2/18/2021

オリンピックを中止する理由は一つもない

 私は日本でオリンピックを開催するという、そもそものアイディアに対して反対している。このような無意味なことに税金を使い、誘致を喜んでいる人たちの気が知れない。政治家も含めて馬鹿ばかりだと思っている。ただでさえも人が多い世界一過密な東京に、外国から大量に人を呼び込もうとか、狂人のアイディアである。

そのような意見をもつ私でさえも、昨今の「オリンピック開催は無理」のような意見は理解し兼ねる。もしくは無観客で行え、という意見も意味不明だ。開催する意思があれば開催できるし、競技会場のソーシャルディスタンスを保ったうえで、観客を入れることに何の問題があるのか?相撲や野球がやれるのだから、夏場にオリンピックを中止する理由が全く分からない。

夏場に行うわけであるし、屋外で行う競技など、観戦に何か問題があるのだろうか?日本にいる人が中心になるとは思うが、二週間の隔離などを厭わない人など、外国からのお客さんにも観戦させるべきだ(感染ではない)。そんなことは心配しなくとも、日本にいる人たちだけでほとんどの競技が満席になるだろう。不完全な大会であろうとも、いくらでも見たい人はいる。警備や不必要なボランティアも入れないで良いので、コストも下がるはずだ。パラリンピックは、止めるか規模縮小で仕方ない。別に一堂に集めて開催する必要がないだろう。オリンピック理念など、糞喰らえである。

選手はバブルの中で隔離すれば良いのだし、マイナー競技は田舎の体育館でやれば良いだけだ。調整ができない選手や、日本に来れない選手も出てくると思うが、それは仕方ない。選手村とかに拘らずに、会場付近で散らせば良いだけだ。結果として日本選手がメダルを一杯とると思うが、テレビ中継を見て多くの日本人は大喜びすると思う。やることないんだから、せめてテレビでくらいスポーツを流せば良い。二時間ドラマやワイドショー見ても、酒は飲めない。

時代遅れのオリンピック誘致を喜んでいた人たちが、手のひらを返してオリンピックの延期や中止を求めているとか、頭がおかしいんじゃないか?今反対するのであれば、はじめから反対しておくべきだ。政治家や大企業の利権造りや権力強化の目的にオリンピックが使われるであろうことくらい、初めから分かっていた事だ。国民が一番社会をなめているのか、ただの情弱の集まりなのか、いい加減にしてほしい。

既存の原発の発電を止めているくらい、全くの意味不明である。

旅行も行けずにやることないのだから、冷房の効いた部屋でテレワークしながらオリンピック見て喜んどけ。昼から第三のビールを飲みながら。何か問題があるの?テレビでオリンピックやってたら見るんだから、ごちゃごちゃ言わずに淡々とやれば良い。社会活動を阻害するややこしいマスゲームは、さっさと終わらすべきだ。中止は良いが、延期だけは絶対反対。「出来ますか?」じゃなくて、「さっさと終わらせろ」が正解。

もしかすると、中途半端にやるよりも、延期してだらだらして、最後はフルスケールでやった方が、マスメディアや電通や土建屋が儲かるのかもしれない。そういう税金の無駄は絶対に許してはならない。

自民党の国会議員が大会組織委員会会長になるという距離感の間違い

橋本聖子は大臣は辞めたが国会議員のまま、東京オリンピック大会組織委員会の会長になることになった。自民党の議員の立場でありながら、公平を期すというのは、どういう意味だろうか?オリンピックが政治とここまで距離を近くしても良いのだろうか?こういうガバナンスがなぜ効かないのか?

何故ここまで大きな政府路線を取るのか?そして、これらのことを批判する人が何故こうもすくないのか?本当にしんどい。民間がやることに、国が介入するな。

2/11/2021

森こと蜃気楼を擁護する保守層は意味不明

 保守層の言論人が森は辞めるべきでない、というようなスタンスを取ろうとしている。大丈夫かな、と心配する。森が消えようが、消えまいが、どうでも良いし、私の生活とオリンピックは関係ない。

オリンピックを税金で賄おうとしている社会主義的な感覚に、私は怒りを覚えている。元総理などの国政の関係者が関わるべきではない。勝手によろしくやってりゃいい。民主的なプロセスで事が進んでいないのが鬱陶しい。オリンピックから手を引こう、みたいな政治イデオロギーが生まれなかったのが、地上波マスゴミの言動に支配された日本の限界である。21世紀少年で馬鹿にされていたような、オリンピックと万博をもう一度、みたいな悲しい世界が現実になっているのだ。

ノンプロフィットの会長が誰であろうと、知ったこっちゃない。死にかけのおじいちゃんをもう一人連れてきて、「国のための最後の仕事」とか言わせているところが悲しいかな、である。

2/05/2021

森を炎上させて喜ぶマスゴミ

東京五輪組織委員長を無償で務める元内閣総理大臣の森喜朗氏が、言わなくても良いことをペラペラしゃべって炎上した。女性蔑視だという事で、謝罪会見を開き、態度が悪いとさらに炎上した。コロナのニュースが下火になってきたマスゴミにとって、待ってました!とばかりのタイミングである。叩きやすい相手に総攻撃を仕掛けている。

森の態度が悪いことは今に始まったことではない。偉そうなふるまい、暴力団のようなすごみ。こういう態度で政局のフィクサーとして自民党のトップを張ってきたわけだ。体は大きく、態度は横柄だが、若干頭が悪い。で、みんながいる前で、ボロボロと言う必要のない「サービス」を口にする。「日本の国まさに天皇を中心としている神の国であるぞ」、みたいな。麻生とかもそうだが、そういったキャラクターであるのだ。

スキャンダルを小出しに東京都の知事の首を三回も挿げ替えるようなドロドロとしたオリンピックの利権争いも、森は後ろできっちりと取り仕切ってきた功労者である。ラグビーワールドカップも、森の尽力のおかげでまとまったという話は、関係者から漏れてくる。

森や麻生やトランプは、ある意味で同じようなタイプの人なのだと思うのだ。自分が正しいという絶対的な自信を持ち、妥協は弱さだと信じ、常に凄みを見せる。その癖、サービス精神がやたらと旺盛。で、言う必要のないことをポロポロ言う。肩書きへのこだわりも強い。こういうタイプは、既定路線を生きてきた真っ当なエリートに嫌われる。だから、叩きやすい。マスコミからしたら、炎上、ゴチです、ってところだろう。

森や麻生や二階を表に出すというのは、自民党は少し勘違いしてるのではないだろうか?というか、日本の統治構想がそういう人を求めているんだと思う。剛腕調整役とか言っているが「私の顔をして、ここは妥協してくれ。後で悪くはしないから。」とか、そういうのが交渉であるわけだ。義理人情の世界である。こういうのが交渉のフィクサーとして出てくる社会で、「女性」が活躍できるわけがない。

森の問題ではない。日本社会は女性が活躍できないような構造になっている。利権縁故の世界では、こういう人間たちがのさばってしまう。また、一般人の、そういう意識が変わらなければ、未来は開けそうにない。育ちの良さそうな口のうまいやつをリーダーにして、知事とかが変なスキャンダルで陥れられないような社会になればよいと思う。

しかし、森さんも老いぼれたと思う。もう長くはないのだろう。