私は東京が大嫌いだ。外食は平均的に不味いし、自然があふれる場所に行くのも遠い。東京都内では似たような機能を持つ場所が色々と分散している。都心は各駅停車の電車ばかりで、短い距離の移動に時間がかかる。便利さとは程遠い。家は狭い。どこに行っても混んでいるし、人が密集している。
で、最近ひとつ、東京人の気質の嫌な面が気になっており、ますます東京が嫌いになっている。東京では威圧的に人に注意をしてくる人がやたらと多い。大阪とかでは、人と喋るときには基本的に優しさか、面白さか、馬鹿さがある。アメリカなどでは人が何をしようが干渉されない。が、東京では些細なマナーについて人を威嚇してくる人と遭遇することが多い。こういう人に遭遇した時は、私が無視するか、喧嘩を吹っ掛けないと決して終われない。
犬を連れて散歩していると、一か月に一回くらいは近所の老人に根掘り葉掘り嫌味を言われる。ボーダーライン上の出来事に関してごちゃごちゃ言われるので、「うっさい、おら!」と怒鳴り返さざるを得ない。喋り方が嫌味で威圧的で、喧嘩を売っているとしか思えないのだ。公園で犬に糞をさせるな、とか言われる訳だが「公園はトイレではありません、糞をしたら後始末をしてください」と書いてある。つまり、OKである。袋に入れて持って帰るのだから、糞をさせる事に他人にごちゃごちゃ言われる筋合いはない。第一モラル的にアウトだとしても、その人に迷惑をかけていない行為について、逮捕権もない人間から私の自由を束縛される言われはない。
赤信号を渡ると「赤信号は渡っちゃダメだよ」などと大声で叫ばれることもある。大阪でそのような仕打ちにあった事はない。車が来ていて「兄ちゃん、危ないで」とか愛のある物の言い方なら嬉しい。が、車も来ていない小さな信号を無視して、関係のない赤の他人に信号無視を窘められるのは衝撃的である。これも二か月に一回くらいある。無視するのは失礼なので、「うっさい、おら!ずっと信号待っとけ」と叫ばざるを得ない。
いずれにせよ、私は人の目が気にならないので、関係のないことに関してごちゃごちゃ言われれば、文句を言い返す。ただ、こういった恥ずかしげもなく人の自由に干渉する人間がうようよいる東京という町の貧乏臭さが、私は気に入らない。他の人が嫌いなら、外を出歩くな、と思う。犬が嫌いなら公園に来るな、と思う。勝手に作り出された気持ちの悪いモラルを守らせようとする気味の悪い同調圧力には絶対に屈さない。人の目は気にならないが、老人相手に口汚い文句を返している自分も嫌であり、そういう事がおこらないような素敵な街(大阪?)に早く引っ越したい。
東京に移り住む前は、東京の人たちというのはお互いに目を合わさないような他人に干渉しない大都会をイメージしていた。そういう人たちも一杯いる。しかし、東京に昔から住む人たちは排他的であり、余所者を無碍に扱い、他人に威圧的な態度をとる肝っ玉の小さな人たちで溢れていた。
もしかすると、文句を言われてもおとなしく、何も返さないような人たちが多いので、失礼な風紀委員長のような連中が恥ずかしげもなく、他人の自由に干渉するのかも知れない。こういう連中に、「自分に関係ない事に、お節介やいてんじゃねえぞ、おら!」とか言うのも、社会を生きる私たちの責任だと思うのだ。(そういう返しを受けるのが解っているので、大阪ではクレーマーが少ない)
0 件のコメント:
コメントを投稿