11/01/2020

大阪都構想の挫折と関西圏の中長期的な不安

 あれだけ必死に啓蒙してきても、二回連続で僅差で敗れるところに、この問題の奥深さがある。

大阪市を廃止しても、問題が100パーセント解決するわけではない。が、改革への道筋すら付けれなくなってしまった。霞が関の力を弱くし、独立した実力のある自治体を作るという方向性は死んでしまった。既得権益を巣食うシロアリたちが蔓延るシナリオを市民が認めたという事になる。関西の未来は大変に暗くなった。貧乏人に厳しくない、成長の見込めない姥捨て山としての大阪市が残るのだろう。

何度も書くが、日本は既にチェックメイトを喰らっているにもかかわらず、千日手で凌いでいる状態なので、たぶん何をやっても無駄だとは思う。住民サービスや年金などは、何をやろうと悲惨な結果になる事は目に見えている。

一度与えた既得権を取り上げるのは、非常に難しいという事が良く解った。政治家や官僚たちは無数の無駄な組織や箱モノを作ってきた。それらを取り壊すことは、作るよりも遙かに難しい。そして、そいつらの政治運動を素直に受け入れる人間が、民主主義の一翼を担っている事実に、暗澹たる思いがこみ上げる。

政府が負担しなくてよい物は、負担しない。民間で出来る事は、民間へ。国家や自治体は、無駄な許認可の権限を持たず、一般人の自由や民間の競争を阻害しない。こういう単純な前提を無視するのは、社会主義である。我が国は、出来上がった社会主義であり、ソ連のように足の引っ張り合いで国が腐っていき、やがては破綻する運命なのだろう。


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