8/23/2008

歪な街ローマに見え隠れする関西との共通点

関西地域が停滞して久しい事は何度もこのブログで書いている。関西地域には競争力が全く無い。というのも、関西全域が魅力が無い都市圏と化してしまったからだろう。大阪に本社機能を構えていた企業は挙って首都圏に移転してしまった。周りを見ていると優秀な人材から順に関西を離れていった。私もたまに大阪に里帰りするのだが、廃れ行く自分が育った土地を見ると、かなり鬱になってしまうのだ。私は関西の風土や文化が好きではあるが、正直言って関西に戻りたいとは到底思えない。

関西の地方自治体の政治を見ていると、様々な疑問が浮かび上がる。小学生が考えてもおかしな事に自治体は税金を注ぎ、努力をしている人間に対しては非常に冷たい政策を執っている。ごねた人間が得をする、正義のかけらもない社会を地方自治体は必死で作り出し、それを平等と呼ばせる。問題は確実に存在し、多くの人(少なくとも関西人)はそれを理解している。それらの問題に真摯に取り組み、企業活動や社会の効率化を図れば、関西はまだ捨てたものでは無いはずだ。しかしそれらの処々の問題は、「言ってはいけない」問題として取り扱われ、決して公に晒される事はない。タブーや禁断を21世紀の情報化社会でも必死に守ろうとし、そしてタブーがゆえに政治のサボタージュが起こる。はっきりと存在するものを「無い」と言い張り、その根本的な問題を無視し、表層のどうでも良い物だけをいじくる政治。勿論、何かを変えれば、そこにまた蟻は群がる。そして、努力した人たちはやる気をなくし、ますます地域全体がどす黒く染まる。存在しないはずのもを必死に残したい勢力が存在し、それら負の遺産とともに社会が真綿で首を締め付けるがごとく凋落していく様子。こんな街に誰が住みたいのだろうか?

私はこの夏をローマで過ごしている。ローマの日常を見ていると、私は関西のどす黒い禁断の社会構造と比較せずにはいれなくなってしまう。ローマで生活すると、否が應にもヨーロッパ社会の負の遺産である階級社会を垣間見てしまう。貧しい人と、知的階級がはっきりと二分しており、その間を自由に行き来することは出来ない。貧民の子供は貧民であることを約束されており、EU統合以降にイタリアに入ってきた移民の連中が貧民たちに混じる。アメリカの格差社会はアメリカンドリームと呼ばれる一発逆転が可能だが、それとは全く違う生まれたときに既に豊かさ決まっている階級社会。これはまるで関西に存在する、あの存在しないはずの階級社会のようだ。古い町並みや、遺跡群。そして、観光産業で生業を建てる街、ローマ。階級社会が足枷になり古都を蝕む。もしや、この街は京都そのものではないか?ただ住んでいる人々は、京都人ではなく、泉州人のように見えるのだが。

生活のにおいがする筈の無い観光の街に、泥臭い生活臭がこみ上げる。人々の稼ぎは少ないものの、物価は観光地の値段である。朝の地下鉄、北部の優秀な人達がスーツに身を包んで役所に出勤する横で、アコーディオンを弾きおひねりを乞う人がいる。ローマの若者たちはマナーの欠片もなく大声で地下鉄ではしゃいでいる。その風景に違和感を覚える観光客たちが眉を顰める。競合力の全く無い街、ローマ。

ピラミデから西に行くと、テスタッチョと呼ばれる地区がある。元々、屠殺場があった場所と聞き、関西出身の私は少し緊張して街を歩いた。市場の近くのトラットリア(安物レストラン)の外の席に腰を掛ける。ペンネアル・アッラビアータをプリモに、そしてトリッパ・アラ・ロマーナと呼ばれる、臓物の煮込みをセコンドで注文する。そのような歴史のある街では、やはり臓物のようなものが出てくるのは古今東西一緒なのか?赤ワインをがぶがぶ一人で飲む。待てど暮らせど注文した物は出てこない。既に小一時間が経過している。ローマで効率を叫んでも仕方ない。通りを行きかう人々を目に、一人でレストランに来たことを後悔する。夏といえども、夜風は肌寒い。空腹と寂しさに嫌な感じにアルコールが回る。

やがて、アッラビアータが出てきた。ペンネは上手く湯掻かれていた。そして、それにしても辛い。非常に出来のいい仕上げだった。乾燥させた単純なペペロンチーノだけの辛さではない。恐らくは熟成させたペペロンチーノを使って深い味わいを出しているのだろう。非常に出来の良い一品だ。

プリモに続きセコンドのトリッパがやって来た。牛の胃袋は柔らか過ぎず、硬すぎる事もなく、歯ごたえを残した最高の出来だ。トマトソースの味に、妙にコクが残る。このコクはチーズか?かと言って、しつこくも無い。トマトソースの酸味と、たまねぎや香草の匂いが、臓物特有の匂いを完全に消している。これだけで十分に満足できる仕上げだった。

しかし、会計で30ユーロは高すぎる。だが、これがローマでは水準だ。隣席の人達は私よりも豪華な物を食べながら、私の半額も払っていないことも気になる。人々が歪な形で助け合い、価格を歪める。非効率と、一部市民のたかり体質が歪さに拍車をかける。この国が何故にG8に入れてもらっているのかは理解に苦しむ。私は思う。いくら美味しくとも、一人で食べるくらいなら、レストランに行かずに、アパートで自分で作ったほうがマシだった、と。そして考える。ローマに生まれるくらいなら、まだ大阪に生まれたほうが良かったのかも知れない、と。

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