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12月, 2006の投稿を表示しています

アメリカステーキが美味い理由

(注:この記事はミディアムレア以上に焼いたステーキの話であって、生肉の話ではありません。ステーキのレアが好きな人の多くは、単に生肉が好きな場合があります。私も生肉が大好きですが、このページでは牛タタキ風ステーキの話はしていませんので悪しからず。生肉が好きならばわざわざレストランに行かず、 家庭でステーキを食べること をお勧めします。スーパーでニューヨーク・ストリップやリブアイなどと書かれている少し脂の乗った肉を購入して、表面だけを少しだけ焦がして中は生で食べてください。安物のサーロインなどの生焼け肉もポン酢や照り焼き風ソースとも相性がいいですし、ご飯にも合います。この項のステーキの話にそれらの生肉ステーキは含まれていません。ここで扱っているステーキと「ブルーレア」牛たたき風ステーキは根本的に違う食べ物と考えています。牛たたきが美味しいのか、ミディアムに焼いたアメリカのステーキが美味しいのかという話は、軸の違う問題であるため、「りんご」と「みかん」を比べるような不毛な議論です。前置きが長くなりました。) 私は日本の高い和牛ステーキがあまり好きではない。一口目は美味しくて感動するのだが、それは肉ではない。脂の塊を食べており、どちらかと言えばトロなどに近い。日本で年寄りなどに誘われて和牛ステーキを食べさせられることもあるが、肉を食べるという目的の際は、出来ることならご遠慮願いたい。 一方で私はアメリカでステーキを食べることが好きだ。アメリカのステーキは、日本のステーキとはアイディアそのものが異なり、しっかりと赤身を食べさせてくれる。勿論店にもよるのだが(殆どの店は不味い。アウトバ●クやレ●ドロブスターなどのチェーン店でサーロインを注文するとかなりがっかりする事になる。)、かなり美味しいステーキにありつくこともできる。私の友人など、ニューヨークなどに行く度にステーキ屋に脚を運んでいる。最近では、東京などでアメリカンスタイルのステーキを出す店も出てきたようだが、基本的に日本のステーキ屋では美味しい赤身をしっかりと食べさせてはくれなかった。しかしながら、殆どの人は経験上、アメリカ牛のステーキはあまり美味しくないと考えるかもしれない。確かにアメリカでもスーパーで普通に肉を買ってきてミディアムレアに焼くだけではそこまで美味しいステーキは作れない(実はサーロインやニューヨ...

FRB議長の役目

世界で一番パワーを持っているのは誰か?アメリカ大統領と答える人が多いだろうが、私には即座に一人の人物が脳裏によぎる。それは連邦準備制度理事会(FRB)議長である。要は、アメリカの「日銀総裁」にあたる。現在はドクター・ベン・バーナンキが務めており、バーナンキ以上に力を持っている人は恐らく世界にいない。 FRB議長の仕事は利率の上げ下げだ。利率の上げ下げによって景気をコントロールする。バーナンキの手腕一つでマーケットは大きく動く。そういう意味でバーナンキの責任は大きいし、パワーは計り知れないのだ。FRB議長は政府から独立している。政府からしっかりしろと言われることはあれども、利率の上げ下げに対して圧力がかかることはない。邦銀のゴールは、利率の上げ下げにより適当な好景気と不景気を循環させ、経済が危機的状況に陥る事を防ぐ。 本来なら日本でも、日銀総裁とはそのような役目を負っているはずなのだが、残念ながら日銀は政府や官僚の操り人形である。バブル期前後の政策失敗、特にリキデーショントラップに貶めた大罪のせいもあり、日銀は全く信用されていないのが現状だ。政府が国債の支払いを減らしたから利率を下げろ、などと言っているし、消費が滞っているから利率を上げるな、などと解らないくせに言っている。利上げを望んでいる人など殆どいないので、圧力団体は利下げを要求する。そのような意見は無視して、中長期の経済を鑑み、日銀総裁には利率をコントロールして欲しいのだが。 話を元に戻す。約20年FRBのトップとして君臨していたマエストロ・グリーンスパンが今年の頭に辞任し、バーナンキがFRB議長になった。前任のグリーンスパンが絶対的な信用を集めていた。「経済を考えれば、時期総裁はブッシュが良いか、ケリーが良いか?大丈夫、どっちにしても俺たちにはグリーンスパンがいる!」などといったジョークさえ聞かれた。グリーンスパンの後釜には、学者上がりのバーナンキが採用されたことを、マーケットは当初懐疑的に見ていたと思う。そして、5月の調整が起こった。 2005年ごろからインド、南アフリカ、韓国、ラテンアメリカを中心にエマージェンシーマーケット(新興市場)の株が上がり続けていた。そして、一番の問題は、石油や金などのコモディティ(商品)価格が上がり続けたのだ。そして、アメリカの産業はコスト高に苦しんでいた。アメリカ経済の見通し...

サウスビーチに行きたい!

この時期になると、クリスマス休暇の話で持ちきりになる。私は休みどころではないのだが、周りの人は色々と予定を立てている。一般的なのは、近隣へのスキー旅行、実家に帰る、そしてビーチリゾートであろう。雨が降り続く冬のシアトルにいると、やはり暖かいビーチリゾートに行きたくなるものだ。地政学的な制限が付きまとい、シアトルの人はよくハワイ諸島に出かける。しかし、私としては、やはりフロリダに行きたい。 私はハワイがとても嫌いだ。何故なら、妙に老人臭いからだ。ハワイは良い波があるし、海の中も綺麗だ。ビーチの砂も最高だ。しかし、泳ぐ以外に何もない。残念ながらフラダンスやサンセットクルーズを楽しめる程の年齢にはまだ達していないし、ドールのプランテーションや真珠湾に行っても仕方ない。さらに、個人的に日常に出来る買い物をリゾート地ですることは好まない。ハワイの夕暮れはハワイアンブルーの名に相応しく憂鬱だ。やる事を探すのに四苦八苦してしまう。どこのバーに行っても退屈なアロハオエの音楽が響いているし、年上の連中しかいない。日本人がいると思っても、殆どサラリーマン風の中年だ。学生達がパーティーで集うような雰囲気はハワイには皆無である。文字通り、ハワイは若さの無い老人保養地に成り下がっている。 翻して、フロリダを考えたい。遊ぶのならオランドーもいいが、ビーチリゾートといえば、クラシックにマイアミだ。どこまでも続く海岸線。白い砂浜。そして、殆どの人がスペイン語で話している異国の雰囲気。輝く太陽、藍い大西洋、そしてビーチに寝そべるスタイルのいいおねえちゃん達。 マイアミにも老人は大勢いる。アメリカでリタイアした老人達はマイアミに住む。ウェストパーム、ハリウッドからフォートローダデールあたりのビーチ沿い高層マンションは、ジューイッシュの老人で溢れているとも聞いている。しかし、サウスビーチは列記とした学生のためのパーティープレイスだ。昼間は最高のビーチに若者が集う。MTVの収録なども頻繁に行われている。夜になると、スタイルのいい小麦肌のスパニッシュ語を操るお姉ちゃんたちが、薄い服を着て、音楽に合わせて踊っている。そこにシカゴやボストンからやって来た学生たちが混じって、まさにパラダイスである。棲み分けが出来ているというのは、非常に心地よい。サウスビーチは学生。そして北に行けば富裕層。さらには老人用のビーチと...

海外の日本レストラン認証制度という馬鹿げた案

農林水産省が今回実施するという世界の和食レストランの認証制度は非常に面白い。誰がこのような馬鹿げた考えを思いついたのか知れないが、このような事に税金が使われるのであれば、断じて反対するべきである。日本にはやたらと認証制度が多いが、政府の雇用を約束するために認証やライセンスを次々と交付している。特に、役人は天下り先を増やす事に躍起であり、そのような裏の背景は絶対に見逃してはならない。一般的に認証やライセンスは、市民生活やビジネスの機会を大きく退かすものであり、社会コストを上げ競争を阻害する以外に何の役にも立たない。日本では、政府や政府系の組織が遂行する認証や資格に基づく試験や手続きなどで、一体いくらのお金を無駄にしているだろうか?一体どれだけの時間を人々から奪っているのだろうか? 海外では和食と呼べないものを出す日本料理店がたくさんあり、農林水産省はそれを憂いているという。確かに、アジア系の人が経営する店には酷いものもある。だから、なんだと言うのか?おかしな料理を出そうとも、美味しければそれで良いし、不味い料理を出していれば店は潰れる。それだけの話だ。政府がでしゃばる隙間は全くない。 日本でも、インチキなイタリア料理、フランス料理、そして中華料理が横行している。本場のものからはかけ離れていると言う意味でインチキではあるが、中にはびっくりするほど良い味の店もあろう。美味しいところはインチキでも残っているし、ブームに便乗した不味いところは潰れていく。そして、料理とは、インチキなものから、次の新しいものが生まれるべきものだ。イタリア政府がわざわざイタリアの税金を使って日本に来て、それらの料理店をチェックするだろうか?馬鹿げている。フランスのミッシュランの例があるが、ミッシュランはプライベートカンパニーで政府ではない。 そもそも、日本料理が何なのかという議論がそもそも抜け落ちている。カリフォルニアロールは日本料理なのか?餃子は日本料理なのか?神戸牛は日本料理なのか?テリヤキは日本料理なのか?全く馬鹿げた議論だ。私に言わせてもらえれば、日本の和食ですら本来のものからは大きく変わっている。例えば、ポルトガル語に起源を持つ南蛮由来の「天婦羅」が日本料理なのか?で、それがどうしたと言うのだ?与太話としては面白いが、根本的には全くどうでもいい話であると同時に、政府が口出しするべき問題で...

イラク戦争の怪

政治的な話は控えようとも思っていたが、昨今のブッシュ政権の路線転換は非常に気になるので、敢えてこの場で言わせてもらう。2007年のセネター(上院議員)から民主党が事実上の議会多数を占めることが決まってからは(49対49だが、無党派のヴァーモント州のサンダースは社会主義にも近い左派、コネチカット州のリバーマンは元民主党)、次の大統領選を意識してか、ブッシュは弱腰外交をスタートさせた。これも政治戦略上の策略であるとは信じたいが、非常に無責任な決断だと思う。 ラムズフェルドが更迭され、元CIA長官のゲーツが新たな国防長官に指名された。民主党は鬼の首でも獲ったかのように、イラク戦争を否定し始める。イラク研究グループは12月6日に奇怪な内容のレポートを提出した。その中で、ジミー・カーターは、ブッシュ政権のイラク政策を否定し、テロリスト国家であるシリアやイランとの対話を薦めている。さらに、イラクの民間兵に後を託して、アメリカはイラクを去るべきであるという意見すら書いている。これはある意味、イラク政策を間違っていたと認めたうえで、白旗を揚げろと言っているような物だ。さらに議会の支持を受けられなかった国連大使のジョン・ボルトンも国連大使の座を去ることは規定路線となっている。無能国連のアナン議長は、これみよがしとイラクは内戦状態であるとマスメディアに話し、世界の世論を反イラク戦争に持っていこうとする。 私は別に共和党を擁護したいわけではない。ただひとつ気になるのは、アメリカの政治の無責任さである。民主党は反ブッシュを叫び、イラク戦争を批判する。しかし、イラク戦争は共和党とブッシュが独自にやっているわけではなく、「アメリカ」がやっているのだという認識が全くない。共和党に全ての濡れ衣を着せて自分たちは責任がないとばかりの態度には、呆れるを通り越して、憤りすら感じる。 イラクに侵攻したことが是か非かを論じることはしたくない。ただ、アメリカを中心とする軍隊は実際にイラクに侵攻し、フセイン政権を転覆させた。侵攻した際の建前上の理由は、イラクが大量破壊兵器を放棄することと、テロリスト勢力を一掃し世界平和を勝ち取ることであった。しかし、イラクに大量破壊兵器は見つけられなかった。そしてフセインを倒したアメリカ軍は、テロリストを根絶させることも出来ず、未だに問題は何も解決していない。それどころか、皮肉...

西に美味いピッツアは在らず

シアトルには美味しい珈琲屋が沢山ある。しかしどこを探しても美味しいピッツアを出す店は見当たらない。カリフォルニアも含め、残念ながらアメリカの西海岸では美味しいピザ屋は存在しないようだ。 ピッツアは下衆い食べ物である。故に下衆く食べるべきなのだ。ピッツアの歴史はそう古くない。丁度、今日食べている殆どの料理がそうである様に。ピッツアはナポリの貧民が生み出した料理である。当時は観賞用であり、食べられることがなかった新大陸からやって来たポモドーロ(トマト)をパン生地の上に乗せて、余った食材と共に焼いたものが始まりと伝えられている。ピッツアはまさに庶民食として誕生したのだ。 イタリア移民と共に、ピッツアはアメリカにも伝えられた。新大陸から来たトマトソースが再びアメリカに再輸出されるのは皮肉なことだ。ニューヨークではナポリ風の薄い生地の上にトマトソースやチーズを乗せるニューヨーク・ピッツアが発展していく。一方シカゴでは、厚いパン生地を使ったシカゴ・ピッツアが主流となる。やがて、ピッツアは全米中に普及し、アメリカ人の最も一般的な食べ物となったのだ。私は個人的に、ニューヨークスタイルを好んでいる。 ピッツアは皆で楽しく囲んで、出来立てのアツアツを食べるべきものだ。数人でピッツア屋に行き、直径50-60センチほどのピッツアを注文する。ピッツアが焼きあがるまでは、ビールを飲みながら楽しくやる。やがて、石釜から出来立てのボリュームのあるピッツアが運ばれてくる。とろけるチーズを皆で切り分け、ビールやコーラと共に流し込む。それこそがピッツアであり、そのような雰囲気がある前提で、さらに味の事を吟味するべきだ。舌の上で美味いだけのピッツアはピッツアではない。東京の表参道界隈や、南カリフォルニアのレストランなどでは、イタリア風の小さめの皮が薄いパリッとしたパンチェッタやゴルゴンゾーラなどを乗せた“高級”なピッツアが流行っているが、あれはいくら美味しくとも紛い物である。庶民の食べ物と言うピッツアのコンセプトからはかけ離れた、違う世界の食べ物だ。ピッツアは、友人たちや家族と共に食べるべきである。決して恋人とデートで食べるものではない。 ニューヨークからメトロノースで終点まで行く。裕福なことで知れらているコネティカット州だが、そのニューヘイブンと呼ばれる小さな街は荒れ果てている。中心には大学があり、その...

雪に埋もれた街とデイアフタートゥモロー

シアトルは西岸海洋性気候に属する。つまりアイディアは、一年を通して常に西から吹いてくる偏西風に気候が影響を受けているということだ。西には海があり、一年を通じて温度の変化が小さい。シアトルには四季が無く、大きく分けて、晴れ渡った夏と、雨が降り続く冬があるのだ。 夏には太陽熱で陸の温度が上がり、温度が低い北の海では上昇気流が発生しにくい。風は晴れた海の方から流れてくるので、雲も無く晴れ渡った晴天が毎日続くことになる。逆に冬場は、凍てつく陸に比べて海の温度の方が高くなり、上昇気流が発生しやすくなり、雲が発生する。その雲が偏西風に乗りシアトルに吹き付けてくるので、シアトルは常に雨が降る訳だ。ただし、シアトルの東部にはオリンピック山脈が聳え、ある程度の雨はオリンピックの東側(太平洋側)で落ちてしまう。その後、空気が山を越えてピュージェット湾の方向に進む際にフェーン現象が起きるため、シアトルでは冬場でも緯度の割には比較的温暖(4~10℃)で、霧雨のように細かい雨が降り続くことになるのだ。シアトルの冬は、毎日曇っており、霧雨が降る。 昔ヨーロッパの小説を読んでいる時に、良く解らない文面に直面した。ロンドンやドイツの街が舞台の小説では、秋になってくると天気が悪くなり、主人公が憂鬱になって来る事がよくある。大阪で育った私には全く意味が解らなかった。何故なら日本の太平洋側では、秋と言えば気温も涼しくなり絶好の行楽日和であるからだ。日本で秋になって気分が滅入る人は、プロザックでも飲まなければいけないほど深刻な人だけだろう。では、何故北ヨーロッパでは皆秋になると鬱になるのか? その答えはシアトルで出た。シアトルも北ヨーロッパの多くの町と同じ西岸海洋性気候だ。夏が過ぎると、寒い雨季がやってくる。シアトルでは文字通り冬場に太陽は出ない。永遠に小雨が降り続く。夏が終わると人々は鬱になり、エスプレッソ・コーヒーを愛で、インターネットの世界に逃げるようになるのは当然の帰結であろう。シアトルを含むワシントン州が全米一の自殺率を誇るのも、このあたりの話で説明されている。 感謝祭明けの月曜日、大変なことが起こった。昼過ぎから雪が降り始めた。当初は地面に落ちた途端に溶けていたのだが、夕方になり急激に気温が下がり路面が凍結し、さらに激しく雪が降ってきた。直ぐに街はすっかりと雪に埋もれてしまった。私はシーホーク...