10/12/2020

日本学術会議は正義感溢れる痛い人たちの集まり

 日本学術会議の問題だが、菅総理や政府には何の落ち度もないと思っている。このことで騒いでいるマスコミや無関係の人たちの良識を疑う。

日本学術会議の会員は民主的なプロセスで選ばれていない。クラブ会員制のような閉鎖的な機関である。その会員達が、良識か何かで「軍事目的の研究」を禁止することを採択し、まるで学会の総論のように扱っている事こそが、学問の自由を貶める行為である。

私は戦争をしろ、とか、極論を言っているのではない。科学者が防衛省からの予算を使ったり、防衛省の研究を助けるというのは、そういった予算があるのであるから、研究者個人の判断であるべきだ。国が提供する予算や研究対象に関して、学術会議が研究者個人の自由を束縛する行為は、完全なる学問の自由の束縛である。しかも、学術会議の会員は民主的なプロセスで選ばれていないクラブ会員であるのだ。

スケールは全然違うのだが、私の近所の公園でも似たような話がある。公園を作った際などに、近所の町会や何かを巻き込んで、自主的な公園の管理というものを区が提案している。近こういった組織は、新興マンションの住人や新たに移り住んできた人が少なく、年齢的にも職種的にも、かなり偏った住人を代表する組織となっている。そういった組織の人たちが、良心からか、「犬の散歩禁止」とか「ボール遊び禁止」とか、多数決で住民の自由を束縛するようなルールを打ち出す。区の条例に基づかないルールを守る必要は全くない。しかし、ルールとして公園に張り紙がなされ、自由な活動が束縛される事態となっている。

自由を束縛しようとする考え方そのものが、トータリタリアンの危険思想である。制度が用意されているサービスをどのように使おうが、それは市民の自由であるべきだ。それを、自分の正義のために、他人をコントロールしようとする。このあたりに日本社会の息苦しさがあるのだと思うし、人の自由を制限する行為を許さないという姿勢が大切になってくると思う。


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