4/18/2011

責任を取らないでいい社会。事なかれ主義の東電

東電の会見も回数が少なくなり、解決に向けてのロードマップを発表して一段落着いてきた感じがする。ロードマップは、会見中にフリーの記者に出せと言われたから作って出したはいいが、二号機をはじめ近づくことも出来ないくせに9ヶ月で解決といった、超がつく楽観論を出してきた。このロードマップを作るのに1ヶ月必要なわけは無い。

東電の会見をインターネットで見るたびに時間を浪費したと感じるのだが、あの暖簾に腕押しの会見が東電なりの情報公開の仕方なのだろう。東電自身は、ああいった会見を開くことで説明責任を果たしていると本気で思っているのだろう。東電は事故の実態を少しでも小さく見せようと努力していた。そして事実から推し量れる予測を全て隠蔽していた。データを出せと言われれば適当な数字は出てくる。工程表を出せと言われれば、とってつけたようなものを出す。副社長を連れて来いと言われれば、連れて来る。社長を出せと言われれば、最後の最後で出る。辞めろと言われれば、会長は辞任を言い出す。

東電は役所よりも役所的だと言われているが、まさにその通りである。マックス・ヴェーバーではないが、官僚的とは労働者をロボットとして効率化することにあり、東電の社員はすべてがロボットに見える。誰かに批判されるのを恐れる余り、自らを厳しく規制をする。愛社精神も無ければ、国民に説明しなければならないという意思も無い。結局、会長、社長、副社長から社員まで、全てが言われたことだけをするという体質なのだ。会社から社員まで、事なかれ主義が浸透しきっているのだろう。隠蔽体質と揶揄されているが、それは事なかれ主義に起因しているのだと思う。

東電を国有化するべきだ、などと言った意見を良く見るが、私は意味が解らない。国有化したらどうなるのか?東電は政府に独占を認められている企業である。手厚く独占を許されて競争をする必要の無い会社が、株式を発行しているだけなのだ。東電が国有であれ、民間であれ、実際問題として何も変わらないし、それ程どうでも良い話も無い。国有化しないと被災者にお金を払えないというのも嘘で、どうせ税金を使うのだ。株価がゼロになって資産が底をついた時点で、東電を国有化すれば良いだけの話では無いか?それまでは市場に任せればいいのだと思う。

銀行や証券市場が東電の株式や債券を大量に持っているので、潰すと大変な事になるという人がいる。それは原発のリスクを評価しないで投資した投資家が問題なのだ。リスク評価が出来なかった人達を救済するのは、明らかなモラルハザードを引き起こす。その人達は、リスクを無視して投資した責任を負うべきである。それが経済の悪化を招こうとも。

そもそも東電の存在自体が公平な資本主義社会に反するのである。何を根拠に独占を許されているのか?電気代はどのように決定されているのか?余りにも優遇されていると思う。もともと電力会社が嫌がっていた原子力を国が押し付けたというのは理解できるが、それでも、天災が起これば政府が原発事故を救済するという法律にしても、余りにもふざけ過ぎだ。東電は全くリスクを取る必要がないではないか?一民間企業にそんな事が許されていたのか?そしていざとなれば独占企業の株主や債権者まで救済されるような社会であれば、日本に資本主義を謳う資格はない。

民主党は、日本社会を変えるといっていた。永田町と霞ヶ関とインチキ独占会社が作ってきた非効率的な資本主義を、この際に仕分けしてはどうだろうか?民主党は、原発を許可した原子力安全委員会の面々や、津波を過小評価していた土木学会や、原発行政に関わってきて政治献金を受けていた自民党議員や地方政治家、歴代の経産省の責任者、天下りした連中、福島県知事、東電の歴代幹部達、勝俣会長の兄弟でウラン利権を持っている丸紅社長、さらには金を貸した銀行など。そう言った連中を全て国民の前に晒し、責任という意味をきちっと定義して欲しい。

事無かれ主義が蔓延り、誰も責任を取らなくて良い我が日本。この事件の責任者が菅でも清水でもない事は誰の目にも明らかである。が、この件で攻められているだけではなく、未来の日本のためにきちっと責任というものを示して欲しい。責任者出て来い、といって誰も出て来ない社会は病んでいるだろう。或いは、時間が経ってこのニュースに飽きてしまえば有耶無耶になるのだろうか?今はとりあえず耐えろ。事なかれ主義者たちはそういう合言葉の元、ほくそ笑んでいるのかも知れない。自分達の勝利である、と。

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