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10/04/2006
寿司不毛の地、大阪
私は大阪で生まれ、大阪で育った。関西人たちの多くは、大阪の食事のほうが東京よりも美味しいと信じている。話を簡略化すると、それはある意味で正しいかもしれない。しかしどれだけ譲歩しても、東京のほうが大阪よりもずっと美味しい物が三つある。ラーメン、天婦羅、そして寿司である。喧嘩は喰えども、大阪で寿司は喰うべきでないのだ。
これはある意味合いで、とても不公平な視点である。何故なら、寿司の定義そのものに問題があるからだ。寿司の定義は最近の歴史のある時点で完全に変わってしまった。関西と東京には全く違う寿司があった。そもそも寿司は「熟れ酸し(なれずし)」に起源を発する。琵琶湖で獲れたフナを米で発酵させる鮒寿司が代表だろう。すしとは、乳酸菌を使った魚の発酵食品だったのである。その後、米も食べるようになり、やがて魚も発酵させなくなる。関西では箱寿司が作られた。一方、江戸では、酢の普及と新鮮な江戸前の魚を使用することにより、江戸前の握り寿司が幅を利かせるようになった訳だ。しかし現在、寿司と言われれば江戸前握りをイメージする人が大勢を占めるようになった。寿司の定義自体が、特別な断りをつけない限り、東京生まれの江戸前握りを指す言葉に代わってしまったのだ。つまり、私が言いたかったのは、一般的に関西の江戸前握りはぱっとしない、という事だ。例えば、淡路町の吉野寿司ではなかなかの箱寿司を買えるが、これは残念ながら、一般人には「寿司」とみなされない訳である。
最近は情報や交通の発達のせいで、東西の差が少なくなってきたのは確かだ。だが、地域文化はやはり形を変えさえせよ、完全に消えることは無い。今でも大阪の老舗で寿司を食べると、必ずバッテラが出される。巻き寿司(太巻き)が出てくる事もあるだろう。しかし、江戸前の握りに味を占めてからは、大阪で食べる「寿司」にあまり共感がもてなくなってしまった。関西の握り寿司の酢飯は少し甘すぎると思うようになったし、魚と酢飯の割合にも満足できなくなった。恐らく、どちらも箱寿司の影響を受けているからだと考えられる。私は実際に大阪に住んでいる限り、握り寿司を崇めた事は殆ど無かった。
東と西の魚の違いはやがて討論することにして、大阪でもなかなか美味しい「寿司」を出す店がある。交通網や情報の発展は地域文化を悉く破壊して来たが、そのお陰で恩恵を受けることもあるのだ。大阪中央市場にある「ゑんどう」の寿司は旨い。朝5時、関西の魚を見に中央市場に行く。築地のようにマグロが並ぶわけではないし規模も小さい。しかし、東京の人が見たことないような大きく新鮮なタイが並ぶ。市場を回った後に寿司を食べるべく「ゑんどう」の暖簾をくぐる。酢飯に新鮮な魚を乗せた料理は江戸前握りと呼ぶべきであるが、この店は「つかみ寿司」という名で寿司を出す。暖かめの酢飯をつかむようにふわっと丸めて、その上に中央市場の新鮮な魚を乗せるわけだ。この店では「上まぜ」を頼むのが一番良い。長い皿の上にトロを含めた五貫の寿司が並ぶ。その日仕入れた魚を考慮して、店がお任せで勝手に握ってくれる。これで1000円は安い。関西だから、ハマチやタイ、ハモなどの白身がやはり美味しい。「寿司」不毛の地で楽しめる数少ない店である。
ゑんどう
大阪市福島区野田1-1-86
中央市場内(京橋に支店あり)
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2 件のコメント:
今度はお好み、たこ焼き以外で、これは大阪の味やろっていうの書いてくれよ。
ええなー。読んでると寿司食べたくなる。明日寿司でも食べに行こうかな。
あのサーモン焼き寿司(英語でなんていうか忘れた)、あれ食べると胃がちょっともたれるんよな~。
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