーズ傘下のアシュビル・ツアリスツで61ゲームに出場している。そこで3本のホームランと15打点をあげ、2割2分8厘の記録を残している。しかし、夏休みが終われば大学に戻りフットボールをプレイする。ウィルソンはノースカロライナ州立大からウィスコンシン大に移り、不動のクオーターバックとして成長していた。2012年の初めに、ウィルソンはコロラド・ロッキーズに、NFLに進む意思がある事を告げ、2012年の春キャンプには参加しなかった。
その後、ラッセル・ウィルソンはウィスコンシン大学からシアトル・シーホークスにドラフト使命を受ける。クオーターバック候補であったLSU出身のマット・フリンを押し退け、ルーキーながらチームを牽引する走・投・守を駆使する機動性に富んだクオーターバックとなった事は態々説明する必要もないだろう。ただし、その間も契約上はコロラド・ロッキーズの支配下選手であったのだ。
その支配下枠がウィンターミーティング中に切れて、レンジャーズが恐らくは話題作りの目的でコロラド・ロッキーズからウィルソンの支配権を獲得したものと思われる。二刀流などと煽っている記事も見られるが、常識的に考えてシーホークスがQBレーティング100以上のチームの攻撃の要に、本気で野球をやらせる訳がない。怪我でもされたら洒落ではすまないからだ。レンジャーズは招聘選手としてキャンプなどに来てもらって、若手にアスリートとしての指導啓発などをさせるものと思われる。因みに、下に添付したものがウィルソンのベースボールカードだ。アメフットと野球は時期が重なっておらず、大学などでは両方のチームに所属する事はよくある事だ。アメフットのプロ枠は少ないので、大学で活躍するようなクオーターバックなどは、裾野が広い野球に挑戦する事は決して珍しくない。
レンジャーズの担当者はニヤニヤしながら「これは決してPRじゃない」と言えば、ウィルソンは笑いながら「野球選手になるのは子供の時からの夢」と言った。シーホークスのピート・キャロル監督は「野球をやってもいいけど、ラッセルはカーブボールを打てないからなあ」ときた。何をかいわんやである。
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