6/24/2017

霞が関の官僚とは?

文科省問題で、霞が関の官僚について色々言われている。官僚とは、内閣府や大臣に統制された国の行政のトップを担う人たちである。官僚の仕事は「法律」に則り、粛々と国の業務を執行することである。逆に、官僚は立法府の仕事は本来するべきではない。法律を作ったり、国の大枠を決めたりする事は、三権分立という考え方が正しければ越権行為に当たる筈である。ただ国会議員やその子分たち(秘書など)が余りにも無能な上に資源を持たないため、本来であれば行政府に特化するべき官僚たちが立法府を手助けする仕事をやらざるを得ないという懐事情に日本の悲劇があるのだと思う。この話は別の機会に深く追求したい。

私にも官僚の友人たちが少なからずいるし、仕事上、霞が関の官僚たちと話す機会は多い。で、思う事なのだが、マスコミで思い描かれているような優秀な人は五人に一人くらいで、五人に四人くらいは普通の人材である。まあ、五人に一人優秀な人がいれば凄いとも言える。そして極稀に、とてつもなく優秀で、官僚にしておくのは勿体ないような「切れる人材」に出くわす。私が考えるに、真相のところ、官僚の仕事に切れるような優秀さは必要ないと思うのだ。そういう人たちが民間に行き、日本の生産性に貢献してほしいなあと思う。

官僚にとって必要な能力は三つある。1)事務処理能力、2)コミュニケーション能力、そして3)現実認識能力である。キャリアの官僚は一種国家公務員試験をこなしているので、個人差はあれ、必要最低限の事務処理能力はほぼすべての人達が有しているといっても過言ではない。ただ、コミュニケーション能力に劣る人たちが多々見受けられる。官僚に求められるコミュニケーション能力というのは、プレゼン力などではなく、的確に質問等に答える必要があるという事だ。つまり、きっちりと宿題をし、的確な情報を的確に伝えるという事である。が、質問をする相手が、事情を知らない人たちであることも多々あるため、多種多様なシチュエーションに会ったコミュニケーション能力が求められる。勉強に集中し過ぎていたせいか、事務処理能力は高いが、コミュニケーション能力が極端に落ちる官僚というのを偶にではあるが、見かける。最後に、現実認識能力である。これが無いと、大変しんどい。色々な事情を想定するのだが、法律の裏の歴史背景や、議員同士の力関係、実際の社会の動きなど、一連のビッグピクチャーが解らなければ、仕事の優先順位付けなどが出来ない。所謂「匙加減」なども、こういったスキルに裏打ちされてくる。周りが見えない人は、事務だけができる仕事のできない官僚に成り下がってしまう。こういう人たちの中には、周りが見えないが故に、省内政治にばかり関心がいってしまったりする。典型的な落ちこぼれ官僚になってしまう。そういう人は、休み時間にラジオ体操して、冷房を切った部屋で残業をしていれば良い。

私は国会議員やその腰巾着のような人たちの多くを馬鹿にしている。色々な人と会ってきたが、馬鹿な人や、ぶっ飛んだ人が余りにも多い。一方で、私は官僚の人達の多くをリスペクトしている。あまりぶっ飛んだ人には会った事がない。ただ、日本の悪の根幹が官僚制であることもまた事実であり、何らかの改革を施していかないと、日本の将来が危ないと危惧している。

霞が関の問題点は、オーバースペックの人達がアホな立法府の意思を行政に完璧に反映させ過ぎていることにあると思うのだ。私は、以下の二点だけを改革すれば、8割くらいの問題が解決すると思うのだ。1)税収に見合った適度なサービス。立法府との完全な切り離し。2)出たり入ったりを可能にし、能力に見合った給料を払う。という事に尽きると思うのだ。このあたりの事は何度かブログにも書いているが、長くなるのでまたの機会に論じたい。

5/07/2017

社会主義の足音(2):教育の無償化

社会の長期的な成長を促進するものとして「教育」が大切であることは論を俟たない。しかし、ここでいうところの教育とは「学歴」ではない。労働者の生産性を高めるために施されるものである。

「大学を卒業した人の方が高卒の人よりも給料が良いので、全員が大学に行くべきだ」などという陳腐な意見を述べる識者を良く見かける。これは相対性の問題である。大学卒業した人が高卒の人に比べて良い仕事が貰えるのであるから、良い給料が与えられている、と考えるのが普通だろう。もし、全員が大学を卒業したとすると、大卒者同士の競争で、給料が高い人と低い人が出てくるのだと思う。社会のパイはある程度決まっているので、そのパイを取り合うときの手段として学歴が用いられているのだ。マクドナルドやコンビ二で働く人は絶対に必要なわけで、そういう人が無駄に学歴をつけている社会というのは、働くべき人が四年間非生産的な事をする社会である、という事になる。学歴はイノベーションを産むものではなく、むしろ社会の無駄な「官僚制」を助長することになる。

日本という国家のためには、人々のイノベーションを助長し、社会を革新的に変えていくような教育が必要である。こういった教育には、莫大な資源が必要となる。「学童」に知識だけでなく、経験などを積ませるような教育は、無茶苦茶高くつくのだ。また、キャパシティーが足りない人にこういった教育を施すことは資源の無駄になる可能性が高い。

教育に関しては、私たちは「質」の話をする必要がある。一年間に十数万円を子供に配って全員高校または大学を卒業させる。その程度のお金で受けられる教育など、たかが知れている。むしろ、そういった事で、伸びる要素があるにも関わらずほかの生徒と「平等」に無駄な授業を受けさせられる学童が可哀そうでならない。

教育こそが自由であるべきものであるし、教育を受けない自由もあってしかりだと思う。社会にはエリートも必要であるし、コンビニの店員も必要なのだ。問題の少ないサラリーマンを増やすために、教育の無償化として相続税を上げるなど、「共産主義か?」と問いたい。

社会には、高学歴だが使い物にならない人たちが溢れている。無駄に大学院を卒業し、社会も経験した事の無いような使い物にならない博士号取得者とかが一杯いる。まあ、大学教育を無償化すれば、こういう人たちの仕事は作れるかもしれない。

いづれにせよ、国家がやることは、教育には介入しないという事である。イノベーションを産むような教育を作るためには自由に競争させるしかないと思うのだ。文部科学省とか、無意味なので潰せばよい。国家が教育を全面的にコントロールする国。それは全体主義の国だと思う。日本はそういう方向に行こうとしているのだろうか?

そして何よりも残念でならないのは、橋下徹や小泉進次郎といったリバタリアンの匂いがした連中たちが、この問題ではこぞって国家主義的なゴール設定をしていることである。いったい私はどの政治家を信用すればよいのだろうか?

4/20/2017

シアトルに凱旋したイチローのホームラン

私は2001年の春にシアトルにやって来た。イチローもその年にシアトルに来た。それ以来、私はセーフコフィールドに頻繁に通った。マリナーズは良いシーズンが少し続いた後、とても弱いチームになり下がった。チームの好不調に関係なくイチローはヒットを量産し、外野の守備で魅せてくれた。捻くれ者の私は、メインストリームが嫌いなことが多いのだが、イチローはメインストリームであり、私の中のヒーローである。

イチローこそが私のシアトル生活であったといっても過言ではない。アメリカで生活をすると楽しいことも多いが、それなりに辛いことも多い。そういった時、イチローの活躍に私自身が何度救われた事か解らない。日本人のイチローがアメリカで頑張っているのだから、私も頑張れるぞ、と。地元のアメリカ人からリスペクトを受けるイチローを見て、私は日本人だという事を誇りとしてきた。

イチローがヤンキースに移籍を決めたとき、私は心を砕かれた。そして翌年の春、私自身にも転換の機会が訪れ、シアトルにこだわることを諦め、米国の南部に行くことにした。冗談抜きにして、イチローがシアトルを去ったという事が、私自身の意思決定に多大な影響を及ぼした。ラッキーにも、私は一年半ほどでシアトルに帰ってくることができた。鈴木一朗のいないシアトル。私はセーフコフィールドに行くことは殆どなくなり、マリナーズの試合を見ることもなくなった。そして、いまだに私の机の上には、イチローのバボヘッド人形が並んでいる。

NL東地区のフロリダマーリンズがシアトルにやってくるのは6年に一回だけである。セーフコでの三戦目、私は仕事を朝一ですべて終わらせてセーフコへ行った。イチローさんのデュアルバボヘッド人形を貰った。スタントンの代わりに9番ライトフィルダーで出場しているイチロー。エリア51はイチローのものに決まってるじゃないか。イチローは白髪が増えた。そしてマーリンズの服を着ている。しかし、立ち振る舞いやバッティングスイング。イチローはイチローだ。

ただ、バッティングを見る限り、往年の鋭さはない。スイングしてもボテボテ。ヒットになった当たりも、運が良かったとしか言いようがなかった。衰え。言いたくはないが、そんな言葉が私の脳裏に過ぎる。イチローもそろそろ潮時かも知れない。

試合はヘルナンデスもボルケスもピリッとせず、ダレダレのゲームになった。試合が完全にダレてしまって帰る人も多かったが、9回の最後の打席にイチローが立つ。もしかすると、セーフコでイチローを見るのは最後となるかもしれない。むしろ、私にとって最後に見るイチローの打席になるかもしれない。三振するかも知れないし、ボテボテのゴロを打つかも知れない。何が起ころうと、イチローの最後の打席を見納めよう。

いつも通り屈伸し、バットを一回転させて伸ばすイチロー。5点差の試合で、勝負はついていた。球場に残った人たちの目的は、イチローの最後の打席を見送ることだ。綺麗な当たりのヒットくらいは打って欲しいな、と。「イ・チ・ロー、イ・チ・ロー!」いつもながらの応援が聞こえる。球場が総立ちでイチローに声援を送る。

マーシャルが投げた一球目、イチローはフルスイングした。ライナー性のあたり。エリア51の方向に飛んで行く。そして打球はそのままスタンドに吸い込まれた。球場は大歓声に包まれた。私は目の前で起こったことを信じることができなかった。野球の神様というものは本当にいるのかも知れない。イチローはまさに千両役者である。こんな終わり方があるだろうか?


熱いものが込み上げてきた。私の頭の中には2001年以降の色々な思い出が一気に噴き出した。もうあれから17年も経つのか?楽しいことも辛いことも一杯あった。英語もわからない若かった自分がセーフコフィールドでプレーするイチローに支えられてきた。イチローも年を取り、私も若いとは言えない年になった。イチローを見続けてきた自分。イチローは現役を続けるとは言っているものの、あれがセーフコでは最後のホームランであった公算が高い。信じたくないが、セーフコでの最後の打席であったのだと思う。イチローがいるからこそ、シアトルなんだ。私は、イチローのいるシアトルが大好きだ。イチロー去りし後のシアトル。私は米国を去り、日本に帰ろうと真剣に考えた。

3/22/2017

ワールドベースボールクラシック 日本対アメリカ

まあ、色々と言われている。日本人の投手陣は良いが打陣は全然だ、と。私もそう思うし、歴代のスタッツもそれを物語っている。アメリカに来る日本人打者も、ほとんどが力負けしている。松井秀樹とかは凄かったのだと改めて思う。イチローのように天才的にミートする事に照準を絞れれば、殿堂に入れるくらいの選手になるのだろうが、あんな選手は何十年に一度しか出てこないわけであり、田口、松井稼頭央、岩村や井口くらい活躍すれば凄い選手である。が、その他では川崎、城島、福留や青木を含め、パッとしない選手が連なってしまう。

まあ、AAAクラスの外国人が3割でホームランキングとか取れるのだから、日本野球の非力さは今に始まったことではない。

しかし、3月21日に行われた日本対アメリカの試合を見て、日本人打者の非力さを嘆くのは、少し違う気がする。西海岸ではボールは飛びにくい。さらに、LAにして珍しい雨。湿ったらホームランなどほとんど出なくなってしまう。実際、菅野と千賀が良かったという事もあるだろうが、アメリカの打線も沈黙していた。この特殊な条件での一試合を見ただけで、日本のスモールベースボールを否定する事には違和感を覚える。

ただ、アメリカと日本の野球の差があったことは確かだと思う。真剣に10回やれば、2、3回くらしか勝てないのではないだろうか?菅野も千賀も研究されれば打たれると思う。

まあ、ワールドベースボールクラシックが始まった2006年の時、アメリカのメンバーはかなり豪華だった。しかし、物見遊山気分で試合に挑み、二次予選で韓国と日本の愛国心の前に敗れてしまった。2009年と2013年にはふざけたメンバーで試合に臨む、やはり早期敗退してしまった。ただ、今回の布陣はかなりまともなメンバーだし、細かいしっかり野球が出来る連中を揃えてきた印象がある。

バムガーナー、カーショー、シンダーガード辺りが出てきてほしかったし、シャーザーに怪我なしで先発してほしかった。打に関してはハーパーやトラウトがいない事に文句を言う人もいるだろうが、無茶苦茶な豪華メンバーだと思う。アレナードやスタントン、マッカチャンが不調ではあれ、変えられないのは痛いが、好不調は誰にでもある。

アメリカの植民地であるプエルトリコはアメリカ相手に自国の旗の下で必死で戦うだろうが、アメリカにはベースボールの本家本元として面白い試合をしてほしいと思う。

3/09/2017

社会主義の足音(1):飲食店全面禁煙は国による個人営業権への介入

健康増進法改正案に、「飲食店では禁煙が原則禁止」などといった対策が盛り込まれるというのだ。国が民間の営業に介入するのは、自由主義の我が国においては憲法に抵触する可能性のある間違った考え方だと思う。この法律によって、小規模の個人経営の店の経営が大打撃を受ける可能性がある。国の政策によって大規模店舗に恩恵を与える事は、間違っている。日本は社会主義国ではない。

欧米では、建物内を基本的に禁煙にしている市町村が多々見受けられる(全てがそうではないという事に注意が必要)。これで不自由を感じたことは余りない。レストランやバーでは、喫煙者は店の外に行ってタバコを吸うか、テラス席などに陣取る事になる。欧米に行き、こういった風景を観察した日本人のエリート紳士淑女たちは、これこそが喫煙のあるべき姿だと考えて、日本でも同じような事をさせようと企んでいる。

アホか、と言いたい。日本の繁華街の方が欧米各地にあるダウンタウンと比べても、ずっと楽しく安全である。新宿、渋谷、新橋、梅田、難波、天神、すすき野。このあたりよりも賑わっている欧米の街を私は知らない。多様な店舗が入り乱れ、小さな店が一杯ある。日本の繁華街は、個人のアントレプレナーシップの塊である。これは世界に誇れる日本の良さである。そして、そういう所で日々努力している経営者たちのアントレプレナーシップを、霞が関の官僚や虎ノ門の外郭団体が邪魔する事はあってはならない。

日本の都心でテラス席を備えたような飲食店があるのか、と。繁華街の個人経営の飲食店は雑居ビルの中にあることが多い。新橋の小さな居酒屋で食べたとしよう。或いは阪急東通りの居酒屋でも良い。タバコが吸いたくなれば雑居ビルの外に出て吸うのか?その方が副流煙で周りに迷惑になると思うのは私だけだろうか?個人で営業しているような店で、分煙と喫煙を分けられるような広さを持っているところばかりではないと思うのだ。テラス席を作れるのは、チェーンのコーヒー屋と大会社がバックに経営している居酒屋くらいの物である。

日本ではタバコは政府に認められている嗜好品である。昔は多くの人達がタバコを嗜んでいた。で、繁華街の飲食店の多くも喫煙をする人たちを念頭に店舗経営のコンセプトがなされている場合も多い。「小さな店舗でたばこを吸いながら時間をつぶす人に飲食を提供するようなサービス」というビジネスモデルが国の介入によって否定される事は間違っていると思うのだ。

単純な話で、「全席禁煙」「分煙」「喫煙席有」「喫煙可」という英語表記をつけたサインを店の前に貼る事を義務付けるだけですべては解決する話である。店に入るかどうかは客が選べば良い事だ。経営者は自分たちの経営方針に従って、どうするかを決めれば良いと思うのだ。そうすると、流行っている店は基本的に禁煙を選ぶと思う。逆に、流行っていないところは喫煙可などとして色を出してくると思う。それこそが自由経済の国のあるべき姿である。

私が勘繰るに、コンビニや大規模チェーン店は禁煙条項で得をするのだと思われる。居酒屋に行かずに中食しようとか、どうせ禁煙なら他も禁煙にしろ、とか考えているのだろう。そういう大型店舗の後ろには商社がついており、商社が必死に厚労省の政策を後押ししているのではないか、とさえ勘繰ってしまうのだ。こういう事を許可すれば、小規模な店舗の多様性が損なわれ、日本中が大規模なショッピングモールになってしまうのではないかと危惧している。ビッグブラザーはいらない。日本は社会主義国ではない。

2/22/2017

原発を止めて石炭をつかいまくっている日本から見たアメリカの石炭事情

トランプが石炭の採掘をガンガン進めるというニュースを読んだ。私は大歓迎である。アメリカには石炭資源が多く、そのほとんどが失業率の高い州にある。そういう所の産業を興すことは良い事だと思うし、「石炭は汚い」等と言うのは、環境利権の連中に洗脳された人たちの意見である。

日本のメディアでは、アメリカがパリ協定から離脱するかのような話をする人がいるし、温暖化を無視するというような話もちらほら見受けられる。そういうニュースのコメントを読んでいると、「石炭火力を使って温暖化するのか!」みたいな意見が目立つ。

ちょっと待って欲しい。どこの国が、原発を止めて石炭火力発電の容量をどんどんと増やしているのだと。完全に世界の潮流から逸している国があるではないか。しかし、日本のマスコミは政府とずぶずぶで、このような話は決して大きな声で叩かれない。

アメリカがオバマ政権時代にどれだけ無駄なオルタナティブエネルギーにかじ取りをしたのかを知っているのだろうか?私はそういった無駄なプロジェクトに何個も絡んでおり、「あぁ、こうして税金は無駄に使われるんだなぁ」、と思い続けていた。

トランプ政権になって、そういった予算は削られると思う。私の懐には多少痛いのだが、社会を大きく俯瞰すると、それは良い流れだと思うのだ。

2/19/2017

大統領のマスメディア批判は一線を越えている

フェークニュースと言うのは、デマゴーグを垂れ流すメディアと言う意味である筈だ。だが、ダノルド・トランプは「政治色に染まったバイアスのかかったメディア」と言う意味で使っているものと思われる。CNNやNBCの報道を見ていると、目に余るほどの報道がある事も確かだ。MSNBCが左翼的なメディアだったことは皆が知るところだ。CNNはここ数年、どんどんとリベラル色が強くなってきており、保守的な言論を言う人を排除している節すら見受けられる。一方で、フォックスニュースは保守的な言論に靡いたメディアであることは万人の知るところだ。

トランプとロシアの繋がり等、事の真相は決して解らない。そういった事に対して、主要3大メディアやCNNが問題視する。政策についての話はせず、まるで夕刊の三面記事のようなニュースが流される。トランプ劇場とでもいうのだろうか、大統領のニュースは娯楽性があって面白すぎる。

私は個人的にCNNが大嫌いであるのだが、最近のABC,CNN,そしてCBSの主要三大局の報道内容に不満を持っている。真面目に報道しろ、と言いたくなっている。NBC系の報道番組はローカル局も含め、見る時間が大幅に減ってしまった。こういった主要メディアが反トランプで結束し、リベラル的な意見を垂れ流しているのは見苦しいし、批判されるべきだと思う。

トランプがツイートで、フェークニュースを垂れ流す上述の放送局やニューヨークタイムズは、国民の敵であるとの書き込みをした。ちょっと待って欲しいと思う。確かにそう言いたい気持ちもわかる。が、大統領が発言する内容ではないと思うのだ。

さらに酷いのは、ホワイトハウスの内部で働いている連中である。大統領がこう言っているが「これはメディアはバイアスのかかり過ぎていないような報道をして欲しいという希望を述べているだけだ」とか言っておけば良いものを、トランプと同じレベルでフェークニュースを攻撃している。大丈夫かな?と本気で心配してしまう。

フェークを垂れ流すニュースもあるだろうし、それに対抗するメディアもあるだろう。が、政府がメディアに指図するのは如何なものだろうか?我々視聴者がメディアを批判すれば良い事であって、メディアが色々なバイアスのかかった意見を言い立てている事こそが健康的な民主主義の国だと思うのだ。政府が報道内容を批判するのは自由だが、視聴者がどう判断するかに介入するのはNGである。

それでも私はトランプを支持しています。

サウジはポンコツ。何も出来ない

フーシ派がマユン島を占領して、紅海の入り口をコントロールしており、ムハンマド・ビン・サルマーン(MBS)がトランプに米軍がフーシを攻撃するように要請したとのニュースが流れた。トランプは断ったという。このニュースを受けて、原油は暴騰。 サウジはアラブ諸国の雄じゃないの?このくらい、...