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8月, 2024の投稿を表示しています

自民党総裁選に党員でもないのにコメントする人

自民党総裁選が盛り上がろうとしている。イメージだけで侃々諤々と誰が良いとか言っている。多くの議員が立候補し、自身の政策を話す機会があるのは、非常に有益な機会だと思っている。齋藤健や上川陽子、林芳正がどのような総裁になりたいのかという話は単純に興味がある。 ただ、私は自民党の党員ではない。党員でもない人間が、一政党の党首を選ぶプロセスについて、ああだこうだ言うのは、おかしいと思う。自民党のミッションや方向性や権力抗争が分かっている党員たちが、自分たちの目線で党首を選ぶべきである。 党員でない人間は、党首が決まってから、自民党に投票するかどうかを決めればよい。自民党は、ただの一政党であり、その内部抗争を日本の権力抗争のように報道するのはどうかと思う(たとえ結果的にそうであったとしても、建前上は関節民主主義のシステムをよく理解するべきだと思う)。 党員ではない人間が、石破さんや小泉さんが良い、とか言っている人たちが多いようだが、正直、何だかなあ、という感じだ。石破さんが人気があるのは、石破さんが自民党員の悪口ばかり言っているからだと思う。石破は堅苦しくて鬱陶しいのでばれていないが、政策的にはMake Japan Great Again (MJGA) みたいな馬鹿げた感じだと思っている。イメージだけで人を選ばないで、まずは政策をきちんと聞いたらどうだろうか?

オリンピック:女性の競技に出場する条件とは?

イマネ・ヘリフ(アルジェリア)がパリオリンピックのボクシングの女子66キロ級で金メダルを獲った。中華台北(笑)の 林郁婷も順調に勝ち星を進めている。 当ニュースが出てきた初めの頃は、トランスジェンダー問題のような報道がなされていた。私はトランスジェンダーの元男性が女性の競技に出ることには強く反対している。スポーツ競技では薬物でのホルモン剤ドーピングが禁止されている。同じ理由で、過去に男性ホルモンの影響があった人が女性の競技に出るべきではない。ドーピング違反の考え方の原理原則に基づくと、当たり前の話である。 ただ当ボクシングのケースは、性判定というものが、思っているよりも難しいという知られざる事実に触れる事となる。染色体上での遺伝子形質が、必ずしも表現型に反映されるわけではないという事は、知識としては解っていた。こういうケースも意外とあるのだな、という感想だ。私たち人間は、遺伝子を突然変異させながら進化していく動物なのだから、そりゃそうだよ、と言えばその通りだ。が、社会学的な一面に現を抜かしていると、こういった生物学的な観察眼を失ってしまう。 女性枠にどういった人を招聘するべきかどうかというのは、 主催者が透明性のあるルールを事前に用意すれば良いだけの話である。世の中には白黒つきがたいケースがある以上、誰かがはっきりと線引きすれば良い。線が公平かどうかの議論は、二の次である。透明なルールに基づく線さえあれば、線の右か左かがはっきりする。腐敗にまみれたIBAが、この辺りを適当に扱い、解釈を変えたような動きをしたこと自体が、そもそもの失敗である。IBAの跋扈を許したIOC(あるいはIBAとの癒着を断とうと奔走しているIOC)に非があると思う。現状のルールに則っている以上、ヘリフや林に出場資格があるのは火を見るより明らかであり、当該選手達を貶めるような発言には憤慨する。 女性競技の公平性を唱える人たちがいるが、この議論が意味不明である。女性競技はそもそもが公平ではない。そもそも公平性を言うのであれば、男女すべてを競技に招聘し、そこで優劣をつけるのが一番の公平と言える。しかしながら、女性の社会進出という社会的な意義として、女性の競技も男性と同格に扱い、女性の権限を高めスポーツを振興をさせようという意思の元、女性に下駄を履かせるように女性競技を作ってきた(女性の方が活躍できる競...