2/28/2020

コロナ1:PCR検査の問題、政策判断のためのデータを蓄積するべき

新型コロナウイルスの対処を見ていると、薄々皆が気付いていたことだが、自民党及び行政府が構造的に想定外の危機問題をハンドルできないという事が露呈したと思う。ダイヤモンドプリンセス号の対応は赤点レベル。検疫業務という既存の体制や法律が優先されたために、隔離の目的がブレてしまう大失態が生じた。感染者を拡げないのが目的なのか、感染者を上陸させないことが目的なのか?挙句の果てには、ウイルスに感染リスクがあるにもかかわらず、時間が経ったというだけで乗客と乗員を上陸させている。意味不明である。「現場は頑張っている」などという話は、その通りである。いつか辿った80年前に経験した大失敗のケースと同じである。ポイントはそこではないのだ。隔離の目的は医薬・生活衛生局検疫業務管理室のガイドラインの手順を順番にチェックして法的に粗相がないようにすることだったのでは、と皮肉ってしまう。カンボジアの対応を笑えないレベルである。

適正な数のPCR検査が日本で行われていないという批判が渦巻いている。肺炎にもなっていないのにPCR検査をしても仕方がないという意見が根強くある。それはそうなのだが、私はデータ収集と適切な政策を立案するという視点でPCR検査は積極的に行うべきだと思うのだ。それは臨床のためではなく、公衆衛生の政策作りのためである。

保険所では肺炎の症状がある人たちのPCR検査を淡々とすればよい。ただ、やるべきPCR検査がきっちりと行われていないという批判が渦巻いている。その理由について陰謀論を含め、様々な推測がなされている。1)SERSやMERSを経験していない日本において、厚生労働省には危機意識がなく、有事にもかかわらずキャパシティーがない。2)厚労省の人たちが感染研の利権構造や補助金を意識的か無意識的に忖度している。3)オリンピック開催を意識して、陽性の数をわざと低くしようとしている。4)検査の費用が高く、政府や地方自治体は予算をケチっている。これらの意図や制度上の不備に対して、PCR検査の擬陽性や偽陰性の出る確率が悪いといった問題を指摘する人もいるが、これはどんな検査でも生じる事であるし、トレードオフ関係の両者はベイズ確率理論で簡単に計算できる。そのような検査限界のリスクはきっちりと説明すればよいことであり、文系情報弱者のための適当な言い訳としか思えない。

自民党政権により、日和見的な後手後手の政策が色々実行されてきた。学校の封鎖は本当に必要なのだろうか?私にはこの政策の是非を判断する指標がない。例えば実際に発表されている東京都の感染者数や死亡者数を実際の数字出ると想定した場合、今回の対策はやり過ぎであろう。つまり、このような対策が導入されたという事は、PCR検査をしていない陽性者が数多くいるという事を政府が隠しているに違いないという疑心暗鬼を呼ぶことになる。どのくらい陽性の人たちが街中にいるのか?私には解らず、私の行動は無意味に制限されることになる。

社会学的な立場からすると、政策を立案するのであれば政策判断出来うるデータを提供するべきだと思う。無作為で通勤電車の一両丸々選んだり、新橋駅前で無作為に200人くらいに協力を求めて、PCR検査を全員にすればよい。これはクラスター検査の類であるが、それで何パーセントくらいの人間が感染しているかの数字を出し、首都圏の無症状感染者数を推計してはどうだろうか?

もしかすると、ほぼ0パーセントの可能性もある。逆に10%とか悪い数字が出てくる可能性もあろう。自民党の意味不明なその場しのぎの判断は疑心暗鬼を生むだけであるが、数字さえ出してくれれば、国民は自分で自分たちの行動をきっちりと判断できると思う。10%も感染者がいるのであれば、自分は有給をしばらく取る。このレベルであれば会社に行く。こういった判断を国民にさせてほしい。

何故この程度の政策や対処法が出てこないのか?霞ヶ関は言われることを言われたままするだけ、自民党の政治家はただの馬鹿、専門家たちは世間知らずなのだろう。

まあ、どうせ日本は既に詰んでいるのだから、何をしても無駄な感があるが、ここまで腑抜けだと怒りを通り越して可哀そうになってくる。


0 件のコメント: