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2月, 2020の投稿を表示しています

コロナ3:感染モデルを解っていない人のリスク分析

コンサル上がりの人が周りに結構いる。コンサル系の人たちの中には、知識が浅い癖に全て解ったような事を言う癖のある人が多い気がする。 余談だが、二流のコンサルや修士レベルの専門家の人たちは「合成(マクロ)の誤謬」を理解していない人たちが多く、木を見て森を語りたがる人が結構いる。ミクロのケースを積み上げてマクロに応用することは危険を伴う。何故なら、見えていないことや、波及効果を見落とすので、ミクロの合計が必ずしもマクロの数字と一致しないのである。この手の押しの強い人たちと喋っていると、正直しんどい。そういう人たちに「もうちょっと勉強してください」みたいな事を正直に話すと、大体喧嘩になる。閑話休題。 今回、コロナウイルスについてのリスク分析を元に、インフルエンザと変わらないのに、みたいな話をする人が周りに結構いる。厚労省や内閣のリーダー層も、基本認識としてはコロナ問題は騒ぎ過ぎと思っている節がある。この人たちのポイントは、インフルエンザの死者数とコロナの死者数を比べているだけだ。 リスクの公式が、f(感染者数X感染率X感染した時の致死率)みたいな小学校3年生くらいの公式で説明しようとする。世の中がそれだけ単純であれば嬉しいと思う。そして、新型ウイルスがインフルエンザ程度のインパクトであれば非常にうれしい。 だが、実際にリスクを考える際のファンクションはもっと複雑なはずである。基本的にはエクスポネンシャルファンクション系、あるいはシグモイド曲線のタイムシリーズ&スぺ―シャル分析になってしまう。変数としては都市の人口密度、気温、湿度、人口分布などの社会情勢はもとより、ウィルスの感染力、致死率など、様々な事を入力する必要が出てくる。そして、気付かれると思うが、ウイルスに関する変数は信用できないか不明であるのだ。それであれば、モンテカルロみたいなものを当て嵌めてセンシビティーの範囲を示すような感じになるが、結果は大きくぶれてしまうのだ。第一、この病気は治癒可能なのかどうか(つまりヘルペスやHIVのケース)、二度目の感染があるのかどうか(つまりデング熱ケース)、こういったことも含めて信用に足る情報はまだない。 まともな大学の専門家は、ある程度の数字をはじき出しているはずなので、オープンソースなどに発表して、喧々諤々議論し、それらの数字を元に政...

コロナ2:経済崩壊とその対策

2006年末ごろから始まったアメリカの住宅市場の傾きが、2007年ごろには徐々にサブプライム問題として金融業界に波及し、2008年には所謂リーマンショックと言われるような世界経済危機を引き起こした。この一連の流れは、信用収縮を引き起こし、住宅、車、設備投資などが委縮した。よって、金利を下げて、資金を大量に市場に放出するという対策がとられた。 新型コロナウイルスが武漢、中国全体、東アジア地域と拡がった。いよいよ大陸を超えて、欧州、中東や北米でさえも新型コロナ問題を市民が真摯に受け止める事態になっている。無症状のうちにも感染力がある当ウイルスは目に見ないため、疑心暗鬼となった市民が他社と交わる行動を自粛させることにより、実体経済が急激に委縮することが予想される。 米国の株価指数は軒並み急激かつ大幅に下落し、調整区域(ピークから1割以上下がる)に入っている。3月に入って、ベアマーケット区域(ピークから2割以上下がる)に入るのかどうかが試される状態となっている。 そこで、FEDが利率を下げればよいという話になっているが、意味が解らない。利率を下げても、新型コロナウイルスの問題は何も解決しないからだ。利率が下がれば、会社の社長はビジネスクラスの飛行機でスイスのジュネーブで行われる会議に出席するのだろうか?東京のオフィス街での新年送迎会は行われるのか?民泊用の物件に人々が泊まるのだろうか? 今回の問題は日銀やFEDの出る幕ではなく、政府が具体的な経済対策をしないと大変なことになるだろう。 実体経済が悪くなって、株価が下がれば、不動産なども連れ安になるのは目に見えている。2020のオリンピックはもう無理だ。収入予想はすべて狂った。その先の、実質的に財政ファイナンスをしている国債の価格が、市場により大暴落したら、日本円も暴落し、ジエンドだ。そうならないように、自民党政権には頑張ってほしい。まあ、何度も書いているが、日本経済は既に詰んでいるので、いつかは絶対そうなるので、まあ、今回そういう最悪のシナリオがあっても大変困るとは言うものの、驚くことはないだろう。これは安倍さんのせいではないが、お尻を拭けるかどうか?あまり期待できない。

コロナ1:PCR検査の問題、政策判断のためのデータを蓄積するべき

新型コロナウイルスの対処を見ていると、薄々皆が気付いていたことだが、自民党及び行政府が構造的に想定外の危機問題をハンドルできないという事が露呈したと思う。ダイヤモンドプリンセス号の対応は赤点レベル。検疫業務という既存の体制や法律が優先されたために、隔離の目的がブレてしまう大失態が生じた。感染者を拡げないのが目的なのか、感染者を上陸させないことが目的なのか?挙句の果てには、ウイルスに感染リスクがあるにもかかわらず、時間が経ったというだけで乗客と乗員を上陸させている。意味不明である。「現場は頑張っている」などという話は、その通りである。いつか辿った80年前に経験した大失敗のケースと同じである。ポイントはそこではないのだ。隔離の目的は医薬・生活衛生局検疫業務管理室のガイドラインの手順を順番にチェックして法的に粗相がないようにすることだったのでは、と皮肉ってしまう。カンボジアの対応を笑えないレベルである。 適正な数のPCR検査が日本で行われていないという批判が渦巻いている。肺炎にもなっていないのにPCR検査をしても仕方がないという意見が根強くある。それはそうなのだが、私はデータ収集と適切な政策を立案するという視点でPCR検査は積極的に行うべきだと思うのだ。それは臨床のためではなく、公衆衛生の政策作りのためである。 保険所では肺炎の症状がある人たちのPCR検査を淡々とすればよい。ただ、やるべきPCR検査がきっちりと行われていないという批判が渦巻いている。その理由について陰謀論を含め、様々な推測がなされている。1)SERSやMERSを経験していない日本において、厚生労働省には危機意識がなく、有事にもかかわらずキャパシティーがない。2)厚労省の人たちが感染研の利権構造や補助金を意識的か無意識的に忖度している。3)オリンピック開催を意識して、陽性の数をわざと低くしようとしている。4)検査の費用が高く、政府や地方自治体は予算をケチっている。これらの意図や制度上の不備に対して、PCR検査の擬陽性や偽陰性の出る確率が悪いといった問題を指摘する人もいるが、これはどんな検査でも生じる事であるし、トレードオフ関係の両者はベイズ確率理論で簡単に計算できる。そのような検査限界のリスクはきっちりと説明すればよいことであり、文系情報弱者のための適当な言い訳としか思えない。 自民党政権により...