雨が降り続くシアトルに住むブログ主が、カプチーノを飲みながら、時事・経済・政治・食・スポーツ等について社会科学的見地から騙ります。広告のクリックをする事、宜しくお願いします!
5/08/2011
バンクーバー・カナックス、黄信号
西地区一位で通過したカナックスだが、結構危ない試合が続いている。ナッシュビル・プレデターズのゴールキーパー、フィンランド人のペッカ・リーネの好セーブに阻まれ、得点できないのだ。まだ3-2なので楽観はしているが、余裕はなくなってきた。東地区はボストン・ブルーインズとタンパベイ・ライトニングズの決勝が早々と決まっている。アイスホッケーはシーズン中の成績とプレイオフのパフォーマンスが大きく異なることが多いので、スタンレーカップの組み合わせを占うのは非常に難しい。
5/01/2011
サンダー、NBAプレイオフ
バンクーバー・カナックスがいい感じなのだが(ただ、西地区一位通過というものの、少し情けない試合が続いている)、アイスホッケーのコアなファンも少ないと思うので、少し私にとって心が痛い話題をする。つまりNBAの話だ。
オクラホマシティー・サンダーが凄くいいチームになっているのだ。いや、OKCなどと認めたくはない。何がOKCだ。青い服を着ているが、あれはスーパーソニックスだ!キーアリーナでプレイオフをやっている筈だ。未だにソニックスがシアトルからオクラホマに出て行ったことに納得がいかず、スターバックスコーヒーの不買運動を一人で頑張っている私は、OKCサンダースと書くのが嫌なので、当コラムではソニックスで押し通す。
ソニックスが前にプレーオフに行った時、レイ・アレンもいたしラシャード・ルイスもいた。あの頃のメンバーで残っているのはニック・コリソン位だ。テレビ放送がなく、暫く見ていないのだが、ニック・コリソンは相変わらず渋いバスケをしている。
ケビン・デュラントとラッセル・ウェストブルックの二人が巧いのは解っているが、イバカやハーデンなど若手を中心に、速いバスケを展開しており、見ていて楽しい。一流半の微妙なグリーンを出して、ボストンからパーキンスをとってインサイドを強化したことも良かったと思う。
バードマンとJRスミスを擁するデンバーナゲッツを簡単に下して、王者サンアントニオと当たるものと信じていた。サンアントニオはマヌー・ジノビリ、ティム・ダンカン、そしてトニー・パーカーの外国人三羽烏を擁して、速いバスケの対極をなすような「勝つバスケ」に徹してチャンピオンリングを手にし続けていた。前にソニックスがスパーズとプレイオフを戦った時は、善戦実らずソニックスは敗れ、私はキーアリーナでがっかりしたものだった。プレイオフでの再戦だと喜んでいたのだが、なんと勝ちあがってきたのは、万年Bクラスのバンクーバー・グリズリーズだ(今はメンフィスでやってるのに西地区に属す)。
バンクーバー・グリズリーズは、ポートランドにいたザック・ランドルフがインサイドでいい仕事ができる。それというのも、ガソールの弟とでかいの二人でコンビを組んでいるからだろう。ルーディー・ゲイは怪我で出れないが、OJメーヨーなどを中心に若手が速いバスケをする。そして、ベテランのバティエがいつもながらの汚れ役をしている。見ていて楽しいチームである。
若く速いバスケのシアトル・スーパーソニックスとバンクーバー・グリズリーズ。ノースウェスト同士の戦いだ。これは面白いと思うが、何故かメンフィスとオクラホマシチーなどという訳の解らない田舎でやっているのが気に入らないのだが。
GO Sonics!!!
オクラホマシティー・サンダーが凄くいいチームになっているのだ。いや、OKCなどと認めたくはない。何がOKCだ。青い服を着ているが、あれはスーパーソニックスだ!キーアリーナでプレイオフをやっている筈だ。未だにソニックスがシアトルからオクラホマに出て行ったことに納得がいかず、スターバックスコーヒーの不買運動を一人で頑張っている私は、OKCサンダースと書くのが嫌なので、当コラムではソニックスで押し通す。
ソニックスが前にプレーオフに行った時、レイ・アレンもいたしラシャード・ルイスもいた。あの頃のメンバーで残っているのはニック・コリソン位だ。テレビ放送がなく、暫く見ていないのだが、ニック・コリソンは相変わらず渋いバスケをしている。
ケビン・デュラントとラッセル・ウェストブルックの二人が巧いのは解っているが、イバカやハーデンなど若手を中心に、速いバスケを展開しており、見ていて楽しい。一流半の微妙なグリーンを出して、ボストンからパーキンスをとってインサイドを強化したことも良かったと思う。
バードマンとJRスミスを擁するデンバーナゲッツを簡単に下して、王者サンアントニオと当たるものと信じていた。サンアントニオはマヌー・ジノビリ、ティム・ダンカン、そしてトニー・パーカーの外国人三羽烏を擁して、速いバスケの対極をなすような「勝つバスケ」に徹してチャンピオンリングを手にし続けていた。前にソニックスがスパーズとプレイオフを戦った時は、善戦実らずソニックスは敗れ、私はキーアリーナでがっかりしたものだった。プレイオフでの再戦だと喜んでいたのだが、なんと勝ちあがってきたのは、万年Bクラスのバンクーバー・グリズリーズだ(今はメンフィスでやってるのに西地区に属す)。
バンクーバー・グリズリーズは、ポートランドにいたザック・ランドルフがインサイドでいい仕事ができる。それというのも、ガソールの弟とでかいの二人でコンビを組んでいるからだろう。ルーディー・ゲイは怪我で出れないが、OJメーヨーなどを中心に若手が速いバスケをする。そして、ベテランのバティエがいつもながらの汚れ役をしている。見ていて楽しいチームである。
若く速いバスケのシアトル・スーパーソニックスとバンクーバー・グリズリーズ。ノースウェスト同士の戦いだ。これは面白いと思うが、何故かメンフィスとオクラホマシチーなどという訳の解らない田舎でやっているのが気に入らないのだが。
GO Sonics!!!
311の結論
書きたい事は山ほどあるが、原発や津波の事ばかりに気を取られて、自分の作業が出来ないような状態になっているので、結論を書いて他の話題に移りたい。正直、新鮮味がなくなってきたからか、ニュースにもそろそろ飽きてきた。解決していない問題が山ほどあるのは火を見るより明らかなのだが。
まずはエネルギー政策について。東電の国有化論はしてもしなくても一緒。脱原発思想はイデオロギー論争で無意味。代替エネルギーは推進するべき。原発利権は一掃すべきだし、コストエフェクティブネスを考えろ。脱化石燃料依存も一緒にテーブルに載せろ。省エネは推奨、節電は経済にマイナス。電力9社独占体制は再考しろ。
経済について。東京の競争力は今後極端に下がる。電気供給がおぼつかないような所に投資は来ない。日本経済は増税をしようが、しなかろうが今後ますます悪くなる。一次産業について考え直せ。中期で土建屋やコマツとかが儲かるだけ。日本経済はますます空洞化する。外資の東京アジア本社は香港とシンガポールに全部持っていかれる。
政治について。なんでもかんでも国が補償するな。霞ヶ関はどさくさに紛れて大きな政府を作ったり、増税したりするな。民主党政権は情報を隠蔽する能力もなく、ただ無能なだけ。民主の情報開示は自民党よりはマシ。民主党は無能な糞だが、旧自民党は黒い悪魔。東電や官僚は自分にかかる火の粉を避けるのに必死なだけ。無駄な委員会を撤廃させろ。東電が研究室に寄付するのが産学協同なのか?SPEEDIなどでも無駄が明らかだったが、国の研究費は仕分けするべき。歪な政官財の癒着を改めよ。個人を蔑ろにして大企業に有利な法律を改めろ(自然災害による免責免除。自賠責も自然災害免除。地震津波は保険免除。これ、何??)とりあえず、日本の法律は個人にリスク被せ過ぎ。緊急時に解釈が変わる法律を作るな。
マスコミについて。大手マスコミは腰抜け。スポンサーと癒着するな。地上波を見て真面目に文句を言うな。嫌なら地上波を見るな。インターネットが既に情報媒体で、地上波はこんなことしてたら、今の団塊の世代が死に始めたら完全に終わり。記者クラブという枠組みは国民の敵。
放射能について。過去に前例がなく、不確定要素と長期影響を鑑みると実際のところは良く解らない。すべては自己責任。私は福島の野菜は食べたくないし、暫く日本の牛乳は飲みたくない。それだけ。
要約する。科学とは解っている事と解らない物を明確にする作業。行政の仕事は万が一の事を考えておく事。政治化の仕事は法律を作ること。解釈を180度変えれるような法律は作らないこと。行き詰ったら大きな政府を政策を言い出すのは止めろ。エネルギー論争は損益計算、分散投資、安全政策の三点で。
以上。
まずはエネルギー政策について。東電の国有化論はしてもしなくても一緒。脱原発思想はイデオロギー論争で無意味。代替エネルギーは推進するべき。原発利権は一掃すべきだし、コストエフェクティブネスを考えろ。脱化石燃料依存も一緒にテーブルに載せろ。省エネは推奨、節電は経済にマイナス。電力9社独占体制は再考しろ。
経済について。東京の競争力は今後極端に下がる。電気供給がおぼつかないような所に投資は来ない。日本経済は増税をしようが、しなかろうが今後ますます悪くなる。一次産業について考え直せ。中期で土建屋やコマツとかが儲かるだけ。日本経済はますます空洞化する。外資の東京アジア本社は香港とシンガポールに全部持っていかれる。
政治について。なんでもかんでも国が補償するな。霞ヶ関はどさくさに紛れて大きな政府を作ったり、増税したりするな。民主党政権は情報を隠蔽する能力もなく、ただ無能なだけ。民主の情報開示は自民党よりはマシ。民主党は無能な糞だが、旧自民党は黒い悪魔。東電や官僚は自分にかかる火の粉を避けるのに必死なだけ。無駄な委員会を撤廃させろ。東電が研究室に寄付するのが産学協同なのか?SPEEDIなどでも無駄が明らかだったが、国の研究費は仕分けするべき。歪な政官財の癒着を改めよ。個人を蔑ろにして大企業に有利な法律を改めろ(自然災害による免責免除。自賠責も自然災害免除。地震津波は保険免除。これ、何??)とりあえず、日本の法律は個人にリスク被せ過ぎ。緊急時に解釈が変わる法律を作るな。
マスコミについて。大手マスコミは腰抜け。スポンサーと癒着するな。地上波を見て真面目に文句を言うな。嫌なら地上波を見るな。インターネットが既に情報媒体で、地上波はこんなことしてたら、今の団塊の世代が死に始めたら完全に終わり。記者クラブという枠組みは国民の敵。
放射能について。過去に前例がなく、不確定要素と長期影響を鑑みると実際のところは良く解らない。すべては自己責任。私は福島の野菜は食べたくないし、暫く日本の牛乳は飲みたくない。それだけ。
要約する。科学とは解っている事と解らない物を明確にする作業。行政の仕事は万が一の事を考えておく事。政治化の仕事は法律を作ること。解釈を180度変えれるような法律は作らないこと。行き詰ったら大きな政府を政策を言い出すのは止めろ。エネルギー論争は損益計算、分散投資、安全政策の三点で。
以上。
4/20/2011
孫正義はわかっている!
今週末はアースデイ(Earth Day)だ。色々なイベントが企画され、毎年参加しているのだが、私は今年は参加を自粛する事にする。福島原発の問題で被災者も日本国民も被害者のフリをしているが、見方によれば私達は立派な加害者である。私は原発を止めろとか言っているのではないが(第一、今すぐに止められるわけがない。どうやって燃料棒を処理するの?)、色々な問題が露呈したのは明らかだ。今までのような不透明な原発推進を勧めていくのは到底不可能だ。事故によるコストを考えると、真剣に安全性を再考する必要がある。
政治をおろそかにし、結果的に利権団体などが中心になった原発行政を民主主義下で看過してきた国民の一員として、私は今回の事件を未だにどう捉えるべきなのか困り果てている。蔑視ではないが、こういう事件はロシアや中国や調子に乗った新興国で起こるべき類の事件であり、日本で起こるべきでは無かったと未だに思っている。或いは、日本は所詮は調子に乗っていた新興国だったのかも知れない。
経済的にはすでにコーナーを回りきった感じがある我が日本であるが、終に社会や技術問題までおかしな事態になろうとしている。国民全体が真摯に今回の事件を受け止めて、どういった日本を作っていくべきなのかを考えなければ冗談抜きで明日はないと思う。1945年(終戦)には競争相手がいなかった。1991年(バブル崩壊)には競争相手は極端に弱かった。2011年(東日本大震災)、成熟し始めた競争相手は日本の沈没に憐れみを感じてくれている。
孫正義が面白い事を始めようとしている。代替エネルギー財団を設立して、100人ほどの科学者を集めて政府に提言していくという事だ。これは将に正しい方向だと思うし、孫正義にしか出来ないことである。ただ金を出すのではなく、こういった活動を通して日本の未来を作っていくべきだ。募金をしたって、どうせ政府や組織やがめつい被災者に非効率にお金を使われるだけなので、こういった復興の仕方を望んでいる。私もこのような動きに参加していきたいと考える。
政治をおろそかにし、結果的に利権団体などが中心になった原発行政を民主主義下で看過してきた国民の一員として、私は今回の事件を未だにどう捉えるべきなのか困り果てている。蔑視ではないが、こういう事件はロシアや中国や調子に乗った新興国で起こるべき類の事件であり、日本で起こるべきでは無かったと未だに思っている。或いは、日本は所詮は調子に乗っていた新興国だったのかも知れない。
経済的にはすでにコーナーを回りきった感じがある我が日本であるが、終に社会や技術問題までおかしな事態になろうとしている。国民全体が真摯に今回の事件を受け止めて、どういった日本を作っていくべきなのかを考えなければ冗談抜きで明日はないと思う。1945年(終戦)には競争相手がいなかった。1991年(バブル崩壊)には競争相手は極端に弱かった。2011年(東日本大震災)、成熟し始めた競争相手は日本の沈没に憐れみを感じてくれている。
孫正義が面白い事を始めようとしている。代替エネルギー財団を設立して、100人ほどの科学者を集めて政府に提言していくという事だ。これは将に正しい方向だと思うし、孫正義にしか出来ないことである。ただ金を出すのではなく、こういった活動を通して日本の未来を作っていくべきだ。募金をしたって、どうせ政府や組織やがめつい被災者に非効率にお金を使われるだけなので、こういった復興の仕方を望んでいる。私もこのような動きに参加していきたいと考える。
4/19/2011
NGOやシンクタンクが未来の社会を作る
ヒラリー・クリントン国務長官が来日して、松本外相(誰それ?)と会談した。そこに、非常に面白い事が書いてあった。
「両外相は、復旧・復興に向け、両国政府と企業・シンクタンク・非政府組織(NGO)などによる官民のパートナーシップを進めることで一致した。(毎日新聞4月18日)」
つまり米国は復旧復興案に積極的に関与する、という事だ。しかも、シンクタンクやNGOまで関与させたいと言っている。松本外相は二つ返事をしたらしいが、これがどれ程の重要な意味を持つかを理解しているのだろうか?
既に私は何回もこのブログ上で書いているのだが、日本では今まで自民党と霞が関を中心とする密室癒着政治が行われて来た為に、透明性も何も無く政策が決定されてきた。そして透明性が無い為に、その影で不明瞭な税金の使われ方が罷り通っていた訳である。税金を使う側は、競争が無いために革新を怠るだけではなく、新規参入者を力(権力・金・法律)で排除してきたため、社会全体が沈滞するという「日本病」が蔓延していたのである。
ヒラリーの今回の提案は、日本ムラの構造にメスを入れるものだ。本当に日本政府が意思決定に海外のシンクタンクや「まともな」NGOなどを受け入れれば、社会は劇的に変わっていくと思う。私はもろ手を挙げて賛成したい。
ただ公平な競争が導入されれば、NGOやシンクタンクは海外の物が中心となると思われる。何故なら日本ではNGOなどは社会の内側には入れてもらえず、優秀な人材が全く集まっていないからだ。翻って、アメリカやヨーロッパなどでは、NGOに優秀な頭脳や金が流れており、社会の一部として成熟したNGOも多々見受けられる。(という事は日本の震災復興が欧米人の雇用の受け皿になるという事だ。)
まともなNGOを意思決定機関として受け入れると、独立行政法人や官僚組織と対立する事になるだろう。地元の利権団体とも対立する可能性がある。まともなNGOが議論に加われれば、効率性や長期投資を優先する政策決定が国民の目の前に晒され始めると思う。そしてそれこそが我々が望む社会の形だと思う。責任者が隠れ続け、利権を一部のトモダチ達が分け合うような腐った社会はもう懲り懲りだ。「仕分け」とはそういういった社会を目指すことについての比喩ではなかったのか?
日本の政治家は自分達は「立法」をする仕事を受け持っているという事を自覚するべきだ。そして立法権を持った人間がするべき事に集中し、訓練を受けていない事に関してクビを突っ込まないようにするべきだと思う。日本の政治家は自分達の能力を弁えずに出しゃばり過ぎだし、受身に回って政治にパラダイムチェンジのアイディアを期待している日本国民もどうにかしていると思う。アイディアは社会が出すものだ。政治家は法を作る仕事。官僚は行政を行う機関。内閣は官僚を監視する機関。そういったプロフェッショナリズムに基づいたタスクの分担を国民が共有するべきだ。
民主党有力議員の秘書をしている友人がいるのだが、そいつの認識などを聞いていると日本に未来を感じられない。結局は古い枠組みの中でしか物事を見れず、未来をどうしたいのかといった発想がそもそも欠落している。日本の現状に疑問を感じ、やる気だけが満ちているのであれば、ボランティアでもすればいいのであって、政治にクビを突っ込んで欲しくない。良い友達であるが、もしそいつが政治家に立候補でもすれば、私は反対運動をする。話が逸れて申し訳ない。
行政のあり方、立法のあり方、そして国民の社会に対するコミットメント。それらをきちんと理解し、誰が何を受け持つべきかをしっかりと定めなければ日本に明日は来ないと思う。逆の言い方をすれば、今こそが方向転換のチャンスであると思う。
「両外相は、復旧・復興に向け、両国政府と企業・シンクタンク・非政府組織(NGO)などによる官民のパートナーシップを進めることで一致した。(毎日新聞4月18日)」
つまり米国は復旧復興案に積極的に関与する、という事だ。しかも、シンクタンクやNGOまで関与させたいと言っている。松本外相は二つ返事をしたらしいが、これがどれ程の重要な意味を持つかを理解しているのだろうか?
既に私は何回もこのブログ上で書いているのだが、日本では今まで自民党と霞が関を中心とする密室癒着政治が行われて来た為に、透明性も何も無く政策が決定されてきた。そして透明性が無い為に、その影で不明瞭な税金の使われ方が罷り通っていた訳である。税金を使う側は、競争が無いために革新を怠るだけではなく、新規参入者を力(権力・金・法律)で排除してきたため、社会全体が沈滞するという「日本病」が蔓延していたのである。
ヒラリーの今回の提案は、日本ムラの構造にメスを入れるものだ。本当に日本政府が意思決定に海外のシンクタンクや「まともな」NGOなどを受け入れれば、社会は劇的に変わっていくと思う。私はもろ手を挙げて賛成したい。
ただ公平な競争が導入されれば、NGOやシンクタンクは海外の物が中心となると思われる。何故なら日本ではNGOなどは社会の内側には入れてもらえず、優秀な人材が全く集まっていないからだ。翻って、アメリカやヨーロッパなどでは、NGOに優秀な頭脳や金が流れており、社会の一部として成熟したNGOも多々見受けられる。(という事は日本の震災復興が欧米人の雇用の受け皿になるという事だ。)
まともなNGOを意思決定機関として受け入れると、独立行政法人や官僚組織と対立する事になるだろう。地元の利権団体とも対立する可能性がある。まともなNGOが議論に加われれば、効率性や長期投資を優先する政策決定が国民の目の前に晒され始めると思う。そしてそれこそが我々が望む社会の形だと思う。責任者が隠れ続け、利権を一部のトモダチ達が分け合うような腐った社会はもう懲り懲りだ。「仕分け」とはそういういった社会を目指すことについての比喩ではなかったのか?
日本の政治家は自分達は「立法」をする仕事を受け持っているという事を自覚するべきだ。そして立法権を持った人間がするべき事に集中し、訓練を受けていない事に関してクビを突っ込まないようにするべきだと思う。日本の政治家は自分達の能力を弁えずに出しゃばり過ぎだし、受身に回って政治にパラダイムチェンジのアイディアを期待している日本国民もどうにかしていると思う。アイディアは社会が出すものだ。政治家は法を作る仕事。官僚は行政を行う機関。内閣は官僚を監視する機関。そういったプロフェッショナリズムに基づいたタスクの分担を国民が共有するべきだ。
民主党有力議員の秘書をしている友人がいるのだが、そいつの認識などを聞いていると日本に未来を感じられない。結局は古い枠組みの中でしか物事を見れず、未来をどうしたいのかといった発想がそもそも欠落している。日本の現状に疑問を感じ、やる気だけが満ちているのであれば、ボランティアでもすればいいのであって、政治にクビを突っ込んで欲しくない。良い友達であるが、もしそいつが政治家に立候補でもすれば、私は反対運動をする。話が逸れて申し訳ない。
行政のあり方、立法のあり方、そして国民の社会に対するコミットメント。それらをきちんと理解し、誰が何を受け持つべきかをしっかりと定めなければ日本に明日は来ないと思う。逆の言い方をすれば、今こそが方向転換のチャンスであると思う。
4/18/2011
責任を取らないでいい社会。事なかれ主義の東電
東電の会見も回数が少なくなり、解決に向けてのロードマップを発表して一段落着いてきた感じがする。ロードマップは、会見中にフリーの記者に出せと言われたから作って出したはいいが、二号機をはじめ近づくことも出来ないくせに9ヶ月で解決といった、超がつく楽観論を出してきた。このロードマップを作るのに1ヶ月必要なわけは無い。
東電の会見をインターネットで見るたびに時間を浪費したと感じるのだが、あの暖簾に腕押しの会見が東電なりの情報公開の仕方なのだろう。東電自身は、ああいった会見を開くことで説明責任を果たしていると本気で思っているのだろう。東電は事故の実態を少しでも小さく見せようと努力していた。そして事実から推し量れる予測を全て隠蔽していた。データを出せと言われれば適当な数字は出てくる。工程表を出せと言われれば、とってつけたようなものを出す。副社長を連れて来いと言われれば、連れて来る。社長を出せと言われれば、最後の最後で出る。辞めろと言われれば、会長は辞任を言い出す。
東電は役所よりも役所的だと言われているが、まさにその通りである。マックス・ヴェーバーではないが、官僚的とは労働者をロボットとして効率化することにあり、東電の社員はすべてがロボットに見える。誰かに批判されるのを恐れる余り、自らを厳しく規制をする。愛社精神も無ければ、国民に説明しなければならないという意思も無い。結局、会長、社長、副社長から社員まで、全てが言われたことだけをするという体質なのだ。会社から社員まで、事なかれ主義が浸透しきっているのだろう。隠蔽体質と揶揄されているが、それは事なかれ主義に起因しているのだと思う。
東電を国有化するべきだ、などと言った意見を良く見るが、私は意味が解らない。国有化したらどうなるのか?東電は政府に独占を認められている企業である。手厚く独占を許されて競争をする必要の無い会社が、株式を発行しているだけなのだ。東電が国有であれ、民間であれ、実際問題として何も変わらないし、それ程どうでも良い話も無い。国有化しないと被災者にお金を払えないというのも嘘で、どうせ税金を使うのだ。株価がゼロになって資産が底をついた時点で、東電を国有化すれば良いだけの話では無いか?それまでは市場に任せればいいのだと思う。
銀行や証券市場が東電の株式や債券を大量に持っているので、潰すと大変な事になるという人がいる。それは原発のリスクを評価しないで投資した投資家が問題なのだ。リスク評価が出来なかった人達を救済するのは、明らかなモラルハザードを引き起こす。その人達は、リスクを無視して投資した責任を負うべきである。それが経済の悪化を招こうとも。
そもそも東電の存在自体が公平な資本主義社会に反するのである。何を根拠に独占を許されているのか?電気代はどのように決定されているのか?余りにも優遇されていると思う。もともと電力会社が嫌がっていた原子力を国が押し付けたというのは理解できるが、それでも、天災が起これば政府が原発事故を救済するという法律にしても、余りにもふざけ過ぎだ。東電は全くリスクを取る必要がないではないか?一民間企業にそんな事が許されていたのか?そしていざとなれば独占企業の株主や債権者まで救済されるような社会であれば、日本に資本主義を謳う資格はない。
民主党は、日本社会を変えるといっていた。永田町と霞ヶ関とインチキ独占会社が作ってきた非効率的な資本主義を、この際に仕分けしてはどうだろうか?民主党は、原発を許可した原子力安全委員会の面々や、津波を過小評価していた土木学会や、原発行政に関わってきて政治献金を受けていた自民党議員や地方政治家、歴代の経産省の責任者、天下りした連中、福島県知事、東電の歴代幹部達、勝俣会長の兄弟でウラン利権を持っている丸紅社長、さらには金を貸した銀行など。そう言った連中を全て国民の前に晒し、責任という意味をきちっと定義して欲しい。
事無かれ主義が蔓延り、誰も責任を取らなくて良い我が日本。この事件の責任者が菅でも清水でもない事は誰の目にも明らかである。が、この件で攻められているだけではなく、未来の日本のためにきちっと責任というものを示して欲しい。責任者出て来い、といって誰も出て来ない社会は病んでいるだろう。或いは、時間が経ってこのニュースに飽きてしまえば有耶無耶になるのだろうか?今はとりあえず耐えろ。事なかれ主義者たちはそういう合言葉の元、ほくそ笑んでいるのかも知れない。自分達の勝利である、と。
東電の会見をインターネットで見るたびに時間を浪費したと感じるのだが、あの暖簾に腕押しの会見が東電なりの情報公開の仕方なのだろう。東電自身は、ああいった会見を開くことで説明責任を果たしていると本気で思っているのだろう。東電は事故の実態を少しでも小さく見せようと努力していた。そして事実から推し量れる予測を全て隠蔽していた。データを出せと言われれば適当な数字は出てくる。工程表を出せと言われれば、とってつけたようなものを出す。副社長を連れて来いと言われれば、連れて来る。社長を出せと言われれば、最後の最後で出る。辞めろと言われれば、会長は辞任を言い出す。
東電は役所よりも役所的だと言われているが、まさにその通りである。マックス・ヴェーバーではないが、官僚的とは労働者をロボットとして効率化することにあり、東電の社員はすべてがロボットに見える。誰かに批判されるのを恐れる余り、自らを厳しく規制をする。愛社精神も無ければ、国民に説明しなければならないという意思も無い。結局、会長、社長、副社長から社員まで、全てが言われたことだけをするという体質なのだ。会社から社員まで、事なかれ主義が浸透しきっているのだろう。隠蔽体質と揶揄されているが、それは事なかれ主義に起因しているのだと思う。
東電を国有化するべきだ、などと言った意見を良く見るが、私は意味が解らない。国有化したらどうなるのか?東電は政府に独占を認められている企業である。手厚く独占を許されて競争をする必要の無い会社が、株式を発行しているだけなのだ。東電が国有であれ、民間であれ、実際問題として何も変わらないし、それ程どうでも良い話も無い。国有化しないと被災者にお金を払えないというのも嘘で、どうせ税金を使うのだ。株価がゼロになって資産が底をついた時点で、東電を国有化すれば良いだけの話では無いか?それまでは市場に任せればいいのだと思う。
銀行や証券市場が東電の株式や債券を大量に持っているので、潰すと大変な事になるという人がいる。それは原発のリスクを評価しないで投資した投資家が問題なのだ。リスク評価が出来なかった人達を救済するのは、明らかなモラルハザードを引き起こす。その人達は、リスクを無視して投資した責任を負うべきである。それが経済の悪化を招こうとも。
そもそも東電の存在自体が公平な資本主義社会に反するのである。何を根拠に独占を許されているのか?電気代はどのように決定されているのか?余りにも優遇されていると思う。もともと電力会社が嫌がっていた原子力を国が押し付けたというのは理解できるが、それでも、天災が起これば政府が原発事故を救済するという法律にしても、余りにもふざけ過ぎだ。東電は全くリスクを取る必要がないではないか?一民間企業にそんな事が許されていたのか?そしていざとなれば独占企業の株主や債権者まで救済されるような社会であれば、日本に資本主義を謳う資格はない。
民主党は、日本社会を変えるといっていた。永田町と霞ヶ関とインチキ独占会社が作ってきた非効率的な資本主義を、この際に仕分けしてはどうだろうか?民主党は、原発を許可した原子力安全委員会の面々や、津波を過小評価していた土木学会や、原発行政に関わってきて政治献金を受けていた自民党議員や地方政治家、歴代の経産省の責任者、天下りした連中、福島県知事、東電の歴代幹部達、勝俣会長の兄弟でウラン利権を持っている丸紅社長、さらには金を貸した銀行など。そう言った連中を全て国民の前に晒し、責任という意味をきちっと定義して欲しい。
事無かれ主義が蔓延り、誰も責任を取らなくて良い我が日本。この事件の責任者が菅でも清水でもない事は誰の目にも明らかである。が、この件で攻められているだけではなく、未来の日本のためにきちっと責任というものを示して欲しい。責任者出て来い、といって誰も出て来ない社会は病んでいるだろう。或いは、時間が経ってこのニュースに飽きてしまえば有耶無耶になるのだろうか?今はとりあえず耐えろ。事なかれ主義者たちはそういう合言葉の元、ほくそ笑んでいるのかも知れない。自分達の勝利である、と。
4/14/2011
日本病を治すため、被災地復興案は公募しなければならない
日本は誰のものか、という命題がある。人文系の日本人の知り合いができて、馬鹿らしい話に巻き込まれることがある。日の丸は悪いだの、国民全体が売国奴になっているだのと言った概念的な話だ。文学を齧っている暇な人の相手はしたくないので、話にすら乗らない事にしている。日の丸が悪い云々言っている頭のイカれている共産主義者(あくまでも比喩的な意味で)は、自分が歴史を含めて国全体を所有(共産)していると勝手に考えている。そういう意味で、この連中は共産的な全体主義者である。一方、愛国だ売国だといっている回顧的な権威主義者は(これも比喩的な意味)、国家が国民全体を所有していると勝手に考えている。これら二つのグループは、違う軸上にいるというだけで、結局は全体主義者である。このあたりの話は既に書いているので、今更繰り返したくない。何故この話と、復興の話が関係あるのかは本文に譲る。
地震から一ヶ月以上が経過して、いよいよ復興の話が上がってきた。菅総理は自分のトモダチ連中を中心に声をかけて、委員会を作ってそこで復興案を決めようという事だ。その復興委員会が、福島の原発の問題を入れるか入れないかで揉めているというニュースを読んだ。ちょっと待って欲しい。こんなのでいいのだろうか?微妙な面々も含まれているこの得体の知れない委員会が、何を思い上がって日本の未来を描くのか?菅さんにしても、素人の癖に街づくりの話にクビを突っ込むと痛い目にあうと思う。未来の街を、国が計画して国民に示すことをリーダーシップとは言わない。
一方で自民党や民主党の一部の政治家連中は、利権の香りが満ちている「復興」に関わりたくて仕方ない。こんなに美味しい話はそう滅多に無いからだ。菅総理主導では何をされるか解らないので、良く解っている気心の知れた連中に政権をとってもらいたいと思っている。そして、官僚が主導になって復興案をまとめれば、今までの手法で簡単に利権作りが出来るのだ。鬱陶しいが、これが日本の政治家達の真相だ。そのような官僚主導の復興となれば、それは旧田中派的な、「大きな政府」を中心とした復興となる。勿論これだけの災害から復興しようと思えば、効率性を鑑みた際に政府が多少大きくなる事は仕方ない。ただ官僚主導の復興は、日本の未来志向という意味で禍根を残すことになると思う。
今回の地震や津波についての復興にあたっては、多くの国民が色々な意見を持っており、自分達の力を少しでも貸せたならば、と考えている筈だ。直接力を貸せた人達もいる。ある者は自衛隊員・消防員・警察・海保員として、ある者は実際にボランティアとして現地に赴き瓦礫除去の作業に当たり、ある者は避難所にて献身し、ある者は放射能の脅威に晒されながらも福島原発で未だに作業をしている。しかしその他大勢の被災していない国民は、テレビの前で繰り広げられる光景にヤキモキしながらも、僅かながらの募金をしたとはいうものの、歯軋りをしながら日常を送らなければいけない。しかし、それら多くの人は何か貢献したいという気持ちを持っている。そして自分達の無力さに絶望しながらも、日常に耐えているのだろう。
恐らく菅総理もそんな一員だと個人的に考えている。菅さんや民主党の連中は、当初自分達の力で色々な事を解決できると考えていた節があるが、結局人間や社会の出来ることには限界があるという事を思い知らされる結果となった。菅総理の大罪は、限界をきちんと把握していなかったことにあったと思う。そのことについては改めて書くことにする。
私の意見では、復興案は公募するべきだと思う。家、市場、学校、街、交通インフラ、技術、産業、農業、漁業、林業、環境。そういった項目ごとに分けて、被災した地域ごとに、全国から色々な案を公募するべきだと思う。全国どころか、全世界からでも良い。学や技術を究め、何かに貢献したいと考えている人達が日本中、そして世界中にいる。そういった多くの人達は日本の閉鎖的な社会の外にいる場合もある。そういった世界中の知恵を集める。そしてその人達に意見を発表する。公募案で一定の水準に達したものはすべて公開し、その地域に今後住む若い人達に復興案を選ばせる。優秀な案を提示した人達は、復興委員として復興に従事し、専門家同士のチームを作らせる。私達の社会には専門家同士のチームが必要なのだ。そして、各地域同士で、それらの専門家同士を競わせれば良い。官僚や政治家の仕事は、選ばれた案を国民の意思だと理解し、法律的に可能にするようなサポートに徹してもらう。
何故復興案を公募にする必要があるのか?何故官僚と委員会が適当に復興案を纏めてはいけないのか?日本は長い間、上から下へ上意下達の社会を作り上げてきた。だが、そういった社会と人々との位置関係が希薄になり、個人と社会がどのように結ばれているのかさえ解らない状態になっており、それこそが「日本病」の源泉だと考えている。待っていれば誰かがやってくれるのだ、と。そして一個人は何も出来ないのだ、と。
復興案の公募を通して、日本や世界中に散らばっている専門知識を有した「知」が日本の未来に貢献しているという実感を持つ事が出来ると思う。そしてそれらの専門家にチームプレイの大切さを憶えて貰おう。そして日本の未来は誰のためにあり、日本という国がどうあるべきなのか?それをサポートする統治機構がどのようになるべきなのか?そういった根本的な疑問に対して多くの人が考える機会を持つことが出来るかもしれない。国土、街、人、自然。それらと自分達の専門性を繋ぎ、「社会」とは「個人」にとって何なのかという、今まで避け続けていた問いかけへの答えに光が見えてくると考える。私達は国に所有されている訳でもない。かと言って国を所有しているものでもない。未来の日本と社会、そして私達個人。未来の明るい日本を皆で作りたいし、それに貢献していると感じたい。バブル後の日本が患ったしらけムードが蔓延する日本病を治すいい機会ではないか?
地震から一ヶ月以上が経過して、いよいよ復興の話が上がってきた。菅総理は自分のトモダチ連中を中心に声をかけて、委員会を作ってそこで復興案を決めようという事だ。その復興委員会が、福島の原発の問題を入れるか入れないかで揉めているというニュースを読んだ。ちょっと待って欲しい。こんなのでいいのだろうか?微妙な面々も含まれているこの得体の知れない委員会が、何を思い上がって日本の未来を描くのか?菅さんにしても、素人の癖に街づくりの話にクビを突っ込むと痛い目にあうと思う。未来の街を、国が計画して国民に示すことをリーダーシップとは言わない。
一方で自民党や民主党の一部の政治家連中は、利権の香りが満ちている「復興」に関わりたくて仕方ない。こんなに美味しい話はそう滅多に無いからだ。菅総理主導では何をされるか解らないので、良く解っている気心の知れた連中に政権をとってもらいたいと思っている。そして、官僚が主導になって復興案をまとめれば、今までの手法で簡単に利権作りが出来るのだ。鬱陶しいが、これが日本の政治家達の真相だ。そのような官僚主導の復興となれば、それは旧田中派的な、「大きな政府」を中心とした復興となる。勿論これだけの災害から復興しようと思えば、効率性を鑑みた際に政府が多少大きくなる事は仕方ない。ただ官僚主導の復興は、日本の未来志向という意味で禍根を残すことになると思う。
今回の地震や津波についての復興にあたっては、多くの国民が色々な意見を持っており、自分達の力を少しでも貸せたならば、と考えている筈だ。直接力を貸せた人達もいる。ある者は自衛隊員・消防員・警察・海保員として、ある者は実際にボランティアとして現地に赴き瓦礫除去の作業に当たり、ある者は避難所にて献身し、ある者は放射能の脅威に晒されながらも福島原発で未だに作業をしている。しかしその他大勢の被災していない国民は、テレビの前で繰り広げられる光景にヤキモキしながらも、僅かながらの募金をしたとはいうものの、歯軋りをしながら日常を送らなければいけない。しかし、それら多くの人は何か貢献したいという気持ちを持っている。そして自分達の無力さに絶望しながらも、日常に耐えているのだろう。
恐らく菅総理もそんな一員だと個人的に考えている。菅さんや民主党の連中は、当初自分達の力で色々な事を解決できると考えていた節があるが、結局人間や社会の出来ることには限界があるという事を思い知らされる結果となった。菅総理の大罪は、限界をきちんと把握していなかったことにあったと思う。そのことについては改めて書くことにする。
私の意見では、復興案は公募するべきだと思う。家、市場、学校、街、交通インフラ、技術、産業、農業、漁業、林業、環境。そういった項目ごとに分けて、被災した地域ごとに、全国から色々な案を公募するべきだと思う。全国どころか、全世界からでも良い。学や技術を究め、何かに貢献したいと考えている人達が日本中、そして世界中にいる。そういった多くの人達は日本の閉鎖的な社会の外にいる場合もある。そういった世界中の知恵を集める。そしてその人達に意見を発表する。公募案で一定の水準に達したものはすべて公開し、その地域に今後住む若い人達に復興案を選ばせる。優秀な案を提示した人達は、復興委員として復興に従事し、専門家同士のチームを作らせる。私達の社会には専門家同士のチームが必要なのだ。そして、各地域同士で、それらの専門家同士を競わせれば良い。官僚や政治家の仕事は、選ばれた案を国民の意思だと理解し、法律的に可能にするようなサポートに徹してもらう。
何故復興案を公募にする必要があるのか?何故官僚と委員会が適当に復興案を纏めてはいけないのか?日本は長い間、上から下へ上意下達の社会を作り上げてきた。だが、そういった社会と人々との位置関係が希薄になり、個人と社会がどのように結ばれているのかさえ解らない状態になっており、それこそが「日本病」の源泉だと考えている。待っていれば誰かがやってくれるのだ、と。そして一個人は何も出来ないのだ、と。
復興案の公募を通して、日本や世界中に散らばっている専門知識を有した「知」が日本の未来に貢献しているという実感を持つ事が出来ると思う。そしてそれらの専門家にチームプレイの大切さを憶えて貰おう。そして日本の未来は誰のためにあり、日本という国がどうあるべきなのか?それをサポートする統治機構がどのようになるべきなのか?そういった根本的な疑問に対して多くの人が考える機会を持つことが出来るかもしれない。国土、街、人、自然。それらと自分達の専門性を繋ぎ、「社会」とは「個人」にとって何なのかという、今まで避け続けていた問いかけへの答えに光が見えてくると考える。私達は国に所有されている訳でもない。かと言って国を所有しているものでもない。未来の日本と社会、そして私達個人。未来の明るい日本を皆で作りたいし、それに貢献していると感じたい。バブル後の日本が患ったしらけムードが蔓延する日本病を治すいい機会ではないか?
登録:
投稿 (Atom)
サウジはポンコツ。何も出来ない
フーシ派がマユン島を占領して、紅海の入り口をコントロールしており、ムハンマド・ビン・サルマーン(MBS)がトランプに米軍がフーシを攻撃するように要請したとのニュースが流れた。トランプは断ったという。このニュースを受けて、原油は暴騰。 サウジはアラブ諸国の雄じゃないの?このくらい、...
-
立花孝志は、自殺したと報道されている竹内元県議を、「警察の捜査を受けている」と生前に言った事で名誉棄損の罪がかけられているものと理解している。この件については、事実ではなかったとして既に謝罪している。プラスで、死後には「警察に実は明日にでも逮捕される予定だった」と虚偽の話をしたと...
-
(広告のクリックお願いします!) 夏になるとステーキを食べたくなる人たちが大勢出てくるのか、友人やその奥さんから牛に関する質問を良く受ける。当ブログの アメリカステーキは何故美味しいのか という偏った記事が一番読者を集めているようである。私自身も牛ステーキが大好きである。ア...
-
ハメネイ斬首作戦を受けて人と話していたのだが、「イスラエルがそもそも悪い」みたいな話をされた。「イランが核爆弾を作り、イスラエル抹殺を宣言している。が、イスラエルも、ユダヤ人以外を追い出し、ユダヤ国家建設を企んでいる。ビビ・ネタニヤフは、非ユダヤ人は全て抹殺するべきだと言っている...