2/25/2011

財政問題赤信号!

今回は警察問題を一回中断して財政再建の話をしたい。スタンダード&プアーズにより日本国債の格付けがAAからAA-に落とされた。ムーディーズが日本の格付けを落とすのも時間の問題と言えよう。格付けはデフォルト(債務不履行)が起こる可能性を示唆する指標である。世間では不履行が起きるか起きないかなどの議論が喧しいが、それは日本国債を買っている海外投資家には問題であるのであろうが、日本在住の生活者の視点が欠落していると感じざるを得ない。日本国債問題によって引き起こされる財政問題の結論はほぼ決まっている。どのような解決法をとるにせよ、中期的に日本人の生活の質はどんどんと下がって行くと予想される。「日本国債の債務不履行が起きるかどうか」、という質問をされれば、「そんな話は重要でない」、と私は答える。最後には日銀が紙幣を刷れば終わりなので、債務不履行が起こる可能性は極めて低い。しかし、債務不履行が起こらなかったとしても、違う問題が起きるだけの話なのだ。何れにせよ、日本の財政状況はにっちもさっちも行かない状況になってきた。数年前にはまだ改善の余地があったのだが、日本沈没のシナリオを避けて通る事は出来そうにないと考えるようになってきた。

「歳入」のうち、公債金収入が税収入を上回ってしまった。これは収入以上をローンで借りているようなものである。社会保障と国債の償還が大きな割合いを占めている「歳出」は今後は爆発的に増え続ける。一方、日本の現状は人口衰退傾向にあり、新たな基幹産業が興る可能性も乏しく、「歳入」が爆発的に、そして持続的に増える可能性はほぼ無い。つまり常識的に考えれば、財政は破綻への道をまっしぐらに進んでいる。この状態は継続維持できないので、何らかの方法で財政を改革する必要が出てくる。今後日本が進む道としては、大きく4つの道があるだろう。1)何もしないで事を先伸ばしてデフォルトする亀井案。2)増税を行う与謝野案。3)インフレに持っていく勝間-上げ潮案。4)歳出を極端に減らす小さな政府案。行き着く結論は全て一緒なのだが、それぞれの案によって勝ち組と負け組みが分かれるので、一つずつを精査したい。

1) デフォルト待ちの亀井案
何もしない。現状を維持できるのであればこれほど素晴らしい事はない。何かしようとすれば必ず反対する輩が現れるが、何もしないことは批判されにくい。「日本の国債は殆どが国内で消化されている故に国債は安全極まりない」、これがこのグループが口にする常套句である。これはある状況下では正しい。国債が現状のように国内で消化され続ける限りは現状維持する筈であろう。つまり亀井案を成り立たせるためには、国民が国債を買い続ける、つまり永続的に貯蓄をし続けることが出来るかどうかが鍵になる。データを見れば解るが、日本人の貯蓄率は下がり続けている。貯蓄率は1991年には15%あった。それが90年代の後半には10%前後にまで落ち、2001年には5%を記録し、現在は徐々に下がりつつ、3%程を推移している。この率がゼロになった時、亀井案が瓦解するときである。

その時にはどうなるのか?亀井案は明確な解答を示している。日本人は貯蓄に励んでいるので、国の借金は心配しなくて大丈夫だ、と。要するに国債が消化されなくなれば、預金封鎖でもして貯金を掠めますよ、と言っているのだ。そうなればどうなるのか?この案の先には最悪の結論が待ち構えている。

そのような事態になれば、いくらおとなしい日本人でもあちこちで暴動を起こすだろう。IMFが介入してくれるといった楽観論もあろうが、日本ほど大きな経済をIMFが救えるのだろうか?外貨預金(米ドル)が一杯あるので、ドルを売れという意見もあろうが、そんなことをすればアメリカと中国が困る。第一、アメリカと日本が共倒れしたら、世界の終わりである。IMFが日本を救えない事がばれれば、下手したら中国やロシアなどが軍事介入してきたり、中国軍とアメリカ軍が日本の処理を巡って衝突するなどといった最悪の事態すら想定される。このシナリオの行き着く先は、「世界を巻き添えに日本沈没」といった最悪のシナリオだ。国内では、預金を持つ一般市民、企業、公務員。全ての人が大打撃を受ける。日本が無茶苦茶になって底を打てば、やがて内外から割安の日本資産を買い漁る動きが出てくるだろう。ただ預金封鎖をして、個人の資産に手をつける政府が、危機の中でどのように所有権を保証してくれるのかは定かではない。自分が引退するまで誤魔化しながら上手く過ごしたいと考えている官僚や政治家が多いのは解る。嵐の前の静けさの現状が暫く続き、極端なハードランディングを経験し、その後徐々に上向く。このシナリオは出来れば避けて欲しい。

2) 増税!与謝野案
与謝野増税案が面白いのは、インフレを起こさずに増税だけで問題解決をしたいと言っている点だ。財政は足し算引き算なので、入るものが増えれば問題は解決する筈である。ただ、どの程度増やせば問題が解決するのか?消費税を30%に上げたとしても、社会保障はどうにかなるものの、国債償還の目処は立たないという計算がある。逆に信念なき民主党は何をトチ狂ったのか、企業の法人税は下げてしまった。減税の評価はさておき、それをもって民主党が言ってきたこととやっている事が全く一致していないと感じるのは筆者だけでは無い筈である。付加価値税の導入などは、増税というよりは公平性のみの問題だ。付加価値税を導入すれば何かが解決するわけではない。財政の埋め合わせには、結局取れるところから取るしかないという事になる。タバコ、ガソリン、酒。これらは今後とも狙われるに決まっている。さらには、寵物税、外食税、インターネット接続税、公共交通利用税…このような税金をつけてとことん取れるところから取るのであろう。相続税の値上げは規定路線だし、過度な累進課税の復活も時間の問題であろう。ただ、一番恐ろしいのは資産税の導入である。資産に対して税金がかけられれば、金持ちが泣く事になる。

いずれにせよ増税は経済を殺す。増税によって過度なマネーサプライは抑えられるかもしれないが、経済は停滞し、その反動で円安にはなるものの、長期的な需要減の問題が発生するだろう。働いても国に取られるのがオチなので、労働意欲がなくなる可能性もある。優秀な人材や企業は海外に活躍の場を求めて逃げていくかもしれない。この政策が行き着く先もかなり暗い。

勝ち組は現在一定の収入を得ており、クビになる危険性のない人達、つまり公務員だ。デフレが続けば相対的に自分たちの生活の質は良くなる。現金に資産税が導入されないという前提で、現金の貯蓄が多い人も喜ぶかもしれない。負け組は起業家だ。頑張るのは馬鹿らしい社会だ。まるでソ連の末期のような暗い未来が私たちの前に立ちはだかる。増税社会主義が良い人は与謝野を応援すればいい。長いじわじわとした転落が待っている。

3) インフレ歓迎!勝間案
デフレを解消させれば全てが解消するといった単純な話を良く聞く。生産性があがり、需給ギャップがなくなり、適度なインフレが起これば良いのは間違いない。それが出来るに越した事はないのだ。ただインフレを導入すれば全てが解決するというのは、はっきり言って馬鹿げている。そんな訳がないからだ。ただ単にインフレにぶれさせれば、割引率が上がる、つまりは資産のフェアヴァリューが下がってしまうのだ。つまりインフレは国民が保有する円建て資産を目減りさせる。要するに、数字のインフレは資産税と同じ作用を起こすのだ。

この案で損するのは、公務員や退職した老人たちだ。回りの物の値段があがるので、自分たちは相対的に貧乏になる。現金預金している人も損をする可能性が高い。ただし起業家や若年層が夢を持てるのは、この案の優れている点である。土地や株にお金を入れている人も得をする可能性があるかも知れない。ただそれは額面価値で見たときの話であって、フェアバリュー自体がインフレによって下がる事は先ほど述べた通りである。日本の未来はこの案で解決するのだろうか?大量の生活に困窮する老人を生み出すことになり、円安にぶれ、人々の生活の質は悪くなる。ただ起業家たちが新たな時代の価値を見つけ出してくれるような可能性もあり、若干の期待が持てる社会になるかもしれない。

ただインフレ派が正直でないのは、何パーセントのインフレをターゲットにすれば財政問題が解決するかを提示していない点にある。どう考えても1-2%ではすまない筈だ。そしてインフレが起これば、新たな国債の利率も上げなければならないし、それを支払う必要も出てくる。そして、何より、過去の国債の価格が下がってしまう。インフレターゲットをコントロールできずにハイパーインフレに突入するシナリオはかなり高い。

4) 歳出削減の極端に小さな政府案
歳出は削減するべきだ。日本の政官財暴警の異様な癒着を壊して、まともな資本主義を導入できればそれに越した事はない。それでなくても歳入が減っているのだから、それに見合った生活をしなければならないのは言うまでもない。無駄な財団法人や試験機関などはすぐにでも潰すべきだし、公務員の数など5分の1くらいになったとしてもまだ多いと思う。弁護士なども極端に減らすべきだし、無駄な法律も廃止してどんどん規制緩和するべきだ、それが私が望む未来である。ただ歳出の削減に言及した場合、社会保障を極端に減らす必要がある。法律を改正して、社会保障を減らして、公務員を減らせば、短期的に見るとかなり需要が落ち込むことになろう。首をきられる公務員も痛むし、需要減で社会も痛む。デフレプレッシャーが多少発生し、総生産量は目減りして、経済規模が小さくなり、日本の生活の質は落ちる。年金をあてにしていた団塊の世代はかなり不公平を感じるだろうし、各地で老人による暴動が発生するかもしれない。政府が面倒を見てくれないので、生活苦の末にクビを吊る人も増えるだろう。短期間にはかなりの出血を覚悟するが、やがて徐々に日本の先行きは明るくなる。

結論
4つのシナリオを見てきたが、どの道を進もうとも、茨の道が待ち構えている。事の発端は自民党政権なのだろうが、民主党は真剣に無能だった。私は4と3の組み合わせを願いたいのだが、4は法律面からほぼ不可能に近いと思う。3が一番簡単な道だと思う。ただ、官僚や政治家の立場なら、何もしないというシナリオ1を取りたい衝動に駆られてしまう。どうせ批判されるのだったら、自分は逃げ切ろうと思うのも無理はない。2のシナリオは、いくら与謝野が頑張ろうとも、まず成功しないと思う。

極論を言うと、自分の身は自分で守るしかない。読者の皆様はババを摑まされないように賢く行動されればいいと思う。ただそういった行動は非常に売国的(何故なら危機の到来を早める)であるという事は予め知っておいて欲しい。ただ個人的に、私は日本というタイタニックと一緒に沈没する気は毛頭無く、自分さえ助かればいいと思っている。ゲーム理論的な物事の考え方をして、皆が今後どういう方向に行動するかを考えれば、私なら今のうちに分散させて海外の資産を買って置く。

2/19/2011

警察の肥大化(2) パチンコ業界と警察

2)堂々とカシノ経営が商店街で成り立つ怪

50ccの原付きバイクの上限速度は時速30キロである。これを忠実に守ると逆に危ない場合が良くある。大きな幹線道路などでは、大多数の人がこの上限速度を遵守していない(したら危ない)。逆に言うと、多くの人が道交法に違反した状態で走っているのである。しかし、法律は法律である。法律に違反すれば、警察はいつでも違反切符を切れるのである。日本の法律はかなり細かく、わざと遵守しにくいような馬鹿げた法律を多く取り揃えている。警察がその気にさえなれば、簡単に理由をつけて別件逮捕できるし、色々な商売を営業停止に追い込むことなど容易いことであるのだ。

前置きが長くなった。パチンコ業界の話をしたい。パチンコ業界は警察利権に支配されている。勿論、韓国や朝鮮系の人達が経営している事が多いのだが(一説には7~9割という数字がある)、一番がめつく儲けているのは警察OBである。それに北朝鮮系(総連系)は、安部政権時のミサイル発射及び核実験騒動の頃、警察に上手くやり込められて殆どが商売を手放している。地域にも依るだろうが、最近のパチンコ屋は韓国系(民団系)で占められるようになっている。どうやって警察が総連系のパチンコ屋を廃業に追い込んだのかは、前日の細かい法律のエピソードと関連するのだが、後述することにする。

寸文の疑いもなくパチンコは賭博である。刑法においての「賭博」とは、金品などを賭け偶然性の要素を含む勝負を行い、その結果によって賭けた金品の再分配を行うものである。このような「賭博」は賭博罪として禁じられている。ここで言う金品には景品も含まれる訳であるので、パチンコは賭博にあたるはずだ。パチンコ店は「特殊景品」を渡している。「特殊景品」とは、パチンコ店外に設置されている各都道府県の公安委員会に古物商の許可を受けた景品買取所に売却することを前提とする景品を指す。ただパチンコ店が景品交換所を経営することはできない。パチンコ業界はパチンコが賭博ではないという建前の元、この三店方式と呼ばれる方法を採っている。パチンコが賭博に当たるかの判断は、国会議論の場では上記の子供でも解る嘘が罷り通っている。そして、この点についての最高裁判例は、パチンコ営業が賭博罪によって起訴されたことがないため未だ存在しない。ただしバカラやルーレット、スロットマシーンなどを置いた店、又は麻雀屋などが三店方式を採用していることが発覚した場合は、風営法に違反するために、賭博罪で検挙される。逆の言い方をすると、風営法がパチンコ業界のみに賭博する権利を保障しているのである。

パチンコ店経営をする場合、風営法を遵守しなければならない。風営法を読めば解るが、無駄なことが一杯書かれている。基本的に風営法を遵守する事は、初めの原付きバイクの例と同じで、誰もやっていない。仮に遵守すれば、経営が成り立たなくなり、、資本主義の篩の元で業界からの退出を余儀なくされる。パチンコ屋の釘師は違法である。風営法によると、パチンコ屋はメーカーが納めた状態を維持したままで客に楽しませなければいけないために、釘をいじる事は全くの違法である。ただ、皆やっている。営業面積を変える事は違法である。馬鹿げていると思うだろうが、新装する時などに壁の張り紙の厚さを変える事は違法になる。このような馬鹿げた法律を遵守するのは無理なので、パチンコ業界は警察に取り入る必要が出てくる。警察(或いは検察)に取り入ってさえいれば、業界の存在そのものを脅かされることもあまり無い。逆を言うと、パチンコ業界は警察に完全に生殺与奪権を握られているのだ。つまり警察との関係を適切に保たなければ、パチンコ屋は法に則って消されるのだ。不景気の影響もあるが、かなりの数の総連系のホールが消滅した事には、警察の判断があったと言うのが業界の常識である。

警察の利権を見てみよう。プリペイドカードの会社や遊戯台試験関連の団体は警察官僚OBばかり。ホールに警察OBを雇う事は当たり前だ。パチンコ業界が作った天下り先は警察だらけなのである。機械メーカーにも警察の天下り先は多い。当ブログでは、パチンコ産業内に巣食う警察利権の数々を列挙して個人名を挙げても仕方ないので、もっと詳しく知りたい方は「警察利権・パチンコ業界・天下り」あたりでグーグルしていただければ、個人名から天下り先まで全体像を見渡せることだと思う。規制する側とされる側が癒着してるのだ。

世界広しと言え、全国どこに行っても街の真ん中で堂々と賭博と売春行為が罷り通っている先進国は少ないのではないか?警察はこの二つを利権にして、民の安全を保障しているのだ。自治体がカジノの経営に乗り出そうとした動きは、徹底的に警察に反対された。競馬や競艇などは他の省庁が運営する賭博であるが、それらを運営する場合は、警察と関係のあるセキュリティー会社を大々的に雇って交通整理をしなければならない(でないと、許可が下りない)。日本国民の欲望を規制し、その甘い汁を吸う組織が警察であるのだから、そのパワーがいかに凄いか、と言うことである。警察の肥大化をテーマにしているが、パチンコ業界との癒着は昨日今日始まったことではない。逆に、レジャー白書などによると、パチンコ市場は縮小している。ただ、市場が縮小してあがりが少なくなっていると言う事実が、利権確保のために警察が他の業界に手を伸ばさなければならないという事だとすれば、最近の警察の動きを合理的に説明できよう。

2/16/2011

警察の肥大化(1)駐禁が商売を滅ぼす

1) 駐車禁止の利権と零細商売の終幕

2006年6月の道路交通法の改正によって、放置違反金制度の新設、放置車両確認事務等の違法駐車対策の推進を図るための規定が整備された。その一環として、放置車両「確認」事務の業務が「民間法人」に開放され、警察署長が公安委員会に法人登録した「民間法人」に業務委託が可能になった。それらの放置車両確認期間は「駐車監視員」と呼ばれる「みなし公務員」を派遣し、違法駐車の確認を行い、その報告に基づいて警察官が切符を切る。要するに、警察は違法駐車取締りの「確認」を「民間法人」にアウトソースする事ができるようになったのだ。

駐車管理員制度の第一の問題は、警察権力が「民間法人」と契約することにより、それら警備会社などに一定の力を及ばせることが出来ると言うこと、つまり天下りの温床になりやすいと言うことである。そして駐車監視員を養成するための講座や教科書が発行されている事も面白い。免許更新などのときにも無意味な資料を貰えるので、多くの人が知っていると思うが、このような試験や教科書を発行する機関は完全な天下り先である。アウトソースをして税金を節約する、などと綺麗ごとを言いながら、ちゃっかりと自分たちの活動の裾野を拡げているのである。金銭問題云々よりも、天下りは癒着の温床になりやすく、資本主義がゆがめられる危険性があるので社会に負の外部性をもたらす。

駐車監視員制度の第二の問題は、過度な駐車違反取り締まり強化である。法律の上でも、モラルの上でも、駐車違反はいけない事になっている。駐車違反が時として重大な事故などを起こす可能性があることは反論のしようがない。そして駐車違反で迷惑を被ることも多々あるので、駐車違反を撲滅すれば良いと考えている人も多数いるだろう(ならば、市民が責任を持って迷惑駐車を警察に通報すれば良いだけの話なのだが)。民間の駐車監視員が駐車禁止を取り締まる場合、既に多くの人が経験しているように、容赦なく駐車違反が取り締まられる。警察官であれば、普通はチョークで印をつけておいて、暫くしてから再び点検に来るわけで、その範囲内での違反は技術的には許されていたわけである。通常違反駐車をする場合は悪質な場合を除いて、ドライバー側にもそれなりの事情があるものだ。そのような事情を一切配慮せずに、駐車監視員が厳しすぎる法律を施行すれば、色々な問題が生じるだろう。迷惑駐車取締りの強化こそが当法案の意図である為に、今から書く事は既に考慮されているはずである。

クリーニング屋であれ、不動産屋であれ、雑貨屋であれ、大通り沿いで商売をしている人がいるとする。駐車場にわざわざ車を停めて店に行くのは面倒なので、普通は5分ほど違法駐車をして店による。しかし5分の駐車ですら、切符を切られる可能性があるとすれば、客は困る。客が駐車禁止を取られれば、店の顧客満足度は下がるし、客が必然的に減ることになる。これでは商売は成り立たない。多くの大通り沿いの家族経営の食堂なども、タクシー運転手や仕事のついでに昼食をとる人達を中心に商売している。駐車監視員が目を光らせている現状では、駐車場を持っている大手以外の店で食べるリスクは取りにくい。コンビニの弁当ですませて車の中で食べようと考える人もかなり出てくるだろう。つまり、大手資本が有利になり、零細店舗の経営が成り立たなくなる。社会正義の大義名分の下、警察の天下り確保のために、家族経営の小さな店が潰れ、駐車場を持てるくらいの大きな店のみが生き残っていくことになる可能性がある訳だ。企業社会主義に向かって日本は着実に進路を取っていることになる。

また配達や工事などで車両を使わなければならない職業に従事している都会の人達が、駐車監視員を通じて切符を切られることを恐れ、商売以外の余計なことに頭を使わなければならなくなっている。日本に帰国した際に、クロネコヤマトが自転車で配達しているのを初めて見た時には、私は情けなくて仕方がなかった。警察の不要な迷惑駐車一掃作戦が無駄なビジネスコストを生み出しているのだ。当たり前だが、ビジネスコストが生まれれば、景気は下に振れる。

長期的に見ると、ますます都会の人々は公共交通機関使用に傾いていくだろうし、車の使用をますます思い留まらせる事態となるだろう。それでなくても人口が減って車の消費が伸び悩んでいる中で、このような無意味な罰則強化をして、社会の動きを悪くさせる理由が理解できない。通行税と関所を廃止すれば経済が上向くのは、織田信長の時代からの常識だ。景気を支えるためには無駄なビジネスコストを生み出している規制は撤廃するべきであるのだ。迷惑駐車の追放という名の社会正義が、結果として通行税や関所になっていることを市民がはっきりと認識しなければならない。どちらにしても、水清くして魚は住まず。駐車違反を撲滅して、商売はあがったり、そして誰も車に乗らなくなる。或いはこれも流行りの「エコ」なのか?

2/14/2011

警察が権力を肥大している事への懸念

国家権力や警察或いは検察の批判をする人は左派であると直感的に感じることが多い(勿論どのように左右を論じるかによるのだが)。確かに社会主義運動や共産主義運動をしている人はイデオロギーとして国家権力や警察権を否定する。イデオロギーとしての警察批判はアナーキストなどのエキセントリックな主張が目立ちすぎるためか、右派は警察批判を避ける傾向にあった。建て前上、警察は法律に基づいた社会正義を実践する国家組織であるため、警察の批判は社会正義への挑戦と捉えられがちなことも事をややこしくしている原因であろう。警察や法の強制化を否定するのは、モラルに反するものと捉えられる場合もあり、そのような議論に与したくない人も多いと思う。

社会的なコストと利益の均衡という視点から、肥大する警察は批判されてしかりの組織であると感じている。昨今起こっている不気味な法律の強化、警察組織の肥大化、ヤクザとの関係のあり方、そして政治に対する越権行為など、長期的に日本社会を見通したときに問題となるような動きが垣間見えるため、敢えて警察についてのコラムを書かせてもらう。はじめに断っておくが、私には社会のモラルを判断することは出来ないし、したくもないし、興味も無い。次に警察権力による別件逮捕と思しきケースが多数見受けられるし、これは非常に由々しき問題であるのだが、噂の範囲からそれらを討論することは無謀であるし、警察を操っている人達が誰であるのか解らないので、このコラムではそれらの討論も避けたい。

小渕首相が病死して以降、あらよあらよと言う間に権力が「岸派」に移った。小泉純一郎が田中派をパージした為に、鳩山内閣が生まれるまでの間、岸派が長期で権力を保っていたのだが、右派である岸派の中には権威主義のような戦前イデオロギーを持っている人が多数いて、その人達が警察権力を増大させるような政策に打って出た。その頃に作られた法律が徐々におかしな方向に社会を導いている。世の常ではあるがイデオロギーは社会を不幸にはさせるが、良くさせる事はない。

国民の安全と命と財産を守るために警察組織が必要であることは異論を挟む余地もない。しかし安全を確保するためにはコストが掛かる。清き水に魚は住まず。警察が、社会を安全にする目的を遂行するあまり、社会のダイナミズムを削いでいるとすれば問題がある。また、組織や自身の権力維持のために、つまり私欲のために税金を使っているとすればそれは腐敗である。

厳罰化の流れは基本的に安全を求めている市民の賛同を得やすい。だが、厳罰化の社会を作ろうとすれば、いやがおうにも逮捕権を持つ警察を肥大させなければならなくなる。組織の肥大化は警察組織とそれに従事するものにとって好都合であるため、警察はなんとかして厳罰化の流れを加速させようとする。警察の肩を持つ訳ではないのだろうが、マスメディアは瑣末な事件を用いて社会不安を必要以上に煽る。厳罰化や規制強化に反対する事は、社会正義という建て前の壁に阻まれて非常に困難である。従って、警察組織は組織拡大の大義名分を最も主張しやすい組織である。行政の無駄をなくすという改革が叫ばれる中、都道府県警予算の合計はこの20年で2兆6千億から3兆4千億円にまで膨張している。

警察は逮捕権を持った組織である。そのような組織が自らの欲望の為に社会の邪魔をしないように、しっかりと監視する事こそが民主主義社会に生きる個人の責任である。このブログはその責任に対する問題提起と扱って頂きたい。

2/09/2011

八百長野郎は相撲協会ではなくマスゴミ

私は相撲のニュースを見るたびに虫唾が走る。相撲協会の体質に苛立たされているのではない。マスコミ(民法各社とその親分の新聞各社)の報道姿勢にイライラしているのだ。

私は相撲を良く見るし、結構詳しい。しかし若い世代で相撲に興味がある人が一体何人いるのか?第一、午後6時前に取り組みが終わるものを、普通に働いている世代が平日に見れる訳がない。誤解を承知で言えば、相撲などは老人ホームに入っている老人と自営業者だけの物である。自営業者が今までは熱心に相撲取りのタニマチをしてきた訳だが、残念ながら「永遠に続く不景気」と「安売り至上主義という名の生産性の向上」は自営業というセクターに酷く圧し掛かっており、健全にタニマチができる中小企業の親父などほぼ絶滅危惧種である。勿論羽振りのいい人も探せばいるのだろうが、相撲を支える経済基盤が揺らいでいることは間違いない。頼みはNHKの放送収入料と税金の補填だけであった。

相撲が保守的な悪しき習慣であると考える人が多い事は事実だ。そういう心無い、そして余裕もない人達が、相撲を廃止させたいと考えている事も知っている。西洋被れた21世紀の日本の世の中に、相撲という古い体質が適応出来得る筈もない。しかし、相撲こそが日本の売りである事も忘れてはならない。ゲイシャやヤクザと同じく、スモウを聞いたことがない外国人などいない。もし外国人が簡単にチケットを手に入れられる体制があれば(お茶屋や興行ヤクザを介しているので現在は無い)、相撲は観光資源として十分に成り立っていくだろうし、それは日本社会ともウィンウィンの関係に持っていくことが出来る筈だ。

しかしそれは相撲という興行が資本主義の常識を受け入れることができる体制が整っていれば、の話である。残念ながら相撲興行は、相撲ファンならだれでも知っているように、黒い社会に徹底的に侵されている。私は幼少の頃、良く親父に連れられて相撲部屋に行ったのだが、総会屋の大物とかが稽古を観戦していた。部屋の打ち上げパーティーなどに行くと、堅気ではないと一目で解る人達が数多くいたものだ。相撲のタニマチをしている人たちの間では、力士が星の貸し借りをしている事など、常識である。東と西を行ったりきたりしている付け人がいれば、それは八百長の伝達をしており、「中盆」と呼ばれている者だ。そんな隠語が罷り通っている時点で、普通の相撲ファンなら八百長の存在など知っているはずである。もし「八百長など無かった」と思っている人がいるとすれば、その人は相撲ファンではないか、そいつこそが八百長野郎である。

私は相撲協会が黒社会との関係を断ち切って、日本の伝統興行を代表し、レジャー・観光資源として日本社会を牽引していくことに期待したい。一年に六場所はしつこすぎると思うが、真剣なスポーツとしての顔も見せれば古いファンにも愛され続け得る筈だ。しかし、それには昔からのしがらみ、つまり闇社会との関係を断ち切る必要があろう。ただ残念なことだがマスコミはヤクザの話題には深く触れようとはしない。相撲を放送しているNHKに対抗する為だけに、民法各社は「相撲協会いじめ」を展開している。暴力団関係の話にまで食い込むと、民法各社にはブーメランのように同質の批判が戻ってくる(或いは銃弾が送られてくる)ので、「明後日を向いて」本題をずらしながら相撲の話題を進めなくてはいけない。問題の本質ではなく、表層の見える部分だけを捉えて、相撲に興味ない人に情報を売る。その過程で個人や団体を必要以上に攻撃する。「イジメ、格好悪い」とは良く言ったものだ。民法マスコミ各社こそが弱虫八百長野郎である。マスコミがこのような姿勢を続ける限り、相撲問題は建設的な解決のしようがない。そして問題の本質が解っている人達でさえ、その建設的な改革に誰も協力しようとしない(理由は家族が大事だから)。

相撲協会はマスゴミのイジメ体質の本質が解らず、「相撲には八百長は無かった」、という一点張りだ。トカゲの尻尾切りをする如く、数人の力士を解雇しようとしている。これでは八百長をばらした事に対する懲罰である。「十両と幕下に差があるから八百長が蔓延っている」、誰が聞いても解る嘘を連呼している放駒理事長達は哀れである。日本における伝統的な相撲の役割とは、体格の良い勉強の出来ない子達の受け皿としての職業教育機関でもあるわけだから(だから文部省管轄じゃないのか?)、相撲力士出身の親方連中の受け答えを馬鹿にしているようなマスコミは差別体質まであると言わざるを得ない。寧ろ、そのような勉強の出来ない相撲取りや外国人力士を受け入れられないような、排他主義的な日本社会の余裕の無さが気になって仕方が無い。

春の大阪場所が中止される事こそが(断っておくが、私は相撲が見たいわけではない)、色々なややこしい問題を見事に象徴しているようで、個人的に非常に嫌な気分になる。警察がリークをした事など、脱法行為と思われる事にメディアが触れていないことも非常に気になる。警察の問題は後日触れたい。

2/07/2011

日本のパラダイムシフトの達成と菅総理

日本の政治はガタガタである。それに伴い、社会がおかしな方向に行っていると感じることがある。マスメディアは不安を煽っているし、警察や検察などが変に権力を握ってきた。財政はガタガタでS&Pにダウングレードされるし、近隣諸国にもやりたい放題挑戦されている。しかも民主党内は分裂状態になり、小澤派と反小澤派が骨肉の争いをしているというみっともない状況だ。一体何が起こっているのか?本当に菅が無能だから日本はおかしな方向に向かっているのだろうか?

結論から言うと、私は菅総理は無能であると思う。学生運動上がりのため批判は得意だが、基礎的な勉強を全くしていないので、建設的な議論はほとんど出来ていない。そして批判の延長線上の思いつきを「政策」と勘違いしている節がある。官僚や識者が入れ知恵するなりしてサポートすればいい話なのだが、誰もサポートしていないように報じられている。ただ菅が無能だからおかしな事が起こっているのではないだろう。菅総理の誕生が戦後経済成長期から延々と続いた「岸派」対「田中派」という二大勢力の戦いからの脱却だった為に、社会が焦っていると言うのが真相だと思う。気がつけばパラダイムシフトがなし崩し的に実現してしまった為に、日本社会だけでなく近隣諸国までかなり焦っているようだ。

政治家にせよ、産業にせよ、財界の系列にせよ、メディアにせよ、暴力団にせよ、官僚や各種団体にせよ、宗教にせよ、日本社会では経済成長期を通して露骨であれ黙示的であれ否がおうにも「田中派」か「岸派」のどちらかに属していた。それが急に訳の解らない学生運動上がりの連中がやって来て、しかも田中派を粛清するような真似までした。今までの常識が使えないだけではなく、これから何をしたいのかさえも解らない。

本当であれば、これを機会に機能不全に陥っていた旧日本型資本主義システムに徹底的にメスを入れるべきであろう。つまり、政官財暴が強く結託した八百長資本主義だ。それをしなければ恐らく20年後には日本はただの中小国に成り下がってしまう。だが守旧派の抵抗(例えばマスコミ)と、民主党の人材の乏しさのせいで、それはほぼ100パーセント実現不能に終わっている。

今後の日本の政治は一体どうなるのか?恐らく菅総理が退陣し、もしかすると何人か挟む可能性もあるものの、元の「田中派」対「岸派」の構想に戻っていくものと思われる。そして機能不全に陥っているシステムを変えられないまま、デフォルトは起こらないものの国債償却問題による長期金利の上昇及び円安、それに伴った心地よくないインフレ。そして長期投資がやりづらい環境になるために、技術力や人材の質の低下による生産性の低下。このような事がじわじわと起こると考えられる(官僚や一般の財界人がそこまで馬鹿ではないのでハードランディングは起こらないと願っている)。まあ、所謂「英国病」が日本社会で延々と続くのだろう。大量の移民に門戸を開放し、グローバリゼーションの波に乗るなどのアクロバッティックな政策を実現しない限り(しかし民主主義の日本では多分無理)、かなり難しい未来が私たちを待ち受けていると考えられる。