余談だが、二流のコンサルや修士レベルの専門家の人たちは「合成(マクロ)の誤謬」を理解していない人たちが多く、木を見て森を語りたがる人が結構いる。ミクロのケースを積み上げてマクロに応用することは危険を伴う。何故なら、見えていないことや、波及効果を見落とすので、ミクロの合計が必ずしもマクロの数字と一致しないのである。この手の押しの強い人たちと喋っていると、正直しんどい。そういう人たちに「もうちょっと勉強してください」みたいな事を正直に話すと、大体喧嘩になる。閑話休題。
今回、コロナウイルスについてのリスク分析を元に、インフルエンザと変わらないのに、みたいな話をする人が周りに結構いる。厚労省や内閣のリーダー層も、基本認識としてはコロナ問題は騒ぎ過ぎと思っている節がある。この人たちのポイントは、インフルエンザの死者数とコロナの死者数を比べているだけだ。
リスクの公式が、f(感染者数X感染率X感染した時の致死率)みたいな小学校3年生くらいの公式で説明しようとする。世の中がそれだけ単純であれば嬉しいと思う。そして、新型ウイルスがインフルエンザ程度のインパクトであれば非常にうれしい。
だが、実際にリスクを考える際のファンクションはもっと複雑なはずである。基本的にはエクスポネンシャルファンクション系、あるいはシグモイド曲線のタイムシリーズ&スぺ―シャル分析になってしまう。変数としては都市の人口密度、気温、湿度、人口分布などの社会情勢はもとより、ウィルスの感染力、致死率など、様々な事を入力する必要が出てくる。そして、気付かれると思うが、ウイルスに関する変数は信用できないか不明であるのだ。それであれば、モンテカルロみたいなものを当て嵌めてセンシビティーの範囲を示すような感じになるが、結果は大きくぶれてしまうのだ。第一、この病気は治癒可能なのかどうか(つまりヘルペスやHIVのケース)、二度目の感染があるのかどうか(つまりデング熱ケース)、こういったことも含めて信用に足る情報はまだない。
まともな大学の専門家は、ある程度の数字をはじき出しているはずなので、オープンソースなどに発表して、喧々諤々議論し、それらの数字を元に政策は立案されるべきだ。
ほとんど情報がない中で、可塑性の状況も捨てきれない中で、楽観的なリスク評価を元に行動することには疑問が残る。データ蓄積をある程度していくうちに実証的に楽観的になるのと、浅学寡聞な連中が地元のヤンキーのような勇ましさを示すのとでは意味が違うと思うのだ。似非専門家がテレビに頻繁に出てくるが、解らないことは解らないと言ってほしい。