2/29/2020

コロナ3:感染モデルを解っていない人のリスク分析

コンサル上がりの人が周りに結構いる。コンサル系の人たちの中には、知識が浅い癖に全て解ったような事を言う癖のある人が多い気がする。

余談だが、二流のコンサルや修士レベルの専門家の人たちは「合成(マクロ)の誤謬」を理解していない人たちが多く、木を見て森を語りたがる人が結構いる。ミクロのケースを積み上げてマクロに応用することは危険を伴う。何故なら、見えていないことや、波及効果を見落とすので、ミクロの合計が必ずしもマクロの数字と一致しないのである。この手の押しの強い人たちと喋っていると、正直しんどい。そういう人たちに「もうちょっと勉強してください」みたいな事を正直に話すと、大体喧嘩になる。閑話休題。

今回、コロナウイルスについてのリスク分析を元に、インフルエンザと変わらないのに、みたいな話をする人が周りに結構いる。厚労省や内閣のリーダー層も、基本認識としてはコロナ問題は騒ぎ過ぎと思っている節がある。この人たちのポイントは、インフルエンザの死者数とコロナの死者数を比べているだけだ。

リスクの公式が、f(感染者数X感染率X感染した時の致死率)みたいな小学校3年生くらいの公式で説明しようとする。世の中がそれだけ単純であれば嬉しいと思う。そして、新型ウイルスがインフルエンザ程度のインパクトであれば非常にうれしい。

だが、実際にリスクを考える際のファンクションはもっと複雑なはずである。基本的にはエクスポネンシャルファンクション系、あるいはシグモイド曲線のタイムシリーズ&スぺ―シャル分析になってしまう。変数としては都市の人口密度、気温、湿度、人口分布などの社会情勢はもとより、ウィルスの感染力、致死率など、様々な事を入力する必要が出てくる。そして、気付かれると思うが、ウイルスに関する変数は信用できないか不明であるのだ。それであれば、モンテカルロみたいなものを当て嵌めてセンシビティーの範囲を示すような感じになるが、結果は大きくぶれてしまうのだ。第一、この病気は治癒可能なのかどうか(つまりヘルペスやHIVのケース)、二度目の感染があるのかどうか(つまりデング熱ケース)、こういったことも含めて信用に足る情報はまだない。

まともな大学の専門家は、ある程度の数字をはじき出しているはずなので、オープンソースなどに発表して、喧々諤々議論し、それらの数字を元に政策は立案されるべきだ。

ほとんど情報がない中で、可塑性の状況も捨てきれない中で、楽観的なリスク評価を元に行動することには疑問が残る。データ蓄積をある程度していくうちに実証的に楽観的になるのと、浅学寡聞な連中が地元のヤンキーのような勇ましさを示すのとでは意味が違うと思うのだ。似非専門家がテレビに頻繁に出てくるが、解らないことは解らないと言ってほしい。


コロナ2:経済崩壊とその対策

2006年末ごろから始まったアメリカの住宅市場の傾きが、2007年ごろには徐々にサブプライム問題として金融業界に波及し、2008年には所謂リーマンショックと言われるような世界経済危機を引き起こした。この一連の流れは、信用収縮を引き起こし、住宅、車、設備投資などが委縮した。よって、金利を下げて、資金を大量に市場に放出するという対策がとられた。

新型コロナウイルスが武漢、中国全体、東アジア地域と拡がった。いよいよ大陸を超えて、欧州、中東や北米でさえも新型コロナ問題を市民が真摯に受け止める事態になっている。無症状のうちにも感染力がある当ウイルスは目に見ないため、疑心暗鬼となった市民が他社と交わる行動を自粛させることにより、実体経済が急激に委縮することが予想される。

米国の株価指数は軒並み急激かつ大幅に下落し、調整区域(ピークから1割以上下がる)に入っている。3月に入って、ベアマーケット区域(ピークから2割以上下がる)に入るのかどうかが試される状態となっている。

そこで、FEDが利率を下げればよいという話になっているが、意味が解らない。利率を下げても、新型コロナウイルスの問題は何も解決しないからだ。利率が下がれば、会社の社長はビジネスクラスの飛行機でスイスのジュネーブで行われる会議に出席するのだろうか?東京のオフィス街での新年送迎会は行われるのか?民泊用の物件に人々が泊まるのだろうか?

今回の問題は日銀やFEDの出る幕ではなく、政府が具体的な経済対策をしないと大変なことになるだろう。

実体経済が悪くなって、株価が下がれば、不動産なども連れ安になるのは目に見えている。2020のオリンピックはもう無理だ。収入予想はすべて狂った。その先の、実質的に財政ファイナンスをしている国債の価格が、市場により大暴落したら、日本円も暴落し、ジエンドだ。そうならないように、自民党政権には頑張ってほしい。まあ、何度も書いているが、日本経済は既に詰んでいるので、いつかは絶対そうなるので、まあ、今回そういう最悪のシナリオがあっても大変困るとは言うものの、驚くことはないだろう。これは安倍さんのせいではないが、お尻を拭けるかどうか?あまり期待できない。

2/28/2020

コロナ1:PCR検査の問題、政策判断のためのデータを蓄積するべき

新型コロナウイルスの対処を見ていると、薄々皆が気付いていたことだが、自民党及び行政府が構造的に想定外の危機問題をハンドルできないという事が露呈したと思う。ダイヤモンドプリンセス号の対応は赤点レベル。検疫業務という既存の体制や法律が優先されたために、隔離の目的がブレてしまう大失態が生じた。感染者を拡げないのが目的なのか、感染者を上陸させないことが目的なのか?挙句の果てには、ウイルスに感染リスクがあるにもかかわらず、時間が経ったというだけで乗客と乗員を上陸させている。意味不明である。「現場は頑張っている」などという話は、その通りである。いつか辿った80年前に経験した大失敗のケースと同じである。ポイントはそこではないのだ。隔離の目的は医薬・生活衛生局検疫業務管理室のガイドラインの手順を順番にチェックして法的に粗相がないようにすることだったのでは、と皮肉ってしまう。カンボジアの対応を笑えないレベルである。

適正な数のPCR検査が日本で行われていないという批判が渦巻いている。肺炎にもなっていないのにPCR検査をしても仕方がないという意見が根強くある。それはそうなのだが、私はデータ収集と適切な政策を立案するという視点でPCR検査は積極的に行うべきだと思うのだ。それは臨床のためではなく、公衆衛生の政策作りのためである。

保険所では肺炎の症状がある人たちのPCR検査を淡々とすればよい。ただ、やるべきPCR検査がきっちりと行われていないという批判が渦巻いている。その理由について陰謀論を含め、様々な推測がなされている。1)SERSやMERSを経験していない日本において、厚生労働省には危機意識がなく、有事にもかかわらずキャパシティーがない。2)厚労省の人たちが感染研の利権構造や補助金を意識的か無意識的に忖度している。3)オリンピック開催を意識して、陽性の数をわざと低くしようとしている。4)検査の費用が高く、政府や地方自治体は予算をケチっている。これらの意図や制度上の不備に対して、PCR検査の擬陽性や偽陰性の出る確率が悪いといった問題を指摘する人もいるが、これはどんな検査でも生じる事であるし、トレードオフ関係の両者はベイズ確率理論で簡単に計算できる。そのような検査限界のリスクはきっちりと説明すればよいことであり、文系情報弱者のための適当な言い訳としか思えない。

自民党政権により、日和見的な後手後手の政策が色々実行されてきた。学校の封鎖は本当に必要なのだろうか?私にはこの政策の是非を判断する指標がない。例えば実際に発表されている東京都の感染者数や死亡者数を実際の数字出ると想定した場合、今回の対策はやり過ぎであろう。つまり、このような対策が導入されたという事は、PCR検査をしていない陽性者が数多くいるという事を政府が隠しているに違いないという疑心暗鬼を呼ぶことになる。どのくらい陽性の人たちが街中にいるのか?私には解らず、私の行動は無意味に制限されることになる。

社会学的な立場からすると、政策を立案するのであれば政策判断出来うるデータを提供するべきだと思う。無作為で通勤電車の一両丸々選んだり、新橋駅前で無作為に200人くらいに協力を求めて、PCR検査を全員にすればよい。これはクラスター検査の類であるが、それで何パーセントくらいの人間が感染しているかの数字を出し、首都圏の無症状感染者数を推計してはどうだろうか?

もしかすると、ほぼ0パーセントの可能性もある。逆に10%とか悪い数字が出てくる可能性もあろう。自民党の意味不明なその場しのぎの判断は疑心暗鬼を生むだけであるが、数字さえ出してくれれば、国民は自分で自分たちの行動をきっちりと判断できると思う。10%も感染者がいるのであれば、自分は有給をしばらく取る。このレベルであれば会社に行く。こういった判断を国民にさせてほしい。

何故この程度の政策や対処法が出てこないのか?霞ヶ関は言われることを言われたままするだけ、自民党の政治家はただの馬鹿、専門家たちは世間知らずなのだろう。

まあ、どうせ日本は既に詰んでいるのだから、何をしても無駄な感があるが、ここまで腑抜けだと怒りを通り越して可哀そうになってくる。


1/22/2019

厚労省の統計問題

労働統計において、厚労省が法律で定められている全数調査(センサス)ではなく、東京都ではサンプル調査を勝手に行ったという問題がニュースを賑わせている。

霞が関が法律に従っていないという事が問題であるが、サンプル調査をしたので数値が低くなったと言っているのは意味不明である。もし、適切に処理をしていれば誤差はあるだろうが推定値が低くなるようなバイアスが起こることはあり得ない。数値が低かったのだとすれば、推定方法に問題があるのであって、統計部の分析能力を根本的に信用できない問題という事になってしまう。

サンプル調査により推計値が低くなるような統計処理とはいったいどのような物であったのか?私としては、これをきっちりと説明してほしい。

12/07/2018

縁故資本主義の自民党を倒す方法。正しい移民の受け入れ方。

外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理法が議会を通過した。山本太郎議員が「これに賛成票を投じた議員は保守を名乗るな」と言っているが、その意見自体はもっともだと思う。

縁故資本主義を標榜する自民党を倒したければ、「本当の保守」ゲームを実行すれば良い。つまりは、トランプが行ったインチキ選挙運動を模倣すれば良いのだ。田舎や都会の低所得者をターゲットに、「移民をこれ以上入れるな、日本の心を本当に守ろう。安部はグローバリズム主義者です!」という運動を真剣に行えば、次の次の選挙で絶対に勝てる。この運動の音頭を取る人は、敵を大量に抱える必要があり、ピエロに徹する必要があり、残りの人生をあまり楽しめないだろう。しかし、リターンは無茶苦茶大きいと思う。

自由主義者の私は移民を大量に受け入れ、移民に日本人並みの責任や負担を敷いた上で、同等の権利を与えることに賛成です。よって、そういう政党には投票しません。

移民を受け入れるのであれば、現実的に、色々なものを抜本的に変える必要が出てくるだろう。税のとりっぱぐれを防ぐためにも、固定資産税や消費税を増税することは必須になる。住宅の固定資産税を上げると、住民の流動化が起き、閉鎖的なコミュニティー問題が解決するだろうし、空き家問題もなくなる。また、金のない昔から住み着いている住人や会社を東京や大都市の中心から追い出すことができる。義務教育制度は抜本的に変える必要があるだろう。言うまでもなく、保険や医療などは今の改革以上のものが求められる。地方自治体が権限を持っているもので、一元化したほうが効率的なものをどんどんと一元化し、逆なものはどんどんと地方自治体に権限を移す必要も出るだろう。警察の捜査権や逮捕権にもガイドラインを作り、犯罪を犯したような移民を「始末」する方法はきちっと考える必要があるだろう。

自由主義者も保守主義者も、そこまで根性のある人がいないので、結局自民党がのさばってしまうというのが日本という国の国体なのだろう。しかし、日本という国は自民党のもとにすでに「オールド・ジャパニーズ・ファースト」が完全に出来上がっている気もする。今回の法案は言ってしまえば、奴隷を合法的に増やそうという事に他ならないからだ。

11/24/2018

「滞留許可を持たない外国人」のことを「移民」と表現するフェイクニュース

NHKや朝日テレビなどのニュースを見ていると、グアテマラなどの中南米からアメリカに難民申請を企てようとどさくさに紛れて棚から牡丹餅を目論む人々の話題が頻繁に報道されている。そういった人たちに「移民」という肩書を付けているのだが、あの人たちは「移民(Immigrant)」ではない。アメリカで難民申請をしようとしているかもしれないが、アメリカからすると、ただの「外国人」である。アメリカの国境を跨いでもいない。

もし仮に、これらの外国人がアメリカに入国した場合、ドキュメントがそろっている場合は「外国人訪問者(Foreign Visitor)」であり、ドキュメントがない場合は「滞在許可のない外国人(Undocumented Allien)」となる。

誰でも理解できることだと思うが、外国人が日本に来ても移民ではない。「旅行者(Tourists)」や「留学生(Foreign Students)」のことを移民とは呼ばない。通常は、外国国籍のまま結婚などをして滞在許可を得たうえで長期滞在をしている外国人を初めて移民と呼ぶ。滞在許可を持たないまま長期滞在している人たちは滞在許可のない外国人であり、つまりは不法入国者であるが、移民ではない。

このあたりのことはもう少し整理されるべきだと思う。不法移民などといった不明な用語を使うのは、米国民主党左派やヨーロッパの左派系の世界市民的な感覚に毒された語彙選択だと思う。

ネオナチ以外は、滞在許可を受けて外国に長期滞在している「移民」の人たちに文句を言っていない。文句を言っている対象は、不法入国して滞在許可のないまま住み着いたり、住み着く算段をもって入国する「外国人」に対してである。「あわよくば」と法を犯している滞在許可のない外国人たちのことを移民と呼称することは、法に則り正規の手続きを踏んだ上で社会の一員となっている移民の人たちにとって、あまりにも失礼だと考える。



8/27/2018

タトゥー禁止問題:気に入らないからと人の権利を弾圧する人たち

銭湯やサウナは、「ヤクザのご入浴をお断りします」と書きたい。だが、そのような生々しい表現は使いたくない。そこでオブラートに包んで「入れ墨を彫っている人のご入浴を禁止します」というような曖昧な表現が確立してしまった。

で、そういったルールにやたらと反応するモラルポリ―ス(道徳警察)或いは風紀委員がいる訳だ。そういった連中が、ちょろっとオシャレか何かでタトゥーを繍れている人まで攻撃する。態々、店の店主とかにチクって「入れ墨入れている人がいるが、風紀が乱れるので何とかして欲しい」などと言いに行く。会社の本部に電話して文句を言ったりする。

店主はお客に言われた事を無礙にできない。刺青が入っている確率と、柄が悪い奴が多い確率は確かに相関関係がある。正義感に燃える店主は、不必要な「入れ墨禁止!」とかのサインを目のつくところに張り出す。それを見た客は完全に洗脳されて「浴場に刺青をしている人がいるのはモラルに反する」とか思い込む。

しょうもない張り紙をする事に違和感を覚えるが、もし何かを書くのだとすれば、銭湯やサウナのオーナーは堂々と「ヤクザや反社会勢力の方の入場を禁止します」と書くべきだ。繁華街のサウナなんかはそういう表現になっている。

直接迷惑をかけるような人に文句を言うのは当たり前である。しかし他の人の行動が気に入らないと文句を垂れるのであれば、公衆の場に行くべきではない。たかだか一人の客が、他の人の権利を狭める権利などない。

タトゥー禁止、犬を入れるな、ベビーカーお断り、エスカレーターを歩くな、電車で化粧をするな・・・大きなお世話である。公衆の場で、気に入らないからと人の権利を勝手に禁止する権利など誰にもない筈だ。公共の場で他人の権利を弾圧できると思っている奴らが日本には多すぎる。

嫌ならテメェがするな。他の人が何をやってても、それは他人の勝手です。見たくないなら、金を払ってプライベートクラブに行くなり、タクシーに乗るなり、プライバシーを金で買えばよい。公共の場で他人が気に入らないと喚くバカ。それに靡いて「禁止サイン」を張る馬鹿。いい加減にして欲しい。

サウジはポンコツ。何も出来ない

フーシ派がマユン島を占領して、紅海の入り口をコントロールしており、ムハンマド・ビン・サルマーン(MBS)がトランプに米軍がフーシを攻撃するように要請したとのニュースが流れた。トランプは断ったという。このニュースを受けて、原油は暴騰。 サウジはアラブ諸国の雄じゃないの?このくらい、...