ニュースを読んでいると、ISISのテロ攻撃は先進諸国を中心に、絶大的な宣伝効果があったのだなぁ、と改めて思う。パリで起こった事件を「宗教・政治的に動機づけられた暴力である」、つまりテロリズム攻撃であった、と全てのマスメディアが認めているからだ。この事件が本当にISISの本部(もし、そのようなものが実際にあれば、の話)が計画して、そういう連中をパリに送ったかどうかということも現状では怪しい。ISISに感化されたアラブ系フランス人やベルギー人の不満分子が、「自分探し」の一環として起こした犯行である、と結論付けた方が、全ては納得がいく。
で、結局、テロリストとはどういう連中なのか?私の中では、連中は、素直であるがアイデンティティークライシスに陥っているやんちゃの不良少年や少女である、と考えている。社会に不満が鬱積しており、そのアンチテーゼの自分探しとして、ISISを選んでいるだけである。キリスト教や西欧社会のアンチテーゼとして、イスラムやアラブやを前面に出しているだけだ。本当の意味でムスリムを理解しているとは到底思えない。
若者が団体を作ると、物凄く厳しい馬鹿な規律を作り、チームの結束力を強める。その結果、裏切り者の粛清などを繰り返す。日本赤軍もそう。オウム真理教もそう。寝屋川や船橋の暴走族もそう。山口組もそう。高校のラグビー部もそうであった。海外に目を向けても、ソ連の共産党も、中国共産党も、朝鮮労働党も、全部そうである。或いは、そうであったのである。
ムスリムの連中は差別を受けて、ひどい仕打ちを受けて、その結果テロが起こっているのだろうか?答えは、NOだ。テロを起こすのはムスリムではなくて、「人生負け組の血の気の多い不良被れ」である。そういう連中が武器を手に持ってしまったからややこしい事件が起こっているのである。そして、ISの制服を着て、ISの掟に従うことで、安心感を求めている。ISの掟をイスラム原理主義だということは、オウムの教えを原始的な仏教だというのと同じくらいの馬鹿げたことである。ただ私たちは本当のイスラムを理解していないので、連中が奇異な格好でイスラムだと主張すれば、疑いなしにそうだと思い込んでいる。
移民の問題や、差別の問題は、勿論存在する。だが、普通の人たちは、そこで必死に頑張っているし、そういったひどい状況を改善しようと頑張っている政治家やボランティアも大勢いる。しかし、すべての人が状況を良く解っているわけではない。日本でもそうなように、金銭に余裕が無い人が大勢住む都会のアウトスカート(つまり、船橋や寝屋川)では暴走族が勢力を伸ばす。朝鮮人や部落差別地域の若者はやくざ者になってしまう確率が高い。
一部の良からぬ人間がテロリストになり、若くてバカな連中を脅しで洗脳し、筋力や反社会的な態度にアイデンティティーを見つけさせる。船橋や寝屋川の暴走族も、警察が存在しないとして、刀を持たせれば、目立つところで無差別に人切りをして男気を見せようとする輩が現れるかもしれない。実際に江戸時代には辻切りなどが起こっていたわけだし、オウム真理教や日本赤軍も同じような構図である。残念ながら世界中で起こっているテロリズムは、若気の至りが反社会的になってしまうという、有り触れた問題なのだ。
こういう問題を、西欧対アラブ、或いはキリスト教対イスラムというような、高等な仕分けをするから、ニュースは魅力的に聞こえてしまうが、現実が見えなくなってしまっている。で、頭の中にお花畑が咲いている人たちが、「戦争を助長する空爆をやめよ」云々を言い出す。一方、威厳を保ちたいマッチョな連中は、「イスラムを許すな」云々言い出すわけだ。一部の不良少年たちの行いにより、世界秩序を変えようとするような、極端な意見は止めて欲しい。
もう一度言いたい。世界中の市民の安全を守るため、我々は積極的に武装ギャング集団を撲滅するべきだ。馬鹿な連中にカラシニコフやトカレフを渡さないようにして欲しい。馬鹿な集団が生まれないように、貧困若年層の教育の強化や、その連中を強制的に社会貢献させるなどの公的機関による自分探しの手助け、も提唱したい。で、実際に反社会的行動を起こした際は、徹底的に懲らしめる必要がある。
雨が降り続くシアトルに住むブログ主が、カプチーノを飲みながら、時事・経済・政治・食・スポーツ等について社会科学的見地から騙ります。広告のクリックをする事、宜しくお願いします!
11/24/2015
11/16/2015
フランス国旗に反対するセンチなテロリスト礼賛者たちの声
それに対して「何故フランスの国旗を使うのか?」という意見が溢れている。それらは大きく二つに分けられる。一つ目は、パリ以外のテロ事件にも関心を持って欲しい、というもの。ご存知の通り、フランス以外でも色々な場所でISISによるテロが起こっている。パリの事件だけを特別扱いするのではなく、ケニアやベイルートで起きたテロ事件にも関心を抱こう、というある種の啓蒙的な意見である。そんなことを知っている人達にとっては、説教臭くて辛気臭い意見かもしれない。が、何にも知らない人が意外と多いので、こういう啓蒙的な意見は社会の役に立つのかも知れない。
問題は二つ目の意見だ。フランスはシリア攻撃に加担しており、シリア市民を爆撃しているので、その報復としてパリジャンが殺害された、いわば自業自得である、という意見だ。これはお笑いを通り越して、非常に危険で害のある考え方である。というより、テロリストの一味かと疑ってしまう。
米英を中心とする有志連合軍がシリアを攻撃している事は良く知られている。それどころか、アフガニスタンやイラクなどでも軍事作戦を展開している。この軍事作戦により、無辜の市民が犠牲となっているのは事実である。では、何故わざわざ攻撃しているのか?ということである。ご存知の通り、シリア、アフガニスタン、イラクなどの政府は、自分たちの市民を守ったり、法を執行することすらままならない「ミッキーマウス国家」であるからだ。国家とは、最低限自国民の安全を法の下で守る必要があるのだが、そんな最低限のことすら出来ないのだ。自分の国の全域を完全には支配していないため、テロリスト、つまりは武器を持ったギャング、暴走族や愚連隊のような連中が暴走して、一般市民の生活を脅かしているのである。
それに対して、仕方ないので連合軍が行動を起こしている。治安の悪い場所に住む人たちの生活を、その限られたリソース(金・人・時間)で守っているのだ。消去法的に、空爆といった一番効率的な方法で暴徒を抹殺する方法を選んだのだが、それによって一般市民が多少犠牲になってしまう。
勿論、犠牲は防ぐべきだと思う。これに対して反対する人は誰もいない。が、短期間に攻撃しなければ、テロリストたちによる一般市民の犠牲が増えてしまうし、ほかの地域にまでテロリストの魔の手が伸びてしまう。自由を虐げられ、望んでいない生活を課せられている人たち。この人たちを一日でも早く解放してあげたいと、多くの人が考えて行動しているのである。まともな一般市民としては、誰でも良いから安全を守ってほしい、となる。テロリストにすれば、米軍ほど嫌な物はない。アメリカやヨーロッパの若者たちは、自分たちの命さえも犠牲にして、こういったオペレーションに参加している。こういった自己犠牲を顧みず、綺麗事だけをのたまうブロガーたちに、辟易とする。
「無辜の市民を殺すな!」これは全ての人が同意する最終目標である。悲しいかな、それに対する国際社会の答えが空爆である。空爆が嫌なら、オルタナティブの方法を挙げてみろと言いたい。
個々の作戦に対し「効果的か否か?」といった議論は大いにするべきだ。連合国側も色々な過ちを犯している。そもそもアラブ諸国の没落にヨーロッパが深くかかわったという根強い歴史観もある(が、その後アラブ国家は何も努力せず、金持ち国家と傀儡政権という政治家や王侯貴族の利権に感け、まともな市民国家というものを作ろうとしなかった)。しかし「空爆をしているからテロリストの標的にされる。テロを防ぐために空爆を止めろ」などといった夢見る夢子ちゃん達は、結局テロリストの価値観に共感し、贅沢をしている国の政府や市民に制裁を加えよ!と暗に考えているから、そのような話をするのだろう。頭がお花畑なのか、アナーキストに騙されているのか、私は知らない。バカな事であれ、何を書くのも自由だ。だが、私は声を荒げて真摯にそれらに抗議したい。
地球上の全ての人々の安全が保障される。そんな世界が訪れれば、人々はどれほど幸せだろうか?金曜の夜にレプブリークでロックンロールを楽しむパリジャンが銃殺されるのを見たくない。アンカラやベイルートで市民が爆殺される必要もない。エジプトでの休暇を楽しんでサンクトペテルブルクに帰る飛行機で一生を終える人たちを悲しく思う。そして、大勢の人々がISISが占領する地域で自由を奪われ、異教徒の烙印を押され、虫けらのように殺されることに胸を痛める。全ての人たちがここまでに同意すると思う。誰が悪いのか?欧米ではない。テロリストという名で呼ばれている、宗教を言い訳に使い、若気の至りに身を任せる暴徒たちが悪いのである。イスラム云々言っているが、テロリストと呼ばれている若者たちが、きちんとイスラムを理解していると考える方が無理だろう。連中は、若気の至りで暴れたいだけ。ヤンキーや暴走族が武器を持ったような連中なのだ。「喧嘩上等!」の代わりに、シャリーアやなんだの曲解をしているのだ。それに対して、真剣に宗教的な見地からコメントしている文化人達は、かなり痛い人達だ。
暴走する若者が大勢出てきて、暴挙に目を瞑る連中が多くなるから、世界が混沌とする訳だ。私たちの営みは身体の安全を保障され、法に守られているという前提のもとに成り立っている。自由な世の中は、きっちりとした最低限の統治がなくしては成立すらできない。弱肉強食の動物のような世界から人類が文明を得たのは、その一点に尽きるのだ。そして、それこそが「国家」というものの存在理由なのである。
自分の国を治めることも出来ない失敗国家が数多くある中で、世界の警察たるは「欧米だけ」だというのが現状だ。世界はアメリカ人やヨーロッパ人の若者たちの血に「ただ乗り」している。本来であれば、アラブの金持ちの国が連合して、自分たちの「兄弟」の失敗に尽力を尽くすべきだ、と思うのは私だけだろうか?難民もヨーロッパを目指さず、ドバイやサウジにいくべきじゃないのか?日本ももっと積極的に世界平和のためにリソースを使うべきである。ぼんくらガルフ国家が信用できず、薄汚れて腐敗に塗れた発展途上国の無能政府、そして去勢されて鎖国気味に繁栄を謳歌するアジア国家。血を流しながら世界平和のために貢献するアメリカやヨーロッパの一部の国に、あなたは足を向けて寝られるのか?
私は安全運転に徹するので、自動車保険も警察の交通取り締まりも不必要です。左派の意見はそういった類の話にしか聞こえないのだ。
追記:報道で知ったのだが、報道ステーションで古舘が欧米の空爆もテロ、とか言ってるらしい。以前にも書いたが、報道ステーションは言葉の正確な意義をわざと捻って視聴者を混乱させようとしている。地上波を使って、ゴミのような意見を流すとは、まさに漫才である。ただ、テロリストの行為そのものが若気の至りの漫才のようなものなのだから、古館と同じレベルではある。
11/03/2015
Windows 10 にアップグレードしてみる
私はWin8.1を使っていた。スタートメニューが無くなった事から、周りでは文句を言う人が結構いたが、クラシックシェルなどをインストールしさえすれば、その問題はすぐに解決する。いわゆる「情弱」の人がWindows8の悪口を言うのだろう、と当初は思っていた。
しかし、Win8を使い始めると、色々と問題点が見えてきた。そして、今までのWindowsでは経験した事の無いような重大な問題に何度もぶつかる事となった。
まず初めに、Win8のインターフェイスが無茶苦茶使い勝手が悪いという事だ。すぐにタッチスクリーンに誘導されるのだが、マウスしか使わない私にとって、大きなパネルは百害あって一利なしだ。もう一度、スタートボタンが無くなったり不便になった事と重ねて言及しなければならない。結局マイクロソフトは、オペレーションシステムを高い値段で売っておきながら、さらにアプを売ろうともくろんでいたと思われる。アプを売るために、無理矢理アンドロイドの様なパネル画面に誘導しようとしていたのだろう。できるだけ既存のソフトを使わせず、Windows Storeに誘導し、情報弱者に売りつけようとしているのだ。お客さんの便利さではなく、自分たちの商売を優先するマイクロソフト。邪悪な意図が透けて見える。「ふざけんな!Windowsなんか、もう使うか!」と言いたい所だろう。しかし、悲しいかな代用品がないため、Win8を使い続けなくてはならなかった。
さらにマシーンにもよるが、アップデートを失敗したり、アップデートでソフトがバグってしまう可能性が極端に高かった。私のマシーンでは重要なアップデートに数回失敗し、その後色々なソフトウェアに支障が出てしまったのだ。Outlookがコンフィギュアレーションできなくなったときには、かなり困った。直そうと色々頑張った。技術屋にも相談したし、店にも持っていった。しかしWin8をリカバーする必要があると言われた。が、CDなどは持っていなかったので、色々と不備が出たマシーンを長らく使い続けていた。仕方ないのでOutlookは諦めて、サンダーバードを使い続けた。あるソフトは、使うたびにコードを入れなければいけなくなった。
で、ようやくWin10にアップグレードしたのだが、今の所Win8のような鬱陶しさは感じられない。仮想デスクトップを何個も作れる機能などは、数個のプロジェクトを掛け持ちしている私には非常に便利である。問題というのは時間が経ってから現れるものなので、もう少し時間をかけて様子をみてからWin10についての結論を下したい。
しかし、Win8を使い始めると、色々と問題点が見えてきた。そして、今までのWindowsでは経験した事の無いような重大な問題に何度もぶつかる事となった。
まず初めに、Win8のインターフェイスが無茶苦茶使い勝手が悪いという事だ。すぐにタッチスクリーンに誘導されるのだが、マウスしか使わない私にとって、大きなパネルは百害あって一利なしだ。もう一度、スタートボタンが無くなったり不便になった事と重ねて言及しなければならない。結局マイクロソフトは、オペレーションシステムを高い値段で売っておきながら、さらにアプを売ろうともくろんでいたと思われる。アプを売るために、無理矢理アンドロイドの様なパネル画面に誘導しようとしていたのだろう。できるだけ既存のソフトを使わせず、Windows Storeに誘導し、情報弱者に売りつけようとしているのだ。お客さんの便利さではなく、自分たちの商売を優先するマイクロソフト。邪悪な意図が透けて見える。「ふざけんな!Windowsなんか、もう使うか!」と言いたい所だろう。しかし、悲しいかな代用品がないため、Win8を使い続けなくてはならなかった。
さらにマシーンにもよるが、アップデートを失敗したり、アップデートでソフトがバグってしまう可能性が極端に高かった。私のマシーンでは重要なアップデートに数回失敗し、その後色々なソフトウェアに支障が出てしまったのだ。Outlookがコンフィギュアレーションできなくなったときには、かなり困った。直そうと色々頑張った。技術屋にも相談したし、店にも持っていった。しかしWin8をリカバーする必要があると言われた。が、CDなどは持っていなかったので、色々と不備が出たマシーンを長らく使い続けていた。仕方ないのでOutlookは諦めて、サンダーバードを使い続けた。あるソフトは、使うたびにコードを入れなければいけなくなった。
で、ようやくWin10にアップグレードしたのだが、今の所Win8のような鬱陶しさは感じられない。仮想デスクトップを何個も作れる機能などは、数個のプロジェクトを掛け持ちしている私には非常に便利である。問題というのは時間が経ってから現れるものなので、もう少し時間をかけて様子をみてからWin10についての結論を下したい。
10/27/2015
世界の食のレベルが高い都市、独断のトップ20 ランキング
* この記事では、食堂や屋台も含め「外食を食べられる場所」という意味で「レストラン」という言葉を使うので注意してほしい。
旅先での楽しみといえば、食事がどうしても上位に来る。食事の味はレストランによりけりであり、美味しいところも、イマイチのところもあるだろう。しかし、食事業界の競争が激しく、全体的にレストランのレベルが高い街というものがある。今回はそれを経験と主観に基づき、ランキングとしてみた。行った事がない街は入っていない。このリストには載っていないものの、裾野が広く美味しい料理が溢れている街をご存知であれば、是非とも教えて頂きたい。
20位 ニューヨーク
NYは何でもある。が、ほとんどのものが一歩届かない。食材にしても、調理技術にしても、少し足りないのだ。ただ、何でも揃っており、知ってさえいれば美味しいものにありつける。中華やイタリア料理。そのあたりに美味しいものが揃う。ラテン系、ユダヤ系などのストリートフードも悪くない。高いレストランは外れも多いが、悪くないのも多々ある。大都会で競争が激しいためか、全米の中では比較的安い食べ物が多いのもNYの特徴だ。ピッツアに関しては、店にもよるが、本場のイタリアよりも美味しいところもある。蛇足だが、ランキングに入れなかった北米の街で食事が悪くない場所として、ポートランドORやプロビデンスRIがあげられる。
19位 ブリュッセル
ブリュッセルの真ん中にはレストラン地区がある。パリに比べると値段は低めに設定されているが、工夫がとぼしい卒のないフレンチ風の料理が出てくる。ワッフルとかも有名だ。「美味しい」か、と問われれば、ちょっと難しいところである。
18位 北京
中国の都市として唯一のランク入り。上海や広州などと比べると、北京は比較的マシなものが揃っている。高級レストランはなかなかの店が多いが、普通の屋台などは、安全性の問題から躊躇することもあるので、本来であればランキング外にしても良い。
17位 トロント・バンクーバー(カナダ大都市)
バンクーバーでは香港や台湾からの移民が美味しい中華レストランを営業する。中華系経営のいんちき和食レストランも、それはそれで悪くない。トロントは人種の坩堝であり、移民一世が作る色々な国の料理が食べられる。ただ、どれも本場には遠く及ばず、「ワオ」という言葉を発する確率は少ない。国境の南に位置するアメリカの北部都市よりはずっと良い。
16位 東京
日本の事情を知らない外国人にアンケートをとると、東京は世界の5本の指に入るグルメタウンという事になっている。外国料理(イタリアン、フレンチ、中華)など、高級な店はなかなかである。が、普通一般のレストランに入ると、濃い味付けをしたハズレが意外に多い。濃い口醤油と鰹節の味で、料理が下品になっている。天ぷら、ラーメンや握り寿司などの、本来の意味での和食でないものが有名なことからも、他の日本の町に比べて料理の文化は浅はかであると結論付ける。良い食材は高級レストランにとられてしまい、庶民はお零れにしか預かれない。本当なら東京は10位以内でも良い(どう考えてもニューオーリンズよりは上だろう)が、東京のランクが低いのは、世間の認識とのギャップを強調したいという私のバイアスがかかっているためだ。
15位 シンガポール・ペナン(マレーシア)
トロピカルな食材と、南方系の華僑の腕が出くわして、とても美味しい中華料理が出来上がった。海南鶏飯、シンガポールフライドヌードルにチリクラブ。福建系や客家系の人たちが作り出した伝統が、ホーカーズであれ、高級レストランであれ、シンガポールの中華風料理に生きている。シンガポールのマレー系の料理はペナンに由来するものが多い。ただ、ジョージタウンに行って色々試したが、マレー風の料理を食べると、がっかりすることも多かった。
14位 モントリオール・ケベック(フレンチカナダ)
フランス文化の影響を受けたモントリオールは、やはり全体的にレベルの高いレストランが多い。ケベックシティーに行けばもっと美味しいものを食べられるという根強い意見もあるが、かなりの高位にランクさせる。
13位 メキシコ湾沿いのアメリカ南部
テキサスのバーベキューは牛を使う。ブリスケットのジューシーさは筆舌に尽くしがたい。フロリダ北部からアラバマ、ミシシッピ。フライドチキン、フライドオクラ、豆、グリーンズ、ナマズに生牡蠣。安い食材を上手に使う。アメリカ北部は食事が良くないが、南には古きよきアメリカが残っている。
12位 ボローニャ(北イタリア)
イタリア料理を食べて文句を言う人はいない。万人受けする味であり、外れは極端に少ない。北は肉類や乳製品を南よりも多用する傾向にあり、私の中では後述の南には勝てない。私が訪れた中ではボローニャがかなりレベルが高かった。どの料理にも安っぽい赤ワインが合うのだ。ワイン的にはピエモンテやトスカーナに決まっている。
11位 バルセロナ(地中海沿いの「スペイン」の街)
スペインの料理は美味しい。バルセロナはカタローニャでありスペインではないのだろうが、私にとっては美味しければ何でも良い。ワイン、海鮮、ハム類、野菜。どれをとっても新鮮であり、町全体の食に対する情熱は賞賛に値する。値段も安い。タパスで小腹を膨らませるというのが正しい地球の歩き方だろう。
10位 ニューオーリンズ
アメリカにあり、アメリカらしからぬ街、ニューオーリンズ。フランス人の植民地として栄えただけあって、食は素晴らしい。ニューオーリンズで給されるのはケイジャン料理やクレオール料理であり、一般的な南部料理とは全く違う。ガンボ、エトフェ、ザリガニなどなど。スパイスの効き方といい、ケイジャンの食事は何度食べても飽きない。ジャズを聴いて、ケイジャンを食べて、通りでダイキリーを飲む。最高だ。
9位 ソウル
ソウルは美味しい。屋台とかでも、安っぽくて味の濃い料理は、まあまあ美味しい。上品なのもそこそこあるし、はずれも少ない。ああいうのが好きな人も多いだろうが、個人的にはベスト5入りはしない。
8位 サイゴン
フォーとかバンミーとかゴイクンが頭に浮かぶが、ベトナム料理は素晴らしい。他の国ほど辛いものを使わないが、きっちりと出汁をとり、新鮮なものにこだわる。やはり、フランス人の影響なのか、イーストミーツウェスト的な料理も多い。トロピカルなハーブ系の使い方も上手い。ホーチミンシティーもよいが、北のハノイの方が食事が美味しいという人も多い。
7位 サンセバスチャン
スペインのグルメ都市として、サンセバスチャンの名前はかなり知られるようになった。タパスを食べ歩き、飲み歩くのは、ある種感動を覚える。サンセバスチャンはグルメの町として豪勢な食事を用意しお金を課すようになったが、スペインの他の町では、ドリンクさえ注文すればいまだにタパスは食べ放題のところも多い。
6位 南イタリア
イタリア料理が嫌いな人がいるだろうか?そして、海の幸をある程度使ってもらうと、ランキングが自ずと高くなる。甘いトマトソース、モッツアレラ、豚のモツ。海の幸をふんだんに使うフルーティディマーレ。ローマとかでさえも、美味しいものには事欠かないが、ナポリとかだけでなく、さらに南に行けばもっと美味しい。ローマがあるラッツイオ周辺は山の起伏がなくて、ワインは全然ダメ。唯一飲めるのはフラスカーティの白くらい。全般的に南は赤ワインは全然駄目。白中心で。料理も白と合うのを頼もう。
5位 バンコク
パッタイ、クッティオ、カオマンガーイ、ソムタム。言うまでもなく、タイの屋台料理もレベルが高い。生牡蠣とか蟹カレーだとか、タイ風にすれば何でも美味しい。北に行って、もち米を多用したり、昆虫を使ったような料理も出てくるが、あれはあれで旨い。食材豊富なタイは、屋台でもレストランでも、なんでも美味しい。ハズレを引くほうが難しい。
4位 パリ
万人受けするイタリア料理よりも、フレンチを食べるほうが心が躍る。料理にイノベーションが垣間見え、あっと驚かせてくれるのだから、楽しくて仕方ない。パリのサンドミニクあたりは世界の五本の指に入る優良ランチ地域である。フランスはレストランの裾野が広いので、加工食品が発達している。フォアグラのテリーヌとか、サラミのセットなどは、おそらく工場で作ってレストランに支給しているためか、どこに行ってもそれなりに美味しい。ただ、日本人の中には、ある種類のフレンチ料理が重すぎたり、チーズっぽかったり、味気がなかったりするようだ。言い方を変えると、ハズレの店に結構出くわしてしまうのがフランスの難点である。リヨンがパリよりもずっと美味しいという話を聞くが、行ったことがないので解らない。
3位 台南・台北
台湾では何を食べても美味しい。屋台やその辺のレストランは、美味しいだけでなく、安い。陽春麺に黒白切をつけてみる。魯肉飯や台南油飯とスープを掻きこむ。夜市でジャンクフードを漁る。最高である。ただ、異国料理や高級店には外れも多い。台湾でイタリア料理や日本料理を試してみるとよい。がっかりすること間違いなしである。台湾では、安い地元のものの方がずーっと美味しい。台北101とかQスクエアの小奇麗な店は、大概イマイチだ。マーケティングに長ける鼎泰豊で一食無駄にしないで欲しい。MRTに乗って、台北市よりも南(永和・中和)や西(三重・板橋)で降りて、色々なものをトライして欲しい。驚くほどの掘り出し物にありつけるだろう。余談だが、台南の方が台北よりもさらに食を理解しているなぁ、と私は思っている。
2位 香港
香港は誰もが知るグルメタウンだ。飲茶、屋台の味、デザート類、朝ごはんの御粥に本格海鮮料理。何をとっても美味しいし、外れを引くことなど、先ず考えられない。さらに、英国の植民地であった香港では異国料理のレベルも高い。訳の解らない変わったレストランに入っても、台北のように外れを引くことはない。日本料理なども値段は別として、かなりまともなものが数多く存在する。
1位 大阪市
世界一のグルメタウン、それは大阪で間違いないと思う。私は大阪出身でバイアスがかかっているとか、そういう事ではない。大阪の食の文化と情熱が、他の都市と比べて抜きん出ているのである。市場に行ってみるとよい。食材の新鮮さが見て取れると思う。あまり物事を知らない人に「大阪はお好み焼きとか、たこ焼きとか、うどんとか、串カツとか、美味しいものが色々あって良いね」と言われる事がある。私は鼻で嗤って、あえて反論しない。知らん人は知らんでいいのだが、大阪の食文化の懐の深さは、そういう所にあるのではない。大阪には本物の日本料理を育てた下地があり、その技術や知識が、他の料理にも波及しているのだ。だから、和洋ジャンクを問わず、どのレスランを訪れても、ハズレにあたらない。世の中には「お得な料理」と「美味しい料理」があるが、大阪では「お得で美味しく一段上の料理」が気軽に食べられる。「ケバい調味料」をなるべく使わない、昆布でとった出汁を活かした上品な和食。瀬戸内で取れる新鮮な海の幸。ここ数十年は、東京でも大阪の味を食べられるようになっているが、人気の和食店は結局「関西系」だ。本物を知りたい人は一週間くらい大阪に滞在され、色々な店や市場など、特に市内中心部の割烹を回られることをお勧めする。
ただし、京都は入れていない。京都の和食は、上品さは光っているものの、無理やり京野菜とか鱧とか湯葉とかを使って、伝統を守り抜き独自色を出そうとし過ぎて敷居が高い。湯豆腐とかお茶漬けとか、形にこだわり過ぎている嫌いがある。世界には美味しいものが色々あるのだから、そういったものを積極的に用いれば良いではないか?大阪はうまいもんを提供しようと、よき伝統と革新が混じった素晴らしい食文化を持つ。牛フィレが美味しいのなら、それをカツにして和食として出せば良い。そういう大阪気質が好きなのだ。中途半端にお客さんの財布が緩い神戸は外れが多い。やはり、けちんぼが多く、競争が激しい大阪市内が抜けている。寿司、天婦羅、ラーメン、蕎麦。そういうものを和食と思っている外国人観光客は東京だけ観光しておけばよい。
旅先では、ハズレのレストランにあたる事が多く、結構がっかりさせられる。今後はハズレの話も書いていこうと思う。ただ、インターネット環境が整いすぎて、最近では狙ったレストランに皆行くので、ハズレることが少なくなっているようだ。そして、フランチャイズ店の進出で、不味くない店が増えてきた。だが、旅の醍醐味は、その辺の訳のわからない店にふらっと入って、その土地の文化と味を味わうことにあると私は信じている。このランキングは、ふらっと入った普通の店に感動させられる確率、と考えて欲しい。絶対的に美味しいレストランが存在するかどうかではない。
食のレベルが高い都市というのは、歴史、食産業の裾野の広さ、そして消費者の嗜好によって決められている。歴史的に食を愛し、新鮮な物を消費者に届ける物流を発達させ、食に五月蠅い消費者が不適なものを駆逐する。そういう皆の努力が、食に対する魅力的な都市を作り上げているのである。
旅先での楽しみといえば、食事がどうしても上位に来る。食事の味はレストランによりけりであり、美味しいところも、イマイチのところもあるだろう。しかし、食事業界の競争が激しく、全体的にレストランのレベルが高い街というものがある。今回はそれを経験と主観に基づき、ランキングとしてみた。行った事がない街は入っていない。このリストには載っていないものの、裾野が広く美味しい料理が溢れている街をご存知であれば、是非とも教えて頂きたい。
20位 ニューヨーク
NYは何でもある。が、ほとんどのものが一歩届かない。食材にしても、調理技術にしても、少し足りないのだ。ただ、何でも揃っており、知ってさえいれば美味しいものにありつける。中華やイタリア料理。そのあたりに美味しいものが揃う。ラテン系、ユダヤ系などのストリートフードも悪くない。高いレストランは外れも多いが、悪くないのも多々ある。大都会で競争が激しいためか、全米の中では比較的安い食べ物が多いのもNYの特徴だ。ピッツアに関しては、店にもよるが、本場のイタリアよりも美味しいところもある。蛇足だが、ランキングに入れなかった北米の街で食事が悪くない場所として、ポートランドORやプロビデンスRIがあげられる。
19位 ブリュッセル
ブリュッセルの真ん中にはレストラン地区がある。パリに比べると値段は低めに設定されているが、工夫がとぼしい卒のないフレンチ風の料理が出てくる。ワッフルとかも有名だ。「美味しい」か、と問われれば、ちょっと難しいところである。
18位 北京
中国の都市として唯一のランク入り。上海や広州などと比べると、北京は比較的マシなものが揃っている。高級レストランはなかなかの店が多いが、普通の屋台などは、安全性の問題から躊躇することもあるので、本来であればランキング外にしても良い。
17位 トロント・バンクーバー(カナダ大都市)
バンクーバーでは香港や台湾からの移民が美味しい中華レストランを営業する。中華系経営のいんちき和食レストランも、それはそれで悪くない。トロントは人種の坩堝であり、移民一世が作る色々な国の料理が食べられる。ただ、どれも本場には遠く及ばず、「ワオ」という言葉を発する確率は少ない。国境の南に位置するアメリカの北部都市よりはずっと良い。
16位 東京
日本の事情を知らない外国人にアンケートをとると、東京は世界の5本の指に入るグルメタウンという事になっている。外国料理(イタリアン、フレンチ、中華)など、高級な店はなかなかである。が、普通一般のレストランに入ると、濃い味付けをしたハズレが意外に多い。濃い口醤油と鰹節の味で、料理が下品になっている。天ぷら、ラーメンや握り寿司などの、本来の意味での和食でないものが有名なことからも、他の日本の町に比べて料理の文化は浅はかであると結論付ける。良い食材は高級レストランにとられてしまい、庶民はお零れにしか預かれない。本当なら東京は10位以内でも良い(どう考えてもニューオーリンズよりは上だろう)が、東京のランクが低いのは、世間の認識とのギャップを強調したいという私のバイアスがかかっているためだ。
15位 シンガポール・ペナン(マレーシア)
トロピカルな食材と、南方系の華僑の腕が出くわして、とても美味しい中華料理が出来上がった。海南鶏飯、シンガポールフライドヌードルにチリクラブ。福建系や客家系の人たちが作り出した伝統が、ホーカーズであれ、高級レストランであれ、シンガポールの中華風料理に生きている。シンガポールのマレー系の料理はペナンに由来するものが多い。ただ、ジョージタウンに行って色々試したが、マレー風の料理を食べると、がっかりすることも多かった。
14位 モントリオール・ケベック(フレンチカナダ)
フランス文化の影響を受けたモントリオールは、やはり全体的にレベルの高いレストランが多い。ケベックシティーに行けばもっと美味しいものを食べられるという根強い意見もあるが、かなりの高位にランクさせる。
13位 メキシコ湾沿いのアメリカ南部
テキサスのバーベキューは牛を使う。ブリスケットのジューシーさは筆舌に尽くしがたい。フロリダ北部からアラバマ、ミシシッピ。フライドチキン、フライドオクラ、豆、グリーンズ、ナマズに生牡蠣。安い食材を上手に使う。アメリカ北部は食事が良くないが、南には古きよきアメリカが残っている。
12位 ボローニャ(北イタリア)
イタリア料理を食べて文句を言う人はいない。万人受けする味であり、外れは極端に少ない。北は肉類や乳製品を南よりも多用する傾向にあり、私の中では後述の南には勝てない。私が訪れた中ではボローニャがかなりレベルが高かった。どの料理にも安っぽい赤ワインが合うのだ。ワイン的にはピエモンテやトスカーナに決まっている。
11位 バルセロナ(地中海沿いの「スペイン」の街)
スペインの料理は美味しい。バルセロナはカタローニャでありスペインではないのだろうが、私にとっては美味しければ何でも良い。ワイン、海鮮、ハム類、野菜。どれをとっても新鮮であり、町全体の食に対する情熱は賞賛に値する。値段も安い。タパスで小腹を膨らませるというのが正しい地球の歩き方だろう。
10位 ニューオーリンズ
9位 ソウル
ソウルは美味しい。屋台とかでも、安っぽくて味の濃い料理は、まあまあ美味しい。上品なのもそこそこあるし、はずれも少ない。ああいうのが好きな人も多いだろうが、個人的にはベスト5入りはしない。
8位 サイゴン
フォーとかバンミーとかゴイクンが頭に浮かぶが、ベトナム料理は素晴らしい。他の国ほど辛いものを使わないが、きっちりと出汁をとり、新鮮なものにこだわる。やはり、フランス人の影響なのか、イーストミーツウェスト的な料理も多い。トロピカルなハーブ系の使い方も上手い。ホーチミンシティーもよいが、北のハノイの方が食事が美味しいという人も多い。
7位 サンセバスチャン
6位 南イタリア
イタリア料理が嫌いな人がいるだろうか?そして、海の幸をある程度使ってもらうと、ランキングが自ずと高くなる。甘いトマトソース、モッツアレラ、豚のモツ。海の幸をふんだんに使うフルーティディマーレ。ローマとかでさえも、美味しいものには事欠かないが、ナポリとかだけでなく、さらに南に行けばもっと美味しい。ローマがあるラッツイオ周辺は山の起伏がなくて、ワインは全然ダメ。唯一飲めるのはフラスカーティの白くらい。全般的に南は赤ワインは全然駄目。白中心で。料理も白と合うのを頼もう。
5位 バンコク
4位 パリ
3位 台南・台北
2位 香港
香港は誰もが知るグルメタウンだ。飲茶、屋台の味、デザート類、朝ごはんの御粥に本格海鮮料理。何をとっても美味しいし、外れを引くことなど、先ず考えられない。さらに、英国の植民地であった香港では異国料理のレベルも高い。訳の解らない変わったレストランに入っても、台北のように外れを引くことはない。日本料理なども値段は別として、かなりまともなものが数多く存在する。
1位 大阪市
世界一のグルメタウン、それは大阪で間違いないと思う。私は大阪出身でバイアスがかかっているとか、そういう事ではない。大阪の食の文化と情熱が、他の都市と比べて抜きん出ているのである。市場に行ってみるとよい。食材の新鮮さが見て取れると思う。あまり物事を知らない人に「大阪はお好み焼きとか、たこ焼きとか、うどんとか、串カツとか、美味しいものが色々あって良いね」と言われる事がある。私は鼻で嗤って、あえて反論しない。知らん人は知らんでいいのだが、大阪の食文化の懐の深さは、そういう所にあるのではない。大阪には本物の日本料理を育てた下地があり、その技術や知識が、他の料理にも波及しているのだ。だから、和洋ジャンクを問わず、どのレスランを訪れても、ハズレにあたらない。世の中には「お得な料理」と「美味しい料理」があるが、大阪では「お得で美味しく一段上の料理」が気軽に食べられる。「ケバい調味料」をなるべく使わない、昆布でとった出汁を活かした上品な和食。瀬戸内で取れる新鮮な海の幸。ここ数十年は、東京でも大阪の味を食べられるようになっているが、人気の和食店は結局「関西系」だ。本物を知りたい人は一週間くらい大阪に滞在され、色々な店や市場など、特に市内中心部の割烹を回られることをお勧めする。
ただし、京都は入れていない。京都の和食は、上品さは光っているものの、無理やり京野菜とか鱧とか湯葉とかを使って、伝統を守り抜き独自色を出そうとし過ぎて敷居が高い。湯豆腐とかお茶漬けとか、形にこだわり過ぎている嫌いがある。世界には美味しいものが色々あるのだから、そういったものを積極的に用いれば良いではないか?大阪はうまいもんを提供しようと、よき伝統と革新が混じった素晴らしい食文化を持つ。牛フィレが美味しいのなら、それをカツにして和食として出せば良い。そういう大阪気質が好きなのだ。中途半端にお客さんの財布が緩い神戸は外れが多い。やはり、けちんぼが多く、競争が激しい大阪市内が抜けている。寿司、天婦羅、ラーメン、蕎麦。そういうものを和食と思っている外国人観光客は東京だけ観光しておけばよい。
旅先では、ハズレのレストランにあたる事が多く、結構がっかりさせられる。今後はハズレの話も書いていこうと思う。ただ、インターネット環境が整いすぎて、最近では狙ったレストランに皆行くので、ハズレることが少なくなっているようだ。そして、フランチャイズ店の進出で、不味くない店が増えてきた。だが、旅の醍醐味は、その辺の訳のわからない店にふらっと入って、その土地の文化と味を味わうことにあると私は信じている。このランキングは、ふらっと入った普通の店に感動させられる確率、と考えて欲しい。絶対的に美味しいレストランが存在するかどうかではない。
食のレベルが高い都市というのは、歴史、食産業の裾野の広さ、そして消費者の嗜好によって決められている。歴史的に食を愛し、新鮮な物を消費者に届ける物流を発達させ、食に五月蠅い消費者が不適なものを駆逐する。そういう皆の努力が、食に対する魅力的な都市を作り上げているのである。
興味のない人に勉強させるのは時間の無駄
私は長い間、人に物を教えている。学びたい人間に教える事は、とても楽しい。しかし、興味のない生徒に物を教えるほど馬鹿らしいことはない。要らないと言っているお客さんに押し売りをするようなものなのだ。学びたくない生徒にとっても時間の無駄だろうし、教壇に立つ先生側としても努力の無駄である。「親に行けといわれたから学校に行ってあげている」「給料を貰っているから教えなきゃ仕方がない」生徒と先生の本音の心境は、大学でさえこんなもんである。
アメリカの大学の授業でも、四分の一くらいは学位取得のためにいやいや学校に来て、効率よく単位を取りたいだけの生徒である。ただ半分くらいの生徒は積極的に学ぶ姿勢を見せてくれる。半分くらい反応の良い学ぶ気のある生徒が教室にいれば、授業は上手く成り立つし、教える側としても気分が良いものだ。
たまたまシアトルにやってきた日本の高校生を前に教える機会があった。日本語で話をしたので、語学の問題はなかった。20人ほどで、男女は半々だったのだが、びっくりするほどおとなしい子供たちだ。偏差値的に言って、馬鹿な生徒たちではない。態度は非常に良かった。が「お利口」さんというだけで、考える力がゼロなのだ。「何故こういう風になるのだろうか?」こういう「Why」クエスチョンを投げかけて指名してみる。すると、口をもごもごして答えられない。アメリカ人なら、ハッタリであったとしても、何かは答え、ほかの生徒がその意見に対してリスポンスする。
二時間の講義だったのだが、「暖簾に腕押し」といった感覚で、気分が沈んでしまった。私は、未来を背負う日本の生徒のために、「Out of Box Thinking」を少しでも誘発させてあげようと考え、色々なお話を用意した。結構時間をかけて用意した教材だったが、そもそも生徒側に興味がないので、食いついてくれなかったのだと思う。「You can lead a horse to water, but you can't make it drink」という諺がぴったり来ると思う。「馬を水場まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。」つまり、機会を与えてやることはできるがそれを活かすかどうかは本人次第だ、という意味である。
親がお金を払って、無理やり高校生をアメリカに二週間送っただけなのだろう。で、生徒は意味のないアメリカ旅行に連れて来られて、何故日本語で授業を受けなければいけないのか?とか考えながら、私の講義を聴いていたのだと思う。私はボランティア、つまり無償で授業を教えた。そして、むなしさだけが残ってしまった。
教育というものは、やる気のない人に物をやらさせるのは不可能である。「態度の悪い人間の素行を修正するプログラム」、「人々のやる気を誘発させるプログラム」、「反復練習によるスキルの獲得」、そして「考える力を身につける学び」。教育とは、大まかに考えてこの4パターンが存在する。この4パターンをごっちゃにすると、訳がわからなくなる。教育論を語るときには、そのあたりから考えなければならないだろう。
アメリカの大学の授業でも、四分の一くらいは学位取得のためにいやいや学校に来て、効率よく単位を取りたいだけの生徒である。ただ半分くらいの生徒は積極的に学ぶ姿勢を見せてくれる。半分くらい反応の良い学ぶ気のある生徒が教室にいれば、授業は上手く成り立つし、教える側としても気分が良いものだ。
たまたまシアトルにやってきた日本の高校生を前に教える機会があった。日本語で話をしたので、語学の問題はなかった。20人ほどで、男女は半々だったのだが、びっくりするほどおとなしい子供たちだ。偏差値的に言って、馬鹿な生徒たちではない。態度は非常に良かった。が「お利口」さんというだけで、考える力がゼロなのだ。「何故こういう風になるのだろうか?」こういう「Why」クエスチョンを投げかけて指名してみる。すると、口をもごもごして答えられない。アメリカ人なら、ハッタリであったとしても、何かは答え、ほかの生徒がその意見に対してリスポンスする。
二時間の講義だったのだが、「暖簾に腕押し」といった感覚で、気分が沈んでしまった。私は、未来を背負う日本の生徒のために、「Out of Box Thinking」を少しでも誘発させてあげようと考え、色々なお話を用意した。結構時間をかけて用意した教材だったが、そもそも生徒側に興味がないので、食いついてくれなかったのだと思う。「You can lead a horse to water, but you can't make it drink」という諺がぴったり来ると思う。「馬を水場まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。」つまり、機会を与えてやることはできるがそれを活かすかどうかは本人次第だ、という意味である。
親がお金を払って、無理やり高校生をアメリカに二週間送っただけなのだろう。で、生徒は意味のないアメリカ旅行に連れて来られて、何故日本語で授業を受けなければいけないのか?とか考えながら、私の講義を聴いていたのだと思う。私はボランティア、つまり無償で授業を教えた。そして、むなしさだけが残ってしまった。
教育というものは、やる気のない人に物をやらさせるのは不可能である。「態度の悪い人間の素行を修正するプログラム」、「人々のやる気を誘発させるプログラム」、「反復練習によるスキルの獲得」、そして「考える力を身につける学び」。教育とは、大まかに考えてこの4パターンが存在する。この4パターンをごっちゃにすると、訳がわからなくなる。教育論を語るときには、そのあたりから考えなければならないだろう。
10/23/2015
日本語が滅茶苦茶な報道ステーション
東京に出張に行ったときに、ホテルのテレビに報道ステーションが映っていた。嫌なら見るな、と以前に書いたが、ここまでレベルが低いとニュースというよりは漫才である。
まず番組の冒頭で、「アベノミクスの勢いが上がっているのか、下がっているのか?」という質問を街角で聞いていた。この質問の意味が私には理解できない。アベノミクスという物は上がったり下がったりするものなのだろうか?主語のアベノミクスの定義が曖昧である。「昨今の(街角)景気が上がっていると感じるか、下がっていると感じるか?」という質問なら答えられる。嫌らしい言葉で誘導したいのかも知れないが「景気」を「アベノミクス」と言い換えるのは無茶である。
次のニュースでは「需要を喚起して、デフレを脱却しよう」と来た。細かいことは憶えていないのだが「需要を喚起して、経済のパイを拡げよう」とするべきところで、「経済のパイ」の代わりに「デフレ脱却」という言葉が飛び出したのだ。デフレ脱却とは、モノの値段が上がるという意味である。景気とは直接的には関係ない。インフレだから景気が良いとか、デフレだから景気が悪いとかの因果関係は無い。
面白いのは、次に安倍総理が携帯電話の値下げを要請する話しが来た。すかさず古舘は「携帯電話で浮いたお金で、景気も良くなります」と来た。前のニュースで「デフレ脱却」=「景気上昇」と仄めかしていた癖に、携帯料金はデフレ(値段が下がる)でもよいらしい。都合の良い解釈というか、節操の無さは流石である。
全体を通して筋が通っていないし、経済の事を理解していないかのような番組作りであった。というよりも、わざと変わった用語を用いて、視聴者を洗脳しようとしているのかも知れない。賢明な視聴者は注意して欲しい(というか、賢明な視聴者が報道ステーションをまじめに見るとは思えない、むしろそもそも報道ステーションにチャンネルを合わせないだろう)。
さらなるお笑いが待っていた。積水によるマンションの偽装のニュースだが、古舘の横に座っていた憲法学者のコメントがアホ過ぎて笑えるのだ。マンション偽装は住居権の侵害であり、憲法問題であるそうだ。御承知の様に、憲法は国と国民との間の問題を規定するものであり、民間と個人の間の問題は民法で解決するべき問題である。マンションの設計偽装は、民法問題であり、憲法問題ではない。しかし、エライ憲法学者には、当問題が憲法問題に映るようだ。国はマンション住民の住居権を侵害したと。偽装を確認する天下り先でも作って、ディベロッパーのプロジェクトは全て国が監視せよ、という意味なのだろうか?国がすみずみまでコントロールする夜警国家でも作りたいのかも知れない。借金漬けの我が国に、そんなに警察を置く余裕はない。
こういうお茶らけた番組を、真剣なまなざしで批判もせずに見ている人がいると考えると、鳥肌が立つ。或いは、多くの人は私と同じように茶化しながらこの番組をみているだけだろうか?
まず番組の冒頭で、「アベノミクスの勢いが上がっているのか、下がっているのか?」という質問を街角で聞いていた。この質問の意味が私には理解できない。アベノミクスという物は上がったり下がったりするものなのだろうか?主語のアベノミクスの定義が曖昧である。「昨今の(街角)景気が上がっていると感じるか、下がっていると感じるか?」という質問なら答えられる。嫌らしい言葉で誘導したいのかも知れないが「景気」を「アベノミクス」と言い換えるのは無茶である。
次のニュースでは「需要を喚起して、デフレを脱却しよう」と来た。細かいことは憶えていないのだが「需要を喚起して、経済のパイを拡げよう」とするべきところで、「経済のパイ」の代わりに「デフレ脱却」という言葉が飛び出したのだ。デフレ脱却とは、モノの値段が上がるという意味である。景気とは直接的には関係ない。インフレだから景気が良いとか、デフレだから景気が悪いとかの因果関係は無い。
面白いのは、次に安倍総理が携帯電話の値下げを要請する話しが来た。すかさず古舘は「携帯電話で浮いたお金で、景気も良くなります」と来た。前のニュースで「デフレ脱却」=「景気上昇」と仄めかしていた癖に、携帯料金はデフレ(値段が下がる)でもよいらしい。都合の良い解釈というか、節操の無さは流石である。
全体を通して筋が通っていないし、経済の事を理解していないかのような番組作りであった。というよりも、わざと変わった用語を用いて、視聴者を洗脳しようとしているのかも知れない。賢明な視聴者は注意して欲しい(というか、賢明な視聴者が報道ステーションをまじめに見るとは思えない、むしろそもそも報道ステーションにチャンネルを合わせないだろう)。
さらなるお笑いが待っていた。積水によるマンションの偽装のニュースだが、古舘の横に座っていた憲法学者のコメントがアホ過ぎて笑えるのだ。マンション偽装は住居権の侵害であり、憲法問題であるそうだ。御承知の様に、憲法は国と国民との間の問題を規定するものであり、民間と個人の間の問題は民法で解決するべき問題である。マンションの設計偽装は、民法問題であり、憲法問題ではない。しかし、エライ憲法学者には、当問題が憲法問題に映るようだ。国はマンション住民の住居権を侵害したと。偽装を確認する天下り先でも作って、ディベロッパーのプロジェクトは全て国が監視せよ、という意味なのだろうか?国がすみずみまでコントロールする夜警国家でも作りたいのかも知れない。借金漬けの我が国に、そんなに警察を置く余裕はない。
こういうお茶らけた番組を、真剣なまなざしで批判もせずに見ている人がいると考えると、鳥肌が立つ。或いは、多くの人は私と同じように茶化しながらこの番組をみているだけだろうか?
9/08/2015
マイナンバー後の管理社会、日本:水清ければ魚棲まず
国はマイナンバーという制度を導入しようと企んでいるのだが、私はこの制度を非常に危惧している。不正使用などの話しをする人がいるが、そんな運営上の懸念はどうでも良い。私はマイナンバーの行きつく先、つまり「国が個人の経済活動を100%管理する」という未来に危機感を覚えている。導入方法次第では、我々の財布の中身がすべて国に筒抜けになるからだ。
軽減税率について、マイナンバーを使った還付すら考えているという。食べ物を買った際に10%の消費税を含む支払いをするが、後日にたとえば2%分が還付されるのだという。これに対して、「手続きが面倒だ」などという声が上がっているが、それは事のポイントが解っていない人たちの意見である。今回のニュースで判明した事は、国側は最終的に我々の買い物をすべてマイナンバーでデータベース化しようとしている訳だ。クレジットカードなどとマイナンバーを直結させれば良いだけの話なのだから。
これは二重の意味で恐ろしい。一つ目の懸念が大手の優遇である。大手スーパー、コンビニや百貨店はクレジットカードを使って軽減税率分の割引が効くが、零細小売店舗ではいちいち手続きをとる必要が出てくる。零細小売店のオポチュニティーコストは上がってしまう。或いは、クレジットカードなどを取り扱っていない零細小売店は商売にならないので、クレジットカード端末を導入せざるを得ない。それも零細小売店のコストの値上げに他ならない。大手は結果として国から優遇を受け、「規模の経済」プラス「社会的優遇」という、無敵のシールドを手に入れることが出来る訳である。
日本では、中小零細は税制で今まで「優遇」されてきた。中小零細のオーナーであれば、額面通りに税金を払う必要がなかったし、色々な経費も認められてきた。しかも、日本は現金社会であり、政府にばれないように人を雇用したり、取引をしたりするのが比較的簡単である。ただ、その程度の優遇がなければ、規模の経済を保つ大手企業には太刀打ちできない。しかし、そういった非特定財源への「優遇」を面白くないと思っており、公平を良しとする国側のアクションは、中小零細の繁栄を蝕むことになるだろう。日本の街がアメリカなどと比べて面白い一つの理由が、中小零細の店舗が充実している事にある。こういった日本の良さを殺し、コンビニとスーパーとチェーン店舗だらけの糞面白くない街を作ろうとしているのだ。まあ、既に時遅しという感じもしないでもないが。
次の問題は政府が個人の自由を侵害する事である。我々の収入や歳出に、国が過度に関わってくるという事実そのものが、私は気に入らない。税金を払ったり、色々な公的サービスそのものにも、私は疑問を感じるのだが、今回のマイナンバーは一線を超えていると思う。経済を上手く回すためには、「アホウな人が臨時収入でアホウな買い物をする」事が必要だ。クリスマスのギフトセールや、ボーナスでの買い物など、そういう無駄な消費が経済を回してくれるわけだ。即ち、会社のグレーゾーン経費での飲み会や、個人のへそくりによる支出や、商売人の伝票のちょろまかし、個人間の不明瞭なお金のやり取り。こういった物が経済の礎であるという事を私たちは決して忘れてはならない。杓子定規の役人のやり方は公平かも知れないが、人間の生活を杓子定規に載せると、私たちの生活は詰まらなくなる。
日本という国の地下経済は非常に大きい。ヤクザのしのぎとか、そういった話だけではない。個人経営の食堂や小売店などは脱税の温床である。だが、そういった人達がレクサスに乗ったり、百貨店でブランド物を買うから、経済は上手く回ってきたわけである。それを認めない霞ヶ関社会を認めたくはない。財布を国に常に監視されている国民が、経済活動を委縮させてしまう事が、何よりも怖いのである。それはまわりまわって、ゆっくりと皆さんの財布を直撃し、社会はもっと糞面白くなくなってしまう。私たちは自由意志で動く人間であり、檻の中で既存のペットフードを与えられている愛玩動物ではないのだ。
人々は安保法案や2%程度の消費税増税に怒り狂い、デモをする。こういったトピックは国会の議論の遡上に登る。しかし、マイナンバー制度が国民の議論となったという話を聞いたことがない。霞ヶ関は粛々とマイナンバー制度の導入を進めているし、大手企業が必死に自分たちの都合のよいようにマイナンバー制度を導こうとしている。政府は、効率を重視し、マイナンバーですべてを卒なく管理しようとしている。
国はソビエトのような管理社会を真剣に築こうとしているのではない事くらいは、誰でも解る。しかし、霞ヶ関のエリートが優秀なロボット役人を使って粛々とデータベース管理をすると、清き水に魚は住まぬ、という状態になるだろう。我々の経済活動は委縮してしまう。しかも財務省は、マイナンバー制度の運用を国民の手の届かない所に置いており、国の都合のよいように、どうとでも制度運用を変えられる。そもそも論だが、税制などは税務署員の胸先三寸で、どうとでも出来る(見解の相違)のだ。
マイナンバー制度がきちんと運営される事により、私たちは「自発的に」自由な経済活動を阻害される事になる。国から個人の自由を守るためにも、マイナンバー制度の運用に目を光らせる必要がある。個人の自由の侵害を認めてはならない。自由を侵害されていると憤る活動家は、安保や原発はどうでも良いので、こういった事にもっと力を入れるべきだ。どの政党に投票すればマイナンバー制度に歯止めをかけてくれるのか?私は、そういう政党を全面的に支援する。歴史の教科書を読んで欲しい。社会を清く美しくしようとするような運動が、結果的におかしな社会の流れになってしまう事が多々ある。水は少し濁っているくらいが魚は喜び、生態系は上手く回る。
上述の理由でマイナンバー制度に反対すると、サラリーマンは既に給料は筒抜け。トーゴーサンの下々の不正野郎たちを懲らしめろ、といった意見を言われる事がある。識者も、マイナンバーに反対すると、不正をしているような印象を与えるので、敢えて話題に触れたがらない。私はこのブログで声を大にしてマイナンバー制度に反対する。日本社会の水は少しだけ濁っておいた方がいいじゃないか、と。
PS 余談だが、日本社会の根本的な問題点は、無料のサービスとか、物でお礼をするサービスとかが多すぎるところにあると思う。それが原因で、サービス内容の割に、料金が安すぎると思うのだ。人の労力や時間は無料であれ、という考え方が主流なのだと思う。そういうのにきっちりと対価を払えば、GDPは一気に一割くらい上がると思っている。欧米であればお金がかかるだろうな、と思うことが大概無料だから驚かされる。私もコンサルのような仕事を無料で頼まれたりすることもあり、面食らう。「申し訳ない。ちょっとお願いします。」アメリカなら数百ドルくらいチャージする業務を、饅頭一箱でやらされそうになった事が何回あるだろうか?こんなんだから、ワーキングプアーとか残業とかブラック企業とかいう問題が発生するのだ。マイナンバーなどやってないで、そういうところの意識改革からしていかなくては、経済云々以前の問題だと思うのだ。きっちりとした貨幣経済(サービスに対してきちんとした対価を払う社会)になってないから、GDPで経済の価値が測れないなどといった問題が発生し、反資本主義者たちに政治利用されるのだ。サラリーマンでも主婦でも公務員でも「ちょっとお願いします」の仕事からきっちりと対価を頂くべきだ。近所の子供やおばあちゃんの世話、人生相談、飲み会のセッティング。なんでも対価を頂くべきだ。それを懐の財布に入れて夜の街に繰り出し、「宵越しの金は持たねえ主義でござんす。給料以外の金をお上に計上する気は毛頭ございません」とか言って、パーッと使って欲しいものである。それこそが皆の望む「幸せの国」の形である。私は快楽主義を信じている。管理社会の到来を許してはいけない。
軽減税率について、マイナンバーを使った還付すら考えているという。食べ物を買った際に10%の消費税を含む支払いをするが、後日にたとえば2%分が還付されるのだという。これに対して、「手続きが面倒だ」などという声が上がっているが、それは事のポイントが解っていない人たちの意見である。今回のニュースで判明した事は、国側は最終的に我々の買い物をすべてマイナンバーでデータベース化しようとしている訳だ。クレジットカードなどとマイナンバーを直結させれば良いだけの話なのだから。
これは二重の意味で恐ろしい。一つ目の懸念が大手の優遇である。大手スーパー、コンビニや百貨店はクレジットカードを使って軽減税率分の割引が効くが、零細小売店舗ではいちいち手続きをとる必要が出てくる。零細小売店のオポチュニティーコストは上がってしまう。或いは、クレジットカードなどを取り扱っていない零細小売店は商売にならないので、クレジットカード端末を導入せざるを得ない。それも零細小売店のコストの値上げに他ならない。大手は結果として国から優遇を受け、「規模の経済」プラス「社会的優遇」という、無敵のシールドを手に入れることが出来る訳である。
日本では、中小零細は税制で今まで「優遇」されてきた。中小零細のオーナーであれば、額面通りに税金を払う必要がなかったし、色々な経費も認められてきた。しかも、日本は現金社会であり、政府にばれないように人を雇用したり、取引をしたりするのが比較的簡単である。ただ、その程度の優遇がなければ、規模の経済を保つ大手企業には太刀打ちできない。しかし、そういった非特定財源への「優遇」を面白くないと思っており、公平を良しとする国側のアクションは、中小零細の繁栄を蝕むことになるだろう。日本の街がアメリカなどと比べて面白い一つの理由が、中小零細の店舗が充実している事にある。こういった日本の良さを殺し、コンビニとスーパーとチェーン店舗だらけの糞面白くない街を作ろうとしているのだ。まあ、既に時遅しという感じもしないでもないが。
次の問題は政府が個人の自由を侵害する事である。我々の収入や歳出に、国が過度に関わってくるという事実そのものが、私は気に入らない。税金を払ったり、色々な公的サービスそのものにも、私は疑問を感じるのだが、今回のマイナンバーは一線を超えていると思う。経済を上手く回すためには、「アホウな人が臨時収入でアホウな買い物をする」事が必要だ。クリスマスのギフトセールや、ボーナスでの買い物など、そういう無駄な消費が経済を回してくれるわけだ。即ち、会社のグレーゾーン経費での飲み会や、個人のへそくりによる支出や、商売人の伝票のちょろまかし、個人間の不明瞭なお金のやり取り。こういった物が経済の礎であるという事を私たちは決して忘れてはならない。杓子定規の役人のやり方は公平かも知れないが、人間の生活を杓子定規に載せると、私たちの生活は詰まらなくなる。
日本という国の地下経済は非常に大きい。ヤクザのしのぎとか、そういった話だけではない。個人経営の食堂や小売店などは脱税の温床である。だが、そういった人達がレクサスに乗ったり、百貨店でブランド物を買うから、経済は上手く回ってきたわけである。それを認めない霞ヶ関社会を認めたくはない。財布を国に常に監視されている国民が、経済活動を委縮させてしまう事が、何よりも怖いのである。それはまわりまわって、ゆっくりと皆さんの財布を直撃し、社会はもっと糞面白くなくなってしまう。私たちは自由意志で動く人間であり、檻の中で既存のペットフードを与えられている愛玩動物ではないのだ。
人々は安保法案や2%程度の消費税増税に怒り狂い、デモをする。こういったトピックは国会の議論の遡上に登る。しかし、マイナンバー制度が国民の議論となったという話を聞いたことがない。霞ヶ関は粛々とマイナンバー制度の導入を進めているし、大手企業が必死に自分たちの都合のよいようにマイナンバー制度を導こうとしている。政府は、効率を重視し、マイナンバーですべてを卒なく管理しようとしている。
国はソビエトのような管理社会を真剣に築こうとしているのではない事くらいは、誰でも解る。しかし、霞ヶ関のエリートが優秀なロボット役人を使って粛々とデータベース管理をすると、清き水に魚は住まぬ、という状態になるだろう。我々の経済活動は委縮してしまう。しかも財務省は、マイナンバー制度の運用を国民の手の届かない所に置いており、国の都合のよいように、どうとでも制度運用を変えられる。そもそも論だが、税制などは税務署員の胸先三寸で、どうとでも出来る(見解の相違)のだ。
マイナンバー制度がきちんと運営される事により、私たちは「自発的に」自由な経済活動を阻害される事になる。国から個人の自由を守るためにも、マイナンバー制度の運用に目を光らせる必要がある。個人の自由の侵害を認めてはならない。自由を侵害されていると憤る活動家は、安保や原発はどうでも良いので、こういった事にもっと力を入れるべきだ。どの政党に投票すればマイナンバー制度に歯止めをかけてくれるのか?私は、そういう政党を全面的に支援する。歴史の教科書を読んで欲しい。社会を清く美しくしようとするような運動が、結果的におかしな社会の流れになってしまう事が多々ある。水は少し濁っているくらいが魚は喜び、生態系は上手く回る。
上述の理由でマイナンバー制度に反対すると、サラリーマンは既に給料は筒抜け。トーゴーサンの下々の不正野郎たちを懲らしめろ、といった意見を言われる事がある。識者も、マイナンバーに反対すると、不正をしているような印象を与えるので、敢えて話題に触れたがらない。私はこのブログで声を大にしてマイナンバー制度に反対する。日本社会の水は少しだけ濁っておいた方がいいじゃないか、と。
PS 余談だが、日本社会の根本的な問題点は、無料のサービスとか、物でお礼をするサービスとかが多すぎるところにあると思う。それが原因で、サービス内容の割に、料金が安すぎると思うのだ。人の労力や時間は無料であれ、という考え方が主流なのだと思う。そういうのにきっちりと対価を払えば、GDPは一気に一割くらい上がると思っている。欧米であればお金がかかるだろうな、と思うことが大概無料だから驚かされる。私もコンサルのような仕事を無料で頼まれたりすることもあり、面食らう。「申し訳ない。ちょっとお願いします。」アメリカなら数百ドルくらいチャージする業務を、饅頭一箱でやらされそうになった事が何回あるだろうか?こんなんだから、ワーキングプアーとか残業とかブラック企業とかいう問題が発生するのだ。マイナンバーなどやってないで、そういうところの意識改革からしていかなくては、経済云々以前の問題だと思うのだ。きっちりとした貨幣経済(サービスに対してきちんとした対価を払う社会)になってないから、GDPで経済の価値が測れないなどといった問題が発生し、反資本主義者たちに政治利用されるのだ。サラリーマンでも主婦でも公務員でも「ちょっとお願いします」の仕事からきっちりと対価を頂くべきだ。近所の子供やおばあちゃんの世話、人生相談、飲み会のセッティング。なんでも対価を頂くべきだ。それを懐の財布に入れて夜の街に繰り出し、「宵越しの金は持たねえ主義でござんす。給料以外の金をお上に計上する気は毛頭ございません」とか言って、パーッと使って欲しいものである。それこそが皆の望む「幸せの国」の形である。私は快楽主義を信じている。管理社会の到来を許してはいけない。
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アメリカ社会は言行不一致
日本社会では、「言行不一致」はモラルに悖る行為である。実行が伴わないまま、口から出まかせをいう事は非常に恥ずかしい。軽率に口から物を発するくらいであれば、寡黙を貫く事こそが美徳であるというような風潮さえある。学校に通う日本のちびっ子たちも、中学生に上がる頃には、このあたりの道徳観...
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日本人はイランの政権がどれだけヤバいのか、知らない人が多すぎる。 イランの話をすると、イラン人は良い人が多い、とか言う話をする人が一定数いる。こういうレベルの話になる時点で、それ以上話をしても不毛であるのだが、政府と市民は全く別の話である。 イランの現政権は、そういう良きペルシア...